alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

国境を越えて

2010年12月30日 | パリのカフェ的空間で


 国境の長いトンネルを越えると

 そこは雪国だった、、、


 暗いくらい狭い密室の中で12時間を耐え忍ぶ と

 そこは異国の地なのだった

 そこは雪国でもあった。

 暗闇の中 飛行機は雪の積もった滑走路に降りたった。




 ヨーロッパは雪の影響で飛行場が大混乱。


 それでも私は異国に着いた

 たくさんの異人達のいる国に。




 なんでそんなに そこがいいのか
私にだってわからないけど
ここでは私はよく笑え
ここでは私は自分になって
自分の考えを表明したら
共感してくれる人もいたりして
なんだかわけはわからないけど
たまらなく嬉しくなってしまう
そんな瞬間が何度もあって

 そんな経験「こりゃたまらん」と
思ってしまう そんな機会は
私にとっては日本ではあんまりなくて
でも今日はのんびり道を歩いていただけで
そんな機会が3回くらいも訪れた。






 今日はカフェにいって本のことを考えよう!!
そう決意して目的のカフェに向かっていくと
あれ?なんだかビニール袋をさげた人たちが
通り過ぎて行く。 、、、 もしや マルシェ?と
思ってまっすぐ進むと 本当にマルシェ。
しかもなんだか普通と違う!



 私が今いるところはパリでも移民が多い所で
そこのマルシェといったら売ってる人は
ほとんどアラブ系の人たちで 買いにくる人は
アフリカ系や中国人もちょっといて
純粋なフランス人にとっては居心地が
悪いんじゃないかというくらい 異国情緒に満ちていて
パリにいるのになんだか中東の市場に来た気分。
彼らの言葉もなんだかなまりが強くって
はて?なんて言ってるのだろう?とちょっと
たちどまって考えてみると「あ、2ユーロ サンカントか」
とかわかったりして面白い。
そんな私もいざ買ってみようとして話をすると
なかなかうまいこと通じなくって
外国人と外国人が フランス語でなんとか
わかりあおうとしている そんな感じで面白い。





 そしてこのマルシェの安いこと!!
パリにはいろんな地区があって かつて留学時代に
何度かいった 高級なマダムたちのくるオーガニックの
マルシェは目をみはるほど高かったけど
今日のとおりすがりのマルシェは耳を疑うほどに安い。
(玉葱1キロ1ユーロとか)

 そんなあとでカフェに行き、3ユーロ払って
カフェクレームを頼んでみると なんだか
やたらに高く思える。カフェといっても
パリのカフェはカウンターに行けばだいたい
エスプレッソは1ユーロから1、5ユーロ(150円程度)で
飲めるから ちょっとカフェに行こうか、と思って
本当に気軽に行けてしまう。



 私が嬉しかったのは 以前から興味のあった
子供用のカフェ「カフェゾイド」を通りすがりに
見つけたことで、あ!!ここかー!でも
子供いないと入れないってきいたしな、、、と
はじめから諦めてたけど よくみると
おばさん3人でご飯を食べてる人もいる。
カウンターには大人もいるし、、、
しかも年末年始は休業すると書いてあるから
もしかして最初で最後かもしれない。


 ここはちょっとがんばってみよう!と勇気を出して
扉をあけて中をのぞいてみることにした。


 どうやら大人だけでコーヒーを飲むのも大丈夫な
ようなので さっきカフェクレームを飲んだばかりだというのに
カウンターでエスプレッソを飲むことにする。

 カウンターで一人でエスプレッソだなんて
まだまだ私も慣れていないから かなりどきどき
するのだけれど お隣に感じのよさそうなおばさんがいて
せっかくだからと話しかけ、それから5分くらい話をしてた。



 そうそう まさに私 こんなことの研究してるんですよ
カフェでの出会いっていうか ランコントルというか、、、
そのおばさんは娘さんがここで働いていて 今日はじめて
様子を見にやってきたそうな。「はじめてという点では
私もあなたもおんなじね」と。ほんとですねえ
おばさんは私の話にちょっと興味を持ってくれ
カウンターの中のお兄さんや他の人たちに
少し紹介してくれた。「ここは2階が子供たちの
アトリエになっててね 誰々という人がいるから
みせてもらったらいいわ!」と言ってくれる。




 写真もちょっと撮らせてもらって ぐっとエスプレッソを
飲みこんだ後 せっかくだから行かせてください と
2階にあがらせてもらたら わーお!さすがフランスだ、、、と
本当にうらやましくなった。お絵描きの道具、
ピアノに料理をする場所、子供達の隠れ家に
古いサッカーゲームの台に、、、ここは0歳から
16歳までがきてよくて、8歳までは両親と
一緒にくるんだそうな。日本でいう児童館?
フランスに児童館があるかどうかは知らないけれど
とにかくここで驚いたのは何よりもセンスがいいこと!
さすがパリ、アートの街です。。。


 私は小さい頃にアメリカにいたからなのか
どうも西洋文化に対する憧れが強すぎるようで
いーなーこんなところ!!!とかなり本気で思ってしまう
こんなところにずっといれたらどんなに気持いいだろう
フランス人やアフリカ系の子や中国人の子と
仲良くなって?私のささやかな夢の1つは
このカフェゾイドの常連になって 「子供のカフェ」の
記事を書くことなんだけど、、、


 そんなカフェの帰り道
通りすがりの店の窓をのぞいていたら「哲学講座」と
書いてある。いーなーこんなの しかもたったの
6ユーロで飲み物代も含まれるらしい。
先日は哲学カフェと それからシネフィロという
映画をみてからその映画について(哲学的に?)
議論するという会に行き とても難しかったのだけれど
とっても興味深かった。(ちなみに観たのは
韓国映画の「ポエトリー」という作品で
それについて1時間半くらいみんなで論じてました)


