alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

産後鬱

2018年10月02日 | 女の生き方
私が子供を産んだのは28歳の時だった。
当時はまだフェイスブックもアイフォンもなく、
人と連絡をとるのはガラケーかパソコンのメールくらいしか手段がなかった。
京都に住み、京都で出産を決意した私に待ち受けていたのは
恐ろしい孤独と産後鬱だった。
けれどもひたすら子育てに振り回され 泣く子供に
なんとか対処しようとしつづけている自分には 自分の状況を
省みる余裕なんてあるはずもない。

人生が急に子育て120パーセントになってしまった産後すぐ
私が試みた唯一の抵抗は お茶を飲むこととこのブログを書くことだった。
10年が経ち、最近の苦しみの中で、私が経験してきた苦しみは
何も神様が私に長年の罰ゲームを与えたかったわけではなく
多くの日本人女性が今でも経験しているであろう状況を代弁するためだったのだ、と気がついた。

私が子供を産んだのは友人達の中ではダントツに早く
もっと先に知っておけばよかったことも、聞いておきたかったことも
山ほどあった。これにあと3年早く出会っていたら違ったのにという
知識もあった。だから私は伝えたい。
日本では今でも当時の私同様に子育てに真剣に向き合いながらも
苦しんでいる人がいる。自分では一生懸命頑張っているのに、
周囲の人から責められ、冷たい目線を
投げかけられ、自分勝手呼ばわりされ、心が張り裂けそうになっている人がいる。
今の日本で何が起こっているか知れば知るほど、この中で子供を育てながら
自分らしい人生を送ろうだなんて
不可能に近いと思う(ごく数%の経済的、社会的に恵まれた人を除いて)
けれども誰1人声を挙げなければ
この状況は改善されないだろう。
状況改善のための1つの策は私が研究しているインフォーマルパブリックライフを
充実されることだけど、日本の母親が置かれている状況を
もっと多くの、特に当事者以外で少し余裕のある人が認識し、
少しでも当事者意識をもって、じゃあどうすればいいかと考えること、
それが大切だと思う。

せっかく行ってきた唯一の抵抗だから、少しずつ書いたものを
まとめていこうと思います。

まさに産後鬱を(それとは知らずに)経験していた私が
出産2ヶ月目に書いていたもの。

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 今朝ベビーカーを選ぼうとして 昨日もらった
カタログをめくっていたら ベビーカーのカタログなのに
育児についても詳しくいろいろ書かれててちょっと読みつつ
疑問に思うことがある。

 
 子供にとって お母さんは大切で
お母さんが余裕を持って子供に接してあげることが
一番大事で それが子供の人生の基礎になるのだと書いてあるけど
それを三才までにちゃんとするのが大事なんだと書いてあるけど

 私も育児を初めてみてから 大変な思いを経験し
何人かの実際のママに話しを聞いて
ほとんどみんな ノイローゼになりそうという
そんな状況に陥ったことがあるそうだ。
母乳育児の話もしかり 育児ノイローゼの話もしかり
なんでそうなっちゃうかって 密室育児で
誰も助けてくれないからで そんな中
はじめての子育てを 一人ですんごくがんばってたら
お母さんには余裕がなくて 抱っこなんてできやしない。


 一ヶ月間京都にいたけど その最後の方で気がついたのは
あ!あんまり抱っこしてない!ということで
一人で全部抱えていると 「とにかく寝てくれ!」と
思ってしまい 抱っこして子供の目をゆっくり見ている
そんな余裕はどこへやら。


 けれども抱っこもちゃんとされずに おっぱいの時の
コミュニケーションもないままに 三才にまでなってしまうと
いろんな支障があるらしい。キレる子供と幼児期の
コミュニケーションについてちょっと書かれていたけれど
そんなんだったら みんなキレるわ だって社会に余裕がない。


 妊娠したら 母になったら 余裕をもって
ゆとりをもって 気持ちはいつもリラックス!なんて
どんな本にも書いてあるけど さっきまで働いていて
それでいきなり妊娠したって 母になったからといっても
周囲の社会に余裕がないのに 一人で余裕は無理がある。


 自分の周りが働いていれば 働けなくなるそんな自分に
ショックを受けて それはそれでストレスになり
周りのみんなが忙しくって 一人で子育てしなきゃいけないと
それもまた ストレスになり
必死でなんとかこなしているけど「余裕を持って!」と
言われてしまうと それもまた ストレスになる。
母乳にしたって さっきまで外食を楽しんで生きてきたのに
いきなり超古風な粗食だけ、で外食も甘い物も禁止になったら
それはそれでストレスだ、し 「母乳が絶対!」と
今の世の中で叫ばれて 叫ぶだけで 手助けしてもくれないのなら
それも大いにストレスで そうして母乳がでなくなる。
それらのことは決して母親個人の問題じゃない。


 キレる子供達だとか事件が起こったときにはいつも
母親が問題視されるけど 自分が子供を生んでみて
すごく思ってしまうのは どんな母だってがんばっている
だけどわからないことがある。 だけどできないことがある。

 その時助けが必要なのにそれが断絶されていたなら
彼女はどんどん孤立していき それが子供に影響してく
母のちょっとしたストレスを 子供は敏感に感じ取ってる
けれども密室育児で逃げ場がなけりゃ 彼らはそこに
閉じこもるしかないわけで そりゃーここまで
密室育児の世の中で 周囲はストレスフルに生きてて
育児が母親だけに押しつけられたりしていたら
事件も沢山起こるだろう。だって そんなじゃ
理想的な愛情なんて 注ぎきれるわけがない。


 今の私は 実家でのんびり 大家族の中で生きていて
だから母乳も続けられるし ストレスだってほとんどないけど
京都に帰れば あの恐ろしい密室育児になってしまう
それが嫌、で 息子ともっと外に出られる
そんな時までここで待ってるわけだけど


 みんなが外で 遠くに行って働いていて
沢山のストレスを抱えて生きている中で
母親だけが例外になれるわけもなく
本当は 育児がしづらい世の中も
母親たちの不安だったりノイローゼになる現状も
まさに社会問題なわけであり みんなで一緒に解決していく
そんな問題なのだけど いろんなことが「特殊な個人」に
押しつけられる。でも本当は 特殊に見えるその個人、は
社会を具現化しただけかもしれない。
だからこそ もっとストレスの少ない社会に
もっと子供が生きやすく もっと子育てしやすい社会に
そんな社会にしていきたいし、していかなければならないのだろう。

母親のプレッシャー

2018年09月30日 | 女の生き方

私は最近個人的な問題から今の状態を抜けるには
エゴの解放、エゴを手放すというのがテーマのようで、
本当に自分らしく生きるにはそのエゴから
解放されることが重要だ、と悩んだ時に目にする英語の記事に書いてある。

で、エゴって何なの?と思いつつ、これもニュアンスが英語と
日本語で違いそうなのでしべてみると「Ego」というのは
本来の自分とは違うのに、それを自分だと思っているもの
のことらしい。ちょっと漠然としてるけど。
つまり、造られた自分、社会的要請に合わせようとしてできた自分。
例えば本当なネガティブなのにいつも笑顔で振舞おうとしているだとか
本当は自由奔放なタイプなのに人に合わせようとしているだとか
つまり「私とはこうである」というアイデンティティの中の
特に「こうあるべきである」という部分だと思う。


おそらく子育てで苦しむ人は 自分の中のエゴと
目の前にいる子供とが一致せずにそこで悩むのだと思う。
エゴ というのは社会的要請であり、社会が良しとしているものだ。
自分自身も 本来よくよくふりかえったら違うのに社会の要求や
親の意見にしたがって、仮面をかぶっていたかもしれない。
心のそこでは なんか違う と思いながらも
いつしかその仮面をかぶった自分が自分になってしまって
本当の自分がわからなくなり、そこに蓋をして生きてしまった。
そんなことは 日本人女性にはわりとありがちだと思う。

ずいぶん前に何人かのフランス人男性から尋ねられたことがある。
「日本人女性のあの仮面の下には何あるの?」
その時私はわからなかった。まだ女の人たちについて
語れるほどには知らなかった。私もきっと 何かあるのだろうと
思い、彼らのようにそれをミステリアスだと思っていた。
しかしそれから数年たって私はやっと合点がいった。
あの仮面の下には何もないのだ。
あの仮面というのは はじめは仮面だったものが
いつしか顔に張り付いて 自分自身になったものなのだ。
だから彼らがはじめ想像するように 言語ができるようになれば
仮面の下にそっと隠していた本来の姿を見せ
それを表現してくれるとか そういうものではないのだろう。

時折彼らは私に尋ねる。日本人女性と付き合ったけど
彼女たちは急に泣き出したり、連絡を絶つことがあるという。
泣き出した理由を尋ねてみても「わからない」
すると彼もわからない。連絡を絶った理由は?
わからない、けど完全にとれなくなってしまった
「彼女は優しかったんだけど」たいていの男が言うことだ。


彼女たちはきっと心の底ではちょっと嫌だと思っていたのだろう。
けれども私たちはノーと言えない、だから言えずに仕方なしに
受け入れてきた。けれど何かのきっかけで感情が爆発したとき
本当は言いたかった「ノー!」が最高潮に達してしまい
自分でもわからないけど、もう無理、となってしまい、殻を閉ざしたのだろう。
エゴ、社会や他人からの要求に なんとか答えようとする自分と
本来の自分との乖離が最高潮に達した時に 堪忍袋の緒が切れる。
私の先日の鬱もそれと似ているのかもしれない。

本来の自分らしい人生を歩むために、エゴのとらわれから解放されることが
必要だとしても 大学生であるならまだしも
母親にはそれが難しい。なぜなら母親という存在は
子供に社会的要請を教えることが 一つの大きな役割だから。
もしその社会的要請が いい大学にはいり いい会社に就職し
または医者になって父親の仕事を継ぐことだったら
東京では今の社会でも 道は 東大へ向けて一直線だ。
東大へ行けたら合格(でも理3じゃなきゃ東大にあらずとかあるらしい)
早稲田や慶応だったらまあよし、法政や明治だとちょっととか
そんな古い価値観は 今でもしっかりまかりとおり
実は昔よりよっぽど厳しい受験戦争で勝ち抜くためには
のんきなことなどいってられない。そしてそこには方法がある。
まずは中学受験で御三家に合格させて、そこからあの塾に通わせて・・・
たとえそこに本来の自分が「どうかな・・・」と思っていても
この道に入ってしまうと 踏み外すのは難しい。

私はけっこう驚いたけど 東京のど真ん中、文京区で
子育てしている母親たちですら、「マンションから子供を
突き落としたい」という衝動にかられることがあるらしい。
(そして結構そうだよね、と納得されるらしい)
郊外のニュータウンで孤独を抱えてというなら
まだわかるような気がしたけれど、東京のど真ん中で
どこにでも簡単に行けて、友達とも気軽に会えそうなその環境で?
そんなとこでもそんなこと思ってるの?

