alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

日本の美

2017年09月16日 |  カフェ的な場で考えたこと
 女性の美とはなんだろう?
最近美しくなることを目指そうと決意して、そういうことを考えていた。
そしていざその世界に入ってみようとちょっとでも調べてみると
エステに美容整形に、高級化粧品やらなにやら
いくらでも女性の美を応援し、そこにお金をかけさせるシステムがあるのに
この年になって今頃気づく。そしてもう一つやっと気づいた。
ちょっとでも美しくなるために、みんなそこまでお金をかけていたのかと。

 それでもある時モデルさんたちが集まるイベントに参加して
彼女たちを眺めながら私は考えさせられた。
努力してお金をかければある程度の美は手に入るといえるだろう。
うまくお化粧することも、肌質改善することも、
脚をキレイに見せることも、髪の毛をふわっとさせるとも
技術とお金があればなんとかなる部分は大いにある。

 でも だけど 気品だけは別なんだ。

 そしてその場で痛感していた。気品はお金では買えないのだと。


 今日は日頃からお世話になっている茶道の先生が
教授に昇格されたとのことで、そのお祝いの茶事が
帝国ホテルの茶室で開催された。あの帝国ホテルで
お茶会をするというのは誰にとっても特別なことであり、
先生も相当に気合いが入っていたのだろう。
今日の先生はいつものお茶会ともまた違い
びっくりするほど美しかった。
まるで「日本の美」というのをイメージ化すると
それがそのまま先生の姿になるかのように
立ち居振る舞いからお点前、ちょっとした笑顔に至るまで
先生は美しさそのものだった。

 その美の姿は私が最近近づこうと試みていた女性の美とは異なっていた。
これまで私が見てきたもてはやされるような女性のよさは
スタイルが良く、胸も大きく顔は派手で背は高く、ハイヒールを履き
もちろんセクシーな魅力があって、外見的な魅力を武器に
男たちの目を惹きつける、そんな感じの女性像が「うまくいく女性像」として
様々なメディアに映っていた。

 ところが先生の美は圧倒的だが、前述の美とは全然違った分類なのだ。
そしてそれを言い表せる言葉が見つからない。
皆先生の立ち居振る舞いやお点前に(後ろ姿しか見えなかったという
人でさえ)あまりの美しさに驚いていたというのに、
それを表現する言葉がでてこない。私は人間国宝のようだと言って
先生はそれを笑っていた。他の人は身も心もしびれたと言い、
なんて言い得て妙なんだ、と私はその人の表現力に驚いていた。
でも他に言葉が見つからない。あの美しさは一体なんといったらいいのだろう?

 ひとつは引いた美学のようだった。
雑誌をきらびやかに飾るモデルのように
「私を見て!キレイでしょ!」という、息子に言わせると
「自分をスターだと思ってる感がハンパない」感じとは全然違う。
謙虚さ、控えめ、でも動きに一切無駄がなく、選んだものにも
一切の迷いやノイズがない。茶道の動きは計算されたマイナスの
美学だという人もいる。ややこしいように見えるお点前の順番も
実際にはそれが一番理にかなっている、無駄のない動きらしい。

 先生には飾り立てたところが一切ない。着物も遠目で見ると
非常にシンプルで、振袖の真逆といえそうなほど柄がない。
白シャツを着こなせる人が少ないのと同様に、あれほど
シンプルな着物をきてこんなに美しく見せられる人も
本当に珍しいだろう。そういえば柳宗悦が言っていた。
井戸茶碗の美しさはその飾り立てない素朴な姿勢にあるのだと。
美を追求し、名声を求めていった茶碗のいかに醜いことか。
先生の姿はそれに通じるものがある。
きちんとした暮らしの積み重ね、きちんとした生き方の積み重ね。
そこからにじみ出るものがある。だから存在そのものが美しい。

 飾り立てる美しさにはいつか飽きる日が来るかもしれない。
京都の街中によくある、お寺の財力を示す飾り立てた人工的な美しさも
数日見ているとだんだん疲れてくるものだ。
それに対して京都周縁部にあるお寺だと、もっと自然で
人の心を打つ美しさに出会いやすい。
雄大な自然と溶け合った奈良のお寺や、時とともにより味わいの増す
わびさびを感じさせる寺院のように、気をてらわず、落ち着いていて
来る人を包み込んでくれるような優しさと余裕がある
そんな美は美しいのにあたたかい。

 美 というのは一体どこから来るのだろう?
世の中の多くの情報は外見を飾り立て、変えることを訴えている。
けれどパッと一瞬人の目をひく派手な美しさと
じんわりと人の心を打つような、いつまでも心に残り
また来たい、会いたいと思わせるような美しさは全然違う。
そしておそらく先生が茶道の先生であることからも、
それが日本文化が本来持っており、ジャポニズムの頃に
世界を震撼させた美なのだろう。

 それは浅草の多くの土産物屋の嘘くささとも異なっている。
飾り立てて白く塗りった舞子さんの美とも異なっている。
茶禅一味。茶は本来は禅と切っても切り離せない関係だ。
禅は本来多くのものを所有しないし、身体とともに魂を鍛えていくわけだ。
だから茶の美、というのは禅寺の美に通じているのだろう。
観光客向けでない真の禅寺は、きっと真実を追求しているから
美しい。噓いつわりでもその場かぎりのごまかしでもない、
先生の口癖である、「きちんと」大切なことをごまかさずに
「きちんと」日々を重ねていく。そのことで生まれる
人ととなりの美しさが、服から滲み出ているのかもしれない。
気品だけでなく 美しさとは きっと存在そのものから
滲み出るものなのだろう。小手先の美でも気をてらったものでもない美
日本にその伝統があるのなら それを失ってはいけないと思う。
私は本当に驚いた。こんな美がまだあるのなら、
それは守り伝えなければいけないだろう。
先生の美は日本の職人さんの美に通じるものがある。
真実を追求し、自分が本当にいいと思ったものに
一心にどこまでも向かっていく。
メディアにもてはやされるのでも、パッと華々しく人目をひくのでもない
日本の独特の美しさ。もっと大事にしたいと思う。

アメリカのパリ協定離脱に対するフランス大統領エマニュエル・マクロンの声明

2017年06月04日 |  カフェ的な場で考えたこと


トランプがアメリカ大統領に選ばれた時、私にはまだ
期待があった。トランプを選ぶアメリカ人の気持ちもわかる、
それに彼は何かをやってくれるかもしれない・・・そんな
ささやかな期待があった。そんなささやかな期待があるから
世界のリーダー達もこぞって彼に会ってみたのだろう。
ところがG7の時から彼の態度は最悪だ。パリ協定に
関しては母国に帰って協議してから態度を決めるのかと思いきや、
あっというまに「やっぱりやーめた!そんな馬鹿なことやるもんか!」
ずいぶんと嬉しそうな顔で、よくあんなことが言えるものだ。

さすがにこれには大失望で、これまでのささやかな期待も
全てがふっとんだ。私も失望だけでなく怒りすら覚えてた。
そんな時、フランスの新大統領、エマニュエル・マクロンがいい話をしたという
噂を耳にした。ラジオで聴くとたしかにかっこいいことを言っている。
全文を読もうとしてもルモンドなどには書かれていない。
しかたないので声明をYou Tubeで何度も聴いて、1人で書き取り
全訳してみることにした。

許可をとっているわけでも、誰かに頼まれたわけでもない。
こんなことをしても1円にもならないが、時間だけは大いにかかる。
とはいえマクロン氏は私が留学したパリ政治学院の先輩なのだ。
私があの地に足を踏み入れた2001年に彼は
卒業したという。圧倒的なエリートとそこで1番の落ちこぼれだった
私には何の共通点もない。けれど「先輩」のこの姿勢はとても美しいと思う。
こういう話を環境団体のトップがするのはわかる。
けれど一国の大統領が、すぐにこうした声明を発表するというのは
本当に私の胸を打つ。

私もあの学校で習ったことがある。どんなに長い原稿を書いても、
まっすぐに人の目を見て話しなさい。マクロンの目はまるで
自分に訴えかけているようだ。世界の研究者よフランスに来たれと言われたら、
私も環境配慮都市の研究をしに今すぐ行きたいと思ってしまう。
世の中にはどうしようもない人もいる一方で、こんなことを
言える人もいる。それがほんのすこしの救いになった。

2001年、フランスは環境のことなんてほとんど考えていなかった。
ところがこの15年でフランスはあっという間に変化して、環境配慮型都市の
取り組みも大いに進歩を見せている。

テロの直後に開催されたCOP21では指導者達が本当によく頑張った。
会議中、何度も何度も文面がひっくりかえされ、立ち往生し、
そんな中フランス人たちは本当に粘り強かった。この協定が結ばれたこと、
それはひとえに議長国のすさまじい粘りと努力によるものだろう。
議長だったローランファビウスがどんなに嬉しそうに最後に槌を打ったことか。
そして世界中の代表者たちが総立ちして喜んだ。
その感動はビデオからでも大いに伝わるほどだった。

その感動も想いも一瞬にして崩されたトランプ氏の声明。
それに対してマクロン氏がフランス語で行った声明の全訳を掲載します。
(約2日で9万回視聴されています)

ーーーーーーーーーーー


アメリカ大統領のパリ協定に対する演説の数時間後、
私がこうして声明を発表しようとしたのは、これが重大な問題だからです。
アメリカがパリ協定から離脱するというのは理解しましたが、残念に思います。
私はそれがアメリカやアメリカ人にとっても間違っていると思いますし、
我々の地球の未来にとっても過失だと思います。
先ほどトランブ大統領と話す機会があり、その旨をお伝えしたところです。

気候変動は我々の時代の非常に大きな課題の1つであり、
数年前はまだ議論の対象であったかもしれませんが、
今では私たちにとって明確な問題となっています。
生物多様性は脅かされ、異常気象によって飢饉や大災害が
起こった地域もあり、その地を離れることを余儀なくされた人もいます。
フランスも毎年異常気象による災害に見舞われています。
もし私たちが何もしなければ、より激しい異常気象によって、
私たちの子供たちは移民、戦争、欠乏、島や海岸付近の街の消滅という
世界を目の当たりにするでしょう。そしてそれはもう始まっているのです。

それは私たちが望んでいる未来ではないし、
私たちの子供たちのために望む未来でも、
世界に求める未来像でもありません。
フランスの使命は、すべての人を巻き込むこの問題に
立ち向かっていくことなのです。それが気候変動に関する
戦いで先駆的な立場を示した理由です。
フランスは国際的なすべての交渉に果敢に立ち向かっていきました。
2015年12月、フランスは全力をかけ、パリ協定という共通の書面に
195カ国に署名させることに成功したのです。
だからこそ、私は今夜、多くの力をこめてこう述べます。
いかなる場合においてもパリ協定より野心にかける協定の再協議には応じないのだと。

フランスは今夜、署名した全ての国々に訴えます。
パリ協定の枠組みの中にとどまるべきだと。
私たちの責任の高みにとどまり、何一つ譲歩するべきではありません。
私はアメリカに伝えたい。フランスはアメリカを信じている。
世界はアメリカを信じている。私はアメリカが偉大な国だと
知っています。そしてアメリカが無知や曖昧さではなく、
自由や真実、理性を勝ち取ってつくられた国だということも。

けれどもこれは間違えないでほしい。
気候変動に関しては、代替案、プランBは存在しない。
何故なら地球の代替となる地球Bが存在しないからです。
だからこそ、そう、続けていくべきなのです。
アメリカ大統領の決断に失望した全ての科学者、
エンジニア、起業家、市民に訴えます。
フランスは第二の祖国になるでしょう。
私はあなた方に呼びかけます。
私たちとともにここで働こうではありませんか。
気候変動に対する具体的な解決に向けて動きましょう。
今夜アメリカは世界に対して背を向けました。
しかしフランスはアメリカ人に背を向けません。
私は親愛なる同郷人や、世界のどこであれ今これを聴いている方に保障します。
フランスはこの戦いを諦めません。

もちろん私たちはこの戦いをアメリカとともに行いたかった。
というのも彼らは私たちの同盟国であり、テロや安全保障、工業、
経済など、数多くのテーマについては今後も同盟国であり続けるからです。
でも事情はこの通りです。扉が閉ざされたわけではいし、
私たちを大いに助けてくれたこの国に扉を閉ざすことはないでしょう。
とはいえ、私たちの決断を守るべき者はまだ大いに残っています。
フランスは世界の中でその役割を果たしていくでしょう。
それがフランスに望まれていることだから。

