alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

価値観の転換

2009年12月21日 | 女の生き方
 今日新聞の投書欄をみていたら 22歳の大学生が
「結婚を理由に内定を取り消された」と書いていた。
彼女はそれに憤ってて 「結婚していても
仕事を続けられる会社を探すつもりです」とのことだった。

 このご時世で そんなところがあるなんて、、、


 と 思うかもしれないけれど

 あるんだな


 でも私 は 彼女とは同意見ではもうなくて
内定を取り消した側の気持ちがちょっとわかる
だって結婚したのなら 子供ができるかもしれませんよ?
それでも本当に働くつもりなんですか?
「はい!」と彼女は即答するだろう
女達は 迷う事なく即答してきたことだろう

 けれど若い女ではなく 年をとった男達はよく知っている
妊娠した女達が どうなってったか
子供をうんで どうなってったか
職場に復帰はしたものの どういう働き方に変わっていったか
そして彼らが働く裏で 家庭はいったいどうなってるのか

 それは「配慮」なのだろうか 私は「配慮だ」とも思えるけれど
人事をしている人たちではなく 女達に 問うてみたいのは
「仕事がそんなに大切ですか?」ということだ


 もっと自問自答してみたらどうなのだろうと私は思う
女には いつの日か天秤にかけなければならない存在が
自分の横に ふとあらわれてしまうかもしれなくて
「男だって子育てできる」そうはいっても
子育てしている男達が口にするのは「ママは存在自体が
偉大だ」ということで 男達があれこれしても
決して泣き止まなかった我が子が 母がちょっと
抱いただけで すっと泣き止むことがある。
そんな存在は 30年間の人生の中で 出会った事も
夢見た事すらなくっても 生まれてしまえば
子供達は 「ここは自分の居場所であり 
当たり前の場所」として 私の家を我が家だと思い
私の胸をご飯だと思い 私の彼氏はパパになる。
子供は自問することもない 「ママはママじゃなかったこともある?」
ママはママなだけじゃなかったけれど 子供はそうは思わない
後から世界に生まれてきたのに 当然の顔で自己主張する
「あなたは僕のママでしょう?」

 そんな子がいつか 自分に産まれるかどうかなんで
イメージすらできなくっても そういうときが
結婚したら くる可能性がとても高くて
そこで女達に問うてみたい
「男と同じように働く事が そんなにも重要なこと?」


 その価値観って いったいだれが創ったのだろう
就活の時や親達から すりこまれてただけではないの?
それがあなたの自己実現で 本当にしたいことなの?
それであなたは輝いてるの?
そう思わされて就職するけど 本当にそうなのだろうか
(私のまわりには就職して鬱っぽくなった女友達も沢山いる)


 お金をもらって働く事が 誰かを幸せにすることならば
幸せにした対価が賃金なのならば 見知らぬ誰かを
ちょっと幸せ風にすることと 大事な誰かを
とても幸せにすることと どっちが幸せなのだろう
残念なことに 顔の見える大事な相手を幸せにしても
対価としてのお金は普通はもらえないけど
(カフェをやってたらそういうことはあるけどね)
その人の気持ちはダイレクトに伝わってくる
どちらのほうが 自分にとって幸せの効用が高いのだろう?


 お菓子をつくるのが好きだった人が
てづくり市で人気になって 大量にお菓子をつくるように
なってみたって 買った人たちは「ふーんこれは
あそこのよりはおいしいかなー」程度にしか思っていない
けれども顔の見える誰かに心をこめてつくったならば
それが何年たっても忘れられない 心に残った思い出になる
そんなこともあるわけで 友達にお菓子をつくるのが
好きな人 が 別に見知らぬ誰かのために
沢山つくる人になる必要性もないわけだ


 結局のところ 私は思う
女達が働いてるのは 「お金のため」とか
「当たり前の事だから」とか それだけじゃなく
「自分はできる!」そう思いたい そういうことじゃないかと思う
女達が無理をするのは 「わたしはやればできるんだから!」と
自分にいいきかせたいからなんじゃないだろうか

 だけどそれが証明されたら?
「そうですよ あなたってそんなに価値のある人なんですよ」
「あなたってそんなに色々できるんですよ」と証明されて
それで?何だったんだろう?って 思う日がいつかこないのだろうか
それって 結局 自分に自信のないことの裏返しだったんじゃないのかな
ありのままの自分じゃいけない だからいろいろ身につけて
無理そうに思える事も乗り越えて 無理とはいわない
そうやってやってきたのって
「このままじゃだめだ!」という自己否定の裏返しだったような気がする


 私はなんだかそう思う
広そうにみえる世界もあるけど
華やかにみえる世界もあるけど
行ってみた ら 別にそこまでという程でもなかったりして
本当の幸せは 意外にも足元に転がってたりするんじゃないか
たくさんのものを無理して犠牲にしなくても
大事な世界が あるんじゃないか
無理をして頑張って生きてきた 私はようやく 
そんなことに気がついた。
就活をしている女子学生と 私はとっても話がしたい。

変化

2009年12月21日 | 子育て

 最近幸せだなーと感じることがなんだか多くなったのは
どうしてなのか はっきりとはわからないけど
以前よりも 今を生きることが上手になって
その時間を 楽しめるようになったこと と
今の状況に感謝できるようになったからなのかもしれない。


 今日は急に旦那の帰りが遅くなることになったけど
そして一人でれんちゃんをみている間に
れんちゃんはめちゃくちゃ機嫌が悪くなり
泣きわめいて大変なことになっていたけど
私はたいしてしんどくなることもなく
泣くのが終わったれんちゃんをだっこしながら
いろんなことを考えた。


