alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

産後鬱

2015年09月10日 | 子育ての苦しさ
 産後鬱、という言葉がある。子供を産んで
しばらくしてから子供の泣き声に振りまわされ、
自分の身体の調子も元にもどらない状況の中、
次第に色んなことに対応できなくなっていき
鬱っぽくなっていく。
産後鬱、というのは病院で診断されるような
たぐいのものかは知らないれど、私は
明らかにこの産後鬱になっていた。


 まだFacebookもなかった時代、iPhoneも登場しておらず、
メールといえばパソコンを開くか携帯メールしかなかった頃。
子供が生まれ、祝福され、でもなんとなく友人達の足は遠のき、
友人たちの中でもダントツに早く子供を生んでしまった私には
近くに頼れる「先輩ママ」もいなかった。
妊娠中と同じような気持で家に遊びに来てくれる友達。
それはとっても嬉しいのだけど、私の体力は
かつてのように3時間も友達を受け入れることは不可能で。
山積みになっている洗濯物。ご飯を食べようとした瞬間に
泣き叫ぶ赤ん坊。食べても食べても満腹感を感じられない
私のお腹は二人分食べないと持たないというのに
この体力では洗い物すらままならない。
助けて・・・・どうしたらいいのか、誰か教えて・・・
母が京都まで来てくれたときはなんとか話し相手がいたものの
母も帰り、旦那も仕事に行ってしまうと私の話し相手は
言葉が通じるのか定かではない赤ん坊一人だけ。
大人とは話したことがあっても子供との
付き合いなんて皆無だった私は仕方がないので
赤ん坊を抱えてひたすら童謡を歌い、
宮沢賢治の童話を読み聞かせ、彼が時折寝てくれるのを待っていた。



 カフェに通い続け本を執筆した妊娠時代、
その近所のカフェにようやく子連れで行けたのは2ヶ月が経ってからだった。
ふらふらの身体で近所のATMに寄っただけで熱中症のようになり
その後ちょっと1時間だけと許しをもらって(近所だった)
灼熱の祇園祭に出かけていったらまたしても身体はふらふら。
生きているのが本当にやっと。洗濯物をたたむ気力すら
残っていない、そんな日々の繰り返し。


 私・・・色々できたはずなのにな・・・
家事だってそれなりにできたはずだったのに。
1日中家にいるのに洗濯物すらままならない、そんな自己嫌悪から
はじまって、次第には大学に通ったことすら
忘れてしまった。私、京都の街を自転車で走っていたことが
あったんだっけ・・・?全ては遠い彼方に去った。
あるのは誰か知らない別の「彼女の」人生だ。
「自分の」人生だと思っていたもの、もうすぐ
手に出来ると思っていたもの、それは目前にして
遠い彼方へ葬りさられ、私が笑う時は子供につられて
笑う時だけになってしまった。
私、母になるために生まれて来た訳じゃないって、
そう思って本を執筆したのにな・・・



 きっと昔からお嫁さんやお母さんになることに憧れて来た人たちは
産後鬱にはならないだろう。産後鬱とアイデンティティクライシス、
自己崩壊は密接に関わりがあると思う。
また自分を活かせる素晴らしい職業につき、
それなりに自分で時間管理ができる人たちが母になっても
そう問題はないだろう。彼女達には復帰できる場所があり、
限られた子育ての時間を存分に大切にしようと思えるからだ。
けれど実際の世の中にはそんな「VERY」のように華々しい仕事をして
うまくいっている人ばかりがいるわけではなくて
私や私のまわりの女性のように
それなりの大学に行ったものの
就職先などで問題があり、一度その会社をやめたような人が
付き合っていた人と結婚をして子供が生まれることになった時
そこから問題が生じてしまう。彼女達には保育園に通せるほどの
しっかりとした「復帰先」があるわけじゃない。
ちょっとした「得意分野」に週5日勤務のハンコはついてこない。
けれども高等教育をしっかりと受けてきたから
専業ママ一本になるのは気持的に葛藤がある。
じゃあどうすればいいのかって?その人たちに選択肢なんて存在しない。
幼稚園ママになり、子供が幼稚園に行っている間に
好きなことができるよう、ただひたすら待つしかないわけだ。
(一時保育は使えても週に1度がいい方だ)
つまり子供がオギャーと産まれたその瞬間から、
ハイ3年、少なくとも3年は、子供のために我慢してね・・・
(「二人産なら7年よ・・・」とうちの母)
となってしまう。そしてママ友たちは遠い目をしてこう語る
「あと1年したら・・・そしたらあのお店でランチしようね!!」


 20代後半や30代後半の、人生まさにこれから!といった気分の
女性達が、ヒカリエのまさにターゲットとなるような
キラキラした都会の女性達の1人だったような人たちが
いきなりそんな状況に陥ってしまうこと。
そして周囲から差し伸べられる手が、あまりにも
求めているものと違うこと
(「そんなことしてて旦那さんのご飯は大丈夫?」)
さっきまで独身女性と仲良く話していた人たちが
言葉の通じない(ように思える)子供もしくは
母であること以外に共通点の何ひとつない「ママ友」
(しかもけっこうライバル心があるような・・・)
とだけの付き合いで生きていく。
そりゃ、鬱になってもおかしくないんじゃないの??
しかも子供が産まれる→家が狭いから引っ越しをしよう
→家賃的に都心部は無理→郊外に引っ越しになってしまうと
以前の友達とのつながりも切れ(子育てしているママの
行動範囲は半径500メートル以内ともいうそうだ)
孤独は深まる一方だ。



 つまり私が問いたいことは、産後鬱って
誰でもいい誰か3人に一人がなるような「運が悪かったね、残念!」
というたぐいのものでも、その人がやたらネガティブだから
でもなく、かなり社会的に引き起こされる状況なのではということだ。
同じ状況に置かれてみたら?あなたもなりうるんじゃない?
核家族で、助けてくれる親族も近くにおらず、しかも
「子供のために」引っ越ししてしまったら?
今は輝いている花嫁もも、いづれそうなるかもしれない。
これから産まれてくる子供達と母親がもう少し幸せで
いられるためにはどうしたらいいのだろう?
もっと女性達が口を開いてみることか・・・

子育てのしにくさ

2010年09月27日 | 子育ての苦しさ


 日本って 子育てしやすい国なのだろうか
それは子供を産んでから の かなり長い間の
疑問なのだけど フランスにちょっと行ってみて
「フランスは日本よりよっぽど子育てしやすいんです!」と
雑誌でかなり騒がれていても 実際のところ
どうなのかなあと思わされることが多かった。


 例えばメトロの入り口は今でもかなり複雑で
ベビーカーですっと入ることなんてできないし
エスカレーターも上りはあっても下りはないし
エレベーターなんてほとんど見つけることもできなくて
じゃあどうやってメトロに乗るの?ときいてみる と
「ほとんど乗ることなんてないわよ バスなの!」と
返事がかえって驚いた。


 フランスは子供が産みやすいとはいうけれど
おそらくそれは 自分で3歳までみるのではなく
早いうちから誰かに子供を預けて働くママによいのだろう。
あそこでは ベビーシッターや乳母をやとったり
たまに集団保育にいれてみたりとか
何人かで交代で保育園みたいなのをしてみたりとか
そんなことをしているらしく 日本みたいに
小さいうちからものすごい人数のいる集団保育!では
ないらしい。それに3歳くらいまで専業主婦 というのも
ないみたい。(とはいえパリに住んでるフランス人に
聞いてみるとパリの保育園事情は本当にひどい
保育園なんて入れないよ!!とかなり言われる)





