alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

サードプレイスについての議論

2010年11月28日 | 想いをカタチに
 今日は朝の9時から どうしても
お話をしたかった方にお時間を割いてもらって
東京の丸の内のカフェで熱く議論をはじめてた。

 その方は西国分寺でおもしろいカフェを
されてる方で カフェをやってるだけじゃなく
コレクティブハウスとか その他もろもろ
いろんな活動をされていて しかも
めちゃくちゃ頭が良いので面白くって仕方なかった。


 そこでお話していたことは
「サードプレイス的なカフェと創造発生的なカフェは
両立可能か」という話がメインで それに付随して
日本の「茶道的な」喫茶店の話とか
日本でどれほど自由に振る舞うことが可能なのかとか
果たして日本でも気持のいい議論や話し合いのある
人間関係をつくることは可能なのかとか
サードプレイス的なカフェがこれから
果たすべき役割だとか
それからグローバルな経済に対して
ローカルなエコノミーを成り立たせるにはとか
そんな話を延々熱く議論していて
本当に面白かった。

 もうメモしたいのと話したいのと
一言でも聞き逃すもんか!という気持で一杯で
自分の中で カフェ というテーマを何故か
選んだことと かつてレボリューションキャンプという
イベントを開催したりしたことなんかも
つながってきて 本当にいい体験だった。


 いやあ 議論って面白い!!

 こういう思いを味わったのは なんだか
随分久しぶり で 図を書いてみたり
思考をどこかにとばしてみたり
以前他の人と議論した内容を
そこで参照してみたり。


 私はこんなことをしてるとき
本当に嬉しいのかもしれない。
私にとっては 議論すること
思考をどこかに飛ばすこと
そうして目の前にある現象を
ただその現象から少し離れて
ちょっと俯瞰して見ようとすること
そういうことができたとき
ああ 私 が してきたことも
見て来たことも 辛かったことも
何か意味があるのかも と
そう思えるから嬉しくなる。


 議論することと研究すること
そしてそれを書いていくこと
やっぱり それが 好きなのかもなあ

 ママサークルの 他の人とは
そんな趣味があうこともなさそうだけど
私にとっては そういうことが
生きてる実感がするようで
生きてる意味があるようで
かつてカフェをやってた時も
毎日議論ができていたから
きっと楽しかったのだろう。


 一緒になって 何かの意味を考えること
つまりそれは 一体どういう意味なのだろう
何を意味しているのだろう
どう読み解いたらいいのだろう?
どうしたら変えることができるのだろう?
何をしたら少しは効果があるのだろう?
目の前の出来事に 目の前のその感情に
誰かが言葉を与えることで 
それだけで世界が変わることがある。
言葉にならない そのモヤモヤを
言葉にすること 定義すること
そしてそうだ、と言ってみて
誰かの背中を後押しすること
そう あなたが感じていたことは
あなたが感じてただけじゃない
それが少し 普遍化されてみたときに
人は驚き ほっとすることがあるのだろう

 私はそういうことがしたい。
この先どこに向かって行くのが
いいのだろうか まだはっきりなんて
みえてないけど 私にも言いあらわすべき何かがあるなら
私は議論し それを見つけて
それを言葉にしていきたい。

30歳になって思うこと

2010年11月25日 | 私の人生
 最近ブログを書けてないのは
体調が悪かっただけではなくて
その傍らで 必死に何かをつくろうとして
ずっともがいているからで
その何か というのは2冊目の本で
もっとカフェという場の魅力を
たくさんの人に知ってほしい と
思って研究を進めたりしているわけだけど


 そんな中 「日本の喫茶店はどうなんですか?
パリだけじゃなく」というわけで 急遽
日本のカフェや喫茶店に関する文章も
読みこみはじめ 言葉をひろっていったりすると
あー 懐かしいな 高校の頃 喫茶店に憧れて
そう500円のお昼代 を パンの耳と
アンパンか何かだけですませて 
400円のコーヒーを飲みに 喫茶店にでかけていった 
そんな自分を思い出す。



