alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

願い

2011年10月29日 | 私の人生

 人生 というものが 一体どういうものなのか
私にはわからないけれど 30前後でやってくるらしい
人生の転機とか大幅な変化というのがあるとするなら
私はちょっと早めにやってきてしまったようで
もう厄年も怖くない?というような気さえする。


 私がかつて出会った「何年も前に余命何ヶ月と
宣言された」という元がん患者さんたちは
素晴らしい笑顔で「今は毎日が楽しくて
病気はプレゼントだと思ってる」と言っていた。
あの時はさっぱり意味がわからなかったけど


 そうでもしないとわからないようなことを
神様は病気やら大変な体験を通して
誰かに教えてくれるのだろうか おそらく
そういうタイプの人は 人の話にちゃんと
耳を傾け 「なるほど、じゃあそうしよう」と
すんなりやれる様なタイプの人ではなかったろうから、、、


 それで?その後は?私もいつかこう言いたい。
「大変だったけど風邪みたいなもんだったのよ」
「あれがあったから色んなものを得られて
今はちゃんと幸せになった」そう笑って言ってみたい。


 あの時はすごく深刻に思えても 風邪みたいな
ちょっとした浄化作用 よくなるための
浄化作用にすぎなかったんだって いつかそう言ってみたい。


 
 しつこさ というものは 一般には悪いと
考えられているけれど それが効を奏する場合もあるようで
しつこく願う しつこく信じる 貫き通すというのは
大切なことであるらしい。信じる力。かつて
私の友人は私を「信じる!の師匠」と書いてくれたけど
信じるというのは自分と自分がこれだと思った未来を信じることで
沢山の人が「それはどうかな」と言うからといって
それがダメとは限らない。もしスタバの社長が若いときに
一度採用を断られ そこで粘らなかったなら?
彼が諦めてしまっていたら 今のスタバに並ぶ人たちも
沢山の人の笑顔も 私の本も 存在することはなかっただろう。
何かを成し遂げた人たちは けっこうしつこい人たちだった
ダメでもダメでもめげなかった 彼らが信じていたものは?
まわりの人や他人の評価ではなくて 自分自身 なんだなあ



 私は何年か前くらいから レボリューションキャンプの最後あたりかも
しれないけれど 他人の意見に自分を譲った。 どこからかわからないけど
あのころはすごかったよねと言われてた そんな力はどこかにいった
気がつけば 他人の目 や 他人の意見を通してた
それは京都という場所に移ったのも大きかったかもしれないけれど
結局のところ自信がなかった それは自分を信じる力がなかったということで
だから力もあんまり出せなかったのだろう


 時折誰かが何かを評価してくれた時「本当に??」と思って
嬉しかったけど 私の中での自己評価はかなりズタズタになっていたから
誰かに言われた後何日か 喜んでいるだけだった。
でもそれじゃあいけないんだな 信じる ということは
自分を信じることらしい 他の誰もが無理だといっても
自分にはそれができると信じられること そうしたら
状況がまわりから変わってくるそうな
そういう力が いるんだなあ、、、


 私は夢を見たいと思った でも見ているだけじゃだめなわけ で
なんとか形にしていかないと すっかり忘れていたけれど
そのために一番必要なのは自分を信じる力らしい。
自信 っていうのは あるとか ないとか つけるとか
それだけじゃなくて自分を信じられるかどうかが
かなり大きかったんだなあ できる やれると思い込むこと
そしてそれを信じてみること おかしいと人に思われていても
自分の直感を信じてみること そうしたらいつの間にか
ちょとずつ道が開けていって もっと笑えるかもしれない

 フランスで神様は私に沢山の物事や景色を見させてくれた
それは私の想像を容易にしてくれるためだったのだろうか
私はやっぱりパリに住み カフェのある暮らしをしながら
もっと笑顔で笑っていたい そしてやっぱり書いていたい
もしも私が自由になれたら 今度は誰かをちょっと自由にしたい
あなたが今思い込んでいるものだけが 人生なわけじゃないですよって
もしもそんなことが言えるようになったなら 私はもっと書いていたい。
そして素敵な人に囲まれて「あー幸せ!」って心の底から笑っていたい。
人生は諦めるためにあるんじゃない って 夢見たことやクリアに
イメージできたこと は 本当はただ 実現されるのを待っている
ことかもしれない もしそれが本当にそうなのだったら?
そうなんだよ! って 言える日が来るといいよなあ、、、

美味しい仕事

2011年10月22日 | フランスの食文化

 今日は急遽 Paris-Bistroの代表から
連絡があって 丸の内のブラッセリーオザミという
フレンチレストランでバスク地方の生ハムやサラミの
プロモーションを行っていたピエール・オテイザさんという
のお話をきかせてもらいに行って来た。


 急だったのであまり連絡がうまく届いてなかったけど
それでもお店に電話をしといたお陰でお店に行ったら
すぐ案内をしてもらえ、ピエールさんもはじめは
「?」という感じだったけど、「覚えてますか?
パリのカフェドフロールの2階でお会いした、、、
あの、酒飲みマラソンの打合せが会ったときに、、」
と言ったら思い出してくれたみたいで それから
ワインと生ハムのプレートを用意してくれ
お話をきかせてもらうことができた。


 内容はまたParis-Bistroの方にアップすると
思いますが(またリンクをはりますので見てくださいね)
今日は あ、そういえばフランス語だ!と思いながらも
なんとかインタヴューができたりしてて とても
素敵なフランスらしい雰囲気の中のお話で
なんだかとても嬉しかった。


 思えば今年の3月に 代表に「ミキ、東京で
フーデックスっていうイベントがあるらしいから
行って来た方がいい」といわれ 新幹線に乗って
即席プレスになった私は 何もかもわからなかったけど
その時はじめて記事を書き それから地震があって
わけもわからずフランスに飛んで行き
何もしないわけにはいかないとParis-Bistroをがんばって
代表と一緒にいろんなところに行かせてもらって
彼の背中を見せてもらった。だからそうして
フロールの2階にも行けた訳 で ピエールさんとも
出会った訳で 本当に 本当にありがたい。


 Paris-Bistroの代表はローランというのだけれど
私はローランをとても尊敬している。今や
Paris-Bistro.comのフランス語版は毎日3500人もの読者が
読んでいるらしく それはひとえに彼のペンの力によるもので
自分がやりたいと思ったことをきちんとした事業にしてって
(彼はアントレプレナーでありジャーナリスト)
沢山の知識と技術とネットワークとフットワークの
軽さと粘り強さで なんとか仕事を形にしてる。
そりゃうまく行かない時だって沢山あるけど
バラ色ではないにせよ それでも彼のやってることは
本当にすごいと思う。そうして私はそのおこぼれに
あずかって いろんな人を紹介してもらえたり
その記事を日本語版にのせていったり。
彼らがすごいなと思うのは 日本語なんて全く読めもしないのに
私が書いていることを信頼してくれて そうその
「信頼」という一言で すべては成り立ってるんだなあ。



