alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

第3の場所

2009年05月30日 | サードプレイスとしてのカフェ

 3月に東大のカフェ研究会に行ってから
上田先生のお話にあった"The great good third place"が気になっていた。
この『第3の場所』のなかにはバーやらカフェやらがふくまれていて
インフォーマルでパブリックな集まりがある場なんだそうだけど

 第3の場かあ みんな求めているんだろうけど
実際のところ 第3の場がなかなかないのは何でだろう


 昨日恵比寿で面白いことをやっている人とカフェについて
3時間ほど熱く語って 日本人の余裕のなさについて話してた。
第3の場があったところで そこに人は来るのだろうか
いやそもそも 日本人って 第2の場である会社という場に
しばられすぎて 第1の場の家庭さえもかえりみれない
そんな状況じゃないだろうか うちにしたって
げんきくんに 第3の場が必要だよ といってはみても
彼にはとても そんな場にいく余裕はなくて
だから昨日お話をしていた人は 「実際に集まれないから
ネットはどうか」と言っていた。ネットだったら
家にいたって ちょっとした時間にみんなが見られるわけだから。


 ネットをする時間はあっても どこかへ行ったり
友人と会う時間はなくて いつもいつも「忙しい」を
連発している日本の人は 何でそんなに「忙しい」んだろ。
社会人になったばかりならわかるけど 私の友人は学生の時も
やたらとみんな忙しくって 東京の人は3週間も前から予約しないと
「ごめんね予定があわなくて!」と会ってはくれないものだった。


 なんでそんなに忙しいのかな みんな一体何してるんだろ
それが今でも不思議でしょうがないけれど


 そんな忙しさの一つの理由に全てのことを自分でやらなきゃ
いけないという 自分にしか頼れない そんな価値観があるんじゃないか
今日げんきくんと電話で話してそんな気がした。

 お金がある人の子は いい教育を受けられて
お金がなかった人の子は 落ちこぼれの道をたどりやすいという
そんなサイクルがいまだにあるのは この社会では
悪い意味での「自己責任」の意識がすごく蔓延してて
子供は一人で育てるものとか 子供は親のお金で育てるものとか
そんな価値観があるからで 誰かと一緒に 誰かが誰かに
手をさしのべてくれるのじゃなく 一人で抱えてやるしかなくて
頼れるのは自分と自分が稼いだお金というわけで
だからひたすら頑張っていて 精神的にも時間的にも余裕がないと
そんな社会のような気がした。

 
 だけども上田先生が カフェ研究会で言っていたように
”How can I do it?"から"How Can WE do it?"という視点に変えれば
もっと楽になるんじゃないか。 私一人じゃできなくっても
あなたとならば あなたたちが一緒にやってくれるなら
そこに到達できるかも 一人ではきっとできないけれど
みんながいるから 時折私が倒れても みんなで上がっていけるかも
そういう思考が とても大事なのではないか 最近すごくそう思う。


 子育てだって 一人じゃできない 研究だって 一人でやるより
誰かと一緒の方がよっぽど進んでいける 家事だって
一人で全部やるよりは 誰かと一緒にやる方が
有意義な時間をつくりだせるから 一人でやるよりよほどいい。

 そうしてちょっと楽な気持ちになったところで
誰かと一緒に 誰かが助けて 自分も助けて
お互い時間のあるもの同士が 支え合っていけるような
そんな場所が必要なんだ それはきっと第2の場所ではないわけで
それこそが第3の場所 今日げんきくんと話してて
私はこう語ってしまった。

「やっぱりね 浜名湖ユースは答えなんだよ。
直感的には 二人で夢を大きく描いて やっぱりこれだと思っていたけど
どうしてなのかわからなかった。たぶん今はその理由探しをしているところで
げんきくんは先生をやっているけれど いつかその経験を
ふまえた上で もっと社会にその視点を還元しないといけないような
気がするな。やっぱりさ 私たちは第3の場をつくるべきなんじゃない?
浜名湖ユースにひかれていたのは そこに答えみたいなものがあったからだよ」

 第2の場所の 学校や職場でもなく いわゆる「地域」や
「公民館」ともちょっと違った 不思議なにおいの第3の場所
浜名湖ユースはそれだった。私たちは夢を見ていた
もう長いこと忘れていたけど 夢があるから それが二人を
結びつけ そうして結婚したわけで。
どこかの途上にいるんだな なんだかふっとそんな気がした
公務員は安定していてありがたいけど それでもやっぱり
いつの日か 自分達で提示して 社会にもっと提言したい
こんな場 が 必要なんだと 
こんな答えがあるんだと。

 
 私はどこにいるのだろうと思うこともあるけれど
私はどこかに進んでる 「カフェ文化」を研究しながら
次の答えへ 次のステップへ 知らないうちに向かってる。

結婚についての学び

2009年05月24日 | 私の人生

 昨日今日は静岡へ、れんちゃん連れて一泊二日の大旅行。
この二日間はすごく充実した時間になって
何を得たかと考えてみれば 結婚について考え直した日々だった。


 木曜日のことだったのか 旦那さんの帰りが遅く
れんちゃんが泣き叫んでたことからイライラがつのり
色々あって私たちは大喧嘩して 旦那の携帯は投げつけられて
使用不能になってしまった(投げたのは私ではありません)
その晩は 何を話しても平行線で 話せば話していくほどに
お互いがムカムカっとして あーもう駄目だと思ってた。

 逃げ出せるなら逃げ出したい もうどこかにいってしまいたい
でも今から行けるとこあるんだろうか 子連れの私を
受け入れてくれる そんなとこってあるかなあ
妄想をふくらましても そんなところは見つからなくて
仕方ないからもう寝よう そんな気分で その日は終わり
「対話」だなんて 言ってはみても 全然対話になりゃしない。


 だけどやっぱり 喧嘩は嫌で なんとかかんとか
金曜日には二人して歩み寄って それなりに仲良くはなり
どこかでふっと思い出す。 そういえば 私たちの結婚記念日
いつだっけ? あれ? 5月の20日だから え それはいつ?
何してたっけ あー 唐揚げ食べてたねえ そうだビールも
あったらいいねと みきちゃんが珍らしいこと言ってたんだ、、、


