alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

農楽カフェで9月8日にカフェのお話をします

2010年08月31日 |  カフェ的な場で考えたこと
 ひさしぶり、になりますが
またカフェについてお話をする機会を
いただくことができました。
神戸で2年前から開催されている農楽カフェという
イベントで、貸し農園をされている面白い方と
一緒にお話をします。

 お時間のある方、神戸近郊の方、
カフェまたは農業に興味のある方、
はたまた日本の未来に興味のある方?
ぜひ遊びにきてください。
一緒にお話をする伊藤さんという方は
かなり熱くて面白い方です!!
貸し農園とカフェの共通点は、、、
普通に抱いているイメージからは
想像もつかない面白さがあるところ?かな

 パリのカフェに関してなど、
お話する機会があったらぜひお声をかけてくださいね。

・・・・・
(以下情報、転送・転載大歓迎)

☆9月8日(水)19時~21時@ミドリカフェ☆
■農楽カフェ~人と人がつながる種をまこう~■  
~~農や食、環境をテーマに語り合いませんか?~~

第1回「cafeから時代は創られる~豊かな農園からのライフス
タイルの提案~」

■日時:2010年9月8日(水)19時~21時 (18:30開場)
■場所:ミドリカフェ
TEL: 078-412-7214  HP:http://midoricafe.jp/
〒658.0003 神戸市東灘区本山北町 2.6.24.1F
・阪急神戸線、岡本駅南口より徒歩3分。ハンドインハンド左
折、東へ徒歩7分
・JR神戸線、摂津本山駅北口北へ徒歩1分。西崎眼科を右折、
東へ徒歩7分
■参加費: 1,500円(ワンドリンクつき)
軽食(追加750円)、夕食(追加1200円)でご用意できます。
農楽カフェ4日前(4日[土])までにご連絡ください。
※棚田LOVER’s会員は1,000円(棚田LOVER’s年会費は3,000
円)
■定員:15名(先着順)
■主催:棚田LOVER’s、棚田LOVER’s SEED http://tanadalove.com/
■協力:ミドリカフェ
■チラシ:http://tanadalove.com/pdf/100908_nouka.pdf
■ゲスト・メッセージ・プロフィール・事前の質問事項

■伊藤 麻理子さん(くすのきエコ農園)

大自然に抱かれて、私たちは生きています。農を知ろうするこ
とは、正にその入
り口に立つこと…今ドアを開けるのは、あなたです!?

2008年4月くすのきエコ農園開園(一部は35年前より開園済)
 現在2000坪で約
180区画、メンバー54名。 来年度さらに・・60区画開園予定。
八百屋・食品ミニスー
パー歴30余年で、現在日本書芸院審査員。興朋会:理事。珈扇
書道会:主宰。 市内2
箇所のデイサービスにて、書道ボランティアの活動も行なって
いる。

■飯田美樹(cafe文化研究家)

フランス、パリでは様々な文化、
社会的運動がカフェを舞台に起こってきました。
ではこの先の日本を変えていくには?
カフェという場のもつ力って?農楽カフ
ェで少し感じてみてください。

1980年神奈川県生まれ。高校時代から環境問題にめざめ、
青年環境NGOエコ・リーグを中心とする
様々な環境活動に関わる。
それらの活動を通じて、
社会を変えうる活動を生み出す「場」に
強い興味を持つようになる。
早稲田大学時代にフランスのパリ政治学院に留学し、
カフェに通い始めたことが、カフェ研究のきっかけとなる。
自身の熱い「場」づくりの経験やカフェに通った実体験、
また大学院休学中にカフェを運営した経験等の実体験を、
百年前のパリのカフェ文化を理解するための
視点として用いながら、
カフェという場のもつ力強さについて追求し続けている。
早稲田大学商学部卒業、
京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了

■事前の質問事項
「カフェや貸し農園には、どんな共通のテーマがあると思いま
すか?」

■お申込・お問合せ
E-mail: tanadalove@yahoo.co.jp 
携帯 090-2359-1831 (永菅)
メールかお電話で、お名前(ふりがな)、ご連絡先(お電話番
号、Eメール、ご住
所)、質問事項の回答を記載の上お申込みください。
先着順で受付、定員に達した時点で受付終了します。

■スタッフも大募集!
17:30に会場に来れる方で、設営・受付・ドリンクオーダーな
どを
お手伝いいただける方は「スタッフ参加希望」と書いてお申込
ください。
今後ともよろしくお願いいたします。

怪獣との日々

2010年08月31日 | 子育て


 最近は一時保育に通いだしたり
フランスのことを思ってみたりしているせいか
前ほど子育て大変じゃない?と思ってたけど
蓮太郎と2日一緒に過ごしてみると
あーそれって ただ単に 保育園のおかげなんだわ!と
痛感してしまう。


 保育園がなかったころは

一体いつまで続くんだろう
一体いつまで 私は時間がないんだろうと
本当にこの状況が恐ろしかったけど
保育園に週2回でも行ってくれるようになり
自分の時間が確保できると
かなり精神状態は異なるようで
蓮太郎のことを一番かわいい!!と
心底思えてしまうのは やっぱり
保育園に行ってた日の夜や
長いこと離れた後で
丸2日一緒にいると 途中で
嫌になってきたりしてしまう。


 どうしてなのか

 児童館にいるママたちで

 とてもさわやかに子育てをしているように
見えた人たちが存在してて
子育て つらくないのかな?
そんなに素敵なママができるなら
3歳くらいになるまで自分でみたらよさそうなのに
そんな人たちにかぎってこぞって子供が
1歳になるより前に 保育園ママになってしまった。

 私は不思議でしょうがなかった
それに対して 自分で子育てを続けることになった人たちは
けっこうしょっちゅう「もうやめてー!!」という
オーラを発し 子育てが得意そうにはあまりみえない。
この対称性ってなんなんだろうと思っていたけど

 先日ちょっと希望を失った際によーくわかった。
あれって 保育園があるからできたことなんだ、、、


 彼女達 は 知っていた。
いつか終わる日が来ることを。

 あと何ヶ月かで 私はただのママじゃなくなる
だからママを楽しもう 精一杯向き合ってみよう
そんな気持ちになれたのだろう だって私はまた
働くわけで こんな風にはみていられるのは
限られたほんのわずかな期間だから。

 それに対してずっとママをする方は
それが根っから向いてるタイプの人もいるけど
そうじゃなければこう思ったりもするだろう。

 いったいいつまで続くんだろう
私の人生はどこへいってしまったのだろう?
これまでやってきたことは一体なんだったのか?
この先もずっとこうして追われていくのか
それなら少しでも休みたい!!!

 そして女は誰かの前でこう叫ぶ
「もうやめてー!いい加減にしてよ!!」


 そうなんです かくいう私もその一人。
早く保育園の日こないかな なんて
指折り数えてみたりする。
ママサークルに行ったりする度
なーんで人は 子供を欲しいと思うんだろう?と
すごく疑問に感じてみたり
(だってこんなんい大変なのに!!!)
でもやっぱりめちゃかわいいから
もう一人欲しいかもと思ってみたり
いやいやもうあの地獄の日々は恐ろしいと
思ってみたりのくりかえし。


 子供って なんでこんなに怪獣なのかな
なんでここまで手がかかり
なんで言うこときかないんだろ
人間の子供に限って なんてこんなに大変なのかな
人はどうして子供を産むのだろう


 我が家の怪獣レンタゴンは
いつも笑顔で私を襲い 私はいつも
ああ殺される、、、とけっこう本気で怖くなり
もう早くお昼寝してよ!!と試行錯誤で
眠らせるけど 寝ない時は だんだんと
ストレスがたまり腹もたってくる。
こんのやろー!!と思うけど
いつも笑顔のレンタゴンは たいていは
かわいらしいのだけれど
おもらし おもらし ウンチも3回漏らされてると
だんだん腹もたってくる。


 まあ冷静になってみる と 子供の機嫌が
悪いのは 親がかまっていなかったりとか
そういうのによるんだけれど
日々子供と向き合っていたら
なかなか冷静にもなれないようで
それでも私は今日はイライラしたけど
怒りを爆発させないように
なんとか自分をコントロールできたみたい。


 子育ては 本当に大変
私にはとても 「簡単だし かわいいから
躊躇しないで子供を産んだ方がいい」とは
若い女性には言えません。だって今の日本で
核家族 で 子供を産んだら
みんなが想像しているように
本当に人生変わってしまう
私にはまだ そこをどうしたらいいかもわからない
少なくとも 一時保育というものが
もっと世の中に増えてくれたら
だいぶママの精神状態はよくなるだろうと
それくらいは言えるかな


 フランスは今子育てしやすいというけれど
かの地はいったいどんなのだろう
余裕があったら もう少し ちゃんと本を読みたいな。

希望と絶望

2010年08月28日 | 私の人生



 昨日はほんのちょっとした出来事があり
そんなほんのささいなことで
人は簡単に希望を失うことができるんだ
と気づいて本当に驚いた。


 希望を持つということは
それまであまり希望を持てないでいた人にとっては
それ自体が大きな変化で
自分に何度も問いかける。
夢なんて 抱いたって傷つくだけじゃないだろか
現実主義でいたほうが つまらなくっても
それでも傷つくことはない
夢なんて 描いたところで 実現するわけ
ないじゃないか 