今夜からフランスとイタリアはパリ協定に関する関与を
より確固たるものにしていきます。数分前、ドイツの
メルケル首相と話し、この方向に向かって近いうちに強い
イニシアチブをとっていこうということになりました。
土曜にはパリでインドの首相に合い、パリ協定について話します。
近日中に私はパリ協定に関しる主要なリーダーたちと話ていくつもりです。
フランスは環境配慮型の研究をする研究者や企業に対する協力を
増やすための具体的な行動計画を示し、特にヨーロッパとアフリカにおいて
具体的なイニシアチブをとっていくつもりです。私は政府に対しても
この件に関して活発に動き、来週会合を開くようにと要請しました。
過去の協定を守るというだけでなく、今夜からフランスは
私たちの未来に対してより大志を抱いていくべきなのです。
共和国万歳、フランス万歳。

ーーー

追記

トランプ氏は「私はピッツバーグを代表して選ばれたのであって
パリの代表として選ばれたわけではない」というなんとも馬鹿げた発言を
していましたが、なんとそのことに対してピッツバーグ市民や市長が
怒り、アンチトランプのデモを開催したそうです。
というのもピッツバーグは廃れてしまってたちゆかない工業地帯ではなく、
新らしい技術を生み出している、現在かなりうまくいっている街であり、
勘違いも甚だしい、というわけです。ニューヨーク前市長やパリ市長だけでなく
当のピッツバーク市長までもパリ協定を応援する!と言っているところが
なんとも素晴らしいと思います。



トランプ大統領

2016年11月09日 |  カフェ的な場で考えたこと
 あれは真夏の暑い盛りの頃だった。いつもの道を
蝉の大群のミーンミンミンという音に囲まれ
私はBBCを聴いていた。その時話していたのはドナルド・トランプ、
その頃から、彼に興味を持っていた。そして
なぜだか少しずつ好印象を抱くようにすらなっていた。

 あの蝉達の激しい泣き声に囲まれて
トランプは聴衆に語りかけていた。そして彼らの
激しい拍手と叫び声が耳中に鳴り響く。
イヤホンの隙間から聞こえる大量の蝉達の鳴き声と
彼らの熱狂が混ざり合った中、目の前の道はまばゆい光に照らされて
まるですべてが彼を祝福しているかのような錯覚におちいった。

 何故こんなにも 彼の言葉に聴衆は熱狂するのだろう?
私はもう1年近く、ほぼ休むことなくBBCを聴いていた。
その中でいつも思わされたことがある。
ヒラリーとトランプに対する聴衆の熱狂度合いは全然違う。
ヒラリーに対して大きな拍手があったとしても、それは
コンサートの通常の拍手とあまり変わらないような印象だけど
トランプが何かを言うたびに、聴衆の歓声はまさに熱狂的で
「そうだ!よくぞ言ってくれた!!まさにその通りだ!」と
いう彼らの思いがラジオを通して伝わってきた。

 相変わらずNHKを観ていない私は一般的な日本人が
トランプに対してどういう印象を抱いているかは感覚でしかわからない。
ただ何か「トランプ」というたびに、皮肉をこめた
アイロニカルな笑いに出会った。その侮蔑的な表情が
どれほどの情報によって成り立っているのか私は知らない。
けれども実際彼が声高に語ったように、相当な程度に
大手メディアは偏っており、その差を埋め合わせたのが
実際の市民が行った、今回の選挙だったように思う。

 偏りを極力避けようとする姿勢のBBCはトランプでもヒラリーでもほぼ
対等に扱ってきた。ところが私が夏から購読しているアメリカのTIMEは
けっこうひどい。ひどいにもほどがある、とすら言いたくなり、
思わず「これってどう思う?」と8歳の息子に聞いたほど。
数ヶ月前の表紙はトランプを摸した顔の形が溶けようとするものだった。
はっきりいって侮辱じゃないか、ということをシャルリーエブドのような
批判精神だけを売りにした小さな雑誌がやるならともかく、
フランスのルモンドやイギリスのBBCに相当する、アメリカを代表する
世界的メディアのTIMEがこんなことをしていいのだろうか?
そして10月24日号の表紙は、その明らかにトランプを摸した顔が
だらりと溶けて、口からよだれすら流している。タイトルは
「Total Meltdown」まだ選挙の結果すら決まっていないのに
(しかも最終的には「トランプ大統領」になったのに)
こういう描き方の表紙を全米どころか世界中で売り出していく、
その姿はあまりにも非中立的だ。

 私が購読をはじめた夏以降、表紙で明らかにヒラリーを侮辱したような
ものは一度も登場しなかった。そのかわりにあからさまにTIMEが
ヒラリーを推そうとしているのが痛いほど伝わってくる。
ヒラリーのことももう少し知らないと、と思って特集を一生懸命
読んでみたものの、印象に残ったことは「彼女は中を覗こうとしても
覗こうとしても同じ顔が現れるロリアのマトリョーシカのような人」という
ことだった。知ろうとしても、何を伝えたいのかわかろうとしても
なんだかそれが伝わらない。私だってかなり彼女の話に耳を
傾けたつもりだけれど、結局私に伝わったのは「私は女性初の
大統領になりたい」ということだけだった。

 そんな中、またトランプ批判のTIMEの記事の中で、トランプが
こう言っていた。「ヒラリーが持っている唯一のカードは女性としての
カードだけだ。もしヒラリーが男性だったら、5パーセントも票を
とれないんじゃないかと思う。」これにはちょっと笑ってしまった。
確かにそうかもしれない・・・私は女性だから本来はヒラリーを
応援したほうがいいのだろうと思いながらも、最後まで何も
共感できるポイントが見出せなかった。

 それに対して個人的にはトランプはヒラリーよりも1枚も2枚も
上手だなあと思っていた。「彼女はプーチンが嫌いなんだ。それは
プーチンが彼女よりインテリジェントだからだ。」と彼は言う。
確かにそうだ・・・日本でプーチンがどう思われているかはこれまた
微妙なところだけれども、彼の冷徹な眼差しと世界におけるロシアの
覇権を本気で取り戻そうとするその姿勢は(いいか悪いかは別として)
世界の指導者の中でも群を抜いていると思う。確かに彼は恐ろしいほど
頭がいい。そしてトランプ氏が次期大統領に決まった時に
かなり早い段階で祝電を送ったのは他ならぬプーチン大統領だった。
(彼はそういうことに対する行動力はトップレベルで早い。
もちろん今回も日本の首相より早かった。)

 アメリカとロシアが再び冷戦になろうとしてた今、
トランプ大統領が誕生することで関係はかなり変わるだろう。
それに彼は私たちが思っているほど世界に干渉したがる危険人物ではなくて
もっと本気で自国の産業と労働者たちを心配しているように思う。
だから正直これまでのアメリカが世界で行ってきた外政干渉にも
あまり興味がないと思う。彼はただ、自分にとって我が子のように
思えてしまうアメリカ人の普通の労働者たちを守りたい、
そして再びアメリカンドリームが実現できる国にしたい、
そんな気持ちで、自身でまさにそのアメリカンドリームを
体現しながら語りかけているのではないだろうか。

 私も以前はトランプが大嫌いだった。彼の声が
BBCから流れてくるたびに、生理的に気持ち悪いと思っていた。
ところが彼の声色はこの数ヶ月で別人のように変化した。
以前の気持ち悪く適当な発言を繰り返す方法から、
もっと落ち着きがあって深みのある声に変わっていったのだ。
そして彼は時折言っていた。「I AM the president of the United States of America!」
大統領として確定する以前から、彼はそう現在形で言っていた。
彼はあまりにその未来を信じきれていたからこそ、
「もし当選しなかったらその結果を受け入れますか?」
という質問に対してまともな返事をしなかったのではないかと思う。
本気で信じきる人は、できる、そうなるという道しかなくて
他の選択肢を考えた瞬間にそれが実現できなくなってしまうこと、
それを身をもって知っていたからではないだろうか。

 彼は確かにビジネスマンだ。政治のエリートとは違う。
でも私たちが思っているほどただのバカではないと思う。
ただのバカを大統領に選ぶほど、アメリカ人は馬鹿なのだろうか?
本当にそんな人ばかりの国だったなら、英語を必死になって
勉強しているのもそれこそ馬鹿馬鹿しくないか?
ただの馬鹿が、あんな壮大なトランプタワーを作れるのだろうか?
私の友人や知人には一人もあんなビルを建てた人はいない。
それに政治のエリートから馬鹿にされている彼を応援し
守ってきたのは彼の家族たちだった。しかも彼の子供は皆が
彼と血のつながりがあったわけではないが、それでも
必死でパパを応援していた。自分だったら?
近親者がいきなり大統領選や選挙に出馬すると言いだして
そんな風に本気で応援できるだろうか?
「何言ってんだこのバカ!」と思って見向きもしなくなるのが
ありそうな結末なのに、そこまで応援できるというのは
それだけ信頼しているからだろう。しかも彼は従業員からも
かなり慕われていたという。自分の勤めている会社の社長が
選挙に出るとなったとき、自分は心から応援できるだろうか?
そんなの義務でも仕事でもなんでもないのに?
それはひとえにその人への忠誠心や恩がある、と思っているから
できることではないのだろうか・・・


 ヒラリーに比べて脆弱な彼の選挙陣営マップを読んだ時
私にはそう思えてしまった。彼は政治エリートが嫌いだろう。
私もその気持ちはよくわかる。私は国際的な政治エリートの
卵が集まるパリ政治学院に在籍していたことがあるけれど、
生粋のエリート達は世界のことなど気にしていない。
気にしているふりをするだけだ。でも必死になって守ろうとするのは
自分の家族と自分のキャリア。アメリカ人の多くが感じ、
嫌気がさしていた政治エリートたちの偽善的なあり方に
旋風を巻き起こしたのがドナルド・トランプだったのだろう。

 彼はアメリカを変えるのだろうか?
彼なら変えるかもしれない。
なぜなら誰しもが鼻で笑った、「は?大統領選に出馬?」
ということを、出馬だけでなく本当に選ばれるところまで
やってのけてしまうほどの人だから。
(それは誰にでもできることではない)
リーダーに必要なのはリーダーシップと決断力。
今日BBCで誰かがそう語ってた。それは彼にはあるのだろう。
(でなければ億万長者にはなれないのでは?)
もちろん彼は突拍子もない発言もしているけれど、
私にはそれらすべてを彼が無理やり行えるとは思えない。
彼はあれほど声色を変えたように、きっとどうにでも政策も
変えていくだろう。でも譲れないものはただ一つ。
それはアメリカの人たちの暮らしに再び夢を持たせることだ。

 行き過ぎたグローバリゼーションの中、それを謳歌しきった
エリート達とその子供達。でもどこの国でもその恩恵を
ほんの少ししか受けていない人たちがいて、激しいグローバリゼーションによって
彼らの選択肢や未来の希望は狭まっていく。
エリートが決めていく社会のあり方。それにNOといったイギリス。
そしてアメリカがそれに続いた。
エリートだけが恩恵を受けられるグローバリゼーションという形ではない
もっと違う世界のあり方を、これから本気で模索しなければならないだろう。
どうやって?誰が?どのように?
世界はまさに変化しつつあり、イギリスでもアメリカでも国民の多くが
これまでの方法を変えることを望んでいる。
でも、それをどうすれば?