 日本の喫茶店というのは長らく
外国の文化に想いをはせる場所だったらしい。
外の世界とは違う小宇宙。
そうかー そうかもしれないなあ
行ったことのないかの地に少し想いをはせて
こんななのかな?と味わってみる
そんな場所 そんな想像をめぐらす場所で
なんだか文章を読む度に
早稲田の喫茶店に憧れていた
あのころの自分が懐かしい。


 喫茶店に憧れて 
そう だから私は早稲田に入った。
でもそのころには喫茶店はほとんどなかった。
だけど喫茶店にいくことを先輩たちに教えてもらって
私も少し 大人になったような気がした
そうしてある時 パリのカフェに行くことになり
結局通うわけだけど そうしてはじめて色々知った。
カフェから革命が生まれたことも
印象派の人たちまでもが カフェという場に
集ったことも。


 あのとき から比べれば
私は明らかに ちゃんと成長したのだろう。



 それで 私は?今の私は?と思ってみると
こんなにもパリが好き で こんなにも
パリのカフェを研究してきて今でも
身近に感じていられる そんな日本人って
きっとっても少ないんだな と思わされ
やっぱりパリのカフェに関しては
この人!といわれるような人になりたい
と思ってしまった。だって パリは
本当はとても遠いもの。


 今の私にとっては何故だか
パリはもうかつてほど遠くも
存在してないのでは?とさえ思うような
ところではなく 間違いなく
楽しそうな日常が存在している大事な街で
いつだって「やっぱり住みたい!
早く行きたい!」と
思ってしまうわけだけど


 そんな私にとって(心理的には)
もう遠くないあのパリは まだまだ
一般的には遠いようだから
私はこれまでの経験も知識もいろんなものを
全部活かして もっとパリのカフェの魅力を
探って もっとそれを的確に
伝えられたらいいよなあ

 30歳になってまだ2日しかたってないけど
そこで話した人たちとの会話の中で
馬鹿げてるけど 私の中では
「やっぱりフランスから学びたいし
それを日本にちゃんともっと伝えたい」
という想いがあって そこにむかっていきたいなあ

 遠かった 憧れていた喫茶店
世界中の喫茶店 が 原型だと 原点のように
感じてしまう パリのカフェ。 
私はといえば 心だけ は
1920年代のモンパルナスに生きていて
きっと本気でやろうと思えば
現代のパリのカフェにも関われる
そう たしかに 馬鹿げているけど
夢 というのがあるのなら
夢 はあきらめるためではなくて
叶えるためにあるのなら
高校時代に喫茶店に憧れていた
あの私 は やっぱりそちらに
向かって行きたいのだろう


 もう15年も フランス語 とつきあってきて
なかなか上達しないけど ぼんやりと見ていた
世界があった カフェや思想 アートや
知的な雰囲気や 生活を楽しむ姿勢
人生について考えること 沢山のことに
いまでもまだまだ興味があって
それらはつっこんでいけばいくほど
私にとっては面白い。


 20歳のころから10年
いろんなことがあったけど
いろんなところを見てはきたけど
向かうべき道があるのなら
やっぱり私はそちらに向かっていたい
C'est le temps de partir..?
この先どんな人生なのか
全く想像つかないけれど
もしも使命があるのなら
私はそこに向かいたい。


20代を振り返る

2010年11月22日 | 自分自身

 ついに明日で私も30歳になろうとしてて
なんだかとても感慨深く
そんな時に実家にいるので
昔書いた日記やらノートやらを
ぱらぱらとめくってみては
これからどう生きてみようかと考える。


 これらのノートを見ていると
20代は 悶々としてたんだなとか
やっぱりフランス留学が与えた影響は
想像以上に大きいのかなとか
過去に書いた 私自身の肖像が
今になって ああまさに
そんなことを求めてたのかと思わされたり
なんだかいつも 得るものがある。


 10年前はまだ2000年だったから
私はエコリーグ真っ最中で そうだ今頃
私は初代代表理事をやっていたのだ。
2000年 といえば私にとって
ものすごく思い出深い飛騨高山での
ギャザリングがあった年 で
私のまわりの人たちによれば
「あのころのイイダミキはすごかった」
のだと言われる頃だ。

