alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

コーヒーと自由

2014年03月17日 | サードプレイスとしてのカフェ


 コーヒーは きっと自由の象徴なんだ

 ふっと そんなことに気がついた。

 私はコーヒーがそこまで好きじゃない。
体調が悪くなったとき、真っ先にやめるのはコーヒーで
初対面の人とカフェで会うとき よく驚いてこう言われる。
「あれ?コーヒー頼まないんですか?
コーヒー好きだと思ってたのに。」
コーヒーはどうも私の身体に負担をかけ
飲み過ぎたあとに身体をこわす。それは経験でわかってる。


 けれども私の人生に コーヒーというのは必要で

 それは頭をクリアにしてくれるから?
いや違う。それなら紅茶でも中国茶でも濃い日本茶でも十分だ。
今日ふっと気づいたことは
私はコーヒーが好きなのではなく
コーヒーを飲むことができる 
そんな時間を手にした自分
それがただ嬉しくて 
ちょっとした時間ができた時
あえてコーヒーを買ってみるのだろう。

 コーヒーというのは紅茶と違い
自由だとか奔放、逸脱、議論というイメージがあるらしい。
それに対して紅茶はサロン的で、
どちらかといと右の女性のおしゃべりのお供、
反体制ではなく体制側でお金持ち、穏やかでゆっくりとして
静かな時間というイメージだ。


 私は自由を手にしたかった。
子供が生まれた直後に私が自分を取り戻すため
ほんの少しした抵抗は お茶を一杯のむことと
ブログを書くということだった。
団地に囲まれたニュータウンに引っ越して
専業主婦だらけの生活の中 私は何かを切望していた。
何かが違うと思っていた。目の前に連なる団地の山は
私の人生に立ちはだかる壁そのもののようだった。


 久しぶりに 幼稚園のお母さん達の隣ですごしてやっとわかった。
私は自由を手にしたかった。彼女達は時間的には自由に見える。
時間に追われまくってる私の目には
うらやましいなと映ることもよくあるけれど
実際には彼女たちの生活も 見えない鎖のようなものに縛られている。
彼女達を見て思い出した。主語が自分ではなくなっていく
子育て生活。いつも話題になるのは「私」ではなく
「主人」や「子供」 なんとなくライバル意識を持つつも
笑顔で語り合っているけれど 女子特有の探り合いみたいなものがあり
沢山の勝ち負けの基準があった。二人目を生んだ?
家は買った?運転はできる?子供の行く学校は?
何かを知る度ショックを受けた。ああ、先を行かれてしまった・・・

 別にそれがどうというわけでもなく
幼稚園ママはそれをよしと思い、保育園ママはそちらを選び
互いに互いをちょっぴりうらやましいと思っているのだろう。
専業主婦と働くママという二つを経験してみると
どうやらそこには なんだか独身女性と子持ちの女性くらい
深い溝があるようで 同じ「母」とはいっても違う世界観で生きている。
どうしようもなく生活に追われてるとき
あああの暮らしに戻りたいと思うこともあるけれど
私が選ぶことにした場所は もう違う世界なわけで
そんなママたちの近くでしばらく時間を過ごした後に
ああ私が欲しかったものは自由なんだと気がついた。
おそらくそれは 時間的な自由ではなく
精神の自由なのだろう。


 コーヒーはそんな自由の象徴で
ママでもなく、仕事に追われた誰かでもなく
自分になった気になれる。自分としてどこかに向かえる、
そんな一瞬を味わえる。だから私は
身体には向いてなくてもあえてコーヒーを飲むのだろう。
私は今 自由な時間を手にしているのだ
そう自身に言い聞かせてみるために。


 サードプレイスにはコーヒーがある。それは当然かもしれない。
サードプレイスは役割からの開放の場所。
良妻賢母でなくていい。誰かの母じゃなくてもいい。
仕事で悩んでてもいい。「人間だもの」と受け入れてくれる。
そんなこともある そんな日もある
泣きたい日もある うまくいかないこともある。
この生き方とは違う何かを切望することだってある。
そんな時 役割に縛られて「頑張ってきた」
無理してなろうとした自分ではない誰か ではなく
自分自身になろうとする時
他の誰かともう違っててもいいじゃんか と
反抗的な気持ちになるとき

 やっぱりそこに似合うのは
ちょっとやりきれない気分とか
かすれた気持ちとうまがあう
反社会的 と 恐れられた黒い飲み物
コーヒーになるのだろう。

 私は違うかもしれない。
あの人達と同じように もしかしたらなれないかもしれない。
違和感を感じるかもしれない。
郷に入りては郷に従えと言い聞かせてみても
従いきれない自分だっているだろう。

