alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

笑顔

2009年02月26日 | 私の人生

 最近急に長かった冬が終わって春が来て
ちょこまかと色んなことをしだしたり
色んな話を受け始めたりで 嬉しい気持ちで一杯だけど
実際のところ こんな状態でどうやったらできるのだろうと
昨日はちょっと悩んでた。


 頭がパニックになりかけたから
落ち着こう、と温泉に行ってはみたものの
なかなか落ち着くわけもなく おんぶのせいで
痛くてたまらぬ私の肩は 温泉に行ってもよくもならずに
昨日の夜は疲れてた。けれどもそんな夜に限って
れんちゃんはやたらと起きて泣いてはおっぱい
寝ては起き もー!!! また? もーやめてくれー!
と思っているまま 気がついたら朝がきた。


 くっそーもっと寝たかったのに そんな気持ちで
一杯で 肩も痛いのが治らずに なんだかかなり
うらめしくなり つい朝からげんきくんに愚痴ってしまう
すると隣で起きてたれんちゃんは 母の愚痴を聞いていて
「もー嫌だ!」とつい発してしまった イイダミキな
私の愚痴は ちゃんと耳に入ってた。
それでも私もしんどくて「だってれんちゃん重すぎだよ!」とか
「もーおんぶはやだ!」とか言ってしまって
そうしたら今朝のれんちゃんは 私の方を向いてくれずに
その後からあやまってみても なんだかとっても傷ついていて
あんな小さな生き物なのに ちゃんとしっかりわかってた。
れんちゃんの目は なんだかいつもと全然違い
「お母さんは疲れてるんだよ」とげんきくんが言ってくれても
明らかに傷ついていた。


 昨日の私は またちょっと自我に目覚めて
どこかの誰かが私の話や私の本を 楽しみに読んでくれてて
ちょっと尊敬してくれたりしてくれてるのに
実際の私はといえば れんちゃんをおんぶして
洗濯物を干しながら 童謡を歌い ご機嫌をとる
毎日が彼のご機嫌取りで これがあのイイダミキ?
と想像と現実のあまりのギャップに悲しくなる。
本なんて読む暇ないし 読もうとしても
どうやったら そんな時間がとれるのか
カフェで本を読むのだって 不可能に近いわけだし
そうして自我が出てくると うーんちょっと預けられないかなとか
子供がいるのがしんどいことになってくる。


 そんな思いでいたわけだから つい今朝のような
言葉が出てきて だけど息子は傷ついて
どうすればいいかわからなかった。 けれどもずっと
一緒にすごして 少しでも笑ってほしくて
少しでも私を見てほしくって 無視されるのはとても嫌で
ベビーカーで心も体も離れてしまうのが淋しくて
つい抱っこをしたり おんぶをしたり してしまう。


 ああそうか 私は笑顔が見たくって
あの輝いた 満面の笑みが見たくって
大きな口を 一杯開いた あの素敵な笑顔が見たくって
全てのことをやっていたんだ。 ご機嫌取りをしてるのも
泣かれるよりも 無視されるよりも 無表情でいられるよりも
あの笑顔をみたいから で 何があっても 笑顔になれる
おんぶをいつもしてしまうのも あの笑顔を見たかったから。


 れんちゃんーー!!笑顔を見せてよー 本当にごめん
お母さんが悪かった!!と 近づいてっては
笑ってもらおうと心がけたら 夕方くらいには
ころっと忘れてくれたのか また笑顔になっててくれた。
そう あの笑顔がみたくって 全部やっていたんだな。

 自分のことも大切だけど ちゃんとやってはいきたいけれど
大きくなって 重たくなった 私の隣にいつもいる子は
私から生まれた子供で 時には心も離れるけれど
やっぱりとっても大切で あの笑顔も ふれあいも
本当にかけがえがなく それが私の幸せなんだ。
だかられんちゃんとの触れあいが 私の日々をうるおして
泣かれたり ぐずられたり 大声を出されたり
タイミング悪く何かがあったりしもするけれど
外に行ったら ちゃんといい子にしてくれている
あの子は本当に心の優しい子だと思う。
れんちゃんは本当に優しくて 何にも悪いわけじゃないのに
また母のエゴで怒られたんだ 本当にごめんと反省をした。


