alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

日本の美

2017年09月16日 |  カフェ的な場で考えたこと
 女性の美とはなんだろう?
最近美しくなることを目指そうと決意して、そういうことを考えていた。
そしていざその世界に入ってみようとちょっとでも調べてみると
エステに美容整形に、高級化粧品やらなにやら
いくらでも女性の美を応援し、そこにお金をかけさせるシステムがあるのに
この年になって今頃気づく。そしてもう一つやっと気づいた。
ちょっとでも美しくなるために、みんなそこまでお金をかけていたのかと。

 それでもある時モデルさんたちが集まるイベントに参加して
彼女たちを眺めながら私は考えさせられた。
努力してお金をかければある程度の美は手に入るといえるだろう。
うまくお化粧することも、肌質改善することも、
脚をキレイに見せることも、髪の毛をふわっとさせるとも
技術とお金があればなんとかなる部分は大いにある。

 でも だけど 気品だけは別なんだ。

 そしてその場で痛感していた。気品はお金では買えないのだと。


 今日は日頃からお世話になっている茶道の先生が
教授に昇格されたとのことで、そのお祝いの茶事が
帝国ホテルの茶室で開催された。あの帝国ホテルで
お茶会をするというのは誰にとっても特別なことであり、
先生も相当に気合いが入っていたのだろう。
今日の先生はいつものお茶会ともまた違い
びっくりするほど美しかった。
まるで「日本の美」というのをイメージ化すると
それがそのまま先生の姿になるかのように
立ち居振る舞いからお点前、ちょっとした笑顔に至るまで
先生は美しさそのものだった。

 その美の姿は私が最近近づこうと試みていた女性の美とは異なっていた。
これまで私が見てきたもてはやされるような女性のよさは
スタイルが良く、胸も大きく顔は派手で背は高く、ハイヒールを履き
もちろんセクシーな魅力があって、外見的な魅力を武器に
男たちの目を惹きつける、そんな感じの女性像が「うまくいく女性像」として
様々なメディアに映っていた。

 ところが先生の美は圧倒的だが、前述の美とは全然違った分類なのだ。
そしてそれを言い表せる言葉が見つからない。
皆先生の立ち居振る舞いやお点前に(後ろ姿しか見えなかったという
人でさえ)あまりの美しさに驚いていたというのに、
それを表現する言葉がでてこない。私は人間国宝のようだと言って
先生はそれを笑っていた。他の人は身も心もしびれたと言い、
なんて言い得て妙なんだ、と私はその人の表現力に驚いていた。
でも他に言葉が見つからない。あの美しさは一体なんといったらいいのだろう?

 ひとつは引いた美学のようだった。
雑誌をきらびやかに飾るモデルのように
「私を見て!キレイでしょ!」という、息子に言わせると
「自分をスターだと思ってる感がハンパない」感じとは全然違う。
謙虚さ、控えめ、でも動きに一切無駄がなく、選んだものにも
一切の迷いやノイズがない。茶道の動きは計算されたマイナスの
美学だという人もいる。ややこしいように見えるお点前の順番も
実際にはそれが一番理にかなっている、無駄のない動きらしい。

 先生には飾り立てたところが一切ない。着物も遠目で見ると
非常にシンプルで、振袖の真逆といえそうなほど柄がない。
白シャツを着こなせる人が少ないのと同様に、あれほど
シンプルな着物をきてこんなに美しく見せられる人も
本当に珍しいだろう。そういえば柳宗悦が言っていた。
井戸茶碗の美しさはその飾り立てない素朴な姿勢にあるのだと。
美を追求し、名声を求めていった茶碗のいかに醜いことか。
先生の姿はそれに通じるものがある。
きちんとした暮らしの積み重ね、きちんとした生き方の積み重ね。
そこからにじみ出るものがある。だから存在そのものが美しい。

 飾り立てる美しさにはいつか飽きる日が来るかもしれない。
京都の街中によくある、お寺の財力を示す飾り立てた人工的な美しさも
数日見ているとだんだん疲れてくるものだ。
それに対して京都周縁部にあるお寺だと、もっと自然で
人の心を打つ美しさに出会いやすい。
雄大な自然と溶け合った奈良のお寺や、時とともにより味わいの増す
わびさびを感じさせる寺院のように、気をてらわず、落ち着いていて
来る人を包み込んでくれるような優しさと余裕がある
そんな美は美しいのにあたたかい。