 いつの間にか 祝うべき日は過ぎていて そんなことを
思い出すのも 大喧嘩をした後で あー私たちって何なんだろう
結婚なんて なんなんだろう 結婚式がこれからあるけど
結婚なんて!と思っているのに 祝福をしにいくだなんて
やっぱりやめにしようかなとか そんなことを思ってた。


 けれども時はきちんと過ぎて この週末が結婚式で
かなり段取りもできていたから 静岡に出発していった。
土曜日は 私の好きな叔父さんの家に泊まることになっていて
お昼過ぎに叔父さんが迎えにきてくれ 山荘へと向かっていった。


 そうして素敵な山荘で5時くらいから夕飯を開始しはじめ
痛風でビールを禁止されてる叔父さんも 銀河高原ビールだったら
痛風にも悪くないんだと説明をして みんなで乾杯することになる。


 しばらくしてかられんちゃんはおっぱいになり
その間叔父さんと旦那さんは二人になって 居間からかすかに
聞こえる声は 私についての悪口(?)で
「美樹坊は大変だろう」と叔父さんがいろいろと旦那に
語りはじめる。そんな悪口を聞きながら 私はくすくす笑ってて
それから戻ってまたみんなでお酒を飲んで 叔父さんが
飯田家の女について語り始める。うちの叔母さんと結婚をして
どういう事が大変だったか でも諦めるしかないよな だとか
でもこういう点はかわいいだとか ここはかなわないよなだとか
それでももう60歳超えても一緒にいるとか
いろんなことを教えてくれる。私も旦那も 叔父さんに比べてみたら
かなり言葉は少ないけれど 心の中ではめちゃくちゃ相づちを
打っていて そっかー そうだな そうだよな!と
二人で思ったことだろう。


 そんな第三者の叔父さんが 若い二人の置かれた状況を
的確に把握してくれていて 旦那さんに「困ったらな
いつでも叔父さんとこに来いよ!新幹線代出してやるから」と
言ってくれている。男性二人はお互いによき理解者をみつけたようで
私もさすがにれんちゃんのような時から知られてる人に
「美樹坊はわがままだからな!お姫様だ」と言われると
反論の余地もないわけで ただうなづいて聞くしかない。


 それでも沢山喧嘩をしても 叔父さんと叔母さんは
なんだか楽しそうに生きていて 二人とも好きなことをして
人生を充実させて生きている。それってやっぱり素敵だなー。

 叔父さんはこう言っていた。
「でもな 喧嘩できるっていうのは 相手に何か期待してるって
ことなんだよ。お互い相手に甘えがあるんだ。あなたにだけは
わかってほしい、とかな」そうだよなー だからこそ
特別な相手だからこそ 他の人には言えないことも
沢山言ってしまうわけであり、、、 ねえ
そうなんだって と目配せをする。
そんなシーンが何度も続いた私たち は
叔父さんの目からみたら まだまだ若造のカップルだったことだろう。


 そうして色々教えて貰って 少し進む道も見えてきて
今朝は叔父さんに送ってもらって 旦那の弟さんの結婚式へ

 そしたらとっても素敵な式で 奥さんと出会ってまだ
一年という 彼の式は もうとってもとってもラブラブというか
弟さんがメロメロで なーんかいいなあ そうか
こうやって結婚するんだ 私たちにも そんな時はあったのかなあ
結婚は遅かったけど はじめはラブラブだったよなあ
あれが新婚時代だったら もっとよかったのかなあとか
そんなことを思ってみたりする。

 時には苦笑もしてしまうけど 結婚して時間がたって
改めて結婚式に出席すると 結婚をしたときの
いろんな気持ちを思いだし ちょっと背筋がシャンとする。
「この時の気持ちとか誓いをちゃんと思い出せればね、、、」と
お義母さんの叔母さんが苦笑しながら言っていたけど
日常だけが続いていたらちょっと駄目かも知れないけれど
時折こうして結婚式に行くことで 自分自身を振り返る
そんなきっかけになるのかも。たしかに二人は幸せそうで
二人で頑張ってくんだ!っていう気持ちで満ちてて
そうして結婚したのかなー そんな気持ちがあるんだなあ
あるんだねえ?ここでも私たちは時折目配せをしたりしながら
大げんかをした後の二人の方向性を
どうしたもんかと考えている。


 披露宴の最後には 素敵なガーデンでのファーストバイトが
会ったから そういえばあれやったよなーと私も自分を思い出し
ほなセカンドバイトをしてみるか と旦那にケーキを食べさせてみる
「あーん♪」という言葉だなんて もうどれだけ発しなかったか!
でもちょっとそれも楽しくて こんな二人も 客観的に見てみれば
あんまり悪くもないのかも。


 結婚をして二年がたって 大変な日々にそんなことすら忘れたけど
予期せぬ週末 結婚についてたくさん学んで 少し気持ちも新たになって
沢山の人に支えられて こうして生きているんだと そんなこともまた
思い出す。なんだか素敵な二日間は 大喧嘩の後だったからこそ
輝きをましてくれたようで もう違うステージだけど
私たちも また「私たち」という言葉を使って
次のステージに進みたい。

cafeから時代は創られる 第二版できました!!

2009年05月22日 | 私の人生
 巷でちょっとした話題かもしれない(??)拙著
『cafeから時代は創られる』はおかげさまで第一版完売いたしました!
(といっても200部刷っただけなのですが)

 東大のカフェ研究会で出会った方や友人の知り合いの方など
ちょっと遠いつながりの方から嬉しい感想をきくことができて
本当にありがたく思っています。本というのは話し言葉と違って
「まだ見ぬ誰か」にむかって書くものなんだなあと改めて実感しています。


 さて そんなわけで第二版をすることになりました!
5月10日ごろ発行予定でしたがようやく発行されました
ネットにはまだ出ていないようですが我が家に120冊ありますので
気になっていた方はこの機会に教えてください。
カフェのお話+販売ができる機会を与えてくださる方が
いらしたら関東、関西どこでも出張販売しにいこうと思っています。
また、自宅での販売や送料込みでの販売も承りますので
ご興味があれば私の携帯かalternativeway@mac.comまで教えてください。

日本にもっともっとカフェ文化が いや 使えるカフェのような場が
広がっていきますように!
 
ご協力よろしくお願いします!


