alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

産後鬱

2018年10月02日 | 女の生き方
私が子供を産んだのは28歳の時だった。
当時はまだフェイスブックもアイフォンもなく、
人と連絡をとるのはガラケーかパソコンのメールくらいしか手段がなかった。
京都に住み、京都で出産を決意した私に待ち受けていたのは
恐ろしい孤独と産後鬱だった。
けれどもひたすら子育てに振り回され 泣く子供に
なんとか対処しようとしつづけている自分には 自分の状況を
省みる余裕なんてあるはずもない。

人生が急に子育て120パーセントになってしまった産後すぐ
私が試みた唯一の抵抗は お茶を飲むこととこのブログを書くことだった。
10年が経ち、最近の苦しみの中で、私が経験してきた苦しみは
何も神様が私に長年の罰ゲームを与えたかったわけではなく
多くの日本人女性が今でも経験しているであろう状況を代弁するためだったのだ、と気がついた。

私が子供を産んだのは友人達の中ではダントツに早く
もっと先に知っておけばよかったことも、聞いておきたかったことも
山ほどあった。これにあと3年早く出会っていたら違ったのにという
知識もあった。だから私は伝えたい。
日本では今でも当時の私同様に子育てに真剣に向き合いながらも
苦しんでいる人がいる。自分では一生懸命頑張っているのに、
周囲の人から責められ、冷たい目線を
投げかけられ、自分勝手呼ばわりされ、心が張り裂けそうになっている人がいる。
今の日本で何が起こっているか知れば知るほど、この中で子供を育てながら
自分らしい人生を送ろうだなんて
不可能に近いと思う(ごく数%の経済的、社会的に恵まれた人を除いて)
けれども誰1人声を挙げなければ
この状況は改善されないだろう。
状況改善のための1つの策は私が研究しているインフォーマルパブリックライフを
充実されることだけど、日本の母親が置かれている状況を
もっと多くの、特に当事者以外で少し余裕のある人が認識し、
少しでも当事者意識をもって、じゃあどうすればいいかと考えること、
それが大切だと思う。

せっかく行ってきた唯一の抵抗だから、少しずつ書いたものを
まとめていこうと思います。

まさに産後鬱を(それとは知らずに)経験していた私が
出産2ヶ月目に書いていたもの。

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 今朝ベビーカーを選ぼうとして 昨日もらった
カタログをめくっていたら ベビーカーのカタログなのに
育児についても詳しくいろいろ書かれててちょっと読みつつ
疑問に思うことがある。

 
 子供にとって お母さんは大切で
お母さんが余裕を持って子供に接してあげることが
一番大事で それが子供の人生の基礎になるのだと書いてあるけど
それを三才までにちゃんとするのが大事なんだと書いてあるけど

 私も育児を初めてみてから 大変な思いを経験し
何人かの実際のママに話しを聞いて
ほとんどみんな ノイローゼになりそうという
そんな状況に陥ったことがあるそうだ。
母乳育児の話もしかり 育児ノイローゼの話もしかり
なんでそうなっちゃうかって 密室育児で
誰も助けてくれないからで そんな中
はじめての子育てを 一人ですんごくがんばってたら
お母さんには余裕がなくて 抱っこなんてできやしない。


 一ヶ月間京都にいたけど その最後の方で気がついたのは
あ!あんまり抱っこしてない!ということで
一人で全部抱えていると 「とにかく寝てくれ!」と
思ってしまい 抱っこして子供の目をゆっくり見ている
そんな余裕はどこへやら。


 けれども抱っこもちゃんとされずに おっぱいの時の
コミュニケーションもないままに 三才にまでなってしまうと
いろんな支障があるらしい。キレる子供と幼児期の
コミュニケーションについてちょっと書かれていたけれど
そんなんだったら みんなキレるわ だって社会に余裕がない。


 妊娠したら 母になったら 余裕をもって
ゆとりをもって 気持ちはいつもリラックス!なんて
どんな本にも書いてあるけど さっきまで働いていて
それでいきなり妊娠したって 母になったからといっても
周囲の社会に余裕がないのに 一人で余裕は無理がある。


 自分の周りが働いていれば 働けなくなるそんな自分に
ショックを受けて それはそれでストレスになり
周りのみんなが忙しくって 一人で子育てしなきゃいけないと
それもまた ストレスになり
必死でなんとかこなしているけど「余裕を持って!」と
言われてしまうと それもまた ストレスになる。
母乳にしたって さっきまで外食を楽しんで生きてきたのに
いきなり超古風な粗食だけ、で外食も甘い物も禁止になったら
それはそれでストレスだ、し 「母乳が絶対!」と
今の世の中で叫ばれて 叫ぶだけで 手助けしてもくれないのなら
それも大いにストレスで そうして母乳がでなくなる。
それらのことは決して母親個人の問題じゃない。


 キレる子供達だとか事件が起こったときにはいつも
母親が問題視されるけど 自分が子供を生んでみて
すごく思ってしまうのは どんな母だってがんばっている
だけどわからないことがある。 だけどできないことがある。

 その時助けが必要なのにそれが断絶されていたなら
彼女はどんどん孤立していき それが子供に影響してく
母のちょっとしたストレスを 子供は敏感に感じ取ってる
けれども密室育児で逃げ場がなけりゃ 彼らはそこに
閉じこもるしかないわけで そりゃーここまで
密室育児の世の中で 周囲はストレスフルに生きてて
育児が母親だけに押しつけられたりしていたら
事件も沢山起こるだろう。だって そんなじゃ
理想的な愛情なんて 注ぎきれるわけがない。


 今の私は 実家でのんびり 大家族の中で生きていて
だから母乳も続けられるし ストレスだってほとんどないけど
京都に帰れば あの恐ろしい密室育児になってしまう
それが嫌、で 息子ともっと外に出られる
そんな時までここで待ってるわけだけど


 みんなが外で 遠くに行って働いていて
沢山のストレスを抱えて生きている中で
母親だけが例外になれるわけもなく
本当は 育児がしづらい世の中も
母親たちの不安だったりノイローゼになる現状も
まさに社会問題なわけであり みんなで一緒に解決していく
そんな問題なのだけど いろんなことが「特殊な個人」に
押しつけられる。でも本当は 特殊に見えるその個人、は
社会を具現化しただけかもしれない。
だからこそ もっとストレスの少ない社会に
もっと子供が生きやすく もっと子育てしやすい社会に
そんな社会にしていきたいし、していかなければならないのだろう。

フランスに行くなら

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