 ああ れんちゃんって 別人なんだ、、、
今かれは 「お母さんなんてわかってくれない!!」と
一生懸命涙をこぼして泣いている
その気持ち は 私もかつて抱いた事のある気持ちであって
「結局自分は一人なんだ」と そんな気持ちで
この前までは おかあさんとれんちゃんは
別々の存在だけど かなり一体感があったのに
なんだか今は 別人で 別人格をきちんと持ってる
それが生まれたときよりよくわかる。
おかあさんのお腹の中からうまれてきたのに
かつては私の一部というか
私の中で動いていたのに
今はもう 子供時代の私のように
「お母さんなんてわかってくれない!」そんな風に思っている


 そうなんだなー れんちゃんも 
いつか自分は一人なんだ 孤独なんだと 思う日がくるのかな
こんなにも一緒にいたのに 離れた日なんてほとんどないのに
でも大きくなって離れていって 私が母を思うようにしか
彼も私を思わなくなり 「くそばばあ!」と
言われてしまう そんな日だってくるのだろう


 れんちゃんんは大きくなった
走れるし 昨日は温泉でちょっと泳ぐようなこともできたし
つみきも積めるようになったし うたに合わせて
踊れるし 人の話はよくわかる し なんだか
本当に大きくなった もうおんぶ も
そんなに必要なくなって だって自分で歩くもん
たくさんの人に愛想をふりまき
勝手にコミュニケーションをとっている
彼と私は別人で なんだかそれって淋しいような
気が楽だからいいような
もう赤ちゃん!じゃ ないんだな。


 そんなれんちゃんがママと触れ合ってくれる
そんな時間が大切なのか そんな時
私にいつも見せてくれる あの笑顔が
かけがえがなくて もう少し 時間がないと
うすうす感じているからなのか
なんだかとても愛おしい
れんちゃんとのスキンシップ
コミュニケーションをする時間
彼の満面の笑みを 私が見せてもらう時間
それがとっても幸せで
そう それが幸せなんだなあ


 もう足りないものもそんなになくて
寒くったってこたつがあるし
ガスストーブも活躍するし
窓には省エネシートが張られているし
朝日は見えるし 夕焼けは綺麗だし
行こうと思えば歩いて温泉にいけてしまうし
がんばれば 錦市場にも輸入食品店にも
れんちゃんをつれてなんとかいけるし
いきつけの喫茶店はすぐ側にあるし
仲のいい友達もいるし
なんだかとてもいいよなあ

 洛西暮らしは街からちょっと遠いけど
景色もとっても美しくって
ゆるい空気が流れてて
なんだかけっこう気持ちいい


 焦って急いで生きてきたけど
子育てをしてみて わかることが
たくさんあって 学んだことが沢山あって
もしかして 神様は「こいつはそうでもしないと
学ばない」という人たちに 病気だったり
事故だけでなく 子供というおおきな
ものを与えてくれるのかもしれないと思う
子供を生んで 向き合いながら生きてくうちに
価値観がかわり 人が変わってく
子育ては 子供のためだけではなくて
親が成長するためにあるというけれど
本当にそうだなあと思う



 

ママたちの声

2009年12月15日 | 女の生き方
 ビフォーアフターという言葉があるけど
女の人が子供を産んでから と 産む前は
かなりビフォーアフターで 驚くくらいに
価値観だったり 生活もかわってしまう 
そんな事実に驚いた。


 子供を産んで沢山のママに出会って
最近は前よりも「ママ友」たちと話す機会も
増えてきて はじめはただの悩み相談だったけど
ちょっと元気になった今 は インタビューを
しているようで面白い。


 ここ最近は 以前から構想していた
子育てに関する文章を自分のまわりの
お母さん達とかいてみたらどうかなあとか
ブログをまとめて本みたいにしてみようかなと思ったりして
そのネタをどうしようとか考えながら 母たちと話をすると面白い。


 社会学をやってる人たちはきっと母親たちに
インタビューして いろんなことを「知る」のだろうけど
女達のいうことは 簡単には信用できるものではなくて
そこには微妙なニュアンスが含まれていて
「あんな男は嫌!でも好きかも、、」とか
「子育ては基本的に好きだけど たまにすごく嫌になる」とか
女達の移り気な気分のままに 感情は変化していて
その感情がダイレクトに その日の子育てに影響してて
「今日はすごく楽しかったけど 昨日はかなり鬱だった」とか
そんな状態になっている。


 公式のインタビューを受けたときには 人は緊張するもので
演じようとしてしまうけど 友達だったら?
カフェにいったら あけすけな打ち明け話であふれてて
それを私が「すみません もうちょっときかせてもらえませんか
その時どう思ったんですか?」と聞いたとたんに
その場は終わって 話のトーンは変わってしまう


 女達は 子供をうんで 「女性という性をもった
一人の人間」と思ってた人が 自分自身で「女」になって
「女」であることを痛感している女たち は
いったい何を思っているのだろう?
女達 の 本音というのは 子供を産んで
どう変わったか どうなったのか
その変化って 遠い彼方のことのよう で
結婚をして 2年もたてば まるで別世界にいるかもしれない
だけどそんなイメージは 結婚するまでわからない


 やっと愛する人と結婚をして 
あこがれのハネムーンにいった後
気がついたら妊娠してたら?
自分のつわりがどうかだなんて
つわりになるまでわからない。
私が昨日と今日話をきいた別々のママは
おんなじくらいつわりがひどくて
はじめから8ヶ月までひたすら吐いていたらしい
私はつわりがそこまでひどくはなかった方で
「一日中トイレにいた」という意味がさっぱりわからなかった。
彼女達は 何も口にすることもできなくて
そんな状態なわけだから 仕事を続けられるわけもなく
気晴らしをしようとしても ご飯もだめで
お菓子もだめで 本当にしんどかったらしい
今日話をきいた人は「100メートルも外出できなかった」
といっていたけど それをきいて 私も
一駅分も歩けなかった時があったのを思い出す。