そんな時 人は何かを求めてカフェに行く。


 何をしてもいい 懐の広いカフェ。
そこには自由な時間が流れ
心が少し 広がっていく。

 そこにワインやハーブティではいけないの?とも思うけど
ファッションや車に象徴的なイメージがあるように
コーヒーには「あるブランドを身につけた自分」と
同じようなイメージがあるのだろう。
「コーヒーをゆっくりと飲む時間」
それだけでも自由な感じがするけれど
それが「パリのカフェのテラスでエスプレッソを飲む時間」
になったらもっと自由で開放的な匂いが漂ってくる。

 自由を感じられるコーヒー片手に
自分の世界に入れるカフェ
そんなカフェに行ける時間が人生にあるのなら
その人はきっと 自由で幸せなのだろう。


ワインの記憶

2014年03月16日 | フランスへの道
「私ね ピノ・ノワールが好きなのよ。ピノの香りっていったらね・・・」
あの時黒い服を着た優雅なマダムがそう言っていた。
ピノ・ノワール、ピノ・ノワール、ピノの香り・・・
それはどんなものなのだろう。私は話を合わせながらも
実際はよくわからなかった。


 初めて私がFoodexに足を踏み入れたのは 震災直前の3月だった。
とにかく取材に行きなさい、とフランスからくぎをさされて
京都から新幹線に乗ってわざわざ取材に行ったけど
その時の私の実情といえば 基本的には専業主婦で
それなのによく取材に行かせてもらえたな、と思ってた。
それでも丸一日会場を歩き、人々に背中を向けている
フランスワインのブースを何度も歩き
つたないフランス語で幾度も話しかけてった。
その時私が目にしたのは黒いスーツに身を包んだ
商談姿の男性達で 英語もできて商談もできる
私の住む世界とはかけ離れた人たちに圧倒されたものだった。


 いつの日か そんな人たちに一歩でも近づきたい・・・
翻訳ばかりでまだほとんど記事を書いたことのなかった私は
帰り際に立ち寄ったカフェで少し途方に暮れながら
それでも出会った沢山の生産者たちとの会話を思い出していた。



 あれから3年の時が経ち、私の人生も激変だった。
それでも、それでも、一度も消えることなく続けて来たフランス語。
ワインの世界も全然知らなかったけど 3年前に比べたら
だいぶ理解できるようになってきた。



 だけど私はブルゴーニュワインに弱い、ふとそんなことに
気がついた。あまり飲んだことがない、一度訪れはしたけど
それは1日だけだったし、気高きブルゴーニュでは
私たちは他の地方ほど歓待されず、何杯もなんて味わっていない。
一軒目に行ったところは、「え?今日じゃないと思ってた!」と言われ
それでもじっと待っていたら醸造所内で異臭騒ぎが起こってしまい
取材どころではなくなった。ブルゴーニュ委員会の方に
お話を聞きに行ったお店はめちゃくちゃ美味しかったけど
そこで1、2杯飲んだ後 あまりの疲れと寒さで車内で
うとうとし、幸せな眠りに包まれていたら次についたのは
もうシャブリで主に辛口白ワイン。
そんなわけで ブルゴーニュは本当にかすかな滞在だった。


 日本に戻って来てからも ボルドーのワインに出会う機会は
けっこう沢山あったのだけど ブルゴーニュといったら
私の場合はまるでなかった。自分で買おうにもやっぱり高い。
かといって試飲の機会もまるでない。これじゃいかん、
そう思ったのが学校を探すきっかけだった。


 金曜の夜中に調べ、土曜に急遽見学に行き、日曜の朝
フランスに行けるくらいの大金を支払って 11時にはもう授業が始まった。
非常にためになる授業のあとでテイスティングの時間があった。
この赤ワインは知っている。私は絶対知っている。
でもなんだろう?おそらく4番はボルドーだ。
でもこちらはどうしてもでてこない。懐かしい香り
どこかで嗅いだ覚えがある。ボジョレーのクリュにも
少し似ている、でも違う。この色はブルゴーニュっぽいけど
私、ブルゴーニュは知らないしなあ・・


 少し湿った枯れ葉のような なんとなくくすんだような
ニュアンスのある香り。華々しいワインではなく
深い霧に包まれた森林の中 身を隠そうとする女性のような

 最後の最後に渡されたプリントにはこうあった。
「品種 ピノ・ノワール」

 これが、ピノ・ノワールだったんだ。これがブルゴーニュだったのか。
私は絶対に知っているし 何度か出会った香りであった。
どこで出会っていたのかは はっきりとは思い出せない。
ブルゴーニュについた日は 霧のかかった雨だった。
ラングドック地方では27℃まで上がっていたのに
ブルゴーニュの気温は7℃。しとしと という言葉が
まさにピッタリくるような 寒くてちょっと薄暗い
南仏とは対照的な場所だった。寒くて凍えている中で
やっと入ったあたたかい店 そこで出された美味しいワイン
心温まるブッフ・ブルギニヨンがある。
こんなにも寒いのに ワインと料理で身体がぽかぽかに
なるものか と驚きを隠せなかった。
フランス取材の最終日、あと一軒で取材が終わる、
本当は観たかったコート・ドールのすぐ横を
通りながら私は眠りこけてしまった。
寒い 寒いと言っていたのに ワインが身体をあたためて
本当に幸せに眠りについた、きっと疲れがたまっていたのだろう。