ちなみにquatre saisonsのホームページにカフェのコラムがアップされました
よかったらこちらもご覧ください。
http://www.quatresaisons.co.jp/

遊びと学び

2009年05月21日 | 子どもから学ぶ
 最近どういうわけだか教育学に関わる人と
お話をする機会が増えて そんな人達が
よく口に出す「遊び場 学び場」という言葉がある。
いろんな研究を重ねた結果 私にそういうことを
話してくれる人達がたどりついた結論は
学び=遊びなのではないかということらしい。


 先日吉野に行った際には、研究者の人がこういっていた。
「子供は遊びを通してしか学ばない」そう断言してた。
それほどまでに遊びというのは大事らしい。


 ところで遊びってなんなのだろう?
これは子供がいない人にとっては「おもちゃで遊ぶこと」
とか「公園の遊具で遊ぶこと」とか「レゴで遊ぶ」と
思われそうな気がするけれど 私もそう思っていたけど
「遊び」ということの意味は もっと深くて
遊びのための遊びではない そんな気が最近してる。


 「子供にとって遊びは大事!」そう言われると
じゃあおもちゃを沢山買わないといけないのかなと思うけど
子供をみてると 彼らにとっての遊びというのは
母親たちが「悪さをする」という言葉をつかうそのことで
本棚の本を全部出したり 戸棚の中身をひっぱりだしたり
ティッシュを一枚一枚とってみたり そういうことな気がしてて
子育てをしてみた人は「子供はおもちゃじゃ遊ばない」と
口を揃えていっている。おもちゃよりも 好きなものは
れんちゃんで言えば何より携帯!このために彼はハイハイしたし
めがねも好きで 昨日はこのためにパパの身体をよじのぼって
進んでいったし タッパーのフタやら洗濯ばさみもお気に入り。


 そういうわけで 子供っていうのは「遊びのための遊び」を
したいというより 大人の世界を観察したくて
大人の世界に近づきたくて 子供なりに触れて 見て 研究してる
そんな気がする。そうして「遊び」を通してマネしていって
学んでいく そんなプロセスなのかなあ


 そうだとすると 児童館とか保育所とかの やたらと遊具が
あるとこも 実際のところ そんなに楽しくないような
そのうちすっと あきてしまう日がくるような なんだか
そんな気がしてしまう。


 けれども主婦は うちの中をきれいに保つのが
かなりの仕事なわけだから それに全部逆行してくる
子供というのはむかっとくる存在でもあり
なんでもかんでも放り出されて むきー!!っと
なってしまったりする。だから手を出されないように
みーんな鍵をかけたりしまってみたり
そうして家はきれいになって 子供はおもちゃを与えられ
でも なんだかそれって 本質とちょっと違ってるような
そんな気がしてしまう。


 女が子育てしていると つい家をきれいにしたくて
子供という 何でもかんでも放り出してはポイする存在を
つい許せなくなってしまうけど そこにもっと
おおらかなお父さんとか 子育てをよく知っているおばあちゃんとか
そんな人が必要だと思う。だって どう考えても
「家をきれいに快適に保つこと」とこの時期の子育ては両立しない。
そこをなんとか広い心で この子はこれで学んでるんだ!と
思ってみるのは いつも努力してみるけれど なかなか至難の技だなあ


 それでも私は「子供は遊びからしか学ばない!」と聞いていたから
なんとかやってみてるけど この先どんなになるのだろう
片付けしても 片付けしても 彼は端から落とし始める
しかも落とす行為が好きらしく 落としたものには興味がない
でもつまんだり よーく見たり こうして学習してるんだなあ
おもちゃよりも大好きな 憧れの大人がつかう本物で
ちゃんと学ばせてあげたらな そう思うけど
なかなか我が子は大変だ。

母の愛

2009年05月19日 | 女の生き方


 今日は待ちに待ってたスクラップブッキングの講座があって
昨日から街に出てもいいものかと 悩み続けていたけれど
今朝の気持ちで判断しよう そう思って朝起きてみたら
行けそうなので やっぱりいってみることにした。


 ちょっと遅刻はしちゃったけれど れんちゃんも預け
2時間の間、写真をいじりつづけて とても楽しい時間を過ごせた。
そこでいいなと思ったことは そこにいたのがほとんど
みんなお母さんだったということで みーんな子供の
話をしたり 手作りパンの話をしたり 独身時代の話をしたり
仲良さそうに子育てしていることだった。


 そこに集っていた人達は 私以外はほとんど先生つながりらしく
私より10歳ほど年齢が上で 子供達は3歳未満くらいらしい。
今日教えてくれてた先生は 公の場で講座をもつのは
はじめてだったということで 普段は自宅で子供をみながら
教えてるらしく なんだかそんなのいいなと思う。


 最後に先生のブックを拝見させてもらうと アルバムを
つくるだけでなく 手作りのパンやらケーキやらが載っていて
そのアルバムは子供に対する愛に満ちてて こんなの見たら
そりゃー子供は喜ぶよなー!と思ってしまう。


 子供を育てて主婦をしてると ちょこっとした時間しかなく
外ではなかなか働けないけど 今日出会った先生は
自分の楽しいことをして それをみんなに広めていって
だんだん公になってって だけど普段は主婦をしている
そんな生き方も素敵だなー 


 私も時折カフェ文化研究家となっていて
普段は主婦をしているけれど かたわらで色々つくって
子供と一緒に時を過ごしてる そういう方が 外で
がむしゃらに働くよりも 子供にとってはもちろんのこと
母にとってもいいんじゃないか なんだかそんな気がしてしまう


 だって外で働いたって子供が熱を出してしまえば
すぐに迎えに行かないといけないわけで
そんな状況で働いてたら 「昇進!」するようなポストで
仕事ができるわけでもなさそうで その人が休んだときも
誰かがちゃんと変わりに入れる 交換可能なポストにつくしか
なさそうだ。そうじゃなけりゃ ひたすら働き
子供は産んではみたものの 私はあんまり育ててませんと
そういうことになるだろう。(賛否両論あるだろうけど
そうやって公言してる人の子供はどんな気持ちなんだろう?)


