alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

銀座のカフェ

2010年09月28日 | パリのカフェ的空間で


 今回は東京に来てからもう3回も銀座に行く
機会があって わーやっぱり 銀座はなんだか
雰囲気が違う 東京の中でもお洒落だし
どこか別格なんだなあ とつい思ってしまう。


 どこで違いを感じるかって 並木通りとか
高級な通りもそうなのだけど うちの父が入院を
することになった病院から一番近くのカフェでさえ
なんだか雰囲気が異なっていて そこに行くのは
2度目なのだけど なんだかちょっと 妙な気分。


 銀座のカフェ と言ってみたって
そこはただのタリーズで 見た目は何の変哲もない。
だけど周りの人の話や雰囲気が どうやら
他の地区とは違って はー なるほど!
なんだかどうも ここに普通にくる人たちは
ちょっと世界が違うらしい。





 かつてパリのカフェ・ド・フロールがとても有名だった頃
空港まで飛行機に乗り 降りたらタクシーに飛び乗って
「カフェ・ド・フロールに行ってください」
そういう人たちが居たという。
カフェに行って?だからどうなの?とつい思ってしまうけど
あるカフェは魔力を持ってて
それはそこが 何かの中心地になってるからで
中心地 に なってるカフェは 
ただ人がちょっとお茶しに憩いにくるような
そんなカフェとは違うらしい。


 さてそこのタリーズは?
ここは近くに新聞社だとか大きな広告代理店もあり
もちろん銀座の中心街まで歩いて5分くらいの距離で
だからなのだか そこに来ている人たちの雰囲気だとか
話す内容が どうも他のカフェとは違ってて
出版社系やデザイン系?という感じの人たちが
ちょっとした打ち合わせみたいなのをしていたりとか
先日私の隣で話をしていた人は はじめはマヤ暦の
話をしてて ちょっと懐かしいヒッピーイベント系の人?と
思っていたら 今度パリでコンサートみたいなのをするという。
音楽をやってるアーティストなんだろうか
娘さんがいるらしいけど 彼女を預けて今度
オーストラリアに勉強をしに行こうかしらとか
言っていて この人何者なんだろう?


 その人と一緒に話をしている人は もうちょっと
モード系の雰囲気で 東京マラソンに今度出るとか
言っていた。彼女は全くヒッピー、反原発系の人でもなくて
ただの友人っぽい感じだけれど なんだか話の雰囲気からは
2人とも自分の道をいっていて それでけっこう
お金を稼いで人脈ももってやっている
そんな人たちなのだろう(横尾忠則の話もでてきたような)

 なんだか不思議な人たちだなあと思いながらも
私は横で翻訳の作業をしてて 今日もまたそのタリーズへ。
すると隣に座った人たちは私より若そうな女性2人で
仕事の話やあまりいい出会いがない話などをしてるんだけど
たまに韓国の話もでてきて はて彼女達は日本語だけども
韓国人?かと思いきや なんだかとっても国際的で
「またアメリカに勉強しにいきたいなー」とか言っている。
「でもアメリカってお金かかるんでしょう?
留学してたとき年間いくらくらいかかったの?」
「いやあ はっきりとはわからないんだよね
だいぶ高かったと思うけど でも親が出してくれたから、、、
しかも私立の学校だったし 学費だけじゃなく
生活費も込みだから 年間400万くらいじゃない?」

 年間400万ですって!!しかも彼女は
何年か留学をしていたらしい。すごいですねえ。
それに対してもうちょっと若い女の子はといいますと
看護学校に通っているらしく「うちは学費年間150万だよ」
わーお みなさん お金持ち、、、
よくよく話をきいてしまうと なんと
どうやら2人はフェリスの出身らしい。
はあ フェリス。小学生の時 憧れました。
横浜のお嬢様かつ 頭のいい人たちのいく私立の学校で
「フェリスも学費高いもんねえ」
そりゃ高いだろうよ そんなところに通えた上で
そんな留学もさせてもらえる お父様 は お医者様?


 彼女達はかなり医療系の話もするから おそらく
そんな家系なのだろう。そしてうちの父は
そんな人たちに囲まれながら 入院をするわけだけど
看護婦さんはお医者様との出会いを探し
なんだかつれない空気のただよう病院に
「患者」は入院するわけで
「患者」その一人にとっては 人生の一大事だけど
お医者さんや看護婦さんにとってみたら
かれらは大多数の患者の一人にしかすぎなくて
私はそこに足を踏み入れる度 なんだか切ない気持ちになってしまう。


 別にお医者様!がいいだとか 弁護士の妻になりたいだとか
そんな気持ちは毛頭ないけど なんだか彼女達は
もって生まれた世界が違って だけど私も私で
最近勝手にインターナショナルな気分で生きてて
もう以前のようにカフェでインターナショナルな話を
している人がいるからって 指をくわえて
う うらやましい、、、と眺めるだけじゃない。
隣の席に座った人に 話しかけたりはしないけど
それでも同じ場所 で 同じようにコーヒーを飲み
未来について考えている なんだかそれが面白い。


 どこかでいつか 交わる日が来るのだろうか
どこかでいつか 新聞社の人たちや
編集やデザインをしてる人たちや
芸術系の第一線の仕事をしている
「東京」の真ん中にいる人たちと
私はただただカフェで隣り合わせるだけだけど
いつの日か 口を開いて 少しは中にいれてもらえる
そんな日も来たりするのだろうか
東京なんて と思っていたけど
銀座はやっぱりセンスがよくて
東京のまっただ中で 頑張る人はがんばっていて
それらが世界で評価されてる。
そんな人たちは このカフェの 
ほど近く に いるのだろうか


 なんだか不思議だなあと思う
その世界 を 垣間みたいなら
その世界 に 一番近い カフェをのぞいてみればいい。
東大に興味があるなら 東大生が行くカフェに
高校生の時分にだって 行って観察すればいい。
早稲田に憧れを抱いてるなら オープンキャンパスに
行くだけでなく 近所のカフェを覗けばいい。
そこでは彼らが口を開けて 本音で話をしているわけで
装ってない 本当の姿をさらけだしてしまってるから
だからとっても面白い。

 この銀座のカフェは 私が知ってるその他多くのカフェとは
なんだか感じが違い カフェのもつ深みを少し
感じさせてくれた気がする。
これからしばらくここに通って
私も仕事をしてみようかな。
不思議なことに 子供を産んで
もう戻れないと思った東京の街。
永遠に離れてしまったと感じた東京の街がなんだか
2年の歳月が経った今 私にはとても身近なものになってしまった。

子育てのしにくさ

2010年09月27日 | 子育ての苦しさ


 日本って 子育てしやすい国なのだろうか
それは子供を産んでから の かなり長い間の
疑問なのだけど フランスにちょっと行ってみて
「フランスは日本よりよっぽど子育てしやすいんです!」と
雑誌でかなり騒がれていても 実際のところ
どうなのかなあと思わされることが多かった。


 例えばメトロの入り口は今でもかなり複雑で
ベビーカーですっと入ることなんてできないし
エスカレーターも上りはあっても下りはないし
エレベーターなんてほとんど見つけることもできなくて
じゃあどうやってメトロに乗るの?ときいてみる と
「ほとんど乗ることなんてないわよ バスなの!」と
返事がかえって驚いた。


 フランスは子供が産みやすいとはいうけれど
おそらくそれは 自分で3歳までみるのではなく
早いうちから誰かに子供を預けて働くママによいのだろう。
あそこでは ベビーシッターや乳母をやとったり
たまに集団保育にいれてみたりとか
何人かで交代で保育園みたいなのをしてみたりとか
そんなことをしているらしく 日本みたいに
小さいうちからものすごい人数のいる集団保育!では
ないらしい。それに3歳くらいまで専業主婦 というのも
ないみたい。(とはいえパリに住んでるフランス人に
聞いてみるとパリの保育園事情は本当にひどい
保育園なんて入れないよ!!とかなり言われる)





 さて 日本では? 以前読んだ資料によれば
まだまだ7割くらいの人は3歳まで自分で
育てているんだそうな!そしてその後は幼稚園。
ちょっと自分の時間もあるかな?と思いきや
幼稚園にかかるお金はかなり激しく 月4万円くらいする上
なんと入学金までいるらしい(初耳!しかも15万から
20万円だって じゃあ年間いくらかかるわけ!?)
それじゃあ2人目産めないよ、、、と
兄のお嫁さんと今日話してて
なんでこんなにお金がかかる国なんだろうと嘆いてた
(ちなみにフランスは3歳から幼稚園無料だそうです)


 それに加えて最近は虐待通報騒ぎもあって
じゃあどうやってしつければいいの?
ご飯中に席につかないと言い張るときは?
お菓子をもう1個よこせといってきかないときは?
お風呂に入らないといってきかないときは?
長靴はくっていってたのに外に出たとたん
靴にするって泣き出したときは?

 そんなとき どうしたらいいかって?
子育てをしてきたおばさんは言う。
「放っておいたらいいのよーー 泣かせてなさい!」
でもその泣き声があまりにうるさく何十分も続いたら?
世間は虐待さわぎになってて 義姉のマンションには
警察官まで来たという!そりゃ泣くよ!!