 異なる形のグローバリゼーション。私たちに
オルタナティブはあるのだろうか?
自国の文化を大切にしながらも、世界に対して開いていくこと。
開国以来そんなことをやり遂げつつある日本は世界の中でも
わりと珍しく、意外と注目されているらしい。
イギリスともアメリカともEUともまるで異なる環境の中
独特に発展していった日本の何かが
世界の未来の1つのヒントになるのなら、
日本人がそれを真剣に考えてみるのも
世界に役立つかもしれない。

語学力

2016年07月05日 |  カフェ的な場で考えたこと
フランスのテロが起こった時、必死になってニュースを
聴いて色々と書いたりしていたら、「こんな時に
語学力があるっていいね」と言われたことがある。
語学というのは武器だと思う。武器、というのは
よく言われるように就職に役立つ、履歴書に書けるという意味よりも
自分を武装してどこかに向かわなきゃいけない時に
本当に武器になってくれるもの。最近強くそう思う。

フランスのテロが起こった時、私は日本の報道の仕方に
随分とショックを受けた。どうしてこんなに
情報が遅いんだろう?どうして正確とは言えない情報が
大手テレビ局のニュースでさらりと流れてしまうんだろう?
それはひとえに語学の問題ではなかったのか と最近
イギリスに関するニュースを読むたびに思う。

英語は相当なレベルの人たちが日本にも数多くいて、
おそらくジャーナリズムの現場にもきちんと存在しているのだろう。
だから英語圏からニュースが入れば、それはわりと早く
翻訳されて、さっとニュースになりやすい。
だから日経に書かれたイギリスのニュースはなるほど、と
思わせるものも多くあり、情報源が英語だと
こんなにしっかりしするのかと関心してしまう。
ところが英語以外の言語になると、一般的には
それが英語になったものを日本語に翻訳しようとするから
時間がかかり、伝聞している間に湾曲されてしまうことがあるのだろう。

確か昨年のことだったと。私がフランスに行った時、
立て続けにバイリンガルの友人に会い、彼らは
鬼のような形相をして私に言った。
「息子をバイリンガルにしなさいよ!」
私には何で彼らがいきなりそう言ったのか よくわからず、
そうはいっても日本ではそれは大変だ・・・お金もかかるし、とつい
言い訳がましい言葉を吐いた。でも普段は優しい彼らが
なぜ私に怒るように我が子をバイリンガルにせよ!
それが親の務めである・・・というような口調で言ったのか
しかも別々の日に立て続けに起こったのか、
私は不思議に思っていた。あれはもしかして神様が
彼らに乗りうつり、何かを伝えようとしたのだろうか?
それくらい不思議な出来事だった。

そのうちの一人でいつも国際的な交流会を開催しており
あのカフ・ド・フロールで哲学カフェを開催している友人が言った。
「1言語は最悪、2言語でまし、3言語でまあよいだろう」

1言語は最悪か・・・当時の私にはわからなかった。
そしてしぶしぶ、言われたからちょっとはやらないとまずいよな、と
息子にフランス語で話しかけたり教えてみたり、虚しい
努力を続けていた。そのあとに11月のテロが起こって
「1言語は最悪」に納得がいく。

結局1つの言語では、見えるのものが限られている。

特に私たちのようにに島国に住み、自分たちしか
使わない言語で暮らし、それだけで情報をとろうとすると、
どうしても情報が限られ、偏りが出てきてしまう。
多少なりとも翻訳に関わる者としてわかるのは、
全文の翻訳がいかに大変かということだ。よく訳者あとがきに
書いてある「思った以上に翻訳に時間がかかり、出版が
遅れたことをお詫び申し上げます・・・」の気持ち、たった1冊の
本とはいっても、1年以上翻訳にかかることもある。

だからこそ、海外のニュースや出来事は基本的には要約された
形で日本に入り、これだけははずせないという点が翻訳される。
一方で向こうのネイティブの人たちはその背景となる情報も
しっかり母国語で把握し、理解しているわけで、そういうことの
積み重ね で 私たちがようやく「語学力」を手に入れた時、
外国人と社会について話したくても、言われたこと自体を
知らない、その背景すらわからない、そして結局
お話にならない という悲しい事態が生まれてしまう。

私は口を酸っぱくして自分の生徒さんに言う。
「フランス語で書かれた文章を理解するには
語学力と、文脈を理解すること、その2つが大切です!」
語学力があったって、ワイン用語やワインの世界を知らなければ
なんのことやらわからない。でも背景を知っているなら、
語学力が低くても大抵はイメージできる。
だからこそその両方が必要なわけだけど。

文脈を理解していくためには(専門知識だけでいいならともかく)
世界で何が起こっているか、それなりにずっと追っていないと
「あれは?」「これは?」「それについては?」
と言われた時に、ひたすら黙ることになってしまう。

世界ではたくさんの問題や事件が起こり、
からまりあって動いている。世界を理解するために
日本語だけでは情報が遅く、情報量が限られている。
だからこそ、私たちに語学は必要で、特に情報を伝える側の
人間にはかなり高度な語学力が必要とされていると思う。
通訳や翻訳なんか通さなくても、1度聞いたらだいたいの意味は取れる。
そしてより突っ込むために、自分の言葉でそれを質問できる。
そして理解したことを、わかりやすい日本語で市民に伝えていく。
ジャーナリズムにおいてこれは欠かせない点だと思う。

私はひたすらフランス語に浸っていたけれど、
イギリスのEU離脱についてもっと知りたいと思った時に
これではまずいと気がついた。フランスにはフランスの態度があり、
アメリカやイギリスにはまた違ったジャーナリズムの態度がある。
フランスはイギリスの離脱についてはわりとそっけなく冷淡で、
必死になって追うよりも、まさに今開催されいているサッカーの
ユーロ2016が大切だ。これではわからん、と思ったので
必死になってBBCを聞き、英語のニュースを読むことにした。

そのときなるほど、「2言語でまし(フランス語があっただけでもかなり
助かった)3言語で良し」というのはそういうことかと
納得できた。私にフランス語しかなかったら、Brexitを理解するのは
至難の技で、特にその後何が起こるかを考えるのは難しい。
英語を勉強していてよかった、そしてもっと本気で
やっていかねばと思わされた瞬間だった。

世界には沢山のニュースが流れている。
どの国の新聞でもトップになるニュースもあれば、
そうでないものや論考もある。
その国の新聞や雑誌に載っているだけでも
すでに編集部の指向はあるだろうけど、世界に山ほどの論考がある中で
1つだけを日本語に翻訳して抽出するなら、その指向性はもっと強いかもしれない。

自分の頭で世界をもっと理解するには、やっぱり語学が必要だ。
広い視野を持っていくこと、色んな意見を検討すること、
そしてできれば誰かとそれを議論し、より一層深めていくこと。
私にバイリンガルの忠告をした二人はまさにそんな世界で
ずっと生きてきて、今でもパリで英語とフランス語で暮らしている。
何かを言いたくても言葉につまり、心底悔しかった留学時代。
あれから相当な年月が経ったけど、なんとか私も語学力と
文脈力と、それからしっかり表現できる力を手に入れて、
そんな世界で自分の意見を語りたい。

イギリスのEU離脱

2016年07月02日 |  カフェ的な場で考えたこと
最近はショックなニュースばっかりで
昨日の朝いつものようにBBCを聴いていたら
大事なニュースが流れてきた。イギリスのボリス・ジョンソンの
記者会見で、彼は最後にこう言った。
「その人物は私ではありえないだろう。」
日経によると会場には凍りついた雰囲気が流れたらしい。
イギリスを離脱に導いてきた彼はどんな発言をするのだろうか、
ずっと期待がかかっていただけに、さすがにこの言葉に
「ありえない!」と思った人も多いだろう。
なんたる無責任・・・私はイギリス人でもないのに
朝から腹が立ってしまった。

イギリスの国民投票から1週間。
それまでもBBCをほぼ毎日聴いていた私は
「あー6月23日は国民投票ね」くらいにしか
思っていなかった。友人が「イギリスは離脱するんじゃないか」と
話してたときも、そうかなあ、そんなことないんじゃないのと
楽観的に考えていた。実際BBCもフランスのメディアもわりと楽観的だったと思う。
もちろん大事なときではあるから特集はしないといけない。
でもパリのテロのときのような激しい危機意識は伝わってこず、
国民投票前日のBBCだってロシアのジャーナリストの
インタビューとか、わりとのんびりした話を流していた。

ところがどっこい。

そんなことがあるもんだ・・・
動揺したのは世界のインテリやエリート層だろう。
まさか?EUに留まっているほうがよっぽど利益があるではないか?
私たちには想像もできないほどの自由の恩恵をEU参加国は
受けていた。まさにその恩恵のためになんとかしてEUに
入ろうとしてきた国が後をたたなかったわけだけど。

抜けて一体どうするんだ??
そう思ったのは私だけではないだろう。

ありえない、マジで、この国の経済は一体これから・・・
しかもリーダーだと思っていた人は実際には
かなり無責任だということが発覚し、要するに
離脱後の青写真はほとんど描いていないままに、
離脱だけが先行してしまった状態だというのが浮き彫りになっていると思う。

そんな状態でいいのだろうか?どうなっちゃうのかと思っていたら
日経にフィナンシャルタイムスの興味深い論説があり、
おそらく「イギリスは本当には離脱しない」という道を
とるだろう、と書いてある。過去にも国民投票で
もめたものの、EUを離れるまでには至らなかったという
例が何通りかあるらしい。しかもボリス・ジョンソンは
そうした経緯に精通している人物だから、実際にはこれらは
杞憂でイギリスはEUに留まるだろう、というものだった。

それを読んで一安心はしたものの、本当にそんなことがあるのだろうか?
私が衝撃を受けたのはイギリスに対するヨーロッパ側の反応で
いってみれば「あっそ!勝手にしたら」という、
もはや愛想が尽きた、とっとと離婚手続きを開始してくれ、
という印象だった。私が離脱のニュースを知ったのは
わりと早く、職場でもフランス人たちが早速離脱について
話していたけど、心配する日本人をよそに「イギリスが
抜けたって大丈夫でしょ。だいたいイギリスは勝手なのよ」という
話をしていたのに驚いた。フランスのメディアも当日は
特集を組んでつきっきりだったとはいえ、数日後には
ほんの少し語る程度で、あまり追う気がないようだ。
印象としては「ショック だけど他人事」
大陸の人たちからすると、EUのくせに通貨も変えず、
シェンゲン協定にも参加しないという「俺だけ特別」
を通してきたイギリスにいい加減腹が立ってもいるのだろう。
だからきっと、美しいけどわがままを通しすぎた女性に
もう愛想が尽きてしまったように、もはや「どうぞご勝手に
でもこれ以上の譲歩は何が何でもするものか」という感じなのだろう。
(実際離婚という比喩はかなり多く使われていた)

残されたEU側がそんな状態の中、本当にこのあとEUに
留まるだなんてあるのだろうか?大陸側と島国との亀裂が
決定的になってしまった中で、もう一度仲良く・・・なんて
そりゃできるにこしたことはないけれど。

イギリスのエリートたちや富裕層は主に残留に投票し、
ロンドンを中心に再投票を求める動きも広がっている。
彼らはまさにEUがあっての自由を堪能してきた人たちで、
その良さを身体感覚で知っている。そう、だけど。

ふと 疑問に思ってしまった。

私、昔WTOの問題とか、アンチグローバリゼーションとか
関わっていなかったっけ?あの問題に関わっていた人は
どういう反応をするのだろう?グローバリゼーションは
誰かに恩恵をもたらした。それはそうした運動に関わった人が
目の敵にしていたような多国籍企業だけでなく、
私の友人たちでかつて「アンチグローバリゼーション」か
言っていたけど、今やエリートになってしまった人たちにも
確実に恩恵をもたらしている。都会に住み、国際感覚を持ち、
外国で仕事をしたことがあるような人。子供ができたらもちろん
英語はしっかり教え、できれば3ヶ国語が話せるように教育をする、
そんな人たちにグローバリゼーションは欠かせない。
BBCはなんとも言えないニュースを流す。
「私たちは今オランダに住んでるけど、イギリスのパスポートを
捨ててオランダのパスポートを取得しようと考えているの。
この子達が大きくなった時に、私たちが受けてきたような恩恵を
ちゃんと受けて欲しいから。」子供は6歳ですでに3ヶ国語を
話すという。聴いているだけで羨ましくて、少し
腹ただしさすら覚えてしまうけど、彼らのように自由の恩恵を受け、
自国をさらっと飛び出し、「世界市民」になれる人たちもいる。
一方でグローバリゼーションによって
不利益を被るのは?それが離脱を支持した人たちだ。

実際にはあまりに早いグローバリゼーションによって
不利益を被る人たちがいる。でも都会の一部のエリートたちは
それとは程遠い世界で生きているから、そんなことには
ほとんど気づく余裕もない。BBCは世界のニュースを流してくれる。
田舎の人たちのパブでの会話も流れているし、ミャンマーの
農村部の人たちの話も流れている。シリアでイスラム国の脅威に
怯えて暮らす人の生々しい話、ミャンマーにある屋根のない牢獄で
裸同然で暮らす人たち・・・

けれどそのBBCを聞く人たちの大多数は
どちらかというと都市部の富裕層で、彼らの一番の
関心ごとは、もちろん自分の仕事と自分の子供がいかに
社会的に成功するか。恐ろしいニュースを聞けば聞くほど、
哀しいかな、何としてでも我が子だけは守りたい、と
思ってしまうのが親の性なのだろう。世界の問題に耳は傾けつつも
我が子は手厚い教育を保証してくれる学校に、そのための資金と
情報収集はおこたらない。もちろん厳しい世界で生きて行くための
語学教育は小さいうちから。それに情操教育も。
良質なニュースを常に提供してくれている一方で、私はふと疑問に思ってしまう。
世界の南北問題をしっかりと伝えてくれるBBCやルモンドのような
ジャーナリズムは本当に素晴らしい。でもそれを常に聴いている人たちの
多くは格差の相当上の方にいる人たちだ。それが今の世界であって、
ますます格差は広がっていく・・・

イギリスは大切な未来を国民投票にかけたこと自体が
間違っていたのだろう。とはいえキャメロン首相がいうように
これが多くの国民の望む道であれば、それを歩んでいくしかない。
グローバリゼーションに反対だとか、よくないというのは簡単だ。
(私も昔言っていた)でも一度本当にストップしたら?
どんな道があるのだろう。日本はイギリスに比べるともともと
自由度は低く、経済的には豊かな島国だから、もしかすると
この先のイギリスの参考例にはなるかもしれない。
自分の国がしっかりと独立して誇りを持ちながら
国民も幸せにして他国と対等に渡り合う。ただ悲嘆にくれる
だけではなく、そんな例が今後つくられていくのなら・・・
イギリスから当分は目が離せない。

侮辱雑誌?