 ところで私が電車やバスで会うおばーちゃんは
ほとんどみんな 三才までは自分で育てた方がいいわよと私に
伝えてきてくれる。「なんでですか?」ときいてみても
的確な答えはでてこないけど「大変だけど一番かわいい」とは
よくいわれる答えのひとつ。ハルハウスのおばさんは
はじめの三年がんばったなら後が楽だと
はじめの三年虫歯がなければ一生虫歯と縁がないような
(私は母のおかげで虫歯がない)そんな答えを教えてくれた。
母乳育児もはじめの2ヶ月が大変だけど そこでふんばれば
後が楽 と つまりみんな 初期値の関係性を
どうつくるかで 後が変わると それを教えてくれている。


 母が愛を注がなかったら そこで飢えてしまった愛は
どこでどうしてもなかなか満たされるものではなくて
恋人に求めてみても カウンセラーにもとめてみても
無償で 絶対的な愛というのは なかなか他には存在しない
だからこそ 愛が一番必要な時期に きちんとそれを注ぐことが
大切なこと なのかなあ


 「三ヶ月から働けるわよ!」といわれてみても
三ヶ月の子供はどう考えても母をめちゃくちゃ必要として
2歳になってもママ!!ママ!!と言ってるわけで
それを「仕事の邪魔」だと思って 無理矢理仕事に復帰するのか
仕方がない と受け入れて 自分の道を空いた時間をなんとか
つかって ちょこまか追求していくのとでは
のちにはどっちがいいのだろう。


 スクラップブッキングの先生の子は そのアルバムを
みただけで 何があっても 自分がいかに愛されてたかが
わかるだろう。れんちゃんも 今のところ あの子の目には
全くもって曇りがなくて ママが愛してくれてるし
呼んだらくるという絶対的な信頼感はあるだろう。
そんな目を 曇らせたくない それだけは私の想いで
そのために いつもごきげんとりな毎日なわけだけど

 先生の生き方はなんだか素敵なように思えた。
FOB COOPをつくった益永さんも はじめはそうして
自宅で教室を開いていたんだそうな そうして自分にしかできない
オンリーワンの人になって 子供もそばで育っていったら
そっちの方が私にとっては よっぽど素敵に思えてしまう
「仕事をする」のは大事だけれど 何のために仕事をするのか
結婚相手になった人が 生きるためのお金を稼いでくれるのならば
自己実現をしていくための仕事をさせてもらうのもいいんじゃないか
そうしていつしか 子供が成長したときに 自分もそれで
だいぶ稼げる そんなスパンでみてみるのも
悪くないような気がするな


 子供がいるから 子供のために
お金がないから お金をかけない方法で
そうしてみんな手でつくってく そこに愛が加わって
そうして私もれんちゃんのパンツをつくり
昨日はマスクを手作りしてみた 
友人はパンやらジャムをつくって販売しているそうな
そんな生活も悪くない。

フランス人脳科学者との対話

2009年05月18日 | 日仏子育て事情

 ここ最近私のまわりはダイアローグ
ダイアローグと言っている方が多いようで
はて対話って何なのだろうと かつて買って
読みかけていた 『ダイアローグ』という本なんかを
触ってみると なんだか対話というのはフランスの
カフェでの会話と似ているようだ。

 そうかーー対話ねえと思いながら
昨日はフランス人と会う機会があったので
その人と会いに街に出た。

 フランス人と会うといえば
先日嫌な思いをしてから 留学時代の
つらい経験を思い出し もうこりごりかも
やっぱりしんどい こりゃパリ症候群にもなるよなーと
警戒心を隠せないでいたけれど 今回の人は
なんだかかなり良さそうな人で 警戒心もちょっと薄れる


 その人は 以前パリの哲学カフェで出会って知り合った人の
友人で 京大に「脳に性別はあるのか」というテーマで
講演をしに来るらしい。私は全然しらないけれど
パリのパスツール研究所で働いているカトリーヌさんという方で
脳だとか狂牛病だとかについて研究をしているらしい。


 彼女と会って ちょっと雨の街を散策しながら
どこに行こうかと散々悩んでみた結果
日本の文化を知ろうというわけで結局「ワタミ」に行くことになる
この選択、、、どうなんだろー 日本人的にはまるで
いけてないよなーと思いながらも 彼女は彼女で喜んでくれ
まあいいっか ということになる。


 さてそこで長々と彼女と話をしていくと
やっぱり会話が面白くって 彼女は政治が科学におよぼす作用に
ついて最近は興味があるのだと言った。科学は科学といわれるけれど
政治的にも利用され 悪影響をおよぼすこともあるわけで
科学だけでなく 科学と社会などにも興味があるらしい

 そこででてきた話題のメインが脳とジェンダーみたいなことで
彼女は「脳みそに性別なんてない!」と言い切っていた。
かつては男と女の脳とか 白人と黒人の脳は違うと言われていたけど
そんなことはないわけで 産まれた子供の脳みそは10%しか
機能してなく 環境の変化やいろんな作用によってそこから
激しく脳が機能していくらしい。


 そこで私たちがした話は「自然」と「文化」は違うってこと
日本にいると つい子供を産んだりする環境で「自然派育児」とか
「自然に産みたい」とかいうけれど だから私はそれはある意味
動物的だと思ってたけど 彼女はそれらを「文化」なのだと言っていた
産むときに痛みがあるのは「文化」じゃなくて「自然」だろうと思うけど
その後の育児にどれだけ母が関わってくかは「文化」によって違うのかなあ
そして彼女はジェンダーらしく 「文化」はかつて人間がつくった
歴史なわけで それなら変えてゆけるのだ というようなことを言っていた


 最近めっきり古風な方に逆戻りした私にとって
彼女の話はかなり頭で考えられたセオリーなように聞こえたけれど
ボーヴォワールのような人達がきっかけになり
どんどんフランスは変わっていって 男女同権
女も産後すぐに働いて 子供を産んでも 特に変わらない
そんな風になったらしい。


 でもさー 産後すぐなんてへろへろで とても動けないと
思うけど と私が言うと「三ヶ月から働けるわよ!」
ほんとかなー 私には信じられないと私は言うと
「でもそれは人によるし それが可能な人たちだって一杯いるわ」
なんだかんだで言い負かされて 「よく考えたら私が産後
本当にしんどかったのは本も書いていたからかもしれない」
そういったら彼女は「そうよ!」と即答をして
「あなたは二人の子を産んだようなものだからね
あなたの経験は一般化できるものではないわ」と言っていた。
確かになー 一人目で一番しんどいときに 私は本もやっていたから
そりゃかなりしんどくて 二人目はぐんと楽なのかもな
しかしこういういわゆる「対話」は 面白いけど
なかなかしんどい。ボーヴォワールはかつて話し相手を
「こてんぱんにやっつけた」と書いていたけど 
ちょっとそんな感じだなー