 さて 日本では? 以前読んだ資料によれば
まだまだ7割くらいの人は3歳まで自分で
育てているんだそうな!そしてその後は幼稚園。
ちょっと自分の時間もあるかな?と思いきや
幼稚園にかかるお金はかなり激しく 月4万円くらいする上
なんと入学金までいるらしい(初耳!しかも15万から
20万円だって じゃあ年間いくらかかるわけ!?)
それじゃあ2人目産めないよ、、、と
兄のお嫁さんと今日話してて
なんでこんなにお金がかかる国なんだろうと嘆いてた
(ちなみにフランスは3歳から幼稚園無料だそうです)


 それに加えて最近は虐待通報騒ぎもあって
じゃあどうやってしつければいいの?
ご飯中に席につかないと言い張るときは?
お菓子をもう1個よこせといってきかないときは?
お風呂に入らないといってきかないときは?
長靴はくっていってたのに外に出たとたん
靴にするって泣き出したときは?

 そんなとき どうしたらいいかって?
子育てをしてきたおばさんは言う。
「放っておいたらいいのよーー 泣かせてなさい!」
でもその泣き声があまりにうるさく何十分も続いたら?
世間は虐待さわぎになってて 義姉のマンションには
警察官まで来たという!そりゃ泣くよ!!


 「日本って子育てしにくいよねえ、、、」


 本当に そう思う。


 「じゃあどうしたらいいんですか?」と
手のかかる子を持った親はみんなに嘆く(特に男の子の親!)
だけどだれも答えてくれない あいまいな答えだけ で
一日中彼女は一人で悶々とする
「うるさい!!!」とも言いたくなるし
「もうやめて!」とも叫ぶだろう。
だって本当につらいんだもん
でも誰も助けてなんかくれないし
手を差し伸べてもくれないけれど
怪しい「通報」だけは存在してて
私は声を大にしていいたいけれど
絶対そんなの間違っている!!
もっと違う 子育てのしやすい社会があるはずで


 その1つ の 解決策は
一時保育をもっと増やすことだろう。
そのためには週5日の枠をもっと減らしたっていいと思う
だって心の底では子供ともっと離れたいから
仕事をしたい そう思ってる「待機児童」の親なんて
沢山いると思うから。その人たちが週に2日や3日でも
子供と離れて働くことや やりたいことができるだけで
よっぽど環境がかわるのに ところが一時保育ときたら
保育園どころの騒ぎじゃなくて 本当に枠がなくって
存在自体を知らない人も多いだろう。週3日 パートで
働くだけなんだったら 一時保育でもいけるのに
だったら一部屋 保育園の通常の枠をへらして
一時保育に変えてくれたら もっと虐待だって減るのだろうに
もっとゆったり しあわせに 子育てだってできるのだろうに
たくさんの焦りや不安とひきかえに
大切な一歳くらいの時を保育園に全て預けなくっても
何かを得ることはできるだろうにと思うけど


 それからもっと けやきみたいに
地域の人が 安価で行けて 交流できて
みんなほっとしてお話できる そんなカフェが
地区に1つくらいできたらいい。お茶代は
200円くらいしかしなくて 子連れと
65歳以上の人は 役所から何枚かつづりの
無料券が配られて 本当に気軽にいけて
受け入れられて ほっとできる場
地域でもっと 子供もお年寄りも
なかよくできて お互いに配慮しあえる
そんな場があるだけで 絶対に違うはずなのに。



 子育てはたしかに辛い。
子供は大人がしてほしくないことばっかりを喜んでする
泥水のなかで飛び跳ねたりとか
傘を折ろうとしてみたり
棒をもったら誰かをたたいてみたくなる し
スーパーではお肉のパックを押したくなるし
電車の中ではたまに叫びたくなってしまうし
机の上にものりたがる。


 なんでこんなに正反対?!と思うくらいに
ひどいことばっかりするけど
それも見方を変えてみて 一緒にやってみたりする
と 意外に楽しさのわけもわかって
なーんだ こっちがもっと広い心をもって
子供心も大事にしたら 物の見方も変わるのにと
学ぶことも沢山あったりもする。


 「保育園さえ増やせば全部解決します!」と
人は言うけど 私はそうは思わない。
保育園の騒音といったらすごいものだし
その隣にすむ人が それだけのものを全部
我慢して受け入れなければいけないことも
預ける側は頭のすみにもないわけで
「子供は社会が育てればいいのでは?」と思っても
保育園だけが社会じゃないし 親と子が関わる中で
社会を教える それも大事な姿だろう
だって保育園の子がいくら公園に溢れてたって
一般人は関われない。彼らはあまりに集団だから。





 何かが違う と 私は思っているけれど
どうしたらいいかと言えば 時間をかけて
考えるしかないわけで 私はそれを
フランスにいって もっと学びたいとも思う
日本で子育て かの地で子育て
飛び込んでみたら 違いが身体でわかるのだろう。
どちらの国にもいい点もあれば悪いとこもあるわけで
いつの日か フランスで子育てもしてみた上で
子育てに関する本を 自分の視点をちゃんと活かして
書ける日がきてほしい。
(ちなみにパリには子供専用のカフェがあるそうです。
上にあげた写真がそのカフェ ゾイド。
私のちょっとした夢はそこの常連になること
子供がいないと入れないのでまだ入店できてませんが)

 

負け犬の遠吠え

2010年03月17日 | 子育ての苦しさ
 今日は近所で開催されてる「ママのホッとサロン」という
イベントにれんちゃんと行き 最近仲良くさせてもらってる
おばさんたちも今日はそこに来ているはずで
どんなかなーと思っていたら 会自体はよかったのだけど
個人的にショックな出来事が待っていた。


 「今年度ももう最後ですからね。一年間やってきましたけど
どうでしたか?年度末だからこれがもう最後という人もいるでしょう
どれくらいいはりますかー?ちょっと手をあげてみてください」


 主催者のおばさんの声にあわせて 手をあげる人
あーあの人 保育園にいくんだってきいてたな、
と思っていたら あれ あれ あれ!?
あの人もこの人も!!えーこんなにごっそり抜けちゃうの!!?


 私の住んでる西京区 は かなり待機児童がたくさんいる区で
(京都で一番のファミリー世帯が住む区なのだ)保育園の
見学に行ってはみたものの 「ほとんど空きはありません」という
状況で れんちゃんの年の子は 入れても2人くらいと
いわれてたのに えー!!! まさか!!あの人まで!
ついこの間 一緒に遊んでいたというのに
きいてないよー!!!


 無理だと思ってあきらめて 申請書を出さないでいた
私ともう一人のお母さんは 児童館から帰るときに
こう言っていた。「なんか置いてきぼりになった気分、、、」
「なんていうか、、、 ショックだよね、、」
先日仲の良かった友達が働き始めたばかりで
それもあまりに急だったから ようやっとその
傷を癒せそうになってきたところだったというのに
なんだかとっても形容しがたい気持ちになった。
(みんな勉強してないっていっていたのに
自分だけテストの点が悪かったような気分 わかります?)