 パリには日本人のジャーナリストも一杯住んでるし
もっとワインや食に詳しい日本人も山ほどいるけど
学生時代に事務所を訪れ「日本語版をするなら私に
やらせてください!」と言った私を彼らは信頼してくれて
なんとか今に至ってて 本当にありがたい。

 私はあそこの事務所で仕事をするのが好きだ。
わからない単語やフレーズがあったとき
「ええと この単語はここにかかってるの?」
とか聞きながら いいなあこの仕事
フランス語と食文化が一緒に学べてしまう、、、
生のフランス語の使い方が学校じゃなくて
こんなところで教われるなんて といつも
嬉しくなってしまう。事務所のコーヒーも美味しいし。


 いつだったか パリに居たとき 友達に
パリビストロの話をしてて「まあ大変な仕事ねえ!
そんなにワインと美味しいものを食べなきゃいけないだなんて!」
とエスプリたっぷりに笑われたけど 本当にこの仕事の
お陰で 私はフロールの2階にもいけたし(2階はボーヴォワールがいたんです)
シャンパーニュにも行かせてもらって(しかも蓮太郎は事務所で預かってもらえた)
プレスだからとお土産にシャンパンもいただいてしまったし
今日は「きっと素敵な夜になる!」と念じていったら
ピエールさんにワインとハムのプレートを試食させていただいた。。。
本当に美味しい仕事です。


 昨年の6月、代表の家に招かれたとき 私は
何にもわからなかった。ようやくフランス語ではじめて
自分の想いを表現できた。それははじめての経験で
必死になって話をしながら「この人の考えていることは
『美味しんぼ』みたいだなあ!」と思い ローランの
言うことは本当に全くだ そうだなあ と思うなあと
そのことに驚いた。ローランは本当にいいものや
本当にいい食を大切にしたいのだ。まがいものとか
工業製品とか ただ有名なだけのものではなくってね。


 それからいろんな話をしたけど 私には知らないこと
わからないことだらけであって 先日広尾で勉強したとき
どうして私はこんなにもわかってなかったのになんとか
フランスでやっていたのだろう?と不思議でしょうがなかった。
そして今日ピエールさんと話してわかったけれど
みんな優しく説明してくれたからなんだ。

 シャンパーニュについてまったくもってわかってなかった
私にしっかりと説明してくれたのはシャンパーニュの
案内係のお姉さんではなく やっぱりローランだったのだろう。
チーズ?って どんな種類があるの?と思っていた私にも
彼らは沢山説明してくれた。みんな本当に優しかった
なんにもわからなかったけど 私は前よりは だいぶ
レベルはあがったかなあ それなりにローランの背中を見て
やってきたつもりなのだけど。

 
 わかりやすい文 というのは わからなかった人が
それを自覚しながら わかるようになったとき
わからないであろう人に向かってわかりやすく書く文なのだろう。
私はそのスタンスを大切にして これからも沢山の人に
関わってもらいながらも カフェやビストロ 笑い声のある
フランスらしい食文化 ワインを飲んで議論をしたり
意見を交えたり時に踊ったりする気楽な文化
そんな素敵なフランスの日常を もっと日本に伝えたい。

日本で味わえるフランス的な場に関してはこちら

パリの都市計画を学ぶ

2011年10月20日 | インフォーマルパブリックライフ



 ここ最近は広尾の図書館に通ってフランスについて勉強だ!
というわけで うわあ何も知らないと思っていたけど
受験勉強を思い起こして集中して取り組んでみると
なんとかそれなりにいろんなことがわかったようで
今日家に帰って息子に「お母さんねえ今日こんなこと
勉強したの」と行ってみると復習になって面白い。


 例えばエッフェル塔は万博の時に作られたけど
それはその後取り壊される予定だったとか
エッフェル塔のエレベーターは当時の最先端
技術を導入した斜めに上がるエレベーターなんだとか
(つくった当時からついてるんですよ!)
アヴェニューってのは並木のない大きな通りを
指していて、唯一の例外がシャンゼリゼなんだとか
ナポレオンがパリの三大墓地をつくったとか
そういういろんなことを いろんな本から学んで行って
はーそうだったのか!!面白い とかじりついて読んでいた。



 パリに行って まあなんて美しい、、、と驚嘆するのは簡単だ。
その人の横について「ほんと美しいよね 日本と違うよね」
というのも簡単だけど じゃあどうしてパリはそんなことが
可能だったのか?と問うてみると それはあんまり簡単じゃない。
そこには景観保護の法律だったり そこにまつわる思想や歴史が
あるようで。


 私が図書館でいろんな本を読んでいって学んだことは
パリという都市が美しい ということは
なんと世界に対して国力を誇ることであり
ちょっとした軍事力にも近い様な 圧倒的な
美しさで差を見せつけて どうだ我が国は
世界一!我等にはかなうまい、、、と他国を驚かさせる
(そして日本の岩倉使節団は思惑通り圧倒されてしまったらしい)
そんな国の、というかもとは国王の政策でもあったらしい。
(万国博覧会で国力を見せつけるのと同じ感じ)




 公衆衛生だとか住民の暮しよさというのも大切だけど
美観整備って国力を誇ることだったのか!あれほどの
ベルサイユ宮殿を作って世界にそれを見せびらかせて
まねさせてしまう そういう「強さ」
そういう 圧倒的な美しさ、洗練されたものに対する思想
そういうのって 日本の町づくりの発想には
あんまりないんじゃないのかな??


 表面でものごとをみていると わあ美しいとか
ああ日本と似ているなとか どうしてここは違うのかなとか
思うけど ちょっと深く見始めていくと
そこは日本とヨーロッパ。一口に城といっても
むこうはシャトー こちらは天守閣なお城であってお殿様。
あっちは騎士団やらなんだかへんてこな格好をした貴族の国で
本当に文化が全然違うんだなあ 今こうして
なんだか同じ様な気持になってわかりあえる(気がする)のが
嘘みたいに 文化的土壌は全然違う
そういうことが 面白い。


 圧倒的な国力と 洗練された趣味の良さ で
他の国々にため息をつかせ 自国の国民には喜ばれ
そうして大きな通りを整備してって 緑の少なかったパリに
公園をつくっていったオスマンの時代から19世紀。
そうしてどんどんパリには人口が増えて行き
パリは「花の都」になっていく。
そんなパリに憧れて 世界中から人がきて
彼らを寛容に受け入れて 外国人を
まるでフランス人みたいに思わせちゃって
その上で文化が花開いてく それがパリのやり方だった。


 そんな名声のお陰だったのか第二次世界大戦中も
パリは奇跡的にほとんど無傷で守られて今に至っているわけで。
美 というのはやっぱり国力でもあるんだなあ。
(こんな考え方は日本にはないように思いますがいかがでしょう?)


