alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェでの革命

2011年08月31日 | カフェと社会変革



 今日はうーん引き寄せの法則ねえ 法則、とは
言っていたけど本当にいいことあるのかなあ、と
ちょっと疑問に思っていたけど 想像を超えて
飛び上がって喜んでしまう様な出来事があり
本当に嬉しくて蓮太郎と踊ってしまった。


 というのは前々から愛読していて読む度に
深く共感していた『人が集まる』の著者、浜野さんから
なんと電話がかかってきたからで、それというのも
私が2週間くらい前だったかに浜野さんにお手紙と
本をお送りさせていただいたからなのだけど
もう返事もなさそうだしだめだったかー
やっぱりな そうとう大物だろうしなあ
私は読む度にものすごく共感してしまっていたので
勝手にわかりあえる友達みたいな気分になっていたけど
浜野さんは渋谷のスクランブル交差点前の
スタバのあるビル Qフロントを開発したという
すごい人なので(よく知るほどにこんな人が
ありうるのかと思ってしまう)私が想いは
込めたとはいえ、半分泣きながらすがるような
気持で書いたあの手紙は たしかにちょっと字が
汚かったしだめだったか、、、と思ってた。


 ら、なんとご本人から電話があった!!!

 もうそれだけで飛び上がるように嬉しくなった。

 やっぱり引き寄せの法則ってあるのかなあー
これはさすがにすごいなあ 毎日なんとか
ポジティブになろうとしてきてよかったなあと思わされる。
こんなに嬉しかったのは東大の中原先生がブログで
私の本の書評を書いてくれてたときと、同志社の
上田先生がまだお会いする前に私の本を読んで
半ば興奮した口調で電話をかけてくれたときだった。
「飯田さんね!僕もパリに何年か前に10日間
行ったんですよ カフェには何かあると思いましてね!
それで僕がやってるParty for the futureっていうイベントがあって
すごい面白いイベントなんですけど僕は毎年一人
一分くらいしか話せなくてね これがサロンの
女主人の苦悩なんだなあと思いました!!」と言ってくれた。
そしてお会いした先生の持ってた私の本には沢山の
付箋が貼ってあり それを見ただけで私は本当に嬉しくなった。


 あー 自分なんて と思って家で悶々としている時に
そんなメッセージを受け取れるのは どれだけ
嬉しいことだろう。あの喜びといったらなかった。
そう そんな喜びで 私の人生はどこかに向かっていったのかなあ


 自分に前向きな言葉をかけて いい状態なんだと
マインドコントロールしようとしている自分もいるけど
本当に飛び上がるように嬉しくなったり いるだけで
嬉しくなったり やったー!という気になれたりする
瞬間はある。それは言い聞かせているようなのとは
全然違って なんだか空を飛べそうな そんな気分なんだよな。


 そういう気分でもっといられる 本当にワクワクしていて
本当に嬉しい様な それでいて まわりの人も楽しいような
そんな生き方ってあるのかなあ だれかがワクワクしていると
まわりの人もつられてワクワクしてしまう。上田先生の
まわりに居る人っていうのは 先生のワクワクにひかれていたい
あのオーラをもらっていたい そんな気持もあるんだろう。
私は先生がアメリカであまりに圧倒されて興奮して楽しくなってる
姿をスカイプで見させてもらって 喉から手が出るほどに
フランスに行きたくなった。それで実際行ってしまって
そしたら見たことも想像したこともなかったような世界が
待ち受けていた。そこで私はガツンとやられてしまったわけで。



 そう きっとかつてのマンレイのように
ブルジョワ社会に生きてきた ボーヴォワールが
夜のカフェの雰囲気にくらくらしてしまったように
藤田が初日についたカフェで あまりの自由さに
圧倒されてしまったように。マンレイも頭がくらくらしていた。
今ならわかる。実感として 何が起きたのか説明できる。
頭がくらくらするということ それは思考が変わること。



 今迄もってきた価値観が ぐらぐらゆれて
あたらしい世界を肌で感じてしまって
こんな世界もありなのかって 目の前にあるから
あてられてしまって 多分そこには共鳴だとか
シンクロニシティ的な場のゆらぎみたいなのが存在しちゃって
彼らはどーん と あてられた。



 そして人生が変わってしまった



 例えそれとは知らなくっても

 だけど魅力的だったから 

 彼らはそこに入ってしまった

 だって そこに居たかったのよね?
私にはその気持がよくわかる。
どうして?なんて説明はできないけれど
きっとここだと思えたのだろう。


 だっておそらく それが彼らにとって
求めてたものに近いように見えたから。


 そうして彼らは思考を変えた

 こういうの も ありなんだ

 ありえるんだと受け入れて

 そこから彼らは変わっていった


 なんだか私は今ならわかる。
世界を変えるということは
世界や社会を変えようとすることではなくて
自分が変わることなんだ。ようやく何かが
わかりかけてきたような気がする。
そうして彼らはまず自分の思考を変えた。
藤田は日本から持って来た絵の具箱を叩き捨て
ボーヴォワールはコップを割った。
そうして彼らは自分自身の何かを変えて
そこから何かが変わって行った。
カフェでは革命だったり様々な運動が起こって行ったわけだけど
それは彼らが議論をしていた それだけじゃなく
カフェ という 場に 出会った彼らが
自分の殻や枠から自由になって
「ありえない」とおもってたものが「ありえる」という
それを受け入れたからなんだ。


 そんな思考の連鎖反応が カフェの時代を
つくっていった そしてどんどん来た人たちが
あてられて変わってしまった そんな場が次々に
存在していた それがパリのカフェだったんだ。


 人が人 に 出会った時に 人が 人を
変えて行く。そこには特有の力があって
それってなんだか 抵抗できないものなのかなあ


 引き寄せの法則というものが 物理の法則並みに
一般法則なのだとしたら カフェの話にも
これからの空間づくりにも ものすごく応用できるはずだろう
私は今自分の身をもって苦しい時期を乗り越えようとしてるけど
もしかしてここに大いなるヒントがあるかもしれない
なんだかそんな気がしてしまった。
人間ってなんだか面白い。

チャンス

2011年08月27日 | 想いをカタチに



 人生においてチャンスというのは
あるとき突然やってきて それに
乗れるか乗れないか の 波なのかなあと
思っていたけど よく考えたら
もっと身近にチャンスというのは転がっていて
それを見る目があったかどうか
聞く耳を持ってたかどうかなのかもしれないな、と最近思った。


 「あんたは人の話を聞いてない」と
私は何度か言われたりして どういうことか
よくわからないこともあったけど(ちなみに
動物占いはゾウで耳は大きいけど話を
聞いてないと書いてあったのを覚えてる)
聞いてない というのは聞いているけど
実行していない ということだったのかなあ。


 今にして思えば私の友人でいつもいろんな
面白いことを教えてくれたF君がいて 確か
私にワールドカフェを教えてくれて(しかも
その本もくれた)フェイスブックを使えと言って
本を電子書籍化したらいいと言い 一番はじめに
本を読んでくれていい感想を教えてくれて
iPadを日本ではじめて私の目の前で見せてくれたのも
ぜーんぶF君だったなあ。そして彼は私と話す度に
面白いアイデアを色々と教えてくれたのに
私はといえばよくいろんな理由をつけて
実行に移さなかった。そして実行に移すまでに
1年かかったり まだしていないこともけっこうあって
「あの時すぐにやっていれば、、」と
今更ながらに思ったりする。


 彼は先見の明があったんだなあ フェイスブックも
彼はもうほとんどやってないけど 私がやりはじめたころは
まだまだ周りでは流行ってなかった。お陰でいまでは
だいぶ使い方がわかるようになっているけど
そういうのも 誰かの忠告を聞いて実行したからなんだなあ
ブログだって 友達が「ミキさんはブログにした方がいい」と
進めてくれて「そんなたいそうなことできないよ」と
言っていたけど「1分で作れるから!」と教えてくれた。
そうしてもう3年以上やってるわけで それも友達のお陰です。


