alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

決意

2016年01月03日 | フランスへの道

 新年明けましておめでとうございます。

 年賀状を書いてみたり 久しぶりの人に会ったりする時に
つい口に出る言葉がある。「私の方は相変わらずで・・・」
相変わらず、2年前と大して変らぬ生活のまま、年に一度は
フランスに行かせてもらい、かろうじて書く生活を続けてる。
相変わらず、お金も時間もないままで、そのどちらかがあれば
まだましなのにと思ってる。


 相変わらず・・・ それでいいのだろうか?
「今年こそ!」そう思い、何年書いてきただろう。
「今年こそフランスに住む。」けれど想いは叶わなかった。
相変わらず、小さな夢や目標はそれなりに叶うのに、
その大きな夢は叶わない。もはや諦めた方がいいのだろうか?


 だから今年のノートからはそのテーマは微妙に姿を消して
1年経った時に実現しやすそうな目標が並んでいる。
けれど相変わらずでいいのだろうか?


 相変わらず、な私の横で、気付けば随分変化を遂げた人がいる。
息子は小学校に入学し、保育園とは環境も相当異なる中で
なんとか勉強をやっている、が、専業主婦たちの手厚い保護の中
育って来た子供達との差は見たくなくても見えてしまう。
幼稚園の後マンツーマンで向き合って色んなことを教わって来て
小学校にあがってきた子。朝から晩まで保育園の集団の中で育った息子。
保育園の最後は23人程に対して二人の先生がついていたけど、
そんな大変な最中ではマンツーマンの手厚い教育はありえない。
(それに保育園は教育機関ではなく、預かってくれているだけだ)
工作が得意と思っていた我が子は実はまっすぐに
線を切ることができなかった(教えてないから仕方ない)
学校で絵具を使うことがあっても絵具をどのように塗るものなのかよく
わかっていないらしい。(これもきちんと教わってないから仕方ない)


 7歳にして、集団教育の中ですでに子供達には差がついている。
その差というのは平等主義の先生が生んだものではなくて、
これまでの家庭教育や学校外でいかに過ごして来たかによるのだろう。
私はいつも忙しかった。構う時間なんて足りていない。
それでもなんとかなるかと思っていたけれど、子育てはそんなに甘くない。
これではまずい、と反省し、息子はテレビの時間を減らし
その分私は仕事の時間を減らし、共に向き合う時間を増やすことにした。
そうすると息子は割と嬉しそうだけど私は明らかに仕事が滞るのがわかる。
そうはいってもあと数年の関わりが死活問題ならば、今ここで
低学年のうちにきちんと向き合っていることは きっと大切なのだろう。


 そんなこんなを考えているうち、ふとしたことがきっかけで
この春息子とフランスに行ってみようかという気持になった。
ダメもとで相談すると意外にも好反応が返って来たりで
これはタイミングがいいのかもしれない・・・と急いで航空券を
検索し、春休みに渡仏することにした。


 「航空券を購入する」そのボタンを押した後、
「相変わらず・・・」の日常に、少し風穴が空いた気がする。
もちろん航空券が普段より安いといっても二人分の料金は
私にとっては清水の舞台から飛び降りるように高い。
それでも?それでも・・・それでもやっぱり行くべきだ。
なぜなら?なぜなら子供が小さいうちに本物に触れることは
その後の人生において非常に重要だと思うから。
なぜならこういうタイミングが2年生の春にも訪れるとは限らないから。
夏休みが例えよくても、夏の航空券なんて高すぎて買えないから。
それにやっぱり 我が子にフランスの魅力をわかってほしいから。


 航空券を購入してから気がついた。出発の日はなんだか因縁深く
私が以前息子を連れて渡仏した日と同じ日だった。あれから・・・
あれから何年?あれは震災後のことだから。あれから5年?嘘でしょう?
たしか息子は2歳だった。そして今、彼は7歳。
今度こそ行こう、今度こそ・・・そう思ってもう5年の歳月が流れていたとは
思いもしなかった。5年も経つなら、彼がフランスを忘れるのも当然だ。
少しはわかったフランス語はもうゼロなのも、もはやモチベーションすらないのも
それだけ行かなければ当然だろう。そして時折彼は私に向かってこう言い放つ。
「やっぱりね、日本は安全だよ。フランスはテロがあるんでしょ?
フランスなんて行かない方がいいんだよ」フランスに惹かれ、
子供に淋しい思いをさせてまで時に旅立つ母が行くかの地に
息子は嫉妬も抱いている。彼のその口調からはそれがよく伝わってくる。


 でもね?昔一緒に居た3ヶ月、私はあなたに伝えていった。
こんなに美しい場所があるんだと。2歳の息子は楽しんでいた。
夜のピクニック、フランス人や外国人だらけで言葉のひとつもわからないのに
彼は満面の笑みで駆け回って楽しんでいた。そりゃあ泣いた日もあった。
けれど楽しい時間も美しい庭園でのピクニックも、私達は楽しんでいた。
生演奏とともに童謡を歌えるカフェゾイドの音楽アトリエ、
あなたはあえて耳を傾けようとしなかったけど、帰り道に
いつも口ずさんでいたではないか。あそこで習った曲は
今でも私達はしっかり覚えてる。
そんな息子と歩いた場所を、今度は私はツアーで伝え、
二人だけで共有していたパリへの想いを参加した人たちとも
共有できた。それが嬉しかったのだけど 2011年からもはや5年。
いろんな想いは風化する。


 だからこそ、もうお金があるとかないではなくて、
お金をかけても行くべきなんだ。私がフランスがすごいと言うのは
別にフランスかぶれだからではないと思う。アートにしても知性にしても
圧倒的かつ客観的に、少なくとも日本より優れていて学ぶべき点は多いと思う。
その圧倒的な差のせいで、私達が努力したって一生追いつけないほどの
格差が存在するのだとしても、彼らの何十分の1でもいいから
本当のフランスの姿に触れたらいいと思う。
パリにはモネもマネもルノワールもピカソの絵も存在する。
彼らの絵は質、量ともに圧倒的で、きっと息子にも語りかけてくるだろう。
航空券代は高いとはいえ、パリには千円前後で楽しめる子供向けの
企画が山のようにある。ポンピドゥもオルセーも子供アトリエを開催している。
お金がなくても質の高い芸術に触れていられる街の底力、
子供とともに体感し、できれば記事にしていきたい。


ワインの記憶

2014年03月16日 | フランスへの道
「私ね ピノ・ノワールが好きなのよ。ピノの香りっていったらね・・・」
あの時黒い服を着た優雅なマダムがそう言っていた。
ピノ・ノワール、ピノ・ノワール、ピノの香り・・・
それはどんなものなのだろう。私は話を合わせながらも
実際はよくわからなかった。


 初めて私がFoodexに足を踏み入れたのは 震災直前の3月だった。
とにかく取材に行きなさい、とフランスからくぎをさされて
京都から新幹線に乗ってわざわざ取材に行ったけど
その時の私の実情といえば 基本的には専業主婦で
それなのによく取材に行かせてもらえたな、と思ってた。
それでも丸一日会場を歩き、人々に背中を向けている
フランスワインのブースを何度も歩き
つたないフランス語で幾度も話しかけてった。
その時私が目にしたのは黒いスーツに身を包んだ
商談姿の男性達で 英語もできて商談もできる
私の住む世界とはかけ離れた人たちに圧倒されたものだった。


 いつの日か そんな人たちに一歩でも近づきたい・・・
翻訳ばかりでまだほとんど記事を書いたことのなかった私は
帰り際に立ち寄ったカフェで少し途方に暮れながら
それでも出会った沢山の生産者たちとの会話を思い出していた。



 あれから3年の時が経ち、私の人生も激変だった。
それでも、それでも、一度も消えることなく続けて来たフランス語。
ワインの世界も全然知らなかったけど 3年前に比べたら
だいぶ理解できるようになってきた。



 だけど私はブルゴーニュワインに弱い、ふとそんなことに
気がついた。あまり飲んだことがない、一度訪れはしたけど
それは1日だけだったし、気高きブルゴーニュでは
私たちは他の地方ほど歓待されず、何杯もなんて味わっていない。
一軒目に行ったところは、「え?今日じゃないと思ってた!」と言われ
それでもじっと待っていたら醸造所内で異臭騒ぎが起こってしまい
取材どころではなくなった。ブルゴーニュ委員会の方に
お話を聞きに行ったお店はめちゃくちゃ美味しかったけど
そこで1、2杯飲んだ後 あまりの疲れと寒さで車内で
うとうとし、幸せな眠りに包まれていたら次についたのは
もうシャブリで主に辛口白ワイン。
そんなわけで ブルゴーニュは本当にかすかな滞在だった。


 日本に戻って来てからも ボルドーのワインに出会う機会は
けっこう沢山あったのだけど ブルゴーニュといったら
私の場合はまるでなかった。自分で買おうにもやっぱり高い。
かといって試飲の機会もまるでない。これじゃいかん、
そう思ったのが学校を探すきっかけだった。


 金曜の夜中に調べ、土曜に急遽見学に行き、日曜の朝
フランスに行けるくらいの大金を支払って 11時にはもう授業が始まった。
非常にためになる授業のあとでテイスティングの時間があった。
この赤ワインは知っている。私は絶対知っている。
でもなんだろう?おそらく4番はボルドーだ。
でもこちらはどうしてもでてこない。懐かしい香り
どこかで嗅いだ覚えがある。ボジョレーのクリュにも
少し似ている、でも違う。この色はブルゴーニュっぽいけど
私、ブルゴーニュは知らないしなあ・・