 それからパリでも近代化の波に従って
セーヌ川の横に道路を通してみたりとか
高層住宅を作ってみたりしたけど それらは結局
評判がよくなくて 日本のいわゆるニュータウンみたいなのは
かなり嫌われるイメージとして今でも根付いているらしい
パリはどんどん拡張しては「郊外」の壁を取り壊し
郊外がパリになってったけど これからパリはどうなるのだろう
今はあまりに家賃が高く みんな郊外に移るしかないと
よく話にはきくけれど 今のペリフェリックの外が
パリの内側になるような日も来るのだろうか
私たち日本人からしたらかつて低所得者のために
つくられたという赤煉瓦の高層住宅なんて 
相当うらやましいマンションにしかみえないけれど
そんなとこにある公園や遊具もかなり素敵だったけど


 またこういう視点をもってパリにいったらパリが
面白く見えるのだろう 今度行ったら歴史博物館やら
ベルサイユにも行ってこよう。見てたけど見過ごしてたもの
違った視点で見始めてみると なんだか奥行きが広がってくる
それにしても 日本とフランス 似ているようで やっぱり違う。

ものの価値

2011年10月16日 | 私の人生


 価値のあるものって一体何かなとよく考える。
私が1年半前に言ったイベントでものすごく
驚いたのは、私とペアになって作業をしていた人が
「前に行ったワークショップで人生が変わった。
それは参加費が8万円だったけどそれでも
8万円で人生が変わるなら安いと思う」と
言い放ったことだった。は 8万円!!
それを彼は安いと言うのか。イベントをする側の
値段設定もすごいなあと思うけど 行った人も
そういうことが言えてしまうんだなあ、、、


 「8万円で人生が変わるなら安い。」

 これは私の心にけっこうなショックを与えてしまった。


 私はこの夏精神的ダメージの最盛期だったとき
思いがけず会うことになった知人との会話に
相当助けられ 彼女が勧めてくれた3千円もする
バラの香りのヘアワックス兼リップクリームの香りに
ほれて 3千円でこんないい気分が持続できるなら
それでいい!と思って帰りの電車の乗換駅で
速攻お金を払ってしまった。それくらい
人はそれで自分の人生が上向きになり
喜びを感じられるものにだったら 喜んで
お金を払うんだなあ


 先日横浜の山下公園周辺に行ったとき
自分がお金持ちだったと仮定したなら
私はどんな行動をとるだろうかと考えた。

 お金持ちになりたいのなら、まずは自分が
お金があると思い込むことが大切らしい。
その上でそうだとしたらどういう行為をしているのか?

 それってもう投資に近いと思うんだけど
アイパッドを買ってみて なんだか少し
わかった気がした。「決意」して それなりの
お金を払うと何かが動く。おそらく後から
それをペイできるくらいの何事かが動いてくれる。
けれどもそれを「払う」「先に与える」までは
何1つ帰って来る保証はない。それはもう
信じるか 信じないかの世界で お金を
払うというのは「信じてます」というのを示す
相当な行為ということなんだ。だって
お金を払うのは誰しも痛い。誰だって アイパッドが
安くないのは知っている。それでも払う。
それは「決意」に近いと思う アップルが
あえてあんな値段で分割払いもさせずに
私たちに提示するのは「あなたはその世界に
入りたいと本当に思っているか」くらいのテストに
近いものなのだろう。


 だけど「投資」を「まず与える」ことをするまでは
何がどうなるかなんて誰にもわからない。
だから普通は「お金に余裕ができたら買おう」
になるのだけれど どうもそうではなくって
「今お金があると仮定すること」が大切らしい。


 さて 今私がすでにお金持ちだったなら?
私は何をするだろうかと山下公園あたりで考えた。
それで行くカフェはどこになるだろう?日本大通近くのカフェか
Cafe de la pressは行ってみたい。 でも蓮太郎と2人で行くのは
やっぱりお金の無駄かなあ 色々考えていた結果
とる行動はたいして変わらないだろうという結論になる。
そこで私がやったのは シルクセンターの1階にある
ドラッグストアでお菓子を買って なんといれたての
コーヒーが100円で持ち帰りできるというので
カフェラテも購入し 全部で260円。


 そうして息子と海の見える公園に行き、
敷物もしかずに芝生に座り なんだかパリみたいだねー
でもパリには海はないから横浜もいいよねーとか
いいながら 美しい氷川丸のある光景を眺め
2人でチョコとクッキーを食べ 息子は
変なアートの真似をして布をかぶってゴロゴロしたり
私は風を感じながらコーヒーを飲む。
ああ こういうの 豊かだなあ、、、


 山下公園周辺には驚くくらいカフェがあるけど
費用対効果、効用を考えると私はこのドラッグストアの
コーヒー100円持ち帰り が 一番効用が高いと思う。
だって山下公園で船と、場合によっては氷川丸と
お月様なんか眺めながらお茶ができるって 
最高のシチュエーションじゃないですか?


 さて そんなことを考えながら 最近は
ちょっとカフェで働かせてもらったり 電車に乗ったり
する時間も増えたので 実際のカフェに行ってかなりの
お金を払うより 電車のホームの椅子を想像で
カフェにしてしまったほうがいいのかもと思ったりして
缶コーヒーとパン屋さんのパンという 300円台で
どれくらい価値があるのかよくわからない組み合わせから
魔法瓶を買って自分でコーヒーを持ち歩くという生活に変えてみた。


 それでもパンやクッキーやらがあると便利なんだけれどなあ

 私が働かせてもらってるカフェはあまりによくできた
カフェなので そこでのケーキやパンの味が本当に美味しい。
ところが それを覚えてしまうとドトールやパン屋さんの
150円以下くらいのパンがしょうもなく思えて仕方ない。。
うーんでも食べないわけにはいかないし!