おそらくそれはインフォーマルパプリックライフの欠如とか
陸の孤島でどこに行くにも大変だとか 
そういう問題がメインではないのだろう。
彼女たちが抱えているのは孤独というより成功へのプレッシャーの
ように思う。私のように片親だったら、どうせ片親の子の学力は
低いし、せいぜい85点とれたら万々歳と思えばいいやとまだ
諦めていられるけれど、「飯田さんの子も東大に・・・」
と言われたところで「そんなの無理に決まってるでしょ!」と
言い返せる理由が一応あるけど、そうでもなければ延々と「やっぱり
この子を成功させなければ・・・」というプレッシャーにかられて
母たちのストレスはつのっていくのではないかと思う。

母親が子供に怒りたくなるのはそのプレッシャーに対して
子供がまるで応じてくれない時だ。勉強をするべきだ!と思っているのに
まるでしない。夏休みの宿題を明日で終わらせるべきだ!と思っているのに
まるでしない。「〜しなきゃいけないんだよ!!」と
子供にガミガミ言っている時、実は心のどこかでうすうす気づいているのでは
ないだろうか。「私だってしたくないのに・・・」
本当は勉強なんてしたくなかった。でもしないといけないからやってきた。
本当は大学受験なんてどうでもいいのかもしれない。
でも今の社会ではいい大学にいかなかったら成功は保証されないかもしれない。
本来の私の想いと社会的圧力のズレがあり、子供が本来の姿のままで
(やる気をしめさずにダラダラとゲームばっかりして)生きている時
親は怒りたくなってくる。「私だってこんなに頑張ってるんだよ!」
(本当はこんなことしたくないのに・・・)

おそらくエゴの解放というのは、本当はこんなことしたくないのに・・・
と思っている自分を認めることなのだろう。
本当は私もあんたみたいにダラダラ生きたい。
本当は朝ごはんなんて作りたくない。
歯磨きなんかしたくない。きちんと生きてもいいことなんか
ないかもしれない。学歴なんてあったって?一度会社を
やめてしまえばパアかもしれない。

東大に行ったって?
東大は日本では一位でも世界で46位だったじゃないか
(42位になって日経が順位が上がったと喜んでいた)
東大が本当に素晴らしい学校ならば 日本社会や政治は
もうすこしましになっているのでは・・・
(もちろん教授には素晴らしい先生方が沢山いらっしゃるけれど)
思えば私が子供と大喧嘩をしてきたのは
いつも本当は行きたくないのに子供が行きたいと言ったから・・・
やりたくないのにあの人がやれとか言ったから・・・
という他人目線で行ったことの結果だった。
自分を優先させればよかったのに、そう、フランス風に
‘C’est moi qui décide!” (決めるのは自分!)と
自分に言い聞かせればよかったのに。

日本社会で成功のプレッシャーが強い中では
特にそのエゴから抜け出すのは難しい。
「諦めたら楽よ」と言われても 諦めきれない状況だったら
それが一番難しい。けれどもマンドフルネスの本にもあるけど
「もしそれをやめてみたら?」どんな状態になるのだろう。
友達がいなくなる?そんなのでやめる友達なんて
そもそも本当に友達といえるのだろうか?
何かを失う?本当に何かを失うのだろうか?
自分が合わせてきた社会の要請は 本当に自分にとって
大切なものなのか マインドフルネスも、自分自身への気づきというのも
同じことを問うているように思う。

そういえば『道は開ける』の著者が言っていた。
起こりうる最悪の事態は何か?最悪の場合それを
受け入れよう。それでも死なないかもしれない。
家庭は崩壊しないかもしれない。子供は中卒かもしれない。
それでもフードカートの屋台を始めるかもしれない。
避けられるなら避けれるように最善の策を練ることだ。
けれども最悪の事態を想定すること、そこで解放されるエネルギーもあるらしい。
この国で「自分らしい子育て」なんて タレントでもない限り無理に近い。
けれどもほんのすこしずつ 本当の自分を大切にする
そうすると結果的に 子供にも優しくなれるのかもしれない。

子育てとマインドフルネス 

2018年09月29日 | 女の生き方

10歳の息子と無理やりヨーロッパに行きなんとかかんとか
帰国してから、私を待ち受けていたのは過酷な鬱だった。
何が起こったのかはわからない。今回はどうにか
時差ボケもカバーして、仕事もそれなりにこなせそうだと思っていた。
そんな矢先に私の心は日増しに暗くなり、精神的な深い闇に
沈んでしまった。原因は今でもよくわからない。

帰国して息子の生意気さがひどくなったことや、夏休みの
宿題の残りの1つで大きな問題が生じたことや、
私自身が子連れの長旅を1人でやりくりし、しかも
待っていたのは想像を超えた巨額の支払いで途方にくれ、
ようは夏の終わりで様々なことに疲れ果てていたのだろう。
でもその鬱の期間は本当に辛く、生意気な子供にどう接していいのか
まったくわからず、10年間子育てをしてきて一番の危機だった。

我が子は全日本生意気選手権があったら即優勝しそうなほどに
口が達者で、生意気っぷりは本当にすごい。そんな状態に
てこずり、毎日激しいストレスにさらされていた私は
本当にどうすればいいのかわからなかった。
周りの人に相談すると、さすがにプロに聞いた方がいいのではという
意見もあり、児童相談所にも電話をかけた。
すると電話に出たおじさんはこういった。
「男の子ですか?生意気なのは仕方ありません。聞き流すしかないですよ。
まともにかまっていたら親が疲弊しますよ。それにいちいち怒っていたら
そのうち暴力沙汰に発展します」彼の言い方は「しょうがない 諦めなさい」
というトーンであり、確かに今にしてみれば正しかったようにも思うが
私としてはここまで深刻に悩んでいるのになんだこの人・・・という気持ちで
電話を切った。

では家族問題専門のカウンセラーの予約をとれば?と言われ、確かに
一度くらいいくか、と思うと「3週間後まで予約がいっぱいです。」
今まさに家庭も自分も崩壊しそうな時なのに3週間後なんて長すぎる!と
絶望的な気持ちで電話を切った。これまでは息子が生意気でひどいと
思っていたけれど、私の精神状態もまずいのではと気がつき始め、
抗鬱剤を買うべきか?とネットで調べたりもした。
そんなこんなでいろんなところに助けを求めてみたけれど、
結果としては「小学生の反抗?自立していいじゃないー」
「小学生?中学生になったらもっとひどいわよー これからが大変よ」
などが主流な反応で、結局のところひとつも「これだ」という答えは得られなかった。


そんな時、私を影で支えてくれたのがマンドフルネスの本だった。
旅の終わり、パリからロンドンの移動で疲れ、イライラがつのったロンドンで
ここにいるうちにマインドフルネスの本を買いたいと強く思って
出発直前の空港で1冊手に取った。マインドフルネスは日本の
女性にはあまり知られていないようで「宗教?」とか「ヨガ?」とか
言われるが、ロンドンやアメリカの書店にはかなり普通においてあり
(日本の書店のビジネス自己啓発本のコーナーでも以前目にした)
わりとメジャーなようだった。

実際私が買った”Mindfulness for busy people” には、ロンドンで
マインドフルネスという言葉をきかない日はないくらいで、この
20年くらいで科学的にも脳やマインド、感情や振る舞い、体の機能に
マインドフルネスが及ぼすよい影響が実証されているとかかれている。
イギリスでは党派を超えたマインドフルネスの議会グループが存在し、
教育やヘルスケア、仕事や犯罪抑止などにマインドフルネスを活かす
ことが検討されている。2017年にはイギリスの議員を対象にした8週間の
マインドフルネスコースも開催されたという。この本はビジネス書という
枠組みだが、政治の世界でも有効とされ、私が声を大にして言いたいのは
マインドフルネスは子育て中の母親にめちゃくちゃ役立つということだ。

この本を読み始めたのは帰りの飛行機の中で半信半疑、
うーんよくわからないと思っていたけど、自分が大変な目に
合う中で、これ以外にヒントになりそうなものがないので
200ページを読み進め、その間様々なプラクティスを実践していった。
それから1ヶ月、結局私は抗鬱剤も飲まなかったし、カウンセリングにも
通わなかった(予約がとれなかったから)、息子はそんなに
変わっていないかもしれないが、親子関係は激変した。
8月の末にはもうやめたいと思うほど辛かった母親業だけど
今では子供を見るたびにギュッとしたくなり、ずいぶん自分が
優しくなったように思う。もちろん生意気な口をきくときも
あるけれど、なんというか、それがどうでもよくなった。これはすごい!!

マインドフルネスを簡単に説明すると、これは瞑想でもなければ
お金のかかるワークショップでもないし、カウンセリングにいかないと
受けられないものでもない。一言で言うと「自分を顕微鏡のように
すること」というのが一番ピンときた。確かに本当にそうだと思う。
私たちのマインド、脳の仕組みには、考え、分析、判断する能力と
もうひとつ、普段あまり使われていない「知覚する能力」があるらしい。
マインドフルネスはその2つ目の能力をできるだけ使い、
1つ目のマインドの虜にならないことなのだ。1つ目のマインドというのは
「私はあれもこれもしないといけない、忙しい(けれどできない)」
「彼があんなことをするのは許せない(判断)」など、
社会的要請の中に自分や自分の判断を埋め込み、そこに同化していこうとする
努力に近い気がする。忙しいビジネスの世界で皆と同じように業績を上げ、
皆と同じように友人関係を円満につくり、皆と同じように幸せな家庭を築く。
それが成功。

でも実際の自分にはそれができなかったりもする。
昔はできたのに、あの人はできるのに、あの人が羨ましい、でも自分は・・・
そこで自分や他人を責めていくことでマインドが堂々巡りを始めていく。
子育て中の母親(特に男の子の親?)によくありそうな話でもある。
「どうしてうちの子は漢字をきれいに書けないんだろう?」
「どうして〜ちゃんはできるのにうちの子は・・・?」
それだけでなく、自分の時間や余裕もないので精神的に参ってくる。
「ゆっくりお風呂に入りたい(けどそんなの無理!)」
「たまには1人で優雅に何かをしてみたい(けどそんなの無理!!)」
「たまには大人の時間を過ごしたい、バーとか行ってみたい
(誰が子供の面倒みるの?バーに行くために子供預かれっていうの?)」
そういうわけで、母親にはいろんなストレスがたまってくる。
社会的にやらないといけないこと、本当はここまでさせなくても
いいのにとちょっと思っている自分、自分もゆとりがほしいけど
現実的にそんな時間がとれない自分、そしてキューっとなっていく。

私がこの本を読んで本当によかったのは自分は1人ではないと思ったことだ。
私にとってはロンドンで働いているビジネスマンなんて成功していて
かっこいいイメージくらいしかなかったけれど、この本には
カウンセリングにきて泣き出す銀行のお偉いさんや、3人子育てをしていて
自分の時間がもてずに泣きたい気持ちのお母さんの話、リストラされたら
家のローンを払えないんじゃないかと思うと仕事が手につかなくなる人の
話など、さまざまな実体験が載っており、なんだ、ロンドンの人たちも
私と同じように苦しんでるんだ・・・というのが本当に大きな支えになった。
(だから私と同じように苦しんでこのブログにたどり着いた人が
いるかもしれないと思ってあえて書いています)


マインドフルネスは、どういう状況であれ、目の前にある事実の他に
それを知覚している自分がいることを教えてくれる。
よく母親たちは言う。「どうして人の子だと怒らないのに
自分の子だとこんなに怒っちゃうんだろう?人の子だったら
あーやっちゃたね、で済ませるのにね。」
おそらくそこには自分の子どもに対する様々な価値判断が
頭の中にあるからだ。私にとって一番支えになったのは、
嫌な状況がでてきたときに、それを車の騒音や蜂が飛んでいると思え、という
ことだった。息子に生意気なことや傷つけられることを言われた時、
何かで非常に腹がたったとき、まずはとにかく呼吸をすること。
そして蜂が飛んでいると思うこと。蜂を追い返そうとしないこと、
ただ呼吸をして、蜂に神経を集中しないこと。”Let it go!”という言葉が
とても印象的で、何度自分の中でこの言葉を叫んだことだろう。
日本語では「気にしない、流せ」ということか・・・

はじめは大変だったけど、私は1週間息子に怒らないことを
続けられたら憧れのエーグルの長靴を買おうという目標をたて、
(子供のためと思うと続かないので)自分のために頑張った。はじめの3日くらいは
息子も何が起きたのかわからないようだったけど、そのうち彼はこう言った。
「ママつまんない、何も反応しないんだもん」(勝った!!)
子育てが行き詰まった時にバイブルのように読んでいる
フランスの”100 façon de se faire obéir” (子供に言うことを聞かせる100の方法)
にも、子供が親や先生をおちょくるのは、彼らを自分と同じ下のレベルに
引き摺り下ろしたいからであり、怒って感情的になったら彼らの勝ちで
彼らは「やーい 大人のくせに怒った〜!」と喜ぶという。
というかそれが目的で彼らは大人をおちょくっている。
だからゲームに応じてはならない、というのが鉄則らしい。
それをやられたら無視する、自分が場所を移動する、それをやるなら
もう何かはしない、と断言して実行するなど、フランスの教育本で
よく語られる「毅然とした態度」(日本の多くの母親に欠けているのはこれでは・・・)
でそれを実行するのが大切だ、と書いてある。
そして子供たちは次第に悟る。「ああこれはやっても無駄だ。効果ない。」
彼らは大人を試している。どこまでなら許されるかな?
どこまでならやってもいいかな?この限度は今日は伸びるだろうか?
彼らは毎日試している。子供たちはトランプ大統領以上に交渉が好きなのかもしれない。

