alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

嵐の中の決意

2008年08月29日 | 私の人生

 先日友人が来てくれた後 こんなメールを届けてくれた。
「れんちゃんはみきちゃんのオルタナティブウェイなんだと
思ったよ」 その意味はよくわからなくって ふーんそうかと
思っていたけど 最近やっと よくわかる。


 どうして私に どうして私が こんなに早く子供を生んで
周りは誰も生んでいなくて どうして私にこういう運命なんだろう?
よくわからないでいたけれど 独身で楽しそうに生きている
女の子達がうやらましーとも思っていたけど
れんちゃんがいるからこそ できることがあるわけで


 妊娠中に本を書いたのも 人から見れば
「妊娠をしてたのに?」と思われそうなものだけど
私にとっては逆説的な必然で 妊娠をしていなかったら
決して書けたものではない。


 親になったら 子育てだけで 何もできないのかと
思ってたけど そんなときに「自分の母親は子供が生まれて
自然保護活動をがんばるようになった」というメッセージを
もらうことになり そんなこと が あるのかなあ?
と半信半疑な気持ちをもった。


 だけど昨日 また恐ろしい嵐の中で
ああそうか 私はこの子を守るために
本気でこれをどうにかしないと
本気で環境問題に 向き合って解決に向かわせないとと
そう思う。あまりに恐ろしい稲光の中
我が子はすやすや寝ているけれど
この先ずっと 悪くなってくばっかりの
こんな異常気象の世界の中で
彼はこれから生きていく。


 大人だったら こんな雨の中だって
仕事に行ったり 銀座にランチに繰り出しちゃったり
予定を辞めることもないけれど 乳児には
あまりに危険な雨だから ちょっと散歩のそのはずが
命取りにもなりかねなくて 予定通りに
京都に帰ろう そう思ってた新幹線で
閉じこめられたらどうなるか そう思うだけで恐ろしい。


 独り身の大人だったら 異常気象がつみかさなっても
そんなに気にはしなかっただろう。
だけど私には守るべき 守っていたい存在がいて
地震がきたって彼を守ろうとするわけで
そんな彼が 20年後も生きられるのか
「2050年は江戸時代」かもしれないけれど
激しい混乱の世の中で 生命を守っていけるのだろうか


 お受験だとか 高級な生活だとか
いまだに昔の「豊かさ」が ひきずられたまま社会は動く
だけど本当は もうそんな場合じゃなくて
昔私が書いてたように「NO TIME TO WASTE!」なんだ。
もうリミットぎりぎりで 生きるか死ぬかの
環境が激変している世界についに突入してて
のんきなことはいってられない。
ようやくそれに 気がつき始めた。


 れんちゃんが生まれた時には日本で
サミットが開かれていて 今年の京都の7月は
記録的な猛暑日で 8月になったら記録的な集中豪雨。
新しい命達は 何も悪いことをしていないのに
一番危険な目にさらされる
だから私は守らなければ だからどうにかしなければ。


 妊娠中からいろんなものがそぎおとされて
高校時代の自分のように ずっと戻ってきたけれど
ようやくここにたどり着いた たどり着いたのは
たどりつくべき 私の原点にあるとこで
これから生きてく新しい命 どうにかしてでも
守るために 私はこれから頑張ろう。



二ヶ月

2008年08月28日 | 私の人生

 つい二ヶ月が経ってしまった。
実家に帰ってのんびりしてたらもう一ヶ月が経ちそうで
何をしたって 何にもしているわけじゃないけど
乳腺炎になったおかげでれんちゃんとのおっぱいの相性は
ぐんとよくなり 授乳がこわくなくなって

 飯田家の皆様に助けられ のーんびりと
子育てできた。「ちょっとシャワーしたいんだけど」
「ちょっとバス停行ってくるから」
「ちょっと東急に行ってもいい?」とたずねてみると
快くみんなみてくれて それがすごく助かって
あーなーんだ こんなに楽にできるのだったら
そりゃたくさん生めるよなー と大家族の醍醐味を実感できた。


 実家でリハビリ そうは思っていたものの
甘えようと思ってしまえば いくらだって甘えられそうな
この環境では 身体が回復しているようでも
なんだか気合いもはいらなくって
まーいっか 今は動かないのが一番いいし
だれだって今は産休なわけだし
そう思っては日が暮れる。


 やっと散歩に行こうとしても
この一週間雨だらけ!で スリングをつかう機会もなくて
うちでだらだら 二人一緒におねんねだ。


 いい加減こんな環境もいけないかしら
誰かにがつんと怒られるかしら
でもまーちょっとはいいかしら
そんなこんなを思いながら ようやく京都に帰ろうかと
そんな気分になってくる。


 れんちゃんは完全母乳育ちになって
それでもすごい勢いで大きくなって
いろんなところがぶっとくなって
もうすぐお外デビューができるかなあ?