 と 思っていたら 今日ひょんなことにより
お昼に家でカレーパンをつくることになってしまい
ちょっと大変だけどやってみたら意外とできて
え?じゃあカレーもいいけどこれって調理パンにみたてて
ハムとかジャガイモとかキノコとかごぼう入れてもいいんじゃない?
と思い立ち 夜にまた第2ラウンドをすることに。。。
まだ食べてないけど今度はひき肉の炒めたのに豆や
ピーマンやキノコを入れてトマト味にしてかなりよさそう。
6個つくったのでしばらくは食べれるかしら
これでコーヒーもパンも手作り!これは
缶コーヒーにコンビニパン時代よりも進化したし
多分値段的には安くて効用が高い。
こうなったら最後にデザート欲しいなあ
今度はマフィンをつくろうかなあ コンポート?それも素敵。。。
(今日はイタリアの固いお菓子ビスコッティも
つくりました。これはクッキーより簡単で
バターがいらないので便利です)


 意外にも フライパンでピザは作れるみたいだし
そしてその美味しさといったらサルバドーレより上だと思った
それならもっと作ること が面倒でなくなったなら?
洗い物も苦じゃなくなったら 毎日自分の作ったもので
即席ピクニックができて いろんな場所が
即興カフェになるかしら。



 世の中には価値のある0円がある
(カルディのコーヒーは素晴らしい!
あと心底素晴らしいのはフランスのインターネットラジオ、radio classique
これはフランスが誇るクラシックの美しい曲達を毎日タダで聴ける!!)
価値のある100円がある
価値のある700円がある(カーズのミニカー
一台が子供に対して果たす役割は700円以上の価値がある
あとドゥマゴのショコラは700円するけどあれも価値があると
思うなあ。それから素晴らしいスーパー銭湯とか
あとは有機栽培の小麦粉はこれくらいするけどやっぱり違う!)
価値のある1000円があり 価値のある5千円というのがある。
それらを価値がある と思えることは 実際はその他の多くのものが 
意外にもあまり価値を感じられないものだからなのだろう。
だから通常の値段で感じられる価値以上のものを感じられると
本当にうれしくなるのだろう。


 価値のあるもの 価値があると感じられるものに
囲まれるくらし そしてそれらを大切にして愛おしむ。
そんな暮らしが送れる人に なれたらいいなあ

再び異なるものの見方で

2011年10月15日 | 子どもから学ぶ


 信じる というのはどういうことなのだろう
そうかも と 思えるというのは一体どういうことなのだろう
何かに合点が行くというのは その人の価値観や体験に
それがそれなりに説得力を持ったものとして
映っていたからで だからちょっと半信半疑で
そうかなあ そうかもね?と思って人は新しい価値感を
受け入れてみようとするのだろうか。


 最近私は 私って頭がおかしいだけなのかしら
 
 と思うこともよくあって でもまあ普通に人と
話は通じているし どうなのかわからないけれど
なんだかまた ボーヴォワールやブルトンなんかが読みたいなあと思う。


 世の中には 世界を変えた人がいる。
ボーヴォワールもブルトンも スティーブジョブスも
そういう人で そういう人たちは まわりの人とは
かなり異なるものの見方をしていて まわりから
おかしい人だと思われていた だけど彼らにとってみたら
まわりの方がおかしいんじゃない?と思うことも
多かったろう どっちが正しいとかではないけど
ジョブズについてはよく知らないけど
私はブルトンとボーヴォワールが開いた世界は
もっと追求されてしかるべきなような気がするな


 結局彼らは それはジョブズもそうかもしれない
「人生こんなもんなのか?」ってそう思ったわけだろう
ブルトンは嘆いてた。「幼児時代が終わってしまったら
人生はもうくすんだものでしかないのだろうか?」
だけど彼は最終的にはこう言えた。「私は今まで
私が夢みたように生きてきました、、、」
(こんなこと言ってみたい!)
ボーヴォワールはこう言った。「私は毎日
少しずつ高みに向かって生きていた。窓辺に映る女達の生活が
私の身にも降りかかる運命なのだということに気づくと
私は不安にかられた。私もこうなる運命なのだろうか?
いや 違う 私の人生はどこかに到達するのだ。」


 「こんなはずじゃない 人生はもっと違っていたって
いいはずだ、、、」ときっと彼らは想い強く願い
何かを想い描いてみたのだろう。ブルトンとボーヴォワールがしたことは
彼ら自身がかたくなにとらわれていた固定観念からの開放だった。
彼らはとても とらわれている人だった。
藤田だってそうだった だから彼は パリで
日本からもってきた絵の具箱を叩き付け
今までの人生を捨てることにした。


 私もずっととらわれていた。 自分を縛っていたものは
日本的な固定観念だったけど それにとわられがんじがらめに
なっていたのは 他ならぬ自分自身で もしも誰かが
「そうじゃなくてもいいよ」と言ってくれたとしても 私自身がガチガチに
縛られてたから ほどくことができなかった。


 彼らはパリで カフェという自由な場に会い
圧倒されて 目が丸くなり こんな世界もありなのか!!!と
本当に驚いた。私も昨年の6月にパリのカフェのテラスを眺めて
なんだか本当に驚いた。そうしてパリのカフェに出会って人生を変えていった
マンレイなんかはこう言っていた「芸術家がするべきことは
自由と快楽の追求であるべきだ。苦しんでいる芸術家がいるとすれば
それは束縛から自由になっていないのだ」これは彼自身も
とらわれていて かつ開放されたから言えることなのだろう。


 とらわれから開放されてものごとを全く違う視点で
眺めてみたら どうなるのだろう。 私は21世紀の思想に
興味があったけど よく考えたらガチガチに20世紀どころか
近代の 計れるもの 目に見えるものの思考にとらわれていた。
だけど5次元があったなら?本当は パリにいた彼らが
感じたように目の前には2つの異なる世界が広がっていて
地図で計れる「実際の」距離なんて 簡単に超えてしまえる
何かがもしも あったなら?心理的距離感が「ぐわん」と
近づきなにかが揺らいでしまったときに そんな距離なんて
もしかして意味をなさないのでは と思うこともあるのだけれど


 子供たち は 自信に満ちて この世に生まれおちてくる
彼らはどこからやってきたのだろうか?それすらもよくわからない。
彼ら子供はあんなにも自信があって柔らかい頭をしている
そこに大人達はがんじがらめな価値観をつめこんでいく
その教育はもう2歳くらいからはじまってるから
学校に行った頃にはその子の頭もそういう色に染まっているのだろうけれど
私たちが教わって来た 世界の見方やものの見方が
数字や見えるもので全てをはかって 過去と未来が
存在していて 世界には沢山の国が存在していて
戦争が絶え間なくって 世界はとても難かしくって
だから身を守ることが大切で、、、


 そういう不安な価値観に 何かを信じられなく
なってしまったから 目にみえるものを頼りにすれば
大丈夫なんじゃないかというような そういう
不安や怖れからはじまっている価値観に 私たちは
染められていく やれあれが必要だ 家も買って保険も入って
おそらくそれが とても大事なことなんだけど
でもそれが 本当に?本当に どれくらい大事なことなのかは
私にはなんだかわからない。


 私はずっと不安で自信もなかったけれど
子供というのはどうやら普通 相当な自分は愛されている、
愛されてしかるべきという自信をもってこの世に生まれて
生きて行こうとしてるらしいというのが最近わかり
じゃあ私はどこかでそれを失ってしまったのだけど
子供のような自信とこわいものなさをとりもどして
カチコチの大人と違う見方でものをみてみたら
一体どうなるのだろうというのが気になって来た。