そこで大人が取るべき態度は「そんなことには応じない。」

応じないことを貫くと、蜂と同じで次第に
どこかへ行ってそれがなくなってくるから面白い。
息子は反抗的なままかもしれないが、以前ほど
態度がひどくなくなった。1冊まるごと読み進め
もう一度読んでしっかり自分のものにしようとすればするほど
生活が楽になっていく。マインドにとらわれ、
「ああしなければ こうしなければ でもできない!」という
状況から、「ああ雨の音が綺麗だなあ・・」
「こんな花も咲いてたのか・・・」という
ゆったりと子育てしていたころの気持ちに戻る。
鬱真っ最中の時は嫌だと思っていた雨や雨の日の暗い室内さえも
自分の知覚を顕微鏡のようにすると雨の美しさに気付かされる。
そうこうするうち、次第に「自分が大問題だと思っていたもの」
が小さなものになり、「ま、別にいいんじゃない?」と思えてくる。

これは私がたまに語るカフェセラピーとおなじだと思う。
家庭や仕事の問題に悩み、カフェのカウンターで天気や
くだらないことについて話しているうちに元気になって
店を出る頃には「いってきまーす」という気分になれる。
それは問題を誰かが具体的に解決してくれたからではなく
問題のウエイトが自然と小さくなったからなのだ。
血は出ているままかもしれない。でも痛い痛い!!と
思っているからもっと痛くなる。血が出ていても自分の
隣に咲いているコスモスをあー綺麗だなあ、と思っていると
次第に血のことを忘れていける。

問題は実は自分が思っているほど大きな問題じゃないかもしれない。
インフォーマルパプリックライフやカフェでの出会いは
そんな経験を与えてくれるけど、マインドフルネスの実践は
日常的にそんな気持ちの切り替えをあたえてくれる。

マインドフルネス、ぜひ日本で子育てに悩む多くの女性に知ってほしい。

孤立する母親たち

2018年09月16日 | 女の生き方
今日は東大の若い研究者たちの集まりがあり、研究内容や
今していることについて話を聞いていると、1人の女性が
子供の虐待や孤立支援のNPOで働いている、というので
思い切って聞いてみた。「あの、虐待って何が原因だと思いますか?」
彼女の答えはこうだった。「母親たちの孤立や、母親自身も
虐待を受けたことなどが原因だと思います」
素晴らしい答えだと思い、私はつい思いのたけを語ってしまった。

私が妊娠中に一度母親教室に参加した時、すでに子供のいる母親2人が
こう言ったのは今でも忘れない。「虐待をする人の気持ちがわかる」
まだ子供を産んでいなかった私としては「なんてことを言うんだこの人たち!」
とぶったまげてしまったけれど、今になったらよくわかる、し
おそらく子供がいる(特に男児の?)母親はほとんどの人が
「確かに気持ちがわかる」というだろう。

今では子供が泣いていたり何か少しでも問題があれば「すぐ通報してください!」
ということであり、私は子供が2−3ヶ月の時夕方に泣きじゃくり、これを
通報されるのではないかと恐ろしくて窓を閉めていた。京都の夏は暑く
1人で泣きじゃくる赤子を抱え、密室にこもるのはトラウマになりそうな程恐ろしい経験だった。
私は途方に暮れながら、どうしようもないのでひたすら童謡のCDをかけ
とりあえず歌うことしかできなかった。(今でもその曲をきくと泣きそうになる)
以前は人で賑わっていた家も「子供が産まれたから」というよくわからない
理由でめっきり訪れる人が減り、フェイスブックもなかった時代
誰かと連絡をとることもできないでいた。

私はおそらくその時間があまりに怖くて家を出るようになったのだ。
密室に閉じ込められ、子供はピーピー泣き、だんだん自分も疲れ果ててくる。
子育ては本当に大変だ。最近私はマインドフルネスを学び、ものすごく
生意気な息子になんとか耐えるようになってきたけれど、
正直いって子育てがまともにできる親というのは相当な経験をつんだ
ビジネスマンや経営者レベルの忍耐力や的確な判断能力のある
持ち主くらいではないかと思う。つまり、20代そこそこの、よくわからないままに
子供を産んでしまった私のような女子には、1人でその責任を全部負うのは到底無理なのだ。

そうして女性たちの多くは途方に暮れたまま子供たちに振り回され、
帰ってきた旦那にせめてもの愚痴を聞いてもらう。旦那はそのあと言うかもしれない。
「でも君は働いてなくていいよね」と。友人たちも言うだろう。
「働かなくていいなんてうやらましい!」たしかにそれはそうかもしれない。
でも彼女たちは社会から孤立してたった1人でマンションの中にこもって
子供の全責任を背負わされる。そんなはずじゃなかったのに。
小学生の時は夢を聞かれたかもしれない。「大人になったら何になりたい?」
少なくとも、私の時代にはすでに「お嫁さん!!」なんていう人は少数派だったと思う。
けれど現実はとても厳しい。

私が篠原涼子や緒方貞子さんのようにすでに自分のキャリアで成功し、
しっかりとお金を稼いで、かつ職場への復帰も保証されていれば話は別だ。
VERYのような雑誌はそんな人の美しい子育てについて語っているが
現実は大いに違うのだ。現実には、夢を追いながら派遣社員をしていた者や
いくつかの仕事を掛け持ちしていた者、数年後には独立することを夢見てた者が
存在する。女性の誰もが素晴らしい待遇の会社で正社員として働いているわけじゃない。
彼女たちが子供を産むと、もはや保育園に提出できる書類がない。
もし提出できても莫大な保育園代(月約5万円)を支払ってしっかりと
お釣りが出るほど稼げていなければ仕方なく専業主婦になり、きりつめた生活を
送るしかなくなっていく。

彼女たちは子供を産んだことでできなくなったことが山ほどあった。
飲み会に行ける友達が羨ましい。海外旅行している人がうらやましい。
京都の田舎に住んでいた私は独身の友人たちが「大手町」とか「表参道」という
言葉を使うたびに喉から手が出るほど羨ましかった。1年前まで研究していた
パリという場所ですら、もはや世界に存在するのかわからなくなってしまった。
大学院という知的な場所は永遠に手が届かなくなりそうだった。
そして子供を抱えた私はいつも「ママ」としか見られず、友達と
やっと会えても子供がぐずってほとんどまともな会話は成り立たない。
仕方ないから携帯を与えると今度は「今時の子供は携帯ばっかりね」という
言葉がぐさりとささる。

確かに児童館やママサークルはあるかもしれない。私は核家族でかつ
京都のニュータウンに引っ越して知り合いがいなかったため、
他の人よりよほどそういう場所に通った方だ。コミュニティカフェにも
お世話になった。しかしそれらの場所ではどこでも「〜ちゃんママ」としてか
扱われず、たとえ私が(将来それがきっかけで東大に呼ばれることになるような)
本を書いていたとしても、そんなことに興味を持ってくれる人も
それを正当に評価してくれる人も1人もいない。
そう そして起こっていくのは アイデンティティクライシス。

私は一体誰なのだろう?「〜ちゃんママ?」「(新しい苗字)の奥さん?」
私をこれまでの私として扱ってくれる人は一体どこかにいるのだろうか?
職場に復帰できる人はいい(これを社会復帰というのが言いえて妙だ
つまり自分で子育てしている人は社会の中にいないということか そうなのだ)
しかし戻れる世界がどこにもなかったら?
フェイスブックやインスタグラムもなかったら?
目の前には泣き叫ぶ子供、自分は半分崩壊しそうで 一体どうしたらいいのだろう?
そんな時に 何かが狂ってく。

しかしそれをわかってくれ、本気で助けてくれる人は1人もいない。
誰も「お母さん、大変ですね、もっと休んでください 私が子供見ますから」
と 温泉のチケットを渡してくれたり、カフェにいったらいいよと言ってくれる
人はいない。(実家に優しい母がいるか相当素晴らしい旦那さんに恵まれた人は別)
疲れていたら「ゆっくりしてね」と人は言うかもしれない。でもどうやって?
目の前に子供がいるのに?また今日も夜泣きをするのに?夕方には1時間泣き続けるのに?
どうやったら子供がいるのにリラックスなんてできるのだろう?

子育ての方法もわからない。
まわりの人の子供は「いい子ね」と言われるけどうちの子は・・・
かといって仕事もできないしまわりはどんどん進んでいく
そんなうちに激しい自己嫌悪におそわれる、が、周りの目が気になるために
子供が「いい子ね」と言われるように必死になって本を読ます・・・
(私は2年間必死で子供が「いい子ね」と言われることを目指してきたように思うが
なんの価値もなかったことを伝えたいと思う。しかもそれをあきらめ、
自分は悪い母だと認識するようになってから「素敵な子育てね」と言われる・・・)

以前ニュースになった「ゆるしてください」と書いて亡くなった女の子は
とてもかわいそうだけど、虐待をしながらも読み書きの練習をさせていた
母親の気持ちはどんな状態だったのだろう。小学生にもなっていないのに
無理やり勉強をさせたのは、母の中にそれだけのプレッシャーが
あったからではなかろうか。母親たちは押しつぶされそうな圧力の中
必死で毎日もがいている。進研ゼミの宣伝は届いても、誰も普通の母親たちに
どうすれば子育てがうまくいくか、子供にとっても母親にとっても
いい方法とは何なのか そんなことは教えてくれない。
私たちが人の目を気にして子供優位の子育てをすればするほど
おそらく10年後には親が大変なことになる。
私はしょっちゅう思っていた。私は虫なわけじゃない。
虫は子供を産んだらそれで終わりで、親が死んでしまうことがある。
でも私だって人間なのだ。母親になっても自分らしく生きることは
そんなにも不可能なのだろうか?もし彼女にお金がなくて
まだ素晴らしい地位も手にしていなかったら?彼女はただ子供を
産んだがゆえに、その夢を50歳になるまで諦めなければいけないのだろうか?


日本は先進国じゃなかったのかな・・・


東京から変わらなかったらこの状況は変わらない
だから私は東大の女性に語ってしまう。
今変えないと 数年後にはあなたの番になるんだよ と。

お金持ちには何もかもが許されている。
でもそれはごく一部の人たちなのだ。
母親がもっと自分らしく生きられること それを認めてくれる人や
支援がまわりにあること パリのようにそれを促す仕組みやまちのデザインが
普通にあること 
児童相談所のスタッフを増やすより
本当にやるべきことは母親たちがもっとリラックスして
子育ても自分の人生も いいなと思える環境をつくることではないのだろうか。

子育ての重圧

2018年09月12日 | 女の生き方
日本では子供を産んだ女性は母親という存在になり、女性であるとか自分であるとか
そういうことは二の次になる。「あんたも結婚したんだから」
「あんたも母親なんだから」
「あんたの責任でしょ!」「しっかりしなさいよ!!」

正直いってこの国にはほとんど子供の育て方についてまともに
書かれた本がないと思う。子育てに困った人が本屋にいっても
見つかるのは「どうすれば有名大学に入れるか」
「一流の子供を育てるには」「東大生にさせるには」
そんな本ばっかりだ。それよりもっと
親になってしまった人が(子供の怪我や病気以外で)困った時に
まさにこれを読めばよかった、という本に出会うのは難しい。
仕方がないからまわりの知った顔をした人に尋ねてみると
「男の子はそんなものよー しょうがないわね」
「だまって座ってられるだけましじゃない」
「うちは2人いてもっと大変だったわよー」
「生意気になったのは自我が芽生えた証拠よー 中学になったら
もっと大変よ」と取り合ってもらえない。

困り果てて児童相談所の専門家とやらに相談すると
「生意気は仕方ありません。気にするだけ無駄です」とバッサリ。
生意気にもおそらくいろんな種類があり、「ふざけんな」とか
「だまれ」とか「うるさい」とかを親に向かって
日常的に言っているのは私はどうかと思うけど
そういうことを言うと「あなたがそれを言わせたんでしょう?」的な
反応が返ってくる。そう いつも そればっかりだ。
誰も助けてなんかくれない。それなのにいつも責められるのは母親なのだ。