 子供がどこか 外に行くのも 母が連れ出しているだけで
子供が行きたいわけじゃない。そこでいい子にしてくれていて
家でくらい たっぷり泣いても大声だしても 子供なんだし
家なんだから そこでしないとどこでするんだってもんだよなー
ついストレスも感じるけれど おんぶは本当に重いけど
私のエゴで風邪をひかせてあとで後悔するくらいなら
肩の痛みのほうがよっぽどましかと そう思う。
やっぱり身体をきたえないとな もう嫌だ!と思っても
おっぱいもおんぶも布おむつ も 結局ずっと続けてて
この先もそうなんだろうか 今日はベビーカーデビューしたけど
おんぶの笑顔はどうしたって捨てがたい。

ママから時代は創られる?

2009年02月25日 | 女の生き方

 昨日は2年ぶりくらいにアフリカ帰りの友達が
我が家に泊まりに来てくれて 久しぶりに
熱く語って 充実した夜だった。


 最近は私にも春が来たのか 自分らしさをとりもどし
だんだんと熱くなってきて 先週5日間ほど
旦那の母が来てくれたときも 夜中の2時まで
熱く語って というよりは お母さんの熱い語りを
きいていて こんなにも熱い想いに応えられない
そんな自分が恥ずかしかった。


 おかあさんは今愛知県の設楽ダムという
建設予定のダムの反対運動をがんばっていて
何度聞いても うーんといまいち興味を持てないままでいたけど
その日の夜は本当に熱くて 体系だって話してくれて
ああそうか 私のやってた色んな環境問題と
ダムも密接に結びついてて もしかして
私も必要とされてるのかも そう思った夜だった。


 おかあさんはこういっていた。
「ダムは国家の犯罪よ!」
「環境問題は母親に課せられた問題かもしれない、、、」

 かつて環境問題を 第三次世界大戦のようなものだと
考えていた私にとって 彼女の言葉は力を持ってて
母になり 異常気象の中子供のことを考えて
環境問題に舞い戻るのが私の道かもと思ったりした私にとって
環境と母親というのはピンときた。


 そんな中 久々の友人といろんなことを熱く語って
彼は私の本のタイトルをもじってみては
「ママから政治は創られる?」とか
「ママから時代は創られる?」とか 面白いことを言ってくれ
そんなのさー むーり無理!とはじめは言っていたけれど
靍森母も 子供が保育園にいたときに 初めて政治運動をしたと言い
そういえばうちのおばあちゃんも 28年も市議会議員をしてたのは
子供を育ててみたからだろうか 子供をもつと視点がかわる
20年先もこの子は生きる 生きていてほしいから
そういう視点で物事をみる。無垢なこの子に責任はない
責任があるのは親になった自分の世代で
もう自分の親の世代を批判している年じゃない。


 主婦なんて!と思っていたけど
主婦にはけっこうゆとりがあって
子供をみつつもやりくりすれば なんとか時間もつくれるし
長いスパンでものをみれるし 活動をしようと思えば
平日だって動けるわけで 意外とそんなに悪くない。


 どうしていくかはわからないけど 
私はまずはcafeをして そこで上映会もしたりとか
泊まれるようにもしたりして 我が家cafeから
いろんな議論をしていけば それらが頭に残った人は
また他の場所でその話 を するだろう
そうして花粉が飛んでって 何かが広がりゆくのかも


 私が書いたあのタイトルは 熱い想いがこめられていて
研究書なら cafeから時代は創られた と過去形のはずだろうけど
過去形にせず あえて現在形にしてみたの は
あの本は私の思想であるからで 「創られる」と一般化して書いてみたのは
きっとそうだと 過去だけでなくこれからも きっとそうだと
私が思っているからで 最近誰かと話していく度
自分の中で確信が強まっていく。社会は大きな枠組みだけど
フランス人は社会を変えた。日本でも 日本のどこかで
日本流の動きの中で もっと社会が変わればいい。

ママ友

2009年02月24日 | 私の人生

 子供が産まれてびっくりするほど
友達と話が合わなくなってしまって
ママ友が欲しい!!とずっと思っているうちに
もう8ヶ月もたってしまって 自分のスタンスが
それなりにみえはじめてきたこの時期に
ママサークルに行ってみた。