 そんな風に リアリスト になってた人が
希望をもって 夢を描くのは難かしいけど
ようやく希望をもてたところで
希望をもつのは大変なのに
一瞬にして どうでもいいような出来事で
それを失うことがある。


 希望を持つのも自分自身なら
それを失うのも自分自身で
私はちょっとの間希望を失った自分を
味わってみて するとどうだろう
世界が全く違って見える。


 ここでの暮らしも
こんな暮らしも 前は本当に嫌だったけど
それでも悪くもないのかも?
田舎の風景も美しいしな
そんなことを思ったりもしてはいたけど
それは私に希望があるから
私の中に 夢が芽生えて来たからで
もしそれがなく この生活が
やっぱり一生続くのならば
この先ずっと変わらないなら
それは本当に恐ろしい。


 希望があるから 夢があるから
今の私には力があって だから
ブログも書いていけるし
だから勉強だって続けていける
だけど夢も希望もなかったら?
世界はまったく違って見える
そう 灰色でしかなくなってしまう。


 だけど夢っていうのは
乙女のように 描いているだけじゃいけない
家事が不得意な私にとって
他の人より得意なことがあるとするなら
それは夢を現実化する能力かもしれなくて
本を書きたい!と思うこと は簡単だけど
白い紙に文字を埋めていくのは
恐ろしく孤独な作業。
ようやくそれが終わっても
今度は校正の繰り返し。
書けたって出版しないと本は
本として流通しない
それらが全部そろったときに
「本を出す」という夢が叶ったことになる。
そのために は 苦しくっても
それを現実化する 地道な努力が必要で。


 それですよそれ


 もう希望も夢もない人生なんて
本当に嫌だから 死にながら生きているのと
同じだ と痛感したから
だから私はエネルギーを燃やして生きている
だって もう 一度死んだようなものなんだもん
死ぬよりは生きたいと そうフランスで
はじめて思うことができたから
今の私はがんばれる
だって希望があるのなら
世界は違って見えてくるから
もう灰色なだけじゃないから
私は希望を失いたくない
その世界はもう 恐ろしい


 頭の中で 夢を描くのも大切だけど
夢が夢のままであったら いつまでたっても
到達しない。でも絶対そんなのイヤだ!!と
昨日は痛感してしまったから
試験が済んだら少しずつ
夢を現実化していけるよう
それなりに努力していこう。

大人の遊び場

2010年08月25日 | サードプレイスとしてのカフェ


 今日は一日蓮太郎と一緒にいる日で
さーて何をしようかな と思っていたら
はっと記憶がよみがえり 今日って水曜?
25日か?もしやほっこりサロンの日じゃないか?


 いそいで携帯を探し出し
いつもの近所のおばさんに電話をすると
「あー今電話しようと思ってたのよー」
ということでやっぱり今日だった。
洛西ほっこりサロン 月に1回開催です。


 はじめは気合いが入ってたものの
だんだん私も適当になり、そのおばさんも
「あんまり声かけてなくってね」ということになり
今回でもう5回目くらいになるのだろうけど
だいたい顔ぶれは決まってる。
なんだか近所の寄り合いっぽく
最近ではお菓子もみんなで持ち寄っていて
「あー こんにちはー!」
「あらー れんちゃん」という
そんな感じでとてもなごやか。


 1回目は風船やらおもちゃやら
なにやらやたら持ち出してたけど
2回目はみんなでお手玉をつくろうと
いうことになり あさからチクチク
チクチク縫って 午後はひたすら
お手玉練習。そしておばあちゃん達が少女になって
そう ここにくると みんな本気で遊びはじめる。
それがとっても面白い。
ちなみに前回は浴衣講習で 3人がかりで
京都のおばちゃんに浴衣の着付けを教わったので
おかげさま で パリで一人で着れたのです。


 ところで何の集まりだっけ?と
不安になることもあるけれど
何か1つの遊びがあって
それでみんなが関わりはじめて
真顔になって遊び始める
今日はジェンガが積まれてて
じゃあこれをやりましょう!と
蓮太郎も含め8人くらいで
順番に木の棒をひきぬいて は
上につみあげ また引き抜いて。
みんなめちゃおどおどしながらやっている。

ジェンガ
クリエーター情報なし
タカラトミー



 蓮太郎は 大人達の中の一人の子供で
はじめにドーンと壊してからは
ちょっと恥ずかしくなったのか
一人で引いていたけれど 3周目に
もういちど「蓮太郎もやる?」と
きくと「やる」とのことで
みんなでドキドキしながら彼を見守る。

 彼の回は 私が棒を半分つついて
あとはそれを彼が引き抜き
それから積み上げられたジェンガの上に
乗せる という風にやっていて
なんと彼は5回もやって
しかも最後に倒したのは 
かくいう私なのだった。ガシャーン!
けっこう気持ちいい音だった。



 「すごいねえれんちゃんは!
これね 4歳からって書いてあるよ」
「本当にすごいね おしっこもいけるし
質問もできるし ジェンガもできるの!」と
母感動。今日はようやく「2歳」を
手で示す(じゃんけんのチョキ)ことも
できるようになっていて 本当に可愛い盛り。
我が子の成長が愛しいです。


 2歳になったら きっと違うよ
といろんな人に言われていたけど
彼は昨日は 一時保育の保育園で
私が部屋を出るときに ついに泣かずに
立って手を振り 手を降り終わると
こちらを見ずにお友達のところへ向かっていった!!
今まで大号泣だったのに!!もう本当に
牢獄に閉じ込められた子供みたいに
すさまじい勢いで扉のところで泣いていたのに!!
信じられない なんだか甘ずっぱい気分。
蓮太郎、、、 大人になったね
トイレも大人とおんなじだもんね
あんた すごいよ ご飯も一人で食べてるし、、、


 思い起こせば1年前なんて大変だった
おっぱいはあるわ 離乳食をつくらにゃいかんわ
つくったそばから文字通りさじを投げるわ
そしておかゆが床に散らばり
本当に大変だったなー
まだ歩けなかったしなー 今じゃ
本当に立派になりました。
今日は私に「ママ アンパンマン号知ってる?」
と質問してきた。質問できるの?蓮太郎!?
彼は本当に成長していて
地域の人も その成長を見守ってくれている
それは本当に あたたかい。


 カフェに行ったらカウンターにすわり
カフェを出る時はお金を支払い おつりをもって
バイバイをして三輪車にのる蓮太郎。
郊外のニュータウン暮らしは私には大変だけど
彼がいなけりゃ 知り合いなんて
きっと一人もいなかったろう。
おばさんたちから何かを学び
おばさんたちと一緒になってみんなで遊ぶ
ただ 遊ぶ というそんな時間は
もう十何年も持ってなかった気がするから
月に一回 大人と子供が集まって
こうして遊ぶ それってすごい リフレッシュ。

素直

2010年08月24日 | 日本の「空気」


 子供が生まれて子供と関わり
子供から 学んだこと は
どうやったら そんなにも
笑顔で楽しく生きられるのか
どこにそんな秘訣があるのか
それがとっても気になって
何ヶ月か 私はそれを探ろうとした。

「どうしてそんなに楽しそうなの?」
と彼に尋ねる私の方は 苦虫をかみつぶしたような
顔をしたりして しつけとか どうしたら
いいのかな とずっと悩んでいたけれど
最近は少し何かがわかってきたようで
私も一緒に楽しんじゃおう
私も一緒に笑っちゃおう と思えるように
なってきた。


 最近いわゆる「2歳の反抗期」の
息子から学んだことは 「イヤ」というのは
反抗したくて言ってるというわけではなくて
「いい」か「いや」かと聞かれたら
「イヤ」だから「イヤ」というわけで
その時私は考えてしまう。
強制すべきかまあいいか、、、


 私の場合 たいていが「まあいっか、、、」
で終わってしまう。まだ時間あるし
別に死ぬ訳じゃないし どうしても
大事というわけでもないし
いやならいやでいいんじゃない?
じゃあママもしないわ
そんな感じになってしまう。
だからわがままになるんだよ!と
言われそうなとこなんだけど
こうやって聞いてあげると
本当にだめなとこでは言ったら
けっこうわかってくれたりするんだけどな。

 そう思う私が甘いのかしら?