 「日本って子育てしにくいよねえ、、、」


 本当に そう思う。


 「じゃあどうしたらいいんですか?」と
手のかかる子を持った親はみんなに嘆く(特に男の子の親!)
だけどだれも答えてくれない あいまいな答えだけ で
一日中彼女は一人で悶々とする
「うるさい!!!」とも言いたくなるし
「もうやめて!」とも叫ぶだろう。
だって本当につらいんだもん
でも誰も助けてなんかくれないし
手を差し伸べてもくれないけれど
怪しい「通報」だけは存在してて
私は声を大にしていいたいけれど
絶対そんなの間違っている!!
もっと違う 子育てのしやすい社会があるはずで


 その1つ の 解決策は
一時保育をもっと増やすことだろう。
そのためには週5日の枠をもっと減らしたっていいと思う
だって心の底では子供ともっと離れたいから
仕事をしたい そう思ってる「待機児童」の親なんて
沢山いると思うから。その人たちが週に2日や3日でも
子供と離れて働くことや やりたいことができるだけで
よっぽど環境がかわるのに ところが一時保育ときたら
保育園どころの騒ぎじゃなくて 本当に枠がなくって
存在自体を知らない人も多いだろう。週3日 パートで
働くだけなんだったら 一時保育でもいけるのに
だったら一部屋 保育園の通常の枠をへらして
一時保育に変えてくれたら もっと虐待だって減るのだろうに
もっとゆったり しあわせに 子育てだってできるのだろうに
たくさんの焦りや不安とひきかえに
大切な一歳くらいの時を保育園に全て預けなくっても
何かを得ることはできるだろうにと思うけど


 それからもっと けやきみたいに
地域の人が 安価で行けて 交流できて
みんなほっとしてお話できる そんなカフェが
地区に1つくらいできたらいい。お茶代は
200円くらいしかしなくて 子連れと
65歳以上の人は 役所から何枚かつづりの
無料券が配られて 本当に気軽にいけて
受け入れられて ほっとできる場
地域でもっと 子供もお年寄りも
なかよくできて お互いに配慮しあえる
そんな場があるだけで 絶対に違うはずなのに。



 子育てはたしかに辛い。
子供は大人がしてほしくないことばっかりを喜んでする
泥水のなかで飛び跳ねたりとか
傘を折ろうとしてみたり
棒をもったら誰かをたたいてみたくなる し
スーパーではお肉のパックを押したくなるし
電車の中ではたまに叫びたくなってしまうし
机の上にものりたがる。


 なんでこんなに正反対?!と思うくらいに
ひどいことばっかりするけど
それも見方を変えてみて 一緒にやってみたりする
と 意外に楽しさのわけもわかって
なーんだ こっちがもっと広い心をもって
子供心も大事にしたら 物の見方も変わるのにと
学ぶことも沢山あったりもする。


 「保育園さえ増やせば全部解決します!」と
人は言うけど 私はそうは思わない。
保育園の騒音といったらすごいものだし
その隣にすむ人が それだけのものを全部
我慢して受け入れなければいけないことも
預ける側は頭のすみにもないわけで
「子供は社会が育てればいいのでは?」と思っても
保育園だけが社会じゃないし 親と子が関わる中で
社会を教える それも大事な姿だろう
だって保育園の子がいくら公園に溢れてたって
一般人は関われない。彼らはあまりに集団だから。





 何かが違う と 私は思っているけれど
どうしたらいいかと言えば 時間をかけて
考えるしかないわけで 私はそれを
フランスにいって もっと学びたいとも思う
日本で子育て かの地で子育て
飛び込んでみたら 違いが身体でわかるのだろう。
どちらの国にもいい点もあれば悪いとこもあるわけで
いつの日か フランスで子育てもしてみた上で
子育てに関する本を 自分の視点をちゃんと活かして
書ける日がきてほしい。
(ちなみにパリには子供専用のカフェがあるそうです。
上にあげた写真がそのカフェ ゾイド。
私のちょっとした夢はそこの常連になること
子供がいないと入れないのでまだ入店できてませんが)

 

生命力

2010年09月26日 | 子育て


 今日は以前から入院したりを繰り返している父の
病院にはじめて行って その巨大さに驚きながらも
病院の中に入ると あ なんか これ
久しぶりに見る 病院特有の雰囲気で
いろんなことを感じてしまった。


 父は基本的にはとても元気で
なるべく病院にはいたくないから
今日までもずっと家にいたりして
1日9キロ歩いたり 我が子と激しく
遊んだりして 家族の中でも一番元気そうなのだけど
そんな父が 今日は病院のベッドで眠るらしい。


 いわゆる大病院というものに足を踏み入れたのは
もう10年ぶりくらいだったから わーなんだかなーと
思ってしまって そりゃあうちに帰りたいよなと
そんな気持ちがよくわかる。名もないベッド
名もない病室 特別な誰かだったのに
そこにいると 誰々さん、と看護婦さんに呼ばれるだけで
長い人生でつちかってきた アイデンテティもはぎ取られるような
そんな病院特有の雰囲気で なんだかおそれを抱いてしまった。


 子供を産んでしばらくしてから
もう本当に辛かったから 「入院したい!!!」と
切に思うことが多かったけど 実際に入院している
ところをみると それって本当につらいんだなあと
よくわかり 病院になんてお世話にならない
そんな人生を歩めるありがたさ が 身にしみる。


 そんなちょっと暗い雰囲気の病院の中
ひとつだけ明るい光をはなっていたのは
お見舞いに来てる無邪気さまるだしの子供達。
今日は私も子連れで来たけど 彼は着く前に
昼寝をしはじめ 病院の中はみていなかった。
けれどもけっこう子連れは多くて
エレベーターに乗りながら ああ そうか
子供って 次世代の生命なんだ、、、と
深い感慨を覚えてしまった。


 子供を産むっていうことは

 一体どういうことなのか?と
長いこと考えていたけれど
人間には 男女の出会いの時でさえ
遺伝子やホルモンが働いて この人となら
子孫を残せそうかどうかというのを
チェックする機能があるらしい。
それくらい 子孫を残すということは
人間や動物に備わった本能的な行動で

 「社会的」な場所にいて 独身の人が
働いていて 楽しそうに笑ってて という
そんな場所にいてしまう と 子供は面倒
大変だ!とつい思ってしまうけど
少し暗い雰囲気の おじいさんおばあさんが
沢山リハビリしている病院の中を歩いてみると
子供だけ が希望のような気さえする。
なぜなら彼らは新しい生命だから
新しい希望の星だから。


 自分の子供を見ているときに
なーんでこんなに元気なんだろう!?と
不思議に思うことがよくあって
こんな30歳間近の人から生まれて来たのに
両親はへばっていても 子供は夜の10時まで
めちゃくちゃ元気に動き回って 笑いに笑い
よくこんな疲れた親からこんな子が、、、と
驚いてしまう。私から生まれたはずのその子は
とても元気で もうこれ以上力がついたら
怪獣ごっこも無理そうなくらい
エネルギーに溢れてる。
お肌もほんとうにつやつやしてて
その細胞 わけてもらえませんか?
っていうか私から出て来たはずでは?
なんでこんなに元気なのかなー?と
本当にうらやましくなってしまう
(それに語学習得能力といったら!!お願いわけて!)


 そんな彼らを産み落とすこと
産み落としてから何年か は 本当に大変なんだけど
いつか自分が老いた時 に 若い光が
元気を与え 笑顔を分けてくれるのならば
いつか自分が老いた時 に お見舞いに来てくれるなら
子供って やっぱりとても大切な存在なのかもしれないな。


 かつて戦後の住宅難の時代に日本は
こぞって山を植林にして 何十年後かの資源をつくろうと
したらしいけど 子供って きっと今 すぐではなくって
十何年かした後に 自分がもう 子供を産めなくなってしまった時に
その活動や若さや気力で 人にパワーを与えてくれて
そしてちょっと助けてくれて 一人だけ でいるよりも
元気にさせてくれるのだろう。
彼らは希望に溢れてる。何にだってなれるわけ で
それは本当にうらやましい。


 子供を産むって もっともっと
深いサイクルで見ないといけないことなのかもな、、、

 今日病院で私は思った。おばさんたちが
「自分のやりたいことなんてやれる時間がたっぷり
ある日がいつか来るわよ!でも子供は今よ」と
私によく諭してくるのは きっとそういうことなのだろう。
その時 自分が老いた時 側にだれかが居てくれるのか
その時 もっとエネルギーをもっていて はつらつとしてる
誰かがそこにいるだけで みんな若返るのだと そう言っている
子供がいると 笑顔があって 子供がいると 会話があって
いつの日か孫のいる人生がある それって何だか素敵そう。



 いつの日か 私ももう一人子供を産もうとするのだろうか
今まではそのリスクばかり考えてたけど 子供を産むということは
もっと とっても根源的で 本能的で 本質的な
なんだかそんな気がするな。。。
子供はどうして笑うんだろう 
どうしてあんなに人を笑顔にさせられるんだろ
どうしてあんなに若いんだろう
子は宝 というけれど 本当に社会の宝なのかもしれない

 「花のいろはうつりにけりな いたずらに 
我が身よにふる ながめせしまに」

 若いしこれから!と思ってる時 女性は子供も産み時で
判断するのは難かしいけど いつかリミットもあるわけで
仕事?自分?子育て?収入?考えることは山ほどあるけど
もしかして 子育てっていうものは そういうレベルの
判断じゃなく もっともっと 根源的なものかもしれない
そう思えたのは都会の真ん中。なんだか不思議な経験だ。

販売促進

2010年09月23日 |  カフェ的な場で考えたこと


 今日は東京滞在で一番ハードだろうと思われた日で
朝は出版社の人とお話しに行き、3時間ほど
集中してお話したあと お腹が減ってふらふらな身体を
ひきずりながらもワールドスペシャリティコーヒー
コンフェランスアンドエキシビジョン
という展示会に行って来た。

 これは3日間連続の、質の高いコーヒーに関するイベントで
ここに行ったら何かがきっと起こるんじゃないかな と
京都にいたときからかなり楽しみだったのだけど

 会場にようやくつくと 私は圧倒されてしまって

 うーん Paris bistro.comの宣伝をしたいとこだけど

 何していいのかわからない、、、、


 あまりに専門的なイベントで お話をしてみたい人は
沢山いるけど そこで自分が何をもっててどう話せるか
そう考えると 今の状況じゃちょっと無理かも
と つい尻込みをしてしまう。





 それでも今日は 一応ここで書籍の販売をしている
旭屋書店というところ で 販売促進させてもらおうと
思って連絡をしてはいたので そこに向かって
お店の方とお話をして それならPOPでも書いてくださいと
紙を渡されイラストを書く。


 こういうことをやったりしながら

 自分で仕事をつくるって やりたいことで
なんとかやっていこうとするって
すっごい大変で めちゃくちゃいろんな才能がいるんだなあと
改めて実感をする。

 たとえ文章を書くのが好きな人にしても
その本が出版されて 誰かが興味をもってくれて
講演なんかに招かれてみたら そこで必要とされるのは
「書く」というのとは全く違った才能で
話のうまさや わかりやすさや まとまってるか
いかにして伝えるか できればちょっと冗談なんかや
アドリブも?そんなこと が できたなら
会場受けはいいのだろうけど それって
一人静かに本を読んで執筆をする 
そんな人とはなかなか相容れないようなものに思えてしまう。


 そして本が出版されても
それが簡単に売れるわけなどなくって
それでもやっぱりもっと読んでもらいたいなら
自分で売り込むしかなくて そこには勇気も必要で
それだけじゃなく 書類だったり 名刺だったり
ちょっとした押しの強さや図太さだったり
自分の作品を「大切な作品」と思えば思うほど に
売り込みなんて しにくいだろう。
だって批判されたり無視をされるのは怖いから。


 ところがそんなこと言ってられない!!
そんな状況じゃないんだよ びくびくしてる場合じゃなくて
傷つくのが怖いとか 言ってられなくなって来た時
人は勇気も出せるよう で 勇気は何度か出してみる と
意外に慣れに変わるらしい(これすごいいい勉強になった!)


