alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

案ずるより産むが易し?

2011年06月30日 | 私の人生


 この1週間帰って来てからこの先どうしたらいいものか と
毎日悩んでいるけれど 弱気な私は「私にはだめだ
私になんてできっこない」とつい思いがちなのだけれど
この3ヶ月 何かを振り返る余裕すらなく ひたすら
異国で生きてみた結果 けっこう息子はしつけのできた子に
なっていて なんだかちょっとビフォーアフターみたいだと思った。


 そう本当に 振り返る余裕すらなく ああもう夜だ
歯磨きしなきゃと気づいたら1日経っていたりして
優しいママだったのかはどうかわからないけど
(それでも息子はママ優しいねと言ってくれていた)
なんとかかんとかやっていた。私には一人で子育てするなんて
到底無理だと思ってた。だけど勢いで飛び出していって
できるだけ長く居てみて 知らないうちに
私もだいぶ 強い人になってたのだろう。


 私はそれが冒険であるということにすら気がついて
いなかったけど ただなんだかがむしゃらだったわけだけど
今になって かつての日本での状況を思い出しながら
息子と日々を過していると なーんだ 意外と大したことじゃ
ないのかも、とも思えたりした。


 私には無理 私はそんなに強くないからと
私はずっと思いつづけてた。でも今日息子ときれいな
夕焼けを橋の上から2人で眺めて、ちょっと18切符で
旅行でもしようかという気分になった。いけるんじゃない?
名古屋から京都くらいだったら いい子にできるなら
いってみようか?それで滋賀の鯖江を遠って
中山道のお灸屋さんにも行ってみたいなあ
そうなんだか旅芸人みたいに 色んなところを
転々とする そんなのも悪くないのかも。


 かつて 2月に 私ははたして息子と2人で
フランスかどこかに行けるだろうかと試したくって
2泊3日で 瀬戸内海に行ってみた。それは大冒険だったけど
やってみると意外に息子はいい相棒で まわりの人たちも
あたたかかった。そしてその時出会った神社で私は祈った。
「息子とフランスに行かせてください。」まさか
そんなに早く 願いが叶うとか思いもしなかったのだけど
その1ヶ月ちょっと後には 私たちは飛行機に飛び乗っていた。


 じゃああれが 冒険だったというのなら もう3ヶ月も
異国にいって 10時間の飛行機にだって耐えられたのなら
18切符くらいいけるんじゃない?同伴者がいなくったって
コインロッカーと受け入れてくれる誰かがいたら
私たちは移動できるかもしれない。


 私たち は どんな人生を送るのだろう
今は人生の瀬戸際だから まだまだ私にはわからない
だけどもしかしたら人生は 私が怖れていたほどには
恐ろしくないのかもしれない。私たちは 会話をしながら
3年一緒に生きていて 道端で毎日喧嘩もしたけれど
結局それなりに仲良しで いろんなことを経験してきた
これからも数奇な人生を 送ることになるのだろうか
まだ私にはわからないけど 人生がそこまで恐ろしくないものならば
少しずつ 挑戦すること それも悪くはないのかも。

3歳の誕生日

2011年06月27日 | 子育て

 蓮太郎は先週で3歳の誕生日を迎えることができ
当日は飛行機に乗ったのだけれど この一週間
いろんなところで色んな人たちにお祝いしてもらい
なんだか幸せそうだった。

 3年間 が経ってみる と
あっと言う間というののだろうか?パリにいた3ヶ月は
本当にわーとやってる間に過ぎ去ってしまい あっという間
だったけど はじめの2年は 長かったなあ
そしてこの私がなんと3歳まで 子供を自分でみたんだなあ


 とっても不思議なのだけど なんでそういうことになったかって
保育園の申し込みのタイミングがうまくいかなかったのも
あるけれど 私がどこかを行ったり来たりしていたい
そんな人だったからだろう。


 この3年で 彼はどれだけいろんなところに行っただろう
どれだけの人に愛されただろう どれだけの乗り物に
乗ったのだろう 新幹線に飛行機、バス、電車に
蒸気機関車、蒸気機関車バスにロープウエイ、それから
船にTGVも乗ったなあ。どれだけカフェに行ったのだろう
数えることはできないけれど おそらく日本の3歳児の中では
トップクラスに入るくらいの回数を重ねたことだろう。
たくさんの場所を移動して 沢山の場所で眠って
沢山の人に愛されて 3つ子の魂百まで というのであれば
この子は旅人みたいになるのだろうか


 蓮太郎が 自分の家でしか眠れない子だったなら
こんなことは不可能だった 蓮太郎が 激しい人見知りの
子だったなら こんなことは不可能だった
蓮太郎がパンもチーズも大嫌いだったなら
こんなことは不可能だった だけど彼は
どこに行っても幸せそうで どこに行っても眠ってくれた
バスの中 飛行機や誰かの家で それから私のひざの上
パリではなんと立ちながら眠ることまで身につけた!
(東京の満員電車みたいですね)


