alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

さよなら三条

2008年11月15日 | パリのカフェ的空間で


 この2日間久々に体調を本気で崩し
寝たきりの生活になってしまっていたけれど
そういうわけにもいってられずに動いてた のは
今日で引っ越しするからだ。


 洛西の家が見つかってから3週間で
本当に入居することになり あっと言う間に
何もできずに 本当にこことはおわかれ
今度は業者に頼むから いつも通りの生活のまま
ほんとにここを去るのだろうかと
実感はわかないままでいるけれど。


 引っ越し前日の昨日もずっと寝込んでたけど
4時をすぎ いろんなところが閉まる時間に
ようやく起き出し あれとこれとあれしなきゃ!!と
重い身体をひきずってみる。まずは目の前の児童館に
ゴミ袋をもらいに行って、、、


 大学院時代はひたすらうるさいなー!と思ってた
目の前の保育園の敷地に入って児童館の扉をたたくと
そこはなんだか暖かくって 子供が生まれておむつ用の
ゴミ袋をもらいにきてみた私に今更ながら
乳幼児用のサークルの話をしてくれる。

 な なんだ、、、 こんなところにあったんだ、、、
今迄ずっとママ友欲しいと思ってたけど こんな目の前の
この場所に、、、 係の人は暖かくって なんだか切ない。
「ありがとうございます」と笑顔でかえしてみたものの
実際のところ明日で引っ越しするわけで
もっとはやく気付けば良かった ちょっとそれに切なくなる。


 ブックオフで本を売ってから信号をこえて
郵便局に立ち寄って いつもの係の人に転居届を出してみる。
その人のことは私は知っているけれど 係の人は
私のことなど知らないだろう そんなことを思いながら
三条大橋郵便局という 歴史あるけど とても小さい
この局のかつての写真を眺めていると「遠くにいかはるんですか」と
言われてしまう 「そうなんです 西京区の方に、、、」
「もうこちらには来られないんですか、、、」
「そうですねえ 遠くなりますねえ あ でも三条だから
来るんじゃないですか!?」なんて言ってはみたものの
郵便局には来ないだろう。


 郵便局にも沢山のドラマがあって 風景印を押してもらったり
結婚式の招待状を大量に投函したり(たしかそれ全部に
風景印を押してもらった) 結婚式が終ったら 今度は
結婚しましたハガキを全部送って 気がつけば私のお腹は
大きくなってて ある日赤子を連れて来て 彼用の
新しい口座をつくる そんな私のドラマがあって
誰も知らない 誰もみてないと思ってたけど
きっとあそこの係の人は ちゃんと見ていた
だから声をかけてくれたと 最後の最後にようやく知った。


 そうして最後に鴨川を いつも通った鴨川を
親子みんなで眺めたくって この日ばかりは早く
帰って来てくれた げんきくんとれんちゃんとで
三条の川辺にちょっとたたずむ あーこの音も
もう聞けなくなるんだなー バカなことをいっぱいしたなあ
ここで夕飯を食べた事も 早稲田の校歌を歌った事も
寝そべったことも いろいろあって 妊娠中には
散々歩いた。だから堪能したって言えるだろう。
王将もミンミンも 歌舞練場も川床にだって行ったしな
もう思い残すことはない。


 けれどもあそこのあの光

 たくさんの人が集ってるあの光 あそこにはちょっと行ってみたい
橋を超えるのはしんどいけれど それでもスタバが気にかかる。
「ちょっとお茶 したいねえ、、、」
金曜の夕方に どうみても人で埋まってる三条スタバに
席なんてあるわけがない。けれどもいってみようかと
なんだかそんな話になって 三人で扉をあけるとやっぱり満員。
知合いの店員さんはいるけれど まあいいや明日来ようと
気恥ずかしいし もう帰ろうと思うけど 
げんきくんは立ち去らなくって「早く行こうよ」と
言ってはみても 物販をじっとみていて動かない。
そこですかさずいつもの男の店員さんが
「お席をお探しですか?」と声をかける。やるなこの人、、、
「ええ でもありますか?」
「奥なら1つあいてます」


 ありゃ本当?そういうわけで込み合った夕暮れスタバで
お茶になる。もういいやココアとか飲んじゃおう。
ちょうどこの日は一番話した店員さんも居てくれて
「お久しぶりです!!」と言われた直後に
「私明日引っ越しなんです!!」「え えええ!?」