 少し湿った枯れ葉のような なんとなくくすんだような
ニュアンスのある香り。華々しいワインではなく
深い霧に包まれた森林の中 身を隠そうとする女性のような

 最後の最後に渡されたプリントにはこうあった。
「品種 ピノ・ノワール」

 これが、ピノ・ノワールだったんだ。これがブルゴーニュだったのか。
私は絶対に知っているし 何度か出会った香りであった。
どこで出会っていたのかは はっきりとは思い出せない。
ブルゴーニュについた日は 霧のかかった雨だった。
ラングドック地方では27℃まで上がっていたのに
ブルゴーニュの気温は7℃。しとしと という言葉が
まさにピッタリくるような 寒くてちょっと薄暗い
南仏とは対照的な場所だった。寒くて凍えている中で
やっと入ったあたたかい店 そこで出された美味しいワイン
心温まるブッフ・ブルギニヨンがある。
こんなにも寒いのに ワインと料理で身体がぽかぽかに
なるものか と驚きを隠せなかった。
フランス取材の最終日、あと一軒で取材が終わる、
本当は観たかったコート・ドールのすぐ横を
通りながら私は眠りこけてしまった。
寒い 寒いと言っていたのに ワインが身体をあたためて
本当に幸せに眠りについた、きっと疲れがたまっていたのだろう。

 フランスに行った2週間、右も左もわからずに
ひたすら取材を続けていった。私の手元にあったのは
一冊の日本語のワインの教科書と フランス人ジャーナリストの
車内に転がっていたGuide Hachetteだけだった。ネットもほとんどつながらず
未知のワイン世界を知る手がかりはフランス語のみ。
今思えばよく生きてたなあ・・・と思うけど
すごく楽しい日々だった。
今やっと 日本語で しっかりとワインを教えてもらうことになり
先生が早口だろうが、知るべきことが山ほどあろうが
日本語だから もうそれだけでありがたい。
これから私は目にしたけれども組み立てられずにいた
沢山のパズルを1つひとつ当てはめていけるのだろう。

 立ちのぼる香り1つでよみがえる思い出や顔がある。
霧につつまれた灰色の空のブルゴーニュ。
哀しみやアンニュイさ、そして気高さを感じさせるボーヌの街。
その前に訪れたボジョレーの明るさと軽やかさ。
もっと沢山のワインと出会って 香りや少しの味わいで
様々なことを感じられる そんな人になってみたい。

おもいはせの道

2012年05月30日 | フランスへの道

 去年の3月 これから私の人生はどうなるのだろうと
思っていたとき 本当は東京に行こうと考えてはいたけれど
急遽フランスに行くことにした。


 去年の6月 フランスから帰国して この先どうしようと
思ってた。 夏の間さんざん悩んで途方に暮れていたけれど
9月くらいから特にどうなることかと思っていたら
ひょんなことから影山さんに救われて クルミドで働かせてもらうことになり


 今年の6月がやってきて 本当は? ビザをもってフランスに!と
言いたいとこではあったけど それに関して弱い点は
人に指摘されるまでもなく 本当は自分ではわかってた。
夢をちょっと抱いたときに 日本の友達はどうしてなんだか
「いーじゃんやっちゃいなよー なんとかなるよー」と
ちょっと適当?なことを言い 「で?何が不安なの?」とか言ってくる。
それに対してフランス人たちは ちょっとのところで見抜いてる。
あんた、、、それはいいけど ここはちょっと弱いんじゃない?
(この姿勢は原発に対しても似ているような、、、)


 私はそんなフランス的現実主義がけっこう好きで
本当はそれを求めてたのかもしれない。日本を飛び出すのは簡単だ。
本当は 住むだけだったら そこまで難しいものじゃない。
お金と学生ビザさえあったら。だけど私は 留学初日に知ってしまった。
日本でどんなに手続きに苦労をしたって 住むこと自体は簡単なんだ
そこで何をするかが重要。そう そこで何をするのか
かつ どうやって生きて行くのか。


 パリには3万5千人から4万人ほど日本人が住んでるらしい。
そんな中で 日本とちゃんとつながっていて 日本に何かを
還元している そんな人たちなんてほんのごくわずかな人たちだけで
後の人たちは日本料理屋で働いたりとか ものすごい節約をして生きてたり
フランス語の中で苦しんでたり。パリは確かに面白いけど
いろんな苦難が待っている。そこで?子供がいたら?
そう考えると荷は重すぎた。日本でだって荷が重いのに
そもそもこれからどうやって生きていったらいいのだろう、、、


 沢山のことで自分がちょっとパンクしそうになった矢先に
私は不思議な学校に出会ってしまい その学校を創ったフランス人と
なんだかけっこう気があったうえ いろいろと説得されてしまい
うーん なるほど確かに あなたの指摘はおっしゃる通り、、、と
思っていたら 彼にこう言われてしまった。
「人生にはね 逃しちゃいけないチャンスっていうのがあるもんだ。
やってきた電車にちゃんと乗ること。僕は君がその電車だと思うんだ。」


 人生には 逃しちゃいけないチャンスがある、、、


 この学校の話をした時 私のまわりの信頼している人たちは
「それはミキのためにあるような学校だね!!」と言ってくれた。
影山さんはあまりに話がうますぎと思ったのか「大丈夫なの
その学校?ちゃんと調べた方がいいんじゃない?」とまで言っていた。
そう それほど 本当にそんなとこあるの?という
私にとっては宝の山みたいにみえる場所なんだけど
それを私じゃなくって あちらの人が私のことを
「逃しちゃいけないチャンス」だと言ってくれた。
沢山の人が「きっといい出会いだよ いいコラボレーションができるんじゃない?」と
話してくれた。これはお互いにとって いいチャンス なのだろうか
そうして私はそのチャンスを えいやっとつかんでみることにした。



 憧れ 想い おもいはせ


 高校生の時さんざん外人墓地だとか山下町とか
瀬田のインターナショナルスクールに憧れ 関係者でもないというのに
インターナショナルスクールの文化祭にまで行ったりしてた。
さんざん歩いた世田谷の瀬田。そこにはおもいはせの道という道があり
おもいはせ?って何のこと?と思いながらもよく歩いてた。
今になったらわかるけど 私はその道を歩くことで 想いを
はせることを学んだ。この人たちはどんな暮らしをしてるんだろう
どんなご飯を食べてるんだろう? 谷中の町屋から夕暮れ時に香る
お味噌汁はいったいどんな味だろう そこにはどんな家族の顔があるのだろう
憧れたカフェに喫茶店。山小屋に今ではもうなくなってしまった、早稲田の小汚い部室。
1990年代後半 まだ時代が今のようではなかったころ。
フェイスブックも何もなくて まだカセットで語学を学んでいたころ
まだだれかに気持ちを伝えるのに手紙が選択されていた時代。
私はいろんなものに憧れていた。そうしてさんざん街を歩いた。


 いつの日か、、、

 いつの日か 日仏学院であの人たちのようにパラパラと
フランス語が読めるようになれるだろうか


 いつの日か インターナショナルスクールみたいなところとお近づきになれるだろうか

 いつの日か私もインターナショナルになれるだろうか


 いつの日か、、、


 不思議なことに私が行かせてもらうことになった学校は
そんな私が想いをはせていたころからずっと存在していて
しかも私が愛した五島美術館や丸子川という小さな川の近くにあって
なんだか変な縁を感じる。一体どうしてなのだろう?



 想いをはせる 憧れる それは違う世界へのトリップだ。
いま ここになんて 私は意識を集中できてなかった
私の頭は沢山の妄想や想いでいっぱいだったかもしれない。
だけどいつか それらのことが叶うなら 憧れって
ないよりは きっとあった方がいいんじゃないか
それがいつか手に入るなら。ようやく最近 そう思う。

フランス語を教える

2012年03月08日 | フランスへの道




 「はーいじゃあ 私の後に続いて発音してください
Répétez après moi! (レペテアプレモワ!)」

 そんな声を聞きながら まだ訪れたことのない パリという
憧れの場所に向かって フランス語を勉強していた高校時代。
フランスから来たという女の先生はなんだか素敵なオーラがあって
彼女が家庭科室で作ってくれた フランス流のガレットは
日本で知ってるクレープとは全然違ってとても印象的だった。


 そんなフランス風クレープも 自分で作れるようになった今
15年が経過した今 私も彼女をちょっと真似して
今日は「レペテアプレモワ!」と言ってみた。
今日はフランス語の初レッスン。やったことがないわけじゃないけれど
今日は一対一じゃなくって2人を相手にしていたからか
なんだかこれまでより緊張をして なんだか先生になった気分。


 先生 私 あれだけフランスに憧れて やっとここまでやってきました
そう高校時代の先生にちょっと言いたくなってしまう。そりゃあまだ
わからないことも山ほどあるけど でもカフェが好きで憧れて
フランスに想いをはせて 一方で環境活動をバリバリしていた
私が今 ちょっとずつ遠い未来に近づいて来た。それはとっても嬉しいことだ。


 フランス語 は やればやるほど難しい。
へこまないことなんかない し 読めば読む程わからない。
今まで誰の口からも「フランス語?簡単じゃない!」なんて聞いたことがない
わかるためには?努力に努力をかさねることか?たとえ毎日「うーんわからん」と
思っていても?いつかわかる日が来るために?