2015年02月20日 |  カフェ的な場で考えたこと
 フランスのテロが起きてからもう1ヶ月以上が経って
その間あれは何だったのか この先どんな社会になればいいのか
沢山のことを知ろうと思い 出来る限り本を読んできた。
特に私が興味を持ったのはイスラムについてだったから
子育てと仕事の合間を縫って、電車に乗る度 時間が
ある度 少しでもページを進めようとした。
私は理解したかった。世界で一体何が起きているのか?
どうしてそんなことになっているのか・・・?


 シャルリーエブドの事件のすぐ後、フランスのメディアは
イスラム教の指導的立場にある人たちの見解を伝えていた。
「イスラムは平和を願う宗教だ」
「あんな事件にあまりにショックを受けている・・・」
イスラム教とイスラム過激派とは違う。それはフランスの
メディアが折に触れて伝えようとしてきたことだったと思う。
アラブ世界研究所での演説の際、「原理主義によって一番の
被害を受けているのはイスラム教徒の人々だ」とオランド大統領は語ったし
それと全く同じことはあの緑色の表紙のシャルリーエブドをめくると
書かれている。だからこそ事件が起こった当初、
イスラムの指導者達は多くのイスラム教徒に対して
日曜日のデモに参加するよう訴えかけていたのだろう。


 日本でシャルリーエブドについて書くこと、それ自体
もはや私には恐ろしい。それだけで「お前はあんな侮辱雑誌を
擁護するのか」とたたかれるような空気を感じてしまう。
シャルリーエブドを読むことも、その雑誌を持つことも、
その雑誌が言わんとしていることを真剣に考えることも
今の日本では難しい。でもその状況に、日本における
イスラム社会が一役買ってしまったことは否めない。


 私はもっとイスラムについて知りたくて
読めば読む程頭の中には疑問が一杯になっていたから
イスラム教徒の人の話を聞きたいと思っていた。
さんざん読んでもわからないから、そろそろコーランを
読まないと、謎は深まるばかりだろうと思っていた。
そんな折り、日本在住のイスラム教徒の方たちが
意見表明するセミナーがあり、えいやっと訪れてみることにした。


 一体どんな人がどんな意見を言うのだろうかと思っていたら
そこにはテレビで何度か目にした 日本在住の
イスラム教徒を代表するような方も参加し、意見を述べていた。
彼らの中には後藤さんと湯川さんのために祈り
出来る限りのことをし続けてくれた人もいて
ニュースを見る度にありがたい、いつか
会ってみたいと思っていた人たちと偶然にも会えたのは
私にとっては喜びだった。


 参加して実際の声を聞き、多くのことを感じた中で1つ
残念に感じたことは、意見表明をする登壇者たちの中に
ほぼ共通して「シャルリーエブド あれはひどい」
という認識が当然のようにあったことだった。
はじめに話をした方は「インターネットでちらっと
見ただけですがショックを受けました」と語っていた。
インターネットで・・・きっと私がしたのと同じように
画像検索をしたのだろう。そしてショックを受けただろう。
何これ?!というのが第一印象だっただろう。
それで、それから?絵と共に書いてあるフランス語の意味は?
解読しようとしたのだろうか?それともすぐに「ひどい」
と思って投げ捨ててしまったのだろうか。
私は講演を聴きながら思うところが一杯だった。
画像検索で出てくるようなのはほとんど表紙だろうけれど
表紙の裏に隠れているであろう その時の雑誌自体の内容も
読んで判断しているのだろうか?
表紙に現れた表現が、その時の時事問題に対応した
彼らなりの批判だったとしたらならば?


 私はこれまでも出来る限りシャルリーエブドに関する情報を
読んできたけど、侮辱だ!無礼な!遣り過ぎた!これは暴力ではという
批判はあっても、じゃあ具体的にどこが侮辱なのかを
論じている文章にはほとんど出会ったことがない。
シャルリーエブド自体はイスラム教自体を批判しているのではなく
イスラム原理主義を批判していると言っているし、
「神の名のもとに」全体主義的になり、自由が奪われ
最悪なことに人が殺されることがある。現実として
それは今でも、おそらく今日も、「神の名の下に」行われている。
そこを批判して、だからこそ黒い服を着たマホメットらしき人物は
「こんな馬鹿な奴らに愛されるなんて・・・」と嘆いているんじゃ
ないんだろうか?もちろん敬虔な信者にも慕われている。
でも残念なことに、現状では世界中の多くの
イスラム過激派、原理主義と言われる人たちが、
(一般のイスラム教徒からはあんなのはイスラムじゃないと言われても)
同じ神の名の下に各地で戦い、自爆テロを起こしてる。
パキスタンではモスクすら過激派に襲撃された。シャルリーエブドは
原理主義者たちについては確かに小馬鹿にした描き方をした。
だから原理主義者の側から怒りを買うのはよくわかるにしても
原理主義者が本当のイスラムとは「違うし全く関係もない」のであれば、
穏健なイスラム教徒の側は、もう少し違う目で物事を見つめないといけないだろうし
状況が悪化の一途をたどっている日々だからこそ、
穏健なイスラム教徒の指導者達が、イスラム教徒に向かって、そして
世界の他の人々に対して、声を大にしてその違いや追求している精神を
訴えなければいけないのではないかと思う。


 シャルリーエブドが新たにマホメットの絵を掲載し
世界には非難が巻き起こった。そのデモによって今度は死者すらも出た。
私だってまたしてもマホメット?とショックを受けたし、
それが穏健なイスラム教徒の方達を不快にしたことは否めない。
相変わらずあの絵をあのタイミングで出した意図はわからないけれど、
おそらくそれにも深い意味があるとは思う。
あんな中でも、あえてあの絵を掲載した。
それが意味するところを全く考えないほどに、彼らは「傲慢なフランス人」なのだろうか?
12人もの敬愛する先輩や関係者が亡くなった中、あえて
挑発し、侮辱し、社会を馬鹿にするような絵を描くほど、
シャルリーエブドの中にいる人たちは気が狂っているのだろうか?


 その意図やニュアンスをほとんど考慮することなしに
「またしてもマホメットが描かれた」ことを侮辱ととらえ
世界の多くの人たちはただ嫌悪感を表した。
パキスタンやチェチェンではデモが行われ、フランスの国旗も焼かれた。
日本でも東京新聞と中日新聞が絵を掲載したことに怒った人たちがいた。
そして穏健なイスラム教徒の偉い人は 東京新聞が素直に絵の転載を
謝罪したことを語り 日本の良さを褒めていた・・・


 私はシャルリーエブドを強く擁護したいわけではない。
けれども特に日本においてはあまりに早急に「侮辱雑誌」として
認識された感があり、それが果たしてそうなのか、もっと問う必要が
あるんじゃないかと言いたいだけだ。
シャルリーエブドの絵は一目見た時 確かにショックを起こさせる。
うわ、何これ・・・ここまで描くか
そう思うこともあるだろう。だけどそれから激しいモヤモヤが
残ってくる。何故そこまで描くのだろう?一体何を意味しているのだろう?
彼らはそんなにも馬鹿で傲慢な人たちなのか?
私はそうではないと思う。
本来だったらシャルリーエブドのバックナンバーをいくつか取り出し
フランス語がわかる人たちが頭を突き合わせて意味を解釈し
本当に意図していたことは何だったのか、それを考え
それから判断するべきだと思う。けれども日本には
アンスティチュにも都立中央図書館にもバックナンバーがないわけで
実際には判断のしようがない状態が続いているのでは?
(オランド大統領は彼らの事務所が襲撃されてすぐ
現場を訪問し、ショックを受けている関係者たちに
「私たちは来週の号を出すべきでしょうか・・・」と
問われた際に、「絶対に出すべきだ。」と力強く言ったという。
オランドや彼らを助けて事務所を貸したリベラシオン紙の
人たちはそんなにも侮辱を良しとする人たちなのだろうか?)


 もしかすると忙しい現代人にはそんなことを考える暇はないのかもしれない。
携帯でちらっと画像を見るだけで、この野郎!と思ってしまう。
そしてすぐに、自分の経験に基づいた判断を下してしまう。
もちろん当事者だったなら、受けるショックは大きいだろう。
けれどシャルリーエブドが大事にしようとしていたことは、ライシテと同じように
物事を相対的に、客観的に、一歩引いて眺める姿勢ではないのだろうか。

フランスの風刺画は明治の日本を揶揄していた。
西洋の猿真似をする日本の鹿鳴館の貴婦人たち。
描かれた方はただ描かれただけでも悔しかったかもしれない。
好きでそんなことしてるんじゃないと思った人もいるだろう。
それを客観的に眺められる立場にいる側と、渦中でもがいている側とでは
「力」の格差が存在するのはきっと確かなことだろう。
けれども今になって振り返ると「果たしてその道でよかったの?」と
むしろそれを描いた西洋人のような気持で、私たちもその絵を
眺めてる。シャルリーエブドがしたかったことというのは
「果たしてこんな状況でいいのだろうか?」と絵を通して
そしてもしかすると、笑われた悔しさまで通して
人々に考えさせることだったのではないのだろうか。


 私はずっと考えている。
どうしてあの絵のマホメットは涙を流しているのだろう。
けれど誰もそんなことを解説しようとしてくれない。
あのマホメットが舌を出してアッカンベーとしているのなら、
確かに侮辱といわれるだろう。でも彼は泣いている。
"Je suis Charlie"ということが、「私はシャルリーエブドに大賛成だ」
という意味でなく、「私も自由を支持する」(これが一般的な
Je suis Charlie の意味だ とフランスのプレスは解説している)というか
「私も(弾圧でなく)自由の方がいい」という意味ならば
平和を愛し、忍耐を唱えたはずのマホメットだって、(人殺しという
イスラムの通常の教えに反したことではなく)違う表現手段を支持する、
という意味合いだってあるのかもしれない。そう考えると
もういい、もうやめてくれ、このテロすら、すべてを一旦水に流そう(全ては許された)
神の名の下に人を殺すのはもう終わりにしよう・・・という意味にすら見えてくる。
私にはあのプレートが、なんだか白旗のようにすら見えてしまう。
神様が本当にいるのなら、神は神の名の下に殺し合いをすることなんて
望むはずがないだろう。宗教は、どの宗教だって、本来平和を求めるはずだから。


 批評雑誌や風刺画を出版するのはもちろん勇気がいるものだ。
殺される、かもしれない そう思いながらそれでも一歩を
踏み出すのはそうまでして伝えたいことがあるからだ。
表現の自由がなければ革新的な文化や芸術は生まれない。
サルトルは「文学作品とは呼びかけである」と言っていた。
誰一人との呼びかけに応じなくても、それでも信じるものを書く。
一人でもいい、いつの日か、わかってくれる人が存在するなら。そう思って書いていく。
おかしいものには勇気をふりしぼっておかしいのじゃないかと問うてみる。
迎合して言いたいことが言えないくらいなら広告なんてもらわない。
コーヒーマシーンがいつも壊れていてもそれでもなんとか描き続ける。
少なくてもいい、購読して、愛してくれる人がいるのなら
それでもなんとか続けていこう・・・例え倒産しかけても。


 コーランを読んでいない私にイスラムを語る資格はないかもしれない。
それならばシャルリーエブドの表紙のみを一瞥したことしかない人にだって
それを決めつけて語る資格はないと思う。
混迷をますます極める今の社会の中で、問題を大きくしているのは
決めつけや先入観、思い込みによる判断ではないかと思う。
果たして本当にそうなのか?できる限り自分の頭で考えること
早急に結論を出す前に もう少し違う角度からも情報を集めてみること
そんなことを言ってる場合じゃない という程に 世界の情勢は緊迫している。
もはやシャルリーエブドも自由があった過去の幻影にすぎないのかもしれないけれど
それでも少し 考えてみる 両者の言い分を聞いてみる。
西洋でもない、イスラムでもない、歴史的な利害関係が多くない
中立的な立場の日本にいるからこそ できることはあると思う。


