alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

語学力という武器

2017年07月11日 | パリのカフェ的空間で

 語学力は武器になる、と日本では宣伝文句のように語られている。
でも一体どういう武器なんだろう?
本当に武器になるなら、もっと本気でやっている人が多くてもいいように思うのだけど、
日本では語学というのはどうも二の次、ついでとして捉えられているように思う。

 先日パリで、留学時代から姉のように慕っている
英語とフランス語のバイリンガルのカナダ人の友人が
カナダから来た友達を紹介してくれた。ジャッキーというその女性は
日本に住んだことがあるらしく、私に興味を持ってくれ、
話をするうちうらやましそうにこう言った。「あなたすごいわね、フランス語が
こんなにペラペラで、英語もできて!」そう、私は去年
イタリアで決意をしてから英語を必死で頑張って、この1年でずいぶん
英語力を上げたのだ。おかげでフランス語には劣るものの、
英語だけでもかなり会話ができるようになってきた。

 でもそんな彼女に私はすかさず言った。
「でもね、ジュスティーヌとパリで出会った頃は
全然フランス語ができなかったのよ。とくに初めの半年は。」
そんな頃からしてみたら随分成長したものだけど、
ここに至るまでに15年もかかったことを考えるとなんとも
馬鹿馬鹿しいような気持ちになってしまう。

 私が姉のように慕うジュステーィーヌは
当時もっと若く、アメリカ映画の主人公を思わせる
華のある輝きを持っていた。
彼女はパリ国際大学都市という、第一次大戦後に
作られた、世界の若者達がともに出会って将来より
世界をよくしていくためにという希望のつまった場所の
中心部にある寮の寮長だった。
だから彼女はしょっちゅうイベントを開催し、たくさんの人に
囲まれて、いつも生き生き楽しそうに笑っていた。

 それに比べて私はといえば自分から望んで入った
その寮のあまりにインターナショナルな雰囲気に圧倒され、
そこに住むエリート達の楽しそうな会話に混ざりたくでも
内容が理解できずに苦しんでいた。そう、本当に辛かったのだ。
だから次第に共用スペースもさけるようになり、
かなりコンプレックスをかかえていたように思う。
そんな中でもジュスティーヌは私にも優しくしてくれ
寮の構内でダンスパーティがある時はよく連れ添って踊っていた。
他にも寮のお仲間とパリのアイリッシュパブに出かけたり、
唯一の日本人で早稲田の先輩だった方と一緒に
夜中に道端で早稲田の校歌を歌ったり、いろんな思い出が混じっている。
世界からエリートが集まっていたのは留学先のパリ政治学院だけでは
なかったようで、実はこの寮もそうだったのだと先日初めて理解した。


 まわりにはEUで働くことを目指すヨーロッパ出身者たち、
早稲田の先輩もフランス政府留学金の受給者で、フランス語はペラペラだった。
アフリカからは奨学金をもらって勉強しにくるトップクラスのエリート達が
ロベール・ガリックというその寮には集まっていた。
そしてその場所は国際大学都市の中でもとても特殊だったらしい。
というのも国際大学都市部は基本的には日本館、アメリカ館というように
同じ国出身の人たちが住む建物で構成されており、私たちの寮だけが
唯一、各国の人が混じるタイプの寮だったのだ。
同じ寮にいたエルサルバトル出身の女性はパリで精神科医として働いており、
なんと同時期に住んでいた女性の1人は大臣になっていたという。
学校の先輩は大統領に、同じ寮の人は大臣に・・・
今年になって気づいたけれど、本当にすごいところにいたものだ。

 私は彼らにはとうていかなわないとはいうものの、そんな特殊な状態が
今の私の原点になったことはどうも間違いなさそうだ。
あとの時は何一つかなわなかった。今でも追いつけないけれど、
それでも少しでも理解したい、彼らの議論に、笑う話題に
私も混ぜてもらいたい。日本を小馬鹿にされたときに、きちんと
反論して説明したい。自分の意見を彼らのようにしっかりと
話せるようになりたいと、私はいつも思っていた。
そしてあれから16年。ようやく私はそれなりに流暢なフランス語を
手に入れて、それなりの英語力を手に入れた。
だからね、全然、そのときからそうだったわけじゃないんです・・・
ねぇジュスティーヌ、私はあなたたちがとっても羨ましかったんだよ、
と私は昔の状況をカナダ人の女性に説明していた。

 語学力とは所与の才能だと思っている人が日本には多くいると思う。
そして言葉が出来る人は自分と違って才能に恵まれており、その人にとっては
ちょっとした言葉を訳すことくらいごく簡単なのだと勘違いしている人も多いと思う。
ところが実際にはそうではなく、語学というのは日々の努力のたまものなのだ。
どうして語学をやるかって?それは文字通り自分の武器になるからだ。
武器というのは履歴書にかく強み、という意味ではなく、
文字通り身を守り、相手からの攻撃をかわし、必要があれば反撃できる
それが武器としての語学だと思う。