 世の中には 妊娠しても 何事もなかったかのように
働き続ける人もいる だけどどうしたって
続けられない人もいて 自分がどっちになるのかなんて
「私だったら大丈夫!」と思っていても
実際はどうなるかなんてわからない。
十人十色 本当に違って 産後だって しんどいか
そこまでしんどくないかは十人十色で
ミルクだから楽なのかなーと思っていたら
はじめからミルクの友人は「ほんまにしんどくてなー」と
よく口にしている。おっぱいだけど「しんどい?
どういうこと?」という人もいる
夜泣きがひどい子もいれば 夜中寝っぱなしの子もいるわけで
本当に全然ちがう

 そんな中でも だいたい今まであった人たちに
共通している認識は「子育ては大変だ!」とか
「まさかこんな大変だとは思ってなかった」であるとか
「母乳がこんなに大変だとは」
「本当にストレスがたまって嫌になる時もある」
「産むのよりもつわりが大変 または 産後が大変」
「産後がこんなにしんどいものだとは!」
とか そんな感じなのかなー


 私は何がしたいのか まだ明確にはわからないけど
彼女達の話をこんなに生々しく 赤裸々に
聞かせてもらえる そんな立場は私も
同じ「困っていそうなママ」だから で
そんなふり(?)をして話をきくのも
なんだかとても面白い。
「働けるなら働きたいけど、、、(葛藤)」

親バカ

2009年12月14日 | 子育て
 年賀状の準備をいい加減にしようと思って
今年とった蓮ちゃんの写真をみていたら
思ったよりも沢山あって みればみるほど
「かわいい~!!」と思ってしまうものばっかりで
あーそう思えて幸せだなあと思ってた。


 れんちゃんはいつもいつでも
私たちが鬱っぽくなってた時でも
満面の笑みで笑ってくれて
誰に教わったというわけでもないけど
彼のあの満面の笑みは なかなかどこでも
出会えるような笑みではなくて
すごく素敵な笑みだとおもう(親ばか)


 本当になー つらいこと 
たくさんあったのになー
あったのかしら?と写真をみるだけだと思う
へたにブログを書いてしまっているから
感情の記録が残ってしまったけれど
そんなものをすうっと忘れて
あーかわいかった 楽しかったと
子育てってやっぱりいいなあ
そんな想いで 第二子が欲しい
きっとそうなっていくのだろう


 へたに記録をしなかったなら
あまりに大変だったから
けっこういろんなことは忘れてしまって
笑顔の写真が残されて
ああなんてかわいいんだろう
誘拐されちゃわないかなあとか
親ばかなことを考える
げんきくんも 今日は早くれんちゃんと寝て
子供の隣で寝る幸せっていったらない!と言っていた


 子供がわらっている間
私はそれに合わせてたけれど
次第にそれが板につき 自分もアハハーから
アッハッハ~!と一緒に笑えるようになってきた
それでいつも二人で大きな声で笑い合い
目をみつめあって 遊んでる
それがとても楽しくて 楽しいというより幸せで
内側からにじみ出てくる なんともいえない
ハッピーな気分


 そんな気持ちを 日々味あわせてくれるのならば
お金がもっとほしいとか 預けたいとかいっていないで
その瞬間を 毎日をもっと大切に 過ごしていたら
自分の子供は与えてくれる 幸せな時を
微笑みを それから大きな笑い声 を
彼はママが 無条件に好きだから
一人でも遊ぶけど ママが一緒に遊んでくれたら
うれしいなって 思ったりもしてくれてるから
そして二人は笑顔になって そんな写真が沢山残った


 大変だー!!!と思ってたけど
意外にも我らはいろんなところに行っていて
佐川美術館 白馬に静岡 豊田市美術館に
京都に横浜 げんきくんの実家もいって
神戸もいって たくさん沢山旅をした
そういや奈良にも泊まったし 
じいじの車で東大にも来た
本当にいろいろある年だった


 とてもつらかったこともあるのに
そんなことなんてなかったように
れんちゃんは大きくなって
あの笑顔 満面の笑みを失わなくて
いつもいつも めちゃくちゃ楽しそうに生きている
私も見てるだけじゃ空しくなるから
一緒にその秘訣を探って
どうやったら毎日そこまで楽しく生きれるのかを
教えてもらって生きてみたい

 あきらかに私の笑顔は増えた
ファインダーの向こう側にいた
私もきっと笑っていたから
れんちゃっも満面の笑みで微笑んでいた
子育てって 幸せに気づくことかもしれない
ただいるだけで ただあるだけで
幸せなことがあるんだな。


 根源的な幸せがある
大変な事もたくさんあるけど
得られるものはもっと大きい
そう思うから 子供っていいかも、、、と
思ってみたら 自分の子供をもってみるのは
意外に悪くないかもですよ?


1月にthe third place collection開催します!

2009年12月12日 |  カフェ的な場で考えたこと
 カフェに興味のあるみなさま、
または中原先生に興味のあるみなさま、、、?