 フランス語を挫折するのは本当に容易だと思う。
基礎の基礎らしい顔してでてくる定冠詞とやらは これまた
やればやるほど だから何?どっち?という感じだし
基礎はとっても大事なのだけど 基礎こそが一番難しい。
それがフランス語 の 一番の苦しさかもしれない。

 だけど私はさんざん苦しんでやってきたから
わからない人の気持ちや嫌になる人の気持ちだけはよくわかる。
もっと面白く 楽しく 子供が言語を身につけるように
すーっと入るフランス語というのはないのだろうか?
それがあったらかなりうけると思うのだけど
いつの日か 子供から学ぶフランス語とか
シャンソンで学ぶフランス語とか 料理しながら学ぶフランス語とか
フランス流の生き方や考え方、はたまた哲学カフェだとか の あるカフェを
やれたら面白いだろうなあ。。。


 一緒にフランス語を勉強したけどやめた人なんて沢山で
(むしろ高校や大学時代から続けている友達なんているのだろうか?いない気がする)
やめる理由もタイミング も 山ほどあった?と自分に問うたら
不思議なことに 私にとっては そんなタイミングは一切なかった。
そんな気がする。一体どうしてなんだろう?


 妊娠中に書いていた本を書き終わったときでさえ 私は
バカみたいにカフェに通って フランス語を勉強してた。
おそらくあのときお姉さんは「あんたそんなことしたってね 生まれたら
何もできないのよ バカねえ、、、」と思ってたんじゃないかと思うけど
半ば強迫観念みたいに 私はフランス語を続けてた。
どうしてなのだか息子が生まれた直後ですらも、病院の中の有線で
「フランス語を失っちゃいけない!!」と思ってわざわざシャンソンの
チャンネルを聴いていた(そんなことが体調を悪化させたのだろう)
そんな私にとっては「フランス語?やりたくてもつらい、しんどい」と
思う機会はたくさんあっても「もうやーめた!」と思う機会は不思議なことに一度もなかった。
いつまでたっても もっとしゃべりたい もっとできるようになったらなあ
そんなことを思ってた。そうして今に至ってるわけだけど


 私は別にフランス語が好きなわけじゃないと思う。
でもフランスには魅力を感じて フランス人と話をするのは大好きだ。
そのためにはフランス語がないといけない。そして何故だかフランス語を
話している自分はなんだか気持ちがよくって よっぽどか 流暢なはずの
日本語よりも フランス語の自分の方が 本当の自分な気がして嬉しいんだな。
私にとっては それだけのことかもしれない。
英語であってもフランス語でも 語彙力は圧倒的に少なくっても
なんだか本来なりたかった自分になって 本当の気持ちで話せる
日本語で話す「うっ」というような壁や自分を押さえ込むような力が
私の場合 外国語だと働かなくて それが気持ちいいのかなあ?


 フランス人はおおげさだ。フランス人は日本人より怠けもの。でも
よっぽど知的ですごい沢山のことを知っている。彼らはしょっちゅう
怒ったりむかついたりしかめっ面をしたりしていて 私はちょっとドキドキするけど
それでもなんだか人間くさい。彼らはきっと 素直に生きているんだろう。
そんな姿に 私も憧れてしまうんだろう いいなあなんだか
私もそう生きてみたいなって 私も仲間にいれてほしいな
あの大げさな議論に加わりたいなと そう思うから
くそー 今度こそ!次はもっと楽しんでやる! そう思って 私は続けていたのかも。
生のフランス 古びたシャンソンじゃないフランスは 本当に
魅力があると思う。それはエッフェル塔とかシャンゼリゼではなくて
人間があり、もがき続ける彼らの生き様なのだろう。


 いつの日か フランスで沢山のことを学んで 日本でカフェみたいな
学校みたいな場ができたらいいと思う。それは語学だけじゃなくって
人生をもっと心地よくするために いろんなことが学べる場。
蓮太郎はそこでギャルソンをするのだろうか?そんないつかの日を夢見て
もう一度気合いをいれて フランス語に触れていこう。

ふらんす

2011年10月13日 | フランスへの道



 最近もなんだかんだ 交通費がかかるなあと思いながらも
やっぱり広尾の図書館に行くと「学ぶことが多すぎる!!
明日もやっぱり来なければ、、、」という気持になって
えーと 今日は何からしようかと ちょっと途方に暮れてしまう。


 それでも私にはI Padが存在するので、この手帳を使うと
それじゃあ今日はここまではやる!というのが明確になり
確実に前に進める感じ。さて、広尾の図書館がすごいのは
都市計画、コミュニティ、東京の文化やガイド、それに
ビジネス、フェイスブックの使い方からウェブ作成に
フランスの建築にフランス料理(といっても区分が広くて
シャンパーニュだけで10冊以上あるかんじ)
もう読むべきものが多すぎる ので 今日は
フランスの食文化と地方についてと建築なんかについて
勉強をしてみることに。机にはどーんと10冊。。。



 私にとってフランスというのが何なのかはわからないけど
すごく近くなったような気もするし 途方もないほど
遠いようにも感じてしまう。だけど確実にいえるのは
少しずつ距離を縮める努力を自分でしていることで
そう昨年は 何一つ知らなかった。今年の春も。
「え?何それ?だから それ何なの?」ということが
一杯だった。私は不思議でしょうがないけど
フランスにいる日本人はどうやって耐えているんだろう?!
例え言葉がちょっとできるようになったって
今度は文化の壁があり 彼らは当たり前にいろんなことを
しゃべってくるから「っていうかそれ何???」と
頭の中が真っ白になることが後を絶たないと思うのだけど、、、


 そんな時 どうしたらいいかって?

 そんな時こそ日本語だよね 日本の図書館ありがとう!
エスパスジャポンもすごいけど 日本には都立中央図書館と
恵比寿の日仏会館がある この2つでみっちり日本語で
学んで行ったら もうこわいものなしだろうか?
だってフランス語で哲学について言われても 
だってフランス語ではじめてきく郷土料理のこと言われても、、、


 なので私は勉強をしよう。そう ガイドをちゃんとやってけるよう。

 というわけで先日はシャンパーニュについて勉強をして
(実際に訪れた時は一応ウィキペディアとかでは読んでいったけど
頭の中が「?」だらけで 見学にいったらもっと「???」で大変だった
どうやって理解してどうやって記事が書けたのだろうと思ったけど
読み返してみると意外とちゃんと書けている。不思議なことだ
留学時代なんて言葉も知識もまるでなかったからどうやって
生きて意思疎通をしていたのか不思議でしょうがない)
一日ちゃんと勉強したら けっこうわかるようになるようで
その後はシャンパーニュアカデミーというのを取材させてもらい、
その後もいただいた資料を読んでいたからなんだかだいぶ
わかった気がした。(シャンパーニュアカデミーの記事はこちら


 そうかこうして 受験勉強をしてた時のように
集中して勉強したなら けっこう身に付いていくかもな
今日はだいぶ郷土料理がわかった気がした。こうして
もっと勉強をして、いろんな人とつながってって
私もパリのカフェを中心としたガイドができるようになったなら
マルシェに行ってチーズの説明をしたりとか
スーパーに行ってワインの説明したりとか?
昨年の6月はボルドーとボジョレーとブルゴーニュの
名前だけしかわからなかった。ワインはおいしくないと思ってた。
チーズをだいぶ識別できるようになったのもフランスから
帰る直前になってから。でもビストロの料理はだいぶ覚えた。
メニューはわかるようになってきた。
フランス料理や郷土料理についてはこちらをご覧下さい

 日本には 沢山フランス文化を広めるために貢献した人が
いるらしい。 そんな人たちの名前がでてくる本に触れると
ああこの店は私が中学生の時に憧れた!とか 高校生のとき
先生に連れて行ってもらってびっくりしたな だとか
あの古い 語学はテキストとカセットで学ぶ様な時代であった
まだインターネットなんてなかった時代 異国が遠くて
もっと違いがあった時代に 私は異国に憧れていた。
その匂いは どうやらフランスのトリコロールの匂いらしくて
外人墓地に行ったりだとか 神戸の異人館に行ったりだとか
遠い異国に憧れていた もはやそんな時代があったこと に
今の20才くらいの人たちはピンと来てくれないだろう
でも私はそんな古い匂いも知っていて その中で憧れに想いをはせていた
今 そんな人たちとつながれるなら 取材とか させてもらうことが
できるなら そんなに嬉しいことはない。

 井伊直弼もありがとう 藤田嗣治もありがとう。
日本にフランスの香りを持ち込むことに貢献してくれた人たちも
ありがとう 高校生のころ 私は妙に憧れた
18歳の夏、一人でフランスに行ってみたなあ
そうして今があるのかな? 私はカフェに憧れた。
パンの耳をかじってコーヒー代を払って喫茶店に行ってみた。
そんな私はカフェ文化研究家とか名乗ってみたりすることになり
こんどはもっとパリのカフェに関わっていけるだろうか
いけるといいなあ そして私も あの香り を伝えたい
「目覚まし時計はカフェオレの香り、、、」
地球の歩き方に書かれてた。パリのカフェといえば飯田さん、
そう言われるように頑張っていきたいなー。

それが仕事になるのなら

2011年09月04日 | フランスへの道


 最近私が目にする類いの本によれば
理想は描いた方がいいようで はっきりと
イメージできればそれがカタチになるんだそうな

 じゃあさ そんな そんなことが仕事になったら
そりゃ面白くって仕方ないみたいな そんなことも
仕事になれたりするのだろうか。


 私にはいろんな病気みたいなのがあるようで
最近気づいてしまったのが、家の中というか
閉ざされた空間にいられない病みたいなのがあり
密室で人の出入りがない空間みたいなところに
ずっといると本当に恐ろしくなってしまうらしい。