 今回は帰りの空港で大変な目にあった。
いつもは3時間半前に着いている私も、ちょっと甘く見てしまい
2時間半前に空港到着。余分なことはほとんどせずに
トイレに1回いったくらいで、パンすら買わずに列に並んでみたものの
(インターネットチェックインも済ませていた)
シャルルドゴールの搭乗検査口は信じられないほどの行列ができ、
そこを通過するのに1時間以上かかるほどだった。
さすがにやばい、と感じた人は私だけではないようで、
目の前にいた赤ん坊を抱えたお母さんも、後ろにいた女性も
その後ろの家族連れも、私と大差ない出発時刻の人たちだけれど
皆出発1時間前を切っていた。それでも列は進まない、
どれくらいやばいのかもわからない。本気でまずいと思った人は
まわりの人に交渉し、列を飛ばして先に入れてもらっていく。
私は係の人に3回くらい話をし、あなたの時間は大丈夫、と
言われたものの、やばいのでは、と思っていたところに
先ほど話した後ろに並んでいたフランス人のおばさんが、
新しい検査口が開いたのをすかさず見つけ、すぐに私を
手招きしてくれた。こういうときは周りのことはお構いなしで瞬時に動かなければならず、
私も即座にダッシュした。おかげで私はなんとか間に合ったとはいえ、
交渉に交渉を重ねた末に機内に辿りついたのは、出発5分前の最終コールの時だった。

 ようやく飛行機に乗れたとほっとするのもつかの間、今度は
搭乗券に北京行きとしか印刷されていないのに気づく。
北京乗り換えで羽田行きのはずなのに?つまり私は北京から羽田の
搭乗券を持っていない状態で飛行機に乗ってしまったのだ。
(これはミスというよりエールフランス側でそう発券していた)
仕方がないので北京につき次第何度も係りの人に英語で尋ね、なんだかよくわからない
裏口みたいなところを通って手書きの搭乗券を作ってもらう。
こんな時に心底思う。言葉がもしできなかったらどうなっていたのだろう?
私は多分飛行機に乗れてなかったし、北京でも大惨事だったかもしれない。
言葉ができないということは、その場で何が起こっているかの
状況把握ができないということで、情報収集しようにも
まわりの人とコミュニケーションができないと、的確な情報がつかめない。
なぜこうなのか、ではどうしたらいいのか、最善策は?
それを瞬時につかめないと、例えばテロが起きた時、
大混乱が起きている時、一瞬の判断ミスが本当に命とりになるだろう。
フランス人も、世界の人も、日本人ほど優しくはない。
搭乗時間に遅れたら個人の責任として閉ざされることもある。
私が空港で最後に会った係の人は日本人で、乗れるかどうか
尋ねたところ、私の便には100人以上がまだ乗れていないと説明してくれた。
そのわりには飛行機はそこまで遅れずに出発し、私のあとから99人も
入ってきたような様子はなく、空席さえもあるようだった。
彼らは本当に全員乗れたのか、それとも置いてけぼりにされたのか
真相は私にはわからない。けれどそんな状況になったときに
大切なのは自分の状況を説明してなんとか入れてもらう交渉力だ。
私の目の前にいた子連れの女性もまわりの人に応援されて交渉し、
列を抜けて特別なゲートに入っていった。後ろの女性も、もう無理よ!といって
列を通過する覚悟を決め、交渉して前に進んでいった。
私より15分搭乗時間の早かった日本人の団体客は「飛行機は
待ってくれるらしい」といってのんびりと列に並び、ずっと携帯をいじっていた。
あの人たち、本当に乗れたのだろうか・・・・
(一応忠告はしたんですが・・・)


 広い世界に出た時に、以心伝心は通用しない。
彼らのルールで、彼らの言葉で、大きな声で伝えなければ
彼らは耳すら貸してくれないだろう。それが世界の厳しさだった。
大学生の時日本で生き生きと活動していた私は
「次は世界に羽ばたいてね!」と言われてパリに送り出された。
日本のみんなはこの子は世界でやっていけると無邪気に信じてくれていた。
ところが世界の壁は厚すぎて、私は半ば鬱になって帰国して
そんな自分の状況を理解してくれるのは大学時代に
留学を経験した人たちくらいなものだった。

 それから15年もたった今、ようやく
向こうの人たちにミキは勇気があるとか強いねとか、
褒めてもらえるようになってきた。そして今ではそんな彼らと
ちゃんと話ができるのが、本当にどんなに嬉しいことか。
3ヶ国語ができるなら、話せる人の幅が広がる。
その分だけ自分がとれる情報の幅も広がり、見れる世界が広くなる。
言葉は自分を守ってくれる、そして自分を助けてくれる。
母国語のように自分の意見を他の言葉で言えたなら、
そんな気持ちのいいことはないだろう。
お金があるからできることは世の中沢山あるだろうけど、
言葉があるから開く世界も山ほどある。
言葉があれば、お金だけがある人よりも時には扉が開くのに。
言葉は自分を救ってくれる。どういう理由かわからないけど、
北京からの飛行機はビジネスクラスになっていた。
言葉があれば道が開ける。まずはイタリア語を頑張ろう・・・

フランスに行くなら

<iframe frameborder="0" allowtransparency="true" height="60" width="468" marginheight="0" scrolling="no" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/htmlbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511" marginwidth="0"><script language="javascript" src="http://ad.jp.ap.valuecommerce.com/servlet/jsbanner?sid=2716631&amp;pid=879463511"></script><noscript></noscript></iframe>

ブログランキング

http://blog.with2.net/link.php?1215861