 みんなアドバイスをくれるとき は その人の
ことを思って その人がこれをもっと活かしたらとか
これを使ったらきっと面白いことができるだろうとか
もっとイキイキ面白いことやってくれるんじゃないかとか
そんな想いで誰かのために話してくれる。
なのにそれをやらないってのは チャンスをみすみす
無駄にしている そういうこと なのかもしれない。
みんな親身になって相談に乗ってくれたのに。


 「ものごとの実現を遠ざけているもの それは
何よりもあなたの思考です」というようなことが書かれてた。


 たしかにそうだ 誰がどう と言ったからって
自分で「それは私には無理そうだ」とか「今は
そんなお金がないとか」(でもi pad 欲しい!)
「それはちょっと私にはハードルが高いんじゃない?」とか
そういう理由を何かとつけては つい拒んでしまうのは
他ならぬ自分なんだなあ。


 もし彼らが言ってたことを 次の日くらいに実行してたら?
いろんなことの動きはもっと違っただろう。
私の友人は夢を現実化していくためには手帳をうまく
使うんだ と言っていた。それで2週間くらいは
なんとか乗り切ったけど そのあとドーンと悩みに
打たれてしまって手帳どころじゃなくなってたら
1ヶ月くらいボーッとして過してしまった。
だけどまたこんなんじゃいかんと 手帳を使い始めたら
悩むよりも行動しよう とちょっと動きが早くなる。
カーネギーも言っていた。「とにかく行動に移すこと!!」
そう そうなんですよ ね 理由をつべこべ作っていないで。

 やっぱりipadとiphoneをどうにかして手に入れよう。
それからいろんなことの計画をもっとクリアに練ろう
そしてしっかり行動に移していこう。悩むのも
うじうじするのももう終わりにして とにかく
次のステップへ移りたい。


 できるか?できないか?Can I do it?じゃなくって
必要なのは How can I do it ?という姿勢らしい。
どうやったらできるだろうか?お金がない、ではなくて
どうやったらそれを手に入れることができるだろうか と
考えることが大切らしい。まずは 欲しいとか
やりたいのだと言ってみること?それからひたすら行動だ。

前向きな力

2011年08月24日 | 想いをカタチに


 今日は役所に行ってきて 今日もきっと
いいことがあるし大丈夫 と 思ってはいたものの
いろんなことを聞いてくほどに ちょっと
それはないだろうとか かなり辛くなってきて
目の前で私に話をしている人にすがったところで
どうしようもないのはわかってるけど
それじゃあまりに辛いです と つい言いたく
なってしまって でもそんなことも言えないし
もう無理に笑顔をつくって ありがとうございましたと言って
私はトイレで泣いてしまった。


 前向きになろうとしても ポジティブになろうとしても
大変なことは大変で それでも私は基本的には
泣くのはやめて 後悔するのもうじうじするのも
やっぱり時間の無駄だった し それはそれで
悪い影響を引き起こすことがわかったわけで
それはやめようと決めたけど なかなか簡単なわけじゃない。


 それでも頑張って前を向こうと電車に乗ると
母から電話がかかってて 「今から蓮太郎とカフェに
行こうと思うんだけどね 一緒に行く?」と行ってもらえる。
それで駅で彼らに会うと「今ねえ 虹が出ているのよ!」と
教えてくれる。「ほらね ママー」と息子は私の手をひいて
大きな大きな虹を指差し 3人でちょっと眺めてた。
「これからいいことあるといいね」私はそんなことを
言いながら あとになってちょっと思った このこと自体が
いいことなんだ。そうきっとこうして3人で虹を眺めて
前向きな気持になれたこと こうして一緒にいれたこと
それ自体 が 幸せということなんだ。


 今日はいろんな想いや憤りさえこみあげてきて
もーこうなったらフランスに行ってやる!と決意をしたり
したわけだけど でも物事には悪い面もあればいい面だってあるわけで
人間に 悪い人なんていなくって 悪い面もあるけどいい面もあるのと
同じで 物事の悪い面ばかりみていたら悪く思えるけれど
いい面だってあるはずなんだ フランス語にはProfiter(プロフィテ)という
言葉があって 活かすとか、堪能するという意味なんだけど
profiterすればいいじゃないか。どこにだって いい面がある
それを活かして吸収したらいいじゃないか。
そう思ったら なんだか悪くないかなとも思えてくるし
いい面が見えるとありがたいなと思いはじめる。


 そうやってやっているうちに 自分の中から力が出たのか
もうなんとかしてやる!という気になって 本気を出そう
力を出そう できる限りやってみようという想いが湧き出はじめた。
そう本気になったら 私には力があるはずなんだ。
本気でフランス語をやったから あれだけ飛躍的に伸びたじゃないか
人の想いは山をも動かすのだという。本気でやること
悩んだり 鬱うつしたりして時間を無駄にするんじゃなくて
本気で何かに向かって行くこと それなんだよね。


 閉ざされているかのように思える道には
何か意味があるのだろうか それは道はそこではなくて
お前が前から言ってたところにまっすぐすすめということだろうか
そのために?は? 時間がないとか 焦らなくてもいいとか
人は言ってくれるけど 人が本気になったなら
1日は実はけっこう長い。本気になったら あんな重たい本だって
3ヶ月で書ききれてしまう。本気になったら?3ヶ月で
早稲田に受かる。想いと本気 その両方が 大切なんだ
想いというのは 描くちからで 本気というのは
夢を現実化させる力なのかもしれないな。


 くそーこのやろー!今に見てろ
やってやろう!と思った時に 私は力を発揮するらしい
今日読んだ本には人に何かをさせようと思ったら
「あなたにはそれはできませんよ」と言うのがいいと
書いてあった。確かにそうかも。そんなことない、
そんなんじゃない、今に見てろ!そう思った時 人はすごい力を
発揮するのかもしれないな。私はちゃんとお金を稼ごう
そしてパリで仕事がしたい。それからそう、いつの日か
日本の未来の役にたつような視点や思想を伝えたい。
こんな生き方もありなんだって それも可能じゃないですかって
特に女の生き方を。この国の生き方とは全然違った
だけど自由で私が惹かれてしまう生き方を
そしてフランスから学べる素敵な視点を
いつか日本に伝えたい。そういうことができるよう
私はそこに 向かって行こう。

フランス語とのおつきあい

2011年08月23日 | フランスへの道



 フランスから帰って来てから約2ヶ月が経過して
今日は朝からもうなんだかフランス語をしゃべりたくて
仕方なくって 蓮太郎としゃべったりはしてみるものの
あーもう!どこに行ったらそんな機会があるのかしら と
ちょっと途方に暮れていた。(英語だといっぱい
機会もあるのでしょうが、、、)


 そう思ってたら引き寄せの法則が働いてくれたのか
2ヶ月くらい日本に来ているフランスの知人が東京に
戻ってて「今日の午後暇?」と誘ってくれた!
行きます 行きます!フランス語しゃべりたい!と
会いに行ってはみたものの 彼は恐ろしいほどに
日本語がうまく 「この間会ってからフランス語
しゃべってないんですよ」と言ってみると
「僕もそうだよ」とのことで いやーこんなに
日本語ペラペラで新聞も読めたらさぞかし楽しいことでしょう。
彼は漢字マニアで「憂鬱」とか「薔薇」とかそういうのが
ほとんど何でも書けるらしく この10日間で
知らなかった漢字は7個くらいしかなかったとか言ってたな。


 そんな彼は 一体何年日本語を勉強してるかといえば
なんとたったの3年らしく!3年で新聞読めるの?3年で
ここまでしゃべれるの?隣にいる私はお恥ずかしい限り、、、と
街を歩きながらずっと日本語でしゃべってた。


 語学というのは力関係が働くらしく
どっちもが両方の言葉がまあまあできても、より
秀でている方が使える言語になって 私は普段は
フランス語をしゃべりたがって大抵はフランス語なのだけど
あまりにも日本語がペラペラなフランス人といると
うっとなってしまってそちらの日本語が通ることになる。