 いろんなところを行ったり来たりを繰り返していた
私たち は この先どんな風に過すのだろう
そう 今までは幼稚園や学校がなかったから
私の動きにあわせて幼児料金のかからない蓮太郎を
抱っこしてどこかに行くのが可能だった。
そのうち一人で行くのもいいけど なんか
蓮太郎がいた方が 楽しかったり 哀しいときには
あたたかい手を差し伸べてくれたり
泣いてるときは「ママまた泣いてるの?」と言ってくれたり
ごはん食べるときは取り合いするけど それでも
仲良くやってきた 蓮太郎はいつも幸せそうだ
それが私にはとっても不思議
でもあなた が そんな笑顔で曇りなき眼で
笑って愛してくれるから なんとかやっていられるのだろう


 飛行機が離陸するときと着陸の時 私はいつもこわかった。
そうして一人でお祈りしていた。今回は蓮太郎が
いてくれたから彼の手をしっかりと握りながら
「飛行機ではね 無事に着けますようにって
お祈りするんだよ」と教え、2人で手を合わせて祈ってた。
気流が悪くて揺れる時も毎回私はもう死ぬかもと思って
本当に怖かったけど、蓮太郎と怖いねといいながら
手を握り合ってると、なんだかだいぶ安心できた。パリに行って
蓮太郎がいてくれてよかったと思った。母は弱っちくて
強がりで つい遠くをみてしまうバカだけど
そんなママを愛してくれてありがとう。
元気に育ってくれてありがとう。お誕生日おめでとう。
これからも楽しい思いを、沢山の人と一緒に
あははと笑っていけますように。

日仏子育て観

2011年06月24日 | 日仏子育て事情


 今日は1日中ほとんど起きることすら
できなくて なんだかめちゃくちゃ疲れてる。
そりゃそうだ 3ヶ月間 異国で一人で子育てしていた
しかも子育てが大の苦手な私がそれをしていた
保育園にも入れずに、、、 それって本当に
すごいことで よくやれたよなと思うけど
そういうことができたのは 色んな理由があるわけで
その1つ に フランス流の子育てを学んだことがあるだろう。


 今日テレビで探偵ナイトスクープかなんかが流れてて
「4歳の子供がパンツをはかない」というので困っている
両親と祖父母が映ってて 子供はめちゃ自分優先で
パンツをはかせようものなら大暴れで両親は蹴られる始末。
いろいろ試みてみた結果 どうしようもなかったので
おばあちゃんが「いい子にしてたら怪獣のおもちゃを
買ってあげる」ともので釣り 結局その日はパンツをはいた。
なんだか日本的というか なんだかなつかしいというか
わたしもよく物で釣ってたよなあと思い出す。
(本当にどうしたらいいのかわからなかった)


 これがフランスだったらどうだろう?
フランスの場合 なんだか知らないけどやたら
いろんな人たちが関与してくるんだよね。
日本だと 公共の場 例えばカフェに行ったとき
友達の子供がコップの水をバーッとこぼしたり
スプーンでガンガン音をたてて遊んでいるとする。
そんな時たいていのの母親は注意をしない。それで
その人の友人はというと そこでもやっぱり
注意ができない。私は何度か「でもこの子が
このまま大人になってしまったら?」と思って
注意をしてみたことがあるけど 注意しはじめると
きりがなくって そのうち相手の母親は
自分を責められているように感じて
なんだか嫌な関係性になってしまうから
私もそうなるよりは 何も言わないで無視しようと
思うようになってしまった。


 ところがフランス。めちゃくちゃみんな口を出す。
怒る時は怒るし、「シーッ!」とやられることもたまにある。
例えば公園でみんなが遊んでいる小さな丘みたいなとこを
乗り越えようとしてちびっこたちに「お前ら邪魔だからどけ」
みたいなことをいっている5歳児くらいの子に
「あんた口のききかたがなってないのよ。そういう時は
なんていうの?お願いしますでしょう!?」と注意している
人がいて この人は母親なのかと思っていたら
なんと他人なのだった!

 うちの子も例えば家で映画を見るときは静かにするとか
廊下を歩くときはうるさくしないとか 誰かと話している時は
ちゃんと静かにしていなさいとか 街を歩くときは
お母さんと手をつなぎなさいとか いろんなところで
いろんな人に注意をされて はじめのうちは
私もいちいちショックをうけたり小さくなったりしていたと思うけど
だんだんそうもしてられなくなったのか 人目を気にするのと
自分流との中間点くらいにするようにして
そうしたらあまり気にせず どこにいってもだいたい
「蓮太郎はいい子でかわいいねえ」といってもらえるようになった


 フランスでは 子育てで困った時に
口を出してくれる人が沢山いて そのアドバイスはけっこう
確固たるもので 日本みたいに「うーんじゃああの手を
つかって この手をつかってご機嫌をとってみたら?」という
子供主体なものではなくて 断固たる 有無を言わせぬものが多い。
そして彼らはこう言って来る「だってあなたが大変でしょう?
このままでいいわけ?」息子が抱っこ!抱っこ!!だったときも
友人が「抱っこしてほしかったばっかりに嘘をついて
怪我しているふりをしていた犬の話」を語ってくれて
それから「なーんだ別になくても大丈夫なんじゃん!」とわかり
もう街を歩くときは抱っこしない!と決めて歩かせるようになったら
なんとか歩くようになったりもした(でも一度熱だしてから
またちょっと中間点をとるようになったけど、、、)