 そんな彼とつきあっていて
私も「イヤ!」って言ってみたい!という
誘惑にかられ 言ってみだしたらこれが
けっこうやみつきになり、気持ちいい。
NOと言える快楽というのだろうか
イヤならイヤって言っていいんだ!本当に?
普通日本じゃいけないけれど
私もイヤだと言ってみたい。

 そうしてだんだん自分の気持ちに
素直になるようになってたら
もちろん笑えることが増えるのだけれど
そうしてられない場所の中では
そうしていたら明らかに浮く場所の中では
自分を隠し 嘘をつくしかなくなって
そうしているとどんどん苦しくなってくる。

 
 もう自分に素直になりたいな、、、


 嘘をつき 合わせ うすら笑いを浮かべてみても
そう 答えは顔に書いてある。

 楽しいか 楽しくないか
幸せそうか 哀しげか 満足なのかどうなのか
答えは顔に書いてある。
顔を読んだら 本当は すぐにわかってしまうのに
それは大人でも同じなのに
ついつい自分を演じてしまう


 もう私は演じてなんかいたくないのに
 まだまだ嘘をついてしまう。

 本当はとても辛くても
本当は面白くなんかなくっても
仕方がないから それしかないから
ついつい私は演じてしまい そこから出るのは
ため息と きっと仮面をかぶった表情。
そんなの誰も うれしくなんか ないのにね


 けれど私が本音で話をしたら?
だれかはわかってくれるのだろうか?
ママサークルの人たちや 地域の噂をしてる人たち
この狭い 地域の中で だれかわかってくれるのだろうか
私にはまだ勇気がないから
蓮太郎と一緒になって 二人で笑うのが精一杯。


 私はもっと 無邪気に笑えた
あの小さいころに帰りたい。
アメリカに住んで蓮太郎のような表情で
あははと笑った そんな私に戻りたい。
日本に帰って幼稚園に入ったあとは
孤独で淋しそうな顔をしている
そんな顔の私はきっと ママサークルで
蓮太郎を眺めながらも なんだかひとり
ぽつんとしている そんな私と一緒だろう。


 合わせる 嘘つく 楽しそうに振る舞ってみる
だけど本当は 答えは顔に書いてある。

 じゃあ答えを自分が知っていたなら
「大人」の世界にどっぷりつかった
私はどうしたらいいのだろう?
蓮太郎は 生きるにあたって
沢山のヒントを与えてくれた
だけど私はまだまだ私が縛られてきた価値観に
がっしり しっかり縛られていて
その縄を ほどいてみたいと思うけど
あまりにも身体に食いついてしまっているから 
ほどき方がわからない。


 日本にいると しなくてもいいのに
つい勉強をしてしまい 自由になってもいいのに
つい主婦の価値観にとらわれて
ああ だめだ と思ってしまう
もっと自由になれたらいいのに
私はパリでは自由になれて
本当に心地よかった ここではやっぱり
とらわれの自分の繰り返し。




 私は自分に素直でありたい
それは多分 沢山の敵をつくることだから
私は恐れてしまうのだろう
だけどもっと 楽になりたい
違う生き方をしてみたい
どうしたらこの自縄自縛から
解放されてゆくのだろう
我が子はヒントを与えてくれる
それらの縛りがとれたとき
私はもっと上方へ 飛び立つことができるのだろうか

日本を学ぶ

2010年08月23日 |  日本文化


 日本に帰ってほっと一息ついたのも
ほんのつかの間 今週末にはおそろしい試験が
待っていて パリで遊んだ分だけいい加減に
勉強をしないといけなくなってきた。


 一体何の試験かというと「通訳案内士」
というもので、日本に来る外国人向けの
ガイドの資格をとる試験。それで私はフランス語で
それを受けようとしているのだけど
一応 難関国家資格の1つ。というわけで
とても私には難かしい!! もう諦めちゃおうと
思うことも 沢山あるけど それでも
はなからあきらめるより 最後の
1週間くらいはやったほうがいいかなあ と
なんとか今日も勉強をして
気がつけば 日本にいると 私は
勉強してばかり(でもいっこうに伸びて
いかないのは年をとったから??)


 ガイドを本当にするのかどうかは
まあおいといて 誰かにガイドをすることと
ガイドのための勉強をするのは
私にはかなり合っていて
今は過去問を解いてるのだけれど
地理なんてかなりわかってないけど
それでも過去にふらふらほっつき歩いた
経験が あっと 写真をみただけで
あ!これ伊香保温泉だ!とか
これは道後に違いないとか そんなことが
わかったりして いつもこんなに
ほっつき歩いて何になるんだろうと思ってたけど
今年に入って 私のこのぶらぶら歩きも
意外とためになるのかも!と
思う機会が増えて来た。


 それにしても 日本文化や
日本の歴史や 日本にまつわるいろんなことに
長く興味を持っていながら
こんなにも覚えられずに
説明をしようとすると中途半端になってしまう
そんな自分が本当に哀しくなるけれど
しかもフランス語だってもう何年も
つきあってるのに その中途半端さときたら!と
本当に哀しくなるけれど
だけど私は1つはやってきたはずで
そう それらの中途半端のものごとの横で
カフェの研究はやったんだ。
だからそんなに自分を責めなくたってきっと
いいのだろう これからそこに
向かっていけばいいのだろうから。




 あーフランス語で 外国語 で
日本の文化を学べたら!!もっと
違う視点をもって もっと包括的に
学べるのになと思うけど
フランスでちょっと手を出した
日本の歴史の本はというと
1ページでもうお手上げです。
だって国づくり神話について
フランス語で書いてあるんだよ?
日本語でだって なんのことやら
わからないわと思うのに、、、、



 それでも私はこの試験を受けること で
試験の実質的な勉強だけじゃなく
(実はそっちはあまりしてない)
日本文化って何なのだろうと そういうことは
それなりに考えてみたり 学んでみたり
京都も廻ってみたりして 京都だけじゃなく
奈良でも高松塚古墳をみたり 白鳳文化に
ついて学んだり 万葉集記念館に行ってみたり
けっこう色々学べたりして
なかなか面白い2ヶ月だった。





 日本にいて 日本語で頭を抱えて
日本を細かく知ることも フランスにいて
もっと大きな流れのなかで 日本を
とらえてみることも どちらも
私にとってはきっと大事で
その後の糧になるのだろう。
うちの近所には「国際日本文化研究センター」
という ものすごい内容だけど かなり閉鎖的な
施設があって きっとそこに通えたら
私の中身も もっと豊かになるのだろう。
(ちなみにパリには日本文化会館というところがあり
そこもかなり素敵です できればそっちで
勉強したい どちらにせよ語学がいるけど
http://www.mcjp.fr/)


 こうして日本を学んでいると
あーまだ行ったことないな 行きたいな!という
ところが本当に山ほどあって
「日本なんて、、、暑いしもうイヤ」と
かなり思いがちだったけど
外国人の気分になって 沢山の
写真を眺めていると あそこもいきたい
ここも行きたい もっと知りたいと
思えてとてもうれしくなる。


 フランスにいても 
日本にいても 知るべきことが沢山あって
あーもっと!!もっといろんなことを
吸収したいと思ってしまう
その先に何があるのかはわからないけど
いつかそれらの経験とちゃんとした知識を
もとにして しっかりとした 本が
書ける日が来たらなあ。
沢山の視野をもちながら日本やフランスを
行ったり来たり 広重の浮世絵のように
俯瞰的な視野を持ち のちのち何かができたらいいな。


バーバパパの世界

2010年08月22日 | 私の人生



 前回フランスに行った時 に いろんなことを
感じたけれど その中でも特に私にとって
重要だなあと思ったことは
何故なのか もう半生以上 フランス語に
触れていて もう人生の三分の二くらい
フランスに憧れていたということだ。

 なんでなんだろ


 なんでなのかは 


 いつまでたってもわからなくって

 きっとどこかに 何かにつながる道が
あるのかと 今でもやっぱり思うけど

 今日「バーバパパ」を読んでみて
やっぱりな と 思ってしまった。


 「バーバパパはね 実はけっこう
エコロジストでラディカルだったりするんだよ」
とフランス人の友人に聞かされたとき
私はかなり驚いて それからもっと
この世界を知りたいな と 蓮太郎と一緒に
読んでいこうと思うようになってきた。


 日本ではどうやらそんなになじみが
深くもないようだけど 私は小学校のころ
近所の図書館の児童コーナーにいっては
「バーバパパ」を読んでいて 
なんでそんなに好きだったのかは
全く覚えてなかったけれど
(好きな形に変身できるかなくらいにしか
思ってなかった) だけど今になり
読み返す と 驚くことに
今の私を形づくるようなエッセンス が
詰まってる。


 まずフランスに旅立つ前に驚いたのが
私は全然知らなかったけど バーバパパは
フランスの絵本だったということで
けっこう特異な絵本なんだな。
というのもそこには思想がかなりつまってる。

 普通の子供向けのほんわかとした絵本ではなく
かなりパリジャンの思考がはっきりあらわれていて
例えば絵にもパリの公園やメトロだなと
はっきりとわかるような背景が使われいて
(だけど他の絵本のように エッフェル塔とか
ノートルダムとかが登場するというわけじゃない)
話のなかにも 「必要な物を買いに
みんなで蚤の市にでかけました」という
シーンが普通にあったりとかする。
スーパーいくんじゃないんです。

バーバパパのいえさがし (講談社のバーバパパえほん)
A・チゾン,T・ティラ-
講談社



 私が前にフランス土産に買って来た
"La maison de Barbapapa"『バーババパのおうち』
という話では 気に入った古いお家がみつかり
そこをバーバパパの家族みんなでリフォーム
しようとしてるところに、ショベルカーたちが
やってきて、古いから取り壊します、
そのかわりに新しい真っ白な近代建築の
マンションに住んでもいいですよ と
言ってもらえる。ところが彼らは
住んでみたものの、そんな生活は
快適ではなく、他に住むあてもないというのに
すぐにそこを飛び出してしまう!!