 昨日ははじめて児童館に行ってみて
そこで出会った人に教えてもらって
今日も朝から保健所主催のママサークルに行ってみた 
けど 思っていたほど楽しくない。


 なんでなんだろ まずはじめ に
疑問を抱いてしまったからで 
今日はこのためにお話をしにきてくれてた人がいて
その人がみんなの前でしゃべっているのに
ママたちはお隣さんとぺちゃくちゃしゃべってて
講師の人は「聞いてるのかしら?」と
不安げな顔で声をはりあげ 一生懸命
注意をひこうとあの手この手を使ってる。


 うちの旦那のお母さんは しつけは6ヶ月から!と
言っていたけど これってどうなの?このしつけ、、、
赤ちゃんたちは こういう場では はじめの方から
泣くわけもなく けっこういい子にしているけれど
親が話を聞いてなかったら そういう場だと思うだろう
この状況で大きくなって 「人が話してる時は聞きなさい!」と
言ってみたって そりゃー話 きかないわ、、、


 子供を自分で育ててみると このはじめの6ヶ月とか
一年が いかに大事で だけどいかほど世間と
隔離されていて 二世帯にでも住まない限り
どれほどまでに親の「なんとなく」とか小さな都合で
子供が育てられるかがわかってしまった。
誰も何も言ってこないし 情報は入ってこないし
自分はけっこう疲れているから 「まあいいや!」で
すませてしまって 何が必要なことなのか も
何が大切なことなのか も わからないまま時が過ぎる


 妊娠中は検診に行かせてもらえるけれど
子供を産んだら社会はポーンと彼らを放って
密室に残された母子は なんとか自分でやるしかなくて
その方法はわからない だから気晴らししたくもなって
ママサークルに行くわけだけど 人がみんなの前で話してたら
静かにするのが普通じゃないか?それを教える それが
親の役割じゃないかと思うけど
子供を産んでも 女はみんな女のままで
誰も教えてはくれないわけで 好き勝手 に やっている

 みんないい人なんだけど みんな愛情注いでるけど
教育となるとどうなんだろう?母親って 女の人って
国をつくっているくらい に 次世代を育てているのに
母親になった女の人は 誰も教育してくれないから
なんだか後が恐ろしい。


 教育は 保育園がするものでも 小学校がするものでもなく
家庭が一番大切なのだと 教師になった人は言う。
けれども家庭の教育を どうすればいいか 女たちは
あんまり知らずに 大切な時を育ててる
この先みんなどうなるんだろう 考えるとこりゃ恐ろしい、、、

 そんなことを思っていたら なんだかちょっとひいてしまって
そういえば輪に入るのがもとから苦手な私だったし
どうも会話もしにくくて


 「何ヶ月ですかー?」
「どこに住んでるんですかー?」と聞いてはみても
続く会話もたかがしれてて そりゃお茶のみ友達は欲しいけど
おうちに行っても会話がなければ なんかそれも淋しくて
ママ友って やっぱりパリ在住の日本人会みたいなもので
ちょっと話は会うけれど 本当は趣味もバラバラで
価値観が全然ちがうから 子供を育てる行為においては
おつきあいが難しそうだ 子育ては親の価値観で
今はまだ 子供同士も遊ばないから 親のためのつきあいだけど
どんな人ならぴんとくるだろう
どんな会話をするのだろう


 いつもいつでも輪に入ることが苦手な私は
またしてもこれまでの嫌な思いを思い出す
そのうち友達できるかなー ほんの少しでもいればいいかな
保育園とかいったりしたら 親のつきあいが難しそう、、、
まあとりあえず 家庭教育でがんばるかー
子育ては責任重大 とりあえず 家庭を平和にしていこう。

8ヶ月

2009年02月23日 | 私の人生

 れんちゃんは昨日でついに8ヶ月!
どこにいっても「いい子ね~」と言われるこの子に対して
ひとつだけ私が自慢できるのは 8ヶ月間一度も
ベビーカーを使わずにがんばってきたということだ。


 「乳児は肌を離すな 幼児は手を離すな」という
言葉がどこかにあるらしく それを知りはしなかったけど
ベビーカーってなんか不安、 肌が離れてなんか淋しい
そんな思いで基本的には抱っことおんぶで
あの重い重いれんちゃんを ここまで育て上げたのは
本当に大変で重くて なんども嫌だ!と思ったけれど
明日こそベビーカーにと思う度
季節はどんどん冬にむかって おんぶをしては
泣く子もだまり 満面の笑みになるれんちゃんを
ついおんぶせずにはいられなかった。