 それでもカフェでお茶してる時は彼もフランス語に
してくれて 私はすっかり自信をなくしてたけど
結局お互いにほめあって どうやったらもっと
上達するのか、どうやって勉強してるのかとか
いろいろ教えてもらってた。パリで日本語を勉強している
フランス人は よくiphoneを使ってて そのアプリで
いくつか日本語を学べるのがあるようなので
私もiphoneにしたらその反対ができるってことだわな。


 彼はパリに帰りたくない!と言い
私はパリに帰りたい!!と言ってるのだけど
その国 に 住んでなくても ここまでレベルは
上げられるのか そのために は 日々の努力が
必要で 彼は毎日350問の日本語の単語の
テストをしているらしい(それもiphoneのアプリ)
それで憧れの国に来た時 語学の問題を通り抜け
思いっきり楽しめてたら そりゃあ楽しいだろうなあ


 やっぱり語学を習得するには 日々の努力は欠かせなくって
その国へ行けばなんとかなるって問題じゃない。
だってそこには 予想だにしなかった いろんな
ストレスが待ち受けている。私も今「やっぱりパリに
帰りたい!」と思ってるからって じゃあもし明日
パリに行けて ハイ フランス人と会話して広告がとれますかって
そんな簡単なものじゃない。 だから今日から
もう少しずつ勉強しよう。まだiphoneは持ってないけど
ラジオだって聞けるわけだし 方法は色々あるわけだ。
もう次に行くときは 言葉で困って辛くなって
フランス語がネックで嫌だと思わないように気をつけよう。
フランス映画でもまた観ようかな 息子と一緒に?
とにかく私ももう一度 フランス語とのおつきあいを
ちゃんとはじめよう。未来に向かって 今できること
毎日きちんと積み重ねよう。

(ちなみに、、、最近フランス語の個人レッスンを
はじめています。初級会話といった感じですが
フランス語習ってみたい!という方はご一方ください。
カフェで週2時間くらいからやってます)

都市を夢見る

2011年08月23日 | 私の人生


 先日田舎にいって色々あってそれから車で長時間かけて
横浜に帰って来た時 ようやく ようやくお店がみえたり
マンションが見え始めたり それからちょっと ビルが見えたり
そう そういうのを見始めて ほっとしていた自分に気づいて
ああ私 そうか そうなんだね 都市がやっぱり好きなんだ
だって仕方がないじゃないか そういうところで育ったんだもん
こうして車にのって「渋谷」とかっていう文字を目にすると
なんだか気分が高鳴って行く。そういう文字に 思い入れがある
渋谷とか六本木とか青山とか赤坂だとか 1つの地名ごとに
イメージがあり 何かが頭に思い浮かぶ だって
仕方がないじゃないか 高校生の時からずっと 街歩きを
してたんだもん。そうして本みたいなのだって書いたんだもん
そう 私は(私以外の)誰もが認める都会っ子。
そうしてやっと 自分で気づいた それが私は好きらしいんだと。



 昨日映画『カーズ』を兄のマンションのシアタールームという
とこで 大画面で子供と一緒に観ていたら なんだかやたら
どきどきしちゃって 特にドキドキしてしまったのは
高速で都会に向かう部分で やっとどこかに向かっていって
やっとカルフォルニアとか 有名な地名がでてきて
そこに自分が乗り込んで行く 都会の真ん中に乗り込んで行く
そんなイメージが なんだか私をドキドキさせる。


 もしミュージシャンになりたいのなら 地方にずっといるよりも
とにかく都会に出て関係者が多いところにいくことが
一番の近道だって『クリエイティブ都市論』の著者は言っていた。
そうして都会に憧れて 何かの機会に魅せられて
都市に人は集まって来る いつの日か 自分がもっと
大きくなれることを夢見て いつの日か これまでと違う
世界に入って これまでと違う 自分になれる 
そんな世界を夢見て都会に来るのだろう。


 東京なんて 別に好きではない と思ってたけど
夏は熱いし ビルばっかりだし あんまり楽しい場所じゃないしと
思ってたけど そりゃニューヨークとか 行ってみたいし
やっぱりパリには住みたいけれど でも東京は
日本の首都で 日本語で 日本でいろんなことをやってる
人たちが沢山集まっていて パリに居たいとか思ってみても
現実のパリでやりたいことをやっていくには
日本でのつながりが 私にはとても重要なんだとよーくわかった。



 東京は 私にとってはなんだかとてもドキドキする街
それはいい意味でも悪い意味でも。でももうちょっと
踏み込んでしかるべきなんだろう。だってそこには
すごいことをしている人たちがわんさか集って
センスのいいものもわんさかあって 何かがいつも
生み出されてる そんな街であるわけだから
お金のかかる街だけど それでも何か 面白いことはあるだろう



 日本にいて 肌でものごとを感じると
ああそうか 今足りないのはこういうことでとよくわかる。
だけどそれは外国にいたら どんなにニュースをチェックしてても
肌感覚ではわからない。それでそのまま何かを伝えたいと思っても
感覚がわからないからとんちんかんになってしまう。
そういう理由によるのだろうか 異国で母国のために何かしたいと
思いながらも もどかしさを抱えたままの人たちはけっこういるわけで。
これってとっても不思議な感じ。行ったり来たり
することができたなら 感覚をつかめたままでいられるだろうか


 私はあの インフォーマルパブリックライフに満ちた街 に
戻りたいけど あの街で それなりに生きて行くには
いろんなことが必要で それをもう少し蓄えるには
まだ時間がいるのかな。そしたらいつか あの街で
生き生きと素敵な笑顔で 輝いて 楽しんでいられるだろうか
そんな日をもう一度夢見て もうすこしふんばってみよう。

場の揺らぎ

2011年08月20日 |  カフェ的な場で考えたこと



 昨日と今日は『シンクロニシティ』にはまりながら
いろんなことを考えて ああそうか と納得がいったことの
ひとつに場が揺らぐことがある。

 
 正確に そのことについてどこに記述してあったのか
何故だか付箋が貼られてないから 引用はできないけれど
この本の著者はあるとき何かが共鳴するような瞬間に
「場」というものがぐらりと揺らいで まるで
スローモーションのように目の前の世界がみえる
不思議な瞬間があるという。そのときそこにいる人たちの
意識のレベルは上の方にいっていて 普段とは全然
違う状態にあるらしい。そのとき彼らはつながりを感じてて
分断された個人というのは違う感覚でいるらしい。


 さて、思えば 私は著書でも書いてみたけど
カフェから何かが起こってしまったことがあった
そう それは私の場合は半分くらいはカフェという場で
あとはエコリーグに関わっている場で起こったといえるだろう。


 どうしてあのとき? 私は「風が吹いた」と表現をした。
そう はっきりいって 私には 何が起こったのかもわからなかった
ただ まるでビフォーアフターみたいに その前と後では
人々の表情もやる気も全く変わって 「何かが起こった」
それだけはよくわかってた。おそらくこの本を読んでみて
かつて私がよく「すごい」と言われていたのは
本人にはわからなかったけど 何かを追求する者が
その時に放っているという独特の力を発揮していたのだろう。


 それなのに私はその時何が起こったか 明確に覚えていなかった
それをいけないことだと思っていたけど どうも本によると
そうではなくて その時の意識レベルは違う世界に移ってて
それは明確に、思考によって認識されるものとはなんだか
ちょっと違うらしい そう例えば 画家が一心不乱に
絵を描いて 描いたあと で その絵を眺めてみるように?