 そういうことで説明すると 子供を
産んだばかりのときに 他の人はそうでもないのに
私があんなにも孤独と不安を感じて恐ろしくなっていたのは
密室に閉じ込められて しかも外の風すら
感じることもできない場所で(病院と
帰ったあとも京都はありえない猛暑でエアコンを
5分止めたらもうダメ、、という感じだった
蛇口をひねるとお湯が出たんですよ!)
外にも出られずひたすら家にいて誰かが
訪れてくれるのだけが救いという日々は
本当に辛かったんだなあと思う。
(そして産後で猛暑なのに外に出てよけいしんどくなった)


 そういうわけで 今日みたいに台風がきてても
どうしても1日家にいることができない私は
なんとかして外に出ようとするわけだけど
そうです 子供がいても 雪だろうが雨だろうが
子供をかついでコミュニティカフェやらに行っていた
それは蓮太郎どうこうじゃなくて 私が密室に
耐えられない人だったからなんですね。


 それで私は なんでもいいから人のいるところに行きたい
そう思って まあ一番落ち着く先がカフェなのだけど
もう駅でもいいし 図書館でもいい 誰かがいるとこ
そういうところに行ってれば なんだかホッとするのだけれど
「外の空気を吸っていたい」それは私の1つの病気。。。


 それからもう1つあったのが 海外に行きたい病?
外貨両替病?それとも 海外の宿を調べてしまう病気?
これはけっこう重傷だなあ と 前にパリに行く前に
かなり気がついたのだけど 蓮太郎と行こうとしていた
ベネチアに どこに宿があり 乗り換えはどうやって
ここはいくら で あっちはいくら あー私
こんなとき英語が読めてよかった!それでかなり
情報が入る そう ベネチアを夢見て検索していた
泊まるべきホテルはすでにしぼられていた
(確か予約もしたような、、、)


 結果として蓮太郎とはその時一緒に行かなかったけど
向こうの宿の調べ方は身に付いて それから先も
航空券はやたら予約したから そういうのもかなり
身に付いた。それで昨日、パリのカフェのツアーの
話をしていたときに「じゃあ航空券と 宿ですね
どんな宿がいいですか?ユースとかも面白いかも
しれませんね!じゃあ調べてみます」と言っていて
こーんなことが 仕事になったら!!
なんて素敵じゃないかと思った。
だって病気みたいなものなんだもん。
そうやって想いをはせて うーんとあそこには
ナントカがあり じゃあ近いのはこっちで
あそこにしたらどうかなあとか 泊まった人の
コメントを入念にチェックしたりとか そこでの
出会いをイメージしたり そういうの も
意外と英語とフランス語が役に立ち
なんだか今までやってきたから自分ができる
そう思えて嬉しくなる。
(そういえばローマの宿もよく調べてた、、、)

 今日はパリの宿を調べて 今回はフランス語だったけど
もーこれくらいならかかってこい!という気分になって
それはそれでなんだか嬉しい。

 
 私はなんだか変なので やたらとどこかに想いをはせたり
時刻表に見入ったり そこでの世界を想像したり
そんなのきっと馬鹿らしいけど それが役に立つことがあるのなら
そんなに嬉しいことはない。パリに行ったら あそこに
行って あそこもよくて あーじゃあこんなことも
できたらいいですね どうしたら実現できるかな?
誰に声をかけてみようか そう考えるのが面白い。


 この先どんな風に生きていけるのかわからないけど
「旅」っていうのは私の中のテーマでもあり
「人生が変わる様な旅」というのは 私にとって
一年前からの大きなテーマでもあるのだろう。
なんせ私はその旅で何かが揺らいでしまったわけだから。


 私はかつて 留学しに行ったパリで はじめに泊まった
ユースホステルで 日本人の人たちに会い、なんで住もうと
思ったかについてこう語ったことがある。「旅で感動しても
日本に帰ったら変わらない日常に流されてしまうことがある
でも住んだらもうそれは自分の中に根強くのこって
変えられないものになる気がするから、、、」
そうそして 私の人生はなんだか変な方向に向かってしまった
パリはあまりに強い刻印を残してしまった。でも
そんなパリ を ただエッフェル塔に行くだけじゃない
ルーブルに行くだけではない 人生観が揺らぐ様な
そんなパリのあり方を 日本語でみせることができたなら
そりゃあいいだろうなあと思う。


 私のパリの友人たちは みんな日本がいいというけど
パリには何か 日本にはなくて すごく魅力的な何かが
沢山存在している。それをもっと肌感覚で 伝えられる
そんな人になれたらいい。

フランス語とのおつきあい

2011年08月23日 | フランスへの道



 フランスから帰って来てから約2ヶ月が経過して
今日は朝からもうなんだかフランス語をしゃべりたくて
仕方なくって 蓮太郎としゃべったりはしてみるものの
あーもう!どこに行ったらそんな機会があるのかしら と
ちょっと途方に暮れていた。(英語だといっぱい
機会もあるのでしょうが、、、)


 そう思ってたら引き寄せの法則が働いてくれたのか
2ヶ月くらい日本に来ているフランスの知人が東京に
戻ってて「今日の午後暇?」と誘ってくれた!
行きます 行きます!フランス語しゃべりたい!と
会いに行ってはみたものの 彼は恐ろしいほどに
日本語がうまく 「この間会ってからフランス語
しゃべってないんですよ」と言ってみると
「僕もそうだよ」とのことで いやーこんなに
日本語ペラペラで新聞も読めたらさぞかし楽しいことでしょう。
彼は漢字マニアで「憂鬱」とか「薔薇」とかそういうのが
ほとんど何でも書けるらしく この10日間で
知らなかった漢字は7個くらいしかなかったとか言ってたな。


 そんな彼は 一体何年日本語を勉強してるかといえば
なんとたったの3年らしく!3年で新聞読めるの?3年で
ここまでしゃべれるの?隣にいる私はお恥ずかしい限り、、、と
街を歩きながらずっと日本語でしゃべってた。


 語学というのは力関係が働くらしく
どっちもが両方の言葉がまあまあできても、より
秀でている方が使える言語になって 私は普段は
フランス語をしゃべりたがって大抵はフランス語なのだけど
あまりにも日本語がペラペラなフランス人といると
うっとなってしまってそちらの日本語が通ることになる。

 それでもカフェでお茶してる時は彼もフランス語に
してくれて 私はすっかり自信をなくしてたけど
結局お互いにほめあって どうやったらもっと
上達するのか、どうやって勉強してるのかとか
いろいろ教えてもらってた。パリで日本語を勉強している
フランス人は よくiphoneを使ってて そのアプリで
いくつか日本語を学べるのがあるようなので
私もiphoneにしたらその反対ができるってことだわな。


 彼はパリに帰りたくない!と言い
私はパリに帰りたい!!と言ってるのだけど
その国 に 住んでなくても ここまでレベルは
上げられるのか そのために は 日々の努力が
必要で 彼は毎日350問の日本語の単語の
テストをしているらしい(それもiphoneのアプリ)
それで憧れの国に来た時 語学の問題を通り抜け
思いっきり楽しめてたら そりゃあ楽しいだろうなあ


 やっぱり語学を習得するには 日々の努力は欠かせなくって
その国へ行けばなんとかなるって問題じゃない。
だってそこには 予想だにしなかった いろんな
ストレスが待ち受けている。私も今「やっぱりパリに
帰りたい!」と思ってるからって じゃあもし明日
パリに行けて ハイ フランス人と会話して広告がとれますかって
そんな簡単なものじゃない。 だから今日から
もう少しずつ勉強しよう。まだiphoneは持ってないけど
ラジオだって聞けるわけだし 方法は色々あるわけだ。
もう次に行くときは 言葉で困って辛くなって
フランス語がネックで嫌だと思わないように気をつけよう。
フランス映画でもまた観ようかな 息子と一緒に?
とにかく私ももう一度 フランス語とのおつきあいを
ちゃんとはじめよう。未来に向かって 今できること
毎日きちんと積み重ねよう。

(ちなみに、、、最近フランス語の個人レッスンを
はじめています。初級会話といった感じですが
フランス語習ってみたい!という方はご一方ください。
カフェで週2時間くらいからやってます)

東京パリ化計画

2011年08月10日 | フランスへの道



 今日はワクワクできますように

 いいことが起こりますように と 願っていたら

 なんとバス停を乗り過ごすほど ワクワクできて
ワクワクできた ただそれだけで 本当に嬉しかったです。


 今日はPRESS PARISというパリと日本との相互視点の
編集社の方とお話をさせてもらって パリ症候群の
話とか(聞くだけでウッと怖くなる、、、)
今やっていること、これからしようとしているプロジェクト等
お話を聞かせてもらえて楽しくなった。


 さて 日本とフランスという話が合ったり
パリ症候群の話ができるだけでも嬉しいのだけど
その方がお話していた「東京をパリ化する」という
計画はとても面白くって そう そうなんです
もっとリラックスして楽しめる都会の生き方
そう ワイン片手に子供抱っこしても怒られないような
そんな生き方、、、 ちょっとくらいあってもいいのにと思うんです。

 
 その人とお話してて 日仏学院で開かれるイベントの
プレス向けのオープニングが素晴らしいという話になって
彼はそこでシャンパンだとかクレープが食べれるのが イベント自体よりも
嬉しくてたまらないんだそうな。私もそうそう、サンジェルマンデプレの
ボナパルトのリニューアルオープンで プレス枠で
行かせてもらってシャンパン一杯飲みましたよ あれ、
めっちゃいいですよねえ!!