 もう何キロなのかはずっと計ってないけれど
げんきくんのお母さんによる推定体重は11キロで
スーパーで売ってる米袋の二つ分を いつもかついでる
そんな私は れんちゃんさえいなかったなら
何でも持てる自信がついた。


 それにしても重くって 何度やめようと思っただろう
身体はこわれそうになり けれどもおんぶは
暖かくって 無駄に外着もいらないし
たぶん風邪もひかないし だからやっぱりおんぶにしよう
そう思っては離れられずに どこかへいっては お 重い!と
後悔したけど あっという間にもう8ヶ月!本当によくがんばった。


 現在主流?のミルク 紙おむつ ベビーカーは
産後の母を助けるけれど 私はずっと おっぱい 布おむつ
おんぶにだっこで げんこつやまのたぬきさんから
何も変わらぬその世界。ミルクも紙おむつも便利だけれど
母の便利!のその裏に 子供が求めるスキンシップや
コミュニケーションがへってゆく それを身をもって知ってった。

 それらがあったら「職場復帰」も簡単だろう
産後の身体が回復をして 子育ても手がかからなければ
すっと戻っていけるのだろう だけども人は
子供をうんだらおっぱいが出るようになっていて
出るはずのおっぱいを止めて 子供にミルクをあげるというのも
目の前の母のおっぱいを見て ほ乳瓶から飲むというのも
子供的にはどんな気持ちなのだろう。


 子育ては大人の都合じゃうまくいかない
大人が何かをしたいとき そんな時に限って我が子は
泣きじゃくり 自己主張をくりかえし
決してうまくはいかないけれど それはエゴだと教えてくれる
子供が悪いわけではなくて お母さんが 自分の都合で
子供を巻きこもうとしただけで そこにストレスを感じてたから
子供はタイミング悪く泣くわけで 子供はエゴを教えてくれる。


 フランスではおっぱいを薬で止める人もいるんだそうな
無痛分娩が盛んじゃないのも 先進国では日本くらいだというそうな
それはやっぱり 日本文化に流れる自然とともに生きている
そんな価値観があるからで 職場復帰がはやくとも
パートナーといちゃいちゃできても 人間という生物にとって
哺乳類である我々にとって どっちが「自然」なのかといえば
産後になったら 出るおっぱいを 子供に与えることだろう
(とはいえ今は「自然」とかけ離れた生活をしすぎてるから
おっぱいを出すのも一苦労!!簡単にできると思ったら大間違い)


 子育ては大変だけど 何もうまくはいかないけれど
自分の意志もどこへやら と思うけど けれども
自然は教えてくれる 大切なことがあるのだと
かけ離れていた生き方に 自然が何かを教えてくれる
沢山の器具や機械は子育てを楽にしたけど
子育ては1年では終わらない。 長い目で見たときに
あー大変だったけど がんばってよかったなーと言えるなら
辛かったおっぱいも とっても重いおんぶでいるのも
きっとそんなに悪くない。

懐かしのパリ

2009年02月19日 | フランスあれこれ

 今日は念願のパリ ドアノー展に行かせてもらい
久々に写真展を味わった。

 ドアノー展にはそんなに興味はなかったけれど
JRに乗った際にふとチラシを見ると あれ?
あの有名なパリ市庁舎前のキスの写真は
もしやカフェで撮られてる、、、


 このポスターを見た人は 何千人もいるのだろうけど
これを見て この写真がカフェのテラスから撮られたなんて
考える人はきっと私くらいしかいないだろう

 そう思ったら行きたくなった。私もそのカフェが
あったところの テラスに座っていたような気がしてるから
もしかしてあのあたりから そう思うと身近になって
こりゃどうしても行かなけりゃ と行ってきた。


 するとロベール・ドアノーがいた時代というのは
ボーヴォワールが活躍していた時代と同じころのことらしく
見る写真みな 懐かしいような 私が知ってる
本だけで知っているけど すごく身近に感じてしまう
20世紀半ばのあのパリで ああこの人も あの人も
あの有名な ボーヴォワールのドゥマゴの写真も
みんなドアノーが撮っている。