 私たちは 子供に自分が教えることができると思っている
だけど全然違う答えがどこかにあるかもしれない
それを子供はヒントとしてもっているかもしれない
世界はこうだと教えられて来たけれど
もしかしたらそう思っている限りはそう見えるけど
違ったものの見方をしたら違う解答がでるかもしれない

 今は脱皮の時期なのだろうか
人間にもっと可能性があるのなら
もっと本来の力を出して多くの人が幸せになれる
社会や生き方がありうるのなら 私はそれを探りたい。

蓮太郎から学ぶ

2011年10月14日 | 子どもから学ぶ


 れんたろうって、、、 どーしていつも
こんなに幸せそうなんだろう??!というのは
彼が生まれてこのかた3年間のかなりの疑問で
それはさすがに私一人が感じることではないようで
うちの家族も「れんちゃんはいつも幸せそうだねー」と
ちょっと不思議そうに言っている。

 自分の引き寄せの法則のことはなんとなくわかるような
気がしても 他人に関してはわからないから
蓮太郎の笑みがまた幸せをひきよせもっと幸せになるのか
どうかはわからないけど 彼はアッハッハー!!と大口を開けて笑い
嬉しい時はやっほー!!と言い まあ泣くときは大泣きだけど
喜怒哀楽がここまで表現できたらなんか楽しいだろうなあと思う。
彼はなんだか 日本人というよりフランス人に近いのだろうか?


 最近はアイパッドのお陰かポジティブシンキングのお陰か
多分相乗効果なのだろうけれど アイパッドを買って以降
おそらく2週間くらいほとんど蓮太郎と喧嘩も悪いムードに
なることもなく 仲良しを続けられている!これは
私の3年間の育児の中では奇跡に近いことなので
なんだかものすごく嬉しいんだなあ そして蓮太郎が本当にかわいい。


 愛 って一体何なのだろうと思うけど
私にはまだわからないけれど 自分への愛というのが大事らしいことは
最近になってようやく知って 自分が自分を認めて満たしてあげることで
ようやく人に愛情をもって接することができるような、、、


 そりゃあ人にもよるのだろうけど
日本で「母」になってみると 特に「もう私はこれなのよ」という
仕事をやってきてそれに復帰というわけでもなく なんとなく
流れで専業主婦みたいになってみると より一層
「主婦として」とか「母として」プレッシャーみたいなのが
強くなり 「よき母であらねばならない」「こうでなければ!」
というのにがんじがらめになってくと 本来の愛情から接するよりも
義務感とか やらなきゃ という気持が強くて
自分のこころはもう「助けて!!」と叫んでる そんなことがあるような。


 今日は蓮太郎とよく行く外国風のおもちゃやさんに来てた
若そうなお母さんが「旦那があんまり帰ってこなくて大変なの
家では鬼みたいになっちゃうの」と言っていた。鬼みたい?
あーなんかそれよくわかる。ママサークルにいた人たちも
「怒り始めたらもう止められなくなる」と言っていた
そう 私だけでは決してなくって 特にママになって以降
感情のコントロールができなくなってしまう人はけっこういると思う。


 さて そんな人はどんな人かと思ってちらりと見てみると
なんだかきれいなお母さんで とても鬼なようには見えない。
やっぱなあ こういう公共空間にいると みーんな
うまくいってるように見えるけど でもフタをあけてみて
密室空間で母子2人になってしまうと そんなにバラ色じゃないんだな、、、


 そんな時 に 日本では 「あなたのことを大切にしなさい」
というよりも「子供をまず大事にしなさい あなたは二の次」と
いう風潮が強くって 誰かのために ずうっとやってみるけれど
そこで自分への愛や自分の欲求が満たされてないと
いつまでたっても子供がなんだかうっとおしく思えてしまう
そんな気がする。


 そこでアイパッドを、、、!といいたいわけでもないけれど
私はアイパッドのお陰でずい分変わった。まずスケジュール管理ができて
それまでは小さい手帳で十分と思っていた自分の人生、しかも
追われてて時間がないと思っていた自分の生活に
意外と空白が沢山あることがわかった。じゃあ
明日は何しよう この1週間は?じゃあ今日は?
今晩、今からどうしよう という予定がたてられるようになり
だいぶコトを自分で進められるようになってきた。
これは本当にありがたい。

 それから「子供がいるから遠くて行けない」と思っていた
アクセス不可能に思えたものたちが急に身近になってしまった。
今では電車の中でもルモンドが読めるし ちょっとお金を払えば
フランスの雑誌をダウンロードできてしまう。「飯田橋まで行けないから」
とか「東京に住んでないから」という理由ではもうなくなった。
読めないって?それは読む気がないか語学力がないかのどっちかです!
ハイ その通り、蓮太郎のせいじゃありません、、、ということになる。


 それに子供向けのおもしろいアプリが多い。私が嬉しいのは
お金持ちじゃない人の子供でもインターナショナルな教育に
手が届きそうなこと。例えば私たちのよく行く外国のおもちゃ屋
ボーネルンドは知育玩具が沢山あるけどみんな高い!!
ただで遊ばせてもらえるから嬉しいけれども買えないなーと
思ってた。でもアイパッドで外国のアプリを探すと
似た様なパズルとか形探しゲームとか、私がとても
気に入ってるのはフランスのアルファベットを覚えるゲームで
それは音が出るので蓮太郎も楽しく触れ、私は時間のあるとき
発音をきいてスペルチェックをやっていくということができる。
これで350円。 それにフランスの子供むけの読み聴かせ絵本があって
これは向こうのプロがしゃべってくれるし 私は訳して読み聴かせ
なんどかやるうちに蓮太郎も単語を覚えて面白い。
これで1冊170円!素晴らしい。。。
ちなみにひらがなのアプリもあります。カルタとかついてて
おもしろかった。こちらは無料。


 理由を数え上げたら切りがないけど
「~だからできない」と思ってたことが「え?できるじゃん!!」
になってしまった。あとはやるかやらないか が自分の
選択になってくる。それでもやらなかったらなんだやっぱり
自分の想いはそんなもんだったのか というのがわかって
納得がいく。それに軽いから持ち運び便利!子供が寝たとき
カフェでさっと取り出して さーて今日は何するんだっけと
なんだか焦りがなくなった。これってとっても不思議だなあ


 そうすると息子にも優しくなれて いっぱい笑って
いっぱい遊んでいっぱいアホなことをして
今日は公園でピクニックしてボールを蹴ったり
坂からミニカーを転がしてみたり。先日も2人で
多摩川沿いでピクニックして、高島屋を覗いてみたり。
我等はいろんなとこに行くけど 役所や郵便局や
病院やらでひたすら絵本を読んでいたらこの1ヶ月は
今迄でいちばん絵本を読んだ様な気がする。
やっぱり我等はノマドみたいだけれども 家の
外にいたってこれだけ絵本を読む機会はあるし
公共の施設やおもちゃ屋さんでこれだけ遊べるのなら
おもちゃ買わなくてもいいんじゃない?と思ったりもする
歩いて 笑って バカなことして 歌を歌って
ボールを蹴って 息子が寝たら勉強をして
そんな生活も悪くない。

