alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリカフェツアー終了!!

2011年11月30日 | パリカフェツアー


 「飯田さんがカフェのガイドをすることになったら
僕がお客さん第一号になりますよ」と いつだったかに
クルミドの地下で嬉しい言葉をかけてくれた影山さん。
何事か が ぐわんと動いて 影山さん一人ではなく
社員の方とあわせて計12人のクルミドコーヒー パリカフェツアーが
昨日無事に終了しました。みなさん もう日本かな??


 あの時 オベルカンフのカフェシャルボンから
全てのことは始まった。「もっと個人的にその国を
感じられるツアーがあったら面白いよね!」「そうなったら
じゃあ私たちが空港にいって名前を書いたプレートをもって、、」
そうやってわくわくした後、そのワクワクに屈してしまうのは
いつも私だけなのか、かつてちょっと顔を出していた
大学の哲学研究会の人たちが 京都が面白いから
京都に移住しようかといって「哲研京都移住計画」というのを
話していた後 結局それを本当に実行に移してしまったのは
私一人だけだった。今回のことは?これからどうなるかは
わからないけど 少なくとも 空港に日本人を迎えにいったのは
私一人だけだったけど それでも「夢を現実に」する
イメージをもってみようかと 必要ないのに
「クルミドコーヒーのみなさま」とか紙に書いてみて
お隣の旅行代理店の人の真似をして到着カウンターに立ってみた。



 そうしてすべてがはじまって 沢山の経験をして
あっというまに 不思議なことに 全ては終わり
本当かな?夢だったのかな?と思うけど たしかに経験したようで
私にはとても不思議な経験だった。



 信頼 というのが何に由来するのかはわからないけど
今回のツアーの内容はほとんど私が決めていて 影山さんは
相談するたび「いいですね、それで行きましょう!」という感じだったから
ほとんど私が見ていた視点そのままで それを11人の参加者たちに
そのまま提供する感じだった。私はたしかに息子とはパリを歩いたり
友人におすすめのカフェを紹介したりはしたけれど
今こうして誰かといったそのカフェやその場所を
沢山の人に 同じ目線でみてもらってる それが不思議で仕方なかった。

 パリビストロの事務所も行った。ミッシェルの家でソワレもやった。
シャンパーニュ地方にも行ったし サンマルタンも歩いたし。
私にしかなかった世界で 誰とも分かち合うことができなくて
せいぜい息子くらいしかわかってくれなかったパリという場を
今こうして11人の人たちが眺めてて 私が感じていたように
「パリっていいなあ」と感じてる 


 そりゃあそうだと思いませんか?ワインがあって チーズがあって
おいしいご飯にたのしい会話 ギャルソンとのエスプリのきいた
コミュニケーション 街ゆく人たちの自然なのになんだか
やたら美人だったりかっこよかったりする感じ。眺めていて
いつまでも飽きない。そんな世界に入って行けたら
そんな世界に 「ただの観光客」ではなくて
自分のやってきたことの誇りをもって「何者か」として
そのままダイレクトに入って行けたら そりゃあそんなにいいことはない。。。



 このツアーには 私は140%くらいの自分をかけた。
まるでレボキャンをした時のように 今までの自分に
できるかぎりのほとんど全てを投入していて
毎日私は成長していった そしてほぼ毎日のように
神様は私に課題を出した。電車に乗り遅れてしまったら?
お前は対応がちゃんとできるか? 誰かがスリにあったなら?
それが日曜日の夜だとしても?お前はちゃんと対応できるか?
そしてお前は同時通訳ができるのか、、、(なんとできた!!!)
そうしてなんとか毎日壁を乗り越えて ツアーは無事に終了できた。
きっとみんなの中には かつて私が感じたように 消化不良の
そうまるで 最後のふりかえりをしたオートルカフェでわれわれを
眺めていたゴッホの自画像のうずまきのように
ぐるぐるとした なんだかよくわからない 言葉にできない
変な何かが 何ヶ月か残るだろう。レボキャンのときもそうだった。
それが何かを変えていき 自分さえも もとの自分とは違ってしまう
それがきっと パリなのだろう。





 ただの一人の旅行では そんなことはできないだろう
住むように経験してみることで 価値観が変わることがある
私が10年かかかって理解したこと 10年かかってやっと
みれるようになった世界を たった5日で この人たちは
経験したわけで そんな旅があったなら 本当にうやらましいなと思う
そんな場が 10年前の私にもあってくれたなら もうちょっと
辛くなかったのかなとも思うけど 10年前には見れてなかった
フランスのいい面を やっと私も見れるようになってきて
それを沢山の人に紹介できて「フランスなんてスリばっかりで
料理もたいしたことないし、もう行きたくない!」ではなくて フランスのいい面や
フランス人たちのいい面をみてもらえてとても嬉しかった。





 一人ではできないことがある。
一人ではだせない勇気なんて沢山あるんだ。
誰かがいるから 本当はなりたかったのになれなかった自分に
近づけることがある。私は今回団体で行動させてもらったお陰で
しかもその責任を私が背負ったお陰でかなり勇気が持てたと思う。
あとにはひけない。出来ませんという言葉はありえない。
「予約がとれてません」といわれてもそんなはずはないと交渉しきる。
そして交渉すればフランスにはどこかに余地があるということも
この5日間で学んでしまった。ここは会話と交渉の国なんだ。
そしてそれができるとパリは楽しい。


 本当は できることなら そうなりたいと思った自分
そんなのすごく遠かったけど このツアーのお陰で
私は本当にそんな自分に近づきました。沢山の勇気も
前に進む力もみなさんのお陰でいただきました。
これからはちょっとずつ報告を書いていこうと思います。
本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました!!
私はパリにいれて幸せです。


 ☆パリカフェツアー全6日間の様子はこちらから☆

フランスでの議論

2011年11月23日 | パリのカフェ的空間で


 いつかはフランス語で議論できるようになりたい
ちゃんといろんなことを説明したい というのは
私の10年前からの夢だったけど 昨日は何故か
語学レベルがあがってくれたのか 知人宅の夕食に招かれて
そこでかなり話もわかって言いたいことはそれなりに言えて
沢山たくさんアハハ!!と笑ってとっても素敵なディネだった。


 フランス って はじめはすごく大変だけど
話せるようになっていくと本当にとても面白い。


 私はフランスの議論のテンポが大好きで
お互いにぐわーっとしゃべって休むことなく
誰かが何かを言おうものなら こちらは聞いて
「ほーなるほどね」と思うだけじゃなく それに対して
自分の意見を返してく。それが私は面白い。


 かつて留学していたことは かろうじて話の内容が
わかるようになったとしても 彼らの圧倒的な
話し振りと知識に押されるばっかりで 彼らが
ドドーンと話をしてきて「それで、ミキはどう思う?」みたいな
ちょっとした隙をくれたときにも 私は「はあ、、、」と思うばかりで
何も面白いことが言えなかった。それでは議論にならなくて
彼らの一人語りになってしまう。