 それにしても フランスはかなり子育てしやすくなってるらしく
女性も8割の人が働いていて 専業主婦はほとんど存在しないらしい
そういわれると 「何で日本はそうじゃないの?」といわれると
「若い人達も女性は従順なように見える」といわれると
うーん確かにと思うけど それはそれで 家庭生活が
うまくいくのかもしれなくて どうなんだろう 女性が
家庭も仕事ももって 本当にうまくいくには
もっと違う価値観が必要なんだろうと思う
日本人と フランス人とでは働き方もまるで違うし
フランスでうまくいっても それをそのまま日本に適応しようとしたら
無理が生じることがある。


 ところで彼女と話をしていたnatureということは
科学者的には人間の生物学的な自然なんてないらしい
では自然がその文化の昔からある形をさすのなら
いわゆる「自然派育児」は女性に古風な形の育児をさせて
家に縛られることになるわけで 彼女的には natureなんてなく
脳のように全てが環境に左右されるだけなのならば
環境をつくりかえればいいじゃないかという発想になるわけだ
さすが革命の国!人間が社会をつくっているという
そういう哲学の国ならではの強い発想なような気がする


 日本の哲学はよくいわれるけれど「自然共生型」と
いうわけで 周囲の自然や環境に合わせて生きてくわけだ
「征服型」じゃないもんなー 子育てをしてそれをすごく
感じるけれど 「日本だってもっと女性が自由になるべきよ!!」と
言われると そうだなー もう自由な気もするけれど うーんと
言葉が出てこない。対話って 難かしいよね
黙っていると言いくるめられ 意見を言っても
「私はそうは思わないわ!だってね、、、、、!!」と言われ
またまたうーんと思ってしまう
日本ではよく話す方の私はいつも フランス人の側からみたら
何を言いたいんだかと思われてしまっているのだろう

 対話もカフェも女性の自由も みんな西洋から来た概念だけど
まったくもって文化も違う 正反対なくらいの日本で
何がどれだけ通用していくのだろう フランス人と会ってみると
いつも刺激されるけど いつもなんだか途方に暮れる
それでもパリは今ベビーブームなようだから
もう少し フランスの子育て事情を学びたい。

カトリーヌさんの本は日本語でも出ているそうです 面白そうだな!
http://www.amazon.co.jp/脳と性と能力-集英社新書-カトリーヌ-ヴィダル/dp/4087203964/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1242618409&sr=1-1

まちの縁側からお結び庵へ

2009年05月14日 |  カフェ的な場で考えたこと

 今日は朝から子供のための集まりに行こうかなーと
思っていたけど 10時開始のその時刻に間に合いそうに
なくなって そうだやっぱりハルハウスに行く日にしよう!と
お弁当持って出かけていった。


 ハルハウスというところは前から話をきいて
気になっていた 京都の北にある「まちの縁側」というもので
誰かの家の一階を 誰でもこれるスペースにして
カフェのようにお茶が出たりして 障がいを持った人とか
お年寄りとか 不登校の子供とか 病気がちな人だとかが
そこに集って 通う間にお互いに癒されていく
そんな場所なんだそうな


 それについて書かれていた本を読んでから
行きたい行きたい!と思ってて ようやく今日は
遠路はるばる 赤ちゃん連れて行ってきた。
もうその道中といったら大変で そういえば京都のバスは
いつも混んでて しかも優先席が少ない上に
お年寄りだらけなわけで しかもなんだか
いわゆる市内のお年寄りは 洛西のおばーちゃんたちとは
雰囲気も違い 怖そうな顔をして誰も話しかけてこない。
そういえば京都って  こんなところだったよなー
三条に住んでた頃は そんなに出会いもなかったもんな
市内ってやっぱり子育てしにくそうだなー、、、


 それでもなんとかバスと電車を乗りついで
昨日教えて貰った場所の記憶だけをたよりにハルハウスへと
むかっていった。あ!これだ こんにちはーと何度かいっても 
返事はなくて 途方にくれていたところ 外から
おばちゃんがやってきて どうやらこの人が主人らしい。


 そうしてそのおばちゃんは なんだか色々話し始めて
私の話はほとんど聞く気はなさそうだけど
れんちゃんにはよくしてくれて エレクトーンを出してくれたり
絵本を出したり お茶をくれたり なんだかわんさか
色々でてきた。それでおばちゃんとれんちゃんは
どんどん仲がよくなって 「待っててな!今スープつくってあげるから!」と
どうやらごはんもでてくるらしい。はて お弁当 どうしよう


 どうしようかと思っていたら れんちゃんのご飯も
私のご飯も一緒に容易してくれていて 最近おかゆを
なかなか食べないれんちゃんに そのおばさんは
じゃがいもやらお豆やらを手づかみであげてゆく。
するとれんちゃん 喜んで イチゴを6個くらい食べ
ジャガイモも にんじんも お豆も ご飯も
みーんなみんな 手で食べた。時たま私がスプーンで
スープを口に持ってくと断固拒否。 とにかく自分で食べたいらしい。
こりゃこまったなー でももうおかゆじゃなくていいとのことなので
これからはおにぎりにでもしようかな。


 このおばさんは名古屋の方で「まちの縁側」をはじめた
凄腕の丹波さんというおばさんで 色んな話をしてくれた。
「三才までは自分で育てないとだめよ!」とか
「今の社会はリハビリ以前にハビリテーションがなってない」とか
ちゃんと自分で子供を育てて 子供の才能に気づいてあげることだとか
それからご飯を食べたあとには船岡山に一緒にのぼって
よもぎとりをすることに。そしてよもぎご飯の作り方も教えて貰う。