 そして住むとこを探してさまよい歩き
ついに自分たちで家をつくってしまうわけ。


 っていうかさ 近代建築居心地わるいから
出て行きます って それ何!!?
って感じなのだけれど すっごいそれって
パリジャンっぽい、、、 と私は思って大笑い。


 日本ではもはや見渡す限りそんなマンション
ばっかりだけど パリの真ん中には
まだまだそれらはごく少数で
やっぱりあの古いギシギシとした
アパルトマンの心地よさ と
殺風景なモダンな建築 その心地よさは
なんだか全然違ってて
私もパリに行った時 いくつか近代建築
(主にジャンヌーベルのですが)に行ったけど
なんだか気分が悪くなり もういいや
これじゃ東京に来たのと変わらないじゃんと
すぐに出て行ってしまいたくなり驚いた。


 パリの良さ は やっぱり
パリにしかないものにこそ
古きよきものをちゃんと大事にすることにこそ
あるんだろうと 私は思う。


 さて バーバパパはそれだけじゃなく
学校が面白くなかったら 子供達を
鞭うって机にしばりつけるのではなく
子供達が夢中になるような学校をつくちゃえ!とか

バーバパパのがっこう (講談社のバーバパパえほん)
A・チゾン,T・テイラ-,辻村 益朗
講談社



 クリスマスプレゼントにサンタが届けてくれた
熱帯からきた鳥達を寒がらせないように
薪を切ってストーブをたいてみるのだけれど
それでは森の動物たちが怒って抗議するから
じゃあ 水力発電はどうかな?とか
風力発電はどうかなあとか
では太陽光パネルはどう?とか
でも川が凍って 風もなくって
太陽も出ていないときのため に
自転車発電はどうだろう!?とか
かなり古い絵本なの に
かなりオルタナティブなのだ!

バーバパパのプレゼント (講談社のバーバパパえほん)
A・チゾン,T・テイラ-
講談社



 しかも最後は だけどいろいろやったって
彼らはちっともここでは幸せに生きられるように
思えないから やっぱりちゃんと返してあげようと
アフリカに渡ってみたりする。
幸せに生きれる場所ってあるよね
と 今の私は深く納得、、、。


 バーバパパ は 今の私が読んでみて も
いろんな考えを与えてくれて ああだから
きっと私はこの世界に これがパリで
書かれただなんて 知ることもなかったけれど
無意識に強く憧れて それでここに至ったのかな
そんな風に思ったりする。本当に不思議な出会い。





 パリは美しいだけじゃなく
アンチグローバリゼーションで有名な
アタックの本部があったり 農業に関する
関心も高いし 今では有機野菜なんかも流行ってきてるし
たくさんの思想や行動が生まれて来ている
そんな場 でも あるんだな
だから私はいつまでたっても惹かれるのだろう
そこには私が向かっていきたい 何かが
すでに存在していて もっとそれを
知りたいなあ 吸収したいと思うんだなあ
そして私も一緒になって議論ができたら
一緒になって何かをつくることができたら
どんなに私は嬉しいだろう


 「私はパリのカフェで議論がしたい」と
今年2月に東京で開催された
「未来をつくるワークショップ」で
私は言った。一人だけ突拍子もない未来で
誰も理解してはくれなかったけど
私個人は 何ヶ月かぶりにわくわくできて
本当に驚いたのを覚えてる。
まさかそんなの どう考えても無理だろうし
夢にすぎないと思ってたけど
まだ1年もたってないのに なんだか
それがただの夢でもないような
そこに向かいつつあるような そんな気がする
自分に使命があるのなら
やるべきことがあるのなら
私はそれに向かいたい。



帰国

2010年08月21日 | フランスあれこれ


 飛行機 というものに 
乗るのはいつもこわいけど
離陸のたびに両手を合わせて
どうか無事に着きますようにと祈ってしまう
私はそんな小心者で 臆病だけど
少しずつ 「勇気ある日本人女性のうちの一人」に
なりつつあるのかな? そんなことを
一人でスーツケースをひきながら
トランジット先の空港で
スタスタ歩く度に思う。


 帰りの飛行機というものは
どうしてなんだか緊張感が行きと
全く違うのだろうか なんだかゆるくて
私もけっこう眠れたりして
行きは「まだ着かない!!!」と
時計を見る度嫌になるけど
帰りの場合は行きにくらべると随分早くて
あー もう着いて しまうんだ、、、と
切なくなってみたりする。


 名古屋についたら湿気はあるけど
そんなにみんなが言うほどじゃない?と
ちょっと喜んでいたのだけれど
新幹線にのり京都駅のホームについたら
なんじゃこりゃ!!!おそろしい湿気が待っていた。


 そんなわけで お土産にチーズも買ったことだし
もう寄り道せずに家に帰って それから今日は
一日外に出なかった。




 駅で蓮太郎をみつけたときは
本当にうれしくて 背負ったザックは
12キロくらいあるというのに
それでも彼を抱っこして 車の中でも
特別にずっと抱っこをしてた。
今日程彼がかわいくて
今日程子供を産んでよかったと
心の底から思えたのは はじめてなんじゃないのかな。


 2週間 会ってなくても
さすがに我らの絆は深く ほとんど
言ってることもわかるし 何をしたいのかもわかる。
でも1つ 私がいない間に旦那と彼の実家のお母さんとで
蓮太郎が成長したのは なんとトイレトレーニング!
「トイレトレーニングにはね、母がやらなきゃだめなのよ」
とかねてから義母に力説されていたものの
それよりフランス語がしたい、、、と思ってしまっていた私 は
あまりにトイレトレーニングに熱意のある義母と
それに打たれた旦那にちょっとお願いしてしまい
帰った頃にはもうトイレでおしっこができるようになっていた!!
息子万歳!よくがんばったね!
そしてみなさん 本当にありがとうございます。


 私のいない間の10日くらいは 蓮太郎は
旦那と彼の実家の田舎に帰ってて
プールにいったり 彼の妹さんのところの子供と
遊んだりして かなり楽しくしてたらしい。
私は私で元気になって いろんなことを考えて
旦那は旦那で田舎に帰って いろんなことを考えて
蓮太郎はおしっこができるようになり
ついでにフランス語もちょっと覚えて
みんなそれぞれ楽しんだかな?!




 蓮太郎は本当にかわいい。
今日はたくさんギュッとしてもらい
チューしてもらい お土産のバーバパパを
一緒に読んだり遊んだりして
なんだか本当によかったです。


 しばらくはフランスにいけないのだろうと思うけど
だけどその間 こちらでやれることを
やれる分だけ やっておこう。
2つ目の本が完成したら
今度は蓮太郎をつれて 渡仏できたらいいよなあ
この先大変だろうけど
自分の軸を見失わずに できるだけ
みんなが幸せになれるように
私も笑っていきてきたい。



旅の手帖

2010年08月20日 | フランスあれこれ


 パリの日々は夢のように過ぎていき
本当に来たのかしら?という想いにいつも
かられながも やっぱりきっと いるんだなあとか
思ったりして そんな思いを重ねた末に
シャルルドゴールに着いてしまうと
なんとも言えない気持ちになる。


 今日は空港で思っていたより時間があって
前回の反省もかねて すぐにチェックインして
何もないゲートの中に入るのはやめ、
出国ゲートの手前で朝ご飯を食べてみた。




 クロワッサンにパンオショコラにカフェクレーム
そんな「普通」の でもありがたい朝食が
明日から は お味噌汁 と 納豆ご飯になるのかな?
日本はめちゃくちゃ暑いから みきちゃんには
絶えられないかも 電話するたびに言われるけれど
それならここから引き返したい そう思ってしまうけど
蓮太郎が待っているから 明日には日本に着かなくちゃ。




 パリは本当に美しくって
いけどもいけどもカフェがあり
これでもか!というくらい 
エスプレッソが飲み放題で
あの ほろ苦い 甘い味 が
また強い後味になって
日本できっと その味を私はひきずることになるのだろう。


 今回は ブログを書いてたおかげもあって
写真をめっちゃ撮ってみよう と久々に
写真に目覚め、昨日は最終日だったから か
とてもいい天気になってくれ
あの独特の光の下のパリは本当に美しかった。
美しいものを美しいと感じられ
美しいものを自分が美しいと思ったように
残すこと が できるなら それって
とても幸せだなあ と 写真をとりながら 思う。





 パリがどうしてこんなにありえない形で
この美しさを残してきたのか
それはおそらく 学校教育と家庭教育によるのだろうけど
パリジャンの子供達 は 3歳やら4歳くらいから
美術館デビューをしてて 美術館も山ほどあるし
展覧会は 一人ではとても見きれないほど
存在してて 土日の行動といえば
「映画かピクニックか展覧会?」みたいな感じ
だから自然と小さい頃から素敵な物をたくさん見てて
学校の方では集団で美術館につれていき
子供達に美術教育をさせている。

 そんなところで育っているから
普通の人の 感性の磨かれ方が
きっと全然違うのだろう。
美しいものをみるだけじゃなく
生活のなかで自分もつくる
自分で自分の美を表現して
世の中にそれを残してく それって
とっても素敵だなあ






 今回は 勉強目的でいったのだけど
行きの飛行機で『ユダヤ人大富豪のおしえ』に
あてられてしまったのか 自分の道を
自分のやりたい方向で どうやってつくればいいのか
それを考える滞在になり、これまでに撮りためてきた
約千枚にものぼるパリのカフェの写真達 を
どうやってまとめていこうか どうやって
自分で仕事をつくっていこうか 
それを主に考えていた。


 私はなるべく自由に生きていたいから
好きなことだってやっていたいから
ない道は 自分でつくっていくしかなくて
そのための時間を 私は与えてもらっていたのかも。





 人生は 何が起こるかわからない
ある程度の 目標をもっていたって
それがどこで転換するかはわからないけど
自分の人生にとって大切なことが何なのか
それをしっかり見ようとすれば
「間違い」なんてないのだろう。


 これから日本に帰ったら
これまでよりも もっと辛くなってしまうのか
それともなんとか乗り切れるのか 私にはわからないけど
もう少し私は強くなり
もう少しだけ 勇気をもって
まだ見えないけど
神様がきっと与えてくれている
未来に向かって
一歩ずつ歩みを進めていこう。




 ヘルシンキの空港にて

夏の全国ギャザリング

2010年08月19日 | 私の人生

 日本の夏、、、といえば
暑いだけ じゃなくて エコリーグのギャザリングがありました。
前に行ったのはいつだったかな?もう3年前になるのでしょうか
今回は京都で開催だそうです。
自分たちの未来をもっとよくしたい!という熱い若者たちの
集まりです。よかったらサイトをのぞいてみてください
ひさしぶりに行ってみたいなあ、、、



☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…・
持続可能な社会を目指す 300人のユースが集うイベント

全国ギャザリング2010
~ ユースが変える世界の未来 ~

最終申し込み締め切りは8月20日(金)!
http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/entry
・…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆☆


◆全国ギャザリング2010とは?