 議論するには フランス語だけじゃなくって
いろんな技術や慣れや知識が必要で フランスでは
沢山のニュースを知って それを誰かと分かち合い
あの国ではこんなことが起こってるんだって!すさまじいね
どうしてだろう?とそんな話をしょっちゅうしている。
昨日はフランス人夫婦とパリに住んでるイタリア人夫婦がいたディネで
話題は尽きることもなく 経済の危機の話、イタリアが危機におちいって
選挙をするよりも前に大学教授やら銀行家やらが政府を
乗っ取り始めたこと 危機を引き起こしたのと同じ銀行の
人たちが今世界を指導しようとしはじめていること
そんな世界は信じられない 私たちはやっぱり97%の人間だとか
(それでもすごいブルジョワだけど。)
今は世界中ですさまじい変化が起きていて明らかに違う時代への
移行期間だろうということ 18世紀後半にはたった何十年間で
近代の偉大な発明のほとんどすべてが行われたこと
きっと今もそんな時代になってるのだろうということ
日本の話、日本ではノーという文化もなければ批判も出来ないと言ったら
フランスでは批判こそが一番大事でいつもノーばかりいってるよ とか
最近話題の美術館の展覧会の批評のしあい(ポンペイ展が素晴らしいらしい)
それに中国では老人が朝公園で体操したり子供みたいに遊んでてね
あれは感動的だった、ヨーロッパは個人主義で自分がどう見られるかを
気にしすぎるから年をとってからあんな風に遊ぶなんてできないけど
あれはやってみるべきだね!とか


 話題はまったく尽きなくて その度にだれかがエスプリのきいたことを
言って アハハ!と笑って面白い。おいしいご飯(昨日は旦那さんの
手作りのご飯でめちゃくちゃおいしかった。)にワインにチーズ。
素敵な雰囲気にテンポの早い楽しい議論。世界は一体どうなるのだろう?
そんなことを みんながもってる知識や疑問を分け合いながら
この先のことを語ったり 一方で娘さんのカナダでの変わった暮しぶりに
ついてだったり。こういう会話が面白い。


 私はフランスのテンポが好きだ。「それでね!こうなのよ!」
「いや そんなことはないよ」「いやいやそうなんだって!」と
みんな熱をこめてジェスチャーをつけて語り合ってる。
昨日は不思議なことに議論の内容も相当わかり、かつその前は 前回に知り合った人の
お家に行って話し始めたら2人とも話が合いって止まらなくなり
3時間くらい語ってしまった。どうしてここでは こんなにも
語り合える人を見つけることが容易なのだろう?


 私は本当にフランス語で議論がしたかった。日本のことも
説明できるようになりたいと10年前に強く思った。
自分の考えてることも言いたいし 沢山の意見を交換し
ほーそんなことがあったのか!と驚きながら頭の中をかきまぜて
日本語だけではわからなかった世界に至ってみたかった。
フランス人は例えフランス語で議論してても視点がハンパなく
インターナショナルだったりするし 洞察が深い人はとても深いので
そこにいろんな視点や分析を付け加えてくれて面白い。
ああそうか そういう視点でみるとこの違いはこう映るのかとか
いつまでも議論してたいなあ!!


 日本語とフランス語といつの日か英語もつかって 沢山の人と
議論して 考えを深めて行って 日本語でものを書きたい。
これからの時代 大切なことは何なのか
私にはまだはっきりなんて見えてないけど 
昨日合った女性はこう言っていた。「世の中には夢を見ている
タイプの人と夢を生きるタイプの人たちがいる。私たちは後者の方ね!」
私はそんな彼女に偶然出会えて本当にうれしくなった。
フランスには勇気を与えてくれる人たちが沢山存在してる。
一人でもそんな人がいるなら 私もがんばろうと思える
そんな人たちに出会えてよかった。
昨日は素晴らしい日 でした。もうすぐツアー がんばります。

パリの哲学カフェでまた考える

2011年11月21日 | 哲学カフェ


 「どうしてフランスからはあんなにも現代思想が
生まれていたのだろう?」とよくクルミドコーヒーの
影山さんは口にしていた。「それはカフェがある国だから?」
と私の本を読んでくれて言ってくれたりもするのだけれど
おそらくそれは カフェがどうこうではなくて
フランスがノーと言える国だからだろう。


 昨日は朝バスチーユの哲学カフェに行き、
またしても遅刻してしまったけれどもなんとかして
席をみつけ(70人以上入ってますよ!!)
議題をなんとなく追ってみるとどうも
「現代において哲学が果たしうる役割はあるのか」
といった そんな感じ。今回も議論は抽象的な
ことだったり 言葉をかえて考え直してみたりというのが
多かったので そこまで「うっわー面白い!」という
わけでもなかったけれど それでもフランスにおいて
哲学がいかに重要なのかがなんだかわかってためになる。


 哲学っていうのは批判をしたり、「こうだ」と
思われていることにたいして「違うんじゃない?」と
他の視点を提供したり、考える、思索するきっかけや
思索をしてみるというそのこと自体を人間に与えるらしい。
哲学と科学との違いは哲学は「何故?Why」の分野で
科学は「どうして?How」を解明する分野らしい。
だから科学に人間はどうして生きるのかと問うてみても
答えはでなくて それは哲学の範疇らしい。


 そういえば私は中学3年生の時、人間は何故、何の
意味をもって地球にやってきたのかを考えてどうしようも
なくなってひたすら本を読んだけど そのとき哲学が
答えを与えてくれるのかなあと思って哲学書の分野に
近づいたけど なんだかあまりに難解そうで
けっきょくお近づきにはなれなかったな。だけどもしかして
それは日本とフランスの哲学に対する姿勢の違いで
昨日の哲学カフェの議論をきいていると もっと
フランスにおける哲学は 難解なものだけじゃなく
私が抱いた様な「なんで?」という疑問に答えようとする
そういうものが沢山存在しているのかもしれない。
(以前読んだ哲学マガジンの「人生は変えられるのか?」
という特集だって よく考えたら通常人が送る様な
人生を途中で変えることにしたけど それも
その人にとっての幸せが僧侶になることだったとか
彼ら自身の「私の幸せとは一体何なのだろうか」という
内面にある疑問と素直な気持に従った結果を書いたものだと思う)


 日本では深い問いを投げかけることが許されない。
それにノーということもできない。だから思想にならないんじゃない?
と私は思ってしまうけど。この国の人たちはわりと簡単に
深い疑問を投げかけている。「何のために生きているのか?」
「どうして働かないといけないのか?」とか
私はたまに「日本人はどうして真夜中まで働くの?
家族のことはどうでもいいの?」と質問されることがあるけど
日本でそんなことをいったら「お前な そういうものなんだよ!」
でおしまいだ。根本的な どうして?という問いかけを
してしまったら それ自体が許されない。そういうことが多いと思う。