ふらんす

2011年10月13日 | フランスへの道



 最近もなんだかんだ 交通費がかかるなあと思いながらも
やっぱり広尾の図書館に行くと「学ぶことが多すぎる!!
明日もやっぱり来なければ、、、」という気持になって
えーと 今日は何からしようかと ちょっと途方に暮れてしまう。


 それでも私にはI Padが存在するので、この手帳を使うと
それじゃあ今日はここまではやる!というのが明確になり
確実に前に進める感じ。さて、広尾の図書館がすごいのは
都市計画、コミュニティ、東京の文化やガイド、それに
ビジネス、フェイスブックの使い方からウェブ作成に
フランスの建築にフランス料理(といっても区分が広くて
シャンパーニュだけで10冊以上あるかんじ)
もう読むべきものが多すぎる ので 今日は
フランスの食文化と地方についてと建築なんかについて
勉強をしてみることに。机にはどーんと10冊。。。



 私にとってフランスというのが何なのかはわからないけど
すごく近くなったような気もするし 途方もないほど
遠いようにも感じてしまう。だけど確実にいえるのは
少しずつ距離を縮める努力を自分でしていることで
そう昨年は 何一つ知らなかった。今年の春も。
「え?何それ?だから それ何なの?」ということが
一杯だった。私は不思議でしょうがないけど
フランスにいる日本人はどうやって耐えているんだろう?!
例え言葉がちょっとできるようになったって
今度は文化の壁があり 彼らは当たり前にいろんなことを
しゃべってくるから「っていうかそれ何???」と
頭の中が真っ白になることが後を絶たないと思うのだけど、、、


 そんな時 どうしたらいいかって?

 そんな時こそ日本語だよね 日本の図書館ありがとう!
エスパスジャポンもすごいけど 日本には都立中央図書館と
恵比寿の日仏会館がある この2つでみっちり日本語で
学んで行ったら もうこわいものなしだろうか?
だってフランス語で哲学について言われても 
だってフランス語ではじめてきく郷土料理のこと言われても、、、


 なので私は勉強をしよう。そう ガイドをちゃんとやってけるよう。

 というわけで先日はシャンパーニュについて勉強をして
(実際に訪れた時は一応ウィキペディアとかでは読んでいったけど
頭の中が「?」だらけで 見学にいったらもっと「???」で大変だった
どうやって理解してどうやって記事が書けたのだろうと思ったけど
読み返してみると意外とちゃんと書けている。不思議なことだ
留学時代なんて言葉も知識もまるでなかったからどうやって
生きて意思疎通をしていたのか不思議でしょうがない)
一日ちゃんと勉強したら けっこうわかるようになるようで
その後はシャンパーニュアカデミーというのを取材させてもらい、
その後もいただいた資料を読んでいたからなんだかだいぶ
わかった気がした。(シャンパーニュアカデミーの記事はこちら


 そうかこうして 受験勉強をしてた時のように
集中して勉強したなら けっこう身に付いていくかもな
今日はだいぶ郷土料理がわかった気がした。こうして
もっと勉強をして、いろんな人とつながってって
私もパリのカフェを中心としたガイドができるようになったなら
マルシェに行ってチーズの説明をしたりとか
スーパーに行ってワインの説明したりとか?
昨年の6月はボルドーとボジョレーとブルゴーニュの
名前だけしかわからなかった。ワインはおいしくないと思ってた。
チーズをだいぶ識別できるようになったのもフランスから
帰る直前になってから。でもビストロの料理はだいぶ覚えた。
メニューはわかるようになってきた。
フランス料理や郷土料理についてはこちらをご覧下さい

 日本には 沢山フランス文化を広めるために貢献した人が
いるらしい。 そんな人たちの名前がでてくる本に触れると
ああこの店は私が中学生の時に憧れた!とか 高校生のとき
先生に連れて行ってもらってびっくりしたな だとか
あの古い 語学はテキストとカセットで学ぶ様な時代であった
まだインターネットなんてなかった時代 異国が遠くて
もっと違いがあった時代に 私は異国に憧れていた。
その匂いは どうやらフランスのトリコロールの匂いらしくて
外人墓地に行ったりだとか 神戸の異人館に行ったりだとか
遠い異国に憧れていた もはやそんな時代があったこと に
今の20才くらいの人たちはピンと来てくれないだろう
でも私はそんな古い匂いも知っていて その中で憧れに想いをはせていた
今 そんな人たちとつながれるなら 取材とか させてもらうことが
できるなら そんなに嬉しいことはない。

 井伊直弼もありがとう 藤田嗣治もありがとう。
日本にフランスの香りを持ち込むことに貢献してくれた人たちも
ありがとう 高校生のころ 私は妙に憧れた
18歳の夏、一人でフランスに行ってみたなあ
そうして今があるのかな? 私はカフェに憧れた。
パンの耳をかじってコーヒー代を払って喫茶店に行ってみた。
そんな私はカフェ文化研究家とか名乗ってみたりすることになり
こんどはもっとパリのカフェに関わっていけるだろうか
いけるといいなあ そして私も あの香り を伝えたい
「目覚まし時計はカフェオレの香り、、、」
地球の歩き方に書かれてた。パリのカフェといえば飯田さん、
そう言われるように頑張っていきたいなー。

異なるものの見方で世界を見る

2011年10月09日 | 想いをカタチに

 最近はアイパッドのおかげかネガティブな言葉を
使わないことに決めてみたからか 蓮太郎との関係性も
今までで一番くらいに良くなって なんだかとっても
不思議なのだけど やっと運気が上がって来たような気がする。


 さて、そんな今までとは違ったものの見方を信じて
そうして色んなことを感じていくと アインシュタインが
時計の時間は絶対じゃないと言っていたらしいけど
私の今の感覚だと 何かが急に近く感じたり 何かが
とっても遠く感じたり なんだかとても変なのだけど
何かが「ぐわん」と来る感覚がある。
それは「揺らぎ」といってもいいし 「風が吹く」と
いえるのかもしれないけれど 意識の中かどこからへんで
なにかがぐわんと近くに感じてやってきたとき
それはもう遠くないような なんだか変な感じだなあ


 私はいつもとても不思議に思ってた。

 どうして世の中には「ヨーロッパ?死ぬまでにあと1回は
行ってみたいなあ」とめちゃくちゃ遠い目をして語る
30代のママもいれば、「私の使命は日本とフランスの架け橋」みたいに
しょっちゅう行ったり来たりしている人もいるのだろう と