『持続可能な社会の実現』のために、
多種多様な分野・活動から300人の青年が集まる合宿イベント!

お互いを刺激し合い、高めあいながら、
社会を変える足がかりにします。


◆企画概要

『気候変動』『生物多様性』『貧困』のイシュー分科会と、
『政治』『ソーシャルビジネス』『教育』『研究』『メディア』
『デザイン』のアプローチ分科会を用意しています。

また、活動の質を向上させるために、『ビジョン作り』『マーケティング』
『ファンドレイジング(資金調達)』『ファシリテーション(場づくり)』
『持続可能な団体運営』のスキルアップ分科会も行います。


◆講師紹介

第一線で現役で活躍されているトップランナーが集結しています!

【小清水宏如氏】
エコ・リーグOB、環境政策ネットワーク(EPN)副代表幹事

【西哲史氏】
エコ・リーグOB、自転車きゃらばん、など

【美濃部真光氏】
エコ・リーグOB、09代表理事などを歴任

【佐々木義仁氏】
エコ・リーグOB、広告代理店勤務

【石川世太氏】
エコ・リーグ(全国青年環境連盟)2010年度代表理事


【伊与田昌慶氏】
Climate Youth Japan

【江口健介氏】
国際青年環境NGO A SEED JAPAN 共同代表

【鈴木祐司氏】
特定非営利活動法人 「持続可能な開発のための教育の10年」推進会議 事務局

【高内悠貴氏】
模擬国連委員会

【平岡喬之氏】
Wakamonoiz 代表

【福島宏希氏】
エコ・リーグ(全国青年環境連盟) 事務局長

【安田菜津紀氏】
studio AFTEMODE (フォトグラファー/ジャーナリスト)

【山岸尚之氏】
WWFジャパン 気候変動プログラムリーダー


○――――――――――――――――――――――――――――○

◆開催概要

【日程】 2010年8月26日(木)~30日(月) ※部分参加も可能です
http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/kikaku/ktimeline

【場所】 京都府立るり渓少年自然の家
http://www.cans.zaq.ne.jp/rurikei/

【交通】 公共交通機関の便が限られていますのでよくご確認ください
http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/shisetsu

【対象】 持続可能な社会に関心のある青年300人

【申し込み方法】
全国ギャザリング2010のPCサイトよりお申し込みください
http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/entry
※最終申し込み締め切りは8月20日(金)!

【主催】 エコ・リーグ(全国青年環境連盟)
【共催】 YDP Japan Network
【協力】 ecocon2010
Climate Youth Japan、
国際青年環境NGO A SEED JAPAN

○――――――――――――――――――――――――――――○


◆最新情報の公開
PCサイト、twiiter、mixiコミュニティにて随時情報を更新してまいります。

【PCサイト】 http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/
【twitter】 https://twitter.com/zenkokuG
【mixiコミュ】 http://mixi.jp/view_community.pl?id=5064472


◆エコ・リーグとは?
エコ・リーグ(全国青年環境連盟)は、
全国各地で環境活動を行う団体・人をつなぐ環境NGOです。

「何か活動したい!」「情報を得たい!」といった思いを持つ人々にとって、
○探し求めているものが見つかる
○青年の環境活動を互いに発展、活性化することができる
エコ・リーグはそのような「場」をつくり、
持続可能な社会の実現へとつなげていきます。
(現在約150団体2000名をネットワークしています。)

<主な事業内容>
*ネットワーク事業
*人材育成事業
*社会発信事業

<PCサイト>
http://portal.eco-2000.net/


○――――――――――――――――――――――――――――○
【お問い合わせ先】
エコ・リーグ(全国青年環境連盟)
全国ギャザリング2010実行委員会
PCサイト:http://gathering.eco-2000.net/zenkoku/
Email:info.zenkokug10@gmail.com (担当:岡田)
○――――――――――――――――――――――――――――○

最終日

2010年08月19日 | フランスあれこれ


 以前のパリ滞在から計1ヶ月くらい
いさせてもらって 天気の悪いパリも
しっかり体験し いろんなことを考えたけど
そんなパリ も 今日でおしまい。
ブログを書いてる場合じゃないけど
でもなんだか手 は 動いてしまう。


 この一ヶ月で行きたかったカフェには
ほとんど行かせてもらい パリのカフェ地図も
だいぶわかって まだまだパリは魅力に
満ちているけれど カフェに関しては
それなりにみたかなあ と いう感じ。
まあカフェっていうのは 見るものじゃなく
誰かと一緒にいくものだけど
その方がよっぽど楽しいわけなんだけど。




 またここに来ることはできるのだろうか
正気で一般的に考えてみたら
ほとんど不可能なんだけど
パリにきて1ヶ月半後にまた戻ってしまった
私みたいなバカな場合は
また戻ることもありうるのかも。


 この1週間はずっと天気も悪く
雨が降ってとても寒いし灰色で
神様に試されてるような気持ちになった。
「思い出すかい?パリの冬は灰色なんだよ
ここで鬱になっただろう?それでも
パリがいいのかい?」またパリ症候群に
なるのだろうか いやあの時よりは
だいぶ語学もあがったし
フランス人の友達だってだいぶ増えたし
なんだかんだいってもパリはやっぱり
美しい し 大丈夫?とも 思うけど。




 昨日は最後だからと大きな本屋にいって
パリ政治学院時代の苦しい思い出に満ちた
その店の中でフランス文学だとか哲学の
コーナーに行き うーんやっぱり読めないなあ
と思っていたら またお腹が苦しくなってきた。
この店にいく度に後悔するけど
だけど少しは読めてる訳で 新聞だって
まえよりはずっと理解できるようになったしなー


 とはいえフランスの壁は厚くてとても高く
そびえたち なかなか私には太刀打ちできない。
またいつか 来る日のために 日本で
日本語でまずは勉強しとこうか。
哲学もちょっとは勉強したい
うちにある本をちゃんと読もう。
そしてまた今度来た時に は 
読めない という 恐怖から 少し
開放されるといいのだけれど。


 フランスの壁は厚いけど
毎日「え?何?」と聞き返されて
もー!!くやしいと思うけど
レベルは上がっているのだろうか
扉は少し 開きはじめているのだろうか
2つの言葉で生きること が どういうことか
私にはまだわからないけれど 2つ目の言葉といったら
もどかしいばかりだけれど それでも私は
きっとまた 続けようとするのだろう。





 パリの日々 は 本当に
夢の中にいるようで 本当なのか
本当に私はセーヌにいるのか
本当にポンデザールに来たのだろうか
わからない と思っていたけど
きっと本当に来たのだろう。


 私が日本に戻っても ここは
変わらず 20年後もあんまり変わらず存在してて
カフェには人が集ってる。
またここで 生きられる日が来るのかな
その日のために 目標をもっと明確にして
日本でできることをしていこう。
カフェ文化やら 写真やら
発表の機会があったらぜひ声かけてくださいね。

パリのカフェ

2010年08月17日 | パリのカフェ文化




 今回のパリ滞在は カフェを見に来たという
わけではないけど やっぱり当然私は
カフェに行く訳で フランス人たちに
「えー またー?もうやめてよ」という
顔をされながら まあでもいいもん
一人でいくもんと 1日3回、
多くて4回カフェに行く。

 この何年かで撮りためたカフェの写真も
もう700枚近くになるらしいので
そろそろ次の本作成に向けて
力をいれていくころなのだろう。


 パリのカフェ

 パリのカフェ ねえ


 その良さって なんなのだろう?