 そーなんだー みんな一歳で それ以下で 
もう預けちゃうんだ、、、 そして新しい
「保育園ママ」たちは仲よさげにメールアドレスを交換しあう。
なんだかいいよなー 「先を越された感じだよねー」


 主婦になった女性達は 友人が第二子を妊娠したと知ったときや
知人が家を購入したとき 同じような なんとも言えない
ショックを受けると聞いたけど 保育園と働きだすのも
そんな気持ちになるんだなー


 だけどさー いいのか一歳で!!?と思うけど
「3歳児神話」で検索してみると とくに発達に違いなんてないんだそうな
それにさ 両親が働いてたら 教育費だってかけられるから
いい大学にいける可能性も高くなる訳で
現に私の知ってる 0歳児から保育園に入っていた
人たちは みんないい大学に行っている。


 でもさー 母親は 母親はどうなの?
「本当に経済的理由であったら仕方ない」というのはよくわかるけど
たくさんのママと接しているから言うけど たいていのママたちは
「ストレスになるから保育園にいれたい」と言っていて
現に入れた人たちは「育児休暇のときが一番ストレスだった」とか
平気な顔していったりもする。そりゃさー だってさ
朝の8時から夜6時まで 預かってもらったら
そりゃ ほとんど子育てしてないじゃん!!と
私はいいたくなるのだけれど
大変だとはいったところで 子育て自体の関わりだったり
ストレスは 預かった人が感じているわけで
すました顔して「仕事と子育ての両立」なんて
決して言えないんじゃないか と私は思ってしまうけど、、、


 ま 負け犬の遠吠えなんだと言われてしまえばその通り


 なんだか私は 就職活動をして まわりの人が
大企業に内定をとっているのに自分はいっこうに
落ちてばっかりな そんな気分。


 だけどそんな時私を助けてくれていたのは
『知識人とは何か』であって 今の私が思うのは
そりゃね ボーヴォワールは子育てを馬鹿にしてたし
女性も男性同様戦ってなんぼだと思っていたし
その思想が圧勝したわけだけど
それってなんか とてもヨーロッパ的というか
「子供は邪魔者」な発想で
でも日本には かつて外国人から「子供の楽園」と
称されていた日本には もっと大人も子供も老人も
いっしょに楽しくゆったり生きていけてた
そんな何かがあったんじゃないかと思うのだけど、、、


 子供を邪魔者にしていたら それで独身のころのように
黒いスーツの男性たちの中み混じって ひたすら
働いたりしていても もちろんお金は稼げるけれども
社会はあんまり変わらない と私は思ったりするのだけれど
「そりゃそうよ 社会を帰るために働くんじゃないのよ!」と
言われて終わりなのだろうけど 社会をもっと良くするためには
もっとたくさんの人や生物達も生きやすい社会にするには
これまでのように たいして必要でもないものを
必要そうにみせかけて 無理矢理売ってく そんなことを
続けていくのでいいのだろうか?
多様性というのなら(別にママたちはそんなこと言ってないけど)
多様性を共存させて お互いが本当に生きやすい
そんな場をつくっていかなくていいのだろうか?


 私のまわりのママたちは 「子育てばっかりなのがストレスだった」
「社会と関わりをもちたかった」「社会から切り離された感じ」
ということを たぶん一番重視していて
「やっぱり働いた方が」「お金もちょっとは手に入る し
それによって 自分の時間もちょっとは手にすることができる」と
言っていて どうしてもお金が必要でせっぱつまってというよりも
むしろ「自分が自分でありたい!」という 自己同一性を保つため に
働く事にする訳だ。


 それはものすごーくよくわかる し 私だって
中原先生に出会う前は 本当にそんな気持ちでいたけど
ここまで これほど 子育てがただの「ストレス」という
言説で 語られるだけでいいのだろうか?
誰かもっと 「子育ては大変なこともあるけど
自分がものすごく成長するの」とか「子供といる時間は
それまでは存在さえもしてなかったけど
人生の次のステージにいくにあたって 本当に
大事な時間になる」とか 母になった人にとって
子育てがもっとプラスなはずじゃないかと
どうして言ってくれないのだろう?


 こんなにも 根源的な営みなのなら
きっとストレスなだけじゃない。
ストレスは 社会的 精神的に生み出されてる。
今までの人生との比較とか 今日の私のように
働いている人との比較とか だけど だれか
「子供は宝だ」「社会の宝だ」と
だからみんなで育てようとか
もっと言ってはくれないかなあ?


 あまりにも母達は 母になった女達は
とらわれすぎているようで 私自身もそうだけど
子育てをして そのあと自分がどうなっていくか
想像もつかずに怖じ気づいてる。
戻りたい 怖い こんなんじゃいやだ!
いつまでこれが続くんだろう
時間を無駄にしている感じ、、、
そんなマイナスな感情は 非常に今の時代と相反してて
だから母達は必死になって 乳飲み子をかかえて
保育園を見学にいく。


 でも それで いいのかな??


 このままじゃ 0歳児から 80代のおばあちゃんまで
保育園やら介護施設やら 「施設」が人をみる時代になるけど
そこには本当の地域での交流や行き来なんかが欠けていて
働き盛りの人たちは 地域のことは見向きする余裕さえなく
朝から電車で働きにいく。社会には2つの種類が存在している。
「会社」中心の「社会」とほっぽりだされた「地域社会」。
かつて人は 地域で生きていたんじゃないのかな
こんなに社会が二分され 地域社会で生きてる人が
置いてきぼりをくらったような そんな気持ちになっているのは
とても最近な気がしてて それってなんだかおかしいような
そんな気がするわけだけど


 マトリックスは 人々に無意識に複製されてく
でもそれで本当にいいのだろうか?
まずはそれがマトリックスだと気がついて 
指をさしてみることなんだって。
子供を産んだ女性たちが「何か」を再び手にするために
「保育園に預けて働きたい!!」と思うのは
大学3年生が必死になって大企業に就活している
そんな状況に 似ているように思うのだけど
それはマトリックスじゃあないのかな?
自分の人生も子供の人生も
何のためにうまれてきたのか
子育ても就活もそれをもう一度よく考える
いい機会になっているとは思うのだけど、、、




断乳

2009年08月09日 | 子育ての苦しさ
 横浜に帰っているとき 両親の助けもあって
私とれんちゃんは引き離されて 最大7時間くらい
一人で外出させてもらって それでも帰って「ミルク飲んだの?」
と尋ねてみると「飲んでないよ ご飯だけで大丈夫!」との
ことだった。だんだんと 4ヶ月のころの壮絶な
おっぱいの張り方に比べてみたら 私の胸も
張らなくなって 7時間あけてみたって
気持ち悪くもならないくらいで すごいもんだと驚いた。


 ところが京都に帰ってきたら れんちゃんは私と
いつも一緒の空間にいて そうするとおっぱいが気になって
何かにつけて 寄ってきては おっぱいおっぱいと
要求してくる。それを私もなんとかあの手この手で
かわそうとしてみるけれど だんだんと疲れてきちゃって
もういいよ そんなにおっぱいおっぱい言うなら
もうあげるから、、、と思ってしまう。


