たった一杯のお茶から 人生が変わることがある。
たった一軒のカフェから 人生が変わることがある。
そして街さえも が 変わって行くことがある。
そういえば昔影山さんと話していたカフェに関するサイトの名前は
Un café という名なのだった。Un cafe? どうしてわざわざ Un がつく?
どんな意味だったのかなあ と ぼんやりと考えていた。
私が昔とても好んで 最近また頭の中をまわってる
槙原敬之の「MILK」という歌の中には
行き詰まってしまったときに友人の家に行き
その友人に抱きしめてもらうような ちょっと背中を押してもらうような
そんなシーンが描かれている。「あたたかいミルクみたいだね」という
その歌詞から 私はずっと 彼がお茶をいれてくれたのかなと思ってたけれど
もしかすると そんなことは具体的には描かれていないのかもしれない。
私が勝手に想像しながら歌っていると どうしたって
小さなアパートの一室で ミルクのようなお茶を出してくれる
心優しい友達 という絵が描かれるわけだけど
どうしてそう思うかといえば 私がそんな風にして
一杯のお茶で救われたことがあるからだろう。
もう10年以上も前にパリに留学していた時
私はかなり辛かった。沢山の理由があるけど ひとつは行った学校だろう。
私のフランス語力もひどかった。今だってあの学校にまともに
ついていけるとは思えないのに フランス語が留学生の中で一番下手だった
私にも同じ課題は課され続けた。憧れのはずのパリ。図書館漬けの日々。
のしかかるプレッシャー。当時の私は本当に危うい線を漂っていた。
もう駄目だ・・・そう思った時に
確か私は電話をかけた。同じ寮に住んでいる 唯一の日本人、こういちさんに。
こういちさんは私にはとても眩しい人だった。流暢なフランス語。
寮内での外国人やフランス人との楽しそうなやりとり。私は何もわからなかった。
その上彼はフランス語を大学で学んだ人なら一度は憧れるであろう
フランス政府の給費留学生という 日本でたった数人しかとれないという
留学枠を勝ち取った人なのだった。こういちさん・・・それでも彼は
威張ったようなところは何もない、本当に優しいひとだった。
「すみません・・・ちょっと行ってもいいですか・・・」
彼は快く部屋のドアを開けてくれ 私のことを通してくれた。
私はもう死にそうな状況だということを彼に話した。
彼はお茶を入れてくれ、話を聴いて、こう言った。
「今のみきちゃんにはわからないかもしれないけれど・・・
僕もね、今のみきちゃんとおんなじことを考えたことがあるんだよ。」
え?このこういちさんが、、、私は目を疑った。
彼にもそんな辛い時期があったなんて信じられないことだった。
そうして当時27歳くらいだった彼は私にこう言った。
「だけどなんだかうらやましいなあ 今はそんなこと思わないから
まあ 若いってことだよね・・・大丈夫。時は過ぎるよ
どんなに辛い時だって その時間が来たら過ぎていくんだ」
こういちさんがその時に 私を受け入れてくれたこと
私の話を聴くために 時間をとってくれたこと
そしてお茶をいれてくれた そのことを 今になっても覚えてる。
私はその時死にたい気持ちで一杯だった。でも彼は「ぼくもそうだった」と
お茶を飲みながら語ってくれた。ただそれだけのことがあり
私は死なずにすんでしまった。一杯のお茶を誰かが自分にいれてくれる
そして「話を聴くよ」という姿勢を見せてくれる
それだけで 救われる命があるわけだ。
その後彼がどこで何をしているのかはわからない。
何度か手紙を書いた後 それが宛先不明で戻って来てから
私には行方がわからない。彼は私とお茶してくれた。ただそれだけのことだった。
一緒に近くのカフェのテラスでビールを飲んだ夜もある。あの幸せだったことといったら!
シュールレアリストがカフェでしていたという遊びを教えてくれたのも彼だった。
もしかすると こういちさんは 私にパリのカフェの使い方を手ほどきしてくれた人なのかもしれない。
たった一杯のお茶やカフェ が 人生にあるということ
それがどれほど 人生に彩りを与えるか
そんな時間が どれほど記憶に残る時間か
そのころはまだわからなかった。誰かが注いでくれるお茶
誰かとともに過ごすカフェの時間 一杯の暖かい飲み物が
それまでの頑なな心をスゥッと溶かすことがある。
誰かにスッとお茶を出す そして何かが溶けていく
技巧に凝ったカフェもあるけど 一杯飲むとスゥッと涙が流れてしまう
そんなお茶と お茶の時間を提供できる そんな人になれたらいい。