 私はそういう「風」を起こすのが 揺らぎを起こしてしまうのが
得意なタイプだったから だから先日 西国分寺のカフェの人と
パリのカフェガイドの話が出た時 その人がその話を切りだす前に
昔よく誰かが私に見せてくれた様な独特の嬉しそうな表情を
してくれたとき 私はなんだかピンときた。何かが起こる。
ワクワクする 何事か、が、、、 そうしてもう 止まらなかった。
だってワクワクしたんだもん。それに乗るのは けっこう
勇気がいるのだけれど。


 そんなわけのわからない興奮状態みたいなの は
ものごとをグワンと動かして そう そう考えると
エコリーグの存続の危機の時、わけもわからず
「私がエコリーグやります!」と言って目の前の人たちの
様子がぐわっと変わってしまったときもそうだし
名古屋でエコリーグの中日本が解散すると聞いた時
私が全国ギャザリングをやります!と言った時 に
何故かそこに居た人たちの多くは感銘を受けてくれ
多くの人たちがそのままスタッフになってくれた。
2004年のレボリューションキャンプをやろうと
していた時だって かなり具体的になった企画を
エコリーグのギャザリングの自主企画で発表し
そこに来ていた人たちのほとんどがスタッフになり
実際にやることになってしまった。
それにOB向けの企画をすることになった時も
私は半分泣きながら なんとかしようと訴えて
ギャザリングのカフェから何かが変わっていった。


 そう そんな全ての場 では 場が揺らいでて
そこにいた人たちの多くが共感してくれ そのまま
最後まで巻き込まれていってくれた そんなことが
よくあった。そう考えると 今の私に足りないものは
より明確な想いとそれを具体的にした形というのと
そしてそれを手伝ってくれる 仲間の存在なのかもしれない。


 いつからか 私は一人になってしまって
仲間と一緒に何かをするのは諦めていた
いつからか どうせ誰もわかってくれないと
思うようになってしまった それは私がカフェだとか
パリだとか かつて一緒にやってた人には
なんだかなかなかピンとこないような 変わった世界に
ひかれてしまって それを説得できるような
言葉を持たないからかもしれないけれど。


 一心に何かをやると 場も人も どんどん動いていくのだろう
誰かのためや 自分のため、というよりも これだ、
これがこの世界に必要なんだと思うもの それを
やっていくことで 何かが動いて行くのだろう
今の私は?「環境活動」というよりは どちらかというと
人と出会えるカフェがあること インフォーマルパブリックライフの
ある暮らし?そしてやっぱり パリにもまだまだ
思い入れはあるようだけど。


 もう少し で何かはクリアになってくだろうか
そしたら一心に力を発揮して動けるようになるのだろうか
カフェ?でもカフェなだけじゃない 何かがもっと
ピンと来たなら もう少し進めるように思うのだけど。

シンクロニシティ

2011年08月19日 | 想いをカタチに
シンクロニシティ 未来をつくるリーダーシップ
金井壽宏,野津智子
英治出版



 昨日から友人に貸してもらったジョセフ・ジャウオースキーの
『シンクロニシティ』を読んでいて ああまさに 今私が
読むべき本だなあと思わされ この先何かに
導かれて行くのかなあ という気になったりもする。


 シンクロニシティといえば 私にはまだ解けてない謎があり
昨年の6月にパリに行った2週間で あまりにも、そう
乗った飛行機で出会った人にはじまって 最後の最後まで
色んな出会いがあって 私の人生は変わってしまった。
あのとき沢山のシンクロニシティやヒントがあって
私には何が起こったのかわからなかった。
どうして私は? どうして私は 「チケットを変えること
それは人生を変えること」なんて口に出してしまったのだろう
それから人生が変わることになるだなんて 予想だにしてなかったのに。


 とはいうものの、いくら自分が望んだとはいえ、
人生を変えるのはとても怖い。この本の著者も書いているけど
「私は自分の運命を否定しつづけた。自信がないために。
つまはじきにされる恐怖のために。不安のために。思い切った
行動をする勇気がないために。私は、同輩たちと同じように
しなければという、胸の内で感じている重圧に負けそうに
なっていた。どこか心の奥底で、私は悟っていた。
運命と協調するのは大きな責任を伴うものだということを。
しかし不安に思うあまり、その責任を引き受けられずに
いたのだった。今ならわかるが、私に求められていたのは自分の
運命を作用させることだった。」(p114)



 どうしてあのとき 我が家に来たこともない友人が
2泊もしてって私にフランス行きについていろいろと
説得していったのだろう 私に説得をした彼の顔は
なんだか恐ろしい表情で そんなことがパリでも起こった。
「その予定はキャンセルしなさい。君はこっちにくるべきだ!」

 どうしてそんなことが起こっていったのだろう
人生において 友達から怒られることなんてめったにないけど
それらの経験は なんだか神様が友達の身体を借りて
私に訴えに来たかのようだった。どうしてそんなことが起こるのだろう


 シンクロニシティがはじまっていくと扉がひらく。
そう そして 実際に 重い扉がギィと開いた
そんな感覚を持ったんだ。



 でもそれを自分の怖れや不安がぐちゃぐちゃにしていってしまって
いつしかうまくまわってたことがうまくいかなくなってしまう。
それでもやっぱり大切なのは 心を開く ことらしい。


 私はパリで ヒントになるような話を偶然沢山聞いた。
どうしてあのとき レストランで食事をした知人の旦那さんは
私が理解できないというのに 最新の物理学の話を私に
力説しつづけ このコップは存在しているようでしていないとか
世界はとても揺らいでるとか 結局私が理解したのは
なにごとも 確かなものはないという rien est surということだけで
その言葉 を 私は車のなかで繰り返してた。

 もしそれが 世界の真実なのだとしても
まわりの人たちはsur(確実)なものばかり求めてた。
家を買って 35年ローンを払って 保険に入って
地震で大変なことになっても それでも人は 保証とか
変わらないもの 確実性を 求めてしまう
もしそれが 真実とは違っていても だって
rien est surだなんて 確かなものは 何もないだなんて
じゃあ何を信じたらいいんだろう?私はそれが怖かった。


 だけどきっと もっと心を開いたら
導かれるままに導かれたら 異なる世界が待っている。
パリに行って はじまってしまった私の道は
まだ終わってなんかいないと思う。小休止 は しているけれど
あれで終わりじゃないと思う。私はわけがわからなかった
どうしていったらいいのかも だけどそれがクリアになったら
またpartirするのだろうか また時がやってくるのだろうか

 1回目にパリに行ったあと 私はノートにこう書いた。
「自分自身であるってどういうことなんだろう?
無理しないこと!
自分の内なる声に従うこと?
自分が気持に素直になってそれに従う勇気をもったら
多分神様が助けてくれる
今回の旅はそうだった。
8万円くらい支払ったけど
でもそうしなかったらなかったことが一杯あった。
そういうことは 決めてみるまで予測なんてできないし
決めた直後には後悔したりもするけれど
自分の素直なきもちに 勇気を出して従ってみたら
きっと神様が助けてくれる。
そこにはシンクロニシティだったり奇跡だったり
いろんなものが起こるんだ。」


 私が変わり ものの見方を変えて
もう一度心を開いたら シンクロニシティは起こるだろうか
奇跡は起こってくれるだろうか 素晴らしい未来が
出現するのを もうそこだよって 待っててくれたらいいのだけれど。。。

パリにあるもの

2011年08月18日 | インフォーマルパブリックライフ



 「日本人ってさあ どうしてそんなにパリが好きなの?」
とはよくパリで聞かれる言葉で だからさあ
パリに来ている日本人は特殊であって 別に
日本人みんながパリになんか興味ないよ!と
私は言いたくなってしまうけど パリに惹かれる
日本人がいるのも事実。日本人 というより
外国人全般なのかもしれないけれど
「どうして?」と聞く彼らが何故そう尋ねるかといえば
彼らにとってはそれが当たり前のものだから。


 そう パリにいる と だんだん
パリの嫌な部分が目について うるさいだとか
ごみごみしている 人が多すぎ?落ち着きがない?
いつもプリプリ怒っているとか いろんなところが
あるけれど それでも一度 外国人が帰国をすると
そう その良さがわかってしまう


 そしてまた気づいてしまう


 ああ やっぱりね あそこにしかなかったんだ。


 「パリで青春時代を過したものは どこで
その先の人生を過そうとも パリは一生君に着いてまわる
何故ならパリは 移動祝祭日だからだ、、、」と
ヘミングウェイは言っていた。そうしてみんな
パリに戻った。サルトルも「パリしかないよ」と
言っていた。一度パリで過した者は いつかまた
あそこに戻りたくなってしまう。 だってパリにしかない
母国にはない何かがあった 母国にそれを求めてみても
何かが違う 外国にいる違和感を考慮してでも
それでもなんだか得るものがある それはパリが
移動祝祭日だからなんだろか。