 パリ いいなあ
こんなにたくさんカフェがあって
汚いところは汚いけれど みんな好き勝手に生きている
自分のやりたいように振る舞って
勝手気ままに生きている
いーなーパリは 私はとってもこの街にいたいと思う
どこまで行ってもカフェのある国
ここに住めたら本当に嬉しい。

洛西のサードプレイス

2010年12月15日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は朝の10時から18時前まで一日中
蓮太郎と出ずっぱりで どこに行っていたかというと
電車にもバスにも乗らずに 近所でいろいろ
まわってて 朝は近所の幼稚園で
おもちつきがあるらしい!という噂をきいて
それは行きたい(みんな親が食べたい)と
私も思い、友達を誘って行くことにした。


 行ってみるとなかなかのびのびした雰囲気の
幼稚園で 日本の幼稚園に対するイメージは
あまりいいものではなかったけれど
そういえばこんな空間に足を踏み入れたのは
25年振りくらいなわけで いろんなところが
あるんだなあ。フランスと教育の比較したいなと
思っていたけど こうやって今のうちに
幼稚園をまわってみるのも面白そうだ。


 さてそこではもう100人以上が集まっていて
わーわーした雰囲気の中 久しぶりに餅つきをみて
ああそうか 人が集まるって そうただそれだけで
楽しい気持になるんだなあ 今や餅は
たいていの人は餅つき機でつくらしいけど
こういう雰囲気を共有すること
餅どうこうというだけよりも
みんなでやってる みんながそこにいる
ただそれだけの 一体感を共有すること
それが楽しかったんだろうなあ と
なんだか思わされてしまう。


 そこでおいしいお餅をいただいた後
今日は第何回目だか いつからはじめたか
主催者もうろおぼえの「洛西ほっこりカフェ」があり
今日は何をするのかなー?と思っていたら
和室に着くなり 主催者のおばさんが
「今日はケーキをつくるわよー
それからポインセチアと飾りもあるし
ちょっとデコレーションしてみたら?」ということで
よしきた!となんだかかつてカフェをやってたことを
思い出し えーと配置はこうで
じゃあここに布をひいて、ポインセチアの下には
緑の色があるといいから えい じゃあこの
袋をやぶってつかってしまえ!と
即興で場を創ってく。


 あるものでイマジネーションを働かせ
それをつかってカフェ的空間をつくること
それって楽しいんだよなー。


 そうしてなんだかいつもと違った
素敵なクリスマスっぽい空間がそこに出現し
「はいじゃあケーキやってね」ということで
おばさんが用意してくれたスポンジに
クリームを塗り いちごを配置して
ちょうどよく支度ができたころ
同じ餅つきに参加していたママ達3人がやってきた。



 いままでここは 「おじいちゃんから子供まで」と
いっていたけど 宣伝はしてみるものの
子供もママもあまり来てはくれなくて
基本的にはおばあちゃんたちが大勢だった。
でも今日は餅つきがあったからか
ランチを隣のカフェで食べ それから
「ほっこりカフェ」に参加しようという流れで
3人きてくれて 子供をいれると6人になり
今日は全員あわせて15人くらいいたのかな?
なんだか素敵な空間だった。


 せっかくだからとクリスマスケーキを
食べ、紅茶を飲みつつ
自己紹介をしてみると へーそうかーと
まだまだ知らないことが沢山あって
なんだかちょっと 親密になれた
そんな気がしてうれしくなった。


 そうやって ケーキを食べたり 
お茶を飲んだり プレゼントをもらってみたり
出会った人と話したり お茶をいれたり
中学生と一緒にババ抜きしたり
ママと一緒に話してみたり
どうやったらクリームがうまく塗れるか
隣の人と見比べあったり


 そうやってわいわい話をしていると


 なんだか地域の家族みたいだ。


 そして思った


 ああついに サードプレイスが1つ誕生したのかも。


 根付くまで に 半年くらいかかったけれど


 これがあるからできた関係性があるわけで

 この人はどんな人なのか
ただカフェに通ってるだけではわからない一面や
同じ時を共有し 「あの人来るかな?」と
思い合ってる そうして一緒に遊びをしながら
だんだんとつながりがしっかりしてきて
地域の居場所になってくる。



 こんな場 って なかったよなあ

 こんな場 って なかなかないよね?

 赤ちゃんからおじいちゃんまで
若いママも中学生も 4歳の男の子も
一緒になって わいわいやってる
かつては地域社会の中に ちゃんとこんな場があったろう
だけど今ではすっかりそれは薄れてて
なかなかないんじゃないのかな
これをコミュニティというのだろうか
これを地域社会というのだろうか
しいていうなら ゆるやかなコミュニティ なんだろか
別に何の縛りもないわけだから
来たっていいし 来なくてもいい
帰りたかったら帰っていいし
とてもカフェ的な そんな空間なんだなあ
(でも和室だから地域の茶の間みたいなかんじ)


 なんだか今日はとても素敵な光景で
みんな思い思いに楽しんでいた
そういう場 が 少しずつだけど
この洛西にも増えている
誰かと出会い 想いを話し
少し気が楽になって ちょっと前向きになれる場所
ちょっと人とつながれて
人のぬくもりを少しだけでも感じられる場所

 そんな場所って 大切だ。
大人も子供も一緒になって遊べる空間
路地のような そんな空間
もっと沢山 日本に復活してほしい。

浜名湖ユースのカフェ ルナティック

2010年12月13日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は蓮太郎が夕飯前に起きて泣き出して
30分以上ずっと泣いて泣き止まなくて
どうしてこんなに泣いてるんだろう
悲しいのかな? もしかして私のせいかもなと
いろんなことを勝手に解釈してみたりして
そしたら私もどうすればいいのかわからなくなり
何だかツゥっと涙がこぼれた。