 私は何故か昨日「実録連合赤軍」という 前から観てみたかった
だけどめちゃくちゃ恐ろしくてみた後に頭からいろんなことが
焼き付いて離れない映画をみてしまい そこに昔から
気になっていたけどわからなかったいろんな言葉やシーンが沢山あって
仲間内でどんどんと人を殺していってしまう 「総括せよ」
「自己批判せよ」という名目のもと 誰かと少しでも
違っていたり 違う意見や素朴な疑問をもっていること
「やっぱり私には意味がわかりません」と言ってしまうこと
そういうだけで どんどんと人がリンチにあっていく。
世界には沢山の運動が存在していたけれど こういう状況は
とても不可解なものらしい。だけど私にはよくわかるような気がしてしまう。


 外国の人たちが「わからない」という神風も 連合赤軍も
戦時中に起こったたくさんの恐ろしい日本の「空気」も
私にはなんだかよくわかる。誰一人ノーとは言えなかった。
誰一人それを言うことが許されなかった。例え もしかして
半分以上の人が 心のどこかで それはおかしいんじゃない?
そこまでする必要が本当にあるのだろうかと思っていても
誰一人ノーとは言えなかった。それは「非国民」に値するから。
だから日本では 何かを変えるのが難かしい
だって何かを変えるには「そんなのは嫌だ」とか
「そんなのおかしい」って言わないことにははじまらないはずだから。


 日本では思考することが決して求められていないと思う。
「どうしてしないといけないの?」「そういうものだからなんだよ!」
「そうしたら幸せになれるの?」「しるかそんなもん!」で終わってしまう
「みんなしてんだからお前もしろよ!」が日本のルール。
お前だけ異なってること みんながやっているのに
「私にはできません」といってしまうこと それはとても許されない。



 私はフランスがうらやましい。
「それで あなたたちは幸せなの?」って向こう岸から問うていられる
「じゃあどうやったらもっと豊かに生きられるのか」と問うていられる
それが私にはうらやましい。彼らはいつも 外から日本を眺めていられる
「美しいけどきっと大変なんだろうね なんだか不思議な国だなあ」
って彼らは眺めているのだろうか 世界の多くの国の人たちが
日本の「特殊で例外的」な状況を不可思議に眺めていても
日本にはその「世界では特殊で例外的な」状況1つしか存在しない。
だけどそれからはみでてしまったら どうしていったらいいのだろう?
だから私は ものすごい叫びをこめて「せめてカフェくらいは
そんな逸脱者たちを受け入れる場であってほしい」と本に記した。
でなかったら どこに行き場があるというのだろう?


 もうすこし 素直に問うてみることは どうして許されないのだろう
一体何のために生まれて来たのか 幸せとは何なのか
他の人が「あなたは幸せなはずだ」といえばそれで自分は幸せなのか
マクロビオティックさえしてれば本当に幸せになれるのか
23時まで働いて 家庭にほとんど姿をみせないという父親の姿が
幸せな家庭なのだろうか 私は沢山の疑問を抱いて生きてしまった
だからそんな疑問に率直になり じゃあこうしてみたらどうだろうかと
社会の仕組みを変えて行った そんなフランスがうらやましい。
映画の最後に「革命戦士」たちは叫んだりする。「俺たちは
結局みんな勇気がなかっただけじゃないかよ!」
「こんな風に殺し合うことが革命なのか?」
本当はどこかでそう思ってた だけどだれも 死ぬ間際まで
それを口にできなかった あのあさま山荘事件の後から
日本がどう変わって行ったのか 私にはわからないけれど
やっぱり私にはなんだか怖い。思想というのは誰かが口を開くこと
誰かがノーといってみることから きっとはじまるものだと思う。

言葉にならないことを言葉に

2011年11月19日 | 女の生き方


 昨日の朝 といってもなんだか遠い昔のようだけど
コンビニに立ち寄った際に小さな瓶に入ったボジョレーを目にし
それから飛行場に向かって時間が発って 夜になって着いたパリでは
ボジョレーのお祝いが待っていた。


 「この子はねえ、日本でボジョレーが売られてるのを
目にして来たんだって!」とみんなに紹介されながら
懐かしいような ついさっき来たばかりのような友人宅で
ボジョレーのお祭りに参加させてもらって 沢山の人と
会話をしてたら ひょんなことからドイツ人でフランス語を
しゃべる人と変な話題について長時間語ってしまった。


 なんでこの人真面目そうな顔してそんなこと言うんだろう?と
はじめは怪訝に思っていたけど 彼の真剣そうな顔を見ていると
これは本気でちょっと悩んだり疑問に感じて考えたことの
あることなのかなと思えたりして そういえばそんな気持
わかるかもという気になったら 私も説明をしたくなり
それはおそらくこういう状況によるのではないかと語ってみた。


 世の中には沢山の日本人女性が外国に行っている。
でもヨーロッパで生まれ育った人たちにとって、日本人との
コミュニケーションや深く意思疎通をしたくなったときに
首をひねることがあるらしい。それはどういうことだろう?
自分の立場で考えてみても、彼女達に問うてみてもわからない。
それはおそらく 日本人女性というその人たちが
答える言葉も 答える術ももってないから。


 私は何度もいろんなところで「どうして日本人はこういう
ことをすることがあるんだろう?」と尋ねられて来た。
例えば仲良さそうに接していたのにあるときから急に音信不通になったりとか
日本人が「消えてしまう」という現象はけっこうフランスでは耳にする。

 私は前回の苦しい想いをした滞在と日本で色々考えたことで
だいぶわかった気がするのだけど 日本人女性というのは
たとえ自由に生きてみたくても 自分自身をいろんな固定観念や
「あれはいい これはよくない」という強い意識が縛ってて
そのドイツ人とも話していたけど「他人が自分をどう思うか
他人からどう見られるか」が一番大事な価値になる。
それは幼い時からものすごく強く身にしみてしまっているので
たとえ外国にいってちょっと自由を味わってみても
自分自身はきっとその価値観に縛られていて
楽しい思いをしてみたところで あとで後悔にかられてしまったり
日本に帰ったら何と言われるかとか そんなことを無意識のうちに
強く気にしてしまうのだろう。


 私たちは フランス人たちが当たり前に持っている
「言葉」 というのを持っていない。彼らはその「言葉」を使って
自分の感情を表現したり 自分の状況を説明したりするのだけれど
私たち日本人の 特に女性は 自分が何を考えているか
何を感じているか あるものごとに対してどう思うか
そしてどうしてそう思うのかとか そういうことを表現することを
ほとんど訓練されていなくて 自分自身の抱えてしまった感情が
どこからくるのかもわからない。だからうっすらと何か大事な気持を
感じていても それを言葉で表現できない。だから泣くしかなかったり
だからすっと消えてみるしかなかったり だって聞かれたとしても
その人自身 なんて言えばいいのかわからないから。


 私たちは すごく近代化された社会に住んでいて
ものすごく進んだ国に住んでいるから外国の人もそう思ってる。
ところが精神面では相当な差があって 女性も おそらく
女性にそれを無意識に求めている男性側も 実際はすごく古風な
価値観が私たちをまだ支配している。でも表面的な日本の
繁栄からは どうもそこまでは見て取れないから
「あんまり違わないかと思っていたら実はすごい深い違いがあった」ということに
お互いショックを受けるのだろうか。