 移動祝祭日ってどんな訳だよと思っていたけど
それはつまり 毎日がお祭りみたいというわけで
そうなんだかパリは 路上に祭りみたいな活気が
溢れてて 毎日どこかしら変化があって 毎日
外に出ると 浮き立つ様な気分になれる そんな
何かが存在している そんな街 なんだよな。


 
 結局の処 どうせ私は都会が好きなんですよ
だってこの広々としてセンスのいい空間に
すごい落ち着きを感じるんだもん 直島に行ったって
一番落ち着いたのは安藤忠雄の設計した美術館の中の
コンクリートのトイレだったり。しょうがないじゃん
だって中学生のときから誰もが認める都会っ子だった
わけだもん。。 そう そんな都会っ子にとって
芸術やら文化の香りが溢れてて かつ安い値段で
それらに触れることができ しかもかなり
緑が多い都会だというパリはかなり魅力的。


 今日は二子玉川の高島屋の屋上庭園に行き
素敵な植栽の中にテーブルが置かれているのを目にしたのだけど
そう そういうのが パリには普通にあったんだ、、、
そりゃあ たまらないよね。都会の中に自然があって
芝生の上では昼寝ができて ピクニックしても
サッカーボールを蹴ってもよくて 湿気はなくて
樹々の合間をぬって流れて来る風は心地よい、、、


 そこにカフェがあったなら?最高じゃないかと
思うけど パリにはそんなところにカフェがあったり
急に出現することがある。そうじゃなくても
普通のカフェはどこでも持ち帰りが可能だそうで
公園でピクニックをしたあとに、ちょっとカフェに
立寄り、いれたてのエスプレッソを公園に持って来ることが
できるらしい。それってそう 最高なんです
その時はそれがどんなに最高なのか 気づいてなかったり
したのだけれど。 そんなこと が 当たり前 に
できてしまって しかもお金がかからない
(持ち帰りエスプレッソも1ユーロくらい)
そんな都会って 滅多にないんじゃないかなあ。


 パリにはいつも 街路樹の合間を縫って
心地よい風が吹いている。そよそよ、さわさわ、、、
ここはどこ?と思うけど 都会のど真ん中の
はずであり、私が自然と感じたものは
実は誰かがかつて植えた人工的な植栽なんだ。
お洒落な運河だってよく考えたら人工的で
人がつくった街なのだけど めちゃくちゃ素敵にできている。




 人間ってなんか すごいなあ 本当は
人工的でも こんなに素敵なものをつくることが
できるんだ。人工的って 悪い意味しか思いつかなかったけど
人工的に 自然を感じられる つい気持よくなってしまう
空間をつくっていくこと それが可能なわけなんだ。


 パリはごみごみしてるけど それでも東京に比べたら
人はまだまだ少ないし 緑の量は圧倒的だし
メトロのラッシュもそう大したことはないわけで
しかも野菜の値段もかなり安いしな そう考えると
暮すのに心地よい都会なんだなあと思う。
フランス人は文句ばっかり言っているけど
フランス語が全部わかってパリに暮してたら
楽しいことだらけじゃんと私は思ってしまうけど
それは外国人の視点があるからなのだろう。
世界中から人が憧れ 人が住みたくなってしまう街。
住んでみると大変だけど それでもカフェや
道端での何かとの出会いや発見があり
素敵な緑に触れていられる そんな街 が 好きだなあ


 人がつい ひかれてしまうのには訳がある。
その辺をもっと解明してって 案内人になれたなら
きっと面白いのだろうなあ。パリのカフェや
インフォーマルパブリックプレイスのガイド、
日本の暮らしのヒントになるような視点を
大事にしながら そんなことができたらいい。

蓮太郎から学ぶ

2011年08月17日 | 子どもから学ぶ


 我が息子 蓮太郎の特徴はといえば
いつも笑顔でとても愛くるしいとこなのだけど

 この笑顔を失わないためなら何でもしよう
と かつて子育てばかりしていた時に思ったものの
2年前のそのころノートをみると「蓮太郎、
生きるって楽しい?」と書いてある。
どうみても かなり重症な感じの言葉、、、


 そんな母に育てられながらも 彼は
ものすごい笑顔の子に育ち 今日は
私も彼から学ぼうと 人生を楽しむ秘訣
いつも笑顔でいる秘訣ってなんなのかなと
観察していた。 観察するだけではもちろん
だめで 一緒に笑わないと損だから
蓮太郎が笑ったらとりあえず私もアハハと笑う。
かつてはただ彼につられて笑ってただけだったけど
今では蓮太郎がいてくれることのありがたさが
身にしみてよくわかるので 本当に嬉しいなーと
思いながら一緒に笑わせてもらってる。


 さて どうして蓮太郎は いつも楽しそうなんだろう?

 目の前にいる彼と私は ほとんど同じものを
見ているわけで 例えば彼が水遊びをしているときに
私も足をつけたりしていて 環境はだいぶ同じなんだけど
1個すごい違いというのは あれこれ頭で
遠い先のこととかを考えていないというのがあるのだろう


 蓮太郎は 遊んでいる時 そのことを存分に楽しんでいる。
この水が気もちいいとか 葉っぱを使って何かしたら
面白いとか それを頭にのせてみたらどうだろうとか
どうやったら面白いかな?どうやったらもっと楽しいかな?
どうやったらもっとおかしくできるかな?
と 目の前のものごとに対してそう取り組んでいるように思える
(まさにプレイフルシンキング?)


 私はというと 同じ環境にいるときに
将来の不安とか あーどこそこに行きたいなとか
頭をつかって 本当はどうでもいいことを考え始め
目の前の同じものをみてても「すごい楽しそうな対象」というより
「そんなもん」くらいになってしまっているのかも
それで脳みそは違うことをつい考えてしまう、
でもそれじゃあ目の前のことが楽しくない!!
(でも昔公園の遊具でハンドルを握った蓮太郎と
「じゃあドイツに連れて行ってくださーい
ああビールとソーセージが美味しいなあ」とか
やってたときは楽しかった)


 この2日ばかりは蓮太郎の存在にやたら
感謝しているからか 彼に笑顔をわけてもらおうと
思っているからか とにかく彼が楽しそうなときは
一緒に楽しもう!と思ってて そうやって
自分も一緒にバカになったり もっと蓮太郎を
笑わせようと思って何かを考えたり発明したり
そうしているとても面白くなってくる
私 バカって 馬鹿なんだわ と思っていたけど
息子はよく「この子は頭がいい」と言われるのだけど(親ばか)
バカができるって 頭がいいってことなのかなあ
それだけ発明できないと バカには簡単になれないもんなあ
そうして息子とバカをしている それがなんだかとても楽しい。



 そうなんだー 頭で他のことを考えないことね
目の前の対象のことばっかりで そこで楽しむことなのね
あとは想像力とか発明すること?
それにしても我が子はいつも笑って偉いなあ
悪いとことかないのかなあ?と思っていたら
あったあった 息子はよくいじけて泣くのであった。


 さて、今晩いじけモードが全開になると
いつもは笑顔!!の蓮太郎もネガティブスパイラルがはじまって
だんだん全てが哀しくなるらしい。 そうすると
ないもの探しがはじまって そう、それすると
自分ほど哀しい存在はないように思えてくるよね
でもそのネガティブモード全開の息子を隣でみていると
ああそうか これはよくない。そりゃあ
笑ってくれてる方がいい それだけでよっぽど
まわりは幸せで こんなにも気を使うのと
自分で勝手に気分を変えて ケラケラ笑ってくれるのだったら
自分で一人で笑ってくれる そんな人のほうが
いいよなあと とても納得がいってしまう。