 おそらくそれは、かなり素敵なカフェが
ちょっと歩けばみつかることで
こんなカフェ 日本だったら東京で
広尾に行ったり 代官山のミケランジェロや
京都だったらオーバカナルにわざわざいかないと
見つからない、、、 
(私なんてそのカフェ恋しさにわざわざ京都から
新幹線に乗ってそれから代官山まで行くんだから
あほらしいといったらない)




 そんなカフェ が パリには
一分も歩けばまたあって かなり沢山
席もあるから 長居しててもたいていは
何も言われない し 店員さんも
午後の時間とか暇そうだから
一人くらいいた方がいいんじゃない?と
勝手に思ってゆっくり過ごしてみたりする。


 パリのカフェのよさっていうのは

 どこにでもあることと



 ある程度おしゃれなカフェが最近は
かなりの頻度で存在していることと




 エスプレッソが2ユーロ程度しかしないこと と




 カウンターがあることと
(カウンターではほとんどエスプレッソは1ユーロ)




 エスプレッソが美味しいことと

 カフェクレームが美味しいことと
(でも本当に美味しい店は少ないかも、、、)

 ご飯のおいしい店も増えて来た?
お昼はだいたい1000円から1500円くらいで
食べられます。もちろんパンつき
でもコーヒーは別料金。




 ある程度広い店が多いこと?
だから自分が何をしてても まあいいだろう
そんな気持ちになれたりもする。





 基本的には フランス人からは
いわゆる有名カフェはちょっと馬鹿にされてて
フロールもドゥマゴもモンパルナスのカフェたちも
行ってみたら そこまで悪くはないと思うけど
私は結局行ってしまうけど 彼らは
冷たい目で見てる。そんな彼らはどこに
行くかといえば こちらからしてみたら
まあどおってこともないような 街角の
カフェだったりもするわけで
人それぞれ お気に入りのカフェがあり
そこのテラスでちょっと一服
だれも私ほど長居しないけど
のんびりと街行く人を眺めながら
気もちいい時間をすごしてる。


 このちょっと 喉が乾いたときに
 日本だったら自動販売機にいくのだけれど

 パリには自販機がほとんどなくて
 そのかわり山ほどカフェが存在してて
カフェなら椅子に座れるし まあ
ちょっと行こうか そんな感じでいけるのがいい。
彼らはたいていは飲み物をのんだらすっと
お勘定して すっと出て行ってしまうのだけど


 私の場合は カフェに入るなり
ノートを開いて 考えたことを読み直したり
万年筆を取り出して 考えたことを書いてみたり
たまにスケッチしてみたり 記録用に
ちょこまか写真をとってみたり
勉強もしなきゃというわけで さっき買った
新聞とにらめっこをしてみたり。
でもたいていは 結局考え事に使われていて
すこしずつそれが進んだりする。





 昨日は有名なL'autre cafe(ロートルカフェ)
というところにいって ここは前にも
一度来たことがあったのだけど その時は
かなり人がいて 昨日はまだ6時だったから
(パリでは夕飯が9時くらいだったりするので
まだまだ夕飯時ではないらしい)
人もまばらにしか来ていなくって
しかもここでは 珍しいことに
私みたいに一人で来ている人が多かった。


 たいていはカフェっていうのは
一人だとカウンターには行ったりするけど
席に座るのは誰かと一緒のことが多くて
お隣では誰かが誰かとしゃべってて
というのが普通なんだけど
ここではなんだか雰囲気が違い
三条スタバのようだった。
マックのパソコンを持ち込んで何かを
している人もいて なんだか昔の私みたい。
(しかも私と同じ型だった)




 私もその奥の席の1つに陣取って
考えてみたり、新聞を読んでみたり。
ここは他のカフェとは違ってそこまで
音楽もうるさくないし 店員さんと
お客さんも大声で話してないから
なんだか作業がやりやすい。
それにかなり店がひろくて 2階もあるし
なんだかかつての「秩序のいい勉強部屋」
とボーヴォワールが言っていた
フロールみたいな雰囲気だ。
勉強部屋で 図書館で しかもおいしい
カフェが飲めて仕事を進められるなら
こんなに嬉しいことはない。


 ここなら私もできるかも
私もいつしかここに通って
カフェで仕事ができるかも、、、
なんだか一筋の希望を感じた
そんなカフェの 奥の席。





 パリはカフェ で 満ちている
モンパルナスに行ってみたって
オペルカンフに行ってみたって
パリはカフェで満ちている。

 そこに一人で座ってみても
カフェの威力はわからないけど
そこに誰かといくことで
じんわりと カフェという場がもつ力 が
わかってしまうことがある。






 パリのカフェ では なにかが起こる

なにが起こるか 起こらないかは
行ってみないとわからないけど
偶然性に 心を開いてみたときに
何かは起こるものなのだろう


 カフェではいつも なにかが起こる
予期せぬ何か が 待っている
それが カフェでの出会いであって
それが 人生 なのかなあ?
Qu'est-ce que c'est la vie?
C'est la vie?
Mais la vie,,, c'est comment?



結局空が灰色だって
パリは一歩外に出たなら
予期せぬ何かが待っていて
それが私の心を浮き立たせてくれ
沈んだ気持ちも知らない間に
すうっと消えていってしまう

 


 結局のところ やっぱり私はパリが好きで
パリのカフェ が 大好きで
それがないと 生きられないほど
あのカフェの味が好きなのだろう
エスプレッソのあのほろ苦い味は
人生にとても似ていて 
甘いけど ちょっと苦くて
でも後味がものすごく濃くて
結局のところ やめられない。





 パリにはカフェが山ほどあって
まだまだまわりきれないけれど
いつの日か すべてのカフェを
記録に残してみたいと思う。


追記

パリのカフェの歴史や今については
Paris-Bistro.com日本語版をご覧下さい
来年くらいには「カフェを選ぶ」をもっと
もっと増やせたらなと思っています。
移住できたらいいのですが、、、

追記2 パリのおすすめカフェ

 最近「パリのカフェ」という検索で引っかかるように
なったみたいなので、おすすめも簡単にのせておきます。
ブログのリンクに貼ってある「パリのカフェたち」という
サイトには写真も載っています。お時間あったらご覧下さい。

 あとパリのカフェの良さといったらテラスですね!
隣の人と目を合わせ続けなくても会話ができる、
偶然となりになった人とちょっとした会話ができる
風を感じながらお茶がのめる 街の一部に溶け込んでいる
そんな気持になれる場所、日本にはなかなかないんですよねえ。。



 カフェドフロール(サンジェルマンデプレ)

 フランス人からバカにされても私には思い入れのあるカフェです。
サルトルとボーヴォワールが通ってたカフェです。
フロールは今でも独特の空気がただよっています。
ここで朝カフェクレームとクロワッサン頼むと最高。
2階で月に一度開催される英語の哲学カフェもかっこいいです。



 ヴューコロンビエ(サンシュルピス)

 サンジェルマンデプレから歩いてすぐのアールヌーヴォー調のカフェ。
留学時代に通っていました。ここの半分テラスみたいな室内から
ぼーっと外を眺めるのが私の習慣でした。ここでカフェでの
出会いというものを体感したので忘れられないカフェです。
この狭さがなんともいえない。大好なカフェ。
駅降りてすぐ目の前の緑のカフェです。


 カフェシャルボン(オベルカンフ)

 何故かシャルボンではいつも何かが起こります
そこでの会話で人生が変わってしまったり
勇気をもらって人生を後押しされたり、、、
どうしてなのかはわかりませんがいつも
とても熱く、深い会話ができます。音がうるさいから
会話に感情がこもるのでしょうか?
ここのカウンターはとても味わい深いです。



 ドーム(モンパルナス)

 ここも留学時代によく行っていました。
しっかりと道路からさえぎられたガラス張りのテラスは
目の前の景色はみえてもうるさくなくてとても静か。
ここで文筆業ができたらどんなに幸せだろう と思います。
ここのカフェクレームもおいしいです。
ドームはボーヴォワールがフロールに通う前に行き着けだった店。
ドームを舞台にした小説もありますよ。



 ロワイヤルペレール(17区 ペレール)

 Paris-Bistroの事務所の近くのカフェ。
普通のカフェといえばカフェですが、ここに夕陽の
あたる時のかっこよさといったら文字通りまばゆい!!
あまりにキラキラしていてとても入りたくなってしまいます。
おそらく近隣の人がなんとなく待ち合わせにつかうカフェ。
まさに目の前を行く知人と声かけあったり
だべっていた高校生が通りがかったお母さんに怒られたり。
まさにパリ!!って感じがします。みんなかっこいい。



 シェプリュンヌ(サンマルタン)

 ここもまばゆい光をはなっています。
いつもだいたい満員だけとたまに入れます。
ご飯もとてもおいしくて、目の前は運河。
ゆるいけどセンスのいい店内でここもまさにパリ!
こんなの日常にある暮らし、うらやましすぎる。。。



 ビストロドパントル(バスチーユ)
 
 有名なポーズカフェの向かいにあるカフェ。
いつもどっちにしよう??と迷ってだいたい
結局こちらにいってしまいます。ここは
カウンターに椅子があるので、はじめての
カウンター経験もしやすいかも?アールヌーヴォー
調の内装がめちゃかっこよく、こんなとこ
今でも日常に使ってるんだ!というのがまた素晴らしい。
店員さんもきさくな感じです。ブログのトップの
写真はこの店の写真です。


 カフェデファールの哲学カフェ(バスチーユ)

ここのテラスで何人の人と出会ったことでしょう!
哲学カフェは毎週日曜の10時半から(たしか)
開かれています。とても興味深いですがとても難かしいです。
よく満員になっているので入れずにテラスにいると
そこで誰かとの会話が始まったりして、結局
その方が私には面白かったりもします。
このカフェでの出会いから私の人生は予期せぬ方向に
流れて行ってしまったのかも、、、わからなくても
哲学カフェ、フランスの議論のすごさを感じる
素晴らしい機会なので一度行ってみてください!


