alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

自分の立場でできること

2011年03月15日 | 自分自身

 毎日毎日 これから何が起こって行くのだろうと
気が気じゃなくって 我が家にはテレビがないけど
ラジオをつけたり インターネットをチェックしたり
携帯のニュースをみてみたり 家族に電話をしてみたり
新聞を食い入るように眺めてみたりの生活で


 だけど 一歩 外に出る と
京都は何事もなかったようで
おそらく誰しもテレビを見ていて
地震のことは考えてるけど
なんだか何もないみたい。

 街中にいってもそうだし 郊外の
ニュータウンのカフェでもなんだかちょっと
拍子抜け で それでも話をこちらが
しだすと そうだよねえとか怖いよねえとか
そうか東京はそんな状況なのねと
いってもらえるわけだけど 
東京の人や東北の人が抱えている状況と
こちらはあまりに違い過ぎ
なんだか外国にいるみたい
(実際ほとんど揺れてないので実感がわかないのだと思う)


 それでもなんだか不思議なのは
そして私がこの場を借りて伝えられることといったら
パリでは我がことのように日本を心配している人達が
たくさん存在していて、もう赤十字の義援金も
動き出したし、原子力発電に関する議論が
もうすでにわきあがっていて デモまで
起きたりしているらしい。遠い日本のことなのに
そんな風に 心配してはテレビのニュースをチェックして
どうしたらいいんだろう 何かできることはないだろうかと
考えてくれている人達もいる
そして議論し動き始める人達がいる
私にはなんだかそれがとっても不思議で
ありがたいことだなあと思う。


 母によれば 横浜はスーパーの棚はもう空っぽで
それというのも必要なものを買うというより
買いだめをしようとする不安な心理が働くからで
スーパーは入場制限をしてるか閉店してたりするらしい。
計画停電はその予定に入っていたけど意外にも
うちの実家の区域はそれを免れたらしいから
まだ停電は経験してない でもガソリンスタンドや
コンビニも ほとんど何も買えないらしい


 それとは逆に 私のいる京都といったら
ほんとうにのんびりしていて 昨日の夜の時点で
スーパーの棚を覗いてみても どこも
品切れになっていないし カフェでの様子も
街の様子も ほとんど何もなかったようで
違うのはテレビで流れている映像と
ときたま義援金の箱をみかけるくらい。


 全ては同じ日本で起きていることなのに
なんだか何がどうなっているのか
私にはよくわからない。ただわかるのは
何かできることがあるなら やった方がいいということで
私は今日の朝新聞でみた、静岡県ボランティアセンターが
毛布50万枚(!と思ったけど避難所には44万人の方が
過しているらしい)を送るらしくて、19日必着で
毛布を集めているんだそうな。これはやろう!と私は思い
よく考えたらこの人口密度の高い団地を活かしたら
けっこう集まるのでは、、、と思いつき
何人かに声をかけて毛布を集めようとしています。

 ちなみに毛布(新品か洗濯したもの)の送り先
静岡県ボランティア協会
420ー0856
静岡市葵区駿府町1の70
県総合社会福祉会館2階
電話054 255 7357



 あと今の私にできることはフランスで日本を
想ってくれてる人達がどんなことを思っているか
どんなとりくみをしようとして動いているのか
ちょっとお伝えするくらいなのかな。
すでに14日にパリの国際留学都市の日本館で
地震に対するチャリティコンサートが行われたそうです。
イベントを自粛する気持も痛いほどよくわかるけど
私だって「こんな時に?」とつい思ってしまうけど
だけどそこであえて集まる そこで
少し前を向ける気持になって
なんかしよう!という気持になれることもある。
こんな時 だからこそ 誰かと集まり
勇気をもらって 何かをしていく
それって本当は とても大切なことだと思う。


 テレビの前で一人でニュースを見続けてると
どんどんと悲しく不安になってきて
無力感にうちのめされてしまうけど
もしかして 誰かと一緒にテレビを見たり
テレビのあるカフェで近所の誰かと話していたら
なんらかのいい行動のアイデアが出て来るのかもしれません
それに一人で家にいるよりも どうせ営業することになってる
カフェにいったら省エネだから こんな不安な時にこそ
カフェに行って 誰かと 自分が今思っていること
それを率直に話し始めてみてください
そうしたらきっと 何かが変わる
カフェはそんな場のはずだから。。。

20代を振り返る

2010年11月22日 | 自分自身

 ついに明日で私も30歳になろうとしてて
なんだかとても感慨深く
そんな時に実家にいるので
昔書いた日記やらノートやらを
ぱらぱらとめくってみては
これからどう生きてみようかと考える。


 これらのノートを見ていると
20代は 悶々としてたんだなとか
やっぱりフランス留学が与えた影響は
想像以上に大きいのかなとか
過去に書いた 私自身の肖像が
今になって ああまさに
そんなことを求めてたのかと思わされたり
なんだかいつも 得るものがある。


 10年前はまだ2000年だったから
私はエコリーグ真っ最中で そうだ今頃
私は初代代表理事をやっていたのだ。
2000年 といえば私にとって
ものすごく思い出深い飛騨高山での
ギャザリングがあった年 で
私のまわりの人たちによれば
「あのころのイイダミキはすごかった」
のだと言われる頃だ。

 何が?どう?誰が?一体誰のことなのかとか
それから何が変ったのかはわからないけど
その次は2001年になり 私は夏から
パリに留学をして 思いもかけないその1年の
経験は どうやら私の人生に 
決定的な何かを与えてしまったらしい。


 この1年で 私の中にあったいろんなものは
ガラガラと音をたてて崩れてしまったのだけど
だけれど今から振り返る と
もしかして ここで知らずに得てきたいろんなものが
その後の私を再構築した そんなものだったのかもしれない。


 少なくとも 私はここで「カフェ」に出会って
「環境!」からいったん離れて その後は
アートやら学問やらにもちょっと目覚めて
そうして何やかんやの流れがあって 京大に
行くことにしたわけだ。


 その後もまたいろんな出会いや流れがあって
浜名湖ユースでカフェもした し
ぎりぎりのところで大学院も卒業し
カメラマンになってみたり 結婚したり
妊娠したり 子供を産んだり 本を出したり
なんだか いろいろ あったなあ


 20代のこの10年間が どれほど重要だったのか
果たして密度が濃かったのか そうでもないのか
わからないけど 私としてはなんだかあんまり
すっきりしない 大きな雲がかかってるような
そんな印象を受けてしまうから 30代になったなら
もっとスカーっと もっとスパッと
もっと自分であることを 楽しめたらいいなと思う。

 
 どんな未来が待っているかは 今では予測不可能だけど
私はもっと笑っていたいし もっと幸せになっていたい。
そして自分が笑うこと で まわりの人も
少し幸せになるのなら 私はもっと元気でいたい
それには自分を知ることだ。
蓮太郎と向き合っていて 私はだいぶ自然になった
素の自分がなんなのか そして私はどこに
向かっていたいのか ようやく少し見えてきた
これからはもっと自分を活かしてそんなパワーが
いつしか社会に還元できたらいいな。

フランスに行くなら

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