漢字ができない。「お母さん、ちゃんと見てあげてください」
習い事がうまくできない。「飯田さん、ちゃんと見てあげてますか?」
生意気がすぎる。「お子さんも何か悩んでいるのでは・・・」
母乳の出がうまくいかない時からいつも、どこかに相談しに行くたびに
責められるのは母なのだ。「お母さん、ケーキ食べませんでしたか?
赤ちゃんが嫌がりますよ・・・」

確かにそれらは一理ある。本を読むとなるほどと思って反省もする。
だけど実際に顔を合わせて見てみると、ありえないこの生意気さに
どんなに我慢しようと思っていてもカチンとくることがある。
それでも彼らは言うのだろうか「しょうがないですよ・・・」

私にはわからない。子育てなんてわからない。
一番苦手なものは何ですかと言われたら迷わず子育てというだろう。
誰も私に子供のまともな育て方なんて教えてくれたこともない。
仕方ないから本を読もうと思っても、適切な本なんてほとんどない。
(だから必死でフランス語で読んできた)
じゃあ右にならうしかない?けれど日本には子供の前に自分を譲って
子供の言う通りにしている甘い親が本当に多い。
はじめは優しさのつもりだったけど?うちも確かにそうだった。
自主的で個性的な子供になってほしいと思って小さい時から
「どう思う?どうしたい?」と聞いていた。
個性を重んじると言われるフランスやイタリアではその逆だという。
そんなことをして子供にお伺いをたてているとまわりの人が
イライラした表情で私に聞いてくる。「誰が決めるの?
子供にまともな判断ができると思うの?」
「子供に自分の人生とられてしまってそれでいいの?」
「子育てしてるからって、自分の人生を歩まなきゃ!」
「厳しい言い方かもしれないけどね あなたのためを
思って言っているのよ・・・・」本当にそうなのだ、と
今になって身にしみる。私がなんとかこんな状況でも
子育てをやめずにいるのは、ひとえにフランス式子育てのおかげだと思う。


日本では母親の尊厳を第一に考えて何かを言われたことは一度もない。
そして皆平気な顔して私に告げる。「反抗期は長いわよー」
母親はただそれに耐えればいいのだろうか?また、これからも
子供のいいなりで振り回されればいいのだろうか?
約束を破るのも、平気で嘘をつくのも、仕方ないと
諦めていれば物事はよくなるのだろうか?

この国で女に生まれる意味というのは何なのだろう?
私は心底思ってしまう。この国で出生率を増やすなんて不可能だ。
明らかに 明らかに結婚して旦那さんはいるけど子供がいない女性の方が
楽しそうな人生を送っている。仕事で海外に行くこともざらで
自分の選択で決められる。子供がいたら?多くの場合
自分がこうだと思っても、まわりが「べき論」で責めてくる。

「そんなことしたら子供がかわいそう」
「ちょっとくらい我慢したらいいじゃない(子供が小さいうちは?
それとも反抗期を全部すぎるまで?合計何年我慢すればいいのだろうか)」
「あなたが子供を産んだんでしょう」(できちゃった結婚の人は?)
「親なんだから宿題の面倒くらいみないと学力が下がるわよ」
「あなた、そんなこといったって、あなたは恵まれている方なのよ」

そういえばフランスでは親は宿題の面倒をみないとかつて聞いたことがある。
夏の終わりの親子関係を最悪にする夏休みの宿題もないらしい。
子育てをしながら何度思ったことだろう、どうして女に生まれてきたのかと。
子供が可愛くて仕方ない!と思えないのは私が助産院でなく病院で
子供を産んだからか、それともシングルマザーでストレスが大きすぎるからか
それとも私の精神が病んでいるからなのかはわからない。
けれどこうしてここに書くのはおそらく私と同じような気持ちを
抱いている母親は日本に実は多くいるのではないかと思うから。
だけどそんな気持ちを吐き出すことは許されない。
そして彼女たちは今日もいつも、良き母を演じ、私からすると
嘘くさいような猫なで声で子供とコミュニケーションをとっている。
でも彼女たちもふと、私何やってるんだろう、と思う瞬間はないのだろうか。
よき母を演じることが仮面になってしまっていても
自分自身の人生を考える瞬間もあるのではないだろうか。
21世紀のこの先進国に、女性として子供を産んだことは
罰ゲームだったのではなく、新しい社会のあり方を考えるきっかけをもてたのだと
もっとポジティブに捉えられる日がきてもいいのではないだろうか。

母親になるのは大変だ。子育ての責任をなぜか1人で
背負わされるのは本当に重圧があり、その重圧は人を簡単に狂わせるほどの
力をもっている。子供を虐待した母親たちも、独身時代は普通の人だったのではないだろうか。
「大変だね」と一言声をかけるだけでなく、社会から母親たちへの支援がもっと
あってもいいのではないかと思う。それがなければ女たちは子供を産もうと
思えないのではないだろうか。
女に生まれたのなら子供を産みたいというのは当然の感情かもしれないが
理性で考えた時、喜びと重圧とでこれほど差がでてしまうなら、
やっぱり産むのはやめておこう、と思うのも当然かもしれない。

解けない方程式

2016年06月27日 | 女の生き方


もう何年前からだろうか、私はスーパーウーマンを目指してて
あれもこれも、それもこれも!だけど時間は限られている、
その時間の中で、なんとかそれらを手にしたい・・・と
悲しい努力を重ねてきた。フランス語力も必要だ、しかも
かなり高度なフランス語。でもそれだけではこの先が怪しく
やっぱり英語も必要だ。どんな英語力かといえば、TOEIC840点以上
(そうすると英語の通訳案内士の資格がとれる)
そしてBBCを聴いててすらっとわかる程度の英語力・・・

最近ではフランス語と英語をほぼ交互に聴いて
どちらの時間もないままに、英単語、仏文法、
BBCにフランスのラジオ、ともはやごちゃまぜになっている。
なんとかそうして目の前の仕事をこなして生きる中、
帰ってくるともう一つ、目の前には我が息子。
それはまた仕事とは全然別の存在で、少しでも
手をかけないと 露骨に反応が現れる。
その反応がよくわかるのが恐ろしき「授業参観」で
同じような年月に生まれ、たいして変わらぬ場所で育ち
同じ授業計画表でほぼ変わらぬ授業を受けているはずの子達が

いかに違ったものであるか

それを目の当たりにする場所だ。

明らかに育ちのいい子
明らかに手をかけて育てられている子
ノートの取り方の美しい子
授業で颯爽と発言できる子
いろんな子供たちがいて・・・・

授業参観に行くたびに 私は痛切に反省をする。
確かにね、お母さんがいけなかったよ・・・

なんでもただやればいいってもんじゃない、
漢字もただ書けばいいってもんじゃない・・・
わかった・・・じゃあ今度からはこれをやろうね?

そしてまた数日努力をしてみた後で私も問いたくなってくる。
私だってかなり一生懸命ご飯も作り
朝ごはんだって豪勢だ。週末はいつもピクニック。
お菓子だってなるべく手作り、電子レンジはもうやめた。
でも そんな全部はできないよ・・・
子供と遊び、しっかりと学習につきそって、
ご飯もきちんとしたものを食べさせ
平日は仕事をきちんとこなし、自分の将来も見据えて生きる・・・

私はいつも思ってしまう。
解けない方程式を解いているのだ と。

もともと無理な話ではないのだろうか。
だって東大に行かせる親の6割は年収1千万で、したがって
かなりの母親は専業主婦で 就学前からみっちりとした
手厚い教育を息子のために行って・・・そんな人たちと
私の状況を比べたら どう頑張っても そう
ガラガラガラと、階段を転げ落ちていくのが目に見えている。
だからこそ、普通にしててはいけないと、私も
それなりに頑張ろうとはするのだけれど、
もう体力だってもたないよ・・・
(息子を東大に行かせたい!というわけではないけど
私のまわりには何故か子供が東大とか目指しているという人が多く
実際学費だけを考えたら費用対効果はめちゃくちゃ高い学校だと思う)

そして時々、母は涙を流してしまう。

私の人生、一体何だったのだろう?
もちろん私にだって夢があった。
息子と同じクラスに在籍している半数を占める女子たちも
同じように今では夢を抱いているだろう。
「大きくなったら何になりたい?」
「パン屋さん!」「お花屋さん!」
お母さん!という人も中にはいるだろうけれど・・・

女子だって、今の教育の中では当たり前に夢をもつ権利が
与えられている、けれど。

結婚して子供を産み、いざその子供と自分の目の前の仕事、
そして自分の未来と子供の未来とで板挟みになってみると
もはや何を優先したらいいのかわからない。
専業主婦だった母たちはすぐさま私にこう言うだろう
「子供の将来に決まってるでしょ!(あんたなんかどうでもいいのよ)」
でも私は思ってしまう。生まれた子供が女の子だったなら?
その子をいい大学にいかせるために、親はずっとやっきになって
自分の人生はどこかにおいて、それでその子が卒業して数年たったら
娘も専業ママなのか?そして彼女はまた同じことを繰り返すというわけか・・・

ママだってね、と私は息子に泣きながら訴えてしまう時がある。
ママにだってママの人生や将来があるんだからね。
お茶の先生は先日お稽古に来た私にこう聞いた。「生まれ変わったら
何になりたい?」先生、生まれ変わったらって、私まだ
人生の途上なんですが。まだ30代半ばで、夢を諦めていないんですが・・・

女にだって、手にしたかった夢はある。でもこの国でそれを
手に入れること、かつ子供の人生もそれなりに成功に導くことは
至難の技だ。もともと資産があってお手伝いさんや家庭教師を
雇えるか、20代の早いうちに成功して保育園の書類を書けなければかなり難しいだろう。
お金もない、それなのに夢も諦めきれず、目の前には子供もいるという状況で
向かうべき先はどんな選択肢なのだろう。

私ももっと研究がしたい。研究にも、書くことにももっと時間を費やしたい。
世界中で起きてることをフランス語と英語を使ってしっかり理解していきたい。
世界の人たちを取材し、議論し、それらを日本の人たちに伝えたい。
東大の先生方に会うたびに、私は心底羨ましい。そんな知的で
国際的な世界で普通に暮らしていける、いつでもそんな状況がある
そんな人たちが羨ましい。少しでもそんな世界に近づくために
まずは語学力を相当に上げることかと思い、私は今日も
ラジオに耳を近づける。
文字通り喉から手が出るほどに羨ましい!と思ったら
いつか手にすることができるのだろうか。
イメージの力は相当大事らしいから、たまには大好きなカフェを訪れて
しっかりこの先を見据えよう。

カフェ・ド・フロール

2015年03月15日 | 女の生き方
 運命に近いように思える偶然というのはあるもので
たまたま職場で鳴った電話をとったのが私だったというだけで
「もしよかったら明日カフェ・ド・フロールという映画の
試写会があるんですが・・・どなたかいらっしゃいませんか?」
とのお言葉に 私、私が行きます!!と即答した。


 カフェ・ド・フロール?あのサン=ジェルマン・デ・プレの
カフェ・ド・フロールという名の映画?それは行かないわけにはいかない、
なんとしてでも行くしかない・・・


 それからというものとても楽しみにで
次の日は職場にも早く行き仕事を早く終わらせて
早速会場に向かっていった。ふたを開けてみると確かに
配給会社のお姉さんが言ったとおりで「カフェ、というより
(いやむしろほとんどカフェではなくて)音楽の
カフェ・ド・フロールという曲」がテーマの映画であった。
つまりサン=ジェルマン・デ・プレのあのカフェとこの映画は
ほとんど関係がないというわけだ。


 それだけだったらガックリきそうなところだけれど
この映画は本当に久々に強い衝撃を与えられた。
映画の最中、些細なシーンで私の涙は止まらなくなり
帰りの電車の中でも頭の中が渦を巻き、家に帰ってからも泣いてしまった。
なんというか 私が偶然にもあの電話を受けたこと、そして
ほとんど無関係な題名につられてこの映画を観たこと自体が
偶然を装った運命というか、観るべくして観させられたような
気がしてしまう。