 フランス?いつか住めたらいいよねえ と いうのが
たいていのフランスに憧れる人の発想だけど
そう 私が「カフェのつかい方」というキャトルセゾンの
コラムで書かせてもらったように たいていの人にとっては
「ふらんすに行きたしとおもへども ふらんすはあまりに遠し、、、」
なんだよね。


 私は先日驚いたのだけど フランスにはニキドサンファールという
変わった女性の芸術家がいて、彼女の作品はポンピドゥの近くとか
いろんなところにけっこうあって フランスでは身近な感じの芸術家。
そんな彼女の美術館が日本にもあったらしい。それでそこに
憧れていつか行きたい と ずっと思っていたという人が
「もう閉館しちゃったんですってね!いつか行きたいとずっと
思っていたのに、、、」と嘆いてた。それは那須にあったらしいのだけれど
そんな行きたかったなら日本なんだから行けばいいじゃん と
聞いてる私は思ってしまった。フランスに行ったらもっとあるのに
そんなに好きなら行けばいいのに と思ってしまったけれど
きっと那須でさえ遠い彼女にとってはフランスなんて
ものすごく遠い場所なのだろう。


 でもそれは 本当はただの意識の問題なのかもしれない
時間や距離の問題じゃなく 意識のレベルで近い、行ける!と
思った人は きっとさっと行くのだろう。私がフランス語を
教えていた人みたいに 思い立って仕事をやめて その半年後には
ビザをもって旅立っている。行きたい、行けるんじゃない?行っちゃえ!と
思った人は どんどん ばんばん旅立っている。もちろん
一人で身軽だからというのもあるだろうけど
でももしかして 私たちを縛っているのは 本当は
距離でも時間でも手持ちのお金の多さでもなく
意識なのかもしれないな(銀行残高の違いでいったら
行かないタイプの人のほうがよっぽどしっかり持っていると思う)


 無理だ と思うから 無理だけど 行けるかも?と
思った時から なにかがはじまる そんな気がする。
天才達は まず夢を見た 彼らは天才に憧れた。
そんなの無理だろうと 何度も思ったことだろう
でもあるとき天才たちと自分との共通点を発見したりして
「もしかして私もいけるかも?」と思ったりした
それは「もしかして?」程度なんだけど
私はこの感覚は「ぐわん」という感覚だと思う
それは今まで手に届かない 無理だと思っていたものが
急に身近になる感覚で 今の私にはまだわからないけど
「もしかして?」と思ったときから 何かが可能になる旅が
動きだすのかもしれない。


 私は今まで 相当な固定観念にしばられていた。
そういうものの見方で世界をみていた 
だから5次元ってのがあるんだよ と言われた時も
なんのことだかわからなかった 癌患者で何年も前に余命何ヶ月と
宣告された人たちが私の目の前で すごい笑顔で人生は楽しい!!と
言い切っているのをみたときは ただ彼女達の笑顔の質に圧倒されて
どういうことだかわからなかった。 彼女達は
病気をプレゼントだとすら言っていた
どうしてそんな風に言えるんだろう?
私にはさっぱりわかならなった でも今いろんなことが
わかりかけているような そんな気がする


 もし人生というものが 苦しんで生きるためでなくって
賞賛するためにあるのなら?私に偉大な価値観を教えてくれた
先生は自己組織化について自分で研究をしつくした果てに
「森で鳥が鳴いているのは世界をたたえるため」みたいな
ことを言っていた。 私にはさっぱりわからなかった
でも もしかして 世界は賞賛されるために存在していて
それを待っているだけだったなら?もっと世界は
美しいものでみちていて 素晴らしかったのかもしれない。


 それはものの見方が違っただけで
私たちが長年かけて教え込まれて来た固定観念が
もし実はあまり意味をなさないものだったなら
それにがんじがらめになって不安にあおられ必死の形相で
生きている そんな生き方が実は自分が信じていたほど
たいそうなものではなかったのなら?
これも革命みたいだなあ、、、



 わたしにはまだわからないけど 私は何かを学ぼうとしていて
もしここで何かが「そうだ!」とわかったのなら
きっとそれは私にとって大きな革命なのだろう。
世の中には 違う世界で生きている様な人もいる
私はそんな人たちがうらやましかった
どうして同じ人間なのに?20年間フランスで暮して
文筆業をしているというめちゃうらやましい日本人もいれば
そうでない大多数の人がいるのだろう 彼らも同じ人間なのに
一体何が違うのだろう 少なくとも第一に
何かを成した彼らはそんな生活に憧れた きっとそれを
夢見て現実に近づけようとしたのだろう それくらいは
確かだろうから やっぱり夢は 見ないよりは見てみたい し
叶う方法があるのなら それはやっぱり叶えたい。

リラックスした生き方

2011年10月02日 | 私の人生


 最近は自分でもあまり予期していなかったけど
知らない間に新生活というのが始まってしまっているのか
知らない場所に飛び込む機会がやたらに多くて
でもいく先々はだいたいなんだか素敵なところで
素敵な人たちがいて あーいいなあ よかったなあと
思えることが多くてありがたい。


 さて今日は 自分をリラックスさせる方法を学びたくって
体操の教室に行ってきて それもよくわからないまま申し込み
「ヨガなんですか?」「いや違います 大きな声を出したりも
するんです」「はあ、、、」でもいいや もうなんでもいいから
機会があるならやってみたい と ダメもとで申し込んだら
受け入れられて 今日から参加することに。


 そしたらこれがよかったのなんのって!!!

 私は息子が生まれてから2回ヨガの教室に行きましたが

 どちらもうーん 効果あったのかなあ まあ
ないよりいいか、、、という程度でけっきょくモチベーションも
上がらず、だから結局身に付かず、フランスに行ったときに
ああ覚えておけば良かった!!と思う始末だったので
また申し込んでみたわけだけど 今回のはすごかった。


 そう 本当に声を出したり叫んだり バタバタしたり
子供のイヤイヤ!!のマネをしてじたばたしたり
昔の私だったらドン引きしていた でも今の私は
もう自分を変えよう、もう何でもいい!という気持に
なっているので えーいもう、どうせバカだしやっちゃえという
気持になって 初参加なのにかなり一緒になってやってたら
1時間後には驚くほどに身体が変化して奇跡みたいな感覚だった。


 それでどんどん身体が軽くなり ジャンプする機会もあったので
ぴょんぴょん飛んでたら先生に「まあ みきちゃん!まるで
マサイ族みたいね!」と驚かれ どれだけ飛んでいたのかわからないけど
まわりのおばさんたちもその飛びっぷりに驚いていた。
「なんだか身体が軽いんです!!」こんなに身体が軽くなったのは
桶谷の母乳マッサージ以来で 終わってから鏡を見たら
フランスに居たとき以来のいい瞳をしていて 目が内側から輝いている
そんな感じで嬉しくなった。すごいなあ 誰かにマッサージしてもらう
とかじゃなくって 自分で動いてこんなに気持よくなれるんだ!!!