 とはいえ販売促進なんて 一体何すりゃいいんだろう?
そう思ってる私を横目に お店の人は慣れていて
私の本を目にしたのなんてはじめてなんだろうけれど
人が集まると声を張り上げ「cafeから時代は創られるの
著者の飯田さんがいらしています~!今なら
サインもしてもらえますよ!!」と宣伝をしてくれる。
どういう顔をしてたらいいのかさっぱりわからないけれど
そしてここで皆が手に取るのは「いかにカプチーノに
絵を描くか」とかで こんな本ではないのだけれど
それでも手にとってくれる人もいて
すかさず声をかけてみる と なんと
その全員が私の本を買ってくれた!!2500円もするというのに!


 というわけで 2時間くらいかかってましたが
おかげさまで今日『cafeから時代は創られる』は3冊この場で
売れました。本当にありがとうございます!
はじめはサインをするというのも 自分の本が
本屋にあるというのも とってもびっくりしていたけれど
慣れというのは面白く 今日は「ハイ!POP?描きます!
サイン?もちろん!お名前も教えてください!
この本は20世紀前半のパリの、、、」とだいぶ慣れてきた。
自分の本が平積みになる?そんなことがありうるかしらと
思っていたけど 今日は全ての本が平積みで
そうやって並べてもらうと なんだかそれにも慣れて来て
「もっとあの本屋さんにも置いてもらおう!」と
ちょっと図太い気持ちになってくる。
(ちなみに青山ブックセンター渋谷店にも
置いていただけそうです!)


 今の私は 本を出版したばっかりで
誰かの反応にひたすらおびえる そんな私とは違うから
もうできる限りのことをして 自分の持っているものを
全て活かして 仕事にしようと思っているから
前の自分とは違うのだろう。さて どこまで勇気が出せるかな?





 来年のパリを夢見て 
できるとこまで できる限りは
自分の力をしっかり出して
未来に向かって走ってみよう。


パリのカフェで

2010年09月22日 | パリのカフェ的空間で


 昨日今日、と東京の気の合う友達に会い
沢山のことをカフェで話して
私はこれからこうしたいとか パリにいたいとか
いろんなことを言ってたら 彼らはとても
受け入れて 応援してくれ
本当にありがたい友達だなあと嬉しくなった。




 もうネガティブなのはやめるんだ!と
思ってみても 1日のうち 数回は
ネガティブ時間が私をおそって
今日は友達に会う前なんかに そんな気分になってきて
あーなんて言われるかなとか もっと現実を見なよとか
ちょっと恐ろしかったけど 会って話をしてみると
とってもポジティブな話ができて
本当にとっても 温かかった。


 彼らは私と話をしながら「美樹ちゃんが
京都とか東京にいるっていうのは なんだか
変な気がするなあ」と言ってくれ
「やっぱりパリにいそうだよ そんな
イメージが目に浮かぶ」とまで話してくれて
そういう風に言ってもらえて 私は本当に
嬉しくなった。そう どっちにしたって
どこでも適応障害で ママサークルでも
団地妻でも 適応しようと必死の努力を
するのだったら パリにいた方がいいではないか
私はメトロのエスカレーターをのぼって
パリの街を見ながら そんな風に思ってしまった。
どうせどこに行ったって 私には大変なんだから、、、


 昨日今日と話した彼らは日本を出たい「脱出組」で
今の日本にこれ以上留まっててもちょっとねえとか
10年くらいしたら帰って来てなんか大きなこと
してみたいねとか そんなことを言い合っていて
今の日本に足りないものは?と話してみると
うーん 人生を楽しむ姿勢?それはないよね
それから議論する文化 それもやっぱりないだろうし
何かを変えて行こうという熱い動きも 
ないわけじゃないけど 圧倒的に少数派。
そんな話をしていると 私がパリで色々学んで
日本に伝えて行けることって きっと沢山あるんじゃないか
なんだかそういう気になっていく。





 先日お話をしていた人は 私のブログと本を見ながら
「飯田さんの中ではクリエイティブなことをしよう
何かを変えようというベクトルと ゆったりした
出会いを楽しもうというようなベクトルがどうやって
共存しているんですか?」と私に尋ねたのだけど
私にはよくその質問の意図するところがわからなかった。
「え?だってそれがカフェでしょう」とか
「一人の人間の中で共存はできますよ、、、」と
思ってしまったけれど 多分これはもっと深い質問で
つまり議論を生み出し 変化を起こすようなところと
日常のゆるゆるした ご近所さんのちょっとした挨拶がある
そんなカフェやら出会いの場やら人生と が
どう両立できるのか という話なのだろう。


 もちろんカフェでは いつも議論!!なわけじゃないけど
おそらくこの質問をした人は 日本では圧倒的に
後者ばかりで 議論や変革を生むような そんなカフェも
そんな場も そんな人さえ 非常に少ない
そのことについて案じていたんじゃないのかな。
確かに「ほっこりカフェ」だとか ふれあいの居場所的な
おばあちゃんたちのたまり場みたいな空間からは
近所のつきあいは生まれるけれど 大きなうねりは?と
問われてみると うーん イベントくらいならあるけどね、、、
それは全く別ものなのかな?
実際のところ 私自身 パリにいって 人生の
劇的変化を感じたあとに 近所のカフェに
戻って行ったら ほとんど変化もしてなくて
なんだかとっても哀しくなった そんな経験もあるわけで。


 議論をしても? イベントだったり
1回きりで終わっちゃったり イベントはやっぱり
イベントだから 疲れてしまって 続かなかったり
イベントはイベントを生むけれど(キャンドルナイトとか)
それで社会が変わったのかと問われてみると
なんだか微妙な気もするし
(ちなみに今年夏の電力消費量は例年の13パーセント増
なんだそうな!チームマイナス6どころじゃないですよ
秋から省エネに励みたいところ、、、)
社会が実際に変わるというのは 本当に難かしいけれど


 だけどパリでは パリプラージュとか
町中にできた貸し自転車とか マルシェとか
いろんな取り組みもあるわけで 社会は変わらないわけじゃない。

 「日本では だれも変化を望んでないよ」
友人たちはよくそう言っている。
だから変化を望む自分が出てったほうが手っ取り早い。
だってまずは 自分自身も もっと幸せになりたいし。
だけどそれでも何か伝えられることはあるはずで
私がもっと つっこむべき視点というのは
議論をする文化であったり 会話のある場所であったり
いかにしてそれがおおきなうねりになっていったか
いかに変革に結びついたか そんなところ なのかしら?

 
 カフェ という場所を通してわかったことは沢山あるけど
わからないこともまだまだあって 私は自分の本の
第六章を もっと深めたい気がしてて
まだまだカフェには謎がある し
カフェを通してわかってくことも沢山きっと あるのだろう。
私にしか できない視点
私だからこそ 書ける視点で
もっと今の日本に参考になり 10年後の役に立つような
そんな本が パリのカフェ で 書けたらいい。

カフェに本をおいてもらいに

2010年09月20日 | サードプレイスとしてのカフェ


 せっかくカフェの本を書いたんだから
本屋さんだけじゃなくって 人の集まるカフェでこそ
売ってもらえたらいいのにな、、、

 そんな想いをだいぶ前から抱いてたわりに
なかなか行動に移せないままでいたけど
前回のフランス行きで もう後がないと思った私は
動き始めるしかなくて そういうわけで
今日で3軒、京都で2軒 東京で1軒、
カフェで『cafeから時代は創られる』を
販売してもらえるようになりました!


 今日訪問させてもらったのは
西国分寺にあるクルミドコーヒーという素敵なカフェで
ここでは毎週「クルミドの夕べ」というイベントが
開かれていて だいぶ前のことだけど
私の本のテーマについて オーナーの影山さんという方が
お話をしてくれてたらしい。


 そのことは たまたまネットで自分の本の名前を
検索したら知ったのだけど もちろん私は飛び上がるように
嬉しくて またしてもその人についメールを書いて
一度お会いしてみたいです と書いてしまって
そうして以前お店に伺い それはそれ で
終わったのだけど もう一度 今度はお店に
本を置いてはもらえないかと ぶしつけなお願いを
させてもらってた。


 どうなるかなあ、、、と思っていたら 
影山さんからお返事が来て なんと彼は
私の長いブログを3月分から夏にいたるまで
全部読んでくださり それらを全部ふまえた上で
「応援します!」と快い返事をくれたのだった。


 というわけで 今日は影山さんとお話をしに
クルミドへ、、、 ここはなんだか森の巣のようで
居心地がいい。外観はコンクリートなんだけど
入るとびっくり 木の中みたい。それもそのはず
一枚板のテーブルだとか 木のイスだとか
トイレには素敵な木の扉とか テーブルの上には
自分で割って食べていいというクルミがあるとか
なんだかとっても面白い。つい長居したくなるような
ほっとできる空間なんです。


 さて私の本を驚くほどに熟知してくださっている
影山さんと2時間ほどカフェ話で盛り上がり
思うがままに話してしまって私はとっても楽しくて
気がつけば はて 何をしに来たのやら、、、 
そうだ とりあえずするべきことはしていかないと!と
お約束してたPOPをその場で書いてみて
今日から私の本もここに並べてもらえるのかな?
この素敵な空間で 誰かが興味をもってくれたら
そしてゆっくり読んでくれたら それだけでも嬉しいけれど
このカフェが 面白い動きが生まれるような
活発な人の出会いが起こってくような
そんなエポックメイキングなカフェになったら
もっともっと 面白い。(きっとなると思います!)