 美 というのは一体どこから来るのだろう?
世の中の多くの情報は外見を飾り立て、変えることを訴えている。
けれどパッと一瞬人の目をひく派手な美しさと
じんわりと人の心を打つような、いつまでも心に残り
また来たい、会いたいと思わせるような美しさは全然違う。
そしておそらく先生が茶道の先生であることからも、
それが日本文化が本来持っており、ジャポニズムの頃に
世界を震撼させた美なのだろう。

 それは浅草の多くの土産物屋の嘘くささとも異なっている。
飾り立てて白く塗りった舞子さんの美とも異なっている。
茶禅一味。茶は本来は禅と切っても切り離せない関係だ。
禅は本来多くのものを所有しないし、身体とともに魂を鍛えていくわけだ。
だから茶の美、というのは禅寺の美に通じているのだろう。
観光客向けでない真の禅寺は、きっと真実を追求しているから
美しい。噓いつわりでもその場かぎりのごまかしでもない、
先生の口癖である、「きちんと」大切なことをごまかさずに
「きちんと」日々を重ねていく。そのことで生まれる
人ととなりの美しさが、服から滲み出ているのかもしれない。
気品だけでなく 美しさとは きっと存在そのものから
滲み出るものなのだろう。小手先の美でも気をてらったものでもない美
日本にその伝統があるのなら それを失ってはいけないと思う。
私は本当に驚いた。こんな美がまだあるのなら、
それは守り伝えなければいけないだろう。
先生の美は日本の職人さんの美に通じるものがある。
真実を追求し、自分が本当にいいと思ったものに
一心にどこまでも向かっていく。
メディアにもてはやされるのでも、パッと華々しく人目をひくのでもない
日本の独特の美しさ。もっと大事にしたいと思う。

2017年09月06日 | 私の人生
 久しぶりに号泣した。
きっと泣きたかったのだ。
いつかそんな時が来て欲しいと
心のどこかで 思っていたのかもしれない。

 女は泣いて強くなる、男は涙をこらえて強くなる・・・
昔読んだ小林よしのりの漫画にそう書かれてた。
私は自分の子供の前で何度も泣いた。
泣くたびに、その後何かを手に入れてきた。
お母さんだって美術館に行きたいと、
本気で涙を流したことがある。それが今では笑い話に思えるほどに
もうお腹いっぱいというくらい、この数年で行ってきた。
 
 でもその時点では到達したくても到底できない、
そう思っているから涙が溢れてしまうのだ。

 私は一冊本を書いた。そのきっかけとなったのは
トイレで号泣したことだった。子供を妊娠し、
よき母を目指す人たちが集う産婦人科に
遠くまで見学しにいった日の夜、私は打ちひしがれていた。
私は母になるために生まれてきたわけじゃない・・・

 私にもやるべきことはあったはずだ。
どうして母になるからといって妊娠時代のすべてを
薪割りや散歩に費やさなければならないのだろう?
子供がいないからこそできる何かを必死でやってもいいではないか?
どうせ子供が生まれてきたら 自由なんてなくなると
皆口を揃えて言うのだから。

 私はそれが怖かった。自分の人生がどうなるのだろうと思っていた。
その不安は的中し、先輩たちの助言通り
私に自由なんて存在しなかった。当時の私にできた
唯一の抵抗といえばお茶を飲むこととブログを
書くことだけだった。そして洗濯物をたたむ気力もないままに
子供をあやし、気づけば1日が終わっていた。

 セルジュ・ゲーンスブールと結婚し一世を風靡した
ジェーン・バーキンは最近のマリークレールのインタビューに
こう答えてた。「自分は年をとったなんて全然思っていないんです。
中身は若い時のまんま、でもあるとき鏡をみて愕然とする瞬間が
くるんです。そういえば母も言っていたけど、そんなことは
自分には起こらないと思っていた・・・」

 特に子供を産んだ女性はあっと言う間に時が経ち
自分でもそれ以降何を成し遂げたのかもよくわからないまま
ジェットコースターのように月日がたって、ふと正気になって
振り返れば 自分は年老いてしまっている。
目の前の仕事、目の前の子供、目の前の家事、
必死になってこなしているだけで3年も4年も経ってしまう。
そして何が残ったのだろうと自問自答してみると

 美しい思い出なんて本当に残っているのだろうか?