 この映画の主な舞台はカナダのモントリオールで、
パリも3分の1くらいは登場する。登場人物は言ってみれば
皆何らかの問題があり、パリの主人公の女性は
生まれた子供がダウン症で、それが原因で夫と口論し、
結局女手一つで子供を育てる決心をする。
モントリオールの方はお互いに運命の人だと思っていた
子供もいる夫婦の間に急に一人の女性が現れ
そこから全ての人たちの関係性がぐわっと変っていってしまう。


 運命の出会い、だと思っていたもの、いや確信さえしていたはずのもの・・・
だからそれが壊れるなんて疑ったことすらなかったもの。
そこにある日突然ヒビが入り、瞬く間に人生が変ってしまう。
そんなことが起こるなんて?誰が想像していただろう?
少なくとも 自分自身は そんなこと疑いもしなかった。
けれども人生というのは自分の想いとは裏腹に
思わぬ方向に強く押され、流されてしまう時がある。
この映画に出てきた人たちは、自分なりに決断を下していった。
いいわよ出てって、私が一人で育てるから!という女性。
新たに出会った女性の方こそ運命の人だと確信し、家庭を
壊すことにしたというのに 実際には折に触れて前妻を
思い出してしまう人・・・私がこの映画に共感したのは
ここには人生の苦しみが強く描かれているからだ。
日本ともイスラムとも違う歩み方をした西洋の自由な社会の中には
もはや正しい答えもとるべき道も存在していない。
これが正しい、と信じてみても、そこにはたえず疑念がつきまとう。
決断を下してみたって実際には無意識の中や夢の中では
諦めたはずの誰かや過去を狂おしいまでに追っている。現実はもう違う道のはずなのに
私は幸せなはずなのに?そこに明確な答えはなくて
あるのは自問自答の繰り返し。そして現実の自分が希求するのは、
アルコールやタバコに精神安定剤、少しでも自分の気を楽にさせれくれるもの。


 正しい道はこれなんです。そう言われたら楽だろう。
でも自分が正しいと思った道が、世間とズレてしまっていたら?
直感的に、本能的に、確信できるものというのはあると思う。
人はそれを運命と呼ぼうとするのだろう。でもそれが運命だったなら
どうしてうまくいかなくなる日なんてくるのだろうか?それは誰にもわからないけど
この映画は私にひとつのヒントをくれた気がする。


 他の人と違う道を歩むことになった人には
たえず苦悩がつきまとう。大声で叫びたくなるほどの苦悩や狂気
その中でも 守らなければいけない小さな子供。
私は泣くのを避けてきた。それは私が泣いてしまったら
いつだって傍らに居た私の子供もつられて泣くからだ。
ママが泣くからといって子供が泣いたら
自分に答えなんてなくても抱きしめて「大丈夫だよ」と言うしかない。



 私ががむしゃらに進んだのは前に進む以外に道なんてなかったからだ。
前を見て進まなければそこには涙と狂気と深い後悔しか存在しない。
それでは人は生きられない。だからもう泣くこと自体ができなくなった。
未来なんて信じられなくても信じる意外に道はない。だから私はいつも唱えた。
恐ろしく不安な時に、いつでも自分に言い聞かせてきた。
「大丈夫、全部うまくいっている・・・人生はとても素晴らしい。」
バーバパパの大きな飾りの前を通っては、息子に
「今日もいいことがあるってバーバパパが言ってるよ」と言いきかせてた。
それは私が自分にそう言い聞かせないでは生きられない程不安に満ちていたからだ。
あの道の前を通る度、あの恐ろしく不安定だった精神状態を思い出す。
ベッドから起き、ただ立ちたい、働いていればそんな不安も
忘れられる・・・それからひたすら仕事に明け暮れ、私の涙は枯れてった。
かつての自分とは随分違う世界に行きているけれど、その傍らに
我慢して押し殺してきた自分があった、この映画を見ながらそんなことに気がついた。


 人生に答えはなくて 自分に正直になろうとすればする程
目のはいばらの道に見えてくる。
親になったからといっても、親も一人の人間であり
叫びたくなる時もある。絶望する時もある。
ものを壊したくなる時もある。でも目の前には
それをもの言わずにじっと見ている子供がいる。
いつも答えを与えてくれる宗教があったなら?
それはどんなに楽だろう。けれどその宗教が定めた
正しくて幸せなはずの道と 自分が正しいと思える道に大きな差が生じていたら?
その先に生じる結果を考えるなら どちらがいいか
一概には言えないだろう。


 人生には苦しみがある。けれど時折わずかな喜びがある。
子供に怒るときもある、だけど共に笑える瞬間もある。
人生はエスプレッソの味に似ている。苦い、でも、甘苦い。
その甘苦さがあるが故に やっぱりなんだかいいなと思う。

 「カフェ・ド・フロール」はとても深い。

 それは素晴らしいカフェでの議論のように頭の中に強いモヤモヤを残してくれる。
人生につまづいたという自覚がある人に、是非見て欲しい映画です。

映画 カフェ・ド・フロール
3月28日公開です

苦しみを越えて

2012年02月19日 | 女の生き方


 久しぶりに昔書いたブログの整理をしていたら
たくさんの子育てに関する葛藤の記事が出て来て
それら一連の流れを見てると 幸せだった時もあり
でも苦しかった時もあり 一概にどちらが と
言い切ることが難しいけど 一言私に言ってあげるなら
「苦しかったんだね、、、」ということだろう。


 でも私はその苦しみや葛藤を描き続けた。
描いた というほどではない。ただ公に人が目にできる場所で
それを記録にとり続けてた。おそらくそれには意味がきっと
あるのだろう。今になって 私は思う。
それは私だけの苦しみじゃなかっただろう
確かに私の状況は少し特殊だったかもしれない
確かに私は人よりわがままかもしれない
確かに私は人より子育てが向いてなかったかもしれない
けれど だけれどきっと この苦しみは
私一人が抱えていたような苦しみじゃなく
日本に住む多くの女性が 笑顔の裏で
抱えている同じ苦しみなんじゃないのかな と
ちょっと距離を置いた今 私にはそんな風に物事が映る。


 だからといって その後の私の人生が
あっていたのか 間違っていたのかはよくわからない。
でもソフィーはこう言っていた。「どちらがよかったとか
よくないとかじゃなくって 選択をしたということ自体が偉いのよ」
たとえその決断に自信なんてなくっても。
それでも私は失った人生から自分の道を歩み始めた。
重荷で倒れそうになっても 切り開くのは自分しかいない
もうフランスに行こうとしても 誰も私を責めはしない
場合によっては ベルリンに行こうが アメリカの
ポートランドに住もうが それは自由であるわけで


 過去のブログを見るとフランスは本当に遠かった。
夢のまた夢だった。そう 私にフランス語を教わりたいと
言ってくれる人が「いつの日かフランスなんて住んでみたいな」と
私に語ってくれるのとおんなじように それくらい遠かった。
ラジオ?そんなの3日も聞いたら疲れ果ててやめていた。
かつてのノートに私は書いた。「フランス語を続ける気力が欲しい」
そうしていつか 私は気力を手に入れて 一年半ぐらいで
飛躍的にのびてしまった。子どもが居ても子どもが保育園に行ってなくても
本当にやりたかったら やるしかなかったら 人間は
けっこうな力を発揮できる それだけはよーくわかった。
そんな私もどうにかフランス語の通訳ガイドの試験に受かり
実際に通訳やら翻訳やらをさせてもらえるようになった
なんだか不思議なことだと思う。


 子育て は 苦しかった一方で
(一番の苦しみは息子が三歳半を過ぎても保育園に入れてないこと)
だからこそ得られたこともある。男の子の子どもを持つ
母親同士の微妙な連帯感だとか フランスにいって女友達を
つくるのがめちゃくちゃ難しかったのに 息子と行ったら
公園で友達ができたこととか 集中力が上がったこととか
それに自分に余裕がありさえすれば 息子の笑顔を見るのはかわいい。


 結局のところ 私はさんざん「あきらめが肝心よ」と
いろんなおばさんたちに言われ続けて来たのに諦めたくなかったのだろう
あきらめることは 私にとって死を意味していたわけだから
「死にながら生きている」とずっと思ってたニュータウン時代。
魂が喜ぶような気持ちになったパリでの滞在
あの時たしか そう 私は思った。自分に生きることが許されるなら
死ぬよりはもう一度生きたいと。
そして本当にもう一度 ここに戻ってきたいと思った
あのアパルトマンの立ち並ぶ街。「目覚まし時計はカフェオレの香り」の
朝からカフェがテラスを出してるあの街へ。街路樹に風があたってさわさわ言う音、
緑の葉の合間から輝いてくる木漏れ日に 年期の入ったカフェの藤椅子。
乳母車を押していた彼女と歩いたあの路に 私は再び帰りたい。


 遠すぎた夢だった 夢想でしかなかったパリは
もうしっかりとした現実としてみえている。 そこに行くには
もっと何が必要なのか どういうことが辛いのか
何ができればいけそうなのか バラ色ではないけれど
それでも浮き足が立ってしまう シューケットのあるパン屋さん
青と白のひさしの小さな商店。蓮太郎のことをかわいがってくれた
移民の売り子のお兄さん。彼にまた 戻って来たよと私は言いたい
そんな暮らしがパリにはあって パリは現実に存在していて
そこに私の居場所があるなら 入る余地があるのなら
苦しんだすべても活かして もう一度パリへ戻りたい
そして向こうでも子育てをして 日本との違いを探りたい
苦しかった日本の子育て パリには違う何かがあった
そうそれはきっと 大人として尊重される ひとりの人間として
尊重される そんな風土なのだろう。
人権宣言の生まれた国の 大使館は私を許可しれくれるだろうか
もう一度チャンスがあるなら 私はあそこで子育てしたい。

犠牲の母

2012年02月13日 | 女の生き方

 「みきちゃんさ、あんまり頑張らない方がいいんじゃない?
私の知り合いでね、おっぱいにがんばりすぎて疲れたのか
そのあと離婚しちゃった子もいるよ」


 かつて住んでた団地のエレベーターの前 で 友達が
心配そうに言っていた。その頃の私は義理の母の教えにならって
母乳至上主義みたいになっていて ミルクは駄目だと思ってた。

 「吉村医院にはね ミルクの箱すら置いてないのよ!
ミルクの箱を見るだけでお母さんはおっぱいを出そうって
気にならなくなるんだって!」そう言われたのを覚えてる。


 そうして私は体調がどんなに悪くなってても
どんなに身体がもたなくっても やたらとおっぱいで
がんばって その反動でケーキを食べては 何度も
母乳マッサージのところに通ったりした
そうしてそれでもおっぱいやら 布おむつやらを
私は続けていたけれど 結局のところ 私は
桶谷の先生が言ったように「あなたは犠牲の母」だったようで
そんなことは喜びでもなんでもなかった。
ミルクあげたっていいじゃないか?
そうまでして私はしんどくても母乳をあげないといけないのか?
子どものために?


 子どものため って何なのだろう?

 27歳で結婚をした私は28歳で子どもを産んだ。
それはほとんど旦那になった人のためだった。
彼は見るからに子どもが好きそうな人で 私は見るからに
子育てなんて向いてなさそうな人だった。
私の友達は全員目を丸くして「どうして美樹が
専業主婦で子どもがいるの??信じられない!」と
3年がたってみたって 同じ反応を繰り返す。

 私だって 同い年の人たちのように
ファシリテーションだとか ソーシャルベンチャーだとか
そんなカタカナ言葉のついた 楽しそうな集まりに
いつも関わっていたかった。だけど私には無理だった
行ったって子どもが泣くしぐずるから。
ミーティングに無理矢理いかせてもらったこともあるけれど
みんなが普通に入る定食屋には1歳の子どもは入れない。
そこで何を食べろというのだ?そこで息子がぐずって泣き出した時
私はほんとうにやるせない気持ちになった。
おっぱいが欲しいのはわかっていても
どうやってこの学生街の定食屋の一角で
息子におっぱいをあげられるだろう?そんなのは無理なことだった


 私だって 誰かのため と 思ってた

 でもそんなのは何でもなかった

 それが今になってよくわかる。

 私がこの人のためだと思って子どもを産むことにした人は
「子どもが熱を出したくらいで電話してくんな」と言った。
その後子どもがインフルエンザになって寝込んで合併症になったといって
2人して布団の上で穏やかに死んでたとしても
電話をするなということだろう 葬式にくらいは来るつもりはあるのだろうか
そんな「誰か」のために 沢山のものを犠牲にしていた
そんな生活 辛かっただけの生活なんて もうやめにしたのは
一生「犠牲の母」を続けて行くより よっぽどよかったとやっと思えた。

 「誰かのために生きてみたって」とミスチルは歌ってた。
「あなたの人生も大切にしなさいよ」と子どもを産んではじめて
フランスに行った時に会った人が語ってくれた。その時どんなに驚いたことか!