 もう長いこと 私は泣きたかったのかもしれない。


 たくさん たくさん 泣いたあとには何かがわかる
大切なことが待っている だけど今はまだ
それが何だかわからない


 そしてなんだか 浜名湖ユースのカフェのことに
興味をもって かつて書いた日記をちょっと
読み出した。この日記はmixiをはじめたころの
日記で ブログとしてこうして書いてる
この書く というのももう6年目。
その1年目に書いてたものが プリントされて残ってて
ああ ユースにいたとき 豊かな暮らしをしてたなあ
ああ こんなにも夢を描いていたんだなあ と
思い出す。そしてそこには書いてある
「私はカフェをやるために生きてきたのかもしれない」と。


 カフェには沢山の出会いがあった。
ユースホステルのお客さん 新居という町の人たち
浜松から来てくれた人 そして旦那の家族もみんな
やってきては応援してくれ 本当に多くの人たちと
日々交われてる そんな時期だった
あの時はあれが普通だったけど
本当に今にして思えば よく京都でもない
浜名湖というあの場所に あれだけの多くの人が
集まったなあと 本当にすごいことだったんだと
それだけは よくわかる。


 「あなたがやってたユースとカフェっていうのはね
1つのはっきりとした主張でしたよ」と慶応の
熊倉先生は言っていた。今「三田の家」で有名な
この先生は たぶん3回くらいは来てくれて
その「主張」を面白いと思ってくれてた
私はもう ほとんど忘れかけていたけど
あの場所は 一つの大事な場所だった
あの場所では 輝いていた 私もカフェも
あのホール も そこにいたお客さんたちの顔だって


 あそこでは お客さんが来る度に 
芸術談義をくりひろげたり 深い話をしたりしていて
いつだって 一人に対して2時間くらいは語り合ってて
それも私が話すんじゃなく お客さんに質問をして
彼らの話をきいていた。私は店主だったから。
「カフェルナッティックはね 飯田さんのカフェの
物語の序章だと思うんです 適性検査というか、、、」
「美樹さんのそんな顔みてるとね 自分の仕事
これでいいのかなって思いますよ」と
言ってくれたお客さん。年賀状に1年の一番心に残った
思い出はあのカフェですと書いてくれたお客さん
あのカフェはそこに来た人たちのまさにサードプレイスで
かけがえのない そこにしかない居場所であって
滋賀からも 東京からも 埼玉からも来てくれていた
みんなが大事にしてくれていた
誰かと出会えるかもしれない
少なくとも開いてれば 私がカウンターにたっていて
おいしいコーヒーが保証されてて
たぶん楽しい出会いが待ってる
そんな場所 だったんだ。


 どうしてやめてしまったのかって?
他にも可能性があるんじゃないかと思ったからで
ブレーメンの笛吹きが 私のことを
私も京都に帰りたい!と 知的な場所に帰りたいと
思わせて 研究をしっかりやろうと思ったからで

 あのときカウンターに立っていた
私は私 だったのだろうか
それはきっとそうなのだろう。


 あれからもう何年もたち 
浜名湖ユースは閉鎖され
今では更地になってしまって
ホールの跡形すらもない。
本当にそれがあったのか?
本当にそこで出会ったのか?
私たち は たくさんのことをあそこでしたけど
沢山のことを語ってきたけど
あれらは どこに つながるのだろう


 私たち は 夢をみていた
それはユースがあったから?
あそこは夢をみれる場所だった
あんまりに大きかったけど
だけど素敵な場所だった
そうしていつしか時がたち
何故だか私は京都郊外のニュータウンで
一人の専業主婦として
ほとんど誰も訪れることのない大きな家で
暮してて なんだか別人になったみたいだ。


 カフェがすぐそこにあったころ
着替えをして下に降りれば誰かいた。
プライバシーなんてなかったけれど
それが嫌にもなっていたけど
だけど今 こうして郊外に住んでみて
プライバシーだけは重視されてても
サードプレイスや誰かと交わる
誰か面白い人たちが行き交ってる場が
ほとんどない世界にいると
何かがとっても乾いてしまう。


 あそこはカフェでかつ宿だったから
「いつもかわらない常連客」だけでなく
すっと新しい風を吹き込む 遠くの場所から
遠くの国から来た誰か が そこに
やってきて 空気をちょっといれかえて
さわやかな空気がやってきていた
私はあまりに若かったから 
彼らの空気にあてられて
私も旅がしたいと思い 
私も人生を試してみたいと思ったけれど
実際 どうだったのかなあ


 そうしてあれから京都に住んで
私たち は すっかり「普通の人」の
ようになってしまった。この先は
一体どうなるのだろう 長いこと
「カフェをやるより通う人になりたい」なんて
言ってみたけど あそこでの1年半の語りは
あまりに深かった。いつかまた
私もどこかで 場所をもつことになるのだろうか
夢 っていったい 何なのだろう
私にはよくわからない。

ランコントル

2010年12月11日 | インフォーマルパブリックライフ
 ランコントル という言葉 は
大学一年の時に知って 何故かというと
それが私がはじめてバイトをしたお店の名前だったから。

 「これってどういう意味なんですか?」
そう聞くと先輩ははにかみながらこう答えてくれた。
「フランス語で「出会い」っていう意味なのよ」


 その南欧料理のお店に出会いがあったかどうかは
定かではないけれど その後私をとらえて
離さなくなった「ランコントル」というその言葉。
それはおもに 予想してない偶然の出会いという意味で
これがどれほど 人生に影響を及ぼすか
これがどれほど 人生にうるおいをもたらすものか
私はそんな研究を していったりするのかも。



 昨日は蓮太郎を病院につれてく帰り
ふと気になってた公民館の1階をのぞいてみると
「毎週金曜日に10時から3時までサロンをやってます」
と書いてあり あ!これか こないだふと耳にしたのは、、
一応カフェ文化研究家と名乗ってるなら
これは行かないわけにはいかない と
子供をだしにしてちょっとお邪魔させてもらった。


 そこは洛西ニュータウンの福西会館という
公民館に入ってすぐの玄関横のスーペースで
椅子が15客くらいとテーブルが4つほどおいてあり
100円でコーヒーかお茶が飲めるんだそうな。
もう8年くらいまえから(?)やってるそうで
そのあたりでは有名らしい。同じニュータウンだというのに
川の向こうのそちらのそんな噂はつい最近はじめて知って
へー こんな場って なんだかいいなあとほっとする。