追記:東京新聞に掲載された文章を読んだところ、
文章自体はシャルリーエブドがマホメットの絵を載せたことに批判的な
ニュアンスでした。(むしろ侮辱雑誌という感じすら伝わってくる)
私がその中でショックを受けたのは明らかにその訳が間違っていたことです。
直訳すると「全ては許された」なところが、東京新聞では
「全ては許される」と書かれていました。この最後の1文字の違いで
どれほどのニュアンスが異なることでしょう?
「全ては許される」そう、まさマホメットにだってJe suis Charlieと
言わせてやれ?どうせ侮辱してるんだから。そんなニュアンスで伝わります。
これはかなり簡単なフランス語の間違いで、どうして一人でもいいから
フランス語がわかる人に相談しなかったのだろう?と残念でなりません。
その「誤訳」により、そう思い込んだ人はそう思い込んで受け取ります。
私は個人的にはそちらを謝罪してもらいたいと思いました。


イスラム世界を学ぶ

2015年02月08日 |  カフェ的な場で考えたこと


 フランスのテロが起こって以来、私の頭は
イスラム教とイスラム急進派のことで一杯で
できるだけ多くの情報に触れ、それなりに本を読んできた。
私がテロの翌日に初めて知ったのは「イスラム教と
イスラム急進主義は違う。イスラム教は平和を愛する宗教だ」と
いうことだった。それまで何もわかっていなかった私にとって
フランスのラジオから流れてきたイスラム教を代表する人たちの
そんな声明が驚きだった。


 でも、違うのならなぜ同じ「イスラム」という名が使われているのだろう?
そこに共通点はないのだろうか?実際そこはかなり微妙なとこらしく
もちろん一般的なイスラム教徒は穏健で平和を祈っているけれど
コーランを厳しく解釈した一部の人たちは、より厳しい戒律にのっとった
生き方を望むらしい。そういう人たちもごく一部だけれども居る中で、ある時
普通のイスラム教徒がそちらにぐっと引き寄せられてしまうこともある。
そのプロセスを『ヨーロッパとイスラーム ー共生は可能かー』の中で
内藤正典氏は非常にわかりやすく解説してくれている。


 まずヨーロッパにはイスラム圏からの移民が70年代から増えていた。
移民1世はなんとかお金を稼ぎ、母国に送金しようとしていたから
ヨーロッパで多少辛い目にあったって、そこはなんとか耐えていた。
けれども2世が生まれ、ヨーロッパの教育の中で育つことになった時、
現地の人とは頑張っても同じになれない自分、存在しないはずの差別に
気づいてしまう。そんな中、自分のルーツであるはずのイスラム教の
モスクや同じ文化圏の人たちが集まるところに行くと彼らは
今までの生活では得られなかった癒しや安堵感があるのに気づき、次第に
信仰を大切にするようになっていく。そんな人たちが増えることで
移民社会がしっかりと形成されていき、次第にその中では
ドイツ語やフランス語を話さなくてもよくなっていく。
結果として現地の人からするとそこは「何をやっているのかわからない・・・」という
ちょっとドキドキする地区になっていく。


 ところで内藤氏によれば、イスラム社会では衛星放送が発達していて
イスラム圏の国々で何が起こっているのか瞬時に知ることができるらしい。
ドイツにいても中東で起こっているニュースが毎日目に飛び込んでくる。
少しでも誰かを助けたいと思っているイスラム教徒は同胞が辛い目に
合っているのを見て非常に心を痛めてしまう。



 そんな心境にある時に、同じイスラム教徒であるはずの人から
ふっと根源的な問いかけをされたらどうだろう?
先日NHKが特集していた世界におけるイスラム国についての
番組では、イギリスで路上にたむろする若者達に
急進派たちが問いかけていた。
「この社会で君は幸せに生きているの?彼らは平等なんて言っているけど
実際には不平等ばかりじゃないか?」「差別を感じたことはない?」
「そうだ、あいつら、俺のことを盗人呼ばわりしやがって!
何にもしていないのに俺がやったって決めつけるんだ。」
「西欧文明が進歩しているなんて本当にそうだろうか?権利ばかり
叫んだ果てに家庭はバラバラになっているではないか?」
確かにね、口にはしてなかったけど、心の底では密かにそう思っていた。
そんな時、急進的な人たちに「兄弟よ、我々がこれを変えるべきなんだ!」と
力説されてしまったら・・・確かに西欧社会の裏側を身にしみて生き、
差別のまっただ中で生きてきた人たちにとっては一筋の希望に思えるだろう。
そこで徐々に何かが切り変っていく、そうして後のジハードの戦士が
今も各地で誕生しているのだろう。


(ちなみに「ジハード」という言葉はもともと信仰に精進するということだそうで、
断食に励むようなこともジハードというらしい。よく耳にする「ジハード」
としては、(いろんな説があるものの、総合すると)
「異教徒が攻めて来た場合、防衛のため戦う」ことは
コーランでも許されているといえそうだ。
(やむを得ない場合であり、こちらから戦いを挑むのはダメ))


 こういった心境というのは何もヨーロッパで育った移民の
イスラム教徒だけに見られるものではないと思う。
疎外感、社会の中で必要とされていない感じ、
一体何のために生まれてきたのか?そう思っている若者達が
一度でも「君の力が必要なんだ!君こそやるべきことがある!」と
力説されたら、そこで何かが輝きだすのだろう。
方向性は色々だ。ジハードの戦士になる人もいる。
でも根底にある気持が社会に対する大きな疑問と
誰かの役に立ちたい、ちゃんと人から必要とされたいという
気持であるのなら、それはNGOやボランティアに参加する若者の気持とも
(その時点では)大して変りはないと思う。社会において自分の存在意義とは
何なのか?それが薄くなればなるほど、結局人に必要とされたい
大事な人物だと思われたいという欲求をもっている人は
何かを強く求めてしまう。そこにイスラム急進派やイスラム国が
ぴったりと当てはまってしまったのだろう。
日本にも学生運動があり、大学闘争があり、その後には
おそろしいあさま山荘事件もあった。もちろんはじめは
「もっと良くしたい、変えるべきだ」という純粋な気持で
始まったのだろう。けれどいつしかそれが恐ろしい事態に
変っていった。社会に疑問を抱き、何らかの役に立ちたいと
思う若者達、それをうまく利用し吸い上げていく急進派、
どこかでベクトルが変ってしまい、いつしか意見は弾圧されていく。
全体主義的な雰囲気の中、次々と恐ろしい事件が起こる・・・
その時すでに宗教やもとにあった思想というのは
本来の形からかなりデフォルメされているだろう。
(そこをシャルリー・エブドは問いたかったのでは・・・)



 暴走してしまった力をどうすればとめることができるのか
私にはわからない。けれども暴走していく力の根っこ、
共感者たちを減らしていくこと、それも同時に大切なのでは
ないかと思う。今のイスラム国の指導者層を育くんだのは
皮肉にもイラクにあったアメリカ軍の収容所であるキャンプ・ブッカなのだという。
(ニューズウィーク日本版には「キャンプ・ブッカは
いわば野心に燃えるテロリストのサマーキャンプ」
「テロリスト大学のようなもの」と書かれている)
フランスのテロでも犯人たちは刑務所で固い絆を育んだ。
ル・モンドによれば刑務所内ではイスラム教徒でなかった人も
信仰熱心で絆があるように見える彼らの姿をうらやましく思い
「兄弟よ、困ったことがあったらいつでも面会に来るし
相談にのるからな」と言ってくれる誰かに出会うことで
改宗する人もいるという。
共通の憎き敵があり、自分たちのおかれた状況が
堪え難いほど、復讐への誓いは確固たるものになるだろう。
テロは許されるものではないし、イスラム国は本当に恐ろしい状態にある。
ヨルダン人のパイロットは火あぶりの刑にされ、イスラム教では
火葬自体が禁止されているためにヨルダン人は激しく起こり
あんなものはイスラム教ではないと強く言っている。
(なんとヨルダンを代表するテレビ局にアルカイダの人物をわざわざ
招き、アルカイダの人たちもイスラム国のやり方を非難したらしい)

 とはいえ、忘れてはならないのは、人間はテロリストには
生まれないということだ。生まれた時からテロリストな
人間は一人もいない。それを育む環境があり、世界から
共感する者が集まり、組織が大きくなっていく。
彼らのスイッチを押したものは一体なんだったのだろう?
差別に対するくやしさ?言われない罪を押し付けられたこと?
この格差に満ちた社会をなんとかしたい、中東で
大変な目に合っている同胞たちを助けたい、そんな気持を
抱いた時に、他に選択肢はなかったのだろうか?
西洋が夢見た自由・平等な社会には裏側が存在していた。
そして今まさにその裏側に居た人たちからの不満が
暴力という形で爆発し、もはや戦争の一歩手前のようになっている。
ヨーロッパでは今の状況を第二次大戦前夜に例える人たちがいる。
私もそんな空気、多くの人たちの楽観的無関心と
一部の人が突っ走っていく空気というのに似たような雰囲気を感じてしまう。
戦争が起こってからでは本当に遅い。だからこそ
今少しでもできること、一人一人がほんの少しでも
手や頭を動かして、状況を知り、
昔と同じにしないためには何ができるか考えること
それが大切だと思う。


豊かさとお茶

2014年02月10日 |  カフェ的な場で考えたこと
 先日ほんの1時間だけ時を過ごした中国茶館でのひとときは
私の心に深く影響を及ぼす程に 穏やかで豊かな時だった。

 どうしてたった1時間の、お茶の時間があんなにも豊かだったのだろう。
不思議に思って考えてみると どうやらあの湧き上がる湯気に答えがありそうだ。

 日本茶を飲ませてくれるお店でも 何煎もお茶が飲めるとこはある。
だいたいもともと日本は中国から影響を受けているわけだから
玉露を飲ませてくれるお店と先日の中国茶芸は茶器なんかも
結構似てたりしたのだけれど 大きな違いはあのやかん。

 日本茶をたっぷり飲ませてくれるお店には たいていポットが置いてある。
それは利便性のためでもあるけど、温度のためでもあるのだろう。
玉露に適した温度は低い。沸騰したお湯では苦みが出てしまう。だから
きちんと温度を計って それをポットにいれておく。
中国茶の場合はお湯はいつまでも湧いていて いつまでも
しゅーしゅーと湯気が立っていた。

 立ちのぼる湯気 自分が席を立つまでは その湯気は消えることがない。
それが豊かさを彷彿させるのだろう。
ふんだんにある 
絶えない どこまでもある その安心感。
源泉掛け流しの温泉のように 贅沢なものが尽きることなく
いつまでもある。使っても使っても まだあるというその贅沢さ。
私の目の前にあった湯気 は 露天風呂から立ちのぼる湯気のように
いつまでたっても絶えないという 懐の広さを象徴しているようだった。

 絶えない 山ほど ふんだんにある。
本当は お金だってなんだって 世界にはふんだんにあるのだ と
時折本には書いてある。
そんなこと 自分が貧しい状態にいたら信じるのはとても難しい。
私が極貧だったころ、20円でも200円でも 目の前の出費が怖かった。
20円でもいいから安くしよう。300円と200円の珈琲だったら
200円にするしかない。650円の珈琲なんて私には絶対無理だと思ってた。
その頃はとにかく無理!お金がない!!と強く思い
子供にクリスマスプレゼントを買うために 相当頑張って働いたけど
今思えば どれほどお金がなかったのかというよりも
あれは「お金がない」という強迫観念に近かった。
お金がない、だから無理、これも買えない、あれも買えない。
バスには乗れない、歩くしかない。外食なんてもっての他。

 そのころの心理的状態に戻りたいとは思わない。
あの状態があまりにも怖いから、だからこそ私は無理な渡仏をちょっと避け
様子をうかがっているのだろう。一人身の友達は何人も海外に
移り住んでしまったけれど 生活の苦しそうな話を聞く度
私はそれをもう一度息子と一緒に繰り返すのが かなり怖いと思ってしまう。

 お金がないから パリに居てもカフェにもいけない、ビストロなんて
絶対無理。お金がないからおもちゃも買えない。バスにすら乗れなくて
おむつだって買えそうになかった時がある。安いマルシェで野菜を買い込み
リュックサックを一杯にした。そんな生活 それも悪くないかも
しれないけれど それでも笑えることはあったけど 心はなんだか
おかしくなった。それは本当に現実的にお金がない というよりも
心の持ちようだったのだろう。

 世界には 本当は豊かさがふんだんにあり 自分もそれに触れられる
自分もその恩恵を受けることができると思うこと
「ない!」んじゃなくて「ある」んだと、安心するのが大切なのだと
いくつかの本に書いてある。
私はやっと その豊かさに 少し触れ始めたのかもしれない。