 1月23日に東大中原研究室の人たちが中心となって
学びの場にかんするpartyを開催します。
かなりおもしろい人たちが集まりそうです
そこでの出会いをまた次のステップにちゃんと活かしていけたらいいですね
同志社の上田先生も関わっていてきっと面白い、これまでになさそうな
場になると思いますので興味があったら早速申し込みしてみてください
(おそらくすぐ定員になるのではと思われます)


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サードプレイスコレクション2010

家庭でもない、職場でもない、「第3の場」の可能性に
ついて考え、これからの時代に必要な「新しい学び」を
探究するパーティー

2010年1月23日(土曜日)午後6時-9時
@六本木superdeluxe

Directed by ワークショップ部
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家庭でもない、職場でもない、「第3の場」の可能性に
ついて考えるパーティー
「サードプレイスコレクション2010」のご案内です。

2010/1/23に六本木のクラブsuperdeluxeにて、
サードプレイスに関する多くの実践家の方をお呼びして、
「学びのサードプレイス」の可能性について考える
パーティーを開催いたします。



いま、時代は急速に変化しています。多くの企業では、
これまでと同じやり方・考え方をしていては生き残れない
状況に直面しています。

こうした状況により、企業で働く大人たちは、
「働くことの意味」を自ら問い直すことや、いままでに
ない新しい価値を創り出すことが求められています。
このような状況の変化に伴う「問い直し」や「新しい価
値の創出」は、企業の中だけで求められているものでは
ありません。まちづくり、教育、科学、環境など、様々
な分野で求められています。



私たちは、これらを乗り越える一つの方法として
「サードプレイス」という概念に注目しました。
元々、「サードプレイス」とは、アメリカの社会学者
であるオルデンバーグが提唱した概念です。

オルデンバーグは、家庭でもない、職場(企業・学校)で
もない、「第3の場」が、人々の憩いの場になると指摘
しました。このコンセプトを元に成功したのが、
スターバックスです。

今回のパーティーでは、このサードプレイスを
「憩いの場」ではなく、「対話・創造・学びの場」
すなわち「学びのサードプレイス」として捉えます。

家庭や職場から離れ、多様な他者とゆるやかにつながり、
対話・交流する中で、改めて自分の仕事の意味を問い直
したり、新しいアイデアや気づきを得るための場。
それが、「学びのサードプレイス」です。



現在、「Learning bar」「シブヤ大学」「三田の家」な
ど、すでにこうした実践の「場」が増えてきています。
これらの多くは、「カフェ」や「バー」、さらには「大学」
といったメタファーを用いて、
「学びのサードプレイス」を実現しています。

また、研究の分野においても、
この学びのサードプレイスの効用に注目が集まってきて
います。例えば、企業で働く大人が社外に出て、多様な
他者と出会うことが、キャリアの確立に有効であるとい
う研究知見もでてきているのです。

既存の考えを根本から問い直すようなイノベーションの
きっかけも、もしかすると「学びのサードプレイス」に
存在するかもしれません。



当日は、「学びのサードプレイス」に関わる豪華ゲスト
が次々とショートプレゼンテーションを行います。

現在すでに確定しているゲストは下記のみなさまになります。
・中原淳(東京大学)
・長岡健(産業能率大学)
・上田信行(同志社女子大学)
・熊倉敬聡(慶應義塾大学)
・飯田美樹(カフェ文化研究家)
・美馬のゆり(公立はこだて未来大学)
・苅宿俊文(青山学院大学)
・森玲奈(東京大学)
※その他にも、現在、様々な領域のゲストに交渉中です。

また、参加者のみなさまに楽しく対話をしていただくために、
おいしい料理、おいしいお酒、
そして六本木のクラブsuperdeluxeという素敵な空間を
ご用意しております。

いつもと違う場で、いつもと違う人たちと対話し、
いつもと違う考えに触れてみる。
そうした中で、
次への新しい「つながり」を作りませんか?

○企画&ディレクション

ワークショップ部
舘野泰一(東京大学大学院博士課程 中原研究室)
安斎勇樹(東京大学大学院修士課程 山内研究室)
牧村真帆(株式会社リサ・パートナーズ)

◆WEB:http://utworkshop.jimdo.com/
◆Twitter:http://twitter.com/workshop_bu

○ステアリングコミッティ

長岡健(産業能率大学)
上田信行(同志社女子大学)
熊倉敬聡(慶應義塾大学)
飯田美樹(カフェ文化研究家)
大西景子(SODA design research)
北本英光(株式会社電通)

○主催

NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES
エデュース・テクノロジーズ
http://www.educetech.org/

EDUCE TECHNOLOGIESは、「学び」に関する調査、研究開
発、コンサルティング、実務家と研究者が集まる学術イ
ベント(Learning barやWork Place Learning)を行う非
営利特定活動法人(NPO)です。

副代表理事 中原 淳

○日時

2010年1月23日(土)18:00-21:00 (開場:17:30) 場所
六本木superdeluxe http://www.super-deluxe.com/

○内容(予定)

□ウェルカム・ドリンク
(5時30分-6時)

□イントロダクション
(6時00分-6時10分)
・舘野泰一、安斎勇樹(ワークショップ部)

□ショートプレゼンテーション
・15名のゲストによる3分プレゼンテーション

▼現在確定しているゲスト
・中原淳(東京大学)
・長岡健(産業能率大学)
・上田信行(同志社女子大学)
・熊倉敬聡(慶應義塾大学)
・飯田美樹(カフェ文化研究家)
・美馬のゆり(公立はこだて未来大学)
・苅宿俊文(青山学院大学)
・森玲奈(東京大学)

※その他にも、現在、様々な領域のゲストに交渉中です。

□フリータイム
・参加者のみなさんが楽しく対話できる仕掛けを
ご用意いたします。

□ラップアップ(8時50分-9時00分)
・舘野泰一、安斎勇樹(ワークショップ部)

○参加費(予定)

・6000円(1名様・一般)/ 4000円(1名様・学生)
(ゲスト招聘費用、会場費、飲み物、食べ物、運営費等に支出い
たします)

