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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

ピクニック

2014年05月18日 | インフォーマルパブリックライフ
フランス語にはピクニケという動詞が存在してる。
それは「ピクニックする」という意味で、
「ピクニック」という名詞に「する」をつなげるわけではなくて
ちゃんとpique-niquerという動詞が辞書に載っている。
それが衝撃的だった。


 留学時代 何を学んだかと言えば
それはおそらくフランス語でも政治の本質でもなくて
1つはパリにおけるカフェというもののあり方で
1つはピクニックだったのだろう。


 本当は図書館に籠らなければいけなかった留学時代
「一体何しにパリに来たんだ?」と日々自問自答していた私が
居た場所は 図書館ではなくカフェであり
そして陽の当たる公園だった。
私の住んでいたパリ国際大学都市のすぐ目の前には
モンスリー公園という非常に素敵な丘のある公園があり
そこには寝そべる人たちがいた。ギターをひく人、
ジョギングする人、子供の居る人、散歩する人、ナンパする人。
老若男女が自然と混じり 思い思いに過ごしてた。
精神的にしんどくなっていた私は毎日のようにそこに行き
トトロの木と呼んでいた 生命力溢れる木の下に行き
あたたかなぬくもりをもらっては そのあたりでぼーっとしていた。
正確には ぼーっとしようと努力していた。


 当時本当に「リラックすること」が全くできなかったた私は
沢山の人に相談していた。一体どうすればいいんだろう?
「ぼーっとすればいいんだよ。公園にでも行ってみたら?」
留学先の友達にそんなアドバイスを受け
なるべく公園に行き、無理だったけどぼーっとすることを心がけ
大事な貴重品を枕代わりに かなりしょっちゅう寝そべっていた。



 そのうちいつか 公園に行くことがごく当たり前のこととなり
日がくれるのが遅かったころ 夕飯をつくってはお皿にいれて
寮の目の前の公園でパスタを食べたりも。
帰国してから家の近所にある公園で また一人ピクニックを再開し
パリに想いをはせていた。


 今 子供を持つ親になり かつ 経済的に厳しい中で
私がとった選択は 外食費を削るため に
いつでもどこでも昼食を持ち歩くことだった。
ご飯代がいらないのなら その分入場料は払えるだろう。
ご飯代がいらないのなら その分交通費が払えるだろう。
いつももう面倒くさい!と思いながらも 
朝からお弁当を詰めていたのは 仕方のない事情もあったし
費用対効果を考えて どう考えても私には
子供と二人の外食代はその費用に見合わないと思えたからだった。
外食をすればご飯はつくらないですむ。洗い物もしなくていい。
もちろん荷物だって軽い。それは身軽でうらやましい。
だけど子供と行く先々に 素敵でかつ安いお店が
どこにでもあるわけじゃない。私の予算じゃせいぜいマックか
サイゼリヤなんかだろうけど 
その混雑してごみごみした雰囲気の中で 最後に支払う金額に
私はげんなりするだろう。 そんな余裕 私にはとてもありません・・・


だけどお弁当を持っていたなら とりあえず椅子さえあれば
どこでも食べれる。列に並ぶ必要はない。自分さえ頑張れば
それなりに豪華なものが 時には美しい木の下で
よっぽど安く食べれてしまう。自分さえ 頑張れば・・・


 結局のところ私たちはピクニックが好きらしく
極寒の時期だろうが パンにあたたかいスープをもって
いつもどこかに繰り出していた。車もない、お金もない、
他に頼れる人もいない。自転車の1つももっていない。
頼れるのは自分の肩と 蓮太郎の足だけだ。
それでもなんとか荷物を軽く かつできるだけセンスよくして
私たちはいろんなところに繰り出した。
なんだ、意外とできるじゃん・・・
六本木、砧公園、葛西臨海公園に、真夏の熱海の途中下車。
馬事公苑に代々木公園、飯田橋に二子玉川、それから皇居に外人墓地。
ベビーカーすらもってなかった。途中で疲れた息子が
寝てしまうとき 残された選択肢は無理矢理起こすか
最後は抱っこ。だから大荷物は持ってけない。
それでも体力がもつのなら それでも天気が持つのなら。
沢山のところに出かけていって