 ベビーカーでカフェデビューとか
スリングでカフェデビューとか
いつになったらできるかなー


 とりあえず京都に帰れば 
お世話になってた三条スタバに挨拶に行き
そこでだったら泣いても即座に帰れるし
一番はじめにデビューするのは
やっぱり京都のスタバかな?


 帰って一人でいろいろするのは
まだまだ不安も大きいけれど
そろそろ帰り時かしら







突然ですが

2008年08月24日 | 私の人生

 突然ですが 念願のカフェ研究の本を出版することになりました!
あと10日後には本屋さんやアマゾンで買えるようになります!!

 気恥ずかしいのでタイトル含め詳しいことはまた後述しますが
こんな想いで書きました ということを今日書く機会があったので
載せておきます。興味があったら是非読んでください。
ちなみに私から直接も買えます。。。


 高校時代からカフェや喫茶店に憧れていた私が念願のフランスに留学したのは2001年の秋だった。交換留学協定の結ばれていたパリ政治学院という学校は、商学部で政治に興味を持たない私には始めから遠い存在だった。たまたまそこに通ったものの、フランス語ができないばかりか扱う分野にまるで興味が持てないままの私が逃げ込んだ場所、それがサン=ジェルマン=デ=プレ界隈のカフェだった。パリで苦しい思いをし続けて泣きそうになった私に向かって、母は国際電話でこう言った。「だったらカフェにでも行っていればいいじゃない!」母から許可を得たのをいいことに、一日何度もカフェに通い、それだけではもったいない、と小さなメモをとりはじめ、そこから研究がはじまった。

 次第に私はカフェという場の底力に気がつき始め、新しい時代が生まれる熱気がカフェという場にあるのでは、と思い始める。そんな折り、カフェという場からフランス革命や様々な芸術運動が生まれたことを耳にして、何故カフェからそれらの熱い動きが生まれていったのか?というのが私の大きなテーマになった。

 日本に帰国し、パリのカフェと日本のカフェとの違いについて発表し始め、気になりつづけたカフェという場と社会運動や「天才」達との関係性を探ろうと、大学院にまで行くことになる。どうしてこうも偉人達とカフェという場は結びついているのだろう?実は「天才」たちがカフェに通ったわけではなくて、カフェに通った者たちが、のちに「天才」になっていったのではないのだろうか?そうでなければこの天才の羅列のような関係性は説明できない。百年前のパリのカフェに自ら通って自分を高めた「天才」達。どうして彼らはカフェという場に通うのだろう?

 カフェという場にはいったい何が隠されていたのだろうか?彼らが発する声を聞こう。その言葉の奥の方に隠されているメッセージとは一体どのようなものだろう?それをずっと探りたかった。そう思いながらカフェで研究をし続けて、ある時ふっとわかる日が来る。「ああそうか!彼らが書いたことというのはこのことなんだ!」カフェに通い、休学して自分でカフェを運営し、様々な人と心通わせるカフェという場での出会いの中で、気付いた視点が沢山あった。それらを研究に還元し、研究を社会に還元したい。もっと沢山の人にどうかそのエッセンスを知って欲しい。そんな想いで私の研究は本になる。今のご時世、私と同世代の若者達はカフェには通うこともなく、喫茶店にも行きはしない。