 最近はちょっとお洒落もしたくて
授乳服をやめてみて だから外出先では以前よりぐんと
おっぱいをあげにくくなってしまった。
けれども彼が要求するときというのはあるわけで
そんな時には途方にくれて トイレに駆け込んでみたり
するけれど、、、 いつやめられるのだろう。


 せっかく横浜でがんばったのに またもとのように
彼はおっぱいおっぱいで 私はやっぱりへろへろになり
もうやめて!!という気持ちばかりで
おっぱいをあげてるからって いい感情が生まれるかって
次の子が生まれたらもうミルクにしたい そんなくらいに
おっぱいは 私にとって辛かった(今も辛い)
けれども彼はかなりのおっぱいさんになってしまって
今さらそれをやめさせようと思っても
相当な努力をしないとやめられなくて
ミルクをあげようと思っても ほ乳瓶もストローも
断固拒否して泣きまくる 何もかも 抱っこさえも
拒否をして ひたすら泣いてるれんちゃんに
私はつかれて ついおっぱいをあげてしまう。
それではなかなかやめられない。


 今日母に相談したら れんちゃんもれんちゃんだけど
やっぱりあんたもまだやめるのが怖いのよ と
言われてしまった。 私にもあげたいという気持ちがあるから
つい折れてしまうんだ と 断固拒否 ねえ
私の方が拒否してみること それってできるのだろうかな


 なんと私は 恐ろしいことにおっぱいのせいで
体重が40キロ(しかも服を着て!)になってしまって
もう身体は限界で れんちゃんはぷくぷく太った。
だからもうやめたっていい理由があるわけだ。
断乳と卒乳の違いというのはどちらの都合かによるらしく
お母さんの都合の場合は断乳なんだそうな
こんな状況なわけだから おっぱいをあげても
愛情どころか「もーいい加減にして!!早く寝てくれ!」と
思ってしまっている状態じゃ やっぱり彼にもよくないらしい。


 それならば、、、 ついに断乳?
一日まだ6回以上も飲んでいる(今日は10回くらい!)
そんなれんちゃんでもやめることができるのだろうか
やめられたら 楽になれる なりたいなあ
身体がもっと元気になりたい カバのようにご飯を食べても
友人たちに「ご飯食べてる?」と言われてしまう そんな状況を
脱出したい。でも断乳もかなり根気がいるらしく
一人で突然やってみるような そんな自信もないわけで、、、


 いつ断乳にしようかなあ 実家で協力を仰げたときに
やってみるのがいいのかなあ 断乳の時は
夜泣きをしても おっぱいをあげちゃだめらしい。
れんちゃんは夜中こそ が 本格的におっぱいを飲むときだから
何をやっても 泣きやまないで みんながみんな
手をこまねいた そんな状況が3日も続くとなったなら
一人ではちょっと耐え難い、、、


 離れていくのはさみしいけれど 一つの
大事なコミュニケーションだったわけだけど
それでも夜に寝てくれたなら もう献血しないでいいなら
私ももっと 優しい顔で れんちゃんを愛せる気がするな
いつが辞めどきなのだろう まだ?と言っていないで
「明日に決めた!」といえるくらいの 気持ちがないと
だめなのだろう。 この秋には 終わらせよう
一つの大きな節目になるんだ 私も彼も
ちょっと離れる 一心同体も終わりかな?

状況を変えること

2009年08月08日 | 子育ての苦しさ
 今日は知人が面白そうな会議をするというので
えんやこら と れんちゃんを連れて
バスに乗って 電車にのって おんぶして
またベビーカーに乗せ なんとか会にいってみたけど
暑かったのと どうしてなんだか れんちゃんは
機嫌がそんなによくなくて 私はとっても疲れてしまった。


 行く前に家事をしなきゃとなんとかはりきり
しかも梅干しももう干さなくちゃと そんなことまで
した後で ようやくバスに乗ろうとしたら
おそろしいほどの炎天下。こんな状況で
赤ちゃんを連れて行くなんて と思ったものの
もう引き返すのもくやしくて 仕方ないから
遠回りするバスに乗って えんやこら と旅にでた。


 だけど今日は 後悔することばっかりで
集まっていた人達と共に
お昼を食べようとしてみたら もう手遅れに
なってしまったのか れんちゃんの機嫌の悪さは
ピークに達して ご飯を受け付けなくなって
私も私でお腹がへってて 食べたいけれど
もう抱っこしないと手がつけられなくなっていて
抱っこをしてても座るとだめで もうだめだ
もう限界だ、、、 おっぱいをあげたいけれども
そこは学生街の男っぽい定食屋で 椅子も
ちょっと腰掛けられる椅子しかなくて
授乳服もきていないから こんなところであげられない。
動きたがってるれんちゃんを こんなところで
ハイハイさせるわけにもいかないし 
もうどーしたらいいんだろう!!!と途方に暮れて
もーやめて!!!と思ってしまう
同席していた男性3人も泣きわめくれんちゃんを見て
途方に暮れていたのだろうか どうする術ももっていなくて
ただこちらを見ているだけだ。
それでもうごめんなさい、と定食を半分残して店を出て
れんちゃんのご機嫌取りで終わってしまった

 それでも私も彼もお腹はもちろんすいているから
そんなので足りるわけはなく 仕方がないから
また他の店でごはんを食べて あーなんて
お金がかかってしまうんだろう
しかもとってももったいない。 けれども
あそこでは もう店を出る以外に仕方がなくて
そういうことになってしまった。


 今日はそんなことの繰り返し で 私も
もー!!とイライラしてて そのイライラは
彼に伝わり 彼もまた泣き始め で
悪循環になってたらしい 今日悟ったのは
もうこういう状況で 大人の場所に
彼を連れて行くことは もうさすがに限界だということで
だけど私も譲りたくない。 もう我慢して
家に閉じこもり 子供とだけの生活は本当に嫌になっていて
状況を変えることしか 道はない。


 保育園にいくのだろうか ベビーシッターにお願いするのか
どちらも私は動き始めて もう変化をおこすしかない。
このままでは 2人とも幸せにはなれなくて
2人でいても なんだかおかしい。 風穴をあけることが
必要だけど どうやらそれは 私が知ってた既存の場所に
彼を連れて行くことではなさそうで 何かをもっと変えないと。

 世界を変えていくのには 手始めに身近なところから。
それがどうやらルールらしくて そうして世界は変わるらしい。
それなら私は仕方ないけど もっと街中に住んでたらとか
横浜に帰りたいとか思うけど 帰るのも本当にありだけど
でも洛西も 悪くないのかもしれなくて
ニュータウンじゃ だめなこともあるだろうけど
横浜のニュータウンには沢山の素敵な取り組みがあるようだから
ここでは絶対できないかって そうとも限らないかなあ
既存の保育園もいいかもだけど 保育所を自分でつくることも
できるんだという話をきいた。そうやって 自分の居心地いい環境を
自分でつくった人がいた。そういえばそんな道もあるんだなあと
その時わかった。それならば 私もあるものに頼ってみるだけでなく
何かをつくっていくことや 何かを変えていくことも
もしかしたら できるのかもね

 そうやって 自分たちの需要にあった大事なものを
自分たち でつくっていくこと それが自治かもしれないし
それが行政なのかもしれない なんだか最近そう思う
洛西 でも できること この新しい環境で
何かできることはあるのかなあ
少しでも人と知り合って 何か変化が起こるといいけど。