 嬉しかったのは私が一度もみたことのない
パリ中央市場の写真をぱっとみて あ!レアルだ!と
思えたことで かつてレアルという場所にあった
大きな大きなパリの胃袋 パリの中央市場の写真は
とても暖かくて目をひいた。かつてフロールの主人のブバルも
レアルの近くのカフェで働いていたんだそうな
あの時代が懐かしく あの時代がうらやましい


 ドアノーの写真を見ると パリに行きたくなるけれど
彼が伝えてくれること は パリでも何処でも
人は生きてて ただ賢明に毎日を生きている ということで
たまたまパリに生まれた人も たまたま日本に生まれた人も
アフリカに生まれた人も モンゴルの人も みんな日々を生きている
ただそれだけのことなんだ 何も特別なわけじゃなく
同じように 生活してる それだけのこと。


 よくみれば パリは汚く
よくみれば みながみな幸せそうなわけでもなくて
かつてフランス人に言われた言葉を思い出す
「どうしてこんなにきれいな国に住んでいるのに
日本人はパリにやたらと憧れてるの?」ほんとだね。
けれどもやっぱりパリはなんだか恋しくて
なんだかとても行きたくさせて
あのカフェが淋しくっても
コーヒーの飲み過ぎと 砂糖のとりすぎで
さえない表情になっていっても 
なんだか行きたくなってしまう


 またパリに行きたいなー
れんちゃんつれて 行きたいなー
今度は仕事で そう思っているけれど
そのために は フランス語
子育てしながらフランス語は重たいけれど
フランス語は やっぱり詩的で美しい

 暇つぶしをしてる人達にとって
パリは大きな劇場なんだと ドアノーは言ってたそうな
汚くっても詩的なパリに 淋しくっても美しいパリに
いつか私も戻りたい。

cafeという思想

2009年02月18日 | 書くということ

 昨日ちょっともののはずみで自分の著作名で
ネット検索をしていたら なんと自分の著作を読んだ!という
タイトルで ブログを書いてくれてる人がいた。


 どきどきしながらどんなことが書かれているのか
読んでみる と その人はめちゃくちゃ理解をしててくれ
私が紙に書いた言葉を 時折引用すらしてくれて
カフェとサロンの違いとか どんなアトラクターが
存在してたかなどなど かなりしっかり書いててくれた。
それらの言葉を 私はネット上には書いていないから
どう考えても あの本の紙に書かれた言葉を
読んだ人は咀嚼して 自分の言葉に組立て直して書いたのだとしか
考えられず 私が書いたつたない言葉が誰かの中でまた
言葉になった そのうれしさに感動を隠せなかった。


 しかもその文章を書いていたのは東大の若手の先生らしく
京大からはなかば追われるように出て行く羽目になってしまった
私がカフェで書いたもの を 東大の教授がきちんとよんで
しかも「良書」だと言ってくれてる!!それが本当に嬉しくなった。


 ボーヴォワールは少女のころに いつか自分が書いた小説に
涙をながす 自分以外のもう一人の少女がきっといるだろう と
その人のために その人を想って小説を書こうと決意したのだと
言っていたけど 遠い日本で 50年後に彼女の言葉に心を打たれる
私がきちんと存在していたわけであり 彼女は私を知りもしない。

 見も知らぬ誰かのために 何かを書くと言うことは
短期的にはむなしいことで 誰にも何も訴えてないこともある。
私は本を書いたけれども 自分にとって それはすごいことだけど
「大学は出たけれど」の次にくるのは「本を出してはみたけれど」で
ものすごくがんばって本を出しても まわりの人は「あーそうなんだ~」
意外にもそれでおしまい。「今度買うねー」「買ったよー」
それでその後はどうなったのか 知ることのないまま時が経ち

 そうか本を出しては見ても ずっと憧れてた行為をしても
結局はこんなものなのか なんだかむなしい 子育てのほうが
ずっとダイレクトに喜んでくれる よく知ってる我が子がいるから
その方がいいかもな、、、 せっかく本を出したのに、、、
長いことそう思ってた。