 「私の人生も考えていいの??」


 それは目を丸くするほどの驚きだった

 捨てなさい 諦めなさい こだわらないこと


 子どもを産んだあとから女たちは私にこう言って来た。
電話口で 電車の中で バスの中で 次々に開かれた口はそう言った。
私の人生は 私が大学にまで行ったのは 蓮太郎という子どもを
産むためだったのだろうか?「そうよ そんなことどうでもいいのよ」
それが私が子どもを産んで出会った女たちの共通した答えだった。

 この国に オルタナティブなんてないと思う。
アフリカよりはましかもしれない。でもそこまで
大差ないと思う。女たちの自由度は 一見ありそうにみえるけど
「結婚」というものをしたら「子どもを産め」という圧力がかかり
相当恵まれた職場にいたわけじゃないとその後の人生は
幼稚園ママ、PTA、そしてボランティア。
そして何かをしようとすると
「あなたは緒方貞子さんじゃないからね」と言われておしまい

 結婚をして 幸せじゃなかった人は?
幸せじゃない結婚を40年も我慢して 仮面夫婦になるか
熟年離婚を待てばいいの?


 結婚をしたらそれで幸せ。子どもがいればそれで幸せ。
たとえそれと引き換えに沢山のものを失ってても
「幸せ ということになっているから幸せなはず。」
そうじゃなかったら?「お前が間違っている」ということになる
たった一つの価値観しかないこの国で 苦しんでいるのは
私だけなのだろうか?

福島の女性たち

2012年01月09日 | 女の生き方


 今日は取材が終わって偶然入った10席くらいの
カウンター式の居酒屋で 出会った人たちと話をして盛り上がり
お酒を飲んでワイワイしながらフランス語と日本語を交えて
みんなで色々語ってた。そして奥の席の女の人が手を挙げてこう言った。

 「フランスは原発が多いってきくけど
福島の事故の後何か影響がありましたか?」

 これはかなり興味深い。さて、変化があったのだろうか?
マリークレールのジャーナリスト、ソフィーはこう答えてくれた。
「もちろん大きな変化がありました。フランス人にとっても実は
原発について議論するのは一種のタブーみたいなものだったんです。
でもこの事故のあと人々の考えはかなり変わって、今では
次の大統領選の論点が原発のない社会を目指せるかどうかになっています。」

 そうだったのか、フランスは電力の80パーセントを
原発でになっているのに、原発をなくそうなんて
考えがついに現れてきただとは。

 この答え、に 質問をした福島の人は驚いて
なんだかとても嬉しそうな顔をしていた。フクシマは、
世界に1日で名前を知られてしまったフクシマは そして
沢山の苦しみを突然背負う事になってしまった福島の事故は
何かを変えつつあるのだと それはネガティブな方向だけでなく
何事かの流れを変える大きな変化でもあったのだ と
それはフランスさえもを変えつつある 
私たちのいる福島が そんな影響を与えつつある
それはなんともすごいことではないか、、、
そんな風に 彼女の表情は語っているように私には映ってた。



 今日も朝から晩まで沢山の人とお話をして
沢山の方の想いを聞いて 鳥肌が立ったり胸を打たれたり
すごいなあ、、、と思わされたり。福島の女性たちがすごいと思うのは
彼女たち は 自分でものを考えている。
そしてものすごく知識がある。それはこういう状況が
彼女たちをそうさせたからなのだろう。
政府の言う事は嘘ばっかりで 公式見解は嘘ばっかりで
彼女たちは私がびっくりするほど政府というのを信じていない。

 例えばソフィーが「さっきお医者さんから聞いたのだけど
食品の表示に産地名だけじゃなくってベクレルも表示されるようになったら
いいと思う?」と聞いたとき 答えた女性はこう言った。
「それはそうなった方がいいと思うけど どうせ10ベクレルと
書いてあってもあとでやっぱり50ベクレルでしたと言われると思うから
そんな表示はあっても信用ならない」のだそうな。
ここまで信用していないのか!それならどうやって野菜を買うの?
私たちが今までに会った女性たちは宅配システムを使うらしくて
なるべく西日本か九州産のものを買うらしい。

 彼女たちの食品に対する意識といったらかなりすごくて
なんだか栄養士さんと話をしているみたい。それもどうしてかというと
「もうすでに外部被爆をしてしまっていて それは福島にいる
以上はこの先もさけきれないことだけど 内部被爆だけは
できる限り減らすように努力したい」からだそう。

 私は知らなかったけど 内部被爆がいかに恐ろしいかを
今日出会ったお医者さんも力説してたし そういう知識は
彼らが力説するまでもなく お母さんである人たちの間では
かなり浸透しているらしい。それは市とか県とか 国がどうこうではなくて
彼女たちが 自分たちで 自分の力だけを頼って
沢山のことを知っていった結果なんだな
福島市も 子供たちの外部被爆の検査や内部被爆の検査も
これからしていくらしいけど それでも「安全宣言」をしているわけで
「これのどこが安全なんだ!!」と思っているお母さんたちは
自分のできる限りのことをしてみんなの身を守ってる。

町中のホットスポットの情報交換とかもしているらしく
福島の子供たちは「あそこは線量が高いから危険」というのを
「この公園のここらへん」とかそういうレベルで知ってるらしい。


 たいていの人が言うけど 今の時点で福島に残っている人たちは
いろんな事情を考慮した結果残らざるを得ないと思った人たちで
(だけど国が補償をしてくれて一家でみんなで避難できるし
そうしろと命令されたらむしろしたいくらいだという答えもあった)
だからその中でどう生きていくかを真剣に模索していて 
その意識の高さといったら本当にすごい。
それでも毎日それを続けてく、例えば毎日子供にマスクをさせたり
4倍の値段がしても九州産のレタスを買ったり、日々線量を計ったり
そうしていくのはとてもしんどい。避難をするのも 残るのも
どちらにしたってストレスがあり どっちのストレスなら
まだましか 天秤にかけて計る中 で 日々の暮らしが続いてく。


 彼女たちは考えている これからどうしたらいいのだろうか
そんな答えは誰もくれない どれが正確なのだろう
どれが正解なのだろう そんな答えもだれもくれない
いったい何が信用できるというのだろう?
お医者さんに尋ねてみても 彼らは明確なことは何も言わない。
ただ言えるのは「被爆量は少なければ少ないほどいい」ということだけだ。
最終的に残るのは 自分が信じた知識と自分がとった判断だけで
もはやだれも 選択を決めた誰かに何も言えない
それはある意味 自由でもあり 強さでもあり
本来の自分として生きるきっかけなのかもしれない。


 そんなことなんてもちろんなければよかったことだけど
失ってしまったようにみえて もしかして彼女たちは
何かを手にしたのかもしれない。飛び立った人はもう飛び立った
避難先から帰ってこなくて一番幸せそうにしている人は
長男の嫁でむこうの両親と同居してた人だね、と言った人がいた。
自分にとって本当に大切なものは何なのか?
誰しもが震災のあとでそれを考えた。


 私も色々失ったけど フランスで お財布をすられた男の子と
警察に行った後で言葉を失っていた私は急にこんなことを言い出した。
「何かを失ったと思ったときは 実は何かの始まりなのかもしれない、、、」

 ある視点からはすべて失ったように思えても 将来のある視点からすると
それは何かのはじまりなのかもしれない。あまりに辛かったことも
実は遠くから見たら何かのはじまりなのかもしれない
未来が見えないのは怖すぎるけど 何もわからない
何も見えない 何を信じたらいいのか全くわからないときに
信じられるのが自分だけ に なったとき 人は強くなるのだろう。
福島の女性は強い。彼女たちは すごいと思う。
私はこれまで こんな日本の女性たちに会ったことなんてなかったと思う
彼女たちは自分で考え 自分で行動を起こしてる
それは日本においては本当にすごいことだと思う。
フクシマ は 確実に世界に影響を与えていった
福島の女性たちの取り組みや姿勢や生き方も
きっと日本をじわじわと変えていくような そんな気がする

 

言葉にならないことを言葉に

2011年11月19日 | 女の生き方


 昨日の朝 といってもなんだか遠い昔のようだけど
コンビニに立ち寄った際に小さな瓶に入ったボジョレーを目にし
それから飛行場に向かって時間が発って 夜になって着いたパリでは
ボジョレーのお祝いが待っていた。


 「この子はねえ、日本でボジョレーが売られてるのを
目にして来たんだって!」とみんなに紹介されながら
懐かしいような ついさっき来たばかりのような友人宅で
ボジョレーのお祭りに参加させてもらって 沢山の人と
会話をしてたら ひょんなことからドイツ人でフランス語を
しゃべる人と変な話題について長時間語ってしまった。


 なんでこの人真面目そうな顔してそんなこと言うんだろう?と
はじめは怪訝に思っていたけど 彼の真剣そうな顔を見ていると
これは本気でちょっと悩んだり疑問に感じて考えたことの
あることなのかなと思えたりして そういえばそんな気持
わかるかもという気になったら 私も説明をしたくなり
それはおそらくこういう状況によるのではないかと語ってみた。


 世の中には沢山の日本人女性が外国に行っている。
でもヨーロッパで生まれ育った人たちにとって、日本人との
コミュニケーションや深く意思疎通をしたくなったときに
首をひねることがあるらしい。それはどういうことだろう?
自分の立場で考えてみても、彼女達に問うてみてもわからない。
それはおそらく 日本人女性というその人たちが
答える言葉も 答える術ももってないから。


 私は何度もいろんなところで「どうして日本人はこういう
ことをすることがあるんだろう?」と尋ねられて来た。
例えば仲良さそうに接していたのにあるときから急に音信不通になったりとか
日本人が「消えてしまう」という現象はけっこうフランスでは耳にする。

 私は前回の苦しい想いをした滞在と日本で色々考えたことで
だいぶわかった気がするのだけど 日本人女性というのは
たとえ自由に生きてみたくても 自分自身をいろんな固定観念や
「あれはいい これはよくない」という強い意識が縛ってて
そのドイツ人とも話していたけど「他人が自分をどう思うか
他人からどう見られるか」が一番大事な価値になる。
それは幼い時からものすごく強く身にしみてしまっているので
たとえ外国にいってちょっと自由を味わってみても
自分自身はきっとその価値観に縛られていて
楽しい思いをしてみたところで あとで後悔にかられてしまったり
日本に帰ったら何と言われるかとか そんなことを無意識のうちに
強く気にしてしまうのだろう。


 私たちは フランス人たちが当たり前に持っている
「言葉」 というのを持っていない。彼らはその「言葉」を使って
自分の感情を表現したり 自分の状況を説明したりするのだけれど
私たち日本人の 特に女性は 自分が何を考えているか
何を感じているか あるものごとに対してどう思うか
そしてどうしてそう思うのかとか そういうことを表現することを
ほとんど訓練されていなくて 自分自身の抱えてしまった感情が
どこからくるのかもわからない。だからうっすらと何か大事な気持を
感じていても それを言葉で表現できない。だから泣くしかなかったり
だからすっと消えてみるしかなかったり だって聞かれたとしても
その人自身 なんて言えばいいのかわからないから。


 私たちは すごく近代化された社会に住んでいて
ものすごく進んだ国に住んでいるから外国の人もそう思ってる。
ところが精神面では相当な差があって 女性も おそらく
女性にそれを無意識に求めている男性側も 実際はすごく古風な
価値観が私たちをまだ支配している。でも表面的な日本の
繁栄からは どうもそこまでは見て取れないから
「あんまり違わないかと思っていたら実はすごい深い違いがあった」ということに
お互いショックを受けるのだろうか。