 ここでは説明を要求される。「どうして?」「それはどういうことなのか」
彼らはそう訓練をされている。分析すること 説明すること
だからそれが当たり前。ところがフランスに来た日本人からすると
たとえ言葉という激しい壁を乗り越えられるようになったとしても
今度はその「説明」というのがなかなかできない。
それは知識がなかったりとか どういうことなのか
自分自身でもわからないからで そこで二重のショックを受ける。


 私は日本人で子供を育てることになった女性として
日本人女性が抱える苦しさというのがものすごくよくわかる。
それに加えていろんな苦しみの後で 何が苦しさを生み出していたのかも
なんとなくわかってきたから ようやくそんな「言葉にならない言葉」
というのを 日本語ですら言葉にできない微妙なもやもやしたものというのを
今になってようやく説明できるようになった気がした。


 彼らは日本人はマスクをかぶっているのかと尋ねて来る。
その能面の下で一体何を考えているのかと知りたくなる。
ところが多分彼らの想いとは裏腹に 日本人の能面の下にはなんというか
深い考えというよりも 深い沼のようなものが広がっているだけで
それは自分で言葉にしようと思ってもすくいきれなくて
下手したらずぶずぶと 音もたてずに沈んでしまう
そんな世界なんだと思う。だから彼女達自身もわからなくって
ただ姿を隠してみたり 人と会うのをやめてみたり
ただ涙を流してみたり。何が自分を苦しくするのか
どうして涙が流れるのかすらわからないのに 説明を要求されても無理だから。


 だけどおそらく ヨーロッパ人にとってとても不可解で
日本人にとってものすごく重要なのは「他人の目」と「その中で生きる自分」で
彼らのように楽しそうに自由に振る舞ってみたくても ずぶずぶと
深い沼から 足をひっぱるもう一人の「とても日本的な」自分が
存在している。それは日本では確固たる存在で ここはヨーロッパだと
思っても そのあまりに脳裏にこびりついてリアリティのある自分にとっての現実が
私たちの気持をくじいたり、後悔させたり自分に対する信頼感を
喪失させたりするのだろう。そうして自分でも不可解な溝を抱えて
日本に帰って来てしまった人は 日本でもよく理解してもらえない
本当は飛び立ちたかったのに 飛べなくなってしまった自分という存在に
彼女達はどんな気持で向かい合うのだろう。


 10年前の私はいろんなことがわからなかった。
説明をしたいと思っても 言葉がまずわからなかったし
言葉がちょっとわかるようになった時には 何も説明できない
自分に愕然とした。それくらい フランスという国で感じてしまう
壁は厚い。日本とフランスはあまりに違う だけど
フランス人は日本に興味を持ってくれている
私はいつか説明できるようになってやりたいと10年前に強く思った。
昨日はそのドイツ人に「君の言ってることはよくわかったよ
なんだか理解できた気がする」と言ってもらえて嬉しかった。

 言葉にならないような言葉を フランス人の理解ではなく
日本人側の言葉として言葉にすること
「おそらく日本人はこうなんじゃない?」と勝手に
解釈されるだけじゃなくって日本人からの視点で何かを説明すること
そうすればするほど違いが見えて でもいいなあこの国と思って面白い。
議論するのは面白い。自分が置かれている状況は
なんだか意味があるような気が最近している。
日本人の女性達の 言葉にならない気持を言葉にして発していくこと
そしておそらく もう少し 違ったあり方だってありうるんじゃないかと
探して行くこと フランスには沢山の道がある
沢山のあり方が可能だそうだ そんな国は私にはとてもうらやましい。

いよいよ出発

2011年11月16日 | 想いをカタチに


 ついに明日 成田から念願の 念願の飛行機に乗り
飛行機はパリに着いてくれるのでしょうか
そしてパリに着いたら 私はいつものように
なんだかよくわからないけれど 元気になってしまうのかな
そうだと本当にいいのだけれど!


 この5ヶ月は 長かったのかそれほどでも
なかったのかはわからないけど 私はけっこう
妄想の世界に生きていたから なんだか想像の方が強くなり
どれが現実世界なんだかよくわからなくなってしまった。
かつてはパリは遠かった。存在するのかもわからないほど
でも今は そこにいて友達と話している自分が未来に存在してたり
過去にもまた存在してたり どれが今でどれが未来で
果たしてあれは過去だったのかもなんだかごちゃまぜになっている。


 人は強く想像してそれにワクワクしたり強い感情をこめて
望むとだんだんそうなっていくのだという。


 私はかつて 去年の今頃?クルミドの影山さんに手紙を書いた。
フロールの絵を描いて いつかそこに一緒に座れたらいいですねなんて
想いをはせて書いてみた。それから1年ちょっとが経って
「次はパリで会いましょう!」なんて そういって今日
最後の打合せをさせてもらった。なんだか不思議。
描いてたことが現実になる。誰かと話したあんな話やこんな話や
あのカフェで私たちが夢見てワクワクしたことが
本当に現実化されていく。それってほんとにすごいなあ。。。


 私はかつて子供を産んで相当鬱っぽくなっていたとき
お暇をもらって代官山を歩かせてもらっていた時入ったカフェで
イタリアやら外国の話をしている人たちの横に座った。
その時は私には外国なんて遠すぎて 彼女達がうらやましかった。
私もあんな風になりたい、インターナショナルな人でありたい!と強く思った。


 そうして私は今ではなんだかフランスとやりとりしたり
フランスの人と企画を立てたり そこに日本人を連れて行ったり
日本とフランスの相互作用?そう私は今年の1月にそんなことを
書いていた。なんだかそれが少しずつだけどできそうな
そんな気がする。なんだか変な感じだなあ。



 本当に好きなこととかワクワクを感じてすすめることというのは
努力なんていらないそうな。私はなんだかいろいろあって
それなりに頑張ったとも思うけど 気がついたらこうなっていた。
いろんなことが後押ししてくれ 物事が前に進んで行った。
本当にありがたいことです。なんとシャンパーニュにもまた行くことに、、、!



 私が今回とても嬉しいのは このツアーの報告を
キャトルセゾンの記事で書かせてもらえることになったことで
私がフランスでずっと求めてた「日本でアウトプットする先」というのが
できたわけ で それが本当にありがたい。それがあったら
同じ滞在をするにしても意味合いがぐんと違って来るし 視点もきっと深くなる。
素敵な写真もとれたらいいなあ 「じゃあ読者プレゼントもやってください」なんて
言ってもらえると飛び上がりたくなってしまう。オリーブ少女だった私が
パリのカフェについて語って それをキャトルセゾンのコラムに書ける
そんなの本当に夢みたい。夢ってやっぱりみてみた方がいいのかな。



 私には描いてしまった沢山の夢があり それらは去年の夏から
私の頭の中でむくむくと増殖しはじめ もう夢なのか夢うつつの現実なのか
頭が朦朧としてる時なんか特によくわからないけれど
クリアに想像できてしまったことというのは いつの日か
実現されるためにあるんだろうか。
私は実験だと思って引き寄せてみることにした唐揚げをついに
おととい食べることができた(!)ので この先もいろんなことが
引き寄せられるといいのだけれど。想像はもう一杯したから
素敵な現実がもしも待ってくれているなら 私はパリで飛び込みたい。