 私がいたのは15分くらいだったろうと思うけど
そこで出会ったおばあちゃんとお話したり
ボランティアの人たちがとてもあたたかく
蓮太郎を迎えてくれて「お名前は?」「れんたろー」
「ぼく 何歳?」「にしゃい」「まーかわいいねー!!」と
みんな満面の笑みで迎えてくれて
「まあ れんたろうくん!いい名前!!」と
言ってもらえてうれしくなった。

 おとなりのおばあちゃんは蓮太郎にお茶についてた
クッキーをひとつ分けてくれ カフェ慣れしている
蓮太郎も 人と出会えて嬉しそう。


 そんなあたたかなカフェを出て それから
お昼でも食べようか とスーパーでパンとコロッケを
買い、公民館の前の広場でコロッケパンをかじってた。
「あ!ヘリコプターが来た!」
「あ!飛行機雲だ!お空にお絵描きしてるよ 見てごらん!」
とかいいながら 外でこんなことをしてるのは
いっつも私たちだけであり
そうか 日本にかつてあって 今かなり消えてしまったのは
路上の みちの文化なんだ と考えた。


 私たち は なんだか路上生活を好んでて
お外でご飯を食べたりだとか 長時間かけて
散歩みたいなのをしてたりだとか 公園もいったりするけれど
ベビーブームの街は違えど このニュータウンじゃ
ほとんどそんな人たちに出会わない。
だけど私が路上に出るのは
目的もなく ただ家にはいたくない!と
なんだか辛くて外に出るのは
雨だろうが猛暑だろうが 蓮太郎と外に出るのは
誰かと出会いたいからなのかもしれないな、、、


 路上には出会いがあった。


 そんなこと 予期していたわけではなかったけれど

 パリの路上では出会いがあった。

 パリには今でも路上の みちの文化が存在してて

 日本ととっても違ったものは

 カフェのテラスでくつろぐ人たち
 それからマルシェ(青空市場)
 それからピクニックなんだなあ


 たぶん私は留学で それらのものを学んで帰って
無意識に好きでいたけれど それらはみんな
サードプレイスの 家庭でも 職場でもない
カフェ的な だけど日本で言ったらカフェより
お金のかからない(せいぜい100円くらいですむような)
路上の文化 なんだなあ
(日本にも自動販売機とベンチはあるよね)


 そこで私は無意識に誰かとの出会いを求めて
かかわりを求めていたから どこかに歩いていったんだ
公園で体操をしていたのも 体操をしたかっただけではなくて
犬の散歩をしにくるおじさんや ゴルフの練習を
しにくる人と 少しの会話がしたかったから
喫茶ケヤキにいっていたのも もしかしたら
誰かと話せるかもしれないという ただそれだけで
足をのばしていたのだろう。


 出会い って なんなのだろう

 見知らぬ人との偶然の出会い

 子供のおかげで私はそれが前よりずっと得意になった

 そしてたまにスーパー付近で出会うおじちゃんに
蓮太郎と遊んでもらったり ぽっかりとした時間があるとき
何か は 起こるかもしれない
そういう時間 それって本当は とっても大切なのかもしれない。

社会問題とサードプレイス

2010年12月09日 | サードプレイスとしてのカフェ

 子育てはよく出口のないトンネルに
たとえられるのだそうで 今日は朝から
新聞に虐待に関する特集が載っていて
他人事じゃないけれど でもどうしたらいいんだろう?
最近私はだいぶ穏やかに子育てできるように
なったけど、、、と思ってた。


 ところが子育てにはムラがあり
この3週間くらいだいぶ蓮太郎との
つきあい方がわかってきて私も変わった!と
思っていたのに 今日は一次保育をキャンセルして
しまったからか それとも彼がお昼寝を
どうがんばってもしなかったからか
だんだんと私の機嫌も悪くなり
ひさびさにムカッときてしまう。


 ふざけんなこのやろー!!!
と思いたくなるときは だいたい
密室育児の時で 外には出てても
いつもより家にいる時間が長かったりとか
行ってみたら自分にとってあまり得るもののなかった
場所行くのに やたらがんばって時間を
気にして行った時 で
なんだかどっちもやるせない。


 今日は近所のカフェのおばちゃんの家で
私の近所のサードプレイスについて話をしてたのだけど
ここでは「場をつくる人」と「実際その場を運営する人」の
二人の関係性がうまくいってないままで
ほぼ店から姿を消した そのおばちゃんの家にいくたび
私は「だけどあの人はね なんど言ってもこうなのよ、、、」
という愚痴をきかされるはめになる。


 そういいたいのもわかるけど
そうだ 私が正しいんだと主張したいのもよくわかるけど
(私も浜名湖ユースでそんな経験をしてたものだし)
だけど ちょっと待ってください。
サードプレイスというものは 地域の人には
そこしかなくて 本当に大事な場所なのだから
喧嘩している場合じゃないって!!
あっちがいいとか こっちが悪いとか
いいあってる間に 沢山の人が
どんどん居場所をなくしてる
その重要性に もっと気がついてほしいんです
あなたしかいないのに あの場所しかないというのに
日々雰囲気が悪くなってく
そして足は遠のいてくけど
遠のいた足は家の中にあるだけで
家の中しか居場所がないと
人にははけ口がなくなって
自分ですべてを抱え込むから
ものごとが悪い方向にみえて進んでく


 サードプレイスやみち空間が
昔の路地のような空間が もっとあったら
子育てだって介護だって きっと全然違うだろうに
家があまりに大きくなって
私たちは疲れ果ててる
掃除して 洗濯をして 掃除したと思ったら
部屋中をぐちゃぐちゃにされ
気がつけばもうお昼になって
約束の時間に遅れまいとあわただしく飛び出して、、、
私 何やってるんだろう?と思いませんか
こんなに家を掃除して 誰が来るというわけでもないのに
誰かが来たって 別にたいして気にしてないのに
大きくなってしまった家に 家事 に
「主婦」になってしまった女性は
いつだってとらわれている。

 
 それが人生 なのかなあ?