最後に、パリのカフェの歴史?何が起こっていたの?
作家達が通ってたっていうけど何してたの?
という方におすすめの本、、、(手前味噌ですが)
『cafeから時代は創られる』(いなほ書房)よかったら読んでみてください。
当時のカフェで起こっていたダイナミックな変化を描いた本です。
よくある「誰々と誰々がいた」と書き記してある本や
写真だけのガイドとは違います。「何故カフェなのか?」
「一体なにがどのように起こっていたのか?」
「カフェが磁場になるとはどういうことなのか?」
というような、「カフェとはいったいどんな場だったのか」に
向き合った本です。これを読んでパリのカフェに行ったら
もっと面白くなると思いますよ。
まだ本屋さんで注文したら手に入ります!!


 パリのカフェやフランス語に興味のある方へ
最近はカフェで学ぶフランス語講座も開催しています。
フランス語?やってみたけど頭が痛い!という方におすすめです。









灰色の街で

2010年08月16日 | フランスあれこれ


 パリは夏は空が青くて本当に美しのだけれど
冬になる と 突然街から色が消え去って
灰色の街になってしまう。それはけっこう
おそろしくって 昔から多くの人を鬱にさせてきた。


 私も例外ではなかったわけで 留学を
していたときは 冬くらいからしんどくなって
帰る間際までそれが続いてた。

 旅行中はめちゃくちゃ天候に恵まれるはずの
私も 神様が試しているのか 今回は
あまり天気がよくなくて 昨日なんて1日
雨がザーザー降っていて 8月なのにこんなだなんて
とパリの人たちは驚いていた。


 昨日はフランスでは「8月15日」という日らしく
パリで一番人口が少なくなる日らしい。
(みんなバカンスに行っているから)
それに日曜日なのが重なって これでもか!と
驚くぐらいカフェさえも閉店していて
空いている店を見つけることが難かしい。



 そのうえマルシェもお店が半分しか開いてないとか
普段は30軒くらい出ているというのに
今日は2軒しか開いてないとか 2軒!?
本当になにそれ!?という感じだった。
雨の中マルシェまで行ったのに。。。
(マルシェとは朝市のことです
パリには各地区に朝市があって週に2回ほど
開催されています。)




 フランスでは法律で5週間のバカンスが
定められてて フランス人の大半は
7月から8月にかけて 3週間ほど
バカンスに旅立つらしい。日本とか
外国に行く人もいるけど たいていは
自分の家の持ってる山の家とか
田舎のおじいちゃんの家とかでのんびり過ごして
海にいったり 川にいったり 家のプールで
遊んだり(!)のんびり起きて朝ご飯を食べ
ゆっくりしてから草上の昼食をしたりする。
これがほんとうに たまらなく気持ちいいんだな、、、


 そういうわけで 8月のパリはあんまり
機能してなくて おしゃれな街にいってみても
聞こえてくるのは外国語ばかり。本当に
今はインターナショナル。噂によれば
パリジャンより旅行者の方が多いらしい。
だけど閉鎖している店も多くて その閉め方が
半端じゃなくって 3週間から1ヶ月くらい
まるまる休んでいたりする。これって
かなり すごいよね、、、
まあいっか どっちもバカンスなわけだから。
と この適当なところがフランス人。。。




 ところで昨日フランス人の友達が、
「なまけものであることと知的であることは
両立可能だ」と言っていて なんでかなー
どうしてなのかな と思っていたけど
この国の人たちの知的好奇心や物知り度合いは
半端じゃないけど だけど別に
日本みたいにがんばって大学院にいって
図書館にこもって必死になって本読んで とか
そんな感じじゃないんだな。

 生き方としてはめちゃくちゃゆるくて
大丈夫なの そんなんで!!?と
日本人的感覚としては つい思ってしまうのだけど
だけど一度議論をしだすと もう彼らといったらすごい。


 
 昨日は前回知り合った友達の家にお招きされて
(本当は浴衣でワインバーに繰り出す予定だったけど
ワインバーは全部休業してるらしい。しかも大雨なので
だれも浴衣はきてこなかった)
ものすごい種類のチーズと 私の大好きな
サラミたち と アルザスとベルジュラックと
ドイツとボルドーのワインを飲んで
みんなでワインの試飲会。
彼女曰く「ミキが今度はワインの本を書きたい
って言うから、、」って いや 言ってません!!
ちょっとだけ勉強をさせてもらいつつあるだけです。
難しいけど みなさんに沢山のことを教えてもらって
そしてちゃんと違いを味わって
本当に素敵な夜だった。



 毎日こんなで フランス人のいるとこで
フランス語づけですごしていると もう
頭がパンクする!!と思うけど そうして
私は伸びていくので そこでは決して
逃げちゃいけない。 ここで逃げたら
何をしに来たのかわからない と
昨日は本格的議論の中で 必死の思いで
ついていこうとして それでもなんとか
理解もできたし 話の輪にもいれてもらえて
それが私は本当にうれしい。
こういうことがしたかったから
私はきっと 日本で8年待ったんだ、、、


 昨日は「ユダヤ人とは何か」の話
「ユダヤ人には大きく分けて2種類ある」とか
ユダヤ人と哲学の関係だとか
「カトリックとプロテスタントとユダヤ教との違い」とか
ヨーロッパでは人が死んだら死神が表れるとか、
「酒飲み」の人をあらわす単語にギリシャ神話の
話がでてきて それを説明してもらったり、
アルザスのワインのブドウの話、
ヨーロッパではいかに言語が異なってるか。

 それから驚いたことに 世界の人口の60パーセントくらいが
3カ国語を話すんだって!!で50パーセントは
2カ国語を話すんだそうな。 なんかその
計算の仕方が私にはわからなかったけど
だけどへー それが実はマジョリティ、で
日本とかフランスみたいに自国の言語1つしか
話さないという方が 実はマイノリティだったんだ!
という事実には驚いた。

 人間 意外と 3カ国語くらい いけるもんなんだ、、、
パリには3カ国語話す人が沢山いるから
いつか私も!!と思ってたけど
それってすごいことでもなくって
インド人なんかは英語、ヒンドゥ、地元の言葉で
3つはけっこう普通らしい。そんな話をしていた
おじさんも、フランス人かと思っていたら
なんとドイツ人なのだった。私のとなりで
フランス語を話す仲良しの友達は
ニューヨーク育ちでバイリンガルで ドイツ語も
かなり話せるらしい。みなさん とってもすごいです、、、



 昨日は私もそんなヨーロピアンなお話を
その国の言葉のまんまで理解しようとしはじめて
それが私には本当にとてもうれしくて
ああ もっともっと パリには見たいものがある し
知るべきことがたくさんあって もうどうしていいのか
わからない。 もっとここにいて もっとフランス語の
レベルをあげて このままこの国の言葉をつかって
ここで書かれたものを読みたい
そして彼らと議論がしたい と
やっぱりそう思ってしまう
だって議論は楽しいんだもん


 私のパリの友人たちは
なんだかなまけものたちで
さぼる理由をみつけては さぼってもいいや
そんな感じにみえなくもないのだけれど
口を開くと面白くっていつもへーえ!!と
思わされ なんだかかっこいいんだな。
なんで怠け者と知的であるのが両立できるの?と
聞いてみたら こんな答えが帰ってきた。
「だって怠ける時間を多くつくるためには
頭をつかわなきゃいけないでしょ」
ふーん なるほど 
そうともいえる、、、





 人生を楽しみながら
自分の欲求に従いながら
無理はしないけど 知的な世界に向かってく
そんなこと が 可能だったら
それってとってもうらやましいな。
パリには沢山の人がいて
質問をなげかける と答えてくれる
そして何かを教えてくれる
パリは扉をたたいたら 意外と
開けてくれるんだって 誰かが言っていたような
本と人の口を通して 沢山のことを学んでいったら
私もいつか 議論にちゃんと加われるかな
まだまだ知りたいことがあるから
まだまだ見えない だけど行きたい世界があるから
灰色のパリの空の下 少しくらいは勉強しよう。


 

美のある暮らし

2010年08月15日 | インフォーマルパブリックライフ


 「日本人てさ、なんでそんなにパリが好きなの?」と
パリにいるとよくきかれることがある。
だけどこれを読んでくれてる人ならわかると思うけど
日本人のうちパリが好きでパリに住みたい!!と
情熱を燃やしてしまう人なんて圧倒的に少数で
普通はなんとも思わないよね。
だけどパリが好きなのは 私に関して言わせてもらうと
やっぱり美しいからだろう。


 東京も 京都の街も かなり歩いてきたけれど
写真もずいぶん撮ろうとしたけど
それでもやっぱり限界があり
東京で写真を撮ろうとしたら どうしたって
コンクリートやモダンな建物 電線を
美しいと思うしかなく それを美しいかもと
思えないなら 一枚の写真もとれない
それほどに コンクリートで満ちている。

 京都はといえば 美しいところもたくさんあるけど
それらはほとんど観光地 で 他にも古い町家が
あるけれど そのすぐとなりに
5階建てのかわいくもなんともないアパートが
ごちゃごちゃ並んだりして こちらもなんだか
町並みとしたは微妙なんだな。写真はよっぽど
撮りやすいけど。