 つまり 日本だと「子供だからできない」「子供だからわからない」
「子供だから手がかかってしょうがない」という感じだけれど
しかも親は本当に困っている(と本人は思っている)のに
「本当に困っているからやめてくれ!」と子供に言ってないように
思う。今日のテレビでも子供は結局パンツをはかず、その時の
両親は笑ってその行為をみていた。それじゃあ子供は
親はあまり本気で困っていないと思うのでは?
フランスはきちんと説明させる。「これこれこういうことを
ここでされるとお母さんは本当に困るからやめてね!」
そうやって説明して じゃあそんな時はどうしたらいいのか
説明すると 子供は意外とわかってくれる
そんなフランス式の子育て 困ったときに困ったといい
沢山の人が親主体のアドバイスをしてくれるフランス流の
子育てを ちょっとでも学べたということ
それだけでも この3ヶ月 何か価値があったのだろう。

大冒険

2011年06月23日 | 私の人生


 なんだか変な感じだけれど
昨日は蓮太郎の3歳の誕生日 で
もう出国してから約3ヶ月が経とうとしていて
帰らなければいけなくて それならば
誕生日に飛行機に乗るのもありか と
22日に飛び立った。


 乗り継ぎのあったミュンヘンでは
1時間以上あった乗り継ぎ時間が
パリ発の飛行機の遅れによってほとんど消えて
ああもうダメか(またしても?)と思ってたけど
飛行機を降りると「Tokyo」という札をもった
係の人が発っていて 息子含めて5人の日本人は
思ったよりも距離のある空港内をバーっとかけて
私たち2人が機内に入ると同時に
「搭乗手続きが完了しました」のアナウンスが
きこえてくる。そうして感慨にふける暇もなくもう出発で


 3ヶ月前だとか もっと昔に息子と飛行機に
乗ろうとしたときは どうやって乗せればいいのか
インターネットで検索したとき いろんな
おそろしいアドバイスをみてなんだかやたらこわくなり
(普段の規則正しい生活とかしつけがいかに大切かとか)
こりゃあ無理だからやめておこう と思っていたのを
思い出す。ところが息子 この3ヶ月で急成長し
「いい子でじっとしている」ことをしっかり覚えてくれた。
そしてなんと息子は10時間強 ほとんど機内でいい子に
できたのだった!そこにはかつて読んだアドバイスで
みられたような「この日ばかりは子供の奴隷になったと
思ってつきあってあげましょう」とか「飛行機に
乗る前にさんざん遊ばせて寝かせましょう」とか
そんなのは一切なしで この間までのパリでの
「じっとするべきとこでは静かにじっとしていなさい」という
教育(?)の成果がいかんなく発揮されてくれたみたいで
機内の探検も2回くらいで済んでしまった。


 よくがんばったねえ あんた、、、

 そりゃ もうTGVも乗れるよね メトロだって
新幹線だってへっちゃらだね。今までは新幹線も
東京で電車に乗るのもこわかったけど
彼はパリで いろんなことを学んでいって
日本流ではだめらしいこと だけどパリでも
自分らしくもやってたいこと そんな色々をとりまぜて
パリでも日本でもいろんな人に愛想をふりまき
かつ人にあまり迷惑をかけずに楽しむ方法をあみだしたらしい。
そういうわけで 最後の方はメトロでも人気者だった。


 蓮太郎はよくがんばった 彼もよく泣いたけど
いっぱいフランス語も覚えたし 公園でも一人で
あまり躊躇せずに遊べるようになってきたし
事務所では音をたてずにいい子にすることも覚えてくれた
本当によくやったねえ

 私はどれくらい成長したのかわからないけど
なんだか今日 ちょっと当たり前のように2人で
空港を歩いてて そうだかつて 勇気ある日本人の一人に
なってみたいと空港を歩きながら思っていたけど
一人で息子を連れてここに来て いろんな人たちと出会い
いろんなショックをうけたり それでもちょっと勇気を出したり
フランスで注射を受けてみたり 誰かと仲良くなってみたり
そんな日々を繰り返しながら 彼は3周りくらい、私も
2周りくらい大きくなったような気がする。


 どれくらい大変だったのか 果たしてすごく疲れていたのか
それとも元気だったのか 意外とやってけそうなのか
やっぱりそれは無理なのか まだ私にはわからないけど
これからちょっと様子をみながら この先の未来
どうしたいのか どうしたらいいものなのか 考えてみよう