○食事
ソフトドリンク、ビールなどの飲み物、および
軽食をご準備いたします。


○参加条件

下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいて
いるとみなします。

1.本ワークショップの様子は写真・ビデオ撮影します。
写真・動画は、NPO Educe Technologies、本イベントの
企画関係者が関与するWebサイト等の広報手段、講演資料、
書籍等に許諾なく用いられる場合があります。
マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供することがあります。

2. 欠席の際には、お手数でもその旨、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
ご連絡下さい。
人数多数のため、多数の方の参加をお断りしている
状況です。繰り上げで他の方に席をお譲りいたします。

3.本イベントで剰余金が発生した場合は、NPO法人
Educe Technologies、本イベントの企画関係者が関与する、
組織人材育成・組織学習に関係するシンポジウム、研究会、
ワークショップ等の非営利イベント等の企画費用、準備費用、
運営費用等に充当します。

○どうやって参加するのか?

下記のフォームに必要事項をお書き入れの上、
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
12月31日までにお申し込み下さい。

なお、定員を超えた場合は、抽選となるため、すべての方々のご希望には
お答えできない状況になっております。

主催者としては心苦しい限りですが、なにとぞお許し下さい。

〆ココカラ=======================================

参加申し込みフォーム
sakamoto [at mark] tree.ep.u-tokyo.ac.jpまで
12月31日までにお申し込み下さい

抽選の上、1月9日までに参加の可否をご連絡
させていただきます

---

上記の参加条件を承諾し、参加を申し込みます。

○氏名:(            )
○フリガナ:(          )
○ご所属:(            )
○メールアドレス:(       )
○参加動機
(                 )

○業種の選択:下記の11つの属性から、あなたに
最も近いものをひとつお選びください

1.研究者
2.学生
3.民間教育会社勤務
4.民間コンサル会社勤務
5.事業会社勤務(人事・教育部門)
6.事業会社勤務(事業部門)
7.個人事業主(教育・コンサル)
8.経営者
9.初等・中等教育の学校勤務
10.公務員・公益法人等勤務
11.その他

○もしあれば・・・一言コメント
(                )


子供は邪魔者?

2009年12月06日 | 子育て
 今朝何気なく新聞をちらっとみたら
「結婚しても子供は必要ない 4割」という記事があり
20代に特にその傾向はつよくて60パーセント以上の人が
子供は必要ないと考えているんだそうな


 そりゃあねえ 「結婚したら男の子を産みなさい!」という
強制力のある時代に比べて 結婚して子供がいなくても
別に怒られない時代というのは かなり気が楽だけど
さすがにちょっと 6割ってないんじゃないか
これにはひどいとショックをうけた。


 でもちょっと考えてみると 私も実は
子供なんていらない!と思ってた人であり
子供を産むまで ほとんど子供に興味がなかった
だから気持ちもわかるけど


 浅はかだなあ と 私は思う。


 そりゃあね 自分のやりたいことが
めちゃくちゃ制限されるけど
お金だってかかるけど 部屋は汚され
手はかかるけど 面倒みないといけないけれど
それでも子供は沢山のものを与えてくれる。
自分の目では見えていなかった美しい光景に気づかせてくれ
本質的にに幸せだと思える時間を毎日与えてくれて
ゆったりとした ゆっくりとした いや のろのろとした?
時間の中で 早く早く!と思って生きてた自分が
なんだか馬鹿みたいで そこで何かをじっくり見つめる
そんな時が実は大切なんだと教えてくれる。

 それに子供は何よりも 誰より親を愛してくれて
母親になった人なら 自分の旦那以上に
ここまで自分を心底愛してくれる人がいるのかという
その驚きと 喜びに なんとも胸を打たれるだろう
自分の子供は ついちょっと前の人生までは
存在していなかったのに 今ではしっかり
自信をもって 自分の家の住人となり
「私の家」がいつのまにやら「僕の家」になっていて
「私」はいつしか「僕の大好きなお母さん」
「かけがえのないお母さん」になっている。
それって本当にすごい愛 で 自分が生まれてきたときに
注がれてきた愛情とも 彼氏から注いでもらった愛情とも
全く違って めちゃくちゃ全面的な愛 で
「ここは好きだけどここは直して」とかいうんじゃなくって
「お母さんはとにかく大好き!だっこして!」になってしまう
たとえお母さんが悪い人でも そんなことにはおかまいなしで
子供は母へと向かってくれる その愛がどんなに大きいか!


 20世紀の女の時代は ボーヴォワールがつくったのかもしれないけれど
私は子供を産んで育てて ボーヴォワールの考えは浅はかだったと
思うようになってきた。彼女は沢山の女性たちから
話をきいて やっぱり子供なんていらない!と思ったらしい。
だけど女の話は信用ならない だって本心と違う事を
言ってる事はたくさんあって「大変だ!」「もう嫌!」と
言ってる一方「でもかわいい」「でもたまらない この笑顔」と
思ってもいて 女たちは葛藤している
仕事をしようか それとももう少しだけ子供といようか、、、


 ボーヴォワールは女も働いてお金を稼いでなんぼだ、と
主張してたけど 働いてお金を稼ぐのも大切だけど
それとはまったく別の次元の喜びが 子育てには待っていて
私はやってみて思うけど これってハイリスクハイリターンな
喜びで しんどいけれども やってみたから
よーくわかる喜びがある 大変だけども時を過ごして
過ごすうち に はっと気がつく喜びがある
ちょっと受動的かもしれないけど
それはカフェで過ごす時間となんだか似ていて
主体的には動けなくても なんだか無駄に思えても
自分の中に蓄積されてる。 他の大人とは全く違った動きをしている
予測不可能な子供だからこそ教えてくれる視点があって
そこに目をやってるうちに はっと気づくことがある