1つだけの生き方

2011年11月15日 | 女の生き方

  ポジティブに、とは思ってるものの
それでも区役所に行く度悔しくなって
何度涙をながしたことだろう。

 私のブログを読んでくれている人が
「飯田さんのブログには日本の生き辛さも書いてあるところがいい」
と言ってくれていたから そして今でもかなりのネガティブワードで
検索にひっかっかる人がいるから そんな人たちのためにも?
いや自分自身のために 私は書き続けようと思う。


 その人はこう言っていた。「日本には1つだけの生き方しか
許されていない。」私は本当にそう思う。それを象徴する最たるものが
お役所の仕組みだと思う。20代になり何年か働いて結婚をして
専業主婦になったなら それなりの生活が保証され 何も
問題なく暮して行ける。だけど一度道をそれたら?もうどうしようもなく
なんの保証もありえない。


 蓮太郎は またしても保育園にいけないかもしれない。
最悪来年も一次保育かもしれない。そんな子が、満三歳をすぎて
母に面倒をみられているというそんな子がどこにいるんだ?と
私は憤りたくなるけれど 「書類が揃わない」というそんな理由で
彼には行き場がないかもしれない。そんな度 に私はあの
暗い区役所の階段で泣きそうになり もうこうなったら
来年の4月か5月にはフランスにいってやるんだ!!!と強く思う。
状況が苦しくってもどうにもならない。「想定された状況の人」
と違うからという 「あるべきひとつだけの生き方」と違うからという
それだけで いつもいつでも拒否される。


 蓮太郎が3歳をこんなにこえて迄 保育園に入れなかったのは
私がいいお母さんだからでは決してなくて 状況がそれを
許さなかったから。なんど区役所に足を向けたことだろう。
彼が1歳にもみたないときから。どれだけ保育園の情報をきこうとしたことだろう。
だけど私はなんとか自分で自分のやりたいことも続けたかった。それではそんなに稼げなかった。
なのに保育料は月に3万とか横浜では5万もするという。
働けないのに、保育園に入れないのにどうやってそんなに稼げるの?
どうやってそれを証明しろっていうの?


 日本の母にはたった2つの道しかない。

 専業主婦になるという 一番望まれていて「幸せなんだ」と思われていて
だけど本当は 果てしない孤独の中で 一人ため息をついて
あるときは嗚咽するかもしれない役割か

 フルタイムで前の職場に戻るだけ。

 一番いいのは(というか私が単にうらやましいのは)
フルタイムで保育園に子供をいれて でも何らかの理由があって
それをやめ 子供は保育園にいったまま 自分の好きなことを
することだろう。それか一次保育か、、、



 私は一次保育がとれているだけましだけど

 それでもいつも泣きたくなる。

 そう 日本には 1つの生き方だけしかない
ちょっと働いていい旦那をみつけて結婚をして
それから「絵に描いたように幸せな」家庭をもって
母になってそれからあとはPTAにボランティア。
私はそれが嫌でたまらなかった。私にとって
そういう風景の並んだ団地は本当にこわくて仕方なかった。
私にはそれが幸せじゃなかった。私は幸せになりたいと
もっと笑って生きてみたい と 心底思った。
そしてフランスに行ってしまった。諦めた気持のままで。



 フランスにはもっと笑っている人たちがいた
「幸せなはずだから」というおしきせの価値観の中で
もがき、変えた歴史があって それらからだいぶ自由になって
もっと素直に笑っている人たちがいた。私もそんな風になりたいと
私もその中にいれてほしいと心底思った。


 同じ人間として生きることが可能なら

 私もそんな風に生きてみたい、、、



 諦めて生きるのではなく 

 ただ1つしかない価値観に 自分をあてはめて生きるのではなく

 もっと心から幸せだって思ってみたい


 本当に ただそう思っただけなんだ。


 日本の現状は私にはとても苦しい。
それを知ってるフランスの友人たちは美樹にはとても
日本は辛いだろうねと察してくれる。そう 私にはとても辛い
ここには私が求めている 大切な何かが存在しない。


 違うあり方があってみたっていいじゃないか
もっと自分らしく 自分を活かして人を幸せにする
生き方があったっていいじゃないか そのために
それをしやすくする仕組みがあってもいいじゃないか
中途半端な状況に陥ってしまった 子供を生んだ人たちは
一体どうすればいいのだろう?私はあなたたちと対等なんだと思ってた。
男の子たちと仲間なんだと思ってた。今でも頭ではそう思ってしまうけど
現実は全然違う。私たちは結婚をして 周囲から「子供はまだ?」と
せがまれて そうしてお腹に子供ができたら
生活が いや人生が 想いもよらぬ方向に激変してしまう。

 女の幸せって何なのだろう?「子供を生むこと」?
私は決してそれだけじゃない と言いたいし
もう少し 女性達の多様なあり方、働き方を認めてくれる
社会の仕組みをつくってほしい。。。

諦めないこと

2011年11月14日 | 想いをカタチに

 最近は「11月にはいいことが一杯起こる!」と
念じていたら この1週間はなんだかすごい出来事が一杯あって
本当にありがたい限りです。今日はものすごい念願だった
キャトルセゾンの社長さんとお話をしに行って来て
というのももう4ヶ月も前から「連絡をしなきゃ、、、」
と思っていたのにそのメール一本が書けずにいたら、
エイやっと書いたその日に連絡があり、「またコラムをお願いしようかと
思っています」とのことだった。その嬉しかったことといったら!!!


 しかもすごいタイミングで、カフェのツアーの報告を書いてみては?とのことで
どこかで書かなきゃなー でもどうしようかと思っていたので
まさにかつて(今も)私が憧れていた様な、キャトルセゾンのお店にある
フランス旅行アルバムみたいな形で報告できたら素敵だろうなあ。。。
蓮太郎とお店の前を通る度に「お母さんこのお店が好きでねえ」と
想いをはせてたキャトルセゾンに、また再び関われるなんて
本当に嬉しい限りです。ありがとうございます!!
(あのエッフェル塔たちになんと勇気づけられたことか!)