 今日影山さんとお話しながら
2冊目の本はどうしようかと考えたりしながらわかったことは
あー やっぱり 私カフェを通して人を救いたいのかも
と いうことだった。


 カフェで私は救われるけど
救われるのは決して私だけじゃなく
沢山の人の人生を もっと豊かに 
もっと潤わせてくれる そんな出会いが
確かにカフェには存在していて
カフェの魅力をもっとみんなが知ってくれたら
もっと普通にカフェでの会話や出会いがあったら
凶悪犯罪だってもっと減るのに!と思っていたから
私はカフェを広めたくって いろいろやっていたんだな。


 
 あれやこれやと悩みがつきないなら
ーーカフェに行くことさ!

 彼女がとにかく何かまことしやかな理由で
来られないなら
ーーカフェに行くことさ!

 ブーツがぼろぼろになったのなら
ーーカフェに行くことさ!

 給料が400クローネで支出が500クローネなら
ーーカフェに行くことさ!

 まこと慎ましく暮らしているのに、
何の得にも恵まれないなら
ーーカフェに行くことさ!

 医者になりたかったのに、いまはしがない官僚なら
ーーカフェに行くことさ!
 
 気の合う女が見つからないのなら
ーーカフェに行くことさ!

 心の中はもう自殺に追い込まれているのなら
ーーカフェに行くことさ!

 人を軽蔑しながら、それでも
人がいなくちゃ困るなら
ーーカフェに行くことさ!

 もう何処にもつけがきかなくなったなら
ーーカフェに行くことさ!

(ウィーンのカフェ・ツエントラールに通った詩人
 ペーター・アルテンブルグの言葉
『cafeから時代は創られる』p.215より)



 カフェにいったらそれらが解決するのかって?
それは神のみぞ知ることだけど
カフェに行ったら 恋人と出会えるかもしれないし
(バーバパパの著者たちはカフェで出会ったし
藤田嗣治は結婚相手を2回もカフェで見つけた)
仕事が降ってくるかもしれないし(モンパルナスの
画家たちはカフェで絵を売り歩いてた)
自分の存在を認めてもらって元気になれるかもしれない。

 
 どうしても泣きたい気持ちでいっぱいだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 お腹を壊して子供のごはんもつくれなかったら?
ーーカフェに行くことさ!

 子育てのストレスで破裂しそうだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 誰とでもいいから話をしたくて仕方なかったら?
ーーカフェに行くことさ!

 トイレに行きたくなってしまったら?
ーーカフェに行くことさ!

 子供と2人きりでご飯を食べるのが辛く感じたら?
ーーカフェに行くことさ!

 あまりの熱さにへばりそうになってしまったら?
ーーカフェに行くことさ!

 誰かと語りたくなったときは?
ーーカフェに行くことさ!

 パリで喉が乾いたときは?
ーーカフェに行くことさ!

 食後のエスプレッソが恋しくなったら?
ーーカフェに行くことさ!

 眠くて倒れそうだったら?
ーーカフェに行くことさ!

 家ではできない仕事があったら?
ーーカフェに行くことさ!

 家の前が保育園でうるさすぎたら?
ーーカフェに行くことさ!

 エアコン代がもったいないと思ったら?
ーーカフェに行くことさ!

 一人でいたら気が狂いそうと思ったら?
ーーカフェに行くことさ!


(これは実体験に基づき私が詠んでみました)


 カフェにいったら 何かが変わる
カフェに行ったら 何かが起こる かもしれない
それはあなたにもよるのかもだけど
あなたが誰かと少しでいいから 話してみよう
少しでいいから気持ちを打ち明けたいと思ったら
何かは起こる かもしれない。


 カフェはとってもおもしろい はず。
日本のカフェが もっとこれから
たくさんの人を救って たくさんの人に
勇気を与えて たくさんのものが生まれる
そんな場所に なったらいいな。





 ちなみに京都で本を扱ってくれているお店は
御所南のmocomococafe(モコモコカフェ)
という、町家を自分たちで改装したとても素敵なお店と


西陣のトリペルという、漫画も読める、京都界隈の
面白い人たちの出会いの場になっていきそうなカフェ、バーです。
どちらも京都でいろんな活動をしている若者達がつくったカフェです。

ワクワクの力

2010年09月20日 | 想いをカタチに


 横浜に帰って来てから時折本屋で
人生についての本を立ち読みしてみたりして
うーん これからどうしてこうかと悩むけど

 やっぱりワクワクの力というのは大事だそうで
私がどうやって何かを手に入れるかと考えた時
信じて それに意識をなるべく集中してみて
待ってみること?と思っていたけど
どうやらそれでいいらしい。


 「もし制限がなかったとしたら?
あなたは何をしてたいの?」

 「もし絶対うまくいくとしたら
あなたは何をしてたいの?」

 そんな質問をされたとしたら
あなたはどう答えるだろう?

 私は今年の2月の「未来をつくる
ワークショップ」で、とにかく
現実的でなくていいから イメージでいいから
1年後に何がしてたい?と聞かれたときに
本当に久しぶりにワクワク感が
胸の内によみがえり
「じゃあ洛西でグレーな人生を
送っているよりパリのカフェで議論がしたい!」と
言ってみた。そんなこと できるかよ、、、


 そう思っていたけれど あのワクワクが
うれしくて それからなんと
半年も経たないうちに あの時は
「どうみても無理!」な夢だった
パリに2回も行けてしまった。


 昨年の夏 かなり鬱っぽくなってた時は
友人が「自由を手にするワークショップ」というのを
私のためにしてくれて そこで書いたほとんどのこと、
そのときは絶対無理やろ!!と思ってたこと
例えば

 一人旅をする
 フランスに行く
 フランスの哲学カフェにいく
 研究をする時間を手に入れる
 フランス語を続ける時間と気力を手にいれる

 なんてことが ぜーんぶ1年後には叶ってしまった!
あの頃はどうしたってフランス語なんて
子育てしながら無理!!と思っていたのに
今となっては大学院時代よりもひゅーんという感じで
フランス語のレベルも上がって 一体何が起きたのかしらと
驚いてしまう。不思議なことが あるもんだ。
神様ありがとうございます。


 というわけで ワクワクの力
書いてみること 信じてみることというのは
すごい力があるようなので やっぱり夢をみてみます。



 来年にはパリに住んで仕事をしています。
とても楽しく 愛に満ち、笑顔の絶えない生活を送っています
もちろんカフェでの議論もできる!


 そういう風に信じることにしてみます。


 大切なのは「どうやって?」という手段ではなく
強く思い込むことらしい。そしたら天から何かが降ってくる、、、
天から何かが降ってくる という経験も
私はけっこうしたことがあり(とくに恋愛) 
大切なのは 信じることだ。
あとは神様がきっと何かを教えてくれる
そのチャンス を つかめるか。

 私はもっと笑顔でいたい
もっと幸せに生きていたい
自分の人生 もっと大切に生きていたいし
しかめっ面をするよりも
たくさんの人を幸せにしたい
まずは私が自分の思考を変えることから
変化は起こっていくらしい。
それならきっと この東京で 何かが起こる
2冊目の本も 出せるといい。
そしてパリへとつながるといい
自分のもってる可能性 も
自分がやってみたかったことも
諦めないで 諦めからはじめるのでなく
希望のあるアタマになって
そこから何かをはじめたい。

9月の洛西ほっこりカフェに行ってきました

2010年09月15日 | サードプレイスとしてのカフェ
 
 いったいいつから始まったのだか
もう気がつけば半年くらいになるような?
洛西ほっこりカフェに今日も蓮太郎と行ってきました。

 「美樹ちゃんは主催者なの?」と
たまに聞かれるのだけど 言い出しっぺでは
あるけれど、ほとんどのことは喫茶けやきの
おばさんたちにおまかせしていて
私がなんとかやってることは、毎月
参加することぐらい(あとこれを書いていること?)

 今回は百人一首なんかどうですか?と
提案をして、「じゃあうちにあるから持ってくわー」と
おばさんが承諾してくれ、百人一首で遊ぶことに。

任天堂 百人一首 舞扇
任天堂
任天堂


 とはいえ子供も大人もいるわけで
(今日は大人と子供含めて参加者9人かな)
「百人一首はれんちゃんにはちょっと無理ねえ」と
おばさんたちは気をつかってくれ
それならば、と坊主めくりをすることになる。

 坊主めくりね!昔やっていたけれど
そして花札もあったのだけど もう
さっぱり忘れてしまって 結局みんなに
教えてもらう。(百人一首をつみあげて
順番に札をとっていって 坊主がでたら
手持ちの札を没収されて、お姫様がでたら
没収されてた札を自分のものにできる)
まあ運でしかないのだけれど
私は一度も勝てません。
ゲームはやっぱり弱いんです。。。


 それにしても もう「子供時代」を
通り過ぎてしまってから 十何年も
いわゆる「みんなで集まってするゲーム」というのを
やっていなくて 人生ゲームとかモノポリーとか
大富豪とかトランプだとかウノだとかウインクキラー
(結局いつも勝てないけれど)
そういうので 盛り上がる
それって本当に楽しくて すっごく大事な瞬間なのに
どうして一定期間を過ぎたら みんなやめてしまうんだろう?