 私はとても空しくなった


 フランスにいって 少しは光が見えたから
かろうじて今 生きているけど
今日こんな日々がずっと続くことを考えて
かつての私を思い出し やっぱりぞっとしてしまう。
人間希望がなければやっていけない
私は本当にそう思う。


 子供がとっても可愛いときは
こんなかわいいなら一人だけなのはもったいないとか
思うけど 子供がとっても手がかかるときは
私は必死で求めたほんのささやかな自分の時間を思い出す。
2ヶ月の時はおっぱいの前にお茶を飲むことだけが
私にとっての抵抗だった。3ヶ月のころはブログだけが
私が私であることの証明だった そして今 は?
一次保育をキャンセルしたら こんなにも辛いんだなあ


 自分が自分自身であれて 少しほっと息を抜けて
かつアップビートで元気になれる場 それが
サードプレイスらしいけど 日本には
「ふれあいの居場所」はあっても
どうもこの「アップビート」なサードプレイスは
あんまりないような気がするんだな。

 オルデンバーグは「そこでの会話こそが
素晴らしいということほど、サードプレイスを
よく表しているものはないだろう。
ここでの会話は活き活きしており、
火花を散らし、色彩に富み、没頭させられるものなのだ。
サードプレイスでのつながりの喜びは、
何よりも笑顔やキラキラした目の輝き、握手をしたり、
相手の背中をポンとたたいたりという様子から理解できるだろう。」
(オルデンバーグ « the Great Good Place »p26)と言っているけど
そんな場があったなら もっと元気になれるだろうに
日本のサードプレイスはあまり元気な場所ではなくて
どちらかというと愚痴を言う場で 変化といえば
誰かの健康状態の変化であって おじいさんが
手術を受けることになったとか 誰々さんが回復したとか
蓮太郎がしゃべれるようになったとか
どこそこの子は保育園にいくらしいとかで
なにか面白いことをやってみよう!
つくりだそうという


 そう ワクワクする そんな雰囲気は
なかなか感じられなくて


 それがとっても悲しいなあ


 そしてみんなこう言う訳だ
「こんなものよ 人生なんて、、、」

 ボーヴォワールはこう言っていた。
「大人達は口を揃えてこう言うのだった
人生は楽しくない。人生は小説のようではない」と、、、


 だけど彼女は社会を変えた。
彼女の人生はどう考えても面白そうだなあと思う
一方で社会を変えた人もいるけど
基本的には諦めムードがただよっている
だけど私は先日言った。「カフェこそ
最後の砦であってほしい」のだと。
カフェがそういう場でなけりゃ
どこで夢を見れるのだろう?
カフェがそういう場でなけりゃ
だれが変わり者を受け入れてくれるのだろう?
カフェがそういう場でなけりゃ
どこで創造が起きるのだろう?
カフェもサードプレイスも本当に
すごい力をもっているのに
やっぱりまだまだ そう認知されてないようで

 私はきっとカフェやサードプレイスが
様々な社会問題の解決の糸口になると思う
そこは愚痴をいう場なだけじゃなくって
愚痴が「じゃあこんなことやってみよう!」という
ワクワクに転化する場であってほしい
そんな場が いつか日本中に たくさんの
人がいける場所につくられたなら
もっとみんな いい顔で 
笑えるようになるんじゃないかと思うのだけど

 そんな想いを大切に
2冊目の本ができるよう
これからがんばっていきたいです

面白いという言葉

2010年12月08日 | フランスへの道


 昨年の8月に東京、オペラシティで
開催された「カフェ研究会」で、
電通のとても面白い人がこんな話をしてくれた。

 「知ってますか?面白いっていうのは
どういうことか。 目の前が真っ白になるって
ことなんですよ。」目の前が真っ白になる、、、
その時には 話をきいてて面白い!!とは
思ったけれど(たとえばファッション業界では
イベントの招待状に帽子とかTシャツにメッセージを
印刷して送ったりもするらしい)私には
その「目の前が真っ白になる」というのは
あんまりぴんとこなかった。


 ところが前回フランスに行ってからというもの、、、


 目の前が本当に真っ白になる。


 そんなのありなの?

 ということが
本当に目の前で起こってて
ああおもしろいなあ 21世紀の
同じ資本主義の先進国で
同じ都会に住んでいるのに
こんなにも違いがあるのかあ、、
表面だけをみていたら
あまりわからないかもしれないけれど
彼らの考え方だとか 振る舞い方というのだろうか
そういうのを見ていると 相も変わらず
私はびっくり仰天をして
そんな驚きができたそのことに
なんだかうれしくなってしまう。


 フジタは「フランスに慣れるには
彼らのようにものをみて
決して驚かないことですよ」と言っていたけど
そうは言っても彼だって パリについたばかりの時に
ピカソやルソーの絵をみてびっくり仰天をして
自分の持って来た絵の具箱を床に叩きつけたり
したわけで それにマンレイもパリに来た初日に
シュールレアリストたちに案内されて
彼らの遊びっぷりをみて
頭がぐらぐらしていたという。


 おそらくそれは観光で 
自分一人でパリをみててもわからない
誰かがどこかに連れてってくれ
そこで説明され体感したとき圧倒されて
「こ こんなものがあったとは、、、」という
まさに目の前が真っ白になる そんな驚きなのだろう。


 私は本の中で複数の視点を持つことと
創造力について書いたのだけど
驚きと創造力にもかなり関係性があるのだろう。


 最近は通訳ガイドの二次試験
(なんと一次に合格したのです!!)
の勉強をかろうじてやっていて
たまにフランス人の友達に手伝ってもらい
質問をしてもらうと その度に頭が真っ白になる。
「相撲とは何か?その起源は?相撲はスポーツなのか
宗教的なものなのか?」「禅とは何か?その起源とは?」
など 問われてみると す、すみません、、、と
言いたくなって またあとから調べ直して
はーなるほどねと勉強になる。