自分の道

2011年06月21日 | フランスへの道

 もうすぐ3ヶ月が経とうとしてて
もうすぐに 日本に発とうとしてるのだけど

 私何しに来たのかなあとか
どうしてパリだったのかなあとか
いろいろと思う処はあったけど

 今日今回の滞在ではじめて行った
モンパルナスのカフェに座って
私のブログを読んでくれていた日本人で
地震のあとで子供を連れてこっちにきた人とお話させてもらって

 やっぱり私は 女性に関して
女である そして母になってしまった
そんな自分が身をもって体験した経験の違いやら
違和感やら それからそれらを補う知識を獲得しながら
何かを書いていくべきなのかなあと
なんだかそんな気持になった。


 パリにきて ブログを書いている人は山ほどいるけど
彼女によれば私の視点はなんだかちょっと違うんだそうな
そういえば 京都のニュータウンにいたときに
ちょっと日常のものごとを違う視点から捕らえて
そんな視点の話ができたとき 私は本当に嬉しかったな
何が違って 何が違和感のもとなのかとか
じゃあ何がどうなったらもっと素敵になるのかだとか
私にはまだよくわからないけれど

 だけど彼女も言っていた。パリはやっぱり
日本にくらべて子育てしやすい。ここで出会った
もう一人の日本人ママも言っていたけど
ここはママになっても「ママだけ」の自分に
ならないですむ。例えお金がなくっても
例え子供を保育園に預けることも
乳母に預けることさえできなくっても
ここでは日本と同じ「ママとして子育てをしている自分」
であっても なんだか機会が開かれている。
それは社会的な インフォーマルパブリックプレイスや
インフォーマルパブリックライフで満ちているから
なのかもしれない。


 私はここで 3ヶ月 保育園にも預けられなかったし
ベビーシッターも たぶん全部で10回くらいしか
お願いできてなかっただろう それ以外は
仕事だって 子供を事務所に週に3回連れて行き
「わかったね?ここでは蓮太郎はねんねがお仕事!」と
言い聞かせ そうしてなんとか仕事をしていた
だから日本の状況に比べたら よっぽど大変だったわけだけど
それでも私には「ママと子供!」という閉ざされた
時間と関係だけでなく 人間らしく 大人らしく?
楽しめる機会が存在していた。例えお金がなくっても。


 例えばカフェのカウンターに息子と行ってみるとする。
カウンターからの眺めはなかなか素敵でエスプレッソは
美味しくて もう眠くてどうにもならない!という時には
とてもいい場所なんだけど 息子を足元でちょろちょろさせて
5分くらいちょっといい気分を堪能できて それで
会計は1ユーロ。それが私にはたまらなかった。

 それにパリの公園は もともとたぶん大人のために
つくられていて 緑や木陰が本当に気持いい。
しかもしょっちゅういろんな種類の花々が植え替えられていて
それをタダで眺めて匂いをかいで うーんなんだか
いい気分。私たちがいた5月はバラの最盛期で
事務所の隣の公園は本当にきれいだったし今はラベンダーが満開だ。


 昨日はビュット・ショーモンという公園で
イベントがあるらしいというので行ってみたら
なんと一番の高台から(この公園だけはパリでも
高低差がある、ちょっと丘とかがあって日本人には
ほっとする公園だと思う)ケーブルをつたって
一気に下まで滑りおりるというイベントを
やっていたのだけれど それも参加費無料で
誰でもそこに来た人なら参加可能というイベントだった。
街角でオペラを歌う人もいるし マルシェで
歌を歌う人もいるし 日仏交流会みたいなのに
きていた日本人の人はショパンを楽譜なしで弾いてくれるし
ここは才能の溢れる人が それを格安もしくは
タダで提供してくれたりすることが かなり頻繁にあるようで
そういう機会が道行く人にも開かれている
それが私にはとても嬉しいことだった。


 例え美術館に行けなくっても
ここにはギャラリーがいっぱいあって
オープンギャラリーイベントみたいなのも
通りすがりにやっていたから 酔っぱらったついでに
そこにも子連れで入ってみたりして そういう
社会の中で楽しめる機会に満ちている
それが私にはやっぱり嬉しい。
(不思議なことにタダでワインが飲める機会も
私には一杯あった)


 だから私は ここで子供と2人だったけど
それでもなんとかやってこれたのかなあ
ママだけど ママなだけじゃない! 私はずっと
そう思ってた いいママを演じようとするのはつらかった
でもパリにはあんまりいいママらしい人なんて
見かける機会もないようで(日本人ママを見ると
わーすごいなあ よくやれるよなあと
私は関心してしまうけど)まあいっか
ちょっと夜遊びしてみても まあいっか
ちょっと子供とカフェでご飯を食べてみたって
そんなことをしてみると なんだかまわりの人も優しく
蓮太郎もまた嬉しそうなのがなんだか不思議。


 私はもっと 本当は
自分をがんじがらめに縛ってきた
苦しい価値観から解放されたい
それがきっと 私だけでなく 誰かを少し
解放することにつながるのだろう
私が苦しいということで 声を発してみることで
苦しいことにも気づけなかった そんな人が
私だってほんとは泣きたかったと気がつくことがあるのだろう
ずっと我慢と思っていたけど その先に何があるのか
その先には何もないのか それとも穏やかな未来が待っているのか
私にはわからないけれど 私に道があるのなら
それはきっと もうすこしリベラルな方向に向かう道なのだろう