 変化は成長というのなら 子育てをすることは
それまでの生き方とは比べ物にならない予測不可能な
世界に飛び込むことであり そこから学ぶことがある。
学ぶだけじゃなくて あの微笑みは 本当に
人を幸せにしてくれて みんなを素敵な笑顔にかえる
世の中を平和にする力をもってる子供たちから
大人が教わる事はたくさんあるのに
触れあわなければ教われない


 子供ってすごいのになあ
私も大変大変と書きすぎたのかもしれないけれど
1歳までは本当に大変なことの方が多かったけど
それからすごく変わっていくから たくさん
コミュニケーションもとれるようになってきたから
もっと微妙な表情を沢山みせてくれるから
いつも自慢げに 嬉しそうに生きているから
いいなあれんちゃん楽しそうで と
仲間にいれて と思ってるうちに
なんだか私も一緒に楽しくなれてきたから
すごくいいなと思うんだけど
20代の女達がもっと子供に触れる機会があったなら
少しぐらいは価値観も変わってゆくのだろうか

 ママたちはママの世界に閉じこもり
保育園に行ってる子たちは終わったら車でさっと帰って
外の世界と交わらなくて 子供たちは
一般の人と交わることなく暮らしてる
だけどもっと一般の人が子供のことを 知ったなら
子育ての事を知ったなら より子育てを
しやすい社会をつくってくれそうなものなのに
私たちは 悪循環に陥っている
20世紀の女性たちは 女を自由にしてくれたけど
子供は邪魔者になってしまった
本当は 子供は社会の宝だと思う
宝はみんなで大事にしたい
ちょっとでも21世紀の女性たちの 
価値観が変わっていったらいいのにな

カフェセラピー

2009年12月04日 | サードプレイスとしてのカフェ
 今日新聞をちらりと見てたら
私の好きな「人生案内」という読者からの
人生相談のコーナーに「引っ越し鬱」というのが載っていた。
相談をしている人は新居を建ててみたものの
前に住んでいたマンションに戻りたくって仕方がなくて
家事も手につかなくなってしまって 片付けが得意というのに
家の中も散らかり放題で毎日後悔しているらしい。

 それをみてこれだ!と思った
私も引っ越し鬱だったんだ、、、


 ということは 産後鬱に引っ越し鬱が加わって
相当ひどい状況で生きていたということで
こんな大変な産後の人もなかなかきっといないだろうから
(それに本を出した疲れもあったし 産まれた直後から
宣伝活動もしないといけなかった)
私のブログをを読んでた人が「まあ子育てって
そんなに大変なの!!」と思って産んでみると
多分そこまでしんどいわけではないのだろう
(現に私ほど身体がしんどそうだった人には
なかなかお目にかからない)


 そんな私が今は元気で 毎日笑って
れんちゃんと歌って散歩して 
楽しく幸せに生きているのは 一つ大きな理由としては
洛西で行けるカフェを見つけたことにあるのだろう



 私は前から カウンセリングに行くのだったら
カフェに行った方がいいんじゃないかと持論を展開してたのだけど
ここでちょっと書いてみると
私もパリで精神科に通っていたけど
もちろんそこでの経験は とても大事なものだけど
カウンセリングで深い内面をじいっとみつめて
みつめていっても 暴きだされた自分の過去や
自分の暗い思い出は どうしても暗くって
それを意識したって 暗くって なかなか明るくはなれはしない。

 それでもって 消えない過去の出来事を蒸し返し
誰かをせめてしまったり 自分でしんどくなっていたりで
結局それをわかってくれる唯一の人 つまり先生に
精神的に相当たよってしまうから それが危ない
そんなことは 先生たちはよーく知っているのだろう

 だからおそらく カウンセリングに高い対価を
払わせる事で 関係性を少しは対等なものにして
そこだけの世界にとどめようとするのだろうと思うけど
思い返してもあれはこわいし 結局私は帰国してから
過去のことを思い出しては両親を責めてしまって
母を泣かせてしまった事もある。


 だけどそれが何だったかって 結局何にもならなくて
だって過去はかえってこないし やりなおせない
だけど未来は変えてける そのために は
違う関係性が必要で 誰かと関係を結ぶこと
現実に存在している 自分にとっての第三者が
人生にたちあらわれていくとが
本当はとても大事だろう


 そんな時 カフェがあったら
そこに店主がいてくれたなら
ちょっとお金を払うだけ で(カウンセリングの20分の1くらい)
自分の居場所を与えてくれて
”you have a right to be here"といってくれる
何もしなくても ただいるだけで 存在を承認してくれる
そんな場所がカフェであり
そこで店主か誰かと話すこと で それがカウンセリングに
つながっていく 深刻な内容なんて話さなくっても
天気の話をするだけで 深刻な話をしたとき
返事が気のないものであっても 
そこで出会った誰かと会話をするだけで
ベクトルがどこか違う方向に向いていく。


 東大の中原先生は カフェに興味を持った理由で
企業の人がイノベーションを起こそうと思っていても
企業内でだけ話をしているとどんどんインに入ってしまうと
言っていた。そこで社外での行為というのに目をつけてみたんだろうだ。
閉じている関係性で 話を深くしようとしても
ベクトルは深く ちょっと暗く 内省的になるかもだけど
第三者が関わったなら その人が自分の存在を認めてくれて
自分がただそこにいるだけで 喜んでくれるのならば
それだけで人は元気になって なんだかやる気がでてしまう。
(『0から考える経済学』によれば、人は誰かに
気にかけてもらえると能力を発揮しやすくなるらしい
「ケアすることと思いやること」を大事にすることで
会社の業績も伸びるんだそうな)