 けれども昨日学んだことは 本というメッセージは
見知らぬ誰かに 随分と時が経っても 届く可能性があるわけで
ボーヴォワールの知らない私や多くの日本人女性たちが
彼女に影響を受けてたように いつの日か 今ではなくても
いつの日か どこかで誰かが自分の言葉に「そうだ!」と思う
そんな日が来るのかも


 cafeとは思想かもしれない。 もしかして私の書いたcafe論は
21世紀的な思想の一つかもしれないと 思ったこともあるわけで
何がどうとはいえないけれど これからの時代に必要な
そんな思想かもしれなくて 「そうだ!」というのは
私ではなく それを聞いた見知らぬ誰かや
それを読んだ見知らぬ誰かかもしれない。
そうして誰かが私の言葉に影響されて それをまた
自分の言葉で伝えていって それがどこかに広まるのなら
それは一つの思想なのかも だとしたら私が書いたあの本も
多少は意味があるだろう。短期的には むなしくっても
身近な人には響かなくっても いつの日か 
どこかの誰かに 私の言葉が響けばいい。

アートのある暮らし

2009年02月16日 | 私の人生

 ここ最近は日曜日はげんきくんも部活を休んで
家族だんらんの日にしてくれて
昨日は朝から外に出て 用をすませてもまだ昼で
あまりにも天気がいいので美術館に行くことにした。

 引っ越しをした我が家から 一番近い美術館は
たぶん大山崎のアサヒビール山荘で 
そこには素敵な眺めのカフェがあるから
展覧会の内容がどうであっても ただあの場所で
お茶をしたいと そんな気分でそこに向かうことになる。


 れんちゃんをつれて大山崎に行ったのは
お腹にいるときをふくめてみるともう三回目。
いつも一緒にモネの絵をみて なんだかとても
いい気分。前回は出会った人に愛想をふりまいてたけど
今回はどうなるのかな とりあえずげんきくんが
おんぶしてくれるならいってみよう!と行ってみる。


 すると全く期待してなかった今回の展覧会は
ただの日本画かと思いきや 若手の日本画風の画家さんの
展覧会で かなり面白いものだった。
美術館には何度も足を運んだけれど 楽しいな!という
気分にさせる そんな空間はなかなかなくて
彼の絵は みているだけで なんだかくすっと笑ってしまって
あーそうか 教養って こうやって使ってこそ面白いんだと
新たな視点を与えてくれた。


 赤ちゃん背負って どきどきしながら
こうしてアートに触れるというのもなんだか得難い経験で
少しずつ 少しだけれど もとの生活に戻れたような
そう思うだけでとても嬉しい


 私にとってアートなんて 結局はひまつぶしかもと思ってたけど
やっぱりなんだか楽しくて やっぱりないと辛くって
いつでも少しは触れていたい もうおんぶは限界だから
次はベビーカーに挑戦して ロベールドアノーの展覧会に行きたいなあ


 れんちゃんといて ずっとかまって自我を捨てるのもありだけど
28年間生きてきて ママになった期間というのは
れんちゃんが私を知ってる まだごく短い期間なだけで
イイダミキもいるわけで なかなかそれは捨てられない。
そのうち一緒に 楽しめるようになるかなあ
美術館とか カフェとかパリとか 一緒に行って
れんちゃん自身も楽しんでくれる そんな風になるかなあ
どうなることかはわからないけど ちょっとずつ自我も取り戻したい
またいろんなところに行ってみたい 
春がもうすぐ来るからだろうか そんな気持ちになってきた

cafe再開

2009年02月14日 | 私の人生

 そうだ!家でcafeすればいいんだわ!と思い立って
今日が初めてのcafeの日で 三人くらい来そうなところが
結局一人になったけど 沢山ゆっくりお話できて
なかなかいい時間を過ごすことが出来ました。

 もしかして人はご飯を誰かと美味しく食べたり
お茶をするために生きてるのかも、、、
そう思ってからは一層一期一会を大事にしようと思ったわけで
これからも出来る限り誰かとのゆっくりとした
出会い 語らいの時間を大事にしたいと思います。


 というわけでとりあえず2月中は毎週土曜日の
2時から5時半くらいまで開催しようと思います。
メニューはたぶんコーヒー、ハーブティ、
クッキー できればケーキもあるといいかなという
感じです。ちょっと京都の街中からは離れてしまいましたが
帰りに温泉によれる(うちから徒歩5分!)という
立地でもありますのでよかったらお越しください。