 今日は偶然にもその人と一緒にモンパルナスの墓地に行き
入ってすぐにボーボワールのお墓を見つけてお祈りできた。
私にも道ややるべきことがあるのだろうか
どうであれ なるべくちゃんと 書き続けよう。

パリのしあわせ

2011年06月19日 | フランスへの道

 最近はもうすぐ帰るしいろんな人と
話もしたいしと沢山の人に会いながら
うーん私どうしたいんだろ 何をしたいんだろと
考えたりして そんなにまでしてパリなんだろうか
日本食ないと生きられないくせに と 毎日のように思う。


 それでも今日 この滞在ではじめて美術館に行かせてもらって
なんだか本当に久しぶりに絵をみて立ちつくしてしまい
あーこんな経験ができるパリっていいよなあと思わされる。


 思えばはじめはカフェにも行けず、息子とカフェに
行くことをがんばってみようと決意して それから
何度もカフェに通えるようになったから 今では
息子とカフェのカウンターに行ったり テラスに座って
ショコラを飲んだり それがなんだか普通になって


 そうかつて できなかったことが
 そのうちできるようになっている


 今日ははじめて美術館に行って もう難かしすぎて
わからない!!と10年間思っていた展覧会の
解説を なんとなく読むことができて驚いた。
あー私 毎日翻訳やっていたから だいぶわかるように
なったのかなあ?かくいう私は 留学から帰ったばかりの時に
フランス語を読む授業をとって 何がかいてあるのか
さっぱりわからず フランス人の先生に「あなたパリで
一体何を勉強してきたんですか?」と大いに嫌味を言われて
とてもショックを受けたことがある。つまり 私にとっては
この「読む」という力は「留学したから」じゃなくって
日本でなんとか獲得してったものなんだ


 そう それは カフェの本を読んでいたからで
それらのことを知るたびに 少しずつ芸術に触れ
文学に触れ いろんな名前を覚えていった。
昔住んでたときにはよくポンピドゥに知り合いの人がいて
ただで行かせてもらってたけど 彼に「フォーブって知ってる?」
といわれても「知らない」「ブラックって知ってる?」「知らない」
その繰り返しだった留学時代。今ではだいぶよくわかる。
そして今日オランジェリーの美術館で はじめて未来派の
人の展覧会をみて そこにはなんとポール・フォールという
モンパルナスのカフェで詩のつどいをはじめた偉人に
捧げられた絵がかざってあって なんとその絵には
彼が創刊した雑誌が切り抜いて貼られてた。


 私は本当に嬉しくなった。だってそんな名前だなんて
もう何年も前から知っていたけど そういえばシュールレアリストの
雑誌だったりも 名前は知っているけれど実物を目にしたことはない。
絵だってなかなかみられないのに 今日はその時代の雑誌の表紙を
目にして その絵にはポール・フォールの名刺やら
雑誌に詩を掲載した人たちの名前が書かれた目次も貼ってあり
その名前を逐一目にして行くと わー あの人もこの人も!
あ これはサルモンの先輩詩人だ そうそして今日その先輩が
語ってたブラッスリー・バルザールにはじめて私は行ったのだ!とか
なんだかとっても嬉しくなった。その時代のことになる と
私はなんだか友達みたいで あの人もこの人も と
彼らのことをもっと知れるのがなんだかとてもうれしいみたい。



 オランジェリーははじめて行ってみたのだけど
モネだけじゃなくって 私の大好きなアルフレッド・
シスレーの息をのむような風景画とか 絵の前から
動けなくなってしまうようなセザンヌの絵とか 
たくさんのマティスやピカソ、それにはじめて
目にした大量のスーチンの絵に 本物のユトリロもある。
モンマルトルの絵だなんて かつて京都の児童館の階段に
飾られていた そんな絵を息子とみながら
「あれがねえ パリなんだよー」と遠いなあと思って
見ていたの に 今目の前にはユトリロがあり
息子とは蒸気機関車バスでモンマルトルを探検できた
(カフェも2人で3回くらい行って来た)
なんだかそれってすごいなあ。
ちなみにここにはマリーローランサンの絵と
アンリ・ルソーとモディリアーニの絵もあって
1900年代から20年代に興味がある人には
もってこいの場所だった!!