 私はママサークルやここのおかげで
ゴム跳びをしてみたりとか お手玉をしたり
ジェンガをしたり 風船をお皿にのせて走ったりとか
そんなゲームをさせてもらえて
けっこう笑わせてもらうけど
そんな時間 たわいもなくってどうでもいいような
そんな時間を共有すること
ただそのことが 内容だとか
勝ち負けだなんてどうでもよくって
ただ真剣になり 笑い合い その時間を
共有すること そのことが大事な気がするけれど
そういう時間って本当にない。

 フランスに行ってあーいいなーと
思えたことの1つに、意外にも
「遊ぶ」時間があることで、
留学中に驚いたのは、日本人の先輩が
カフェで「シュールレアリストな遊びをしよう!」と
提案してきたことだった。
その遊び は なるべく意味がなく
関係のない言葉を思いつき
どこまで関係がなく かつ 驚きに
満ちて美しいかを競う(?)もの で
私ははじめ「じゃあ 渋谷の雨!
それにはこんな思いがあって、、、」
と言ってみたら 意味があったらダメといわれた。
まあつまり 溶ける魚とか 哀しい扇風機とか
空に落ちたイスとか?思いつくのが難かしいけど
やってみるとけっこうハマる そんな遊びを教えてくれた
(そしてこの経験が大いに研究に役立ちました
こういちさん、本当にありがとうございます)

こないだは日本人2人とフランス人1人で
日本語のしりとりをして大いに笑い合ったり
(「つ、、、つきました。」とかなの!可愛い
でも大笑いしてたらだいぶ直って普通になってしまった)
公園にはチェスをするためのテーブルがあって
まわりには人だかりができてたり
日常の中に「遊ぶ」っていう
暇なというか、大事なというか
まさに「遊び」といわれるような
余裕のある時間があって
ほんならちょっとやってみるか と
大人になっても楽しめるらしい。
(もちろんダンスも!)
それってとってもいいよなー
私もチェスとか教えてほしい!と
もっとかの地で遊びたい と思ってしまう。


 いやいやでも日本人だし?
やっぱり百人一首や花札くらい
それにここは和室だし 京都のおばさんもいることだし
とちょっと百人一首に触れてみる と
いやあ なかなかみんないい歌で
先日奈良は飛鳥の犬養万葉記念館というところに
たまたま行ったけど 万葉集より
百人一首の方が わかりやすいし 
私にとっては心にしみいる。
いい歌だなあ、、、と坊主めくりを
しながら歌をながめてちょっと想いに
ふけってみたり。
もう少し触れてみたいなあ。

 嵐山には百人一首をテーマにした
美術館みたいなの(時雨殿)があるらしいから
そのうち蓮太郎つれてそこに行ってみようかな
フランスに行きたい!とも思うけど
日本にあった大切なこと
風流だとか 美しい風景だとか
美しい言葉のあり方 昔の世界
そんなもの も 少しずつ は 
学んで行きたいなあと思う。





パリのカフェの写真達

2010年09月15日 | パリのカフェ的空間で

 細々とですが、パリのカフェの雰囲気を
お伝えしようとホームページをつくりはじめています。
これまで何年も撮りためてきた写真やら
デッサンやらを少しずつご紹介しようと思っています。
一体どんなとこなのかしら?というのが
写真をみたらだいぶ伝わるんじゃないかと思います。

 まだまだつくりはじめですが
よかったら一度みてみてください。

パリのカフェ」です。

可愛さとにくたらしさのはざまで

2010年09月13日 | 子育て


 今日は蓮太郎が いかに最近可愛らしいかを
書こうかなーと思っていたにもかかわらず
先ほどお風呂に入る直前 私たちは大げんかして
もう虐待の通報が近所から来るんじゃないかと
ちょっとおびえてしまうほど 蓮太郎は泣いていた。

 なんで泣いていたかって?
お風呂に入りたくないからだ。
それだけのこと、、、(そんなもんです!)


 それでなんて泣いてたかって?
「にゅうにゅう(牛乳)飲みたい!!」
「アンパンマンうんちする!!」
(普段めったにトイレになんか行かないくせに
私がお風呂に入っている時に限ってトイレで
おしっこするという)
あとは散々わめき散らして
お風呂の扉を開け放しては私の側に寄ってきて
だけど断固としてお風呂になんかはいってたまるかと
彼は一歩も譲らず泣き続ける。


 そういうシチュエーションがずっと続くと
さすがに堪忍袋の尾も切れて
「もう怒らないぞ」と決めてるくせに
ほとんど毎日怒鳴ってしまう「うるさいんだよ!!」
もー本当に いい加減にしろ!!と思う毎日だ。


 だけど息子は可愛くて
昨日の夜なんて私にむかって「大丈夫?」と
言ってくれ そんなことを言われてしまうと
「うん大丈夫よ ありがとう 優しいね」と
つい言いたくなって そんなこと の繰り返し。

 今日も結局このお風呂号泣事件の後は
どうせ泣くならもう同じだ、と無理矢理つかまえ
シャワーを浴びさせ身体をふいて、しばらく部屋に
放っておいたら 私がお風呂を出て来た頃に
膝によって来て眠ってしまった。
そんな我が子はかわいいのだけど
憎たらしいときは本当に腹が立ってしまう。


 昔はなー 可愛い8割 憎いの2割くらいだったけど
今は可愛いのが3分の2で 憎たらしいのが3分の1くらいに
なってしまった気がするなあ それでも可愛いとは思うけど
それでも彼が 寝てしまった時 あの小さな足や手を見ると
ああ この子のことを守らないと 私が守ってやらないと
と 思うけど だけどお前にゅうにゅう にゅうにゅうって
いい加減にしろ!それから靴はくって決めたのに長靴に
するって言って後からワーワー泣くな! お店に入って
買い物かごの中に靴はいて入るな!!と
もう嫌にもなってしまう。(これ全部本日)


 私は一時保育があるから まだ精神的に楽だけど
それがなくて しかもこの子みたいに6月生まれで
まだ来年も幼稚園なしな状態じゃ
「一体いつまで続くんだろう、、、」と本当に
恐ろしくなりそうだ。


 ところでこんな感情を抱いているのは私だけ?
かと思いきや ママサークルでちょっと本音を
話してみると「私も朝はめちゃ怒ってたよ!!」とか
「毎日どなってばっかりだよ!仲良さそう?全然!」とか
「この間ものすごいわがまま言うからもう絶対嫌!と思って
抱っこしないことにして 道端でだっこだっこ言うのに
構わなかったら中学生が「抱っこしてあげなよ、、」って
顔して見てくるの。あなたもいつか母になったら
この気持ちがわかるわよって言ってやりたかったわ!」と
言っている人もいて なるほど!!と思ってしまった。
そう あなたもいつか ママになったら、、、
この気持ちがわかるわよ。


 ママ達に聞いてみるとたいていの人は
「虐待する人の気持ちもわかる」というし
新聞を見ると「しつけのつもりだった」と
いつも書いてあるけど「ほんまかいな」と思っても
でもどこまでどんな風にしつければいいのかなんて
母たちは誰も知らなくて 「今は子供だから
仕方ない」と思っていいのか「子供だからって
これはだめ!あれもだめ!全部ダメ!!」と
すればいいのか 私にはまだまだわからない。


 我が子は生後5日目にして沢山の赤子をみてきた
助産婦さんに 「頑固な子ねえ!
誰に似たの?」と言われたくらいの子なわけで
その頑固さには私もほとんど負けてしまうから
どうしていいのかわからない。
我が子の笑顔はかけがえのないくらい素敵だけれど
このわがままっぷりも激しすぎ
まあ 怒る 怒鳴るよりは機嫌を違う方向に
持っていくのが 得策だろうと思うけど
なかなかどうして難しい。
そう 子育ては修行です。


 そんなだけれど 最近はあー子供って可愛いなあ
もう一人くらい居た方がいいのかしらと思ってしまう
それくらい可愛い!ということもいっぱいあって
どういうことかといいますと

その1 私がどこか痛いときに「いたいのいたいの
飛んでけー! 飛んでった!」と言ってくれる。

その2 バスやしらないおじさん、おばさんにも
「いってらっしゃーい」と言って手を振っている
(けっこう無視されてるけど一向にめげない)

その3 ご飯を食べてくれないのでお母さん悲しい!
れんちゃんのために一生懸命つくったのに、、、と
悲しい顔をしてエンエンすると「食べる!」といって
食べてくれるようになった。

その4 しょっちゅう歌を歌ってる。
得意な歌はアンパンマン、七夕の歌など
ごはん中まで歌わなくてもいいんだけど、、、

その5 ボールを投げるのも上手になった!
「一緒にあそぼー」と言ってくる。

その6 今日は愛用の帽子、ケロちゃんにもパンを
わけてあげようとしてた「ケロちゃんも食べる?」
かつてはクマのぬいぐるみの歯を磨いてました。
そういうとこ大好きです。

その7 なんと肩を叩いてくれる!「母さんお肩を叩きましょう♪」
を歌うとけっこうちゃんと叩いてくれるのです

その8 たまにゴミを捨ててくれる
あー子供がいてよかったと思う瞬間(笑)

その9 たまにお菓子をわけてくれる!信じられない
以前は絶対くれなかったのに!今日もいちじくをもらいました

その10 カフェに行くとお金を払う役目を引き受けてくれる。
ちゃんとおつりももらってきてくれて可愛い。

その11 今日は初の写真も撮れたみたい!

でもカメラ壊さないでね、、

 なーんて そんなことなんだけど
彼は日に日に成長していて 毎日とても楽しそう
(まあ大泣きもしょっちゅうだけど)


 「子供ってさ いるのといないのと
どっちの方がいいんだろうね?」
それは永遠の課題かもしれない。
特に自由に生きたい人にとっては
とても難かしい選択だけど
子供がいるから笑えることも
子供がいるから学べる視点も
子供がいるから変われる自分もあるのだろう。
私はおばかな息子にずっと付き合っていて
私もかなりおばかになって だいぶ自然体になったみたい。

 かつてスタバで執筆してたときに
毎日顔を合わせてたおじさんが
先日違うカフェで偶然隣り合わせたときに
こう言っていた。「だいぶ表情が変わりましたね
前はもっと なんていうか とんがっていた感じでしたよ、、、」
あー なるほど。 とんがっていた、
そんなの自分じゃわからないけど
確かにそうかもしれないなあ

 蓮太郎がいなかったなら 
私はカフェで 路上やバスで
見知らぬ誰かと話をすることなんて
なかっただろう だってこんなじゃなかったわけで
もっとギスギスしたオーラを持っていたから
だけど今はオープンになり
沢山の人の話を普通に聞けるようになってきた。
それが職業だからじゃなくても
「そうかー」と思えるようになってきた。
私もひとつの大変さ を 経験してみたからなのか な




 子育てをするということは
まわりの人からしてみたら
「子供がおっきくなるだけじゃない
その間あなたは何しているの?」と
思われたりもするかもだけど 本当は
親がおんなじくらい学べるもので
関係性をつくる間に 両方が沢山成長している。
それが子育てなんだよな だから「専業主婦」というのは
今では劣った目でみられがちだけど
意外としっかり大きくなってる
そんな気も私はするな。

 この2年間 沢山の出会いはあったけど
どんな本を読むよりも どんなイベントに行くよりも
蓮太郎との長い時間で 私は変わっていった気がする
子育てって きっととっても奥が深くて
だから難かしいのだろう。

カフェという場の可能性

2010年09月12日 | パリのカフェ的空間で

 
今日は朝から農楽カフェのつづきがあって
兵庫県は姫路のちかくの 神戸市西区まで
車にのって 伊藤さんちの貸し農園に行ってきた。

 今日のイベント「フィールド農楽カフェ」は
10時から2時までの4時間という枠組みで
打ち合わせの段階までは それで結局
何するんだろう??と頭の中がかなり「?」で
いっぱいだったけど 参加してみると
なんだか流れがまとまっていて、
私もカフェの話をふられて 参加者の方が
理解をしてくれたのかどうかはわからないけど
くすのきエコファーム主催者の伊藤さんが
カフェに随分理解を示してくださり
その説明をみんなのまえでしてくれたのが
私にとってはとても嬉しい出来事だった。