 この人がいてくれたから 私はとっても長居ができて
ここでずっと論文を書き 本を執筆できたわけで
最後の最後に彼女に本を手渡したいと思っていたけど
彼女は明日はいないらしい。朝行こうと思ってたのに、、
どうしよう と思ってみたけど ここは近いから
もう最後だから がんばって帰ってみよう!
ゲンキ君とれんちゃんをスタバに残して急いで本を
とりにかえって 店員さんに本を手渡す。
何がなんだか よくわからないと思うけど
いつか読んでみてほしい せめて私がささっと書いた
ありがとうの言葉だけでも 読んでみてほしいなあ
三条に来てよかったことは ここのスタバに出会えたことで
辛い事も沢山だけど このスタバだけは正解だった。
それが私のよかったことだ。
「またいらしてくださいね!!」という
心のこもったその一言が どんなに嬉しいことだろう。
今度からは ここのカフェも 一人で使うだけじゃなく
待ち合わせに使ってみよう。また別の使い方で
少しでもここに来れたらいい。


 最後の最後の最後だけども 私にとっての三条は
こんなローカルエリアであって 生活圏なわけだったけど
そんなに悪くはなかったかなあ
スタバがあって ありがたかった。今日は最後に行けるだろうか
またいつか あの店からこの家を 眺める日が来るのだろうか
さよなら三条 さよなら我が家 喜怒哀楽の沢山の想い出のある
ここのおうちも今日でおしまい。
本当にありがとう。

カフェと子育て

2008年11月12日 | 私の人生


 最近なんだか カフェと子育てはどこか似ている
そう思うことが多くなる。

 カフェをするのと子育てと まず一番の共通点は
逃れられない そういうことで お客さんがそこに来たら
子供がそこで泣いたら 逃れられることはなく
子供とちょっと離れてみても カフェからちょっと離れてみても
自分はいつも気にしてしまって 結局離れらなくて。

 それからちょっと似ているとこは
逃れられない そういうけれども カウンターで仕事をしたり
ちょっと洗濯するからねとか お皿洗うねといってみて
ちょこっとばかし視線を離して ちょこちょこどこかに
逃げてみる そういうところも似てるみたい。


 今日カフェをやってる人と話をしてて気付いた点は
カフェも子育ても大変だけど 逃れられず
自分の自由やしたいことは そんなにできない気がするけれど
途中でやめたら 自分の我を通そうとして
そちらを選択してしまったら そのときはちょっとほっとしても
その先ずっと後悔をして その先ずっと想い続ける
そんなところも似ている様な どうしてこんなに似てるんだろう。


 それは人と向き合うからなのか ダイレクトな
関係性を持つからなのか なんでなのだか
なんだか似ている そう思う。


 昨日なんだか淋しくなって 最近やたらと思い出す
cafe lunatiqueの日記を読んで なーんでこんなに幸せだったのに
わたしはやめてしまったのかと どうしていつから
あんなことになったのだろうと思ったけれど
「わたしはこんなにやってるのに」とか そんな我が
ふつふつ主張をはじめたころから きっと何かが狂うのだろう。


 子育てを経験してみて 女性が我を通さぬことが
すごく大事な気がしてしまって「本当はあれもできたのに」とか
そんな想いを捨てちゃうことで いつか手にするものもあると
そんな気がなんだかしてきて ずいぶん私も変わったものだ。

 とある宗教団体で 主婦の人達が「私が自分の我を通して
家庭を顧みなかったばっかりに!」と本気で懺悔して
家庭を大事にすることの大切さに気づくという話を聞いた。
そんな話をきいたときには 信じがたいと思ってたけど
この1年でわたしも変わって 本気でそう反省している人達の
そんな気持ちもなんだかわかる。


 素晴らしい場をつくった人が その場をある時やめるのは
場作りだけに専念できずに 自分が持ってた他の可能性を
つい試したくなるからだろう。けれどもみんな
私の知ってる人達は わたしも含め ずっとそれを後悔したり
またやりたいと思ったり けれども今度は
そんな簡単には手に入るわけもなく あの時が
本当に貴重で はかない時であったのだ と
後になって知る訳で


 「こんなはずじゃなかったのに」とか
「自分はもっとできるはず!」と そんな選択をしてみた人の
その後はどんななのだろう。 私の場合は 本を書いてはみたものの
「やっぱりカフェが向いてたよねー」と思ってみたり
けれどもやめたわけだから やめた理由もあるわけだから
とりあえず 進んでみようと思うけど