 しかし私は最近の暗いニュースを見るたびに、もっと多くの人がカフェを使えば、カフェがもっと使える場所になったなら、恐ろしい事件も減るかも知れないと思わされる。カフェという場は逸脱者たちの避難所であり、逸脱者たちが出会うことで思いがけないプラスの力が働くこともある場所なのだ。この時代、路地や縁側という場のように、カフェという、何気なく行くだけで出会いがあって救われる、それだけでなく思いがけないプラスの力が働くような、そんな場所が求められている、そんな気がする。カフェという場は私だけでなく多くの人を救ってくれる。この研究を始めて以来、研究においても実践においても通うことでも、私はそれを痛感してきた。よいカフェはその近辺の空気の浄化装置となって、よどみを力に変えさせる。
 どうか一人でも多くの人が、カフェという場の力に気付いてカフェに通い、誰かと出会い、救われて、かつ何かが生まれてくるように、そしてそんな居心地がよく通えるカフェがもっともっと増えてくれるよう、そんな想いで本書は本になりました。


授乳

2008年08月08日 | 子育て

 乳腺炎になったおかげで母乳マッサージに通い始めたら
急速にれんちゃんと私のうまがあってきて
れんちゃんはしっかりとおっぱいを吸えるように一晩でなり
私は私で なんだかまた出がよくなってしまったようで
今までは一回につき1時間半もかかった授乳が
たいていは一時間以内に短縮されて
それどころ か なぜだか10分しないで終わる
「えっ!?もう寝るの!あれだけ泣いてたのに!」
というのが何度か続いて 急に自分の時間ができる。

 
 ひ 暇だ、、、、何してよう?


 あまりにも突然に 彼は急成長をとげてしまって
私も自信がついたから それに沢山おしえてもらって
なんだが授乳が愛しくなって れんちゃんと
ぴったりとくっつきあって飲んで貰ってる
そんな時間がいとおしい。おーこれなのか ラブホルモン!


 昨日は母に授乳クッションを買って貰うと
今までえいやこらっと 枕やらクッションやらを
つみあげていた その面倒くささも失われ
すーっと動かすだけでいろんな方向で授乳ができて
無駄な時間も 無駄な「よいしょ!!」も腰の痛みも
解消されて楽になる。その上姿勢がちゃんとしてるから
彼の表情もちゃんと見え うわかわいーと思えてくる。


 この文章を読んでるだけじゃ 私がどんなに
れんちゃんのことを可愛いと思っているかは
想像もつかないだろうと思うけど 実際のところ
れんちゃんはとても可愛くて 最近は目もばっちり開いて
ちょっとずつ表情ができ コミュニケーションが
とれてるようで 起きるたびに 「可愛いなー!」を
繰り返す。授乳が楽になってしまうと
妙に時間がぽっかり空くから 抱っこするのを楽しんでみたり
ちょっとは家事を手伝ってみたり
一二ヶ月が大変だというけれど こんなに楽になるのなら
それなら家事もできるかも もう昼寝タイムもそんなにいらない。


 コミュニケーションがまったくとれない
そんな時期を過ぎてけば もっと表情もついてきて
もっとわかりあえるのだったら この先楽しいのだろうなあと
ちょっとはゆとりも出始めて
大変だけど 自分の子 で 大変だけど 私が母で
だからこそ 誰よりも この子と向き合う権利があって
抱っこをしたら泣きやんでくれる それってやっぱりとても嬉しい。


 いつ泣き始めるかわからないけど
そうしてようやく泣き始めたけど
これが我等のコミニュケーション。
そして今から授乳時間。


 

おっぱい

2008年08月06日 | 子育て

 日本では江戸時代までおっぱいは 性的なものではなかった
そんな話をどこかで聞いた。浮世絵をみても
子供とともにおっぱいを出してる女の人は登場してて
なんだかそれが恥ずかしかった。だけど一体
おっぱいって何のためにあるんだろう?


 かつて生物学の本を読んでいたときに 身体の機能が
気になって その時人間のおっぱいにはあまり
動物的な機能がないといったような話を読んだ気がするけれど
27年間生きてきて 今になってようやく気付く。
おっぱいは何でついてるかって 子供のためにあるんだわ!