 あいかわらず私の中では もう長年
考えてはみてきたけれど なかなか
結びついてはくれない「カフェ」と「農」という
キーワード。それが結びついたらいいのにな
と 去年の農楽カフェから思っていたけど
今回はだいぶいろんなことが腑に落ちた。


 伊藤さんは熱い人なので「こうやってね
議論したりするのが大切なのよ!カフェみたいに
4-5人でね!」とワールドカフェ形式を
かなり気に入ってくださって、今日の話をするときも
ふだんは陶芸教室の会場兼ガレージだというスペースに
組み立て式の(オリジナルの!)机を設置し
その上に伊藤さんの書道の練習用に使った紙を
並べてテーブルクロス風にして「カフェっぽい」
雰囲気をつくってくださり とても心地よい空間だった。
そのうえお昼は期待をはるかに上回る
とってもおいしいマクロビの、しかも前菜、
メイン、ごはん、味噌汁、デザート、しめに
コーヒー(いいのか?いいよねカフェなんだから!)
からなるお料理を堪能させていただいて
とっても素敵な試みだった。


 こんな風にカフェっぽく、あえて4人一組くらいで
テーブルをセッティングしてとやってみたのも
伊藤さんが こんどはかつての私のように
「そうだ!カフェだ!」と思ってくれたからなのだろう。

 今日はその後じゃがいもの植え付けを体験し
根っからの都会人の私は今に至るまで 農作業体験を
ほとんどしたこともないままで 畑に入って
うねをつくって というそんな経験が面白かった。
そして私より若いのに手慣れた人たちがまわりに沢山!
うねって何で必要なの?とかそんな初歩的な
質問から 農業用語の基礎の基礎とか
教えてもらえて面白かった。
私にとっては相も変わらず遠いイメージの「農」だけど
貸し農園ならいけるかも とか たしかに
自分で畑をおこすところからやってたら
そりゃあ絶対美味しいよなあ と
いつか野菜は育ててみたいな と
そんな気持ちになれたこと が なんだか
とってもありがたかった。


 この植え付けの基本指導をしてくれたのは20代
前半くらいの女の子で 今は有機栽培農家で
研修2年目なんだという。彼女の手つきはとても慣れてて
なんだかとてもかっこよかった。ちょっと2人で
話す機会があったとき、農業をやろうと思った理由を
尋ねてみたらこう言っていた。
「昔から農業に憧れてたんです。今は楽しくて
時間がたつのも忘れてしまって 気がついたら
夕暮れなんですよ」「へー!いつから憧れてたんですか?」
「子供のときからですね、、家は農家じゃないんですけど」
そっかー それじゃあ うれしいんだろうなあ
彼女はしょっちゅう「感謝している」と言っていた。


すごいなーと思う一方 そしていわゆる
農家さん的な雰囲気の中 なんだか一人浮いてる私は
(だって一人だけ「パリのカフェ」なんだもん
まあ 浜名湖ユースでもそうでしたが、、)
でも私のまわりにいる人の多くが「農だ!!」と
言ってるからって 彼女にとって農が本当に喜びなのは
それが彼女がそれに憧れていて 本当に好きなことを
やってるからで 私が無理矢理「農?かしら、、、」と
思って一緒になってやってみて も なんだか
だいぶ違うのだろう。みんなが「農だ!!」と言う度に
私は途方にくれるけど 私は最近思い始めた。
都会にだって役割がある。都会のしくみを
変える人だって必要なはずだ。それに私は
カフェというテーマでやってきてるし
それを使って何を変えてくことは可能だろう。


 伊藤さんはどういうかなあ?農をテーマにがんばっていて
でも私のカフェ論も共感してくれた彼女はなんて言うのだろうと
つい思ってしまうけれど 彼女は「もっと沢山の人に
カフェのことを伝えてほしい」とみんなの前で言ってくれ
別に私に対して「あなたも自給自足するべきよ!」とか
「田舎で農業してなさい」と言ってきたりはしないわけ で
私はやっぱり 私の視点で 世界を見たくて
私には私なり に やれること があるのなら
違う視点から なんとかかんとかやってみたい、と
はじめてお話した後の 帰りの電車で
私は都会でやってみよう と ちょっと思えたりしたわけで。



 カフェは何かをつなぐのだろうか

 カフェは何かを変えるのだろうか?


 今日参加者の話を聞いてて気がついたのは
「僕たちはおいしい野菜をつくります。それが
料理されて食卓にあがって、、、」そんな話を耳にしたとき
ああそうか 「農」といっても それらのものは
どこかで料理され 食卓にあがるものなわけで
それがいかに食べられるか というのも
けっこう面白いかも と私は思った。

 いかに というのは けんかして無言で
無農薬有機栽培マクロビの料理を食べるのと
美味しいワインと素敵な雰囲気とろうそくの灯の中で
楽しい会話に笑いながら ご飯を一緒に食べるのとでは
美味しさの質も全く違うということで
「これはいい!あれはダメ!」「肉もダメ!砂糖は
もっとダメ!!」と言いながらしかめっ面して
食べるのよりは 白米でお肉であっても 
楽しく笑って食べてた方が きっとつくられた
ものたちも まわりの人も 嬉しいだろう
そういう方法 ただ料理をするだけでなく
いかに食卓を楽しむかとか いかに
カフェを楽しめるかとか そういう方法
そういうのって あんまり日本で重視されてない
そんな気が私はするから 
そういうことをもっと探って伝えていくのもありかもな?


 フランスで何故カフェで出会いが生まれるかって?
いまだにそれがあるとするなら 日本には
ほとんどないもの それは彼らが気軽に
ギャルソン達と軽口をたたくことだろう。



そうしておもしろおかしく冗談をいい
気の利いた言葉をつかって 隣の人もクスッと笑う
そこで目配せがはじまっていく そういうとこから
会話が生まれる 私にはそんな気がするな。
(ちなみにパリで夜にでメトロを待っていた時
隣の人が「あと何分で到着です」という電子アナウンスに
「メルシィ」と言い返してて 私とそのまた隣に
いた人は顔を見合わせて笑ってしまい そこから
3人でのちょっとした会話がはじまったことがある。
こーいうのをエスプリっていうのかしら?)

 カフェはないより あった方が断然いいけど
「さあカフェですよ」と開いてみたら
何かが生まれるわけじゃない。
そこにもいろんなやり方があり
日本のカフェを放っておいても 
出会いはないし ちょっと誰かが紹介しても
名刺交換から始まっていく 通り一遍の
紹介の仕方で終わってしまうかもしれない
いろんな方法 いろんな方向があるわけで
カフェにはきっと方程式があるのだろう。
どんな方程式をつかったのなら カフェから何かが
生まれるのだろう?私はもっと それを探って
沢山の人に伝えていければ
私なり に 役にたつことができるのだろう
やっぱり私は私の道で もう少し研究を深めて
成果を社会に還元したい。伊藤さん 本当に
ありがとうございました!

あたたかいカフェ

2010年09月11日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今日は朝から息子と2人で何故かカフェを
3軒もはしごして けっこう面白い日に
なるのかなあと思っていたけど
以外にも街中のカフェはちょっと微妙で
私はまたしてもショックを受けて
やっぱり京都にいられる時間も
もう長くないのかも と
ちょっと確信してみたりする。


 なにがどう合っていないのか
言葉にするのは難かしいけど
京都の街中 いわゆる「市内」というとこは
小さな子供に対する目が厳しくて
あまりあたたかいまなざして見られることがない。


 私は蓮太郎と行動するとき
もしかして彼は生粋の 場を感じる力を
持っていて その空間の空気感 が
どうなのか を 一瞬で悟り
そこにいたいかどうかを見極めているんじゃないか
そんな気がちょっとしてしまう。

 というのも彼はもっと小さいときから
バスに乗ったり電車に乗ると
(うちは車がなくて 私が外に出たがりなので
かなり小さいうちから公共交通機関に乗っていた)
けっこうちゃんといい子にしてて
それが満員電車で殺気だった雰囲気だとか
雨の日のムシムシした気持ちの悪い環境でなければ
叫んだり泣いたりすることもなく
意外といい子にしててくれ
よく年の変わらないお母さんから
「どうしてれんちゃんはいい子にできるの?」と
言われてた。


 私には明確な理由はわからないけれど
彼女達との違いといえば うちには車がなかったことで
「公共交通機関とはこう振る舞うとこだ」というのを
彼は言葉を発する前から身体で覚えていったのだろう。


 そういうわけで けっこうすごいなと思うんだけど
彼は場の空気感を察知していて どうも私が思うには
うんなるほど!ここは居心地いいよなあ というところでは
意外といい子で長居ができて うーん微妙と思うところは
20分も間がもたない。それは私の勝手な解釈?
でも本当に不思議なことに 私の大好きな喫茶ゴゴでは
彼は1時間半でもいられる。それはもちろん
お姉さんがかまってくれて サービスをしてくれるからでも
あるのだろうけど 彼はほとんどぐずることもなく
楽しそうに過ごせるんだな。2歳児がカフェで1時間半!
驚きじゃないですか?(別に子供専用カフェじゃないですよ)


 
 ところで今日は 近所の喫茶けやきで
本当に感動的な光景を目にすることができ
あーこんな日が ついにくることができたのも
私が生後2ヶ月の時から蓮太郎をカフェに連れ出していた
おかげかも とちょっと思えて嬉しくなった。

 今日はその喫茶店のすぐ隣でヨガのサークルがあり
おばあちゃんたちと蓮太郎が仲良くなって会館を出ると
実はヨガサークルの昼食会がけやきであるということで
私は知らなかったのだけど 今更いいか いやでも
なんだか仲良くなれてきてるし 隣でお茶でも飲んでくか、、、
と躊躇してたらカフェの常連の蓮太郎は 当然のように
スタスタと店に入っていって 「ケーキたべる!」というので
一緒にケーキをわけて食べてみることにした。