主体的な子育て

2009年07月21日 | 子育ての苦しさ
 最近とーんとワクワクドキドキしてないなーと思っていたら
友達がカフェでしてくれたワークショップのお陰で少し元気になって
二子玉のバーゲンに一人でいったら なんだか気分が盛り上がり
日曜日に開催されたカフェ研究会では 久々にワクワクする話になった。
そこでお話していた上田先生という方が 新しい本を出していたから
その場で買って 読むことにした。

プレイフル・シンキング
上田 信行
宣伝会議



 その本は『プレイフル シンキング』という名の本で
「プレイフル」という言葉 は上田先生の好きな言葉で
ワクワク ドキドキしている状態を指すんだそうな。

 私にとってのワクワクドキドキ?上田先生のpartyに行ったときは
なんだかやたらワクワクしていた。 東大で話したときも
ドキドキワクワクしていたな 表参道のワールドカフェも
めちゃくちゃ楽しかったなあ それ以外は といいますと
京都での日常生活にはワクワクもドキドキも存在してない!
自分らしさもどこにもない と思っていたけど


 上田先生によるとプレイフルな状態というのは
つくりだすことができるらしい。この本を読みながら
ここで書かれた「仕事」というのは私にとっては「育児」に
そのまま置き換えられて 与えられた仕事をいやいやするのではなく
どうして自分に与えられたのか その可能性も考えた上で
主体的に自分らしさをプラスしながらやってみる と
仕事が楽しくなるんだそうな


 それでこの一年間の私の育児を振り返ると
主体性はまるでなくって 受動的な育児だったと納得がいく。
いつも追われ びくびくし  母乳絶対主義で布オムツ主義の
義母におびえ 自分では何一つわからないまま
「げんきくんのお母さんがそういうから」という
納得のいかない理由のままで いろんなことをやってきた。
何かを調べようにも調べるような気力さえもなく
それをただ耳にしたからそうなのかも そんな程度でやってきた
そこに主体性なんてないよね なかったんだな
それにそんな自分を俯瞰する余裕なんて全くなかった
だから自分のおかれている状況が どういうものかも
何を得て どう成長していっているのかも 考える暇は全くなかった
そもそも思考が停止していた そんな状態。


 主体的に生きてゆくには ノートに何かを書いていったり
自分の立場をいちど上から眺めてみるような そんな時間が
必要らしい。 「それで自分はその仕事をどういう風にやってきたいのか?」
我が家には 方針なんてなかったし 私にも主義も方針も
なにもなかった だって受動的だったから。

 主体的に育児をしよう!と思ってみたら
主体的に自分の人生を生きてみよう!と思ったら
プレイフルになるのかな?育児はどうやら避けがたい し
変化というのが成長なのなら きっと私も成長している
育児だけでなく 自分自身も ちゃんと大事にしていきたいけど
そのためには どうしたいのか 考えていくことなのかも
目標を定めること は 何においても重要らしい
ビジネスの本なんて この一年間触れる機会もなかったけれど
なんだかちょっと ためになる。

 もうすこし 俯瞰的な視点をもって
もう一人の自分の視点で自分を眺めて
長期的視野にたってみること この状況を
たくさんの人と楽しめるようにしてみること
それがプレイフルな生き方らしい
もう少し れんちゃんにつられて笑うだけじゃなく
自分の中から ちゃんと笑顔になってきたい。

2009年07月11日 | 子育ての苦しさ

今日は朝からしんどくて なにがかドーンとやってきた
何かというのは見覚えのある そう もう私は鬱なのだろう

先週やってきてくれたげんきくんの叔母さんは
かなり危ない私をみていて「もうおさとに帰りなさい!」と
諭してくれた けれども少しはがんばれるかな
山崎まさよしの「セロリ」が頭に流れてて
頑張ってみるよ 少しだけ 頑張ってみるよ やれるだけ
なんだかんだいっても つまりは 単純に君のこと
好きなのさ ? そう思って やってみたけど
やっぱり限界だったらしい

今日は一日 その調子が治る見込みはなくて
驚いた母が助けにきてはくれたけど
眠ることさえ出来なくて

明日という日が来るのが怖い

また明日 明日になれば いつもの日々がはじまって
朝おきてげんきくんが出勤をする
パパバイバイ いってらっしゃい そういって扉をしめる
バタン というその音の影で 私のため息がそっと聞こえる
これからどうしたらいいんだろう まだ2人だけになってしまった、、、


 それでもあわただしく家事をして なんとか時間は流れていくけど
結局の処 私の今の人生は 時が流れるのを待つだけで
れんちゃんを遊ばせ 児童館にいき疲れて貰って
寝ないかなーと待っている 彼が寝たら 私も寝るだけ
そうしないと身体が持たない そして夜になり
私も寝ようとするけれど 最近はもう寝られない
そうするとすべてが悪循環になってしまう
私がイライラしていると 全てはうまくいかなくて
だけどどうして 寝られない 何かがとてもこわいのだ
また同じ いつもと同じ 変わらぬ明日が巡ってくるのが
きっととても こわいのだ


 今日の私の状態は フランスで鬱になった時と似ている
一度なったことがあるから 状況は受け入れられて
こんなとき先生がなんていうかもだいたいわかる
「帰れるうちに帰りなさい!!」
大切なのは休むこと 私も育児を休みたい
今まで一番離れてみたので12時間で それ以外は
いつもいつもいっしょにおって 泣き声におびえてる


 ああまた泣いた


 このさき私はどうなるのだろう 今は夜中の3時だけれど


もう限界か

2009年07月10日 | 子育ての苦しさ
 れんちゃんは先月に1歳をこえ、旦那の実家で
お祝いされたり京都に帰って鯛を焼いたりしたものの
ちょっとしたお祭り気分もつかの間 
大旅行の結果として高熱がでて
どうしていいのかわからない状態が続き
彼よりも私と旦那がダウンした。


 書こうとしても 一回では書くことのできないくらい
暗黒な日々が延々つづき 病院に行かせるのかいかせないのか
薬をのむのかどうするかとか 彼の家の方針と
私の気持ちがだんだん対立していって 
一人で全てを背負いながら 暗中模索している私は
本当に爆発しそうな気持ちになった


 それでいつの日だったか もう彼が泣くのに
耐えられなくて 彼が朝から泣いていた時
私も「もう嫌!!!」と大泣きをした
そしたら彼は 驚いたのか 泣くのをやめて
お父さんはおろおろしてた


 我が家は本当に大変だ。もう崩壊寸前だったけど
熱のあるとき旦那の叔母さんがきてくれて
なんとか沢山話もできて どうにかこうにかもったけど

 どれくらい耐えることができるのだろうか
この生活に 叔母さんはもう実家に帰って休みなさいと
念を押してくれていた それくらい私はもう限界で
ちょっとくらいは この身寄りのなく 友達もいない
引っ越ししたばかりの土地で やってみようかと思うけど
そのつらさがどんなものかは 誰もイメージしてくれない
京都といっても京都のはてで ほんの少しいた友達も
もう誰も来てくれないような そんな場所で
空気はいいし 住環境はいいけれど とても淋しく
話し相手はれんちゃんだけだ。