 ここでは説明を要求される。「どうして?」「それはどういうことなのか」
彼らはそう訓練をされている。分析すること 説明すること
だからそれが当たり前。ところがフランスに来た日本人からすると
たとえ言葉という激しい壁を乗り越えられるようになったとしても
今度はその「説明」というのがなかなかできない。
それは知識がなかったりとか どういうことなのか
自分自身でもわからないからで そこで二重のショックを受ける。


 私は日本人で子供を育てることになった女性として
日本人女性が抱える苦しさというのがものすごくよくわかる。
それに加えていろんな苦しみの後で 何が苦しさを生み出していたのかも
なんとなくわかってきたから ようやくそんな「言葉にならない言葉」
というのを 日本語ですら言葉にできない微妙なもやもやしたものというのを
今になってようやく説明できるようになった気がした。


 彼らは日本人はマスクをかぶっているのかと尋ねて来る。
その能面の下で一体何を考えているのかと知りたくなる。
ところが多分彼らの想いとは裏腹に 日本人の能面の下にはなんというか
深い考えというよりも 深い沼のようなものが広がっているだけで
それは自分で言葉にしようと思ってもすくいきれなくて
下手したらずぶずぶと 音もたてずに沈んでしまう
そんな世界なんだと思う。だから彼女達自身もわからなくって
ただ姿を隠してみたり 人と会うのをやめてみたり
ただ涙を流してみたり。何が自分を苦しくするのか
どうして涙が流れるのかすらわからないのに 説明を要求されても無理だから。


 だけどおそらく ヨーロッパ人にとってとても不可解で
日本人にとってものすごく重要なのは「他人の目」と「その中で生きる自分」で
彼らのように楽しそうに自由に振る舞ってみたくても ずぶずぶと
深い沼から 足をひっぱるもう一人の「とても日本的な」自分が
存在している。それは日本では確固たる存在で ここはヨーロッパだと
思っても そのあまりに脳裏にこびりついてリアリティのある自分にとっての現実が
私たちの気持をくじいたり、後悔させたり自分に対する信頼感を
喪失させたりするのだろう。そうして自分でも不可解な溝を抱えて
日本に帰って来てしまった人は 日本でもよく理解してもらえない
本当は飛び立ちたかったのに 飛べなくなってしまった自分という存在に
彼女達はどんな気持で向かい合うのだろう。


 10年前の私はいろんなことがわからなかった。
説明をしたいと思っても 言葉がまずわからなかったし
言葉がちょっとわかるようになった時には 何も説明できない
自分に愕然とした。それくらい フランスという国で感じてしまう
壁は厚い。日本とフランスはあまりに違う だけど
フランス人は日本に興味を持ってくれている
私はいつか説明できるようになってやりたいと10年前に強く思った。
昨日はそのドイツ人に「君の言ってることはよくわかったよ
なんだか理解できた気がする」と言ってもらえて嬉しかった。

 言葉にならないような言葉を フランス人の理解ではなく
日本人側の言葉として言葉にすること
「おそらく日本人はこうなんじゃない?」と勝手に
解釈されるだけじゃなくって日本人からの視点で何かを説明すること
そうすればするほど違いが見えて でもいいなあこの国と思って面白い。
議論するのは面白い。自分が置かれている状況は
なんだか意味があるような気が最近している。
日本人の女性達の 言葉にならない気持を言葉にして発していくこと
そしておそらく もう少し 違ったあり方だってありうるんじゃないかと
探して行くこと フランスには沢山の道がある
沢山のあり方が可能だそうだ そんな国は私にはとてもうらやましい。

1つだけの生き方

2011年11月15日 | 女の生き方

  ポジティブに、とは思ってるものの
それでも区役所に行く度悔しくなって
何度涙をながしたことだろう。

 私のブログを読んでくれている人が
「飯田さんのブログには日本の生き辛さも書いてあるところがいい」
と言ってくれていたから そして今でもかなりのネガティブワードで
検索にひっかっかる人がいるから そんな人たちのためにも?
いや自分自身のために 私は書き続けようと思う。


 その人はこう言っていた。「日本には1つだけの生き方しか
許されていない。」私は本当にそう思う。それを象徴する最たるものが
お役所の仕組みだと思う。20代になり何年か働いて結婚をして
専業主婦になったなら それなりの生活が保証され 何も
問題なく暮して行ける。だけど一度道をそれたら?もうどうしようもなく
なんの保証もありえない。


 蓮太郎は またしても保育園にいけないかもしれない。
最悪来年も一次保育かもしれない。そんな子が、満三歳をすぎて
母に面倒をみられているというそんな子がどこにいるんだ?と
私は憤りたくなるけれど 「書類が揃わない」というそんな理由で
彼には行き場がないかもしれない。そんな度 に私はあの
暗い区役所の階段で泣きそうになり もうこうなったら
来年の4月か5月にはフランスにいってやるんだ!!!と強く思う。
状況が苦しくってもどうにもならない。「想定された状況の人」
と違うからという 「あるべきひとつだけの生き方」と違うからという
それだけで いつもいつでも拒否される。


 蓮太郎が3歳をこんなにこえて迄 保育園に入れなかったのは
私がいいお母さんだからでは決してなくて 状況がそれを
許さなかったから。なんど区役所に足を向けたことだろう。
彼が1歳にもみたないときから。どれだけ保育園の情報をきこうとしたことだろう。
だけど私はなんとか自分で自分のやりたいことも続けたかった。それではそんなに稼げなかった。
なのに保育料は月に3万とか横浜では5万もするという。
働けないのに、保育園に入れないのにどうやってそんなに稼げるの?
どうやってそれを証明しろっていうの?


 日本の母にはたった2つの道しかない。

 専業主婦になるという 一番望まれていて「幸せなんだ」と思われていて
だけど本当は 果てしない孤独の中で 一人ため息をついて
あるときは嗚咽するかもしれない役割か

 フルタイムで前の職場に戻るだけ。

 一番いいのは(というか私が単にうらやましいのは)
フルタイムで保育園に子供をいれて でも何らかの理由があって
それをやめ 子供は保育園にいったまま 自分の好きなことを
することだろう。それか一次保育か、、、



 私は一次保育がとれているだけましだけど

 それでもいつも泣きたくなる。

 そう 日本には 1つの生き方だけしかない
ちょっと働いていい旦那をみつけて結婚をして
それから「絵に描いたように幸せな」家庭をもって
母になってそれからあとはPTAにボランティア。
私はそれが嫌でたまらなかった。私にとって
そういう風景の並んだ団地は本当にこわくて仕方なかった。
私にはそれが幸せじゃなかった。私は幸せになりたいと
もっと笑って生きてみたい と 心底思った。
そしてフランスに行ってしまった。諦めた気持のままで。



 フランスにはもっと笑っている人たちがいた
「幸せなはずだから」というおしきせの価値観の中で
もがき、変えた歴史があって それらからだいぶ自由になって
もっと素直に笑っている人たちがいた。私もそんな風になりたいと
私もその中にいれてほしいと心底思った。


 同じ人間として生きることが可能なら

 私もそんな風に生きてみたい、、、



 諦めて生きるのではなく 

 ただ1つしかない価値観に 自分をあてはめて生きるのではなく

 もっと心から幸せだって思ってみたい


 本当に ただそう思っただけなんだ。


 日本の現状は私にはとても苦しい。
それを知ってるフランスの友人たちは美樹にはとても
日本は辛いだろうねと察してくれる。そう 私にはとても辛い
ここには私が求めている 大切な何かが存在しない。


 違うあり方があってみたっていいじゃないか
もっと自分らしく 自分を活かして人を幸せにする
生き方があったっていいじゃないか そのために
それをしやすくする仕組みがあってもいいじゃないか
中途半端な状況に陥ってしまった 子供を生んだ人たちは
一体どうすればいいのだろう?私はあなたたちと対等なんだと思ってた。
男の子たちと仲間なんだと思ってた。今でも頭ではそう思ってしまうけど
現実は全然違う。私たちは結婚をして 周囲から「子供はまだ?」と
せがまれて そうしてお腹に子供ができたら
生活が いや人生が 想いもよらぬ方向に激変してしまう。

 女の幸せって何なのだろう?「子供を生むこと」?
私は決してそれだけじゃない と言いたいし
もう少し 女性達の多様なあり方、働き方を認めてくれる
社会の仕組みをつくってほしい。。。

価値観の転換

2009年12月21日 | 女の生き方
 今日新聞の投書欄をみていたら 22歳の大学生が
「結婚を理由に内定を取り消された」と書いていた。
彼女はそれに憤ってて 「結婚していても
仕事を続けられる会社を探すつもりです」とのことだった。

 このご時世で そんなところがあるなんて、、、


 と 思うかもしれないけれど

 あるんだな


 でも私 は 彼女とは同意見ではもうなくて
内定を取り消した側の気持ちがちょっとわかる
だって結婚したのなら 子供ができるかもしれませんよ?
それでも本当に働くつもりなんですか?
「はい!」と彼女は即答するだろう
女達は 迷う事なく即答してきたことだろう

 けれど若い女ではなく 年をとった男達はよく知っている
妊娠した女達が どうなってったか
子供をうんで どうなってったか
職場に復帰はしたものの どういう働き方に変わっていったか
そして彼らが働く裏で 家庭はいったいどうなってるのか

 それは「配慮」なのだろうか 私は「配慮だ」とも思えるけれど
人事をしている人たちではなく 女達に 問うてみたいのは
「仕事がそんなに大切ですか?」ということだ


 もっと自問自答してみたらどうなのだろうと私は思う
女には いつの日か天秤にかけなければならない存在が
自分の横に ふとあらわれてしまうかもしれなくて
「男だって子育てできる」そうはいっても
子育てしている男達が口にするのは「ママは存在自体が
偉大だ」ということで 男達があれこれしても
決して泣き止まなかった我が子が 母がちょっと
抱いただけで すっと泣き止むことがある。
そんな存在は 30年間の人生の中で 出会った事も
夢見た事すらなくっても 生まれてしまえば
子供達は 「ここは自分の居場所であり 
当たり前の場所」として 私の家を我が家だと思い
私の胸をご飯だと思い 私の彼氏はパパになる。
子供は自問することもない 「ママはママじゃなかったこともある?」
ママはママなだけじゃなかったけれど 子供はそうは思わない
後から世界に生まれてきたのに 当然の顔で自己主張する
「あなたは僕のママでしょう?」

 そんな子がいつか 自分に産まれるかどうかなんで
イメージすらできなくっても そういうときが
結婚したら くる可能性がとても高くて
そこで女達に問うてみたい
「男と同じように働く事が そんなにも重要なこと?」


 その価値観って いったいだれが創ったのだろう
就活の時や親達から すりこまれてただけではないの?
それがあなたの自己実現で 本当にしたいことなの?
それであなたは輝いてるの?
そう思わされて就職するけど 本当にそうなのだろうか
(私のまわりには就職して鬱っぽくなった女友達も沢山いる)


 お金をもらって働く事が 誰かを幸せにすることならば
幸せにした対価が賃金なのならば 見知らぬ誰かを
ちょっと幸せ風にすることと 大事な誰かを
とても幸せにすることと どっちが幸せなのだろう
残念なことに 顔の見える大事な相手を幸せにしても
対価としてのお金は普通はもらえないけど
(カフェをやってたらそういうことはあるけどね)
その人の気持ちはダイレクトに伝わってくる
どちらのほうが 自分にとって幸せの効用が高いのだろう?