 隣に並んだヨガのおばちゃんたちの目の前には
めちゃくちゃ美味しそうなサラダに小さな小鉢が沢山。
この店で1300円のランチだなんて よっぽど
豪華なのだろう(いつもランチは600円なのだ
ちなみにコーヒー、オレンジジュースは250円!)
おいしそう、、、、 と思ってつい眺めてしまってたからか
おばちゃんたちは「れんちゃんもちょっと食べたら?
おばあちゃんたちこんなに食べられないし、、、」
といって 唐揚げやソーメンにはじまり
結局おいなりさんからビールまで
みーんな取り分けしてもらって 私と蓮太郎も
一緒に乾杯させてもらった。 お 美味しい、、、!
おばちゃんたちは「昼間からビール!」と楽しんでいて
なんだかとてもいい感じ。


 私たちはヨガの人やらお店の人やらと会話をしたり
していたら 「あら?もしかしてれんちゃんじゃない、、、」
あれ?と思うと あ!こんにちは、
かつて蓮太郎をよく預かってくれていたおばさんが目の前に。
そして彼をかまってくれて「ひさしぶりねー」と
お話に花が咲く。ようやく蓮太郎がまた席に戻ると
今度は金曜日のヨガで2回だけご一緒させてもらった
おばさんがお店に入って 彼女が少し蓮太郎に
声をかけてくれている。


 でもまああんまり知らない人だしなつかないよな、、、
と思っていたら あれよあれよという間に
蓮太郎は彼女のテーブルのとこにいき
イスに座って本をとりだし そのおばさんに
新幹線やら車やらの名前を説明しはじめている。
へー こんなことってあるんだなあ!!!
おばさんも楽しそうにしてくれているので
自分の席から眺めていると その関係は長く続いて
私は本当にうれしくなった。蓮太郎、、、成長したなあ


 これこそまさに 地域の人たちが出会う場じゃないか
大人から子供までがそこで約束もせずに出会って
一緒に笑って元気になって そしてまた帰ってゆく。
これじゃない?これじゃないですかここの代表の人が
したかったのは?本当に この地域の拠点になっている、、、
私はとっても嬉しくて 席を立ち、蓮太郎と遊んでくれてる
おばさんと話にいったら「私もとっても嬉しくてねえ
こうして自分から来てくれたのよ!」
「こんなこと普通ないんですよ はじめてなんです!
私もびっくりしました」
「あらまあ 気が合うのかしらねえ、、、」
と彼女は笑顔で喜んでくれて私も蓮太郎もとても嬉しい。
そう ここの人たちはあたたかい。


 子供がどういうものなのか
母であるということが 一体どういうことなのか
みーんなもうよくわかっているから
だからとってもあたたかく 彼の成長を見守ってくれ
みんなで笑って声をかけてくれているから
蓮太郎も 沢山の人のところをまわっていける。

 彼はこうして 人の間で 関係性を学んでいって
振る舞い方を学んでいって あんなにも愛想よくなり
誰にでもバイバイをして いつも笑顔の子になった。
蓮太郎 あんたはきっと 大きくなるよ
今のこの姿を大事にしたら きっと素敵な大人になれる。
そんな彼をつくっていったのは バスで出会ったおばちゃんたちや
カフェで出会った人たちで そんな出会いが起こったのは
私が彼を連れ出して 彼の笑顔に かわいさに
みんなが心を開いてくれたから。
私も笑い 彼も笑い 目の前の人も笑っていった
そこにはいつも あたたかく 優しい空気が流れてた。

 保育園もいいけれど 子供を外に出すことで
何かが変わることもある こちらが 大人こそ が
学んで変わることがある。こうして蓮太郎は
たくさんの人に囲まれて すくすく元気に育っていった。
近所にあった あたたかいカフェ 若者専用のカフェではなくて
沢山の世代が集い みんながちょっと 前より笑顔になれるカフェ
私はやっぱり そんなカフェこそ
そんな愛のあるカフェこそが
私は一番素敵だと思う。

農楽カフェから何かが変わる?

2010年09月09日 |  カフェ的な場で考えたこと
 昨日は神戸のミドリカフェという素敵なカフェで
開催された「農楽カフェ(のうかカフェ)」で
カフェ文化に関するお話をさせてもらいました。

 昨日はゲストが二人ということで
どんな人とお話なのかと思っていたら
「貸し農園をされてる方なんです。」

 ・・・は? 貸し農園? と
カフェですか、、、?


 まったくもって 私にはその
つながりだとか 関係性がよく
わからなかったけど 一度そこに
お邪魔して 伊藤さんという方とお話をしてみると
はー なるほど!でてくるでてくる共通点!
こんな二人をドッキングさせた
主催者『棚田LOVER'S』の永菅さんの力量に
恐れ入りました。


 ところでこの主催者の彼は相当に
面白いことをやっていて 学生時代から
神戸のキャンドルナイトにかなり積極的に
関わって しっかりとした企画書を持った
彼と出会ったのはだいぶ昔のエコリーグの
ギャザリング。そこで私はカフェをやってて
彼はキャンドルナイトをやっているということで
それならこれからカフェでキャンドルナイトを
してみたら?!そんな話で盛り上がり
急遽やってみることに。


 その時のカフェはとっても幻想的で
素敵な雰囲気で ついにエコリーグの
ギャザリングにも こんな環境が
持ち込まれたか!と驚くような夜でした。

 残念なことに永菅さんは次の日には
帰ってしまい 2回目のキャンドルナイトを
やりたいけれどもキャンドルが十分手元に
ない私 は 結局会場の明かりをつけて
「こんなんじゃないー!!つくりたいのは
こんな雰囲気じゃなかったのにー」と
くやしがっていたのを覚えてます。


 さて あれから何年か経った彼は
自分で棚田を守るためのNPOも立ち上げたらしく
ふだんは有機栽培農家の下でがんばって野菜を
つくって でも傍らでめちゃ企画して
時にインターネットカフェに泊まったりなんかしながら
パソコン片手に勢力的に動いてる。
そして彼が開催している「農楽カフェ」は
もう2年くらいやってるらしく、
その趣旨は農業、農家さんと都会の消費者を
つなげ、一緒に食や農の未来を考えることに
あるんだそうな。すごいです。


 しかもそれを神戸のお洒落なカフェでやっている。


 そして彼はある時私の本を買って読んでくれ
昨年9月に農楽カフェにゲストで呼んでくれ
そこで私は「せっかくだからカフェでの議論を
体験してみましょう!」ということで
ワールドカフェを導入させてもらいました。
そしたらそれが面白くって それ以降
かなり取り入れてくれてるらしい。
頭の柔らかいたぐいまれな力量のある人だと思います。


 
 昨日はまたしても私は「何故カフェから
様々な社会的運動や思想、芸術が生まれていったのか」
という話をさせていただき、それから伊藤さんが貸し農園の
お話をされ、私が貸し農園とカフェとの共通点に
ついて探って 伊藤さんがそれをうけてまた
お話をされて、それからみんなでワールドカフェタイム。


 ちなみに歴史に残ったようなカフェと
伊藤さんの貸し農園には
どんな共通点があるのでしょうか、、、

 ひとつめは そこに通う人同士の対等性

 カフェも貸し農園も、その場を提供する人に
ある一定のお金を払うという点で、そこに
通う人たちは平等、対等な立場になります。
その人が偉い人なのか、学生なのか、
外国人なのかとかはそこでは関係ありません。
その「入場料」や「使用料」を主人に
支払っているという点で対等になる。
まあ映画館もそうですね。
だから(機会さえ設けてもらえば)
お互いがとても話しやすい。
(そこを選んだという時点で意外と
興味や嗜好が似ていたりする)


2つめは 主人がそこに通う人たちを愛していること。

 伊藤さんは世界中からWHOOFという
有機農業の農家にステイさせてもらうかわりに
お手伝いします、とい若者達を受け入れていて
その数なんと80人上だそうな。
彼女は彼らにとても愛情を注いでいるので
「お母さん」と呼ばれるようになるそうです。

 モンパルナスのカフェ、ロトンドの主人も
常連の客達に「パパ」と呼ばれていました
(モディリアーニも!)ここの主人、リビオンは
第一次世界大戦がはじまるときに、沢山の
客達に最後のお酒をおごり、出陣するのを
見送っていたのです。そのため、無事帰還できた
人たちはパリに戻ると真っ先にロトンドに
戻ってきました。おかげで大戦後の
ロトンドは大繁盛、、、
伊藤さんも毎日のように世界中の「子供達」
からメールを受け取っているそうです。

 また、そんな主人がそこに通う人同士を
少し紹介することで、彼らの中で簡単に
つながりがうまれていくのです。


 3つめ 継続して通うこと

 議論は継続してなんぼです!と
私は「対話」の場があるときや
イベントのたびに訴えたりしてるつもりなんですが
1回きりの対話や議論もないよりはあったほうが
断然いいけど、一度だけではなかなか
次の動きになんて結びつくものではありません。

 だけど日本人は時間もないし
継続してそこに通って 気がついたら
誰かいる、みたいな場ってあんまりないよな、、、
と思っていたらあったのです。
貸し農園か!!目からウロコ。。

 そう 農業をしはじめたら
どんなに遠くから通っていても
すくなくとも週に2、3回は
通わなくてはいけません、、、

 というわけで継続した関係性の出会いが
起こりやすいんだそうな

 そう考えると銭湯やスポーツクラブも
こんな場になっているのかも?

 4つめ 多様な価値観がぶつかりあうこと

 モンパルナスのカフェには世界中の
人たちがいて、その言語やら衣服も様々で
まるで世界の人間見本市のようだった
と言われていますが 伊藤さんのところも
22カ国から若者がやってきて
彼らと話をしているうちに 自分が
当たり前と思っていた価値観が
どんどん崩され、価値が相対化されていってしまいます。

 これがカフェの面白さであり
崩れた価値をなんとか立て直そうとして
もがいていって、自分なりの価値を
自分の方法で表現していく それで作品が
できていく、、、だからできるだけ
突拍子もない価値観に身をさらした方が
(精神の均衡にはよくないけれど)
作品の制作には都合がよかったりするんですね。


 というわけで 伊藤さんの貸し農園が
もっとカフェ化したら こりゃかなり
面白い、、、と思いました。
っていうかかなりモンパルナスのカフェみたい?
と思ってこの場はこれから面白くなるだろうな
と思わされました。


 日本人が口をひらいて 真面目な話を
誰かとすること そんな場なんて
ほとんど存在しなかったのに
最近の「対話」ブームで 何かが変わって
実際に話をすると やっぱりいつも 面白い。
日本は変わり始めてるなあ それが
カフェから変わっていったら
普通に存在しているカフェこそが
イベントでもなく 会議室でもなく
500円を払えば長居のできる カフェ が
本当の対話の場になっていったらいいのにな

 今回はとても面白い視点を
得られることができました。
永菅さん それから聴いてくれたみなさんも
本を買ってくださったみなさんも
長々とこれを読んでくださってる方も
本当にありがとうございました!