 ところで何で頭が真っ白になるかといいますと
その知識がどうこうもあるだろうけど
問い方が日本的じゃないんだな。
今日は旦那に「問題だして!」と言ってみたら
「じゃあお寺の伽藍にあるものは?」
「えーっと金堂と講堂と塔と、、、」と
解答してみてなんだか辺な気分になった。
これ とっても日本的!つまり暗記してればいいんだな。


 日本の歴史の試験方法はいつだって丸暗記!で
私は成績だけはよかったけれども結局暗記で
テストが終わるとあれよあれよと忘れてしまい
「はて この人は誰だっけ?」となってしまう。
そしてテストの度に勉強するけど なんだか頭に入らない。

 それに対してフランス人の物事に対する問い方は
「Aとは何か?それは何故か説明せよ」的なんだよね
そうしてそんな風に考えたこともなかった私は
ガツーンと頭に何かをくらって
だけどそれが面白い。


 何故?どうしてそうなのか?
そこに隠された意味はあるのか?
そうそれが学びたくって だけど
日本語ではそれを書いた本があんまり見当たらなくって
だから私は外国語 でそれを読めるようになってみたいと
留学していたときに思った。

 あの時はまだ難しすぎた、フランス語で日本を
読みとく本が 今は私の唯一の参考書になっていて
それをなんとか読めるようになった自分がとても嬉しい。
外国の視点から日本をみてみる
そしてそれについて論じてみたりすることは
私がかつてパリで覚えた なんともいえない楽しみで
パリのカフェ で 日本についての話をすること
それだけが私の楽しみだった。
そんな時からいろいろあって
いつかガイドができるだろうか
私がガイドをするのなら
観光名所だけじゃなくって
グリーンツーリズムだったりとか
地方の面白いカフェだとか
滞在型で農村文化に触れられるとか
そういうのを もっと広めて
相互作用ができたなら
きっと面白いのだろうな。

 パリと日本で ガイドの資格がとれたなら、、、
それこそきっと 面白い。
まずは勉強をすることか、、、

勇気をくれる言葉たち

2010年12月07日 | 私の人生


 何気なくこんなタイトルをつけてみたけど
友人の占い師、ユピテルジョージのサイトによれば
今週の私は勇気がテーマになるらしい。
のんびりとした「普通の生活」の日常と
全くもって 違う世界と
私はどちらを志向するのか
まだまだ勇気はでないのだけれど


 今日もいつもの図書館で
文字通り朝から晩まで6時間、
お昼ご飯を食べる以外は本にかじりついていて
ああ もう帰らなきゃ と思った頃に
また本を返しに棚に戻ると
ああ あれもこれも またそれも!!
読みたくって仕方がない。


 毎回ここに来る前は
「あー土曜日で天気がいいのに図書館か!」とか
「今日はしんどいからやめておこうか」とも思うけど
いやいや息子をわざわざ預けたのだからがんばらないと!と
自分をちょっと奮い立たせて 図書館の棚についたころには
もうその世界に夢中になっている。



 本当は 本当は 今週末にある
試験勉強をしないとなのだけど
うーん研究もやっぱり大事!ってか読みたい、、、と
エドモンド・ゴンクールの『ゴンクールの日記』によみふける。
ゴンクールの日記(上) (岩波文庫)
斎藤 一郎,斎藤 一郎
岩波書店


ついに私も19世紀にきちゃったか、、、と
かつてのパリに想いをはせて
へーこんな人もここに居たのか!と驚いては
素敵な言葉をメモしていって
そういう時間がとても楽しい。


 私のことをよく知ってる人は
そんな私がママサークルに行くことに
とても違和感を感じていたり
おばちゃんたちの集まるカフェに行くことに
「どうやって整合性がとれているのか?」と思うらしい。
そうはいってもママだしなあとは思うけど
女の人は ママになってみた途端 に
え!あの人が?意外に裁縫が得意だったり
お菓子をつくるもも趣味であったり
意外と家庭的であり 私がびっくりさせられる。


 そうして意外と ママであることに適応してもいくようで

 だけど私は?どうなのかなあ
ここで適応しようと努力をしては
いつも違和感を感じたりして
そしてブログを書いて来たけど
もしかして 「幼稚園ママ」を選んだ人は
本当は私なんかより よっぽと違和感を感じてなくて
意外とすんなり 意外とそんな生活を
まあいいじゃない?二人目もほしいことだし と
楽しめているのかもなあと思う

 そう思ってみた時に ボーヴォワールの言葉がでてくる。
「彼らを後ずさりさせたものは私の中にあるいちばん頑固な
ものだった。それは平凡な生き方への拒否とそれから
逃れようとする無秩序な努力だった。彼らはそれぞれの
形で平凡な生き方に同意していた」
(ボーヴォワール『娘時代』p.241)

 ああ なんだか よくわかる

 
 そしてサルトルはこう言った。
「カストール(ボーヴォワールの愛称)
君は昔、いろんなことを考えたのにね。
家庭的な女にならないよう注意したまえ、、、」
(ボーヴォワール『女ざかり(上)』p.54


 世の中にどれほど自分の伴侶に対して
「家庭的な女にならないよう注意したまえ」なんて
言える男性がいるだろう?ボーヴォワールも
他の多数の女性同様 なんとなーく女っぽく
昔の自分を忘れてしまいそうだったけど
そこをサルトルにこう言われ
ハッと何かに気づいたそうだ。


 女ってのは 何のために生まれて来たのか
再生産をするためなのか 誰かに仕えるためだけなのか
男を産めばそれでいいのか?たとえ何かを学んで来てても?
誰しもきっと 葛藤くらいはするのだろう
そうして彼女は社会を変えた
そして人々が幸せになったのか
そんなことなんてなかった方がよかったのかはわからない
でも 少なくとも勇気をもらった女の人は
世界中に何千人もいるのだろう