 そうするうちに 悩みに向かっていたベクトルが
楽しい会話をすることや 自分を活かして
誰かに貢献していくことに 少し変わって
そのとき誰かに「ありがとう」と そう言われれば
それだけで「ああ 私 生きててよかったんだ」と思う。


 結局のところ 鬱というのは 自分の存在意義が
見いだせなくなってしまうとか identetyが崩壊するとか
自分の核が大きくゆらいでしまったときに起こるものだとするのなら
自分が自分になれること 自分が自分であることで
だれかに認めてもらえるだけで だいぶよくなる そんな気がする
「あなたはあなたのままでいいんだよ 
あなたはもうがんばってるよ もうがんばらなくてもいいんだよ
そんなに無理しなくてもねえ あなたのこと好きな人はいるんだよ」
自分が何かになろうとしても 自分と違う何かに懸命になろうとしても
やっぱりなれない そんな時に 人は鬱になるのかも
何者か じゃなくっても そこにいる権利があって
あたたかく見守ってくれる場所があるのなら
それだけで癒えていくのかも


 ほんとかよーと思った方は カウンセリングに行く前に
その分のお金を費やしてみて 自分に合うカフェを
なんとかみつけて ちょっと通ってみてください
一回のお金で20回くらいカフェにいけるとするのなら
その方が効果があるような 私はそう思います

ママサークル?

2009年12月04日 | 子育て
 金曜の朝はかなり前に「入ります」と
言ってしまったママサークルの日なのだけれど
もう二ヶ月くらいだろうか れんちゃんが風邪をひいたとか
フランス人が来ているだとか 実家に帰るからだとか
色んな理由を私の中でつけてみて 結局全然行ってない。

 本当は今日こそいこうとおもっていたけど
なんだか体調もよくないなーとか思いながら
どうしようかと悩んでみると どんどんと
後ろ向きな気持ちになって結局時間がすぎてゆく。


 なんで嫌だなーと思うのかって
ものすごく気をつかって そこで何かをしてはみるけど
その何かという活動が ものをつくることだったりで
でもそのものは私は必要というわけでもなく
れんちゃんがそれをつくることもできないし
はさみの近くに寄ってきては だめ!!といって
どこかへやって でも私いったい何してるんだろうと疑問に思う


 れんちゃんは楽しいのかもしれないけれど
私はいつも子供に気遣い ママたちとどうにか
話をあわせようとはするけれど
ママたちはすでに仲良い雰囲気ができあがってて
そこにためぐちで入っていくのは 私にはとても
勇気がいって ものすごくつかれることになる。
(そこはママ同士ちゃんづけで呼んでいる)


 そうしてそれらに行った日は結局すんごくしんどくなって
仕方がないからお昼寝をして 本を読めることもない。


 でもなー 地域社会のつながりをつくったほうがいいのかな
もっとママたちと仲良くしないとだめかしら
私のモチベーションは「べき論」で「したい」「楽しい!」では
なくて だからやっぱりマイナスになる。


 そんな私がいつも行くのは れんちゃんも常連の喫茶店なのだけど
そこには縛りも何もないし 話したかったら話せばいいし
この時間にいかなきゃいけないこともない。
いつもそこにいってると なんだかかなり暇人なようだけど
私にとってはほっとする し れんちゃんも遊んでもらえて楽しそう

 子供同士の学びが重要なのはわかってるけど
ママサークルは 子供のためにみせかけて
子供のためにあるような気もなんだかしない
それに子供が子供だけで遊ぶなら干渉しなくていいのだけれど
ママの目もあるわけだから 大人はいつも口を出し
それがなんだか気が気じゃない。
ママサークルにしんどくなってしまうのは 私だけではないようだけど
こんなに鬱々としてしまうのは 私の性格によるのだろう

 子連れでいけるカフェがあるなら
そこにいってればいいのいかな
もう一人くらいママが来たらいいのになと思うけど
ママサークルで宣伝するほど 私には勇気もないから
一人の道を行くんだろうか 
それはそれでさみしいけれど 気まぐれなれんちゃんと
気まぐれな私は一緒に いつも二人でふらふらしてる
今日も結局さぼりだろうか
そしてカフェに行くのかな、、、


伝えたい母の想い

2009年12月01日 | 女の生き方

 大学院の先生と会ってみてから色々悩み
どんな風に生きたいんだろうと考えて
まだ結論は出てはいないけど 今日友達と話をしてみて
思ったことは 子育てはきっともっと価値があるんじゃないかと
いうことだ。


 戦後になってフェミニスムやジェンダーも盛んになって
女たちは男と同じように働くようになっていて
今となっては 就職するとき 自分自身が女だなんて
学生たちはそこまで意識することもなく
男の友人たちと同じように同じ会社をうけていく
(人事の側は女を意識してると思うけど
私はそれは「差別」というより 年をとった彼らが
奥さんたちの大変な状況を実際に見てきたことが
大きいのではと思うようになってきた)


 そうやって 自由に育って働くのが当たり前と思って
生きて生きた そんな女性たちにとって
「専業主婦」や「子育てをしてる専業主婦」は
かっこいいイメージからはほど遠く
「うちのお母さん」はそうであったかもしれないけれど
「私はそんなのにはなりたくない!」と思って生きてきたのだろう