 というわけで パリってやっぱりすごいなあ
だって本物がこんなに大量に存在してて
だけど入場料は展覧会含めて千円くらいで
かつ18歳以下は無料らしい!!
それからプレスは無料なんだそうな
うちの代表はめちゃかっこいい「プレス」
カードをもっていて それがあると
いろんなところがプレスのパスで入れるらしい
私もいつか欲しいなあ


 私はまた ここに戻ってくるのだろうか
それはしあわせなことなのだろうか
パリのカフェに行けるのならば?
そこに友達がいるのなら?もっとフランス語が読めたなら?
まだ私にははっきりとはわからないけど
帰ったらまた ここにしかなかった何かがわかるのだろう
幸せって何なのか なんだかいまいちわからないけど
今日は本当にうれしくなった 美しいものと美味しいものが
日常にある そんな生活ができたらなあ


 


ちょっとずつ

2011年06月17日 | 私の人生

 この2日ほど前は またしてもかなりネガティブモードで
一杯になってしまって なんだかもう何をどうしたらいいかも
わからずに 家のドアを開けた瞬間に涙がバーっとこぼれてしまった。


 そんな中 友達と約束があったので なんとか出かけて行ったけど
その友人は私にとってお姉ちゃんみたいな人で
彼女と会ったら元気になれるかなあなんて
はかない期待を抱きながら 駅のそばで待っていた。


 フランスでは珍しく時間通りに到着してくれた彼女は
私を見るなりこういった「どうしたのミキ!!?」
そう 私は希望を失い 先も見えず もうわけが
わからないというような顔をしていた。


 だけど彼女は私を励まし、励ますだけじゃなくって
「あんたねえ ものの見方があまりにネガティブなのよ!!」と
ちょっと怒ってて たしかにそうだ パリにいるのに
なんでフランスに来たんだっけか 何を思って
日本にいたのか いろんなことをちょっとずつ
クリアにさせてくれ 「1日5個寝る前に
今日はこれこれが幸せだったというのを言ってみなさい」と
行ってくれる。そうだねえ じゃあ
「今日はあなたにあえて幸せでした」
「今日は翻訳がかなり進んで幸せでした」
「今日は息子を預かってもらえて幸せでした」
「今日はカフェに三軒も行けて幸せでした」
「今パリにいることができて幸せです」
「蓮太郎が元気で幸せです」


 と メトロの帰り際に彼女に言った。
そうやって口に出してみる と なんだか確かにそうだと思え
そんなことを教えてくれて 私のために時間を割いてくれる
お姉ちゃんみたいな人がいる それだけでも
すごい大きなことだなあと思った。


 それからまた家に帰ってなんでこんなに
簡単にはげしくネガティブモードに陥っちゃうのかとか
考えたりして だいぶ気持はおちついて

 そういえば 今日こうして彼女にこれだけ気持を話せたということ
それだけですごい 私はかなり上達したんだ
今までフランス語できないと思ってたけど
なんかけっこうできるようになったかも!と
その夜にちょっと思えた。
すると次の日 いろんなところに行ったりしても
意外と普通の会話が楽しめて あれ
この人私の話すことにしかめっ面してないなとか
ほとんど通じてるのかしらとか なんだかだいぶうれしくなった。


 翻訳も昔に比べたら相当な早さになって
そう かつて日仏学院で憧れていた
そんな自分に少しずつ近づきつつあるのかなあ

 なんでフランスだったのか
自分の中には理由があった
なんでカメラマンをしていたのか 
それだって いつかパリのカフェの写真をとりたかったから
少しずつ 私はどこかに近づいていて
ネガティブな物の見方をしなければ
いいことなんていっぱいあって 
そう ありがたいことだらけ。
今日はビストロの仕事に関連してチーズの試食会を
代表のお家でしてもらえるそうな。
チーズもワインもフランスの地方のことも
フランスの基本的な料理についても
1年前は何一つ知らなかったけど
おかげさまでだいぶ知識も増えてきた。
だいぶサイトもしっかりしたので
よかったらまた見てみてください。

Paris-Bistro.com

パリでお茶会

2011年06月12日 | フランスへの道


 今日は念願だった「パリでお茶会」を
ついに着物で開催できて 少しずつ
自分のノートに書いてたことが
叶いつつあるのかなんて ちょっと思えて嬉しくなった。


 ここ最近は(ここ最近も?)あーやっぱり
うまくいかない!!とネガティブモードが全開になり
やっぱり日本で暮してた方が合うんだわとか
やっぱりここじゃ無理だろうとか
色々諦めモードに入っていたけど


 どうしてなのだか 時折いろんなアイデアが降って来て
はーこんなのしたら面白そう!とかって思うと嬉しくなる。


 私は結局の所日本人で 日本食がないと生きられないし
今日も着物を来たりしてみると 意外なことにホッとして
お茶会でお茶を飲んでもものすごくホッとして
パリに居ればいるほど日本的なものが恋しくなる
(そうはいってもあまのじゃくな私は日本で
フランス風のとこに行こうとするのはよくわかってる)

 日本って すごい国だったんだなあ と
この2ヶ月間でよくわかり かつて日本にいたときには
フランス人に言われても なんのことだかわからなかった
生活の美やら繊細さやらというものが
本当に誇りに思える大切なものなんだって 
ここにきてからよくわかる。


 日本にいると 窮屈で もう少し自由があったらいいのにと
いつも思っていたけれど フランスはかなり奔放だったり汚かったり
シックな人たちもいるけれど それは一部の限られた層で
日本のどこにいってもご飯がおいしいとか 素敵なものに
出会える可能性の高さとか なかなかすごいんだなあと思い知らされた。