 お菓子をつくるのが好きだった人が
てづくり市で人気になって 大量にお菓子をつくるように
なってみたって 買った人たちは「ふーんこれは
あそこのよりはおいしいかなー」程度にしか思っていない
けれども顔の見える誰かに心をこめてつくったならば
それが何年たっても忘れられない 心に残った思い出になる
そんなこともあるわけで 友達にお菓子をつくるのが
好きな人 が 別に見知らぬ誰かのために
沢山つくる人になる必要性もないわけだ


 結局のところ 私は思う
女達が働いてるのは 「お金のため」とか
「当たり前の事だから」とか それだけじゃなく
「自分はできる!」そう思いたい そういうことじゃないかと思う
女達が無理をするのは 「わたしはやればできるんだから!」と
自分にいいきかせたいからなんじゃないだろうか

 だけどそれが証明されたら?
「そうですよ あなたってそんなに価値のある人なんですよ」
「あなたってそんなに色々できるんですよ」と証明されて
それで?何だったんだろう?って 思う日がいつかこないのだろうか
それって 結局 自分に自信のないことの裏返しだったんじゃないのかな
ありのままの自分じゃいけない だからいろいろ身につけて
無理そうに思える事も乗り越えて 無理とはいわない
そうやってやってきたのって
「このままじゃだめだ!」という自己否定の裏返しだったような気がする


 私はなんだかそう思う
広そうにみえる世界もあるけど
華やかにみえる世界もあるけど
行ってみた ら 別にそこまでという程でもなかったりして
本当の幸せは 意外にも足元に転がってたりするんじゃないか
たくさんのものを無理して犠牲にしなくても
大事な世界が あるんじゃないか
無理をして頑張って生きてきた 私はようやく 
そんなことに気がついた。
就活をしている女子学生と 私はとっても話がしたい。

ママたちの声

2009年12月15日 | 女の生き方
 ビフォーアフターという言葉があるけど
女の人が子供を産んでから と 産む前は
かなりビフォーアフターで 驚くくらいに
価値観だったり 生活もかわってしまう 
そんな事実に驚いた。


 子供を産んで沢山のママに出会って
最近は前よりも「ママ友」たちと話す機会も
増えてきて はじめはただの悩み相談だったけど
ちょっと元気になった今 は インタビューを
しているようで面白い。


 ここ最近は 以前から構想していた
子育てに関する文章を自分のまわりの
お母さん達とかいてみたらどうかなあとか
ブログをまとめて本みたいにしてみようかなと思ったりして
そのネタをどうしようとか考えながら 母たちと話をすると面白い。


 社会学をやってる人たちはきっと母親たちに
インタビューして いろんなことを「知る」のだろうけど
女達のいうことは 簡単には信用できるものではなくて
そこには微妙なニュアンスが含まれていて
「あんな男は嫌!でも好きかも、、」とか
「子育ては基本的に好きだけど たまにすごく嫌になる」とか
女達の移り気な気分のままに 感情は変化していて
その感情がダイレクトに その日の子育てに影響してて
「今日はすごく楽しかったけど 昨日はかなり鬱だった」とか
そんな状態になっている。


 公式のインタビューを受けたときには 人は緊張するもので
演じようとしてしまうけど 友達だったら?
カフェにいったら あけすけな打ち明け話であふれてて
それを私が「すみません もうちょっときかせてもらえませんか
その時どう思ったんですか?」と聞いたとたんに
その場は終わって 話のトーンは変わってしまう


 女達は 子供をうんで 「女性という性をもった
一人の人間」と思ってた人が 自分自身で「女」になって
「女」であることを痛感している女たち は
いったい何を思っているのだろう?
女達 の 本音というのは 子供を産んで
どう変わったか どうなったのか
その変化って 遠い彼方のことのよう で
結婚をして 2年もたてば まるで別世界にいるかもしれない
だけどそんなイメージは 結婚するまでわからない


 やっと愛する人と結婚をして 
あこがれのハネムーンにいった後
気がついたら妊娠してたら?
自分のつわりがどうかだなんて
つわりになるまでわからない。
私が昨日と今日話をきいた別々のママは
おんなじくらいつわりがひどくて
はじめから8ヶ月までひたすら吐いていたらしい
私はつわりがそこまでひどくはなかった方で
「一日中トイレにいた」という意味がさっぱりわからなかった。
彼女達は 何も口にすることもできなくて
そんな状態なわけだから 仕事を続けられるわけもなく
気晴らしをしようとしても ご飯もだめで
お菓子もだめで 本当にしんどかったらしい
今日話をきいた人は「100メートルも外出できなかった」
といっていたけど それをきいて 私も
一駅分も歩けなかった時があったのを思い出す。


 世の中には 妊娠しても 何事もなかったかのように
働き続ける人もいる だけどどうしたって
続けられない人もいて 自分がどっちになるのかなんて
「私だったら大丈夫!」と思っていても
実際はどうなるかなんてわからない。
十人十色 本当に違って 産後だって しんどいか
そこまでしんどくないかは十人十色で
ミルクだから楽なのかなーと思っていたら
はじめからミルクの友人は「ほんまにしんどくてなー」と
よく口にしている。おっぱいだけど「しんどい?
どういうこと?」という人もいる
夜泣きがひどい子もいれば 夜中寝っぱなしの子もいるわけで
本当に全然ちがう

 そんな中でも だいたい今まであった人たちに
共通している認識は「子育ては大変だ!」とか
「まさかこんな大変だとは思ってなかった」であるとか
「母乳がこんなに大変だとは」
「本当にストレスがたまって嫌になる時もある」
「産むのよりもつわりが大変 または 産後が大変」
「産後がこんなにしんどいものだとは!」
とか そんな感じなのかなー


 私は何がしたいのか まだ明確にはわからないけど
彼女達の話をこんなに生々しく 赤裸々に
聞かせてもらえる そんな立場は私も
同じ「困っていそうなママ」だから で
そんなふり(?)をして話をきくのも
なんだかとても面白い。
「働けるなら働きたいけど、、、(葛藤)」

伝えたい母の想い

2009年12月01日 | 女の生き方

 大学院の先生と会ってみてから色々悩み
どんな風に生きたいんだろうと考えて
まだ結論は出てはいないけど 今日友達と話をしてみて
思ったことは 子育てはきっともっと価値があるんじゃないかと
いうことだ。


 戦後になってフェミニスムやジェンダーも盛んになって
女たちは男と同じように働くようになっていて
今となっては 就職するとき 自分自身が女だなんて
学生たちはそこまで意識することもなく
男の友人たちと同じように同じ会社をうけていく
(人事の側は女を意識してると思うけど
私はそれは「差別」というより 年をとった彼らが
奥さんたちの大変な状況を実際に見てきたことが
大きいのではと思うようになってきた)


 そうやって 自由に育って働くのが当たり前と思って
生きて生きた そんな女性たちにとって
「専業主婦」や「子育てをしてる専業主婦」は
かっこいいイメージからはほど遠く
「うちのお母さん」はそうであったかもしれないけれど
「私はそんなのにはなりたくない!」と思って生きてきたのだろう


 けれども子供がおなかに宿ると はじめて自分自身が
「いかに女であったか」というのに気づく。
本当は 女は男とおんなじではない 
男と女の違いというのは 子供を産めるかどうかと
おっぱいをあげられるかどうかというのが
決定的な違いとされてて その生物学的な違いがあるから
社会的な状況だって異なってくる。
おなかに子供がいるというのに 夜中までがむしゃらに
働いている 男性たちと同様に 昨日までの自分のように
働いてしまったならば?男たちと同様に
重い荷物をえいやっと担ぎ 出張にいってしまったならば?
お腹の子供がどうなるかなんて 保証は何もない訳で
お腹の子供が健康に生まれてくるのかなんて
生まれてみないとわからなくって 生まれたあとでさえ
色んな事実に後で気づいて「あのとき私がああしなければ」と
後悔するのは 何故なのだか いつも女の役割だ。


 仕事をするのが当たり前 と思ってみても
つわりがあまりにひどい人や 妊娠中入院しつづける人もいて
自分がどんなタイプかなんて 妊娠するまでわからないし
赤ちゃんがどう生まれてくるのかは 生まれてみないとわからない。
だから女たちは 本当は言えない「大丈夫です 私もできます!」
本当はできないかもしれない。 身体が動かないこともある
しんどくて立ち上がれないこともある だけど今は
そんな時代じゃないようだから 女も男とおんなじだから
子供を産んでも働く事は 当たり前のようにできそうだから
できると私は思っていたから じゃあ働こう!とがんばってみる


 けれども本当はしんどくて 身体も思うようには動かないし
子供は自分の都合なんてまったくかまってくれないし
都合の悪いときに限って大泣きをして
いい子にしてほしいときにめちゃくちゃにして
親はいつもどきどきしながらその時を迎える事になる
いつもいつも気が気じゃなくて 誰かと会ったりするときは
「早く寝てくれないかなー おとなしくならないかなあ」と
思っているけど うまくいかない。そんなもの。


 そうやって親は子供にふりまわされる
やりたいことがあるといっても 体力も気力もなかなかなくて
昼寝をするのは怠惰だろうかと思っていても
昼寝することで体力だって回復するし
何より至福な時間なわけで それをやめるのは
本当はとてももったいなくて だけどそれしか
自分に許された時間はないから 無理矢理にでも
その時間に何かをしてみて 子供が泣いたらああ!と思って
自分の時間はもうおしまい。


 そんな生活なわけだけど 愚痴をいったら
いくらでも言う事ができるわけではあるけど
それは大人が大人の生活を続けようとするからで
子供の視点でものをみてみたら いろんなことがみえてくる。

 あー確かに ポットのふたとふたを合わせてみたら
シンバルのような音になるねとか
へえそうか カエデの葉っぱはこんなにも美しい色をしているのかとか
葉っぱに太陽をあててみると 葉脈が透けてとてもきれいに
みえたりだとか どんぐりにも色んな種類があるだとか
何よりも 子供といると 沢山の人が笑顔になって
彼は人を幸せにする力をちゃんと持っている。


 私が一人で生きていたなら いつも仏頂面をして
カフェでの出会いもなかったけれど 彼のおかげで
カフェでも電車でも公園でも 道ばたでさえも出会いがあって
たくさんの人と話ができた。彼のおかげで見知らぬ
女たちがたくさんのことを教えてくれた。
これまで出会ったことのない 子供を育ててきた女性
肩書きなんてないかもしれない 誰かの妻で
誰かの母なだけかもしれない バスで出会った女の人たち
でも彼女たちには誇りがあった 私はね
子供をちゃんと育ててきたのよ 大変だけどかわいかったわ
もう孫ができてねえ、、、


 私に口を開いた女の人は 初めての出会いであっても
沢山のことを伝えてくれた この人たちは
誰かに想いを伝えた事が これまでどれほどあったのだろう
堰をきるように 流れ出た 彼女たちの言葉というのは
誰が聞いてくれたのだろう 女にだって言葉があるけど
言葉の多くは 井戸端会議のおしゃべりだったり
ちょっとした愚痴だったりで しっかりとした
後世に残る言葉にはなっていなかったかもしれないけれど
本当はこの言葉には もっと価値があるんじゃなかろうか
女たちは隠蔽してきた 本当は子育てはとても大変なこと
本当は子育てはとても価値があると思っている事
だけど時代は変わっていたから 自分の子には伝えなかった
私の母も 私を自由に育ててきたのに 昨日私にこう言った。
「結局ね 女は二者択一しかできないのよ、、、」
女は自由に生きていけると 夢をみさせてくれたけど
その夢はパリ症候群となんだか似ていて 夢だった。
現実はとても厳しくて 女たちはその現実を知っているのに
大事なことも 大変なことも 口を開いてくれなかった
もっとこれらは 伝えられて しかるべきな言葉じゃないの?
母になるって何なのか 子育てって なんなのか
どれくらい価値があると思っているのか
今では価値が相当低くなっているけど 本当は
女たちがこうして紡いできた事は とても価値があるんじゃないか

 女が女として生きていく事
男と同じで男のまねをするのではなく
女が女たちの生きやすい環境をつくっていくこと
女が女であることに 自から価値を見いだすことって
大事なんじゃないだろうか
あまりにも強いフェミニスムの後
女はかつて嫌っていた「男」になって
男たちが女性化してしまったらしい。
女たちは かつて男たちが持ってた武器を手にいれて
社会では男のように振る舞うことになったらしいけど
それってどうだったのだろう?
(『スーパーウーマンはこんなに大変』に書いてありました)


 21世紀は違う時代になってほしい
子育てをして 葛藤をして でも沢山学んだことがある
まだまだ知らないことがある 一人の女という身分を活かして
女たち に 忘れられた女たち に もっと話をきいてみたい。

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