 けれども子供がおなかに宿ると はじめて自分自身が
「いかに女であったか」というのに気づく。
本当は 女は男とおんなじではない 
男と女の違いというのは 子供を産めるかどうかと
おっぱいをあげられるかどうかというのが
決定的な違いとされてて その生物学的な違いがあるから
社会的な状況だって異なってくる。
おなかに子供がいるというのに 夜中までがむしゃらに
働いている 男性たちと同様に 昨日までの自分のように
働いてしまったならば?男たちと同様に
重い荷物をえいやっと担ぎ 出張にいってしまったならば?
お腹の子供がどうなるかなんて 保証は何もない訳で
お腹の子供が健康に生まれてくるのかなんて
生まれてみないとわからなくって 生まれたあとでさえ
色んな事実に後で気づいて「あのとき私がああしなければ」と
後悔するのは 何故なのだか いつも女の役割だ。


 仕事をするのが当たり前 と思ってみても
つわりがあまりにひどい人や 妊娠中入院しつづける人もいて
自分がどんなタイプかなんて 妊娠するまでわからないし
赤ちゃんがどう生まれてくるのかは 生まれてみないとわからない。
だから女たちは 本当は言えない「大丈夫です 私もできます!」
本当はできないかもしれない。 身体が動かないこともある
しんどくて立ち上がれないこともある だけど今は
そんな時代じゃないようだから 女も男とおんなじだから
子供を産んでも働く事は 当たり前のようにできそうだから
できると私は思っていたから じゃあ働こう!とがんばってみる


 けれども本当はしんどくて 身体も思うようには動かないし
子供は自分の都合なんてまったくかまってくれないし
都合の悪いときに限って大泣きをして
いい子にしてほしいときにめちゃくちゃにして
親はいつもどきどきしながらその時を迎える事になる
いつもいつも気が気じゃなくて 誰かと会ったりするときは
「早く寝てくれないかなー おとなしくならないかなあ」と
思っているけど うまくいかない。そんなもの。


 そうやって親は子供にふりまわされる
やりたいことがあるといっても 体力も気力もなかなかなくて
昼寝をするのは怠惰だろうかと思っていても
昼寝することで体力だって回復するし
何より至福な時間なわけで それをやめるのは
本当はとてももったいなくて だけどそれしか
自分に許された時間はないから 無理矢理にでも
その時間に何かをしてみて 子供が泣いたらああ!と思って
自分の時間はもうおしまい。


 そんな生活なわけだけど 愚痴をいったら
いくらでも言う事ができるわけではあるけど
それは大人が大人の生活を続けようとするからで
子供の視点でものをみてみたら いろんなことがみえてくる。

 あー確かに ポットのふたとふたを合わせてみたら
シンバルのような音になるねとか
へえそうか カエデの葉っぱはこんなにも美しい色をしているのかとか
葉っぱに太陽をあててみると 葉脈が透けてとてもきれいに
みえたりだとか どんぐりにも色んな種類があるだとか
何よりも 子供といると 沢山の人が笑顔になって
彼は人を幸せにする力をちゃんと持っている。


 私が一人で生きていたなら いつも仏頂面をして
カフェでの出会いもなかったけれど 彼のおかげで
カフェでも電車でも公園でも 道ばたでさえも出会いがあって
たくさんの人と話ができた。彼のおかげで見知らぬ
女たちがたくさんのことを教えてくれた。
これまで出会ったことのない 子供を育ててきた女性
肩書きなんてないかもしれない 誰かの妻で
誰かの母なだけかもしれない バスで出会った女の人たち
でも彼女たちには誇りがあった 私はね
子供をちゃんと育ててきたのよ 大変だけどかわいかったわ
もう孫ができてねえ、、、


 私に口を開いた女の人は 初めての出会いであっても
沢山のことを伝えてくれた この人たちは
誰かに想いを伝えた事が これまでどれほどあったのだろう
堰をきるように 流れ出た 彼女たちの言葉というのは
誰が聞いてくれたのだろう 女にだって言葉があるけど
言葉の多くは 井戸端会議のおしゃべりだったり
ちょっとした愚痴だったりで しっかりとした
後世に残る言葉にはなっていなかったかもしれないけれど
本当はこの言葉には もっと価値があるんじゃなかろうか
女たちは隠蔽してきた 本当は子育てはとても大変なこと
本当は子育てはとても価値があると思っている事
だけど時代は変わっていたから 自分の子には伝えなかった
私の母も 私を自由に育ててきたのに 昨日私にこう言った。
「結局ね 女は二者択一しかできないのよ、、、」
女は自由に生きていけると 夢をみさせてくれたけど
その夢はパリ症候群となんだか似ていて 夢だった。
現実はとても厳しくて 女たちはその現実を知っているのに
大事なことも 大変なことも 口を開いてくれなかった
もっとこれらは 伝えられて しかるべきな言葉じゃないの?
母になるって何なのか 子育てって なんなのか
どれくらい価値があると思っているのか
今では価値が相当低くなっているけど 本当は
女たちがこうして紡いできた事は とても価値があるんじゃないか

 女が女として生きていく事
男と同じで男のまねをするのではなく
女が女たちの生きやすい環境をつくっていくこと
女が女であることに 自から価値を見いだすことって
大事なんじゃないだろうか
あまりにも強いフェミニスムの後
女はかつて嫌っていた「男」になって
男たちが女性化してしまったらしい。
女たちは かつて男たちが持ってた武器を手にいれて
社会では男のように振る舞うことになったらしいけど
それってどうだったのだろう?
(『スーパーウーマンはこんなに大変』に書いてありました)


 21世紀は違う時代になってほしい
子育てをして 葛藤をして でも沢山学んだことがある
まだまだ知らないことがある 一人の女という身分を活かして
女たち に 忘れられた女たち に もっと話をきいてみたい。

フランスに行くなら

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