 そのころにはれんちゃんは すっかりおばさんに
なついて喜び 笑顔できゃっきゃっと言っていた。
そうしてあっという間に時が過ぎ 2時間半くらい経ってたらしく
そろそろおいとましますといって カンパをおいてそこを出る。
こうやって 子供が遊べて 誰かにも出会えるような
そんな場所ってなかなかなくて 近くにあったら本当にいいのに
私の研究しているcafeを日本語に翻訳したら「まちの縁側」だって思ってたけど
本当にそんな気がする。もっともっと世代をこえて
枠をこえて いろんな人が助け合う そんなきっかけの場としての
カフェであり縁側が もっと必要だと思う。


 気づけばたくさんもてなされてて 知り合いでもなんでもないのに
沢山の時を過ごして なんだか不思議な空間だ。


 それからまた千本通りを南へ下って どれほど遠いか
よくわからない お結び庵へとむかってく。
ここの人達も場作りについて研究、実践している人達で
お結び庵は西陣にある大きな町家。さて どこにあったかな、、、

 ひたすら歩いてあやふやすぎる記憶を頼りに
目印となる赤いポストを必死で探し もう駄目か!と
思っていたら私の鼻がきいたらしく 知ったような場所にたどりつく。


 そして久しぶりのみんなに会って しばし場について
語り合う。もっといい場がほしいなー
お結び庵の人達は最近は場づくり=イベントづくりを
お休みしているのだそうだ。日本では場=イベントになりがちだけど
それをつくるのは本当に大変!しかも創った側がどれだけ
えるものがあるかというと そこがとても難かしい。

 持続可能で もっといい場で たくさんの人が笑顔になれる
cafeであったり まちの縁側みたいな場 が 日本にもっと増えて欲しい

ダイアログbar

2009年05月12日 | 想いをカタチに

 先日の東大のカフェ研究会で出会った方とのつながりで
今度表参道で開催されるダイアログbarというイベントに
招いていただきました。何話せばいいんだろう??と
思ってますが相手は対話の上手な方!というわけで
楽しむ気持ちでいってきます。

 大人数の会議などにめちゃくちゃ使えそうな
ワールドカフェという手法をつかいこなしている方が
主催されますのでワールドカフェに興味ある方も
カフェの話に興味ある方もよかったらご参加ください



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第10回『ダイアログBar』
~ワールドカフェ&ダイアログ:対話による学びと共創の場~
6月5日(金)19:00~21:45(表参道)
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「Cafeから時代は創られる」の著者であり
カフェ文化研究家の飯田美樹さんを京都からお呼びしました。
ご本人のストーリーと『カフェと創造性』をテーマに
関心領域のお話を伺うとともに、
ワールド・カフェでの参加者+ゲストの対話を行います。
ふるってご参加ください☆

主催 ダイアログBar

□ゲストについて

飯田さんとお会いしたのは、3月のこと。
カフェと学びの場をテーマにした
東京大学のミニ・シンポジウムのようなところで
同志社大学の上田信行先生とお二人で
ゲストをされていました。

実は、飯田さんのことは知ったのはその少し前。
それは、1月の「未来を創るワークショップ2009」の
それぞれのお勧めの本を紹介するというワークコーナーで
紹介されていた一冊の本。

「Cafeから時代は創られる」

その著者が飯田さんでした。

飯田さんは、フランスのカフェで起こっていた
芸術と文化の振興を糸口に
カフェで起こる創造性について
「場」の観点を用いながら
研究をされているカフェ文化研究家。

カフェを使ったワールド・カフェを通じて
「日常に対話の場」というダイアログBarと
これほど合う人はいない!と早速、ゲストを打診して
トントン拍子に話が進み、
無事、京都から来ていただけることになりました。

今回は、飯田さんのご自身のストーリーから
「カフェの会話と創造性」をテーマに
お話を伺いながら、皆さんとの対話と
ワールド・カフェでの全体の対話を楽しみたいと思います。

ゲストの詳しいご紹介は、
最下部の「ゲストのご紹介」をご覧ください。

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概要について
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□ 日時 2009年6月5日(金)19:00~21:45(開場18:45)

□内容
第一部:
ゲストの対談型ストーリーテリング

第二部:
ワールド・カフェ・ダイアログ

□ 場所 表参道近辺
:オーガニックレストラン「Cinagro/シナグロ」
(http://cinagro.jp/)

□ 会費 4,000円/人
(会場費、運営費、食事・ドリンク代)
※軽食、フリードリンクが付きます

□ 定員 40名(※恐縮ですが、
先着順にて定員到達しだい締め切ります)

□ 内容
●第一部 「ゲストの対談型ストーリーテリング」
ゲスト: 飯田美樹さん
対談の形でゲストのストーリーと関心に焦点を当て、
質問と対話によるテーマの共有を行います。

●第二部 「ワールドカフェ・ダイアログ」
第一部で出たストーリーとテーマをもとに
創造的な対話と場を創り出す手法、「ワールド・カフェ」
によって参加者全体での対話を行います。
 
(前々回の様子は、こちら)
http://positivelearning.seesaa.net/article/114241004.html

□ お申込
下記申込みフォームにご記入の上、
事務局まで電子メールにて、
dialoguebar-owner@yahoogroups.jp
(事務局:西村)宛にご連絡ください。

当日、皆様と素敵な会話と可能性の発見に
出会えることを楽しみにしております。

ご不明な点がございましたら、お気軽にご連絡ください。

---[申し込み票]--------------------------------------------

「第10回『ダイアログBar』」申し込み

 ・お名前 :
 ・ご所属 :
 ・ご役職 :
 ・メールアドレス:
 ・当日の連絡先 :
 ・ご紹介者 :
 ・その他備考:
 
※お食事の用意の関係上、欠席される場合は事前にご連絡いただけると
大変助かります。

--------------------------------------------------------

□ゲストの紹介
飯田美樹(いいだ みき)さん

カフェ文化研究家、一児の母。1980年神奈川県生まれ。
高校時代から環境問題にめざめ、青年環境NGO「エコ・リーグ」を中心とする
様々な環境活動に関わる。
それらの活動を通じて、社会を変えうる活動を生み出す「場」に
強い興味を持つようになる。早稲田大学時代にフランスのパリ政治学院に留学し、
カフェに通い始めたことがカフェ研究のきっかけとなる。
自身の熱い場づくりの経験やカフェに通った実体験、
また大学院休学中にカフェを運営した経験等の実体験を、
百年前のパリのカフェ文化を理解するための視点として用いながら、
カフェという場のもつ力強さについて追求し続けている。
早稲田大学商学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了