私たち は 何を見ようとしたのだろう。


私はきっとこうだった。
もともと電車に揺られて東京のど真ん中まで3歳児と繰り出したのは
インフォーマルパブリックライフを探すためだった。
3歳になる直前に3ヶ月パリで過ごした私たちは
それこそ毎日のようにピクニックをして過ごしてた。
カフェに行きたいと思っても 4ユーロなんて払えなかった。
子供のジュースもだなんて到底無理。そう確か
午前中は公園に行き どこかのベンチでご飯を食べて
それからパリビストロの事務所に行った。
そして息子が昼寝をする間 私はそこで翻訳をする
そんなことを繰り返してた。だから偉いわねなんて
言われながらも 毎日のように公園に行き
パリの公園に浸ってた。


その姿 は 美しく そこにはお互いの自由があった。
それまで私が知っていた京都の公園は
母は専業主婦の母。子供を見守り常に寄り添い
仲良く一緒に遊んであげる。それ以外には
母の居場所なんてない。そんな公園がほとんどだった。
ところがパリは違っていた。真ん中にある楽しげな遊具
それをとりかこむ緑のベンチ。乳母らしき人や
母のような人たちは ほとんど遊具の近くにはおらず
新聞なんかを読みながら ベンチで風に吹かれてた。

そんな自由があるものか・・・と私は驚き打たれてしまった。
私も真似をしてみよう、と 無料でもらった新聞を読み
子供を真ん中で遊ばせてみた。その気持ちよかったこと!
子供は子供で楽しんでいる、大人は大人で楽しんでいる。
さわさわと音をたてる緑があって 風がそこを吹き抜ける。
足下には砂浜のような砂のある公園もあり
じゃあ私も と サンダルを脱ぎ 心地よい砂を感じて新聞を読む。
それってどれほどの喜びだろう。本当に すばらしいなと思ってた。
そういえば夜にピクニックもしてたなあ・・・


確かインフォーマルパブリックライフについて云々言うように
なったのはこのパリの経験からだ。日本にはそれが
あまりなさそうに見えたけど「じゃあ本当にないの?」と
言われた私は探ってみることにした。インフォーマルパブリックが
すばらしいかどうかというのは子供がいればすぐわかる。
子供は雰囲気の濁った感じや心地よい感じをすぐキャッチする。
じとじと湿って空気の悪いバスの中でギャーと泣く赤ん坊がいるのは
きっと彼らがそんな空気のバロメーターだからだろう。
じゃあパリの公園で生き生きしていた我が息子 は
東京ではどうなのだろう?確かそんな風に思って
うちからそんなに近くもないのに 電車に乗って繰り出していた。


インフォーマルパブリックライフというのは誰にでも開かれている。
赤ん坊から老人まで 男でも女でも 一人でも子連れであっても
みんながなんとなく幸せそうに過ごしてて その雰囲気の中に
自分も居たい そう思った人がまた一人 そこに混じり 腰をかけ
その空気を形作る一員となる。


大人も子供も楽しめて ピクニックのできる場所は
ほとんどどこも インフォーマルパブリックライフがうまくいっている。
誰がそこに居てもいい 悲しいことがあったっていい
だけどそこを立ち去るときには ちょっと笑顔になっている
そんな場所が 世界のどこかに存在している。
それはなぞなぞのような場所。浮遊しているようにも見える。
インフォーマルパブリックライフはあったりなかったりする。
こちらの公園にはそれがあるのに すぐ隣にはなかったりもする。
それは場の力のような でも法則があるような。
懐の広い場所には パリのモンスリー公園のように
あたたかさ や 安心感があるのだろう。
安心し リラックスし いつもより笑顔になれる場所。
そんな木陰でお金をかけずにのんびりすることができたなら
こんな贅沢なことはない。


子供が産まれてもうすぐ6年。ひたすらしてきたピクニック。
インフォーマルパブリックライフとピクニック
もう少しそれを関連づけて形にしていきたい。

フランスに行くなら

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