 そのうちダライラマの映画の上映会もできるかも?
cafeからは夢が広がって 話すことで
夢想が現実味を帯びてくる それが素敵だなあと思う
人と人との出会いだったり 誰かと時を過ごすこと
ただそれだけのことが 人生において
すごく大事なことのような そんな気がするこの頃です。



使命

2009年02月07日 | 想いをカタチに

 昨日は久しぶりに夜の街に出て
cafeについて話す機会を与えてもらって
なんだか元気になってきた。


 「よかったら講師をしてみませんか?」という
お誘いがきて せっかくだからお願いしますということにして
本当に行けるのだろうか 金曜の夜だけど
なんとかバトンタッチできるかなーとどきどきドキドキ
していたけれど げんきくんは帰ってきてくれ
家をぐちゃぐちゃにしたままで「行ってきます!」と
街にでた。


 会場は思ったよりも遠いところで 着いたら少ししか
時間もなくて すぐに話しも始まったけど
それでも私のつたない話しが終わったときに
予想以上に拍手がもらえて あーよかった!!とホッとした。

 みんな聞いてくれてるのかなー
あーだめかなー 興味ないかなーと
ずっとドキドキしながら話してたけど
話しの後で私のところにきてくれた一人のおじさんが
「感動しました!!」と言ってくれて本当に嬉しくなった。

 その方は「街の縁側プロジェクト」という
なんとも面白そうな取り組みをしている方で
もっと色んな人達が気軽に会って話しができる
そんなカフェ的な場を求めてたんだと話してくれた。
建築をしていくらハードをつくっても
素敵に見えるその家の中で孤独死したり
虐待がおこっていたり そういうことを実感するうち
その人は中身の使い方について悩むようになったそう

 いくら素敵なハードがあっても
そこで孤独にすごしていたら 
ハードが素敵になった分だけ 固い扉で閉ざされた分
外に出にくくなってしまって 気楽な話しがなくなってたら
人はどんどん孤独になって また一つ 事件が起こってしまうかも


 その人と私は話して ああそうか
私のこのカフェ論は もっとみんなに伝えなければと
だってカフェがあることで カフェ的な場があることで
救われる人が絶対沢山いるはずだから
「カフェで私は救われる」けど それは私だけではなくて
「カフェで人は救われる」のかもしれなくて
だからもっと伝えていこう てぬぐいの使い方を
伝えたように カフェのような場にだって
使い方があるわけで そうしてもっと 幸せな関係性を
結べる人が増えたなら 少しは社会がよくなるだろう


 本を書いて 当面は 私の使命はこれなのかもな
こうして伝えて 聞いた人達が自分の場所で
「こうしよう!」とピンときて 何かに活かしてくれるよう
私は伝えていくんだな もっともっと
カフェ的な場が増えればいい そしてみんなが
win winな関係性を結んでいって
孤独だった淋しい人が 「あれもできる これもできる!!」と
わくわくしていけたらいい。


 辛い事件を目にするたびに カフェが人を救うのにと
思って私は書いていたから それがもっと伝わるように
ちょっとずつでも動いていこう。

革命

2009年02月06日 | 子どもから学ぶ

 れんちゃんがこの世に生まれて7ヶ月が過ぎてく中で
私の中で心身ともに激しい変化がおとずれて
レボキャンだとかレボカフェだとか言ってた私に
私の中に まず革命が訪れた。


 言葉にするほどまだはっきりとはしてないからって
ずっと書かずにいたけれど 妊娠中から 今に至るまで
激しすぎる変化は起きていたというのに
それはどこにもきちんと書かれておらず
ということは いつか振り返りたいと思ったときに
何も残されてないわけで かつては記憶力を自慢していた
自分だけども 今ではもう 早稲田のことすら
ぼんやりしていて あのころのことを小説にしてみたいと
かつて思った そんな日々がもう記憶の彼方に去っていて
結局のところ すぐ書かないと いつかなんてこないのか。