 ところでそんなもの がもっとパリにもあったらいいのに
もっと美しい着物とか もっと美しいお皿とか
そんなのが身近に買える値段であったらいいのに
先日通りすがった日本の骨董を売っているお店は
お茶を入れるナツメというのが70ユーロからだったかな
一番高いのも見せられたけど 一番高いのを見たあとじゃ
70ユーロのは大したことはことはないわけで
でも日本で70ユーロだしたら けっこういいのが買えると思うんだけど


 私にはまだよくわからないけど 私は職人さんが好きだった
伝統工芸も大好きだった そういうところに もっと
フランス人を連れて行ったり 彼らの作品を
ネットで紹介してみたりとか もっと美術館ではなくて
触れて使える そんな機械があったらいいだろうにと思ったりする
日本の美 は 美しい。 でも 日本 は とっても遠い
日本のガイドもいいんだけれど もうすこしここに居ることができるなら
まずフランスで面白いネットワークがつくれたりしないかな


 今日は友人宅で友人だけのための小さなお茶会を開催し
(自分で全部やったのはこれがはじめて!)そのあと
かつて茶道部だったという日本人の子と話してて
パリのお茶会のこのリベラルな雰囲気がなかなかいいから
じゃあ今度は彼女の専門の明かりをつかって何かやったらどうだろうとか
そんなコラボお茶会の話が出たりして そういえば
私の大切な奈良で買った素敵な蚊帳の中で 一度
お茶会をしてみたかったと思ってたとか
そういうの きっとはじめてみたのなら
パリにはすごい日本人が沢山いるから
(そして日本の雰囲気や味が恋しくなるから)
きっといろんなアイデアがどんどん湧いて来るのだろう


 そうそんなリベラルなお茶会をして
いつか日本で 友人たちともお茶会をしたい
もっと自由で でもいい雰囲気な あまり縛られないお茶会を
それからいつか 日本料理の簡単な教室みたいなのもしたいなあ
そんなことを思っていたら 事務所の前の公園で
めちゃくちゃ素敵だと思っていたママと長いこと話す機会があって
「日本食大好きなのよ!」という話になったり 彼女が
料理に情熱があって 私がフランス料理も学びたいとか
こんど できたら何か一緒にしてみようとか
そんな話になってうれしくなった。
日本?パリ?私はとっても日本人なわけだけど
日本の美しい物も大切にしながら 何か私にもできることがあったなら
もうすぐ日本に帰るけど そしてまたここに来れるのかはわからないけど
日本って なんだかすごいと思えたから ちょっと帰るのが楽しみだ。

子供の強さ

2011年06月07日 | 子どもから学ぶ

 私が子供を産んだのは
子供から学べることがきっとあるのだろうと
思ったからでもあったはず で 最近は
不安な時とか 蓮太郎 本当にいてくれてありがとうとか
もしかして彼がいなかったらフランスにこんなに
長く居れてないかも?とか思うこともあったりもする


 そんな彼とパリの公園に行ったりしながら
フランスのはちゃめちゃなエネルギーのある
子供たちをみていると(やつらは集まると
めちゃくちゃうるさい!!)なんか
子供って すごいんだなあと思わされる。


 例えばけっこうレベルの高そうなアスレチックが
あったりしても 怖い物なしで仲間達と
いろんな風に身体を使って遊んだりして
私なんか そんなとこ行くことですらこわいのに
8歳にもならないであろう子供達は いろんなことを
ひょいとやってのけ「ちょっとそこのちびっ子
邪魔なんだけど」と言いたげに 走り回って何かをしている


 子供って 怖れとかないのかなあ??


 私は最近子供を見る機会が山ほどあるので思うんだけど

 どうして子供が言葉を覚えるのが早いのか
どうしていろんなことがあんなに簡単にできるようになってしまうのか
それは若いだけじゃなくって 怖れとか 壁を自分でつくっていない
からなんじゃないかと思ったりする。


 私はまず先に怖いと思う。そして不安になったりもする
例えばベルヴィル公園という、めちゃ長いすべり台がある公園で
息子が滑り始めた直後に体勢を崩し 頭からすごい勢いで
滑り落ちてしまった時に後ろから追ってた私は青ざめた。
このままでは息子は死んでしまう!!!本当にすごいスピードだった
どうしよう 助けなきゃ!と思ったけど 彼は私より
よっぽど早くて おそろしい着地の瞬間 たいして
何事もなかったように うまく手をついたのだろうか
泣くこともなく着地して 私はほとんどパニックだったから
その瞬間がよくわからない。けれども彼は元気で心配そうな
私を見ながら平気だよーみたいな顔をしていた。


 「あ あんた 怖くなかったの???」

 私はとっても驚いた 息子はまだ三歳にもなってないのに
母よりなんだか勇敢で 今日もラビレットの子供館みたいな
すごい遊具(教育 科学的遊具みたいなの)がいっぱいあるとこに
行ったのだけど そこで木製の工事の機械がいっぱいあって
クレーン車をうごかしたり 家をつくったり
手動でいろんな機械を子供達が動かしていて
なんだか「きのくに」という かつて見学しにいった
自由学校みたいだなあと思ってしまった
子供って 家も作れるんだよね
それにそういうの したいと思ってるんだよね
しかもやらせたらけっこう上手だったりするわけで