 御殿場にある「時の栖」というリゾート施設の
大人専用の温泉施設には豊かな時間が流れてる。
そこには温泉だけでなく 「菜根譚」という名の休憩所があり
寒い廊下の木の階段をタタっと駆け上っていくと
あたたかなストーブや毛布付きのごろ寝どころが待っている。
ストーブの上からはしゅーしゅーと湯気が立ち。
美味しい珈琲をいただいてほっと一休みすることも
毛布の中で本当に眠りにおちている人もいる。
もちろん温泉にはたっぷりとしたお湯があり 富士山も
見れたりするのだけれど 私はこの菜根譚というお休み処が
なんとも好きだ。いつまでもいてもいい そこで本当に寝てもいい。
本を読みたければ読んでいい。目の前には囲炉裏があって
そっと炭を足してもらえる 静かな中にしゅーしゅーと
ストーブの熱の音がする。どこまでも続く時間。
自分が時計さえ気にしなければ 一日ゆっくりすればいい・・・


 世の中には 豊かな時間を教えてくれる場所がある。
それらは一見高そうだけど ゆっくりと時を過ごせば
後日振り返ってみた時に そこでの時間がかけがえのなかったものだと気づく。
2千円の温泉代も800円のコーヒー代も そこでしか
得られない 豊かな時間と 物の見方を少し広くしてくれる
そんな時間を与えてくれる。そんな豊かな場の中心にお茶がある。
そこにお茶を囲む時間はあるのなら、お茶もまた、豊かさの象徴の1つかもしれない。

芸術家とカフェとお茶

2014年02月08日 |  カフェ的な場で考えたこと


「どうして美樹はカフェに行くの?」と不思議そうな目で言われたことがある。
世の中にはお茶をほとんど飲まない人もいる し
全くと言っていい程 カフェに行かない人もいる。

 どうして家でも珈琲やお茶が飲めるのに、わざわざカフェに行くんだろう?
それはまさに命題で カフェの存在意義に関わってくる。
誰しもが簡単に美味しい珈琲を入れられる Nespressoが自宅にあれば
カフェに行く必要なんかない。ない・・・のだろうか?
おそらく多くのカフェはふるいにかけられ、どさっと落ちてしまうだろう。
高いお金をとられるだけで 価値のないお店は多い。
けれどもそれでも残った店は その店の珈琲やお茶の味でなく
そこにしかない何かがあるから 人はつい足を運んでしまう。

 ウィーンにはカフェ・ツェントラールというカフェがある。
そこは19世紀末に青春ウィーン派と呼ばれる作家たちが
グリーンシュタイドルというカフェが閉鎖されてから選んだカフェで
今でも街に存在してる。

 教会を思わせるような高い天井、広々とした店内、
奥にはきらびやかなケーキが並び、真ん中にはグランドピアノが置いてある。
憧れて来てみたものの、私にはどうしてこの店に彼らが集い
丸一日も過ごしていたのか なんだかよくわからなかった。
一杯の珈琲を前にして半ば途方に暮れた私は
やることも特にないので店内をノートに描き始めた。
もう帰ろうか・・・と思ったその時、目の前のピアノに向かって
正装したおじさんがやって来て 生演奏が始まった。
今度は彼を描き始めた。美しい音色が続き いくつか演奏が
終わった後で 彼は私のとこに来た。「これは・・・僕のこと?」
私はドイツ語はわからないけど 身振り手振りでそうだと言った。
彼は微笑み、自分のピアノの席に戻って
「日本の曲だよ」と私に声をかけ
私の知らない日本の曲を演奏してくれた。


 見知らぬ一見の客と お店で演奏している彼と その時間
私たちは知らない人同士であったけど 心が通った そう思う。
そして私は立ち去れなかった。幾度もこの店を出ようとした時
また何かがやってきて けっきょくここが面白いから
まだそこに残ってしまう。それがカフェ だったんだ。
だからきっと 彼らも残った。はじめから1日も居ようと
思っていたわけではないのだろう。だけど立ち去ろうとした
その時に またドアが開いて あ、あの人!がやってくる。
それならもうちょっといようかな まだもうちょっと・・・
そうして時が経ち 気がついたら1日すら経ってしまった
そんな出会いがあったのだろう。

 カフェこそが教養の場であり 出会った人から学んでいった
そんな時代が確かにあった。カフェはそんな場であった。
カフェには面倒くさい人たちがいた。
「カフェ・ツェントラールはウィーンの経度の下では
孤独の子午線の上に位置している。その住人たちは
大部分が人間嫌いと人間好きとの性向が共に同じほど
激しい人たちであり、一人でいたいと欲しながら、仲間をも
必要とする人たちである。」(平田達治『ウィーンのカフェ』p.254)

 一般社会とはなんだか相容れない人たちの 避難所であったカフェ
そんなカフェにはいつだって ちょっと強めの飲み物がある。
フランスのカフェにはエスプレッソ 中国の茶館には濃い中国茶。
自宅で飲むような なんとなく薄めの飲み物ではなく
はっきりと身体の機能の違いを感じる 脳みそがクリアになっていく
精神がさわやかになっていく そんな飲み物が置いてある。

 今になって私は思う。お茶や珈琲を愛した芸術家たちというのは
面倒くさい人たちだったのではないか。気分にどうしようもない
波があったり ちょっと癇癪持ちであったり 普通に生きられる人たちのように
日々穏やかには生きられない。自分ではどうしようもない気持ちの揺らぎ
それを落ち着けていくために 1日に何杯も 珈琲や茶を
飲まずにはいられなかったのではないかと思う。


 他の人のようになりたくっても そうなれない自分がいた。
彼らの真似をしてみても 喜びを感じられなかったのかもしれない。
ウィーンのカフェに集い、のちにパリのカフェにも姿を見せた
作家のシュテファン・ツヴァイクは高校時代にはさんざん
友人たちとカフェに行き、議論も戦わせていたそうだけど
最終的に芸術の世界を諦められなかったのは自分一人で
後は普通に公務員や弁護士などになっていったと述べている。
他の人のようになってみようと思ってもなれない自分。
自分の中にある波に 飲み込まれそうになる自分
それを落ち着けてくれる場所 が カフェであり
それを促すものがお茶や珈琲だったのかもしれない。

 きっといつも 心穏やかに生きられる人は
お茶は必需品ではないのだろう。どこかで無理矢理息を吐く必要がなかったら
カフェに行く必要もないのだろう。フランスの映画を見ても
登場人物の精神がぐらぐら揺れた時 に 彼らはカフェに立ち寄っている。
カフェやお茶 というものは 揺れ幅が大きい人たちにとっての
精神安定剤なのかもしれない。

お茶文化

2014年02月04日 |  カフェ的な場で考えたこと
 ふつふつと、ポットの底から泡がやさしく湧き上がり、
しゅーしゅーと湯気が小さな音をたてている。
湧き続けるお湯から立ちのぼる湯気を眺めていられる時間、なんて贅沢なんだろう。

ティーポットの中にたっぷりと入った茶葉にゆっくりとお湯を注げば
穏やかな時間の始まりだ。


 世界中 沢山の国にお茶文化はあるという。コーヒーとお茶は不思議なもので
同じカフェイン入り飲料だけれど かなり異なる道を進んでいった。
世界の中でお茶は文化や芸術として、それ自体が1つの道や儀式のようになっていった。
イギリスのアフターヌーンティ、日本の茶道、中国の茶藝・・・
お茶にはどうしても優雅な印象がつきまとう。
コーヒーを飲んでいても怒られることはなさそうだけれど
それが一杯のお茶に代わっただけで「あの人ってばまたお茶をして」に
変わってしまう。コーヒーは仕事につきもの、仕事の邪魔というイメージはない。
でもお茶をしながら仕事をするとちょっと白い目でみられるものだ。


 一杯のお茶、立ちのぼる湯気 それをぼーっと眺めていられる幸せな時間。


 台湾に行ってみたいと ずっと前から思っていた。
いざそれが実現可能かもしれないと思い、チケットなどを調べていくうち
私は中国茶のことを何も知らないことに気がついた。
そんな状態で行ってみたって ただのお金の無駄ではないか?
お金持ちなら別だけど ないお金をなんとか削っていくにしたって
10万円くらいかかりそう。それならもっと勉強してから
行った方がいいんじゃない?じゃあそのお金を他のことに
使ってみたらどうだろう、例えばお茶について日本でしっかり学ぶとか・・・


 お茶は好きだけどあまりにも身近にあって
我が家にあるのと似たようなお茶に千円以上払うというのはハードルが高かった。
だけど「お金がない」そんな理由で東京にある沢山の
お茶どころに行ったことがないなんて、それで私はいいのだろうか?
カフェ文化研究家からカフェ・お茶文化研究家になりたいと思った今年。
それならそこにはお金をかけてみてももいいのでは?

 
 そう思って先日横浜の中国茶館に行ってみた。
中国茶が楽しめるお店に行くのは子育て中の身には容易いことではなくて
前回行ったのは確か妊娠中だったように思う。滋賀県にあった
喫茶去という非常に素敵な中国茶館。また行きたい、行きたいと
思っていたけどついに日の目を見ずに滋賀は遠くなってしまった。
けれども私の住んでいる横浜市には中華街があるではないか。
台湾にいったとしても中国語もわからない、し まずは
ここで台湾気分を味わおう・・・。


 中国茶のお店にはゆったりとした空気が流れてる。
木製品が多く、天井も木だからだろうか、なんだか京町屋の
ゆるいカフェを思わせる。中国茶館でもかつて多くの詩人が
試作をしたという。大学院時代に同じ研究室を使っていた先輩は
たしか茶のバイブルと呼ばれる陸羽の「茶経」を研究している人だった。
その隣には中国の雲南省の有名なお茶屋の一人娘という人がいた。
その時も 中国茶の話をあんまり聞いたりもしなかったけど
(聞けばよかった)なんだか面白い人たちがいた場所だったんだなあと思う。


 茶道にアフターヌーンティに中国のお茶文化。ハーブティに
漢方まで含めてみると お茶文化は本当に幅広い。
一日6杯くらいのお茶を飲み お茶がないと生きられない。
そして一日何度だってカフェに行きたい だからこそ
もっと好きなものを追求しよう。東京には外国に行かなくっても
世界のお茶文化に触れられる場所が多そうだ。

 一杯のお茶から始まる優雅な時間
悠久の時を感じていられる中国茶館。それはどうも
私が愛用しているスタバとはまるで雰囲気が違うらしい。
茶館で詩作していた詩人たち。モンパルナスのカフェで詩作していた芸術家達。
その場だからこそ生まれうる、その場だからこそ力をもらえる、
そういう場や刺激というのはあると思う。
もっとそんな場の力を借りて 私もものを書いていたい。


 これからはおすすめのカフェやお茶どころなどを
こちらのホームページにアップしていこうと思います。
よかったらご覧下さい。

クルミドでの学び

2012年06月07日 |  カフェ的な場で考えたこと


 5月の末に急遽最後となったシフトを終えると
「おつかれさまでした!」の言葉とともに笑顔の社員の方と
大きな花束が待っていて 社員の方や影山さんに声をかけてもらいながら
一旦クルミドでのお仕事に区切りをつけて 
急浮上した他の選択肢へと向かうことになってしまった。


 あの夏の本当に辛かった時 ベッドに寝ていた私の身体を
なんとか起こしてくれたのは影山さんだった。
クルミド、、、いいなあ、、、素敵な人たちだなあ。
そう思ってから2週間もたたないうちに
ちょうど影山さんがアルバイト募集の告知をしていて、興味あります!
すぐに手を挙げてみた。大丈夫かな、それはどうかはわからないけど
それでも影山さんという人は 履歴書すら見ることもなく
快く私を受け入れて下さった。そうして私はなんとか起きられた。



 クルミド で 学んだことや見聞きしたことが活きてくるのは
きっとこの先だと思うけど そう ヘミングウェイが言ってたように
「パリを離れていればパリのことが書ける ちょうどミシガンで
パリのことを書いていたように、、、」という感じ で
離れるからこそ書けるものがあるのだろう。
だけど今書けるものもあるわけだから 忘れる前に書いておこう。


 
 私がまずクルミドで驚いたのは 世の中にはお金持ちがいるんだ、、、と
いうことだった。ケーキセットに1000円以上払うことのない私にとって
このお店でのケーキとドリンクに約1200円を払える人たちが驚きだった。
彼女達は長財布の中の沢山のお札の中からスッとお金を差し出して
涼しい顔でお会計を待っている。そんな人たちがいるんだなあ、、、



 それからこの店には常連さんがけっこう多くて
常連さんともなると週に何度か店に足を運ぶわけだけど
だからといって割り引き料金があるわけじゃない。でも別になんということなくお金を
払って下さるわけで そうか、、、こういう店に通える人もいるんだな、、、と驚いた。