ちなみに 伊藤さんの貸し農園見学会が12日日曜日に
開催されます。私も参加します(れんたろーも)
10時から4時まででマクロビのごはんつきで
2800円だそうです、ここでもワールドカフェの対話をします。
興味のある方は永菅さんtanadalove@yahoo.jp
にお問合せください。神戸市西区 JR魚住駅です。
とてもかわいらしい農園ですよ!

飛び込む勇気

2010年09月08日 | フランスあれこれ


 6月にフランスに行く前に
私は滅多に描かない デッサンではない
絵を描いてみようという想いにかられ
筆をとっては うーんこんなの!と
おもむくままに描いてみて
出来上がった魚の絵 は
海をはねてる魚の絵。





 それで?何か書いてみようか
フランス語でコメントしよう
そして私はこう書いた。
'Te veux sauter?'
'Oui..'
(飛びたいわけ? うん、、、)


 その時は sauterというので合っているのか
この単語が何を意味しているのかなんて
あんまりわかってなかったし
なんで魚の絵なのかも
私自身にはわからかなった。

 
 それから2ヶ月がたち
2度目の渡仏をした時に
偶然にもsauterという単語を雑誌で
目にすることになる。
それは『人生は変えられるのか』という
特集で sauterというのは飛び乗る、
思い切ってやってみるという意味もあるんだそうな。



 今日は憧れの日文研図書室で朝から本を読み
日本におけるフランス研究について
うーんと考えていたのだけれど
日本でフランスのことをやってくと
どうしても難しくって権威があって
アカデミズムで 何もかも 知っていないと
いけなくて 「当然これはご存知ですよね?」
(「周知の事実だが、、、」という言葉ですね
誰も知らないよ!と突っ込みたくなる。)
という恐ろしい雰囲気があり
もう本当にスミマセンという気分にいつもなってしまう。


 だけどどうして そういう本を書いてる人の
大半が パリにたった一年だけしか住んでなかったり
ほとんどフランスに住んでなかったりするのかな?と
思ってみると 色々思うことがあり
結局私には不思議に思えて仕方ない。
日本でフランスのことを語って
偉そうに大学で教えることが そんなにも
面白いのだろうか?それよりも住んでしまった方が
もっと面白かったりしないのだろうか
どうして彼らはフランスのことを
ずっと研究してきているのに
その憧れの国で暮らしたいと思わないのか
私には不思議に思えて仕方ない。


 実際のところ 日本でフランスを研究している人たちは
フランスにいってみても 私が通っていた学校に居た
人たちのように 毎日まいにち図書館通いで
楽しもう!とするよりは 必死な思いで
かつて私が適応してみようかとしてみたように
苦しみもがいているのだろう。
たまに夜に外出するけど 留学生とつるんでいたり
頭の中は 過去の歴史でいっぱいで
見える世界も違うのだろう
そうして彼らも 8年前の私のように
重荷を背負って 背中をまげて
ちょっとアンニュイな顔をして
帰国して 何かを報告するのだろうか


 どうしてこんな世界なんだろう と思いながら
他の雑誌を手にとってみたら
あ いたいた!そう こうなりたいの!という人が。

 彼は黒田アキさんという人で
パリで活躍する日本人画家だそう で
今では藤田より有名なんだとか。
フーコーともお友達だったと書いてあり
しかもカフェによく行くんだそうな
それですよ それ!そして彼は笑ってる。


 パリで笑っていられるのなら
こんな幸せなことはない。
彼はきっと 藤田のようなパリをみていて
他の人たちを不思議に眺めているのだろう
藤田は言ってた。「どうして彼らは
日本に帰って名を成すことばかり考えているのだろう?」
藤田はそこで やってみようと決意をしてた。
だから彼らとは一緒になれなかったし
なりたいとすら思ってなかった。
私は藤田ほど強くはないけど
でも彼の気持ちはよくわかる。
それで?日本に帰って大学教授になって?
早稲田には6ヶ月しかフランスに住んでたことがなく
授業のたびに「パリ」と書かれたTシャツを
来てくる先生がいた。
私の高校時代のフランス語の先生も
いつもフランスのことを想って
先生達から「ムッシュー」と呼ばれていたな。


 そんな風に 頭の中では フランスのことで
いっぱいなのに どうして彼らは
旅立とうとしないのだろう
多分 それは 恐れや保身からなんだ。
海外で何かをするのは 生活をすることでさえ
大変なのに 特に日本で 将来が
保証されてる地位についてしまったのなら
もう動いているわけにはいかない。
たとえそれが楽しくなくても仕方ない。
「それが人生なのだから」
できる範囲でやればいいさ
「それが人生なのだから」

 かくいう私も 子供がうまれて
かなり保身に走っていたら 一年前に
友人たちに「イイダミキも保守的になったね」
といわれてかなりショックを受けてしまった。


 だけど私も本当は できることなら藤田のように
生きてみたい。もっと遠くへ行けるのならば
まだ見ぬ自分があるのなら 私もあそこで
頑張ってみたい。東京のおいしいフレンチ
レストラン で ワインが飲めたら幸せじゃない?
そういう人もいるだろうけど
どうしてなのだか フランス文化は日本に入ると
いつも変に変換されて 高級、洗練、小難しさ?
だけどパリでは もっとふざけた人もいる。
もっと適当な人たちもいる したいように
やりたいように生きていて 自然体だから
笑っていられる そんな人たちが存在している。

 不安や恐れやあきらめや 人の目を気にすることが
人生にとって どれほど有意義なのかはわからない。
だけど30歳目前にして 私が1つ悟ったことは
諦めから何かをはじめてはいけないということで
何をしたって まわりの人を巻き込むことになるのなら
その人がキラキラしている方がいい。
諦めや不安からはじめていたら まわりの人も
手伝ったって 結局ネガティブな雰囲気になる。
だからどうせするのなら 希望がある 方がいい
同じ世界を見るのなら 希望をもってみる方がいい
だっておんなじ人間が 同じ世界を歩いてたって
希望がある日と 絶望してる日じゃ
みえる世界がまったく違う。
だから頭の中は たとえアホでも 
ポジティブでいた方がいい。


 そういうことを 私は学んで
だいぶ笑顔になれたのだから
この何ヶ月かで 一皮 二皮向けたのだろう
私は少し 強くなり 本来の自分に
戻ってきてる 夢を描いたら
大切なのは 実現にむけて動いていくこと。
諦めないで 私はどこかに向かっていきたい。

断捨離

2010年09月07日 | 私の人生


 先日蓮太郎を預けて桂のカフェで
勉強しようと思ってた時
うーんなんかいい本ないかなと
少しだけ ちょっとだけ
自分を許して立ち読みしようと思いつき

 駅前の本屋に寄ってみた。

 
 そこでは私が興味をもってた
ビジネス系の本は見当たらなかったけれど
たまたま変なタイトルの本に出くわし
手にとって読んでみた。

新・片づけ術「断捨離」
やました ひでこ
マガジンハウス


 「断捨離」(ダンシャリ)かー

モノを捨てればうまくいく 断捨離のすすめ (DO BOOKS)
川畑のぶこ 著
同文館出版



 ダンシャリというのは仏教用語なんだそうで
ある意味修行にちかいのかなあ
煩悩をたってもっと自由な心境へ?と
つまりは ものを捨てること!
内容としては『捨てる!技術』と
そんなに大差ないだろう。
結局そういう本を買っても
あとでまさにその本こそが
捨てる対象になるわけで
だから買わないでいたけれど
ダンシャリという言葉はずっと気になっていて
その中でもものをどうしても捨てられない時に
こう考えてみようというのが面白かった。


 「もし海外に移住することになったら
  それを持っていくのか?」

 これはいい!!

 もしパリに住むとしたら?
何もかも 持っていけない
それだけでなく 私は今日こう考えた。
もし入院しちゃったら?
衣服と生活必需品しかない生活で
いつ帰れるかもわからない。
入院してまで持ってきたいもの
それって一体なんだろう?


 旅をして 帰ってくる度
もう全部捨ててしまいたい!!と思うけど
これごとゴミ袋にいれてしまえ!と思うけど
どうしても いざ黄色いゴミ袋を手にとって
さあ2袋以上捨ててみよう!と決意をしても
「、、、もったいない、、、」の繰り返し。


 それでも今回はけっこう本気で
一日一袋を目安にものを捨て始めてる。
捨てること で 自由に生きる
私は旅するように生きたい。
巷では 暮らすように旅する ってよくいうけれど
私は旅するように生きてたい。
スーツケースが2つあったら
それで一年暮らしていける
本当はそんなはずなのに

 
 どうしてうちにはモノがあるんだ!!
そしてみる度ちょっとため息をつきたくなる。


 最近人の家に行く度 ものに囲まれた生活は
きっと色んな点で その人を縛ってるんだなあと
思ってしまって とらわれてしまう
これだけものが存在してたら
なかなか動けないだろうな とつい想像してしまう。

 私はもっと自由に生きたい。
本当は身1つでいいのかもしれないの に
どうしてなんだか 我が家はモノがまだまだあって
「全部捨ててしまいたい!!」と思っても
実際のところ 私は衝動に身をまかすほどの
勇気はないらしい
(一度も家出したことないし
高校時代も結局学校に通ってた)


 そんな私にできるのは、、、
まず押し入れの物を半分に減らしてみること?
半分になったなら また半分に減らしてみること?
とにかく空間をつくること?
あとはそれから考える?
最近はもう本も処分しよう、服もあんまりないけれど
フリマに出そうと思い始めて
我が家にある骨董達も どうしようかと悩んでる。
本当に必要なものだけで 本当に大事なものだけで
すっきりと暮らせたなら どんなに心が軽いだろう。
どこまで物を減らせるのかはわからないけど
我が家にあるようなものたちで
欲しいものがある方は 一度声かけてみてくださいね。



 

フランスに行くなら

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