 私はやっぱりボーヴォワールみたいになりたいなあと思う
人が誰かを研究するのは やっぱりその人にちょっと似てたり
共感するところがあるからで 私の友人はアナイス・ニンを
研究してて はじめてアナイスの本を読んだ時 あー
彼女らしいな!とよくわかった。私はやっぱり
フジタやボーヴォワールにとても共感を抱いてしまい
自分もそんな風になれたらいいなと本当に思う。


 道を切り開いてきた先人達の生き方や
彼らの言葉を知れば知るほど 私は勇気や励みをもらって
だからきっと こうして研究ができるのだろう。
ああそうなのか!あの人も? この人もこんなに
つらかったのか そうかみんな貧乏で、、、
それでも彼らはやってきた。ただ胸に頭に希望を抱いて
そうしたら道は開けて行くのか?私にはわからないけれど
少なくとも彼らはやった。そして何年も後の誰かに
確実に影響を与えてる。私はもう一人子供を産むよりは
やっぱり彼らのようなことがしたい。


紅葉を撮りに嵐山

2010年12月04日 | 私の人生


 京都の家に帰って来たら どんなものかと
ワクワクしていた旦那のカメラを見せてもらって
これはすごい、、、!!と思っていたら
本当は試験勉強をしないとなのに
それどころではなくなって

 もうその日から 私は写真熱に
取り付かれてて 勉強なんて 手につかない。




 さてさっそく一時保育の日があったので
うちからも近く かつ勉強もする時間を
確保できるようにと嵐山へと足を伸ばして
駅についた瞬間からカメラを構えて撮り始める。


 そして気づけば3時間、、、


 ほとんど飲まず食わずで集中をして
もう疲れた!やめよう!!と何度思っても
ああ でもやっぱり美しい、、、と
撮らずにはいられない。
そういえば東京でカメラを持ってても
ほとんど「撮らずにはいられない」なんて
気持にはなれなかったから これって
やっぱりすごいのだろう。


 そしてカメラを持ち始めると
きたきたー なんだかアドレナリンが分泌されて
自分の世界に入っていける。
かつてカメラマンだったころ
フィルムのカメラで友人をモデルに
バシバシ撮ったことがあったけど
その時以来くらいに楽しい。
あーなんだかそれが 懐かしい。


 シュテファン・ツヴァイクが
「芸術家というのは作品をつくっているときは
我を忘れた状態なのです。彼はどこにいるかというと
作品の中にいるのです」と言っていたけど
私も撮った写真をみてみて
はて?こんなの撮ったかなとか
どこにいたかな?とか ちょっと
わからないこともあり
のればのるほど 作品の中にいたんだなあ
私が撮った世界というのは
「通常の嵐山」というよりも
私が見た 小さなどこかすみっこの世界で
私はそこに生きていた。





 スタバで執筆していたときも
店員さんに「すごい集中力ですね!!」と
驚かれたことがあったけど あのころも
どう書いていたのか どうすれば書けるのか
そんなことはわからなかった
ただ のってくれば手が動く
そういうもの なのかもしれない。


 私が本当に楽しいときは
そうやって何かを創っているときや
人と議論をしている時で
そういう時に ああ自分でよかったのかも
そう思えるのかもしれない。


 振り返れば 写真を撮るのも
文章を書くのも フランス語 も
もう15年やっていて 私の半生になるわけで
「15にして学を志し 30にして立つ」であれば
私もそろそろ 色んなことを活かしたい。





 天 というのがあるとして
神様が何かをどこかに導いてくれているのなら
今まで苦労してきたことも どこかで
報われる日がくるのだろう。私は本のあとがきに
数々の辛い思い出を昇華することによって
この本が書けたのだ と書いている。
あれらの経験があったからこそ
あの時本が書けた訳 で
私が母になったこと も
近所のカフェに通ったことも
郊外に住んで団地妻になったこと も
これまで写真を撮ってたことも
いつか活かせるかもしれない。


 一人では道はみえない。
どこに向かっているのかなんて
私にはよくわからない。
だけどあの時私は言った。
「パリのカフェで議論がしたい」
郊外で子供をもう一人産むよりも。
私はその時 ようやく自分に素直になった
最近はだいぶ素直になれているのだろう

 「自由」とは?
私が書いたノートによれば
「自分の気持に素直に従って行動すること」なんだそうな
だから一人旅とか 一人で写真を撮っているのは
私にとって楽しいのだろう
この先どんな未来が待ち受けるのか
私にはとんとわからないけど
神社に行く度 こんな声が聞こえる気がする
「大丈夫 あなたは見守られているんですから
安心して進みなさい、、、」
小さな考えにとらわるのではなく
天 や 空 があるのなら
神様は助けてくれるかもしれない


 自分にも できること や 
言い表すべき何かがあるなら
私はそこに向かっていたい

再び喫茶店に想いをはせる

2010年12月01日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日はえんやこらっと1日がかりで京都に帰って
さて明日から何しよう、、、明日は早速一時保育で
またまた勉強しないといけないけれど
どうしようかと思ってた。


 そんなおり、うちの旦那は鬼の居ぬ間に
高いカメラを買ったらしくて
そのカメラだといかに素晴らしい写真がとれるか
嬉しそうに自慢してくる。
「これなら思ったとおりに撮れるんだよ!!」
つ つまり? もしや 本当に?
と思っていたら 本当で
えー なんでいきなりこんな写真撮れてしまうの!?という
美しい写真が並んでて かなり嫉妬したのだけれど
私もちょっとカメラを触ってみると
なーんだ やっぱりカメラがいいんだ
こりゃウソですよ だって目の前で見ているものより
よっぽど美しく撮れてしまう。。。