 
 ちょうど陣痛の日にランチを食べた友人が
女性は30歳を過ぎて子供を産んでいないと子宮ガンと乳ガンの
確率がぐんとあがるらしいと言っていたけど おっぱいを
使う生活にやっとたどりついてみた今は その意味が
よくわかる。この27年間おっぱいなんてたまに触る程度だったけど
今では一日何十回もさわりに触って よく知っていて
恐ろしいと思ってたしこりができたらすぐわかる。


 子供が生まれて母乳をのんで おっぱいさんが機能して
生まれてはじめて おっぱいのもつ動きを知った。
今まで私のおっぱいなんて 小さいだとか
しこりがあったらどうしようとか そんな程度のものだったけど
今では風船のようにもなれば マシュマロのようにふわふわにもなり
変形自在のおっぱいで れんちゃんが吸えば吸うほど
おっぱいの形もなんだか凄みを帯びてくる。


 乳腺炎になってみて かなり辛い状態だけど
よかったなあと思えているのは おっぱいについて学んだからで
おっぱいは張るから母乳が出るんじゃないとか
吸えば吸うほど出るのだとか 私のおっぱいはほめられるほどの
ものだとか いろいろ知って自信がついた。


 私たちの母乳育児は奮闘だらけで
子供を産んだその日から 母乳に血が混じっているとか
れんちゃんが早く生まれて哺乳力が全然ないとか
しかもおっぱいの形が吸い付きにくいとかの 三重苦。
それでも「母乳が絶対よ!!」と言い切る義母が
私はとっても恐ろしかった。飲ませたくても 飲ませられない
そんな苦しみを抱えてるのに 助産婦さんも何人がかりで
れんちゃんに飲ませてみようとしてるのに うまくいかない
まったくもってスムーズでない そんな出だしが私のおっぱい。
本当につらくてストレスだったけど 唯一の救いは
「一杯出ますね!」という助産婦さんらの驚きの声。
それだけでなんとかがんばった。


 乳腺炎になったおかげで 大きくなったれんちゃんと
共にもう一度飲ませ方をおそわって そしたら何とも
スムーズに飲め 昨日は感動的だった。
スムーズに飲めたところで 彼は大量に飲むようで
やっぱりおそろしい程の授乳時間をとられるけれど
元気がとりえのれんちゃんは 平均値の1,5倍も優に超える
伸び率で 大きな子に育っていってる。
そりゃああんだけ飲めばなあ!!


 授乳にちょっと自信がついたら 授乳タイムも
ちょっと楽しくなってきて 何となく ラブホルモンの意味がわかる。
吸えないときはぎゃーぎゃーなくけど ほとんどの場合
お母さん側に原因があるらしく 最近は 「吸わせる」よりも
「吸ってもらう」に心境が変化して あー楽になった ありがとう!
と 思えるようになってきた。


 あまりに禁止物が多いけど それらがどう変化するのか
それをどうあかちゃんが受けとめるのか 目で見てわかってしまった今は
なるべく彼に おいしく吸って貰えるように できる限りは控えよう
母乳育児は大変だけど 乳腺炎も治らないけど
これらのお陰でいっぱい学んだ 今日も明日も授乳の日々は終わらないけど
授乳がなければ淋しいわけで いっぱい触れ合っていくことにしよう
一難去ってまた一難 だけどそれらを乗り越えて
こうして母は強くなる。






第二の性

2008年08月03日 | 女の生き方

 マタニティブルーを乗り越えたかなと思ったら
また次の波がやってきて また乗り越えたと思ったら
また次の波におそわれる。


 最近かつての2倍以上のおっぱいをのむれんちゃんは
時間もめちゃくちゃかかって飲んで おっぱいを
あげてる以外に 何もできることもなく
母にちょっと 家事をしろとか 京都に帰ったら
どうするんだと 脅されるたびに怖くなる。


 それだけじゃなく わたしのおっぱいは傷だらけで
右のおっぱいは傷がついてて 左もなんだか痛かった。


 この痛みは何なのだろう?そう思いながら吸わせていると
れんちゃんが叩くことに気付いて もしかしてあざ?と
恐ろしくなる。本当に 想像を絶するばかりに母乳育児は大変で
かつて耳にした「一、二ヶ月は大変だけどどうかがんばって
乗り越えてください そしたらあとがずっと楽だから」という
そんな言葉だけを胸に 何がいいのかもわからずに
ひたすら母乳でがんばってきた。


 だけど 私は疲れてしまった もう限界か もうやめたい。


 そう思ってもうミルクにしようと 昨晩はミルクを
あたえてみたけれど 必死になって 母乳育児をがんばってきた
私の身体はおっぱい生産マシーンと化していて
れんちゃんが起きなくっても 私の胸はパンパンに張り
大量のおっぱいが生産されていた。もうそんな身体になったんだ。


 そして今朝 母にそのしこりについて相談したら
「もしかして乳腺炎?」といわれて突然ドーンとブルーになった。
なんで?和食を食べてきたのに? もしかして 甘いもの の食べ過ぎか



 母乳育児も育児自体もしんどくて 唯一のストレス解消に
お菓子くらいは食べてたいのに 友達がきたらお茶をして
お菓子くらいはつきものなのに それまでだめなの??