著書「Cafeから時代は創られる」

□ダイアログBarとは
ダイアログBarでは「対話の場」をテーマに、
毎月一度ゲストをお呼びして、ゲストのストーリーテリングと
参加者のワールド・カフェを通して対話を深める場を創っています。

『対話による創造的な場』

がつながり合い、そして広がる。
そんな空間と時間の実現をダイアログBarは夢見ています。

ダイアログBarのこれまでの活動はこちら
http://positivelearning.seesaa.net/article/103084370.html

ダイアログBar 代表 西村 勇也


子どもといる生活

2009年05月11日 | 子育て
バスでおばさんに出会うたび
「今何ヶ月ですか?」「10ヶ月です」
「これからが大変よー!!」と脅されていたけれど
ついにその大変な時期に突入し 毎日まいにち
れんちゃんに目が釘付けだけど
大変な時期が一番かわいい 皆が口を揃えていってたように
今は本当にかわいくて もーどーしてそんなにかわいいの?!と
毎日まいにち言っている。


 最近のれんちゃんは2日にいっぺんくらいのペースで
何かを覚え、手をグーパーできるようになったりだとか
つかまりだちを旅館で覚えてしまったり
立ったあとには自力でなんとか座ってみたり
玄関でごろごろしたり 泣きながら私のあとを
はいはいして追ってみたりとか 毎日毎日成長してる。
そうして悪さをしながらも その笑顔といったらかわいくて
もーこりゃ本当にめろめろだ。


 最近は相当人間らしくなってて表情も本当に豊かで
れんちゃんが乗ったバスや電車ではみんなに
笑顔をふりまいてるからいつでも彼は人気者。
そうして私も沢山の人と出会って なんだか
かつてのパリのカフェにいるようだ。


 今日はお昼をもって家のとなりの公園に行き
ふたりでなんとかご飯を食べて ゆっくりと過ごしていたら
途中でれんちゃんは眠そうになり 私は私で読書もできて
とても気持ちよい午後だった。こうして外を楽しめるのも
子どものいる生活ならでは?毎日毎日れんちゃんの
ご機嫌をとりに外にでて 私も一緒に何かを学んで
こんな生活もいいかもなー もう独身には戻れないし
戻ったってものすごく淋しいだろうなと思うから
これからは子どものいる生活を楽しんでいくしかないだろう。

 それにしても 子どもは本当に母が好きで
お母さんさえいるのなら 子どもはいつでも笑顔になって
たまにめちゃくちゃ泣き叫ぶけど それ以外はかわいくて
部屋のなかはぐちゃぐちゃだけど 玄関にもダイブするし
なんでもかんでも食べてみるけど それでもやっぱり
とってもかわいい そうして時間がとられてく。

 「だけどね 今が一番かわいい時期なんだから!!」
子育てを終えたおばさんたちが口を揃えて言う言葉。
毎日まいにち れんちゃんは生きることに興味津々
毎日まいにち 何かができて 世界は発見に満ちてるらしい
怒りたいときもあるけれど いつも笑顔なれんちゃんと
こうして過ごして きっと私も 素敵な笑顔になれるのだろう

奈良のつどい

2009年05月08日 | 私の人生
 吉野の次は奈良へと向かって お昼前には
旦那さんと合流し 奈良公園の旅館に向かう。
昔からみんなが憧れていたらしい公園内の小さな
旅館は青葉茶屋というとこで こじんまりした
小さな旅館。チェックインには早すぎるのに
子連れだからとよくしてくれて 1時くらいにお茶を
いただいてたら 叔父さんたちがやってきた。


 飯田家のつどいはいつから開催されているのか知らないけれど
物心ついたときには17人で集まっていて だんだんと
子どもたちが大きくなって 子どもは来なくなったけど
私はいつも楽しみにしてる。このつどいが私に与えた影響は
きっととっても大きいのだろう。こうして集まり
ただただお茶を囲んで話しつづける。日本人には
あまりなさそうなそんな文化の中で育って
私にとってのお茶文化が育まれることになる。


 今回は家ではなくて外であり みんながつどいはじめて
すぐに 叔父さんを講師にみたてた奈良観光がはじまった。
たくさんのお寺にいって 建築について教えてもらい
素敵な文化財の昔のおうちでお茶をのみ 私はれんちゃんに
おっぱいをあげて みんなで幸せ気分になった。
和風のとこだと子どもも遊べて おっぱいもしやすくて
こんな素敵なお庭をみながらどこでお茶してもいいだなんて
なんて素敵な場所だろう!(今西家住宅というところ)

 奈良ってなんか 時がゆっくり流れてて
おうちのつくりも味わい深くて 京都とは全然違う。
京都はいっつも 人間の細かい技術力をみせつけるけど
奈良はなんだかごっつくて 広大な自然の中に人が
住まわせて貰ってる感じで それがとっても落ち着くなあ

 沢山のためになる注釈を聞き お寺が閉まってからは
女たちのぶらぶら歩き あれもこれも お店の前で
足をとめてはウインドーショッピング。そして
宿についたら美味しいごはん。今回はお祝いごとが
たくさんあって 還暦の人も 新婚さんも
そして我々のれんちゃんも みんなで乾杯!
それで話はつきなくて 飯田家の女の大変さについて
うちの旦那はうんうん言って 新婚さんの旦那さんは
一生懸命聞いていた。これからどんなになるのだろう?
またつながってゆけるのかなあ 子どもができたら変わるかなあ


 鹿たちの間近で眠ったあとは 美味しい朝食が待っていて
その後は朝からお酒の試飲に繰り出した。春鹿という酒屋さんで
試飲ができるから、とみんなは叔父さんのあとに連なる。
そこで飲んだ日本酒は 本当にびっくりするほど美味しくて
まだ朝の10時台なのにちょっと私もよっぱらい
母乳のために禁止していた日本酒も この旅によって解禁になる
それにしても 美味しいお酒やコーヒーは 飲んだだけで
幸せになり 飲んだだけで詩的な気分になってしまう。
本当に素敵な飲物だなあ こんな幸せ もう長いこと忘れてた。