 「これ、、、貸して!!お願い!!」
「ダメ!絶対嫌!!これだけは絶対貸さない!」と
さんざん言い合いしてたけど
平日の彼が使わない間ならとりあえずよいということになり
それなら早速明日紅葉を撮りに行こう!と思い立つ。
ほほー、市内にいくならじゃあカフェも行こう
一時保育で市内に行く時はだいたい
カフェに2、3軒は行ったりするので
そこで勉強したらいい。


 写真に勉強に喫茶店、、、

 考えるだけでかなり嬉しい。
そして川口葉子さんの『京都カフェ散歩』
京都カフェ散歩―喫茶都市をめぐる (祥伝社黄金文庫 か 17-1)
川口 葉子
祥伝社

(そのへんの京都カフェ本よりもよくできてます!)
をちょっと開いて ふーんそうか
京都のカフェもいいけど喫茶店もな
でもやっぱりカフェドジには行ってみたいし
(一度行ったけどもう6年も前のこと)
あーひさしぶりに六曜社とかいってもいいかも?
それかイノダのカウンターが良いとか言うから
一度は行ってみないとかなあ
でもカウンターじゃまともに勉強できないし、、、


 うーん どこに行こうかなあとか
そんなことを考えてみる
それだけでなんだかとても嬉しい。
実際に は 街中に行くとお金も時間もかかってしまうし
紅葉は微妙かもしれないから
我が家と保育園からそう遠くない 嵐山がいいのかも。
でも嵐山にはたいしたカフェはないんだな、、、


 それでもこうして 
昨日は神保町の「さぼうる」に行っていたのに
明日はイノダ?とか考えられる
そういうことが とても嬉しい。
もう長いこと 京都のカフェや喫茶店は
「通うこと」に重きを置いて
「巡ること」なんてすっかりやめていたけれど
それでもせっかくの機会があるなら
せっかく(一応)京都に住んでいるなら
もう一度巡ってみたいなあ。


 一人で行くのも悪くないけど
誰か話の合う人がいたら 議論をしながら
喫茶店を3軒めぐる そんなこと ができたなら
きっと楽しいだろうになあ
どなたか京都に来ませんか?
一人で行くのがいいお店だって
たくさんあるけど 会話があれば
もっと楽しいそんな店もたくさん
あって たまには誰かと京都のカフェを巡りたい。

喫茶店に想いをはせて

2010年12月01日 |  カフェ的な場で考えたこと
 「今回はなんで帰って来たの?」と
何人かに質問をされ、うまく答えられないままに
東京の秋を過してみたけれど 今ここから
振り返るなら 今回は日本の喫茶店文化を
学びに帰って来たのかなあと思う。


 帰った次の日に出版社の人とお話をして
「日本の喫茶店はどうなんですか?」と質問をされ
「そんな、、、わかりません!」と言いたい気持ちを
ぐっとこらえて「調べてみます!」と即答をして
はてさて どうなるものな、、、と知らない分野に
手を出したけど これがなかなか面白かった。

 たったの1週間ちょっと で
これだけいろんなことがわかって
いろんな世界に想いをはせて
それをまたカタチにしていく
そういう作業がとても楽しい。


 今日は久々に神保町の「さぼうる」にも行き
あーここは 日本でも フランスでもアメリカでもない
独特の空間なんだな こんな空間を 異世界を
独特の 小宇宙をつくること が
日本の喫茶店の醍醐味なのかも
開かれたカフェではなくて
閉ざされた世界にこもる喫茶店。
いい悪いとかではなくて
全然違った文化があって
それぞれの形で発展してて
だけど時折 喫茶店は パリのカフェにも
想いをはせて ちょっとフランス風にしてみたりとか
画集をおいてみたりとか それに憧れた
インテリ達が集ってみたり
そんな憧れの連鎖反応
そういうものが 日本のカフェや喫茶店には
確実に流れてるような気がしてて

 それを自分なりに探って行くこと
それもとっても面白い。


 もしも本ができるなら
この研究がカタチになるなら
私は私にしかできないことを
私だからこそできること を
今やれているような気がする。


 もう捨てちゃおうかと考えていた
日本のカフェや喫茶店に関する書物も
今になって急に注目されはじめ
ちゃんと読むとおもしろくって
そこからまだまだいろんなものが探れそう。

 先日「コーヒー文化学会」というのに行ったら
そのために韓国の大学教授がわざわざ飛行機に
乗ってきていて「一体何が面白いんですか?」と
たずねてみたら 日本のコーヒー文化も
喫茶店文化もかなりのレベルだということで
そういえば 今まではヨーロッパばっかり
見ていたけれど アジアに目を向けてみたなら
そりゃあ日本のコーヒーの質の高さは
アジアで一番なのだろう(世界一という人もいる)


 そうなんだ 私にとっては喫茶店は
当たり前であり そういえばかつて憧れたよなあという
そんな存在だったけど 喫茶店に再び触れてみるのは
何だか甘酸っぱい気分になって かつて憧れた
神保町や早稲田だったり新宿だったり
そういう場所に 誰かが集った
そんなことを再び探り 行けるものなら
行ってみるのは なんだかとても感慨深い。


 たくさんのものに憧れて
たくさんの街に憧れて
ひたすら一人でアンパンかじって
歩いてまわった東京の街。
あのころも今とおんなじように
神保町に行ってみたり
銀杏の枯葉を踏んで歩いては切なくなったり
お金はないけど 喫茶店に憧れていた
まだ遠かった 高校の頃。
それからだいぶ 月日がたって
私はかつて憧れたものに だいぶ
近付いてこようとしてて
かつて憧れた日仏学院。そこでフランス語の本を
何気なさそうに読んでた人も 本当に遠かったけど
だんだんと近付いて来た そんな気がする。


 これからどこに向かって行くのか
まだまだわからないけれど これを機に
いままであんまり触れてこなかった日本の
作家が書いたものたちにちょこちょこ触れて
クスクス笑って読んでいるのは なんだか
けっこう面白い。

フランスに行くなら

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