 この先生はめちゃくちゃゆるい人で素敵な方で
いろんな人たちのこわばりやこだわりをほぐしてくれて
こんな先生みたいになったら素敵だなー こりゃ癌になんて
絶対ならないだろうなあと思う。この教室の中で「うちは癌家系で」
と言っていた人がいて そういえばうちも、と思ったけれど
でもよく考えたら癌って遺伝じゃないんだろうな。
生真面目な人が生真面目な家で育ってそれをよしとして
でも他は許さなくって かたくなになってこわばって
それの連鎖が続いた結果なのかもしれない
許すこと まあいっか と思うこと そしてゆるめることが
本当はとても大切なことなのかもしれない。


 パリに行く日本人には「パリ症候群」という言葉があって
それはパリにいってやたら頑張ってるけど追いつけなくて
認めてもらえない気分になって いろんな辛さが混ぜ合わさって
精神的な病になるという話なのだけど 私は10年前に居た時は
学校がめちゃくちゃ難かしく しかも私のフランス語レベルといったら
学校で最下位だったから まあそれだけではないにせよ
けっこう辛い想いをすることになり 「パリ症候群」の本を書いた
先生のお世話になった。私は軽度の鬱で先生に言わせればあなたなんて
全然ひどくないとのことだったけど それでも私はそれが怖くて
結局何年もフランスにまた住もうという勇気を持てないでいた。


 でも今日なんだかわかった気がした。先日会った人が言っていたけど
パリ症候群にならないためには「白旗をあげること」が大切らしい。
「自分にはやっぱりできない」と認めてしまうこと できない自分を
許すこと でもいいじゃん と思うこと 先生は 「まあいっか」が
大切なんだと言っていた。そうそして 気負わない 無理しない
がんばりすぎない リラックス リラーーックス、、、


 10年前の私はリラックスの方法がわからなかった。 
だからよく友達に聞いていた「ねえ リラックスってどうするの?」
そういえばパリに行く前の日記をみると恐ろしいくらいの勢いで人と会い
ミーティングをしの繰り返し 息をつく暇もなかった。
日本では そうやって 頑張る人が沢山いるんだ
頑張って頑張って 効率をあげて 頭よくなろうと頑張って、、、、、


 だけど今日 わかった気がした

 それでも太刀打ちができないから

 私たちは圧倒されてしまって苦しくなってしまう

 これはコミュケーションコードだけじゃなくって 根本的な価値観とか
生き方の問題なんだ。おそらく、だけど フランス人は もっと
リラックスして生きている。 日本人より もっと もっともっと
適当でやる気がなくって 自分の気持に素直でぐうたら生きている。
「やりたくない?やらなきゃいいじゃん」
「ごめん今日は頭痛いからやめとくね」
「ごめん 私は行かないわ」
(もしかして、、、EUの人たちがギリシャに対して思っているくらい
日本人はフランス人をやる気のない人たちだと感じるかもしれない)
そう そうやって断っている。 彼らの多くは予定だって詰まっていない
不思議なことに 東京で友達と会おうとすると 一人とですら
三週間後とかに会おうと言われてしまうのに パリだとその場で
あった三人ぐらいと じゃあ今度の土曜に会おうといえる
今度の土曜?それは無理だなあといってみると「なんだ
いったいどんな予定が入ってるって言うんだね」と
詰め寄られるようなことさえあった。それくらい 彼らは
フレキシブルで 「遊び」の部分が大きいような、、、



 そんな風に 本当に 誰か一人だけじゃなくって

 日曜の朝には11時すぎに朝ご飯のパンを買いに来たり
ピクニックに2時くらいにいったらまだあんまり人もいなくて
4時すぎくらいにどんどんと人がやってきたり
(ピクニックは何か持参するのでそれまで家でのんびりして
3時くらいから出かけるってこと?)バカンスに行ったら
朝ご飯が11時で お昼ご飯が3時だったり そんな適当な
余裕たっぷりの彼らが何故か 生真面目で頑張っている日本人より
やたらとインテリだったりするので 私らは驚いて途方に暮れてしまう


 なんで な な なんで? 私 こんなにやってきたのに?


 先日ピクニックであった音大出身の女性が言ってたな。
「フランスではもっと演奏を楽しそうにやってる気がする。
日本では先生に言われた通りに演奏している だから
あんまり自分もでないし感情も入らない。」そういえば
私がパリで出会った日本の音大卒の優秀な人たちは
けっこう引きこもり気味になってしまうと聞いていたけど
そして彼女達はものすごく日本の音楽事情をひきずっていた。
そう 彼女達は生真面目だった しっかりやって しっかり身につけ、、、


 そういう人たちがフランスで目にしてしまったもの は
もう全然違うものだっただろう そういえば前回の滞在のとき
ヴァイオリン奏者か何かのフランスの女性に出会った。彼女は
絵の才能もあって 日本のこけしにかわいい色を塗っていて
とてもキラキラしてチャーミングな人だった。
そんな才能?そんな自由さ、奔放さ?そんなの 日本じゃ
なかなかないよ、、、


 その違いっていうものは きっとフランス人はもっと
自分に忠実で これはしたいけど あれはいやとか
もっと寝てたい もっと遊びたい もっと楽しみたいとか
これは面白そうだとか に もっと素直なんだろう。
だから抜くときはものすごい抜いているけど
好奇心で やりたい!と思っているから そういうことは
ものすごくのびていく それがフランス的インテリジェンスな気がするなあ


 日本のインテリは「君、あれは知ってるかい?そんなことも
知らないのかね!」的な バカにされるわけにはいかないから
あれもこれも知っておかなきゃ!この次はこれで、、、という
雰囲気だけど そりゃフランスにもそれはあるけど
でももう少し 知りたいから知りたいものは知っておこうという
姿勢が強いような気がするな 人の目を気にする日本
自分の気持が一番根っこにあるフランス
パリ症候群は人の目を気にして人と自分を比べることにも
かなり原因があるらしい。もういいじゃん、人生楽しめばいいじゃん!
という感じで生きてる在仏日本人はとても素敵な顔をしていた。
私ももう普通じゃないことを認めざるを得ない状況になったから
そうするとけっこう強くなれるし バカになれるとけっこう楽しい。
そうしたらもうパリ症候群にもならないかしら?
人の目ばかり気にして生きてた 京都のころに比べたら
だいぶ変われた気がするけれど。


 子供から学ぶこと フランス人から学ぶこと
日本でいろんな活動をしてる人から学ぶこと
たくさんのことを活かして もっと笑顔で
もっと気楽に 自分らしく 生きて行けたらいいよなあ、、、

フランスに行くなら

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