 ネガティブモードになる気持はよおくわかるのだけど
それを隣で見ていると「でもあんたこんないい環境に
いるくせに!」と思ってしまう。あーそうか
私のまわりの人で私にそういうことを言ったひとたちは
今の蓮太郎を見ているような気持だったということか
それは状況が本当に最悪なんじゃなくって
あんたの気持がものごと全てをそう見てしまってるだけなんだよって
そうだよね そういうことなんだ。


 そうしてまた息子がケロリと笑顔になると
まわりの人もまた笑い 息子はアハハ!面白ーい!と
大声で笑い始めると まわりもつられて笑い始める
蓮太郎 あなたは人を幸せにしているよ
今更ながら 私は人生勉強中で お腹から出て来た息子に
いろんなことを教えられ 人生をもっと楽しめるよう
あなたみたいに笑って毎日生きられるよう
今は君から学びたいです 明日もまた 沢山一緒に
アッハッハ!って笑いたい そしてそれから
私も一人で あー面白い!あー楽しい!って
自分から笑い始める人に なっていけたらいいよなあ
蓮太郎 いてくれて本当にありがとう。

自分とのつきあい方

2011年08月12日 | 私の人生


 人生の中でだいぶ困難な状況の中
それでも状況をよくするためには
どうしたらいいものか と 考えたり
立ち止まったりする中で いろんな本を
読んだりすると まずは自分を愛することだと
書いてある。 自分を大切にしてあげること
自分の好きなことをすること できれば
毎日楽しくやっていくこと なんだそうな、、、


 さて私はというと最近バイブルのように
持ち歩いているポジティブになれる本を
持っていないで 普段のままのネガティブな
自分が出て来てしまうと 恐ろしいほどの
スパイラルがはじまって 泣こうものなら
もう止まらない。そして何も解決しない。
よく人は「泣きたかったら泣いていいのよ」と
言ってくれたりするけれど 泣けばいいってもんじゃない
だって泣くと そのあとのネガティブスパイラルがすごいから
そういうことがよーくわかった。


 じゃあどうやってポジティブになったら
いいんだろう?どうやって自分を大事にしてあげたら
いいんだろう?私は最近わかったのだけど
もうこの7年か8年くらい 一人になって
ゆっくりと自分に向き合う時間がなかった。
特に子供が生まれてからは 何か用があったら
いいけど 突然一人にされてしまうと
どうしていいのかわからなかった。
自分との付き合い方?一人の時間?
そんなの 遠い昔に忘れてた、、、


 そうか 忘れていたんだわ
いろんな引き出しがなかったというわけじゃないけど
どこか遠くに行ってしまって 先日パリに行った時も
美術館は1回くらいしか行かなかったし
そうか 私は生真面目すぎて もう何年も
研究やらカフェにまつわることはやってきたけど
それ意外の 自分自身のためのあまり関係ないことは
遠い昔にどこかに置いて来てしまったようで
漫画とか 音楽だとか ヒーリングだとか
マッサージとか 映画とか? はあ
そういうものが あったんだ、、、と
今更ながらに思い知る。


 今日は前にパリ行の飛行機で出会ったお友達と
お茶をして 彼女は私のまわりにいるタイプとは
ちょっと違って アートやらモードやら
自分の気持を上げてくためのいろんな小さなことを
教えてくれた。はーそうか アロマねえ 何が効きます?
あーそうか 映画ねえ そういえばもう長いこと
触れてなかった。あーそうか そういえば
DVDとか借りれますよね ああそういえば
東京にはこんなにも美術館があったんだなあ、、、


 私のことを たまに「あなたはすごいねえ」と
言ってくれる人がいるけど ああそうか 今日わかった。
私は他の人が自分を緩めるのに使う時間を
研究やら生真面目なことに費やし過ぎて
それと無関係な楽しみというのがまるでなかったわけなんだ。
そりゃカフェで語るのも いろんな場に行ってみるのも
楽しいけれど そうじゃない 小さなことがたくさんあった。
お部屋に間接照明を飾ってみたり 植物を植えてみたり
ジャズを浴びるようにきいてみたり いろんなことが あるんだなー


 リラックス リラーックス
そして自分を大切に、、、 そうかなるほど
私のまわりのあの人たちが ああいう顔で
きれいな服きて 子供にも優しく接していたのは
そういうわけか。彼女はマッサージとかしていたもんな
アロマにだって詳しかったし 自分を許してあげること
自分をゆるめてあげること それを自分でやっていくこと
そういうことが 私には足りてなかったわけだなあ

 
 今日は朝は史上最大くらいにへこんでたけど
なんとか昼から持ち直し フランス語をしながら笑って
彼女とお茶をしながら楽しく会話して そうして
いいオーラがではじめたのか 引き寄せの法則が
働いたようで なんだかいいことが沢山あった。
(なんと彼女にすすめられたバラの香りの
クリームが気に入って買おう!と決心したら
その5分後くらいに目にしたお店でみつけてしまった)


 なんだかそういうことをするのは 懐かしい。
あーみんな こうやって生きてたんだな
こうやって大切にして こうやって自分と向き合ってたのか
なんだか長いこと忘れていたな そうして今日も
きっと明日も 素敵になって笑っていられる
その人が笑顔なだけで 隣の誰かは嬉しくなる。
今日はフランス語を教えていたら いつもの人が
笑顔になる瞬間が多くて驚いて 私もつられて笑顔になった。
人ってやっぱり 笑顔でいると それだけで
まわりが幸せになるんだなあ。


 嬉しい状態でいようとすること 
楽しい会話ができること やった、できた!と思うこと
ああ楽しいな ワクワクするなと思うこと が
まわりも幸せにするという。本当にそうだなと
私は思った 誰かが笑えば誰かも笑う
いつかじゃなくって 今笑うこと
それが大切なことらしい。

 なるべく笑顔で生きられるよう
気持をあげて生きてたい。

東京パリ化計画

2011年08月10日 | フランスへの道



 今日はワクワクできますように

 いいことが起こりますように と 願っていたら

 なんとバス停を乗り過ごすほど ワクワクできて
ワクワクできた ただそれだけで 本当に嬉しかったです。


 今日はPRESS PARISというパリと日本との相互視点の
編集社の方とお話をさせてもらって パリ症候群の
話とか(聞くだけでウッと怖くなる、、、)
今やっていること、これからしようとしているプロジェクト等
お話を聞かせてもらえて楽しくなった。


 さて 日本とフランスという話が合ったり
パリ症候群の話ができるだけでも嬉しいのだけど
その方がお話していた「東京をパリ化する」という
計画はとても面白くって そう そうなんです
もっとリラックスして楽しめる都会の生き方
そう ワイン片手に子供抱っこしても怒られないような
そんな生き方、、、 ちょっとくらいあってもいいのにと思うんです。

 
 その人とお話してて 日仏学院で開かれるイベントの
プレス向けのオープニングが素晴らしいという話になって
彼はそこでシャンパンだとかクレープが食べれるのが イベント自体よりも
嬉しくてたまらないんだそうな。私もそうそう、サンジェルマンデプレの
ボナパルトのリニューアルオープンで プレス枠で
行かせてもらってシャンパン一杯飲みましたよ あれ、
めっちゃいいですよねえ!!