 上手にバランスをとれている優れた人はそうかもしれないけれど
ジェットコースターのような日々を過ごしてきた人たちには
慌ただしく、子供に小言を言いながら、わたわたと
過ごしてきた日々しか残っていないのかもしれない。

 そんな人生でいいのだろうか

 子供は自分の子供とはいえ、いうことを聞いてくれるわけでもない。
大金をかけて海外の美術館に連れて行っても つかれた
やだ もう行きたくない で、予想していたものの
10分の1もわかってくれないかもしれない。
よく自分の作品を我が子のようだという人がいるけれど
この言葉を聞くたびに、私はこの人は子供がいないんじゃないかと思ってしまう。
本当の我が子と作品は全くもって別物だ。
我が子は自分のお腹から出たとはいっても別人格で
自分と感情も感覚も物の考え方も違う。
理解しようと思ったって 本当に違うのだ。
でも作品は違う。作品は自分の考え、自分の想い、
それを自分が思うように手を加えて具現化したもので、まさに自分の分身だ。
だから私は自分の作品を作りたい。
そう、もう書くべき時なのだ。

 妊娠中にトイレで号泣した後私は強く決意した。
子供が生まれる前に本を書こう。
そして私は実際書いた。原稿をすべて提出した後
息子は予定より1ヶ月早くこの世に生まれおちてきた。
あれから9年、信じられないほどの月日があっという間に
経ってしまった。その間私は書けなかった。
何度も何度も書こうともがいた。
だけど形にならなかった。それはおそらく
子供がいるとか 時間がないとか そういう理由ではなくて
結局のところ書けなかった その一言に尽きるだろう。

 だから私はきっと心のどこかで待っていたのだ。
あの時のように号泣する日がやってくるのを
自分に何の言い訳もできないくらいに
やるしかないと思わされる日が訪れるのを

 私には夢があった
子供がいるからといってそれを諦めたいとは思わない。

 夢を諦めたくない 

 溢れる涙の中で噛み締めていた想いはそれだった。


 高校の図書館に並んだ文学選書
哲学選書に偉人伝。 世界には素晴らしい作家たちがいた。
世界に名前を残し、影響を与えた作家たち。
ボーヴォワールもサルトルも、ヘミングウェイも
今私が読んでいるジャーナリストの本もそうだろう。
日本という遠い異国で、今でも誰かが読んでいる
そんな本を書いた人たちがいた。
私が彼らの研究をしていたのは、結局本心では
彼らのようになりたいという想いがあったからなのだ。
気づけば年老いてしまった今でも その気持ちは諦められない。
だってジェーン・バーキンのように 気持ちは高校生のままなのだから。
いつか私も本を書きたい
そしてヘミングウェイの本のように
パリのシェイクスピアアンドカンパニー書店に
普通に置かれる そんな本が書けたらいい

 本当にそう思っていた。

 その夢は諦めるべきじゃない。

 死んだような顔をして生きるくらいなら 
死ぬ前にやりたいことをやったほうが
よっぽどましだ。いつ死ぬのかわからないなら
本当に死んでしまう前に きちんと書き残したほうがいい。

 私はボーヴォワールに憧れていた。
あんな風に私もカフェで議論がしたかった。
フランス語や英語を必死になって身につけたのは
いつかそんな場所が現れた時 私もそこで議論に加わりたかったからだ。
その場所はやはりパリなのだろうか
それとも実はイタリアなのか
それはまだわからないけど

 書くべき時がやってきた。
それは確かなような気がする。
9年間の集大成。辛かったこともすべて含めて
書くための経験だったのならば

 もう諦めなくてもいいように
私は前に進んでいこう
書くための時がやってきたのだ。
子育てをして郊外に住み辛い経験をした女だからこそ
書ける言葉があるはずだ。

 夢見た世界がまだ頭の中にあるのなら
今度こそ
そこを目指して進んでいこう

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861