 大変さがある中には 大変だからこその充実感もあるわけで
大変だからとやめてみた ら ぽっかり淋しくなるだけで
存在意義も感じられずに 空しく過ごしたりもして
今は子育てがあるけれど おかげで笑っていられるけれど
もう後悔をしないよう 二度と帰らぬこの時間を
ちゃんと大事にしないとな。

しあわせ

2008年11月10日 | 私の人生


 先日ついに 待ちに待ってた友達の結婚式がやってきて
ど ど どうしよう れんちゃんを どうしたらいいんだろうと
招待状をもらったときから思い悩んでいたけれど
色んな事を考えた末 京都から日帰りで参加させてもらうことにした。

 実家に例え帰ったところで 片道1時間半くらいしか
違わないし 会場は東京駅からすぐみたいだし
のぞみにのれば大丈夫 そうたかをくくってはみたけれど
最近めっきりミルクを離れたれんちゃんが
ミルクを飲んでくれるのだろうか?それが一番心配だった。


 たくさんのことを考慮した末 新幹線の指定券も変更にして
結局のところ朝8時前に家をでて 夜8時ごろに帰って来る、と
12時間の行程になる。さすがにそれは 彼がうまれてはじめてで
これまで最高で5時間だから 本当に気が気じゃなくて
このところ わたしの冷凍おっぱいさえもイヤイヤをする
味にうるさいれんちゃんが 本当にミルクを飲むのだろうか、、、
それがとっても心配だった。

 とはいえ大事な大事な友人の式だから 何があっても
行かない訳にはいかなくて まわりの人も
このときばかりは楽しんで来てね!と励ましてくれ
れんちゃんには 2週間前から「ミルクを飲んでね!!」と
言い聞かせ 万全の体制のつもりで家を出た。


 どうなるんだろう 沢山の思いがなんだかありすぎて
前日もうまく寝付けず 新幹線でも寝れなくて
そうこうするうちあの東京にやってきて
かつて見なれた かつての記憶をたよりに有楽町を
ずんずんずんずん進んで行って ホテルに入って
着替えを済ませ あっという間に時間になって
式がはじまり 級友に会い 披露宴が始まって、、、
華やかな時が過ぎてった。


 すごく綺麗なドレス姿の友人をみて
級友達と談笑し 披露宴が始まる中で
わたしの身体もついに限界がきたようで
すっかり母になったわたしの身体は
おっぱいの生産をやめることなく 
これまでで一番苦しいくらい どんどん大きくなってゆく
まるで爆弾みたいになって 本当に苦しくて
その後は何度も何度もおっぱいを搾り
しぼっては捨ての連続だった。


 披露宴が終った後で 久々の友達たちと
少しは話がしたかったから ちょっと遅めの電車にしたけど
家で待ってる旦那さんに電話をすると「ミルクもおっぱいも
全然飲まない」とのことで 意地をはっては泣きまくってる
れんちゃんの姿が浮かんで気が気じゃない。
一本でも速い電車で!そう思うけど
変更の仕方もわからず 仕方ないから予定通りに
新幹線に乗ってみてはまたおっぱいをしぼるの繰り返し。


 終ってみれば あっという間に時は過ぎ
タクシーに乗った頃には京都の街が見えていて
ちょっとたったらもう家で 本当に私は東京のあの場に
いたのだろうか?と不思議に思う。

 そうしてドアをあけてみつけたれんちゃんの顔!
はじめはちょっとかたくなで だけど少ししたら
お母さん!!と喜び始めて わたしも彼も
すごい勢いでおっぱいになる。こうして二人は
待っていて こうして二人は結ばれていた
ああそうか おっぱいがまだある間は
二人は一心同体で 離れられない そういう風に出来ているんだ
急いでおっぱいをあげた後 たくさん沢山遊んでいたら
れんちゃんは本当に幸せそうで わたしも本当に笑顔になって
あーなんだ 今日一日で 一番の笑顔はれんちゃんといる時で
そっかもう 違うステージにいったんだ。
友達とも会えたけれども 独身の人と最近なんだか話も合わず
淋しいなーと思っていたけど 子育ては大変なことばかりだとも
思っていたけど わたしにとっての幸せは
こんなところにあったんだ!
れんちゃんとこうしていることが
今の私は ママとしての幸せが 一番の幸せなんだ
もう離れちゃいけないんだな