 さて、私はそのメールをいただいた際、気づいたのだけど
世の中でいう「才能」っていうことばなんてほとんど嘘だなあと思った。
「あの人は才能があるからなれたのよ」という言葉は
ものすごくよく耳にするけど そんなの「私には才能がない」と
思っている側がいいように使える言葉なだけで
多分世の中でうまくいくかどうかは「才能」なんかじゃなくって
諦めないで押す力があるかどうかなのだろう。
だって私の今度の話でいったら原稿を見せたわけでもなんでもなくて
(そのかわりブログは読んでいただいていた)なんだかよくわからないけれど
具体的な話の前に「じゃあやりましょう!」となっていた。
そうして人は 誰かにちょっと信頼されて「じゃあ君が言うなら
ちょっとやらしてあげるからね」と言われた時に
それに沿った形になれるよう 努力をしていくのだろう。


 だからはじめに才能ありきじゃないと思う
だって本にも書いたけど 才能のある人なんてゴマンといるんだ。
毎年どれだけの人間が文学部に入り、美術大学に入学するだろう、、、

 もしも私がこの先 これから 書く ということを仕事で
続けて行けたとしたら それは才能によるものではなく
ただ辞めなかったから。もしかして何年か後には とても
スマートな文章になって「才能ある」感じの文体になれるかも
しれないけれど それは才能が先にあるわけではなくて
ただ書くことを続けて行ったからだろう。
そしてもしかしたら4ヶ月も出せないでいた一通のメールを
エイやっと思って送信してみたことだろうか。
「才能は勝ち取られたものなのです」とボーヴォワールは言っていた。
私はその意味がやっとわかった。人は何かをしたいと思って
たまたま誰かがその枠にいれてくれたとき このままの自分じゃ
やばいと思って努力して のちにその枠の中で恥じない自分になれるのだろう。
沢山の場所で 沢山のことが要求される その要求をなんとか満たそうとして
がんばっていたら 次第にあれ?けっこうできるようになったななんて
思える日 が 来るのだろう (だからこそそういうところにちょっと
人を入れてあげられたカフェのアトラクターは偉大なんですね)

 
 だから諦めないことなんだ


 そして自分を信じてみること


 私はすっかり自信がなかった 

 でも自信をとりもどそうと夏から自分に沢山いい言葉をかけてみた
自分のイメージをもっとよく思えるように 毎日毎日がんばった。
それは今も続いてて 奇跡が起こるかななんて待っているけど
奇跡が起きたらいいのだけれど 今の時点でも 相当素敵なことが起こってる。
それなりに自分を認めてあげられるようになってみると
誰かに言われたことというのもすうっと通って
あー この人 今までお世辞で言ってるのかと思っていたら
もしかして本気で言ってくれてるのかな??だとしたらすごいことだなとか
いろんな可能性を感じたりして ようやく自分の人生の意義や
やるべきことが 見え始めて来た様な 私だからできることが
ちゃんとあるんだと見えて来た様な そんな気がする。


 お世話になっているみなさん 本当にありがとうございます。
カフェツアーも本当に素晴らしいものになるといいですね!!
もうすぐフランス 体調治して行ってきます。

言葉が誰かの心に響く

2011年11月10日 | 想いをカタチに



 今日は最近働きはじめ、かつ今度のパリカフェツアーを
開催することになった西国分寺のクルミドコーヒーさんで
パリのカフェ勉強会が開催されて オーナーの影山さんが
2ヶ月くらい前にささやいていた「今社員のみんなに
『cafeから時代は創られる』を読んで印象に残った箇所を
10個書くという宿題を出してるんですよ」という
嘘の様なほんとの話が本当になって 今日はそれを聞いてきた。


 そもそも今週の月曜は 影山さん主催の「クルミドの夕べ」という
イベントがあり そのタイトルが「カフェから時代はつくられる?」
なのだった。私が影山さんとお知り合いになったのも
2年前に影山さんが私の本を読んでくださり それでクルミドの夕べで
おそらく同じタイトルの会を開催してて それに私が書籍名の検索で
ひっかかり またしても飛び上がって嬉しくなってメールを送って
それからお店に本を置かせてもらったり いろいろとご相談にのってもらったり。
(悩み相談のつもりがパリカフェツアーを開催しましょう!ということになったり、、、
ちなみにそれもカフェで起こった出来事ですね!)



 さて その月曜日の「カフェから時代はつくられる?」は私も
参加させてもらって 横でお話をきいてると なんだかとっても不思議だった。
その前日に私は久々に 長いこと恐ろしくて開けなかった我が著書を読み直し
ふ と この瞬間に日本で何人がこの本を読んでいるだろう と想像し
もしかしたら5人くらいはいるかもしれない? そう考えただけで嬉しくなった。
おそらくそのうちの2人は私と影山さんだろうと思われ 次の日の夜のイベントで
しっかりと読み込まれているその本と 手元にあるメモを片手に影山さんは話続けた。
「カフェにおける自由ってのは4つあって、、、」


 それ かつて 私が大学院の時 大澤先生のゼミやなんかで話していたなあ
「まず居続けられる自由があって、、、」そういう「4つの自由」というのは
私が考えたものだった。「アトラクター」という単語 も はじめは
「キーパーソン」と読んでいて いつしかどこかで これよりも
もっとアトラクターの方がいいんじゃないかと言葉を変えて使っていった。
そんな言葉や私の頭にあったものたちが 今ここで 誰かの口から
同じように流れ出て あたかも私が語るように 影山さんが語ってる。
それはとっても不思議なことだ。


 かつて息子をおんぶして洗濯物を干し泣き声に追われるという 
ニュータウンでの終わりなき専業主婦生活に途方に暮れていた時に
一筋の希望を見させてくれたのは 東大の中原先生が書いてくれた
「カフェから時代は創られる を読んだ!」というブログだった。
それを読んだらまさかこれはコピー&ペーストしたわけじゃあるまいし
それにしてもどうやったらここまで正確に私の本の内容を要約できるのだろうかと
驚いた。誰か 私ではない 別の誰かが 私が書いた本を読み
それにおそらく共感してくれ それをまた別の言葉で
しっかりまとめて誰かに示してくれること
そんなことが起こりうるなんて それが可能なくらい
不思議なことにこの本には誤読もないようで
影山さんの語りをきくと この人が著者??と思うくらいに
本当に理解してくれている。私にはそれが不思議でならない。


 私がかつて伝えたいと思った言葉が 誰かの胸を打つことがある。
私はこの本を通して 一人でも多くの人に もはや日本で忘れ去れた
サルトルという人の言葉に耳を傾けてほしいと思ってた。
そしたらブログや感想などでも ほとんどかならず「サルトルの
言葉に胸を打たれました」と言ってもらえ、これが筆頭にあがってる。
「人間はかくあろうと意図したものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ、、、」(耳がいたい)
「人は卑劣漢に生まれるのではない 英雄は英雄であることをやめる
瞬間が 卑劣漢には卑劣漢であることをやめる瞬間が必ずある、、、」


 そういえば 主人の愛情についてももっと知ってほしいと思っていたな。
そうしたら今日社員の人がロトンドの主人とモディリアーニのエピソードを
引用して「うちの店から持って来てないのはワインだけだったからね!」と
いうのを挙げていた。それについ笑ってしまったら「この話には感動しました」
と多くの人が言ってくれていた。日本ではおそらくビクトール リビオンという
人の名前なんて誰も知らなかっただろうけど 私も少し彼の偉大な功績を
知ってもらうのにこれで貢献できたのだろうか??
(彼がモンパルナスの時代を創ったとアンドレサルモンは述べています)