 れんちゃんはいまとてもかわいい時期だけど
れんちゃんがいると自分のことは何一つできるわけもない
手紙を書こうとすればペンをうばわれ
お茶をしようとすればお茶をねらわれ
仕方がないから逃げ回りながらお茶を飲むから
まったくほっとはできなくて
台所にたとうとすれば 私の足につかまり立ちし
よちよち歩きのれんちゃんにかまいながら仕事をすると
お皿を運ぶのもものすごく時間がかかる

その上彼は高熱のせいでおっぱいがえりをしたらしく
やたらとおっぱいにひっつきはなれなくなって
私は本当にへろへろで もう考えるということすらできない

保育園に子供をあづけて「育児と仕事で充実」だなんて
言ってる人が心の底からうらやましい。
私と言えば 時間の9割8分はれんちゃんの相手でとられ
寝ようとしたらおそわれて 頭突きをされて
鼻には手をつっこまれ おっぱいはかまれ
ときには足をかまれたりして 「もー怒った!」と
怪獣相手に反撃をして それはそれで楽しいけれど
お互い笑っているけれど こんな人生でいいのだろうか
「私の人生」って一体どこにいったのだろう
いつか帰ってくるのだろうかと 本当に悲しくなってしまう


フランス語勉強したら?と言われても
フランス語のラジオを聞くような精神的余裕はないし
ブログだって京都に帰って一度たりとも書けなかったし
パソコンをひらこうものならめちゃくちゃたたいて壊されるし
「自分」があればあっただけ すべてどこかにいってしまって
私は崩壊しかけてる 自由がほしい 自由があるのがうらやましい
自転車にだって乗れなくて 先日はじめて1年半ぶりに自転車に乗って
ああそんな自分がいたんだ こんなに楽な乗り物があったんだと
気がついた いつも私は自分の足で ひたすら歩いていただけで


切ないなー いつまでこれが続くのだろう
何のために今まで生きてきたのだろう 子育てするため?
そのためにあんなに自由にいきてきたのか
思えば思うほどに切なくなる


人によって 子育ての感想は全く違うと思うけど
自分のしたいことがあって しかも保育園にあづけられない
そんな人ほどしんどいんじゃないだろうか
お母さんを愛してくれる れんちゃんはとてもかわいいけれど
お母さんはね お母さんなだけじゃないんだよ
お母さんはね 今まではお母さんじゃなかったんだよ
一人の女の子だったんだよ 一人の人間でもある自分
それをどうにか取り戻したい けど どうしていいのかわからない

続 おっぱい

2009年06月05日 | 子育ての苦しさ

 もう一週間ほどおっぱいが痛いのが続いてて
これはきっと れんちゃんが噛むとか噛まないとかじゃなく
おっぱい自体が悪化している そう思って悩んだ結果
半年ぶりに 桶谷式に電話した。


 そうしたら今朝電話がかかって 「今日ならあいてます!」
とのことで どうしよう 今日の夜はイベントだけど
そんな場合じゃなさそうだけど、、でも行くか!と
急遽行かせてもらうことにした。


 桶谷って いいけど行くとちょっと怒られる
そんな感じがするんだけれど やっぱり行くと
「食生活はー?」などと言われて ああまたかーと
思ってしまう。ここに行くと おうちの中とは
あら反対!に いつも赤ちゃんが偉くなり
悪いのはいつもお母さん。


 だってさー そりゃ食べたいよ
美しが丘の美味しいケーキ 美味しいパンに
最近はめちゃくちゃおいしいソーセージ屋もできていて
あれやこれやと食べていた。もうかなり我慢もしたしと
5月はじめに日本酒もちょっと解禁し
イケアにいったらついカプチーノ エスプレッソベースも
ついに解禁だ、と思ってた。だってしんどかったもん
もう充分がんばったもん 半年も過ぎたら
なんでも食べれる 世間ではそう言うではないか
ところが桶谷はやっぱり厳しい。


 けれど先生が言っていた。
「あのね 桶谷がうるさいんじゃないのよ
赤ちゃんが味にうるさいの。だから乳首をかんだり
ひっぱったり 飲んでも吐いたり 飲まなかったり
湿疹を出してみたり みーんな赤ちゃんに出てくるの
それを桶谷先生は沢山みてきて 食事のことを言ったのよ」

 そうかー たしかにそうだなあ
先生の話のよこで れんちゃんはちょっと嬉しそう
先生だけが代弁者 で ここに来ると関係性は逆転で
「ほーらね 飲めなかったのは僕じゃなくって
お母さんが悪いんだよー」という感じ。
そっかー まあ 確かにそうだよなー
エゴといえば それまでです。


 それでも彼は やっぱりとってもおっぱいさんで
全くやめる気配もなくて 時に噛んでは何かを主張しているわけで
そうなのかー やっぱりケーキはもうだめかなあ
京都に帰るべきかなあ 京都はケーキもほとんどないし
結局いつも粗食だし、、、 美しが丘は美味しいのにな
洋風なのが大好きなのにな また我慢をする時か、、、


 本当に 女の人が自由になって 飽食の時代になって
仕事してたら晩婚になって こんな時代の子育ては
なんだかやたらにストレスフルで 昔だったら当たり前でも
今は育った時代が違うから「やりたいのに我慢しなきゃ!」が
多すぎて 子育てしにくい時代だと思う。
知らなかったらなくてもいいけど
知っていたら欲しくなる 恐ろしいけど
それでもやっぱりかわいい我が子が求めているなら
これからケーキは我慢しようか 


 いつもいつでも私を求めてすりよってくる
笑顔のかわいいれんちゃんに ごめんなさい と
本当に思った。我慢するのは大変だけど
やっぱり仲良くしていたい。


 

たたかい

2009年06月03日 | 子育ての苦しさ

 この3日間ほど れんちゃんと私は大変だった。
彼は毎晩なんと5回ほど起きてはわめいて
おっぱいを求め 激しい勢いでぐびぐび吸って
また1時間ほど経ったと思うと わーんと泣いて
おっぱいだ。ところで彼は今何ヶ月?もうすぐ1歳なんですが、、、

 
 新生児並に起きている。


 新生児だって3時間おきにおっぱいとかで
れんちゃんの方がよっぽどおっぱい吸っていて
この年頃では考えられないくらいだろう。
もうやめている子だっているのに そろそろ卒乳の時期なのに
そんなことまるで考えられない だってぐびぐび
大人が牛乳を飲むように 1時間ごとに吸っている


 そうして私は 朝の5時にはもうおかしくなっていて
本当に育児が嫌になってる。 それでもここには
母がいるから なんとか朝ちょっと預かってもらい
午前中に寝させてもらって ようやく回復気味だけど
京都に帰るとどうなのだろう おっぱいを吸いに吸った
れんちゃんは 死人のような私を横目に
めちゃくちゃ元気におきていて
元気なのはいいことだけど ちょっとは元気をわけてくれ!!
と せめてそんなことを言いたくなる。