 さて そんなお客さんにも少しずつ慣れてくる と
また驚くことが待っていた。ホールに出て接客をすると
私がドリンクを出したりケーキを出したりするたびに
「ありがとうございます」と返されることが多いのだ。
「ありがとうございます」? この人たちはお金を払って
お店に来ているというのに 何かが出されるごとに
たいていはこちらの方を見ながら「ありがとうございます」と言ってくれたりするわけだ。
それって一体どういうこと?さてそれが自分だったら?
自分がカフェに行ってみると軽くお辞儀をすることはあっても
クルミドのお客さんほど声に出して「ありがとうございます」とは言っていない。
それに例えばドトールやエクセしオールでお店の人に向かって
「ありがとうございます」なんて言っている人はまれじゃないのかな。


 ではどうしてここに来る素敵な人たちはそう言うのだろう?
しかもことあるごとに?優しい笑顔で?世の中にはそんな人たちもいるわけだ、、


 そのうち私はマダムたちやクルミドでけっこうなお金を払えるお客さんたちの
振る舞い方に気付いていった。時には自分のことを「わたくし、、、」
と呼ぶマダム。「わたくし」!息子と遊んで使ったことはあったけど
この人はこうやって注文の時に普通に「わたくしは、、」と言うくらいだから
日常的に「わたくし」なのだろう。そして大抵そういった方々は
とっても感じがいいわけで、何かを運ぶ度にお礼を言ってくれたりだとか
お会計の時にちょっとした会話をしてくれたりするし、また
その時にお礼を言われたりもする。


 どうも、、、お金持ちと「ありがとう」や感じがいいというのは
相関関係があるのではなかろうか??お金持ちだから感じがいいの?
それとも、感じがいい人たちが結果としてお金持ちになったのかしら?とにかく
この店に集まるマダムたちは初期の私にはほど遠い世界の人たちだったけど
お陰様でそういう感じのいい人たちに慣れてきたので
今度上野毛のシックなマダム達が集まる場所にいっても特に動じなくなっていた。
とにかく彼女達の振る舞い方には学ぶべきところがありそうなので
もう少し私も真似してみることにしよう。
そしたら私も素敵な生活ができるかも?
値段を気にせず、、そんな生活 いつの日ができたらいいですが。



 さてもう1つ学んだことは焦りは本当に何にもならないということで

 お店にいて混んでくると注文がワーッと入る時がある。そんな時にうわっ大事な
何かがない!という事態になるとどんどん気持ちが焦ってしまう。
そういう気持ちでやっている と 本当になんにもならないどころか
最後は最悪の事態で終わる。それにやっと私は気が付いた。


 頭痛がして身体が熱っぽかった日に それでも行かなきゃ!と思って
電車に乗ってお店のドアを開け なんとかシフトに入った日があった。
確かその日は忙しくってしんどかったけど頭が痛いということに
気付く余裕すらなかったような日だったかと思う。
もうはっきりとは覚えてないけど 私はとにかくその時
頑張らなきゃ!!と思ってて なんとかして注文されたものを作っていたけど
途中で生クリームをたてないといけない事態がやってきた。
えい!もう慣れたしささっとできる、、、となんとかして
やろうとしていた矢先 クリームがきちんとたって
泡立て器をとめようとした時に おそらく手の力がいつもより
なくなっていたのだろう 手がすべり 器械はいくばくか回転し
そこについていた生クリームがスローモーションで宙を舞った。



 ハッとして器械を止めると、止まった時には目の前が大変なことになっていた。
これじゃデザートどころじゃない、、、


 謝りながらなんとかデザートを作り終え、方々に飛び散った生クリームを
発見しながら拭きおわる と 注文の波は落ち着いていた。時計を目にすると5時。
私のシフトは6時までだったと思う。でも疲れ果てた私を見かねて
社員の方が「飯田さん 今日一時間早く上がりましょうか」と
優しい言葉をかけてくれた。ドッと疲れた私はお言葉に甘え
疲れきった身体とやるせない気持ちを抱え、蛍光灯のまぶしい電車に乗ることになる。



 この生クリーム事件は私にとっては衝撃的すぎた。
焦りって 何も生まないどころか最後にはこんな結果で終わるんだ、、、
焦りは何も生み出さない。それどころかよりひどくなる
目の前でスローモーションで生クリームが飛び散った時
私の中で何かが終わった。私の中にあった何かもオーブンや壁に飛びちった。


 こんなんじゃだめだ、、、、


 こんなんじゃだめだ。


 もう焦る人生はもうやめにしたい。 



 そう 心底思っていた時に 

 これまでのリズムとはなんだか違う時間の流れが訪れた。 それが上野毛での出来事だった。


 「焦ったら負け」と私を支えてくれた三条スタパのお姉さんは教えてくれた。
それはカメラマン時代の私のおまじないのようになっていた。でもどうして
焦ったらいけないのかは あまりよくはわからなかった。
だけどクルミドでのいろんな出来事を経験した後
焦りって本当にだめなんだなあ、、、というのが自分の身体でよーくわかった。
沢山の人に「あんたの人生焦り過ぎ!」と言われて来たけどわからなかった。
もう焦るのはやめにしよう もっとゆったり生きてみよう。
走るのではなく目の前の木々や風や花々の心地よさに
もう少し目を向けられる そんな気持ちを持って生きよう。


 焦らないことの大切さ 準備することの大切さ
本当によく教わりました。クルミドのみなさん
本当にありがとうございました。そしてこれからも違った形で関わらせてもらいたいです!





本来の自分を活かせる社会

2012年03月25日 |  カフェ的な場で考えたこと


 今日は今期最後の体操教室に行って来て
見学に来たという女性とペアになって彼女のことを
マッサージしたら驚いた。ずいぶん身体が固いなあ。
「けっこうこってますねえ、、、 マッサージとか
あんまりされる機会ないんですか?」
「そうですねえ こういうのも興味あるんですけど
疲れてたらご飯食べてもう寝ちゃう!っていうのが多くて
自分の身体は後回しなんですよね、、、」


 そんな彼女は今度私の足を揉む番になったとき
何度も何度も驚いていた。「何この足!!めちゃ柔らかい!
耳たぶみたいなんですけど!足って固いもんじゃないんですか?」
「あー毎日マッサージしているからかもしれないですねえ、、」


 話をすると彼女も5歳児の母らしく なんだか
典型的な感じで 彼女は自分のことは後回し で
家族やら仕事に関することをいろいろやって
「こんな教室これたらいいけど、そんなの贅沢かなあ」という感じ。
そんな彼女に私はちょっと言ってみた。
「でも自分の身体が変わったら きっといろんなことが変化しますよ!」


 ひょんなことから通うことになったこの教室は
誰もがびっくりしてしまうような変な教室なのだけど
今まで通ったヨガやらの中で一番気持ちがよくて効果があって
何故かというと 先生は身体と心のつながりを考えていて
ガチガチに凝り固まった心を心から変えるのは難しいけど
身体をほぐすことで心もほぐしていくことができるいう考えでやっているからで
1時間半の体操のあと スッキリとした身体になっている自分は
心もなんだか軽くなり ああそうなんだ 自分を大事にするって
こんなにも大切なことだったんだ とはじめて知った。


 自分の身体を触ること 自分の身体をいたわってあげること
どこがしんどくてどこが詰まっているのか意識すること
どうしたらもっと楽になれるのか なるべく気持ちのいいことをして
身体をほぐしていくと 凝り固まって抱え込んでた自分がどんどん
変化していき 自分の中のエネルギーを感じてうわあと驚くこともある。


 今日は最後の教室なので、先生は「気持ちいいことをすればいいのよ
気持ちいいことだけすればいいの!そんなのあり?って思ってても
ありなのよ その方がいいの!」と訴えていた。半年前は先生の言ってることが
半分わからなかったけど 今ならだいぶわかる気がする。
たぶん前述の彼女の場合は「そんなこと言ったって!」と思うだろう
普通の日本社会で生きてる人は自己犠牲が当たり前な中で生きている。
自分なんてどうでもいい それに加えて内在された他人の目で
いろんなことを決めている。でも自分は?何のために生まれてきたの?
何を喜びとしているの?自分がすごく楽しいことで人が喜んでくれ
それでお金まで払ってくれたらこんなに嬉しいことはない。

 先生は今日みんなの前で「ありがとう」じゃなくて「ごめんねえ!」と
笑いながら言っていた。「私何にもしてなくて!みんなにいつも助けられてね!」
でもそんな先生の教室の威力はすごい。だからみんなが続けたくなり
先生はそれで生きていける。あんな笑顔で楽しそうにやられてしかも自分が
気持ちいいなら そりゃ他のヨガや整体に同じお金を払うなら こっちに行きたくなるだろう。

 私も最近フランス語を教えてお金をもらえるようになり
こんなありがたいことってないなあ 嬉しいなあ!と思ってる。
もしお金を払ってくれてる人も満足してくれているなら これほどうれしいことはない。
自分を活かして 好きなことをして 誰かが喜びお金まで払ってくれる
それは自己犠牲で何かをするより何倍も得るものがあると思う。
自分の本当の気持ちを知ること 好きで得意でいつまでもやってられることを
もっと活かしていけること 子供のころに持っていたはずの
きらきらした笑顔をもう一度とりもどすこと その熱中が
誰かの役に立って行くこと そんな風になったなら
だれだってもっとやる気になって頑張れる。

 そんなwin winな社会はないのだろうか 私にはそれがありうる気がする
自分がまず気持ちよくなり 自分の気持と身体をほぐすこと
固定観念でガチガチになって身動きとれなくならないこと
子供のようなしなやかさをとりもどすこと
やっぱりこれからの時代 子供から学べることってすごく大きいんじゃないかと思う。
先生と蓮太郎はすごく似ている。満面の笑顔で生きる。
思いっきり生きてみる。なかなかできなかったけど 
真似するとこからやってみよう。

本当の国際交流

2012年03月24日 |  カフェ的な場で考えたこと



 「住んでみたい と思ったのは 旅行で何回が行ってはみても
日本に帰ると何事もなかったかのように日常に戻ってしまうから。
住んだら自分の中に何かが刻印されて日常も変わるのかな と 思ってね」と
2001年の8月に 留学でパリにやってきた私は泊まっていたユースで出会った
日本人の女の子たちに語ってた。

 「確かにそうですよねえ 私もアジアとか行って感動して帰って来ても
2週間くらいするともう日本の日常に戻ってて、、」そう話してくれた
彼女たち は 何日かして日本へ帰った。もうパリなんて 忘れてしまった
かもしれない。「刻印」をうけるために住むことにした私はやたらと
深い刻印を押されてしまって日本に帰ってからの世界はかつて目にしてた
世界とはだいぶ変わって見えたけど それでもあの時の1年間は
あんまりものを 見てはいなかった。たとえパリに住んでても。


 「海外に行ったところで人は結局もとの物の見方の方が勝ってしまうから
例えガイドに何か変わったことが書いてあっても「そんなはずない」と
思ってしまい 結局そういう目で物事をみてしまう」とパリのツアーで
感銘を受けてくれ、また一緒にツアーを企画しようと言ってた人が
話してくれた。ああだから 私が例えパリに住んでも
チーズは知ってるものしか買わない、見たこともないオレンジ色のや
灰色の大きなチーズ それにマルシェにいっても「???」という
ものには手が出ないのか。あの頃はワインだって友達の家で出された
安くておいしくないものか飲んでなかった。だからフランスのワインは
美味しいということを知らないままで終わってしまった。


 そんな風に 例え海外にいったところで自分の元々の物の見方は強い。
見たいもの 見えるものしかみていない のが 人間というものらしい。
ところがそこに水先案内人が居たのなら?「フランスに来たんだ。
このワインと靴下の匂いのチーズを食べてから帰りなさい!」と
宿にワインとチーズを持って来てくれたフランス人。たくさんのものを
découvrir(デクヴリール 発見する フランス人が好きな言葉。
まさに目隠しされてた覆いを取るということですね)させてくれた
フランス人たち。彼らのお陰で私は知らなかった本当のフランスを
学んで行った。なんだ こんなにも美味しいものが存在してたのか!
こんなにも素敵な暮らしが本当にあったのか 「そんなの嘘!」と思ってた
フランスのイメージは実在していた。だけどそれは
たった一人で寂しく留学生をして外国人とつるんでいても
決して見られないものだった。そこにはその国をよく知っている
水先案内人が必要なんだ。それは京都観光でもそうだと思う。