 私が私の本の内容を熟知している そしてそれを語ることができる
それは当たり前のことなんだけど 私が書いた本の内容を
他の誰かがよーく知ってて「ああ あそこのあれは本当に共感しました!」
と言ってくれると どうしてそんなにもわかってくれるのか私は嬉しいを
通り越してなんだか不思議になってしまう。「はあ?そんなこと
書いてありましたっけ」と言われる方がよくあることのような
気がするけれど すごくよくわかってくれる人に出会うと
本当に書いた甲斐があったなあと思う。


 「サロンの女主人の話 共感しました」
(これは私のちょっと嫌な経験をもとに考察したのだけれど
もうそんなに共感してもらえるならあの経験もよし!と思える)
「たしかに録音された音っていうのはよくないかも知れないですね」
「僕はこんなカフェをつくるために一生をかけてもいいと思いました!」
「この本に出会って生き方を変えようと思いました」
とか そんなことを言ってもらえると とても嬉しい。
本当にありがとうございます。



 私にとって 生き甲斐って何だろうと悩むとき
答えはやっぱり書くこと 考えること それを言葉にして書いて
一人でもいいから 誰かがそうだと言ってくれること
「思ってたことを書いてくれてありがとう」とか
誰かがそう思ってくれること それが私にはすごく嬉しい。
一人でもいいと思っていたのにそれが5人、もしくは10人に広がったなら
もうそれだけで本当に出してよかったです。
おかげさまで『cafeから時代は創られる』はクルミドコーヒーで
20冊も売っていただき完売しました。私の在庫も完売しました。
第3版、がんばっていきたいです。
応援してくださってるみなさん 本当にありがとうございます!
西国分寺のカフェから時代が創られる日が なんだか来そうな気がしませんか?




パリの街並の美しさ

2011年11月03日 | インフォーマルパブリックライフ


 パリって何て美しいんだろう なんて
整っているんだろう とは おそらく誰しも
パリに行ったことのある人だったら一度は感じることで

 パリに住みたい!と思ってしまった人というのは
その街並の美しさに心地よさを感じてひかれてしまったというのも
大きな理由の1つだろう。


 さて、だからといってビザをとろうとすると
「パリが美しいから住みたいなんてのは理由としてダメ」と
即却下され その上パリに住んでパリ症候群みたいなことになったら
ますます「美しいから住みたいだって 何いってるんだ
日本に帰って頭を冷やしなさい」と言われるのがオチだろう。


 だけどね?でもね?私は思う。

 街並の美しさ や 心地よさ 暮しやすさって
すんごい大事な要素じゃないの?その街に住むにあたって。

 じゃあどうして二子玉川や自由が丘やたまプラーザは人気があって
地価が高いの?どうして人はわざわざ青山まで足をのばすの?
それはセンスがよくって美しくってそこに行ったら
なんとなくいい気持になれるからじゃないのかな?


 そういう場所の地価が高いのは自明の事実であるというのに
どうして街並やセンスのいいもの、センスのいい場所が大事であるという
ことについて述べられた本が少ないのだろう。


 私はパリの秘密をさぐろうと思ってもう何ヶ月か
図書館に通い クリエイティブシティも読んだ。
クリエイティブ都市論もよんだ。パリの都市計画の歴史あたりも
だいぶ詳しくなってきたし 建築系の本も読んだ。
でも謎はいっこうに解けないばっかりだ。
(何かいい本ありませんか??)


 パリでは景観を守るための法令がとてもしっかりしていて
広告やらも簡単になんてだせないそうな 歴史的建造物の
500メートル以内の場所ではカフェの外見も規制がかかっているそうな
オスマン?ナポレオン三世の大改造?もうわかったよ
だけど私が知りたいのは もっとその奥にある哲学で。
いくらオスマンや王様が「フランスを世界一の首都にするために
美しさで他国を圧倒してしまおう!」と思っていても
さすがにそれに対する同意がなければ何百年も維持できないし
法律をつくろうとするときに否決されるかもしれない。
だけどそれが可能になった それらはいわゆる「哲学」とか
「現代思想」とは違う もっと一般人の中にながれる思想の違い なのかなあ



 私はパリプラージュというセーヌ川沿いの高速道路を
夏の間止めて海岸にしちゃおう!というイベントの一年目をみて
あまりに度肝を抜かれてしまった。人工的につくった海岸
そこにはちゃんと砂がしかれて長椅子に寝そべる人は半裸であった。
パリの中心を人工的に海岸にする?ありえない、、、!!!と
思ったけれど それはいろんな人の「いいね!」を呼んで
今では他の地方にまで飛び火しているらしい。




 先日カフェで出会ったフランス人に「どうしてパリプラージュは
開催されることになったんですか?それってバカンスに行けない人の
ための社会政策みたいなものだったんですか?」と聞いてみた処
彼は「別にそんなことないよ。やってみて面白かったから続いただけで
面白くなかったらすぐだめになるし でも共感した人が多かったんだよね」
と言っていた。それだけのこと?(ちなみに哲学カフェもそんな
感じで続いて世界にまで飛び火したらしい)


 パリでは日本人の目からしたらあり得ないようなイベントが山ほどあって
誰が?どうしてこの企画が通って よくも予算がおりるよなあと
思ってしまう。美しいこと 楽しいこと 面白いこと 盛り上がること
そういうイベント インフォーマルパブリックライフを楽しめる
安価なイベントがあまりに多い。政策としても、文化というものを
いかに庶民、貧困層にまで広げて行くかというのが大事らしい。
(失業者は美術館タダとか!)そういう政策の根本にある
思想の違いって何なのだろう?


 パリの街並について書いてる人は どうしたって
礼賛したいわけじゃなくても「やっぱりパリは素晴らしい」と
書いてしまう。日本にもいいとこはいろいろあるけど
でもやっぱりため息がでてしまう。



 そしてそんなため息の出る街並や、あっと驚く
スペクタクルに感動をして やっぱりいいなーこういうの!
そう思って市民の誇りが生まれて来るのかなあ
私が出会ったパリ在住の人たちは「なんだかんだいって
パリはやっぱり素晴らしいし他に類を見ない街だ」と言っている。
うるさいし車は多いしスリはいるけど
でもやっぱり味わい深いし パリ市もかなり頑張っている
(もう犬の糞も放置しちゃいけなくなったとか、、、)
そうして自分たちの街を世界にも誇れる街にして
フランス の 誇りを保ち 愛国心をもっているなら
美しさ!で世界を圧倒しようとしていたルイ14世や
ナポレオンが構想した世界というのは 正しかったのだろうなあ


 日本にも美しいものはある でもそれらは遠く離れてる
そりゃあ京都のいいとこにいったらあるけれど
「家庭画報」にはあるけれど そんな世界は一般の世界からは
ほど遠い。パリはメトロの駅にいったら それだけで
広告が絵になっている。そんな世界を100年も守り通して来たこと
それらはやっぱり 政策云々ではなくて 市民の誇りによるのだろうか


 素敵な街並 心地よい暮らし インフォーマルパブリックライフのある暮らし
もっと探求したいのだけれど どうしていったらいいのだろう?
私が探求したいのは 多分「カフェ」みたいに もっと「文学」とか
「建築」とか今までのハードでがっちり研究されてきた分野と違って
その間らへんを浮遊してるけど重要なんじゃないかと思われるところなのでは、、、
どなたかおすすめの本などあったら教えてください。