 おそろしかった「母乳に悪い食べ物たち」を
チェックしてみると あれもこれもだめであり
食べられるのは和食の粗食?カフェなんてもってのほかで
コーヒーはだめ!と書いてある。もう 生んでも何も解放されない。


 結局のところ 結婚しても 子供を産んでも
「幸せにするよ」だなんて言われても 男の人は
自分の好きな道を歩んで 女の私は 自分の意図とは裏腹に
専業主婦になっていて 「家事はできて当然」とされ
育児と料理と掃除洗濯 それが私の人生なのか?
れんちゃんは げんきくんと私の半分 そう思っても
今の育児は100パーセント私にきてて
精神的にも支えてくれずに プレッシャーがかかるだけ。


 たくさんのことを考えた上で それでも私は結婚をして
1年2ヶ月が過ぎていくけど 結婚をして よかったのか
後悔したのか どちらが大きかったかといえば 今はまだ
後者のほうで 結局のところ 女の人がどんなに自由を求めても
その代償は 悲しいことに女にまわりまわってくるから
料理も育児も 私は放棄できなくて 受け入れてみるしかないわけで


 第二の性って そういうことか 劣性って そういうことか
劣性じゃなく 本当は 女の人こそ力があると
そう思っていきたいけれど そのために は どうもこれらの
「女に与えられた役割」は 無視ではなくて 乗り越えていく
それしか道がないようで 本当に女は大変!そう思う。


 子供が欲しいというのは簡単で けれども育てていくとなると
母親が育てることになるわけで 母乳育児もまたしかり。
「こんなはずじゃなかったのに」と思ってみても
家事より育児は待ったなし で 一日たりとも休みがない。


 壁は乗り越えられる人の前にしか とか言ってみたって
私のまわりは壁だらけで 実家にいるのに四面楚歌 な
気がしてしまう 「幸せにするよ!」と言ったのならば
男性達にこういいたい。せめて鬱にはしないでほしいと






戦略

2008年08月01日 | 私の人生

 我が家では れんちゃんが退院をして2日目くらいから
戦略日記をつけていて 今日は勝ったの負けたのだのって
一人で勝手につぶやいている。


 昨日おとといは作戦勝ちで いい子で沐浴してくれて
夜もけっこう寝たと思ったら 今朝からなんだか
れんちゃんに負け ずるずるずると 彼のペースに
ひっぱられて 気がつけばもう夕方だ。

 実家にいたら たいして他にやることなんてないけれど
それでもひたすら授乳と睡眠 それでもう夕方なんて!!
京都に帰ったときのことを 考えるだけで恐ろしい。

 戦略日記(育児日記)をつけたところで
彼のペースはなかなかよめず 私はなんだか
じゃじゃ馬ならしをしているみたいで途方に暮れることがある。

 え!さっきあんなに沢山飲んだじゃん!!とか
 え!さっきあんなに泣いてたじゃん!なのになんで
飲む気ないわけ? げ!もっと寝ると思ってたのに!

 そんなことばかり毎日あって お母さんは途方にくれる。

 おっぱいを飲むのも我が家では何故か戦いで
彼は私を手のひらでめいいっぱい叩きにたたき
爪ではひっかき そして叫ぶ。本当にこれは体力勝負。


 戦略日記をつけてみて 勝った負けたと言ったところで
実は一勝一敗くらいで 二日勝ったら 二日負けてる
そんな程度なものだけど いつになったら
ちょっとは楽になるのかな いつになったら
もっとわかるようになるのだろうか?


 もう少し もう少しまてば 笑顔がかわいくなるらしい
もう少ししたらだんだんと コミュニケーションできるらしい

 だけどまだまだ 私はわからず とりあえず今日は完敗だ。





フランスに行くなら

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