 何が?どう?誰が?一体誰のことなのかとか
それから何が変ったのかはわからないけど
その次は2001年になり 私は夏から
パリに留学をして 思いもかけないその1年の
経験は どうやら私の人生に 
決定的な何かを与えてしまったらしい。


 この1年で 私の中にあったいろんなものは
ガラガラと音をたてて崩れてしまったのだけど
だけれど今から振り返る と
もしかして ここで知らずに得てきたいろんなものが
その後の私を再構築した そんなものだったのかもしれない。


 少なくとも 私はここで「カフェ」に出会って
「環境!」からいったん離れて その後は
アートやら学問やらにもちょっと目覚めて
そうして何やかんやの流れがあって 京大に
行くことにしたわけだ。


 その後もまたいろんな出会いや流れがあって
浜名湖ユースでカフェもした し
ぎりぎりのところで大学院も卒業し
カメラマンになってみたり 結婚したり
妊娠したり 子供を産んだり 本を出したり
なんだか いろいろ あったなあ


 20代のこの10年間が どれほど重要だったのか
果たして密度が濃かったのか そうでもないのか
わからないけど 私としてはなんだかあんまり
すっきりしない 大きな雲がかかってるような
そんな印象を受けてしまうから 30代になったなら
もっとスカーっと もっとスパッと
もっと自分であることを 楽しめたらいいなと思う。

 
 どんな未来が待っているかは 今では予測不可能だけど
私はもっと笑っていたいし もっと幸せになっていたい。
そして自分が笑うこと で まわりの人も
少し幸せになるのなら 私はもっと元気でいたい
それには自分を知ることだ。
蓮太郎と向き合っていて 私はだいぶ自然になった
素の自分がなんなのか そして私はどこに
向かっていたいのか ようやく少し見えてきた
これからはもっと自分を活かしてそんなパワーが
いつしか社会に還元できたらいいな。

ニュータウンという小さな街で

2010年11月07日 | 私の人生

 フランスに前回行ってたときに
「平成狸合戦ぽんぽこ」や日本のアニメを
なんとなく フランス語吹き替えで話されるままに
目にしていたら パリから遠く想いをはせる
日本の田舎の光景は やたらめったら美しくって
だけどそれらが破壊されてく その後に
つくられたのは ニュータウン。


 パリのアパルトマンの一室で
日本の団地の絵を見せられると
なんだかとても形容しがたい奇妙な感じを
覚えてしまって だけどそこで描かれていた
しっかりくっきり描かれていた 日本のアニメが
描いた団地の風景は まさに京都の自宅そのもので
なんだかそれに とても違和感を感じていたのを覚えてる。


 そんなニュータウンという街も 
こちらは35年が経ったらしくて
たくさんの問題があり それをなんとか
解決しようと 「洛西ニュータウン創生委員会」というのが
できたらしい。それで今日はそのお祭りで
近所のカフェのおじさんが「君、本売るかい?
よしわかった、じゃあ頼んどくわ!」と
ブースをとっておいてくれ
こんなところで売れる訳が、、、と
思いながらも ドタバタと支度をして
徒歩圏の中心街に向かって行った。



 さてお祭りがはじまると 
案の定私の本は売れるわけもなく
だってとなりで100円とか30円とかで
ものを売っているというのに
1冊2500円もして しかも
なんだか難かしそうで
しかもパリ?それも昔の?
なんでそんなの ここで売るわけ、、、?
そんなの通りすがりに興味ないよ!
朝市の野菜買いに来たついでに寄っただけだよ!
みたいな感じ(どころか見てももらえない)なのだろう。


 というわけで はじめの2時間くらいは
両脇で沢山売れるお店の人たちをうらやましく
眺めては ネガティブモードの私は
来たことを後悔してたのだけれど
最終的にはそのカフェのおじさんたちの尽力で
なんと4冊も売れました!!
まわりの人も自分ごとのように喜んでくれました。
本当にありがとうございます!