 
 そうして私はムカムカしていて ちょっと文句を言いたくなって
れんちゃんはそれにちょっと傷つき 二人は感じが悪くなる
その繰り返し。


 悪循環に拍車をかけているのはわたしのおっぱいで
またしても歯が生えてきたれんちゃんは その鋭い歯で
乳首をかんで そのたびに激痛が走る。
この激痛がどんなのかなんて イメージしてもらえるだろうか?
毎回注射をうつような感じなのかな 自分のめっちゃ弱いところに
鋭利な歯がぐさっとささる もう犬にかまれるのがこわい人と
同じ心理で 近寄るのさえ嫌になる。

 おっぱいを求めているのはわかるけど さああげよう
その瞬間に びくびくして固くなってる私が存在していて
そして睡眠不足のイライラで きっとおっぱいもおかしくなって
やっと飲んだかと思いきや すごい勢いで泣き叫ぶ
ああもう 万能薬のおっぱいが これでだめだというのなら
それでも彼はおっぱいを 求めているというのなら

 じゃー どーしたらいいんだよー!
 ブチッ! 
 何かが切れる そんな感じだ


 そしてれんちゃんは激しく激しく泣きわめき
だっこしてもすさまじく反って落ちそうになり
もう嫌だ!と思った私は ついにれんちゃんを床に置く。
「泣いたって放っているよ」そんな声をよく聞くけれど
私にはそれができなくて いつもいっつもすっとんでってた
そしてすぐに抱っこをしていた いつも駆け足で
かけよってたけど 今度ばかりは挑戦だ。


 床に放ってみたものの のたうちまわるれんちゃんを
5分も放ってはおけなくて 仕方ないから抱っこをしたり
外に出したり おんぶをしたりするけれど 何してもだめで
途方に暮れる もう救急車でも呼びたいよ、、、


 こんな時に 母もいなくて 旦那も遠くて
だれに相談したらいいのかもわからないし
電話すら持てないような状況で もうどうしていいのかわからない

 結局どうしたのだろうか なんとかかんとか時がすぎ
母が帰ってきた頃には ご飯も食べさせ おっぱいもあげ
やっと彼は寝たとこだった 本当に疲れた
そして彼は1時間半通して寝ていた


 なんだったのかな なんなのだろう 夜泣きが減ったと思ったら
今日の朝はそんな感じで でも同じ泣かれるのなら
夜より日中のほうがまだましだけど 本当にそれでもしんどい
ここは実家だったから 母が早くに帰ってきたけど
これが京都だったなら それでまた9時とかに帰ってこられたのなら
もうどうなってるか わからない。 


 「これからが大変よ~」とすべての人が脅していった
そんな時期にもう突入し 毎日毎日 余裕が全くない状況で
いつも追われているけれど それでも午後には仲直りして
今日も機嫌良くしてくれていたけど ちゃんと笑顔で触れ合ったけど
今晩は何が起こるのだろう 明日の朝はどうなのだろう
それが怖くて眠れない。。。


放任

2009年04月20日 | 子育ての苦しさ


 先日旦那さんの妹さんと話してたときに
「子どもを産んで良かったことって何かあるかなあ?」と聞いてみたら
「気づいたことは沢山あるよね」と言っていた。
「そういえば私はいかに社会が問題だらけか気づいたよ!
これは産んでみなかったらわからなかった」と言葉が口をついて出た。

 環境に関することも 子育て支援に関することも
本当に問題だらけで どうにかしないといけないと
やたら熱くなっていて 特に子育てに関して思うのは
今の社会が子育てを一人母に押しつけすぎな状況だ。

 事件が起きたら母が悪い。
仕事をするのも母のエゴ。
電車で子どもが騒いでいたら 注意をできない母が悪くて
「今時の若い母は!」と言われてしまう。
ところがどっこい!私が今まで出会ったママたちは
みーんなかなりがんばっていて しっかり子どもと接してる。
けれども一つ 間違ってるなと思うのは 子育てが
あまりに母に押しつけられていることだ。

 もちろん今では若い父さんもがんばってくれてるけれど
そういう問題ではなくて 本当は 子育てって地域や社会で
一緒にするもの 子育ては 決して母が一人でするものじゃない。
だって子どもは社会で育って社会をになって生きてくわけで
社会の立派な「人的資源」になるのなら もっと社会が関わって欲しい

 ところがどうだ! 子どもをポーンと産んだとたんに
気づかぬうちに 母もポーンと放り出されてる 一体どこに?
社会の外に 隔離された 密室に。


 私の子どもを見に来てくれた友達たちは口を揃えてこういった。
「こんな小さな子どもなんて見たことない!!」
「会社にも電車にも子どもなんていないもん!」
まさに社会をになっていこうとしている30歳手前の友人たちが
口を揃えて社会に子どもがいないことを教えてくれて
だけど私は知っている。少子化といえどママは溢れていることを。
横浜のデパートにいけばベビーカーのママたちが
楽しそうに談笑している そんな姿をいつも目にする
だけどママと社会は断絶されてて 社会の外に住んでいる。
それってなんかおかしくないか?そうしてママが社会に
関わろうとしたときに 今ある道は「職場復帰」
働くという その一つだけ。

 
 本当に働きたいから働く人もいるだろう
お金がないから働く人もいるだろう
けれども多くは「二人だけの世界から抜け出したくて」
もっと社会の風を感じていたいから そうして仕事をするのだろう。

 仕事をするのが悪いだなんて思わないけど
私が強く思うのは 子育てという人間として 動物として
根源的なことを一生懸命やってる母が 社会の外に隔離されてて
誰も手をさしのべてない そんな社会がおかしいと思う。
本当は これこそ大事なことなのに 例外的なことになってて
全ての人は子どもから大人になっていくというのに
そうして社会ができあがるのに 大切だと言われている
「三才まで」のまさにその間 
母と子は 社会から完全に放置されてしまってる。
この孤独がどんなに深いか!そしてその孤独が将来子どもに
影響するとは 母も父も まわりの人も知らないわけで
(詳しくは『孤母社会』を読んでみてください)

 こんな状況なわけだから いまどき保育園に預けた方が
よっぽど環境がよさそうだなあと思ったりもするけれど
打開策はないのだろうか もっとみんなが手をとりあって
一緒に育てていくような 私の子は私を通して生まれてきたけど
ただそれだけで 社会の子だと 私は思う。
私ももちろん育てるけれど 彼の笑顔があることで
まわりも幸せになるのなら 子どもがみんなを幸せにして
みんなの中で生きていくなら みんなが子育てすればいい。
人間だって 動物で 群れで生きてく動物なんだ
密室育児は絶対おかしい 母だけが子を育てていくわけじゃない。
だからもっと 私のまわりにいるみなさん
れんちゃんは 私が産んだ子ではあるけど
みんなの中で生きていくから 私と彼を放任しないで
一緒に育ててもらえませんか?もうちょっと 関わりあってもらえませんか?