 なんだかよくわからないけれど 3月にはじめて「プレス」を
名乗った私はパリでは「プレス」として通してもらえ
ちゃんとやったら、もしかして日本の日仏学院も行けるかも?
もっとちゃんと取材して いろんなところと関わりたいなあ
そうそれで 私ももうちょっとパリでいろんなことを学んで
いつか日本でフランスのソフト面を、テラスのあるカフェを
ただつくるとかっていうのじゃなくて、思想とか生き方とか
そういうソフトな部分で学べる点を ワークショップみたいに
体感できる そんなことがしたいんですとか言ってみて


 そんなの10年後かと思っていたのに その人は「もう
会場はいくつかあってあとはイベントを何するかなんですよ」と
語ってくれる。「飯田さんの話 それ面白そうですね!」
本当ですかー でも私東京にフランス人の知り合いいないんです、、
誰かとお話しないと私一人ではまだソフト面まではちょっと、、
もっと学ばなきゃとおもっていたけど それでもいくつか
できそうなことはあるのだろう。「会場設営でも何でも
しますからお手伝いさせてください!」と言わせてもらって
なんだか話は面白そうに発展していった。


 私 本当に嬉しかった。


 だって 日仏 って ただそんな言葉がつくだけで
私には遠いものだった。日仏学院も遠かった 今でも
なんだか近寄りがたい存在なのに Paris-Bistroの仕事のおかげで
なんだか「日仏」というその言葉 が 私にとって近くなり
「プレス」だとか 記事だとか そんな言葉も身近になった
パリのカフェに関することが仕事になったら?
フランスで「これかも!」と思えた思想や生き方を
もっと議論して深めていったら?そしていつか
そんなことが書けたなら そしてそれを面白いと
思ってくれる人がいたなら そんな嬉しいことはない。


 全ての世界が遠かった。 全てかつて 高校生だったころ に
遠く夢見ていた世界。パリもカフェも 喫茶店も 写真も 
文章を書くことも 思想を深めていくことも いつか本を書くことも。
いつか彼らのように 日仏学院でパラパラと本をめくりたいって
かつての私はそう思ってた 沢山のことに憧れた。
そんなことたちが なんだかだいぶ目の前に現れはじめてきたようで
それだけで私は嬉しい。


 例え実現しなくても ワクワクできた それだけで
私は本当に嬉しいと思う。だけどきっと ワクワクして
その感情で胸がいっぱいになってたら「引き寄せの法則」で
それが現実として現れる日が来るのだろう。
現に私はパリに行けたし、パリのカフェで議論ができた。
カフェゾイドにも通えたわけだし 喉から手が出るほど欲しい!と思ったら
きっと叶う日がくるのだろう そうであって欲しいなあ



 本当に遠かったのにな これからもっと 
いろんなことをやってる人と 東京でパリ的なことを
している人たちと 近づいていけるのだろうか
私もいれてもらえるかなあ?東京とパリを結んで
相互作用を起こしたりする そんな日がいつか来るかなあ
パリのカフェ 東京のカフェ パリのガイドに
日本のガイド いろんな視点が混じり合って
何か面白いことが生まれて来たりするのかな
きっと そうなっていくのだろう。
そうしてその視点で活かしたものを
今度は書いていくのだろうか


 私はオルタナティブは日本とフランスの中間あたりに
あると思った。フランスにはまだまだ学べる思想が
沢山あると思う。 だからそれを吸収したいと思っていたけど
東京でも できることはまだまだ沢山あるのだろう。


 なんだかよくはわからないけど 今日はやたらワクワクできた
ワクワクの力はすごい。東京が面白いのは こうしていつも
面白い誰かと話して「東京をパリにしよう」とか
ダイナミックなことを言っちゃう そしてそれを
よしととらえる そんな文化があるからだろう。
それが京都に欠けていて 私が求めたものなのだろうか
東京ってと思っていたけど 東京はやはりクリエイティブだ
都市っていうのは 人が魅力なんだなあ。

メタ認知

2011年08月09日 | 私の人生



 上田先生の『プレイフルシンキング』によると
自分が現在置かれている状況を把握するには
「メタ認知」といって ちょっと自分から遠ざかり
自分を客観的に眺めてみること 今この辺に
いるようだから あっちに向かうといいんだなとか
そういうことが大事らしい。


 メタ認知!ねえ 大切さは よーくわかったのだけど
でもどうやったらいいのだろう?なかなかやろうとしても
私はうまくいかなかったけど カフェ という場は
メタ認知が苦手な人にも わりといい場所なのかもしれない。


 先日お気に入りの広尾のセガフレッドで
たまたま隣に座った人は 悩み相談をしているようで
彼女は興奮してしゃべっているから 私だけじゃなく
前後の人たちにまで彼女の想いが伝わって
時折振り返りたくなってしまう そんなくらいの
口調でしゃべってた。

 彼女が話す内容は 私には痛すぎるほどよくわかり
同席していた男の人が携帯で他の人と話してる間
話しかけて「あなたの気持よーくわかります!!」と
手を握ってしまいたいほどだった。でもさすがに
そんな勇気はなくて だけどやるべきことは
手につかなくて 結局彼女の話をずーっと私も
聞いてしまう。


 もう悩んで悩んで苦しくて!!でも理性的でもあろうとする
彼女に対して お友達の男性は「まーそんなこと言ってもねえ
Take it easyだよ」とか かなり適当に返事をしてて
この適当に返される感じに対する彼女の気持も
客観的にみていると 適当に返したくなる彼の気持もよくわかる。
彼女はもう真剣でそればっかりで仕方ないのに 
男性はというと「これからねえ 防衛庁の人がくるんだよ
震災の支援があってね 復興の方がそんなことより大事だよ」と
まあ もっともな話なんだけど レベルは違えど
彼女にとっては今そのことが重要なんだ。


 でも そんな彼女を横目でみていて私は思った。
こんなきれいな人なのに、、、 何やら才能も豊かそうだし
外国人で日本語を相当習得した人なのだろう
そんな人が そういうことで悩んでそればっかりって
なんだかもったいないんだなー


 私も沢山の人に「気分を切り替えなさい」とか
他のところをみなさいと指摘されて来たけれど
客観的に目の前の人をみてるとまさにその通り。
そして問題を問題にしている というかそうとらえて
しまっているのは やっぱり彼女の頭 なんだなあ
他人からみたら「そーんなこと どうだっていいじゃない!」
と思う様なことがある。特に女性ほど そういうことで
悩むんだろうか でも私たちにとって それら
「ささいなこと」は大問題で だけど客観的に
見てる人たちはこう言いたくもなってしまう。
「もっと他に自分が活き活きできることに時間費やしてみたら?」とか
「そんなに苦しいならやめちゃえば?」とか
不思議なことに 当の本人だけがなかなかそう思えないわけだけど。



 だれだって 本当に そう 誰だって
笑っていてほしいんだなあ しかめっ面より
キラキラした笑顔でいてくれた方が 何十倍もいいわけで
当人だけが なんだかよくわからないけど苦しんでいる
まるで苦しむことが美徳だみたいに思ってるけど
(特に大学院生とか、、、)まわりからみたら
大丈夫?あなたもっと活き活きしてたはずなのに
なんだか面白そうなこと言っていたのに と
思ってしまうものなのだろう。


 悩むこと の バカさ加減を カーネギーは
論じていたけど 私は今ひとつわからなかった。
でもなんだかちょっと実感としてわかった気がした
それってもったいないことなんだ。悩むんじゃなくて
思考すること それから前に進むこと
人生において大切なこと やっと最近
少しずつわかりはじめたような気がする。
(ご迷惑をおかけしたみなさん ごめんなさい、、、
そして本当にありがとうございます!)

cafeから時代は創られる

2011年08月09日 | パリのカフェ的空間で



 拙著『cafeから時代は創られる』の書評をPRESS PARISさんの
ホームページ
に載せていただきました!!嬉しい限りです。


 最近ちらほら「この本をきっかけにして自分の人生を
変えようと思いました」的なことを聞いたりします。
私が今フランス語を教えている人はこの本を読んで
お手紙をくれて「会社をやめてフランスに行くことにしました」と
言っていました。なんだか不思議なものですね、、、
読んでくださったみなさん、本当にありがとうございます。
ぜひアマゾンに一言書評をお願いします。


 あまりに熱い本ですが、まだ手にとってない方はぜひ!
我が家の在庫もだいぶ減ってきたので今度こそ第3版?
出せる日が来るといいですね。
ちなみに東京では西国分寺のカフェ、クルミドコーヒーさんに
置いてもらっています。広尾の都立中央図書館でも見つけました。
京都の府立図書館にも入っていると思います。
少しずつ日本のカフェ文化が面白くなっていくといいです。

自由が丘という街で

2011年08月08日 | インフォーマルパブリックライフ
 


 今日は久しぶりに自由が丘を歩く機会に恵まれて

 あーー 懐かしい!!ああ 私の青春時代?
なのかどうかはわからないけど 確実に
私を形作った街なのだ。この街で色々と感じることができて
なんだかとってもうれしくなった。