 なんだかよくわからないけれど 3月にはじめて「プレス」を
名乗った私はパリでは「プレス」として通してもらえ
ちゃんとやったら、もしかして日本の日仏学院も行けるかも?
もっとちゃんと取材して いろんなところと関わりたいなあ
そうそれで 私ももうちょっとパリでいろんなことを学んで
いつか日本でフランスのソフト面を、テラスのあるカフェを
ただつくるとかっていうのじゃなくて、思想とか生き方とか
そういうソフトな部分で学べる点を ワークショップみたいに
体感できる そんなことがしたいんですとか言ってみて


 そんなの10年後かと思っていたのに その人は「もう
会場はいくつかあってあとはイベントを何するかなんですよ」と
語ってくれる。「飯田さんの話 それ面白そうですね!」
本当ですかー でも私東京にフランス人の知り合いいないんです、、
誰かとお話しないと私一人ではまだソフト面まではちょっと、、
もっと学ばなきゃとおもっていたけど それでもいくつか
できそうなことはあるのだろう。「会場設営でも何でも
しますからお手伝いさせてください!」と言わせてもらって
なんだか話は面白そうに発展していった。


 私 本当に嬉しかった。


 だって 日仏 って ただそんな言葉がつくだけで
私には遠いものだった。日仏学院も遠かった 今でも
なんだか近寄りがたい存在なのに Paris-Bistroの仕事のおかげで
なんだか「日仏」というその言葉 が 私にとって近くなり
「プレス」だとか 記事だとか そんな言葉も身近になった
パリのカフェに関することが仕事になったら?
フランスで「これかも!」と思えた思想や生き方を
もっと議論して深めていったら?そしていつか
そんなことが書けたなら そしてそれを面白いと
思ってくれる人がいたなら そんな嬉しいことはない。


 全ての世界が遠かった。 全てかつて 高校生だったころ に
遠く夢見ていた世界。パリもカフェも 喫茶店も 写真も 
文章を書くことも 思想を深めていくことも いつか本を書くことも。
いつか彼らのように 日仏学院でパラパラと本をめくりたいって
かつての私はそう思ってた 沢山のことに憧れた。
そんなことたちが なんだかだいぶ目の前に現れはじめてきたようで
それだけで私は嬉しい。


 例え実現しなくても ワクワクできた それだけで
私は本当に嬉しいと思う。だけどきっと ワクワクして
その感情で胸がいっぱいになってたら「引き寄せの法則」で
それが現実として現れる日が来るのだろう。
現に私はパリに行けたし、パリのカフェで議論ができた。
カフェゾイドにも通えたわけだし 喉から手が出るほど欲しい!と思ったら
きっと叶う日がくるのだろう そうであって欲しいなあ



 本当に遠かったのにな これからもっと 
いろんなことをやってる人と 東京でパリ的なことを
している人たちと 近づいていけるのだろうか
私もいれてもらえるかなあ?東京とパリを結んで
相互作用を起こしたりする そんな日がいつか来るかなあ
パリのカフェ 東京のカフェ パリのガイドに
日本のガイド いろんな視点が混じり合って
何か面白いことが生まれて来たりするのかな
きっと そうなっていくのだろう。
そうしてその視点で活かしたものを
今度は書いていくのだろうか


 私はオルタナティブは日本とフランスの中間あたりに
あると思った。フランスにはまだまだ学べる思想が
沢山あると思う。 だからそれを吸収したいと思っていたけど
東京でも できることはまだまだ沢山あるのだろう。


 なんだかよくはわからないけど 今日はやたらワクワクできた
ワクワクの力はすごい。東京が面白いのは こうしていつも
面白い誰かと話して「東京をパリにしよう」とか
ダイナミックなことを言っちゃう そしてそれを
よしととらえる そんな文化があるからだろう。
それが京都に欠けていて 私が求めたものなのだろうか
東京ってと思っていたけど 東京はやはりクリエイティブだ
都市っていうのは 人が魅力なんだなあ。

夢を実現に向けるということ

2011年07月27日 | フランスへの道


 相変わらず人生色々悩んでいますが
もう不安とか悪いところばかり見てると
苦しみでおかしくなりそうなので
現状のいい面だけを見るようにしよう
人間ここまでくるとポジティブになるしかないのか、、、
とかなんとか思いながら。


 諦めたらそれで試合終了?
はじめからうまくいくことなんてない?

 そんなのが私の信条でもあるように思っているから
まだ もうちょっと 諦めないでやってみようかともがいたり。


 最近は苦しみの一方で自分一人でワクワクできることも
少しずつ起こりはじめて 今日は母と行った
素敵な豆腐屋さんで写真を撮り始めたらなかなか
いいのが撮れて いやーやっぱり写真っていいなあと思えたりして
そうか 今のうちに沢山撮って パリで売れたらいいよなあとか
そんな考えがまたムクムク湧いて来たりする。


 それから今日は東京のカフェで開催されている
日仏交流会みたいなのに行き フランス人と話をしてたら
あー 私 なんか随分話せるようになったんだなあ
それになんだこの態度 初対面なのにまるでものおじしないじゃないか!と
自分の積極的な姿勢にちょっと驚いた。


 これは意図的にそう心がけたわけじゃないけど
フランスではこうだったのかな?そういえば
よく話しかけたりしたよなあ っていうか彼ら
テンポめちゃ早かったし あのテンポに合わせて
自分も入っていかないと!とけっこうがんばっているうちに

 なんだか上達したんだなあ、、、


 たしかはじめて京都の日仏交流会に行った頃 は
留学のあとだったけど 彼らのテンポの早さや
流暢に楽しげに話す感じに まったくついていけなかった
あともう1回は留学しないと そんなの無理!と思ってた。
でも今は なんだか楽しく会話ができて なんだかテンポに合っている


 なんだかそれがとても嬉しい。
なんだ 私けっこうできるじゃん、、、


 それでParis-Bistroの話を少しさせてもらったり
出会った人とお話してたら「まあパリと京都に住んでたんですか!
そりゃ理想的ですね!うらやましい」と言われてしまい
そうかなー と思ってたけど たしかにそうなのかもしれない。


 私 あんまりわかってなかったけれど 自己評価が低くて
大変なことになっていたけど けっこういい人生なのかも、、、
そうだよねー カメラマンだってさせてもらえて
そのころはパリでカフェの写真が撮りたくて
「いつか」を夢見て撮っていた。記事を書くのも
やってみたかった。「日仏」に関することに
行ってみることくらいはあっても それと関わる仕事だなんて
ものすごく遠いことだった。私仏文科じゃないしなあとか
カメラの専門学校だって出てはいないけど
それでも一冊本があるから なんとなくそれらしい何かはあるわけで。


 そういえば 本が形になって家に送られてきたとき
あの茶色い分厚いカバーをみたとき(本の表紙をめくると
けっこうしっかりしたカバーがかかってるんですよ!)
すごい感動したよなあ。今日はParis-Bistroの自分で作った
チラシが家に届いて なんだかけっこう嬉しくなった
こういうのが 夢を現実化するっていうことなんだなあ
夢みて それに近づいて とにかく何か形にしてみる
カメラマン?無理むりと言われていたけどなんとかできた
それでお金をもらっていたじゃないか。
今では気がつけば翻訳でお金ももらっているし
けっこう上手になれたと思う。フランス語だって
一晩でできるようになんかなるわけもなく
今使っている単語たち をいつだったか苦しい思いを
しながら単語帳をめくって覚えていったわけではないか


 そうさ 私はいつかパリで仕事がしたいと思ってた
帰国子女に憧れたけど なれなかったから。 私は
自分で行こうと思った もし自分でそれができたら
それはかなりすごいことだと思ってた
そして子供を帰国子女にさせてあげたい 確かにそう思ってた。


 
 夢とか 憧れとかっていうのは
意識してそれに届くものもあるけど
気がついたら がむしゃらにやっていたら
それに近い自分になってたというのもあるのだろう
フランスにいた3ヶ月 私はただがむしゃらだった。
何もよく見えてなかった でもやっぱり
フランス語は上達したし だいぶ色んな世界が見えて
語れるようになったらしい 「仕事でフランス語を
使ってるんですか?」と問われてみれば
そう 確かに仕事でフランス語を使ってる。
いつのまにか そんなことに なっていた
なんだか不思議なことだなあ


 弱い面やできないところをみはじめると
きりがなくって落ち込むけれど 私もけっこう面白い?
そうだ普通の人は東京から京都に住むことすら
なかなかできないかもしれないのに 私はパリにも
京都にも住め その上いろいろふらふらしていて
しかもまたパリに行けるかもしれない。
それだけですごいことなんだよな!