 子育ては決して一人でするものじゃない
みんなで育てていくものなんだ。だから私も外に出よう。

育児疲れ

2009年03月12日 | 子育ての苦しさ


 ここ最近はれんちゃんと相思相愛 仲良しだーと
思っていたのもつかの間なのか おとといの晩は
なぜか全然寝てくれなくて 一時間おきに
泣いては起こされおっぱいをのみ
また泣いては起こされの繰り返し で
次第に私はゾンビになった。


 もー耐えられん!!と思って早起きしていた
げんきくんにれんちゃんを渡しにいって
寝させてくれ、と寝てはみるけどまた泣いて
げんきくんが学校にいってしまうとあとは二人で
どうしよう。


 朝早くからぱっちりお目めのれんちゃんは
ゾンビになった私にかまわず楽しそうにやっていて
なんとかご飯のあとにおっぱいをして寝てはくれていたけれど
その日一日体力は回復せずに家事も何もできずじまい。
とにかく身体の調子も悪くて頭は痛くイライラしてて
ハーブティをいれてはみたけどイライラはおさまらず
れんちゃんは普通にしててもなんだか嫌になってくる。

 
 そんな状態がずっと続いて夕方にはピークに達し
もー育児嫌だ!!と思ってしまう。女の人が
やりたいことがあるってことは 本当に面倒くさくて
子育てには果てしない時間をとられるわけで
ついしんどくなった折りには「この子がいるから!」と
思ってしまう。あー子供がいなかったらな そう思うと
つい恨めしくなってしまって 子供は何も悪くないのに
小言の一つも言いたくなる。

 そんな時にはママ友とかに会ってみたいけど
紙オムツがなかった昨日はどこにも行けず
実際あっても そんな気分じゃ気力もなくて
外になんか出られない。そしてうっぷんがたまった私は
子育てが嫌になってしまう。


 かつて妊娠中に行った母親教室で
「ノイローゼになる人の気持ちがわかる」とか
「虐待する親の気持ちがわかってしまう」とさえも
子を持つ親は言っていたけど ついに気持ちがわかってしまう。
この密室で 誰もいない 助けてもらえぬこの密室で
自分がとても辛いとき 子供の泣き声やわめき声はもう
本当にしんどくて こんのやろー!!と思ってしまう。

 だけど本当は 頭がちょっと冷静になれば
子供はほとんど悪くなくって 機嫌が悪くなっていたって
親が与えた食べ物が悪かったりとか
親のストレスを感じてたりとか
イベントがある時に限って調子は悪くなる。
子供はあんまり変わってなくて
いつだって母を愛してくれているのに
変わらぬ笑顔で母を求めてくれているのに
ついつい母が自我に目覚めてしまったり 調子が悪いと
子供がノイズになってしまう。


 こりゃ大変な時代だなー

 女が自由に目覚めたことで 女はいいことあるけれど
家庭は実際どうなのだろう 我が家に関して言ってみるなら
私がちょっと ボーヴォワールを読んだときには
決まって調子が悪くなる。
げんきくんが帰ってきたとき 怒った顔の私がいると
よくある会話にこんなのがある
「今日なんかしてたの?」
「ボーヴォワール読んでた、、、」
「またボーヴォワール!!」
最近は以前みた映画の真似で
「ボーヴォワールは毒ですよ 人民をむしばんでいく、、」と
彼は言う(もちろん冗談だけど)
たしかに毒かもしれないなーー
ボーヴォワールは世界を平和にしたのかな?
一見平和にしたようだけど「世界の平和はまず家庭から」
なのだとしたら ブルトンやボーヴォワールのように
家庭を大いに嫌った人の言ってたことは なかなか
相容れないよなあ


 第三の道はあるのかなあ 子供をうんで 
密室育児で家庭にどっぷりつかった人も
あまり健全そうには見えなくて すごいストレスを
抱えているけど そのはけ口もなさそうで
保育園がいいのだろうか カフェに行っても
子供はなかなか遊べはしないし
でもママたちはストレスフルで どうしていったらいいのだろう。


 サルトルは 第三の道を創っていこうと努力していた
そしてそれが道になる。ボーヴォワールも当時の女性を
大いに解放したわけで 私も何か 見出せるかな
葛藤は乗り越えるためにあるのなら アウフヘーベン
私も自分で見出したい。

切り取られた日常

2008年10月02日 | 子育ての苦しさ


 京都に来て早二週間が経っているけど
そんな実感もないままに 朝がきて お昼になって
気がついたら日が傾いて 夕飯の時間になったと思えば
お風呂の時間がやってきて ああもう遅い!と眠る日々。
本当にあわただしく 全く余裕のない日々で
パソコンを開くことすらできなくて


 以前ちらっと読んだ育児の本に
「切り取られた日常」という言葉があった。
お母さんの日常は 常に子供に分断されて
あっ 泣いた! あ 泣くかも! まだ寝てるかな?
いっつもそれを気にかけていて 
何をしてても気が休まらない。
そんな私の唯一の時間はお風呂の時間なわけだけど


 カフェくらいはいきたいなー
カフェ文化研究家とか名乗ってみたのに
カフェに行けない そんな日常。


 先週の日曜朝にようやく三条スタバに舞い戻り
その後も一度朝にいったら もう素晴らしく環境がよく
朝日を浴びて 美しい山並みをみながらちょっとお茶
そんな時間て なんて素敵なんだろう。


 けれども朝に行けるかなんて 本当に予測不可能な
ことでしかなく 今日も朝には行こうと思って
がんばって家事をしたのに れんちゃんがぐーぐー寝るから
仕方ない、と家に残る。朝に行ったら気持ちはいいけど
帰ると家事が待っていて それはそれで後がしんどい。


 「外に行くのって行く前は楽しみにしてるんだけど
実際行くとすごい疲れてしまうんだよね、、、」と
お兄ちゃんのお嫁さんが言っていた。子連れだと
結局のところおむつであるとか泣いたらだとか
予備のなんたらだとかに気をつかって つかってつかって
気が気じゃなくて とてもじゃないけど
かつてのようには楽しめない。


 かつてスタバに居た頃は ママさんたちを
暇そうだなーと思って見ていたけれど
今になったら あの人達がどんな思いで
あの場所に来てたかわかる。必死で時間を作ってたんだ。
切り取られた日常から 分断された時間の中から
少しでも自分を取り戻そうと必死の思いで
みんなああしてカフェに来た。


 カフェは沢山の人をこうして救ってくれるけど
子供が泣いてもいいような そんなカフェなど
ほとんどなくて だからいっても ちょっと
ほっとはできるけど 後悔するかもしれなくて
外に出たい だけど出れない 本当にママは大変だ。


 あまりに予測不可能で あまりに自分の時間はなくて
どうしたら余裕がでるのか 今の私にはわからない。
母は言ってた。「あんたは昔から一人でティータイムとか
楽しんでたけど そんなこと絶対できなくなるからね!」
そうはいえども実家では友人たちとお茶をしていた
こうして京都に戻って一人になったら 本当に
そんな余裕はなくて とにかく寝よう!と思ってしまう


 だけど寝るのとお茶を飲むのは きっと効果も違いそうで
ずっとずっと 一人でお茶を飲み続けてた 
そんな私の大切な時間 ほっと自分に戻る時間
それはやっぱり大事にしたい 睡眠時間を削っても、、、


 「みきちゃんはね そうやって自由がないとか言うけどね
俺なんて全然自由な時間なんて持っちゃ居ないよ
みきちゃんは今までが自由すぎたの!」とげんきくんは
言っていた。外の世界で働く人も きっと多くはそうなんだろう
だからこそ みんなほっと一息 ちょこっとカフェに行くのだろう
カフェでもお茶でもすこしでいいから 自分に余裕を持たせるために
ちょっと自分に戻れる時間 そんな時間を大事にしたい

フランスに行くなら

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