 それに対してパリはというと
郊外に近くなるほど 危なくて怖い!と
思ってたけど 昔はこわいと思ってた地区や
あまりに異国の人たちも 今の自分の状況を
考えてみると 異国からパリに来て
お金がなくて それでもなんとか住んでいて 
という あ なんか それ よくわかる、と
親近感がわいてしまう。別に怖がらなくていいんだな

 そしてそんな郊外にも もちろん街の
真ん中に も 美しいものがかなりの
頻度で存在してて 伝統があり その中で
育ち いろんなものを見聞きしながら
その環境を活かした上で じゃあ 私は
何をしようかと楽しんでみる そんな
姿勢が感じられる。





 以前パリに来て驚いたのは
テレラマというテレビ用の雑誌の広告を
見た時で ワールドカップの特集なのだけど
サッカーを抽象絵画で表現していた。
そんなの日本じゃありえないだろ?
大衆むけの雑誌の表紙が ただの
写真ならわかるけど そこであえて
抽象絵画でサッカーを表してみる
その発想にとても私は驚いた。


 先日は友達の友達の家で夕飯を食べにいき
(フランス人の中ではこの夕飯に招く 招かれる
というのがとっても大事みたい 留学中は
一度も経験できなかったけど 最近は
そんな機会も増えてうれしい!!)
そこで何故が餃子をつくった。
その家の人は春巻きをつくり みんなで
ブルゴーニュワインを飲んで 餃子と春巻き!
ご飯もパンもあるわけじゃなく
日本では考えられない組み合わせだけど
これがまたおいしくて
「どこで食べる?」「じゃあ外にしよう」と
ベランダにテーブルセッティングされ
ろうそくの光の中でワインと餃子と美味しい春巻き!
かなり素敵で夢の中にいるんじゃないかと
思えて仕方がなかったです。





 こんな暮らし 当たり前に
している人がいるんだな、、、
うらやましい、、、うらやましすぎる。
昔南仏に行ったときも知り合いの人の家で
中庭にある よく手入れされたブドウの樹の下で
みんなで夕飯を食べたけど 全部お母さんの
手作りで 全部とっても美味しくて
めちゃくちゃ素敵な夕飯だった。
テーブルクロスにアペリティフ、
ちょっとしたおつまみをたべて
サラダがでてきてワインを飲んで
そしてメインのおいしいご飯
食後にはデザートがあり
本当に 私には もう 夢みたい。


 そんな素晴らしい環境で
そんな夢みたいな暮らし方 を
目の前でしてる人がいる それは
とっても贅沢だけど けっして豪華な
わけじゃない。ワインだって そんなに
高いものではないから ごはんだって
自分たちでつくる方が美味しいし
外に食べにいくよりよっぽどお金がかからない。


 いーなーフランス人の暮らし、、、!
スーパーには山のようにサラミやハムが
存在してて チーズも6メーターくらいの
棚がどーんと存在してる。
ワインは日常生活にあり ワインがご飯に
ついてこないと 大事な何かがかけている
日本人のご飯にとって 味噌汁がない
なんだかそんな感じなんだな。
そしてそれを この湿気のない風土のなかで
食事と空間を存分に満喫しようという
風土のなかで 普通に楽しむ
それがとってもいいんだな、、、。
(それになりより1分もあるけばカフェがある!)





 昨日はかねてからの念願だった
映画『ニキータ』にでてくるレストラン
ル トラン ブルーというところにいって
意外にも食事しなくてもカフェだけでも
大丈夫 で あまり混んでもいなかったので
ゆっくりさせてもらってた。
ここは想像以上に豪華で もう
美術館の中にいるようで 装飾も
すごいのだけど 天井に何枚も巨大な絵が
飾ってあったり スケールが本当にすごい。
そしてめちゃくちゃ美しい。
こんなところが あるなんて
そう ヨーロッパにはあるんだな
オランダにもこんなところは存在してたし
ウィーンにも存在してたし
太刀打ちのできないような 美が生活の中に
存在してて それがカフェだったりするんだよ?
そんなところに5ユーロもあれば入れる
そして心行くまで空間を味わってられる
それって本当にすごいと思う。




 日本にも 美しいものはあると思うけど
やっぱり田舎の風景なんか 特に奈良とか
美しくって 力づよいと思うけど
今の日本には それが美しいんだと思えて
それを後世にひきつごうとする
そんな力が圧倒的に足りない気がする。
昨日何故『平成狸合戦ぽんぽこ』を観ることに
なったのだけど(今やフランスの子供が
日本の童謡をフランス語で歌ってますよ!)
そこででてきた宮崎駿特有の田舎の風景も
本当に美しいけど 結局はこわされていく。
そして私が住んでいるような 何の味わい深さも
ないような ニュータウンが建設されていってしまう。


 日本には 美しいものがあったのに
いまでもかろうじて存在してるのに
それを見るということも それを知るということも
教育の中に組み込まれているわけではなくて
個人で興味をもつことくらいはできるけど
それだけだったら 何か大きな変化があるとき
大企業や力のある人の声におされて
それらは破壊されてしまう。
日本の美 は 自然にあるのに
田舎の 美 は かろうじて残っているのに
「何か」をつくっている人と 自然の美とは
とても遠くて 「何か」をやろうとしている人こそ
本当は見なきゃいけない 美しい日本の伝統が
どこかに残っているはずなのに
それらは 小さな点でしかなく いつも
見過ごされてしまう。


 生活の中の美ということに
昔西洋の人たちが日本に来た時圧倒されていたのにな
いまの日本はあまりに物であふれてて
あまりにゴチャゴチャしすぎてる
大切なことって何なんだろう
大切なことを大切にして
シンプルにそぎ落としていく
美しいものを大切にして 
自分でそれをつくってく
どこに住むかはわからないけど
もっとそうしていきていけたらいいよなあ


自分の生き方

2010年08月13日 | 想いをカタチに


 パリに来て もう1週間がたっていて
沢山写真を撮ってみたりはしたものの
さーてなーにやってるんだか
私何しに来たのかな?とつい思ってしまう。




 日本にいると よく
「みきちゃんはやりたいことがいっぱいあって
いいよねえ 私なんかやりたいことすらないよ」と
言われることがあるけれど 本当は私は
旅がしたいとか思っても でも旅をして
どうしたいのか?その先までは全然クリアに
わからない。明確な目標をもつことは
きっと大切なのだろうけど 私の場合は
かなりぐにゃりとしたイメージで
挙げ句の果てにやりたいことがいくつかあって
それがこんがらがっているから
「中途半端」になってしまう。
これじゃ いけないんだよね、、、



 昨日は時間があったので パソコンで
写真の整理をしていたら、もう5年以上くらい
デジタルで撮っていたカフェの写真が
なんとパリだけで700枚近くになるらしい。




 それだけ撮ったらかなりすごい!とも思うけど
Et Alors?それで?と自分に問うてみる と
どうにかして それをもっと世の中に活かす
そんな方法を自分でとるしかないのだろう。


 そういえば自分の本のあとがきに
「明日から書こう、と決めた日の夜に
カフェから帰る途中の交差点で
車がビューンと飛ばしてて 
あ ここで私が死んだら
あの書きためてきた引用たちは
全部ゴミになってしまうんだ 
そう思うと恐ろしくなり
ちゃんと書こうと決意した」
というようなことが書いてある。


 今も同じなのかもしれない。
沢山の絵を描いて来て
沢山の写真がもう飽和していて
それは私のパソコンの中にあるだけで
だれにも共有されていない。
次はもっと 写真や絵や
簡単な文書のある 電子書籍がつくりたい。
どんなテーマで通せばいいのか
まだそれはわかってないけど
なるべくセンスのいい本を
また出版できたらいいよなあ





 どうしたら


 どうしたら


 どこかへ到達できるのだろう


 まずはそれを望むこと で

 強くイメージを描くこと。

 そして意識を集中すること?


 それからおそらく ネガティブな
「そうならなかったらどうしよう」という
思考を消し去り 「そうなるしかない!」と
思い込むこと? そしてそれを人に伝え
口にすること? そしたら願いは叶うのだろうか





 ものごとがうまくいくときは

 たとえ自分に自信がなくても

 強く信じて あたかもそれが現実のように
 強く信じてみることだ。


 私はそうして高校入試も受かったし
模試ではずっとE判定だった早稲田も
受けたらちゃんと合格できた。
やっぱり夢を みることと
夢を夢としてあきらめないで
自分がバカだと思っても
強く信じきることなのか





 信じると何かがふってくる
神様に委ねてみると
本当に?というありえないようなことが
どこかで起こったりする
だから自分ではどうしようもないならば
それなりの努力をしている上で
あとは委ねてみるしかない。
とはいえ努力も大切だから
私はどうしたらいいのかな?



 私は書いて生きていきたい。
写真も 絵も 文章も
私にとっては大切で
どうやったら生きるだけの
お金を得られるかなんてわからないけど
沢山の人を すこしでも 幸せにすることが
できたなら 何かは変わってゆくかもしれない
だれかが私の言葉を読んで
勇気をもらってくれるなら
それはきっと 私が勇気を出したから で
自分がそれをやった分だけ
だれかがついてきてくれるのだろう。

 私にはまだ勇気も足りず
意思も明確じゃないけれど
あとの残りの1週間で
何かがキラッと見えるだろうか
そのために は 自分が努力をすることか。




フランスに行くなら

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