 本当のその国やそこでのあり方を 誰かが案内してくれたなら
そこにはdécouvrirが起こるしショックを受ける。見ているようで見たいものしか
見ていなかった目は自分の固定観念という覆いをとって
「こんなのもありなのか!!」と違う何かを見させてくれる。
そういえば私が「そうだ!カフェだ!」とインスピレーションを受けたのは
アムステルダムで活動家たちが集うという、かっこいいベジタリアンなカフェに
連れて行ってもらった後のことだけど、それはオランダ在住の知人が
いろんなところに連れて行ってくれたから。そうして観光では
行くような場所ではなかった 彼らのライフスタイルに密着している
カフェを見させてもらって度肝を抜かれたというわけだ。

 そうして私たちは揺らぎ始める こんなの、、、ありなの?
こんなの、、、あったらいいなあ?あったっていいはずじゃない?
どうしてそれが可能なんだろう?どうやったらできるんだろう?
彼らにそれができるのだったら 私にもできないはずはない、、、


 そうして肌で何かに触れてしまうと 私たちは変わり始める。
いくら本や映画や講演会で何かを言われても「そーんなの
あんたが特殊だからでしょ!私には無理!」で終わっていたものが
実際に肌で触れ、しかも目の前の人もどうも自分とたいして変わらない
同じ人間なのだと(まさにカフェみたいなところで飲食をともにして)
感じてしまうと どうして自分にはできないのかと不思議に思ってしまうだろう


 同じ人間なのに、、、な


 そう 同じ人間なんだから。


 そこですごい揺らぎが生じて しかもそれがグループ単位だと
彼らが自分の場所に戻った時に 一人じゃないから共有したイメージをもとに
何かをすっと変えて行ける。そこでは一人きりで物をみてきてガツンと
衝撃を受けた人が抱いてしまう孤独感は存在しない。むしろ一緒に
前にすすめる。それがグループの強さだろう。


 本当の国際交流っていうのは そういうことじゃないのだろうか。
日本で茶道を経験してみて「あー正座ってなんて大変なの!かたっくるしいわ
一杯のお茶飲むためにこれ?」と思うフランス人。そしてもてなした側の
日本人は「なんだよちょっとくらい我慢しろよ!」と思って終わる。
それが真の国際交流?歌舞伎とか民謡みてればそれでいいの?
それよりも何かにドーンとショックを受けて じゃあ自分の立場では何ができるか
それがいいならどう取り込むか そうやって受け入れること
お互いにいい面を学び合うこと 表面を触って知ったかぶりになるんじゃなくって
そんな心と心が打たれ合う経験の機会 もっと作り出してみたいなあ

giveの思想とtakeの思想

2012年03月20日 |  カフェ的な場で考えたこと


 「せっかくだから一緒にモーニング行ってみよっか」
ということで お世話になった友人と 朝から京都の喫茶店。
候補地は2コあったけど、はじめに店の前を通ったパンケーキの
有名な町屋カフェ で モーニングをすることにした。


 前日の夜はうまく話せなかったのに その日の朝は
カフェの開放感のおかげかなんだか話がノリにのり、
なんて素晴らしい議論!というのができて京都に来た甲斐を感じてた。


 沢山の話をしていた中で ふっと思い出したのは
広尾のセガフレードに居た時影山さんが話してくれた 
giveの思想とtakeの思想の話であった。


 今の社会はほとんどtakeの思想をもとに作られている。例えばカフェだと
この時間にお客さんが来たらいったいいくらお金がとれるか
一人が何時間居るとして じゃあ値段設定はどうしようか
原価率を考えて利益を生み出すためには どんな値段にすればいいのか
つまり「一人当たりいかにとれるか」という思想で成り立っている。
それが今の 当たり前な社会というわけなのだけど

giveというのは 時計の針の回転の仕方を逆方向にするようなもので
takeが不安に基づく思想であるなら giveは信頼に基づく思想?
これだけのものを与えれば、お客さんは喜んで、実はこちらが
考えていたよりも多くのものを支払ってくれるかもしれない。
例え値段が高く設定されていなくても 「これだけの空間で
この値段なんて!」と嬉しくなって誰かに伝えてくれるかもしれないし
お土産にお菓子を買ってくれるかもしれない。



 うちの息子は どうしてこんなに毎日幸せで楽しそうなんだろう、、、と
様々な不安を抱えてはよく泣きそうになっている母は彼を見て考えた。
そして疑問を投げかける。「なんで蓮太郎っていつもそんなに楽しそうなの?」
いつか素敵な「なるほど!!」という答えが返ってくるのを期待しながら。
今回は彼はこう言った。「おもちゃがあるから。カーズとか
ママもフィンマックミサイルのトミカ買ったらいいんじゃない?」
「そうかーママもおもちゃがあったらいいのかー」

 そんなことを言いながら 息子は母と置かれている星の下は同じであっても
別に明日の心配みたいなものを全くしていないからいいのかな と思わされ
心配や悩みがなければ 今しかなくて こんな風に笑えるのかなと考えた。


 もちろん人間が狩猟とか農業だとかを行ったりたくさんの発明をしたのは
「明日食えるのか」という心配ごとがあったから で それは悪いことじゃない。
だけどもう少し 心配事や不安が少なかったなら?
「明日住む家がなかったらどうしよう」と不安を抱えながら生きるのではなくて
「住む家もある 暮らして行くのに足りるお金も充分にあるし楽しめる」と
思っていたら そりゃあ気持ちやそれに伴う行動も ずいぶんと変わることだろう。


 頭の中の半分くらいがつい「心配」になってしまうのは
1つだけの道を踏み外してしまった人にとっては 特に東京みたいな場所では
生きてく術がないからで その恐ろしさといったら半端ない。
だから自分のやりたいことをもう少ししたいと思ってみても
この選択肢のない中で「そんなの無理!」としか思えない。
そして不安がもっと増大していき 人々は守りに入る。
まず家を買わなきゃ そのためにはいい企業に入って35年ローンを払って
夢なんてもうどうでもいいから お金の支払いをしなければ、、、


 不安は不安を増大させる。そして人々が不安になったら?
誰が特をするのかって それはだいたい物を売る側だ。
不安で頭がおかしくなりそうな時「これさえあれば!」と
思わせておけば彼らはそれを買いに走る。それが100万の壷であっても
1万円の化粧品だとしても それらが恐ろしい不安から守ってくれるなら
少しでも幸せになるために 人びとはポーンとお金を払える
だって不安に満ちた生活は本当に苦痛に満ちているから。


 だけどもし そうじゃないあり方があったなら?
信頼は人を元気にさせて 才能を伸ばしてくれる。
そこにお金がつくのなら?そのスピードは倍増される。
キャトルセゾンの社長さんが私にコラムの執筆をお願いしてくれた時
私はあることに気がついた。なんだ才能なんて関係ないんだ。
それよりむしろ信頼なんだ。そこでだれかが「わかった あなたに
任せましょう。」と言ってくれたとき しかもそこにお金が関わる時に
人はそれに応える自分になれるように必死に伸びて行こうとする。
あの人の信頼に添えるように 私に任せてくれたんだから。
そうしてく中でその人の才能の芽がどんどん開花されていく。
何度も壁にぶちあたり、何度もダメだしされてく中で。



 思えばパリのカフェツアーもコラムの執筆もパリビストロの
仕事も全ては「信頼」が先に立っていた。それらはgiveの
発想だった。それは「私に十分な才能があるから」ではなくて
だれかが「きっとやってくれるだろう」と信頼してくれたお陰で
結果として形になったものだった。giveの思想にはリスクが伴う
もしかして うまくいかないかもしれない。だけどそこに
賭けてみる。自分の判断や信頼というのに賭けて何かをまず与えてみた時
沢山のものごとは 今までの社会のものの見方と全然違った方向に
回転をしていくのかも。


 giveの社会とtakeの社会。どちらもこわいしリスクは伴う。
でもgiveはリスクをとる方で takeの社会はリスクを避けて
保身に走る方かもしれない。giveの方には神様や人、そして自分の
やろうとすることに対する信頼感があるのかも。
固定観念にがんじがらめな方よりも 私はgiveの社会に
きっと魅力を感じてる。不安にがんじがらめにならないで
ちょっとずつでもコトを起こすこと もしかしてもっと幸せな未来が
giveの社会にはあるのかも。

場の揺らぎ

2011年08月20日 |  カフェ的な場で考えたこと



 昨日と今日は『シンクロニシティ』にはまりながら
いろんなことを考えて ああそうか と納得がいったことの
ひとつに場が揺らぐことがある。

 
 正確に そのことについてどこに記述してあったのか
何故だか付箋が貼られてないから 引用はできないけれど
この本の著者はあるとき何かが共鳴するような瞬間に
「場」というものがぐらりと揺らいで まるで
スローモーションのように目の前の世界がみえる
不思議な瞬間があるという。そのときそこにいる人たちの
意識のレベルは上の方にいっていて 普段とは全然
違う状態にあるらしい。そのとき彼らはつながりを感じてて
分断された個人というのは違う感覚でいるらしい。


 さて、思えば 私は著書でも書いてみたけど
カフェから何かが起こってしまったことがあった
そう それは私の場合は半分くらいはカフェという場で
あとはエコリーグに関わっている場で起こったといえるだろう。


 どうしてあのとき? 私は「風が吹いた」と表現をした。
そう はっきりいって 私には 何が起こったのかもわからなかった
ただ まるでビフォーアフターみたいに その前と後では
人々の表情もやる気も全く変わって 「何かが起こった」
それだけはよくわかってた。おそらくこの本を読んでみて
かつて私がよく「すごい」と言われていたのは
本人にはわからなかったけど 何かを追求する者が
その時に放っているという独特の力を発揮していたのだろう。


 それなのに私はその時何が起こったか 明確に覚えていなかった
それをいけないことだと思っていたけど どうも本によると
そうではなくて その時の意識レベルは違う世界に移ってて
それは明確に、思考によって認識されるものとはなんだか
ちょっと違うらしい そう例えば 画家が一心不乱に
絵を描いて 描いたあと で その絵を眺めてみるように?


 私はそういう「風」を起こすのが 揺らぎを起こしてしまうのが
得意なタイプだったから だから先日 西国分寺のカフェの人と
パリのカフェガイドの話が出た時 その人がその話を切りだす前に
昔よく誰かが私に見せてくれた様な独特の嬉しそうな表情を
してくれたとき 私はなんだかピンときた。何かが起こる。
ワクワクする 何事か、が、、、 そうしてもう 止まらなかった。
だってワクワクしたんだもん。それに乗るのは けっこう
勇気がいるのだけれど。


 そんなわけのわからない興奮状態みたいなの は
ものごとをグワンと動かして そう そう考えると
エコリーグの存続の危機の時、わけもわからず
「私がエコリーグやります!」と言って目の前の人たちの
様子がぐわっと変わってしまったときもそうだし
名古屋でエコリーグの中日本が解散すると聞いた時
私が全国ギャザリングをやります!と言った時 に
何故かそこに居た人たちの多くは感銘を受けてくれ
多くの人たちがそのままスタッフになってくれた。
2004年のレボリューションキャンプをやろうと
していた時だって かなり具体的になった企画を
エコリーグのギャザリングの自主企画で発表し
そこに来ていた人たちのほとんどがスタッフになり
実際にやることになってしまった。
それにOB向けの企画をすることになった時も
私は半分泣きながら なんとかしようと訴えて
ギャザリングのカフェから何かが変わっていった。


 そう そんな全ての場 では 場が揺らいでて
そこにいた人たちの多くが共感してくれ そのまま
最後まで巻き込まれていってくれた そんなことが
よくあった。そう考えると 今の私に足りないものは
より明確な想いとそれを具体的にした形というのと
そしてそれを手伝ってくれる 仲間の存在なのかもしれない。


 いつからか 私は一人になってしまって
仲間と一緒に何かをするのは諦めていた
いつからか どうせ誰もわかってくれないと
思うようになってしまった それは私がカフェだとか
パリだとか かつて一緒にやってた人には
なんだかなかなかピンとこないような 変わった世界に
ひかれてしまって それを説得できるような
言葉を持たないからかもしれないけれど。


 一心に何かをやると 場も人も どんどん動いていくのだろう
誰かのためや 自分のため、というよりも これだ、
これがこの世界に必要なんだと思うもの それを
やっていくことで 何かが動いて行くのだろう
今の私は?「環境活動」というよりは どちらかというと
人と出会えるカフェがあること インフォーマルパブリックライフの
ある暮らし?そしてやっぱり パリにもまだまだ
思い入れはあるようだけど。


 もう少し で何かはクリアになってくだろうか
そしたら一心に力を発揮して動けるようになるのだろうか
カフェ?でもカフェなだけじゃない 何かがもっと
ピンと来たなら もう少し進めるように思うのだけど。

フランスに行くなら

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