カフェでの出会い

2011年11月02日 | パリのカフェ的空間で



 昨日はやけに天気が良くて
ああ東京の秋晴れって何年ぶりだろう
こんな東京の秋の空が好きだったなあ!と感慨にふけり
色々とやらなきゃいけないことが山積みになっていたけど
今日はどうしても広尾のカフェに行ってしまいたい!と
電車に乗って行ってしまった。


 さて、いつも通り10時半くらいに着いてみると
やっぱり外の空気が気持よくって 最近は
私も少しずつその場になじめて来たのだろうか
ちょっと知り合いができたりしはじめ
午前中に2人の知り合いに会い 仕事をしながら
色々と話をさせてもらえて面白かった。


 カフェでの会話、カフェでの出会いはなんだか
とっても面白くって これまでここであった話を
挙げてみる と なんだかすでに山ほどあるけど


 先日たまたま出会ったフランス人の様子について
オーストラリアから来た人としていた会話
「それで、今度のフランス行きはどうなったの?」
「一週間だけ行くんだよ。ずっとサイクリングするんだ」
(何故か偶然出会ったこの人は私と同時期にフランスに行く)
「それにねえ家の工事もあるからね 結構忙しいんだよね」
「たった一週間なんて短いんだね もっとゆっくりしたらいいのに。
南仏の人たちって怠け者だっていうから忙しいとやりとりが難かしいんじゃない?」
「怠け者って言い方はよくないよ 彼らは彼らのやり方があるだけだ」
「そっか ごめんなさい ボキャブラリーがあんまりないの。
そういえば前にみた『プロヴァンスの恋』とかっていう映画は面白かったな。
ロンドンの忙しいビジネスマンが
訳あって南仏に滞在することになってね 彼の忙しいやり方と
南仏のゆったりした雰囲気がすごく対照的なの」
「それがフレンチウェイなんじゃない?」
「フランス流といえばね 私がここで出会ったフランス人の人は
すごいゆったりしてるよ。3週間くらい奥さんに会いに
東京に来てるみたいなんだけど 午前はここでゆったり過して
午後はちょっと散歩するんだって でも美術館とか
色々巡ったり 京都行ったりもしないんだって!」
「それはすごいね、、、僕はオーストラリアンウェイだなあ」
(それでもこの人の日本人からみると随分ゆったりしてみえる)


 さて、そのフランス人はといえば、色々と面白いことを
言っていて 「パリってのはねえ やっぱり夜の街なんだよ」と
教えてくれる。この人は子供が15歳くらいと言っていたので
多分40歳代だろうと思うのだけど 日本で40代の大人が
夜の街を楽しまなきゃねなんて言えるだろうか?
夜を楽しむのなんて20代くらいで終わりじゃないか?
私はうまく説明できなかったけど 日本で最近
「大人の遊び場」って言葉が使われてること
パリに行ってなんだかそんなの笑っちゃうなと思ったこと
だってパリにはそんなのが溢れているからってこと
どうしてパリプラージュができたのだろうとか
はたまたビザのいろはに至るまで いろいろ
教えてもらえてとってもありがたかった。
そう フランス人はゆったりしている
彼らには彼らの時間の使い方があるようで


 だってピクニックいってても3時間も4時間もいるもんね
日本人なら2時間くらいがせいぜいじゃない?
バカンスに行こうものなら彼らののんびりの仕方はすごい
そして彼らは1週間でパリを早足で駆け回るような
日本人達を「かわいそうね」という目で見つめている
なんだか全然違うんだ。
(よくパリでは「どうして日本人はそんなに夜中まで
働くの?」と不思議そうな顔して聞かれます。
ちなみに信じられませんが怠け者にみえるフランス人たちは
なんとGDPが世界5位なんですよ 日本は3位!こんなに
必死に働く人たちとバカンスと家族を大事にする
人たちの差はわずか2位。。。彼らは生産性が高いらしいです)


 このカフェはパリのカフェみたい というか
むしろユースホステルとカフェが合体したような
あまりにも国際的で だけど東京に住んでる人が集うから
それなりに常連の人が多くって あの人また来てるなという人が多い。
夕方に来たら目の前で勉強していた中国人の女の子に
おじさんが声をかけている。
「いやあ美人ってのは大変だよね 要求が多いんだ。」とか
「君は一人っ子なの?そりゃあ淋しいねえ!兄弟は大切だよ」とか
なんだかいろいろちょっかいを出し「兄弟がいないなら僕が
兄弟になってあげよう」とかナンパなんだかナンパじゃないんだか
よくわからないことを言っていて 最後に「それで?君、
名前は?」ということになっている。

 そう カフェの出会いには 名前も自己紹介も必要がない
だけど どんな人なのか は だいたいわかる
それでちょっと話が合ったら 名前を聞いて
場合によっては連絡先を聞いたりもする そんなやり方が
私は好きだ。そういえば私の人生を結果として変えることになった人たちは
一人はバスチーユの哲学カフェに来ていた人で
一人はカフェドフロールの哲学カフェを主催していた人だった。
カフェでの出会いは面白い。


 たまたま隣にいただけなのに 「え?そんな!」という
情報を持っていることがある。そのフランスから来た人は
私がまさに知りたい情報を色々と教えてくれたし オーストラリア人の人は
不思議なことに11月にフランスに行くという。みんなに
共通してるのは カフェという場 特にパリのカフェみたいに
なんとなーく座っていられるテラスのある ここのカフェを
気持がいいと思ってることで「今日もいい天気だねえ!」
なんていいながら 自分のやりたいことをやってみたり
時に会話を交してみたり 街行く人や 街のざわめきを感じてみたり。


 今日はカフェでオルデンバーグの「The Great Good Place」という
サードプレイスに関する本を読んでいたけど まさにそんなカフェが
街中に溢れてる パリという街はとても素敵だ。 ブリュッセルやウィーンも
そうらしく この本が書かれた当時のアメリカに ヨーロッパから
渡った人は どんなに家が大きくたって こんな感じの
誰かに気軽に会えて ちょっと降りて行ってリラックスできる
そんな場がない生活を 監獄のようだと思ったという。
私にはその気持がよくわかる。家は小さくってもいいから
インフォーマルパブリックライフを大事にしたい
そこで沢山の人と意見を交して 違う視点で物事をみて
それで何かを書いて行けたら そりゃあ楽しいだろうなあ!
このカフェにいて それから図書館で本が読めると
ボーヴォワールの気持がわかるような気がする
さぞかし彼女は楽しかったことだろう。
彼女もカフェで 沢山の人に出会った 
カフェで宣戦布告を知って カフェで沢山のニュースを聞いた
沢山の物語が刻まれて行く そんなカフェ が 身近にあること
それってすごく人生を豊かにすると思う。


 そんなカフェ 人との素敵な出会いがあるカフェ、
世界も自分も開かれていく 気楽で自由な雰囲気のカフェが
もっと日本に増えてほしい。


 

フランスに行くなら

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