 最近は いつの日かまちづくりにちょっと
貢献できる人になるように?と 活気在る街とは
なんぞやと考えながら、渋谷とか青山だとか
裏原宿やらを歩いてて うーん そうだね
活気あるよね この辺もお洒落になったな
だけどなーんか ちょっと足りない?
熊倉先生も『人が集まる』の浜野さんも言っていたけど
なんだかちょっと入りたくなるようなカフェがない。

 とはいえ東京の街には驚くほどの活気があって
それはすごいと思うのだけど 自由が丘はなんだかいい。


 私がかなり驚いたのは 自由が丘は
路面に張り出している店が多くて
それが活気をつくりだしてる。

 それもドラッグストアとかではなくて
お洒落な雑貨屋さんが散歩道にワゴンを出していたり
洋服屋さんがファサードの前にやっぱりワゴンを
出してたり。自由が丘のお店はたいていこじんまり
してるのだけど 何かと路上に張り出していて
それが小さな道に活気を生んだり
ちょっと覗いてみたくなっちゃう効果をちゃんと生み出している。


 浜野さんはグラウンド面が大切なのだと言っていた。
ビルがあっても、地上に面した階に何があるか
ビル街の中の1階に 歩道に少しテラスが出された
スタバに人が集まって行く それは無機質で人工的な
空間の中で ちょっと人間サイズの場所で
路上にテラスが張り出されてて そこに居てもいい
高層ビルの中ちっぽけに見える自分であっても
そこにはきっといってもいい そんなサインがあるからだろう。


 自由が丘はそんなグラウンド面、路上を大事に
した街で お店のショーウインドウをはみ出して
路上にいろいろ展示してある。それにちょっとはカフェもある。


 かつて憧れていた南口の小さな通りに行ってみると
あーこれこれ、まさにパリをイメージして作ったんだな!というのが
よくわかる。街路樹にパン屋さん、人間サイズの小道に
立ち並ぶお店たち。ここの路上に出されたワゴンに載ってた
スコーンが美味しそうだったなあ。。。 ここの小さなカフェ
どんなに憧れていたことだろう。それに通りの名前も
「マリークレール通り」とかだしね。


 裏の大きな通りに出ると 大きな街路樹のある並木道。
こんな道 って ありそうで 意外と東京にだってなかなかない。
自由が丘のいいとこは、ここにベンチを置いてることと、この通りに
何軒かカフェがあること。そしてそれらの需要といったら!
もう20年以上も2軒のカフェが存続している。
昔ここに日比野克彦さんのお店があって 小さかった
私はその世界にとても憧れたりしたんだなー。
ここは歩いたり 立ち止まったり かつてはなんだか
お洒落な異国を感じられたアウトドアの店があったり
でも300円しかもってなくても ここのベンチで一息ついて
木漏れ日の中でゆっくりできる。
そう 自由が丘は肩肘はらない。青山や表参道とは
やっぱりちがって 人間サイズでごちゃっとしていて
お金がなくても 小学生でも なんだか楽しむことができる
数少ない素敵な街だと思う。


 この街で 私は高校生だったころ

 パンの耳をかじってた。近くのサンジェルマンに寄って
無料のパンの耳とパンを1つくらいかじって
残ったお金で無理矢理カフェに行っていた。
あのころ どこにいってただろう?
なんだかお洒落な ビゴの店のカフェがあったな
それからどこに行ったのだろう とにかくやたらとカフェに憧れていた。


 そんな高校生だった私が 今ではカフェ文化研究家とか
名乗ったりして 東京の多くの私が憧れた街が原型として
描いてた パリのカフェ と もっとつながっていこうとしている
そこには色んなイメージがあり オリーブで描かれた
きらきらした世界もあった その裏にはパリ症候群もあるのだろう
それでも私は?やっぱりパリのカフェは好きだなあ
やっぱりパリにいるのは好きだなあ
都会のど真ん中なのに 芝生でごろんと寝転んで
時には昼寝もしたりできちゃう それって本当にすごいこと。


 日本の街は まだこれからもパリから学ぶことがあるのだろうか
小さい頃から憧れていた 素敵なカフェも 素敵な街も
結局全部 もとのイメージはパリにあるらしいということがわかってきた。
私もいつか パリのカフェガイドをしたりして
日本の素敵な 心地よいまちづくりに貢献することができるだろうか
素敵な街には それを求める人たちがやってくる。
ああこれだった ああここだった そういうところに出会いたい
小学生だった私は 自由が丘に出会ってしまって
それで通い続けていたのかなあ 憧れていたいろんなことたち
私もそれをカタチにしたい。例えオリーブがバカにされても。
それでもやっぱり 得た影響ははかりしれないものだったから。

ものの見方

2011年08月07日 | 私の人生



 今日もいろんな人とお話をさせてもらって
どうしよう どうかなあとか不安になったり
泣いてしまったり でも歩きながら
ポジティブシンキングをがんばって
自分にポジティブな言葉を発し続けてみたり
ちょっと前向きな気持を信じてみたり するわけだけど


 いろんな人と話をしていて
だいたいの人に共通している点というのは
私は根がネガティブだ ということで
そうなんだよね そうなんですよ
そして彼らに言わせると たまに
「で?何が問題なの?」と思うらしい


 私はああ 苦しい、、、と思ってしまうけど

 今日お風呂あがりに気がついた。

 その苦しさを作っているのは自分なのかもしれないと。


 自分が苦しいと思っているから苦しいように思えるだけで
じゃあ本当に苦しいのかと問うてみると もしかして
視点をちょっと変えてみるだけで 違うようになるのかも。
「美樹の問題はそうたいそうな問題に思えへんけどな」と
今日会った友達は言っていた。たまに他の人にも
「で?何が不安なの??」と言われたりする


 こうやって 私は一人ではメタ認知なんてできないけれど
みなさんにご意見を伺ってると 新たな可能性がぽっと見えたり
自分の置かれている状況が そんなに悪いわけではないと
思えてきたり まさに沢山の人のお力を借りてメタ認知、、、
(本当にみなさん心からありがとう!!)


 「人生苦しい時が上り坂」と言ってくれていた人がいた。
苦しい時を越えてみたら 素敵な地平が開けてて
素晴らしい景色がみえてくるのかもしれない
開けることを信じて前に進むこと も きっと
大切なのだろう。それだけじゃなく 苦しい、怖い
不安だ、と思ってしまう自分の視点を 無理矢理じゃなく
でもちょっとどこかに向けられたなら 何かは変わってゆくのだろうか。


 昔誰かが言ってたな 同じ椅子を見るにしても
一人は上から 一人は横から 一人は工芸的な観点から
一人は数学的な観点から椅子を眺めることができるらしい。
私は一人でそんな能力はなかったけれど「吐き出すのも
能力のうち」と言ってくれた友達がいた。そうして
話をきいて お茶をしてくれる友達や先輩がいて
彼らのおかげで ようやく私も複眼的な視点を少し
手にしたような そう 上田先生が『プレイフルシンキング』で
言っていた。「あなたのものの見方だけがものの見方ではないということ」
ものの本には書かれていても ようやくそれが 実感として
なんだかちょっとわかった気がした。
だからこそ メタ認知とか 複眼的な視点が大事だということか


 もしかしたら 同じ1つの物であっても 裏から
それを眺めてみたら 全く別の見え方をしているかもしれない
問題に焦点をあててしまうと 世界がそればっかりになってしまうけど
博士課程に進まなくっても私の人生が終わりにはならなかったように
違う視点から 複眼的や 客観的に 眺めてみると
ものごとの他の側面がよく見えるようになるのだろう

 私はそれを ようやく学びつつあるのだろうか

 それも1つは カフェでの出会いのおかげかもしれない。


 ものごとには色んな見方があること

 それを自分の中に身につけて 違う捉え方を
やってみること 私はそんな 人間としての
成長のレッスンを 今課されているのかもしれない。

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