 夢を形にしようとするのは そんなに簡単なことじゃない
でもそれはとてもありがたいことなのだろう。
誰しもができるわけじゃない いやもしかしたら
はっきりと描きさえすれば 意外とできるのかもしれないけれど
私はなんだかとても恵まれたところにいるんだなあと
今日はなんだか思わされ それってとっても嬉しいことだ。


 もっとフランス風のカフェに関わってたり
もっとパリに居られたり もっとフランスのことが
わかったり 誰かにそれを伝えられたり
日本もいろいろふらふらできたり そんなこと が
「仕事なんです」って形にできたら そりゃあ
言うことないよなあ 中学生のとき夢に見た
フランスは遠い存在だった。でも今なら近い
それは私にはよくわかる。


 カフェも写真も書くことも、パリに関わっていくことも
みーんな遠い オリーブみたいに ただ憧れの存在だった
今の私は? なんだか近づいていっているような
どこまでいけるかわからないけど 夢を形にできるのだったら
やっぱりそれは大事にしたい。もっと写真も撮っていたい。

自分の道

2011年06月21日 | フランスへの道

 もうすぐ3ヶ月が経とうとしてて
もうすぐに 日本に発とうとしてるのだけど

 私何しに来たのかなあとか
どうしてパリだったのかなあとか
いろいろと思う処はあったけど

 今日今回の滞在ではじめて行った
モンパルナスのカフェに座って
私のブログを読んでくれていた日本人で
地震のあとで子供を連れてこっちにきた人とお話させてもらって

 やっぱり私は 女性に関して
女である そして母になってしまった
そんな自分が身をもって体験した経験の違いやら
違和感やら それからそれらを補う知識を獲得しながら
何かを書いていくべきなのかなあと
なんだかそんな気持になった。


 パリにきて ブログを書いている人は山ほどいるけど
彼女によれば私の視点はなんだかちょっと違うんだそうな
そういえば 京都のニュータウンにいたときに
ちょっと日常のものごとを違う視点から捕らえて
そんな視点の話ができたとき 私は本当に嬉しかったな
何が違って 何が違和感のもとなのかとか
じゃあ何がどうなったらもっと素敵になるのかだとか
私にはまだよくわからないけれど

 だけど彼女も言っていた。パリはやっぱり
日本にくらべて子育てしやすい。ここで出会った
もう一人の日本人ママも言っていたけど
ここはママになっても「ママだけ」の自分に
ならないですむ。例えお金がなくっても
例え子供を保育園に預けることも
乳母に預けることさえできなくっても
ここでは日本と同じ「ママとして子育てをしている自分」
であっても なんだか機会が開かれている。
それは社会的な インフォーマルパブリックプレイスや
インフォーマルパブリックライフで満ちているから
なのかもしれない。


 私はここで 3ヶ月 保育園にも預けられなかったし
ベビーシッターも たぶん全部で10回くらいしか
お願いできてなかっただろう それ以外は
仕事だって 子供を事務所に週に3回連れて行き
「わかったね?ここでは蓮太郎はねんねがお仕事!」と
言い聞かせ そうしてなんとか仕事をしていた
だから日本の状況に比べたら よっぽど大変だったわけだけど
それでも私には「ママと子供!」という閉ざされた
時間と関係だけでなく 人間らしく 大人らしく?
楽しめる機会が存在していた。例えお金がなくっても。


 例えばカフェのカウンターに息子と行ってみるとする。
カウンターからの眺めはなかなか素敵でエスプレッソは
美味しくて もう眠くてどうにもならない!という時には
とてもいい場所なんだけど 息子を足元でちょろちょろさせて
5分くらいちょっといい気分を堪能できて それで
会計は1ユーロ。それが私にはたまらなかった。

 それにパリの公園は もともとたぶん大人のために
つくられていて 緑や木陰が本当に気持いい。
しかもしょっちゅういろんな種類の花々が植え替えられていて
それをタダで眺めて匂いをかいで うーんなんだか
いい気分。私たちがいた5月はバラの最盛期で
事務所の隣の公園は本当にきれいだったし今はラベンダーが満開だ。


 昨日はビュット・ショーモンという公園で
イベントがあるらしいというので行ってみたら
なんと一番の高台から(この公園だけはパリでも
高低差がある、ちょっと丘とかがあって日本人には
ほっとする公園だと思う)ケーブルをつたって
一気に下まで滑りおりるというイベントを
やっていたのだけれど それも参加費無料で
誰でもそこに来た人なら参加可能というイベントだった。
街角でオペラを歌う人もいるし マルシェで
歌を歌う人もいるし 日仏交流会みたいなのに
きていた日本人の人はショパンを楽譜なしで弾いてくれるし
ここは才能の溢れる人が それを格安もしくは
タダで提供してくれたりすることが かなり頻繁にあるようで
そういう機会が道行く人にも開かれている
それが私にはとても嬉しいことだった。


 例え美術館に行けなくっても
ここにはギャラリーがいっぱいあって
オープンギャラリーイベントみたいなのも
通りすがりにやっていたから 酔っぱらったついでに
そこにも子連れで入ってみたりして そういう
社会の中で楽しめる機会に満ちている
それが私にはやっぱり嬉しい。
(不思議なことにタダでワインが飲める機会も
私には一杯あった)


 だから私は ここで子供と2人だったけど
それでもなんとかやってこれたのかなあ
ママだけど ママなだけじゃない! 私はずっと
そう思ってた いいママを演じようとするのはつらかった
でもパリにはあんまりいいママらしい人なんて
見かける機会もないようで(日本人ママを見ると
わーすごいなあ よくやれるよなあと
私は関心してしまうけど)まあいっか
ちょっと夜遊びしてみても まあいっか
ちょっと子供とカフェでご飯を食べてみたって
そんなことをしてみると なんだかまわりの人も優しく
蓮太郎もまた嬉しそうなのがなんだか不思議。


 私はもっと 本当は
自分をがんじがらめに縛ってきた
苦しい価値観から解放されたい
それがきっと 私だけでなく 誰かを少し
解放することにつながるのだろう
私が苦しいということで 声を発してみることで
苦しいことにも気づけなかった そんな人が
私だってほんとは泣きたかったと気がつくことがあるのだろう
ずっと我慢と思っていたけど その先に何があるのか
その先には何もないのか それとも穏やかな未来が待っているのか
私にはわからないけれど 私に道があるのなら
それはきっと もうすこしリベラルな方向に向かう道なのだろう


 今日は偶然にもその人と一緒にモンパルナスの墓地に行き
入ってすぐにボーボワールのお墓を見つけてお祈りできた。
私にも道ややるべきことがあるのだろうか
どうであれ なるべくちゃんと 書き続けよう。

パリのしあわせ

2011年06月19日 | フランスへの道

 最近はもうすぐ帰るしいろんな人と
話もしたいしと沢山の人に会いながら
うーん私どうしたいんだろ 何をしたいんだろと
考えたりして そんなにまでしてパリなんだろうか
日本食ないと生きられないくせに と 毎日のように思う。


 それでも今日 この滞在ではじめて美術館に行かせてもらって
なんだか本当に久しぶりに絵をみて立ちつくしてしまい
あーこんな経験ができるパリっていいよなあと思わされる。


 思えばはじめはカフェにも行けず、息子とカフェに
行くことをがんばってみようと決意して それから
何度もカフェに通えるようになったから 今では
息子とカフェのカウンターに行ったり テラスに座って
ショコラを飲んだり それがなんだか普通になって


 そうかつて できなかったことが
 そのうちできるようになっている


 今日ははじめて美術館に行って もう難かしすぎて
わからない!!と10年間思っていた展覧会の
解説を なんとなく読むことができて驚いた。
あー私 毎日翻訳やっていたから だいぶわかるように
なったのかなあ?かくいう私は 留学から帰ったばかりの時に
フランス語を読む授業をとって 何がかいてあるのか
さっぱりわからず フランス人の先生に「あなたパリで
一体何を勉強してきたんですか?」と大いに嫌味を言われて
とてもショックを受けたことがある。つまり 私にとっては
この「読む」という力は「留学したから」じゃなくって
日本でなんとか獲得してったものなんだ


 そう それは カフェの本を読んでいたからで
それらのことを知るたびに 少しずつ芸術に触れ
文学に触れ いろんな名前を覚えていった。
昔住んでたときにはよくポンピドゥに知り合いの人がいて
ただで行かせてもらってたけど 彼に「フォーブって知ってる?」
といわれても「知らない」「ブラックって知ってる?」「知らない」
その繰り返しだった留学時代。今ではだいぶよくわかる。
そして今日オランジェリーの美術館で はじめて未来派の
人の展覧会をみて そこにはなんとポール・フォールという
モンパルナスのカフェで詩のつどいをはじめた偉人に
捧げられた絵がかざってあって なんとその絵には
彼が創刊した雑誌が切り抜いて貼られてた。


 私は本当に嬉しくなった。だってそんな名前だなんて
もう何年も前から知っていたけど そういえばシュールレアリストの
雑誌だったりも 名前は知っているけれど実物を目にしたことはない。
絵だってなかなかみられないのに 今日はその時代の雑誌の表紙を
目にして その絵にはポール・フォールの名刺やら
雑誌に詩を掲載した人たちの名前が書かれた目次も貼ってあり
その名前を逐一目にして行くと わー あの人もこの人も!
あ これはサルモンの先輩詩人だ そうそして今日その先輩が
語ってたブラッスリー・バルザールにはじめて私は行ったのだ!とか
なんだかとっても嬉しくなった。その時代のことになる と
私はなんだか友達みたいで あの人もこの人も と
彼らのことをもっと知れるのがなんだかとてもうれしいみたい。



 オランジェリーははじめて行ってみたのだけど
モネだけじゃなくって 私の大好きなアルフレッド・
シスレーの息をのむような風景画とか 絵の前から
動けなくなってしまうようなセザンヌの絵とか 
たくさんのマティスやピカソ、それにはじめて
目にした大量のスーチンの絵に 本物のユトリロもある。
モンマルトルの絵だなんて かつて京都の児童館の階段に
飾られていた そんな絵を息子とみながら
「あれがねえ パリなんだよー」と遠いなあと思って
見ていたの に 今目の前にはユトリロがあり
息子とは蒸気機関車バスでモンマルトルを探検できた
(カフェも2人で3回くらい行って来た)
なんだかそれってすごいなあ。
ちなみにここにはマリーローランサンの絵と
アンリ・ルソーとモディリアーニの絵もあって
1900年代から20年代に興味がある人には
もってこいの場所だった!!