 さて、そんな流れの中、いつもお世話に
なってるカフェのおばさんが「うーん
あの人なら売れるかも」と狙いをつけて
「あの人ね 京大の学生さんなの」と
教えてくれる。「いやあ学生さんは
いっつも「お金ないんです」って
断られますよ」と言ってはみたけど
おばさんは彼らのところに言ってくれ
なんだか話を聞いてくれてるみたいだったから
私も後を追ってって ちょっと話をすることにした。


 そうしたら話が合うのなんのって!!


 いたの?!こんなところにこんな人!(涙)
彼らは京大桂キャンパスの建築学部の
院生らしく なんと洛西ニュータウンの
まちづくりの研究をしてるんだそうな!
そんな若い人がいるなんて、、、
研究してくださってありがとう、、、


 洛西なんて だあれもしらない
西京区なんて(めちゃくちゃ素敵なお寺があるのに)
ガイドにはまるで載ってない。
「京都人」でも 「は?洛西?」
やっとそんな言葉をみつけたかと思っても
それは嵐山あたりのことだったりで
こちらはてんで無視されている
それにやっぱり何にもないし
「京都人」たちも「ごめん 遠いからちょっと行けない」と
引っ越してからは一度きてくれたらいいほうで
(多分最初で最後なのでは?三条の家とは大違い!)
なーんで こんなとこ 引っ越してきちゃったのかな と
最初は後悔ばっかりだった。


 でも少しずつ 市内に出るのもめんどくさくて
それなら徒歩圏をもっと楽しくするしかないと
カフェの人たちと仲良くしたり なんやかんやと
顔出してみたり そーんなことをしていたら
あれ?まだ2年しか住んでないのに
今日私は驚いた。
この街で 「カフェ文化研究家」なんて
名乗ったことは一度もないから
この街で は 私は旦那の名字で呼ばれる
専業主婦でしかないわけで 蓮太郎のママなだけだから
そんな私が 今日は本を売っている
それも中古の本ではなくって
自分が自分で書いた本。
それを見られるのが恥ずかしくって
私はいろんな人を避けていた。


 あ やばい 目をそらしとこう、、、
あ あの人もきてるのか、、、
ちょっとばれないようにしよう 


 と なんでなんだか 
ついそんな風に思ってしまって
いろんな人を見ていたけれど
よく考えたら それだけ私は
この街に 知り合いがいるということなんだ。
「友達」か?と問われれば 
「友達」なんて ほとんどいない かもしれない。
でも不思議なことに 挨拶できる
知り合いの人は沢山いてて
スーパーではあの人とあの人に会い
お祭りでは何人もの人を見かけて
なんだか不思議だ こんなことって
うまれてはじめてかもしれない。


 たった2年だけなのに
よく頑張って来たんだなあ、、、
そしてはじめて私はこの街の中で自分を出して
ママサークルの人にもちょっとばれ
ヨガのおばあちゃんも「あらまあ!これ
あなたが書いたの!!」と本を気前よく買ってくれ
そうして出会った京大の人たちと意気投合して
語ってしまった。なんだか不思議な出会いだなあ


 こうして沢山の人と知り合いになり
沢山の人が声をかけてくれるようになり
(これらはひとえに蓮太郎のおかげです)
もしかして もう一歩くらい どこかに
進んで行けそうな 何かは変わってゆくのだろうか
本当は沢山の人的資源がある街で
人と人がお茶をのんでゆったりとつながりあったら
もっと面白い街になるのだろう
私が発してきた小さな声は
どこかに響いていくのだろうか
ちょうとうまいこと研究と
私の置かれたこの立場 が
ピタッとリンクしてくれたなら
きっと私がここに来た意味もあるのだろう。


 私が活き活きするときは
言葉に火がついたときであり
言葉に力がこもったときで
今日はそんな会話が何度かあった。
私はカフェを通してもっと社会を良くしたい。
だってカフェは沢山の人を救えるはずで
相互作用を生み出してくから
そんな場が 社会にもっと増えたなら
それが私の想いなのだろう
私はほんとはもっと語っていたいのだろう
誰かに向けて声を発していたいのだろう
わかってくれる人がいる
ピンと来てくれる人がいる
うすうす感づいている人がいる
そんな人たちに「そうです カフェです!」と
私はいいたい。そうして何もないようなところから
何かがうまれていったらいい。

フランスに行くなら

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