 れんちゃんが生まれてこうして育って
大きな変化はいろいろあるけど ひとつかなり大きい変化は
「自由な女性!」の私から ちょっと古風な女の生き方に
適応しつつあることだ。小さなころから自由に憧れ
のびのび育って男の子と同じなんだと思ってたけど
差別なんてくそくらえだと思ってたけど
今となっては 世の中にあるたくさんの女性にとっての「障害」が
本当は 障害じゃないと 思うようになってきた。


 子供を産む前までは もっと自由に生きてたいとか
自分の人生が何なのかとか 思ってたけど
今も時には思うけど 子供とともにいる幸せは
何ものにもかえがたく れんちゃんがいてくれるから
やっと私も笑顔になって やっと私もあー幸せだと
感じられるようになってきた。


 子供は本当に色んなことを教えてくれて
母親が自分のエゴにとらわれていればいるほど
子育ては難しくなり 子供がストレスになってゆくけど
仕方がないからもう仏教の境地にたって
「欲があるから苦しいんだ」と欲を捨ててみたならば
幸せがすっと手に入る そんな気がする。


 今こうして時を過ごして 確実に幸せだなあと
感じられるのは 街を歩いている時でも
カフェに行ったときでもなくて
れんちゃんとじゃれあっている時で
こうして私も彼も幸せで お互いに笑っていると
どこにいっても「かわいいねー」と言ってもらえて
ああそうなんだ 私はひたすら子育てをしてはいるけど
私が愛情を注ぐこと で れんちゃんは確実に笑顔になって
その笑顔 は 他人を幸せにしてくれるから
私は平和に貢献してる!と思えるようになってきた。
れんちゃんは本当にみんなに優しく笑いかけ
まわりの人がよろこんでいる それって素敵だと思う。


 子供は人を幸せにする 素晴らしい力をもってて
そんな子供が誰よりも求めてるのは どうしたって母であり
母さえ子供を愛してあげたら 相思相愛になれるのに
二人でとっても幸せなのに 「仕事したいのに!!!」と
母が思うと その関係は崩れてしまう。
けれど長い目でみたときに かけがえのないものは
かけがえのない関係性は 本当はどこにあるのだろう
子供を預けて仕事に行きたい その気持ちは誰よりわかった
気がするけれど 7ヶ月間 一緒にいてみた今となっては
そんなことが考えられない私になった。


 沢山の価値観が変化する中
自分の身体を通して学んでいく中
うまく言葉にできないものを
少しずつでも言葉にしたい
またちょっとずつでも書いてみよう

cafe的空間

2009年02月04日 |  カフェ的な場で考えたこと


 長いことブログを書けずにいたのは
いろんなことが消化不良でいたためと
一ヶ月近く寝込んだりしていたためだけど
最近はやっと身体が快方に向かいつつあり
次のステップに向かえそうな そんな気がする。


 先日行った北野天満宮の天神さんで
今年初のおみくじをひいてみる と 大吉がでて
「今は厳しい寒さだけれどもたちまち春がやってくる」のだと
書かれてた。そうなんだ 冬にしか できないこともあるわけで
毎年冬はひきこもるから 今年も手作りを頑張ろうと
ひきこもり を 堪能してた


 けれども少し 何かが変わっていくようで
今日は立春 少しずつ 私の中にも春が来る。


 今日は一つ芽生えがあって
引っ越しをした この家で そうだカフェをやったらいいと
どうせ動けないのなら ここでやったらいいじゃないかと
思い立って嬉しくなった。
カフェがあるから開かれる
家のままだと閉ざされていて
世界の平和はまず家庭から と言ってはみても
家庭の次に踏みだす道がみえなくって困ってたけど
家庭をカフェに変えてみたっていいわけで


 れんちゃんは人を癒す力があって
人を笑顔に変えてくれ
私は私で お茶やもてなしで 大事な人を癒したい
それなら二人で どうせ一緒にいるわけだから
その空間を開いてみたらどうだろう
人が来るのは大変だけど やっぱりとっても大切で
誰かと一緒にいれたらいい 
カフェというのは 人と話しをするというのは
人生の目的にすらなりうると
天神さんに行って気付いた。
それほど大事なことだから
交差点じゃなく目的地 終着地点になるような
そこに行くからがんばろうと思えるような
そんなカフェができたらいい。


 そういうわけでcafe lunatique を桂の我が家で
開催しようかと思います。毎週末とかできたらいいなあ

フランスに行くなら

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