 なんかすごいなーと圧倒されて見てしまう


 きっと彼らは勇気があって しかもあまりバリアがないから
パリの幼稚園児のおにいちゃんの中に勇気を出して混じって行った
息子のように ちょっとしたら なんとなく意気投合してみたりして
それから吸収してみたりして そうしてぐーんと成長していく
かつてそんな子供だった私は6年生の時に国連のことを学んで
こう思ったことがある「みんな仲良くすればいいだけじゃない?」
きっと 本当は 仲良くすればいいだけなんだ
だけど大人になると 宗教だとか お金のこととか難かしそうなことが
たくさんからんで 「そういうわけで無理」になることが沢山で
本当のところはどうなのだろう
大人にとって 重要そうにみえる しかめっつらをしながら話さないと
いけない複雑なことというのは 本当はどれほど大事なのだろう


 子供の心 子供がもってる好奇心や素直な勇気や素直な気持
それらに私は圧倒される でもそれは大人に守られているからなのかなあ?
不安や怖れというものが そんなに大きくならないで
「面白そうじゃん やってみよう」と 子供みたいに
やってみれたら 何かはちょっと変わるのだろうか
いつからか私はくそ真面目で一歩引いた人になってしまっていたけど
やってみて 進んで行ったら面白いことも多いのだろう
大人になるって何なんだろう 子供から何を学んだらいいんだろう
なんだかよくわからないけれど 子供はけっこう おもしろい。

あれから1年

2011年06月07日 | 想いをカタチに

 もうこの頃で 昨年にフランスに旅行してから
1年が経ったよう で いったいこの1年は
何だったのか 何かが激変したような
でも自分自身というのはたいして変わってないような


 何ごとか が急速に動き始めてしまったの は
きっとわくわくしたからで あの時カフェで会話していた
いつかパリのカフェのガイドがしたいとか
オルタナティブな暮らしのガイドがしたいとか
そんなこと に わくわくしていたからなのだろう。


 子供を産んで わくわくすることをすっかり忘れてしまった
私が 昨年の2月に行った「未来をつくるワークショップ」で
「何でも叶うなら何がしたいか?」と問われたときに
一人だけとんちんかんに「パリのカフェで議論がしたい」と答えてた
そんなの夢のまた夢で雲の上の世界だったし
いつの日か ワインのシャトーの見学を という想いも
そんなの夢のまた夢だった。


 パリのカフェで議論?ねえ

 私に勇気があったなら もっとやっていけるのだろうか
私には言葉が足りないといつも思ってしまうけど
「言葉の問題じゃないんじゃないの」と友人に言われてしまった
足りないのは勇気とか 積極的に働きかけようとする姿勢なんだろか


 この1年で 全くもって知らなかったワインのことやら
フランスの料理のことも だいぶ勉強させてもらったし
フランス語だって かつてはラジオを聞くのも嫌だったのに
今ではだいぶ上達しているはずなんだけど
変わったの は 頭の中身だけなのかなあ


 結局私は勇気がなくて 結局のところ弱気なままで
強気な風によそおってみても 本来の私は弱っちく
しょっちゅう涙をながしたりして でも泣いてこそ
強くなるような 私はそんな人の様な そんな気もするんだけど

 ポジティブになって わくわくしていて
楽しそうにしていたら いろんなことが叶うのだろうか
そういうことをつい遮ってしまうのは 理性とか
固い思考なんだろか そう 私は だいぶ保守的になってしまって
それがきっと エネルギーが あるかもしれない
イイダミキという人を 自分でブレーキをかけてしまって
「ほらだからね 結局何もできないじゃない」と
そうしてしまうのかもしれない。


 この1年で いろんな風に進んで行って
ものごとは変化したけど 保守的な私はいつも歯止めをかける
それはちょっと無理だろうとか 保険はいったいどうするのかとか
そんなこと言ったって やっぱりそんなに簡単じゃないだとか
そう できない理由を数え上げればきりがない。
だけど少しずつ ステップを描いて行ったなら?
何かはかなっていくのだろうか 全部遠い未来が
いっぺんにふってくることはなくっても

 私はフランス語のpetit a petitという言葉が好きだ
響きがとってもかわいくて「プチタプティ」と言うのだけれど
少しずつ という意味で うちの事務所の人だとか
たまに会話をしているときに「全てはじめからできないけれど
petit a petitやっていけばいいのよ」と言ってもらえると
ほっとする。


 そう思うなら 少しずつでも進んで行けるのならば
この先どこかに行けるのかなあ 諦めるのは一番楽だ
諦めるのは一番早い でも それが本当に楽なのかって
それも私にはよくわからない どっちにしたって泣くのなら
泣いたあとポジティブになれる方がいいのだろう。


 あまりにもいろんなことがありすぎたこの1年
これからどこに向かって行くのか 私にはよくわからない。

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861