そんなことに気付かされる。


 身体も暮らしもとっくの昔にママモードになっていたけど
精神だけが 頭だけ が まだ切替ができなくて
独身時代のいろんなことを引きずってみていたけれど
ママ歴も4ヶ月目になってきて やっと心が切り替えられた

しあわせって これなんだ。

 私一人じゃ こんなに笑ったことはない。
本当に ありがたいんだ。結婚って何なんだろうと思っていたけど
子育てって大変だーと思っていたけど
だけどそこにはすごく大きな幸せがある。
だからたまにおばさんたちが「はよ結婚しなさい!」というのかな。


 二人でいるのも幸せだった。ご飯を一緒に食べるだけで
隣に人がいるだけで 幸せなことがあったよな。
今はれんちゃんが真ん中にいて 無償の愛で笑ってくれて
わたしも一緒に笑っていられて これを幸せというんだな
どうやら私は 本当に次のステージに移ってたようで
そんなことに 気付かされた 大事な友の結婚式。 

さよなら左京区

2008年11月01日 | 私の人生

 かつて最初で最後の左京区特集?と書かれていた
エルマガジンが再び左京区を特集したのは
つい最近 私がはじめて洛西に足を踏み入れた時だった。

 いいかげん引っ越さないと 引っ越し先を決めるために
絶対嫌だーともがきつづけていた 彼の職場の近くへと
ようやくみんなで向かった時に そこの本屋で見た特集が
京都の左京区特集だった。 ちょうどその日にわたしたちは
やっぱり洛西に住んでみようと なぜだか意見が一致して
思い立って見た住宅に かなりいいのが存在していて
ほんならこれに決めてしまおう!ととんとん拍子で話が進む
そしてついに 引っ越す事になったのだ。


 「スピード入居」というその名のものに
手続きはバッと進んで なんともう2週間後には引っ越しだ。
世界の平和はまず家庭から その言葉を重くかみしめ
家庭の平和に貢献しようと わたしも随分変わったものだ。


 けれどもそうはいってみたって 自由な私は
人生のステージが変わったものの まだちょっともがきつづけてる
バカなわたしは 左京区にだって想いがあって
ちょっと切ない けっこう淋しい そういえば 京都にきてから
ずっと左京区にいたんだな。


 左京区に住み 左京区で彼と一緒に暮らし
左京区で結婚をして 左京区で子供が宿って
左京区で子供を産んで わたしもけっこう左京カー?
とはいえ住んでいたときは 左京区なんて意識もせずに
ずっと暮らしていたけれど なんだちょっと切なくて
リミットはあと二週間。ようやく首の座った蓮ちゃんは
前抱きだっこが可能になって 以前よりは随分わたしも
歩ける様になったから 「今日はもうしんどいわー」なんて
言っていないで 家事ばかり優先しないで
二週間だけ 左京区暮らしを堪能しよう。


 南禅寺にも行きたいなー
岡崎も楽しいかしら げんきくんは蓮ちゃんをつれて
岡崎の美術館に行ったらしい それなら私も?
どこに行こうか 生チョコのカフェに行ってみようか
三条と四条の間の気になっていたスフェラのカフェにはもう行って
今日は糺の森を散歩してきて 出町柳のデルタも行って
ボンボンカフェにも行きたいなー
念願のくらま温泉は行かせてもらって
恵文社にも なんと私の本を置いてもらえるようであり
あとはどこに行こうかなー 吉田神社は行かなくちゃ。


 たくさんの暇な時代に 自転車が使えた頃に
もう一杯いっぱい堪能したけど カフェもけっこうまわったし
大文字登山もしたし 手づくり市にも行きまくったし
でも進々堂はまた行きたい。


 きっといつか また思い出す日が来るのだろう
左京区で 暇な時間を堪能してて 京都のカフェで
手紙が書けて 読書ができて 本を執筆していたことを
なんて恵まれていたのかと 思い出す日が来るのだろう
ここにきて 京都に移り住んで来て 何かいいことあったかな?って
自問自答をしてみるけれど そういう気付かぬ豊かな時間を
3年半堪能していた それが収穫かもしれない。


 無駄な抵抗はやめなさい 諦めなさい。
そんな声もきこえてくるけど 諦めが肝心だって
それもわかる気がするけれど わたしにしては
すごい選択をするわけだから ちょっとだけ
最後の最後は ここの住まいを堪能したい。

フランスに行くなら

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