 というわけで パリってやっぱりすごいなあ
だって本物がこんなに大量に存在してて
だけど入場料は展覧会含めて千円くらいで
かつ18歳以下は無料らしい!!
それからプレスは無料なんだそうな
うちの代表はめちゃかっこいい「プレス」
カードをもっていて それがあると
いろんなところがプレスのパスで入れるらしい
私もいつか欲しいなあ


 私はまた ここに戻ってくるのだろうか
それはしあわせなことなのだろうか
パリのカフェに行けるのならば?
そこに友達がいるのなら?もっとフランス語が読めたなら?
まだ私にははっきりとはわからないけど
帰ったらまた ここにしかなかった何かがわかるのだろう
幸せって何なのか なんだかいまいちわからないけど
今日は本当にうれしくなった 美しいものと美味しいものが
日常にある そんな生活ができたらなあ


 


パリでお茶会

2011年06月12日 | フランスへの道


 今日は念願だった「パリでお茶会」を
ついに着物で開催できて 少しずつ
自分のノートに書いてたことが
叶いつつあるのかなんて ちょっと思えて嬉しくなった。


 ここ最近は(ここ最近も?)あーやっぱり
うまくいかない!!とネガティブモードが全開になり
やっぱり日本で暮してた方が合うんだわとか
やっぱりここじゃ無理だろうとか
色々諦めモードに入っていたけど


 どうしてなのだか 時折いろんなアイデアが降って来て
はーこんなのしたら面白そう!とかって思うと嬉しくなる。


 私は結局の所日本人で 日本食がないと生きられないし
今日も着物を来たりしてみると 意外なことにホッとして
お茶会でお茶を飲んでもものすごくホッとして
パリに居ればいるほど日本的なものが恋しくなる
(そうはいってもあまのじゃくな私は日本で
フランス風のとこに行こうとするのはよくわかってる)

 日本って すごい国だったんだなあ と
この2ヶ月間でよくわかり かつて日本にいたときには
フランス人に言われても なんのことだかわからなかった
生活の美やら繊細さやらというものが
本当に誇りに思える大切なものなんだって 
ここにきてからよくわかる。


 日本にいると 窮屈で もう少し自由があったらいいのにと
いつも思っていたけれど フランスはかなり奔放だったり汚かったり
シックな人たちもいるけれど それは一部の限られた層で
日本のどこにいってもご飯がおいしいとか 素敵なものに
出会える可能性の高さとか なかなかすごいんだなあと思い知らされた。


 ところでそんなもの がもっとパリにもあったらいいのに
もっと美しい着物とか もっと美しいお皿とか
そんなのが身近に買える値段であったらいいのに
先日通りすがった日本の骨董を売っているお店は
お茶を入れるナツメというのが70ユーロからだったかな
一番高いのも見せられたけど 一番高いのを見たあとじゃ
70ユーロのは大したことはことはないわけで
でも日本で70ユーロだしたら けっこういいのが買えると思うんだけど


 私にはまだよくわからないけど 私は職人さんが好きだった
伝統工芸も大好きだった そういうところに もっと
フランス人を連れて行ったり 彼らの作品を
ネットで紹介してみたりとか もっと美術館ではなくて
触れて使える そんな機械があったらいいだろうにと思ったりする
日本の美 は 美しい。 でも 日本 は とっても遠い
日本のガイドもいいんだけれど もうすこしここに居ることができるなら
まずフランスで面白いネットワークがつくれたりしないかな


 今日は友人宅で友人だけのための小さなお茶会を開催し
(自分で全部やったのはこれがはじめて!)そのあと
かつて茶道部だったという日本人の子と話してて
パリのお茶会のこのリベラルな雰囲気がなかなかいいから
じゃあ今度は彼女の専門の明かりをつかって何かやったらどうだろうとか
そんなコラボお茶会の話が出たりして そういえば
私の大切な奈良で買った素敵な蚊帳の中で 一度
お茶会をしてみたかったと思ってたとか
そういうの きっとはじめてみたのなら
パリにはすごい日本人が沢山いるから
(そして日本の雰囲気や味が恋しくなるから)
きっといろんなアイデアがどんどん湧いて来るのだろう


 そうそんなリベラルなお茶会をして
いつか日本で 友人たちともお茶会をしたい
もっと自由で でもいい雰囲気な あまり縛られないお茶会を
それからいつか 日本料理の簡単な教室みたいなのもしたいなあ
そんなことを思っていたら 事務所の前の公園で
めちゃくちゃ素敵だと思っていたママと長いこと話す機会があって
「日本食大好きなのよ!」という話になったり 彼女が
料理に情熱があって 私がフランス料理も学びたいとか
こんど できたら何か一緒にしてみようとか
そんな話になってうれしくなった。
日本?パリ?私はとっても日本人なわけだけど
日本の美しい物も大切にしながら 何か私にもできることがあったなら
もうすぐ日本に帰るけど そしてまたここに来れるのかはわからないけど
日本って なんだかすごいと思えたから ちょっと帰るのが楽しみだ。

パリで仕事?

2011年05月31日 | フランスへの道


 「ミキ、今度の土曜は何してるんだい?
シャンパーニュに行ってみる?」「は?シャンパーニュ?
って 飲み物じゃなくて 場所のことですか?」と
あまりの突然の申し出に目を丸くしながらビストロの
仕事の代表の言葉に答えてた。
「そうだよ パリから50キロくらいだからね」


 あまりに突然だったので その日はちょっと無理だったけど
今日は息子を事務所の人たちに預かってもらい
シャンパーニュまで行って来た。


 シャンパーニュ、シャンパーニュ!!
母に話したら「まあ夢みたいねえ うらやましいわ」と
言われたりして 私の中でも夢みたいで
そう 夢みたいではあったのだけど


 なかなか道は困難だ。


 「今回は大事だからね なんとかして
広告がとれるようにしないといかん」と念を押されたものの
10年ぶりくらいに身をおいた いわゆる
ほんまもんの高級フランス料理のお店に招かれ
代表とシャンパーニュの会社の人と一緒に
昼食会をさせてもらったのだけれど
もう2人が会話しはじめると 一生懸命聞こうとしても
60%くらい理解するのが精一杯で
ここで食い込まなきゃと思っても
入って行くのは難かしい。

 だけどだまってちゃ絶対だめだ!!
だまってたら石になってしまうと思って
少しでも隙があったり 興味の持てそうなことがあったら
なるべく質問するようにしたけど
それでも気持はかなりできなくてごめんなさいモードになって
だいぶネガティブになってしまった。


 あーあ ここまでやってきたのに

 これじゃあ進めないのかな


 あーあ ここまで来たというのに

 やっぱり難かしいのかな


 そうして諦めたくなってしまって

 フランス料理は私には重すぎるだとか
ついこの間まで日本で専業主婦だっただけなのにとか
弱音を吐きたくなってしまう。


 それでもこうして 沢山の素晴らしい機会を与えてもらって
ギャルソンレースに行かせてもらったり
サンジェルマンデプレのカフェを巡るマラソンの取材を
させてもらったり(よかったら読んでみてください
お金はないけど ただで
美味しいお酒を飲める機会を沢山もらったり
(今日ははじめてシャンパンが美味しいと思えて幸せでした)
念願のワイン畑を見せてもらったり 普通の人は
入れないところまで 代表が一緒だから
行かせてもらえたりできるのだけど


 それだけで すごいことなんだけど


 お金がないとか どうやって稼ぐんだとか
生きていけるのかとか考えだすと
あー やっぱり、、、 と後ろ向きになってしまう


 それでもここまで来たんじゃないか


 私の今の状況は 何一つ確かといえるものはなく
確かといったら蓮太郎が私を好いててくれることくらい?
それ意外にはもう 神のみぞ知るとしかいいようがない
日本で違う未来が待っているのか それでもパリにまた
来ようとするのか 東京が実は合っているのか
田舎で暮した方が実はいいのか
私にはよくわからない


 それでもここまで来たということ


 それだけでも 何ヶ月か前の私には夢のようで
1年前には「お願いだからちょっとでいいから
カバンもちでもさせてください」と思ってた
今はカバンもちじゃなくって 一緒にいろいろ
取材するときに連れて行ってもらえるようになり
私もだいぶ記事を書いたりさせてもらえるようになった
それは何年か前にしたら 本当に夢の様なことなわけで



 1年前にはワインのことなんて 全くもって
わからなかった ワインなんてまずいじゃないか
くらいにしか思ってなかった そんなワインしか知らなかった
だけど今では スーパーの棚をおそるおそる見てみたら
この仕事のおかげでかなりの名前を知っていた
あーあれはなんとかで 確か魚に会うんだそうな
あーこれはフーデックスで試飲したやつ
そうそして今日は2種類の本当においしい
シャンパンを試飲させてもらって おかげで
シャンパンが美味しいこともわかったし
同じシャンパーニュといっても味にいろんな違いがあること
それから知らなかった製造方法もわかって本当に
勉強になった そんな今 は 未来への
はじまりなのだろうか。



 フランスは パンとハムとチーズとワインの国で
おいしいけど こってりしていて 時には嫌になったりもして
ものすごく和食が恋しい(そしてしょっちゅう和食を
つくって身体の均衡を保ってる) ここにきてから
沢山の人の話や自分の経験で 日本のよさもよーくわかった
日本のあの繊細さや 食の豊かさや美しさ
そういうのが恋しくなったり 素敵だなあと思ったりする
だけど日本に帰ったら?きっとまたここが恋しくなるのだろう
そんなこともうこの10年くらいでよくわかっているじゃないかと
自分に何度も言い聞かせてみたりするけど どうなのかなあ