 こうやって 旅館に泊まって お酒も飲んで
ダンスも踊って ならまちもぶらぶら歩いて お寺にも行き
ようやっと 子育てしてから禁じられてた沢山のことが
私にも叶い 本当にうれしい旅だった。
こんなに散々息抜きしたから 当分は街に出ないでも大丈夫かな?
これからはれんちゃんとの時間を大事にしながら
ゆっくり手作りなんかしてやっていこう。
奈良で息抜き 吉野で息抜き 琵琶湖にもたまにはいきたいなー
そうしてなんとか自然を感じて 楽しく子育てしていきたい。

吉野へ

2009年05月07日 | 私の人生
 子育てはじまって以来の大風邪をひいたまま
GWに突入し はじめての大旅行をひかえていたけど
それもこのままキャンセルか、、、でももう二の舞はしたくない
と 風邪のなかでも着々と準備をしていった。

 今年の休みは吉野へ行こう 四月からそう思っていた。


 吉野という地名には 独特の響きがあって
私が好きな漫画二つに 吉野という地名がでてきて
一生に一度は行きたい そう思ってた場所だった。

 すると先日東大でお会いした上田先生という方は
吉野で場所をもってるという そこで毎年 一度だけ
Party for the futureという大イベントをするんだそうな
「飯田さんもよかったらどうですか?」
「あ でも GWは旦那の実家に行こうかと思ってるんです」
「そうですかー でもよかったら来てくださいね!!」

 なんだかよくわからないけど 先生の中では
私も参加者にカウントされていたようで 旦那の実家に帰るといっても
私が一人で行くだけだったし 飯田家の親戚の集いが丁度奈良で
あるらしいから GWは吉野に行きたい 強くそう思ってた。


 仕方がないから 奈良に行く予定のお父さんをまきこんで 
そうしたら いつの間にか 母もくることになっていて 
吉野と奈良とで いろんなことを考慮したすえ 三泊四日の旅になる。
初の旅行が三泊四日!!しかも私はかなり激しく風邪をひいてて
もう無理だ いつキャンセルしよう そんなことを思ってた。


 けれどもたくさん痰をはき 体中からいろんなものを
出し切ったのか 少しは調子もよくなって もうこれは
いつものショック療法にかけるしかない。そう思って
両親とともに旅に出る。すさまじい荷物をもって
特急列車で吉野に出発だ。


 するとれんちゃんは電車にはもう慣れてることを思い出し
奈良の景色が心をなごませ 吉野についたころには
旅行気分でいっぱいだった。吉野の駅は終着駅で
なんだかマルセイユをおもわせるつくりになってて旅行気分。
そうしてお宿にむかっていって 素敵なお宿に驚いた。

 吉野について もう何年ぶりかに旅館に泊まり
それができた そんな自分が嬉しくて嬉しくて
そうしてなんとか旅館で即席離乳食をつくってがんばり
夜中はたくさんおこされたけど れんちゃんもそれなりに
楽しんでいて 次の日は父にれんちゃんをおんぶしてもらい
私は先生のpartyへ。


 会場につくと そこにはカメラや音楽やカフェがあり
スタッフの人のおしゃれな衣装や会場のデコレーションに
気分が早速もりあがる。何があるってわけでもないかも
しれないけれど なんだかとってもわくわくしてきて
これが先生のいうpreyfulっていう感覚なんだろうと思う。

 お茶を飲んで出会った人と会話をした後オープニングがはじまって
なんと朝の10時から全員揃って狭い空間でジャンプをしながら
踊らされる。めっちゃ踊った!と思ってほっとする と
先生は「はい今のはリハーサルー!」そしてもう一度はじめから!

 そうして何度も踊っていくと フランス時代を思い出し
あーそんなころもあったなー 昨日まではひたすら母をしてたのに
私というのもあったんだ!と なんだかとても嬉しくなる。
こうしてちょっと汗をかき 自分からなにかが剥がれ
素の自分 本来の自分がでてきた後でお話をすると話しやすい。
私もすごく盛り上がり みなさんの前で少しお話をする機会をもらって
それからは出会った人とカフェ話。吉野川の流れの横で
桜の木陰が気持ちよくって 出会うひとたちはみんながみんな
素敵な個性をもっていて 普通にそこでたまたま出会った人達だけど
話すほど に すごい人だというのがわかって
そんな出会いに感謝する。また何か いいつながりが
うまれていったらいいよなー それにしても このネオミュージアム
とても心地よい空間だ。
http://neomuseum.org/index.html


 本当は午後になったらもう帰ろうと思ってたけど
途中で両親が授乳をさせに来てくれて 様子をきいたら
けっこういい子にしてたみたいで お父さんも
おんぶで観光できるみたいで それならば とおねがいをして
結局最後の最後まで いさせてもらえることになる。
あんな木陰で お茶を片手に ご飯を食べて出会った人とと
次から次へと語っていける それってとっても素敵だなー
なんだか本当に楽しくて その晩は興奮してなかなか眠りにつけなかった。


 お宿もとっても素敵なところで お寺の文化財みたいな
ふすま絵のある空間で利休鍋をいただいて お部屋もとっても広くて素敵で
思いがけないいい旅だった。そして次の日は奈良に向かって
奈良公園で 久々の飯田家の親戚達に会うことができ
おそばをたべに行ったあと は 叔父さんの文化講義で
お寺をまわって 建築や彫刻についてたくさんのことを教えてもらった。
奈良からは旦那さんも合流し みんなで楽しくわいわいわいわい
ご飯を食べて 飯田家ってやっぱり楽しいと思える夜だった。

 行く前はびくびくしていた旅だけど 行ってしまえば
まわりの人はやさしくて 旅館の人達もとても親切で
れんちゃん用のお皿をだしてくれたり 荷物を運んでくれたり
たくさんかまってくれたりした上「子どもから元気をもらいました!」と
言ってもらえた。そんな風に思ってくれる人がいるなら
これからも外に出てみたい。そうしてもっと 子育てに
理解のある環境を たくさんつくってもらいたい。
どこもかしこも 子どもがいるのが当たり前 な
子どもに対する向き合い方や 配慮の仕方を みんなが知ってて
当たり前 な そんな場所が増えたらいい。
奈良の旅館やご飯どころのおばちゃんたちは みんな優しく
子連れの私たちを温かく応援してくれていた。
そんな場所がふえたらいいな そうてもっと一緒にどこかにいけたらいい。

フランスに行くなら

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