 日本とフランスを行ったり来たり
お互いにお互いのいいところを紹介しあって
お互いのいいとこどりができたなら
それで素敵なのかなあ フランスがいいとこもある し
日本が優れてるとこも沢山あるわけで
それでもフランスでなんとか仕事をしたりしたいなら
ここにいてフランス語にまみれているしか方法はないのだろう
何かできることがあるんだろうか
私だからこそ できることって あるんだろうか
少しでも道が開けてほしいのだけれど
諦めるまえに 奮闘してみる それが私の道なのだろうか

2011年05月24日 | フランスへの道



 夢っていったい何のためにあるんだろう
 

 諦めるためにあるんだろうか 

 それとも叶えるためなのか

 それがあるとなんとなく明日に向かえるからなのか


 フランスにはなんだか味わい深い表現が沢山あって
「人生は美しい」とか「人生は大変だ」とか
そんなことをみんなしょっちゅう言っていて
それでもたまに夢をみている。


 「私がいつかもっとお金持ちになったらね
モンソー公園の横のアパルトマンを買うのが夢なの」
(彼女はすでにエッフェル塔のほど近くの高級住宅地に
住んでいる)「もうちょっと稼げるようになったらねえ
やっぱりサンジェルマンデプレは味があって素敵だからね
ここに住めたら素敵だろうねえ 今住んでいるところは
お金持ちが多いけど大事なのは金 って感じであんまり
好きじゃないんだよね」(そうはいっても17区はなかなか素敵)


 そんな風に ちょっとした夢をみたりして
「いつか日本に行きたいなあ 来年だったらいけるかしら」と
そんなことを言ってたり 夢って一体なんなんだろう。


 昨日たまたまちょっとだけ「おくりびと」を観ていたら
主人公が高級なチェロを買ったけど楽団が解散になり
チェロを手放したらなんだか楽になったんだそうな
それで「自分が夢だと信じて来たものは自分を縛っていた
だけかもしれない」というようなことを言っていた。
私はそれがとても日本的な哲学だなあと思わされ
どっちがいいのか 諦めたら気が楽になってまた
違う世界が待ってるのよというものと 追いかけてみるのと
私にはよくわからない。


 
 そんな私は 昨日Paris-Bistroの代表とともに
サンジェルマンデプレの42軒のカフェ、ビストロを
飲み歩くというマラソン
(42キロのかわりに42軒)を
取材させてもらい 憧れのフロールやリップやドゥマゴの前で
猿やらクロマニヨン人の姿に変装した恐ろしい姿の人たちが
楽しそうにビストロを巡り 会話しバカなことをしまくり
踊ったり歌ったりしている姿をずっと見ていて
何だか不思議だったなあ
(また記事を書くので見てください)



 私はその代表とこの仕事のおかげで
今まで遠い世界だったサンジェルマンデプレやらフロールやらが
なんだかちょっと身近になって 最近はお金を一銭も払わずに
そんな素敵な空間にいっておいしいワインをもらったりする
機会がちょっとずつ増えて来て(でも私は2杯が限界なので
昨日は本当に酔っぱらって気持悪くなりました)
こうやって サンジェルマンデプレのカフェに
代表と行かせてもらって 彼の後についてカウンターまで
いってみたり プロコープの中をのぞいたり
いろんな人を紹介してもらったり
昨日はそんなで役40軒のカフェを一緒にうろうろしてた。
最後はもうふらふらになっていたけれど
それでもこんな機会があって(伝説的な
このマラソンが開催されたのは4年ぶりらしい)
そこにちゃんといかせてもらって
久々にカフェの写真をここぞとばかりに撮りまくり
私はとっても嬉しくなった。


 パリはそう きっと勇気と忍耐があったなら
かなり楽しくなるんだな あともちろんフランス語。


 そんな酔っ払いだらけの街を歩きながら
代表と話をしてたら彼はこう言っていた。
「僕はね この雰囲気が本当に好きなんだよね
だって日常でいろんなことがうまくいってなくても
この日ばっかりは忘れられるだろ?」本当にそうだなあと
私は思った。そして彼は「こういうイベントはね
みんなと同じレベルにならないと彼らは口を開いてくれないんだ
水だけ飲んでたらきけない話もいっぱいあるよ だから飲もう」と
プラスチックのコップを片手に彼は一体何杯飲んだのだろう?
カフェをめぐり いろんな人と交流し その記事を書き
美味しいものに触れていられる それが仕事になるのなら
なんて素敵なんだろう 


 夢というのが何なのか どれほどの価値があるものなのか
使命とか何かがあるものなのか 私にはよくわからない
けれども多分こうした経験をさせてもらっていることも
フランス語をがんばっていることも 息子とカフェに行けてることも
みんなかつての私からみたら「夢を叶えた」ということなのだろう
だって息子とパリで笑っていられるなんて
なんだかそれは不思議でならない。


 そうして彼らは言うのだろうか
「大変なこともいっぱいあるし やっぱりいつもお金はない
それでも人生は悪くない?」悪くないんじゃないでしょうか
こんなにもカフェがあって だれかとのコミュニケーションの
可能性も広がって 公園ややたら緑やらお花が溢れているし
お金がなくてもすばらしい光景を目にすることが
けっこうできるし(先日はヴォージュ広場という美しい
石造りの広場の片隅で一人でオペラを歌っている人がいて
めちゃくちゃ美しかったので長いこと聴いてしまいました。)
どうしてパリには いろんなことがこんなに溢れているんだろう
どうしてここの光はこんなにも美しくって
パリのカフェのテラスはまばゆい光を放つのだろう
それはただ 太陽光線が日本と違うだけなのか
他にも理由があるんだろうか
パリジャン達は決して満足することなんてないけれど
それでもここは なんだか素敵な街だなあ と日々思う。

夢に向かって

2011年03月07日 | フランスへの道
 
 京都の家で家事をしてると
なんだかいっつも苦しくなって
もうどうしていいのかわからなくなってくるけれど
そんな私を救ってくれて 希望を見出してくれる先は
いつもその先にある世界。


 子供を生んだばかりのときに
我が家に国際電話がかかってきたとき
「パリのローランだけど!」と言われて
心の底から驚いた。パリ、、、?!
って 存在しているのだろうか
私には京都の家の4畳くらいの世界しか
その時存在してなかったから
本当に意味がわからなかった。

 その高い楽しげなトーンの声に
私はとても驚いて 2年以上たった今でも
その時のことが忘れられない。


 子供を生んでみてからは
それでもやっぱりフランス、、、と
やたら想いが強かったけど
そんなパリはまだこの世にちゃんと存在してて
私が知ってる世界というのは 目の前に
壁のようにそびえたつ あの団地だけではないらしい。


 さて最近は激しい苦しさを抱えながらも
ほんの少しの希望を抱いてなんとかかろうじて生きていて
今日はこの先の計画を自分一人で考えていたら
さっき国際電話をしていたパリの人から
ほとんど同じようなことを提案されて驚いた!


 そうそうそれ!まさにそれをやろうと思って
今日書いていたとこだったんですよ!やっていいの?
そりゃなんて嬉しい、、、そんなこと 
させてもらえるのなら 本当に私は嬉しい
取材とかもっとしたいなあ 日本のカフェも
日本のワイン学校とかも それから
パリでがんばっている日本人から
のちのちはParis-Plageとかまで
手をひろげて インタヴューしてみたらどうだろう。


 先日のFoodexでは即席「プレス」になったけど
職人さんや 想いをもっている人達の
話を聞くのが高校のころから好きだった私にとって
そして呼ばれてもないのに やたらにそんな展示会とかに
足を踏み入れていた私にとって これはけっこう向いているかも
と思ってしまった。 カメラ片手に 文章書いて
ザック背負って?ザックの中にはパソコンだろうか
昔一度新潟の職人さんの取材させてもらえたときは
本当に楽しかったなあ そんなことがまたできたなら
それが今度はフランスのワイン生産者だったなら
それほど楽しいことはない。。。


 苦しいことは山づみだけど こうして時折
夢をえがいて むふふと思える
それがしかも 私だけの空想ではなく
誰かがそれをできる機会を用意してくれてるのなら
こんなに嬉しいことはない。何だか前に進んでいけそう


 あの日6月のカフェシャルボンで
私たちは語り合っていた。そうそう まさにそれなの!と
日本とフランスはこんなにも遠いのに
不思議なことに シンクロニシティが起こりうる。
そうそう もっと深い意義のある旅を
提案できたらいいよねえ そこで日本語でガイドして と
それから私はガイドの試験を受験して
なんとかそれも受かったみたいで
この先も夢が広がるけれど
仲間がいれば 協力者が いたのなら
夢は叶って行くのだろうか

 きっとこれから面白くなる
私たちはもうはじめてしまった
神様はきっと「ひきかえしても無駄だ」と
私に言いつづけてる。後ろを向くより前を向いて
振り返らないで進んで行くこと なのかなあ
死にそうな顔じゃなくって
思いっきり楽しそうに 笑ってカフェで
議論している そんな日 が くるのかなあ

 応援してくれる人がいるから
やるべきことは山ほどあるから
不安からスタートするのは もうやめにするべきだから
不安じゃなくってワクワクを もっと大切にして
眼前に描かれつつある きっと実現可能なはずの未来を
しっかり見据えて歩きたい。



フランスに行くなら

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