 フランスに行った2週間、右も左もわからずに
ひたすら取材を続けていった。私の手元にあったのは
一冊の日本語のワインの教科書と フランス人ジャーナリストの
車内に転がっていたGuide Hachetteだけだった。ネットもほとんどつながらず
未知のワイン世界を知る手がかりはフランス語のみ。
今思えばよく生きてたなあ・・・と思うけど
すごく楽しい日々だった。
今やっと 日本語で しっかりとワインを教えてもらうことになり
先生が早口だろうが、知るべきことが山ほどあろうが
日本語だから もうそれだけでありがたい。
これから私は目にしたけれども組み立てられずにいた
沢山のパズルを1つひとつ当てはめていけるのだろう。

 立ちのぼる香り1つでよみがえる思い出や顔がある。
霧につつまれた灰色の空のブルゴーニュ。
哀しみやアンニュイさ、そして気高さを感じさせるボーヌの街。
その前に訪れたボジョレーの明るさと軽やかさ。
もっと沢山のワインと出会って 香りや少しの味わいで
様々なことを感じられる そんな人になってみたい。

ショコラ

2014年03月08日 | サードプレイスとしてのカフェ

 今年から英語をちゃんと勉強しようと思った私は
色々と努力してみたものの、フランス語も続けながら
英語もさらにというのはかなり厳しく
今年になって2度も体調を崩してしまう。
もうだめだ、正攻法の英語は無理だ・・・
でもToeicが、、でもここまでやったのに、、、
そうはいってももう身体が無理だ、またしても
英語を捨てるしかないか・・・と
絶望的な気持ちになっていたとき
息子と一緒にTSUTAYAに行ってふと気がついた。

 そうだ 正攻法がだめなら映画でいけばいい。
それは私がフランス留学時代にどうしても正攻法の
フランス語学習に馴染めずに 自分で編み出したやり方だった。
さんざん映画館に行き とりあえず耳を慣らした私は
聴き取りは少し得意になった。それなら英語も
それでいったら?そう考えたら世界がふっと広がった。


 今まで私にとっての映画というのは語学学習法の
1つという位置づけで TSUTAYAにどんなに映画があっても
時間のない中自分に許した映画はフランス映画のみだった。
ところが英語もOKとなると、学生時代から観たかったような
映画もついに借りられる・・・もういいや、好きなのを見よう。
カフェに関係するだとか フランス語であるだとか
歴史がちょっとわかるとか そんな要素はなくていい。
ただ見たかったものを見よう。英語だったらそれでいい・・・

 そう思って手にとったのが 何故だか「ショコラ」という選択で
その選択は偶然にしてはできすぎている程に 私が観るべきものだった。

 「ショコラ」という題名からも 有名なポスターからも
それがフランスで撮影された英語の映画という程度の知識からも
まさかその内容が まさに私にうってつけの そして
チョコレート店 というよりも 実はカフェなんじゃないかという
そんな世界が待っているとは想像だにしていなかった。


 母一人、娘一人。赤いマントに身を包み 吹き荒れる北風とともに
旅をしながら住む場所を探す主人公。そして彼女はカトリックの
ガチガチの価値観の村の中で 断食中にチョコレート店を開くわけだけど。
そこには激しい価値観のせめぎ合いが待っていた。

 言葉にするのは難しいけど 私はこの映画の世界に入って
なんだか本当に救われた。私が体験してきた世界と似たような世界が
この映画には描かれている。昔ながらの価値観で がっちりと守られた世界。
犯してはならない規律があって 少しでもそこからはみ出していたら
見て見ぬふり で なんとか通す。表面的には何事も起こっていない村。
英語の中でもtranquillité というフランス語があえて使われていたけれど
トランキリテというのは波風のたたない というイメージでもあるのだろう。
守らなければいけない見た目、世間体、価値観が強くある中で
自分の想いは押し殺す。圧倒的なトランキリテの中で自分を持ってしまうこと
それは少し 狂気に近い。「ショコラ」の中で村の人から
ちょっとおかしい人だと思われている女性がこんな風に述べていた。
「夫の3度のご飯を作って掃除に洗濯、ここではそれが人生最大の
喜びであるべきなのよ。それ以上のことを望むと気が狂っていると思われるの」


 そんな彼女は本当は他の人より少しだけ 自分に正直なだけだった。
周りの人たちが押しつぶしている感情を 押しつぶせないままでいて
でもどうすればいいかわからず途方にくれて
苦虫をかみつぶしたように 泣きそうな顔をするしかなかった。
そんな彼女を主人公のチョコレート屋の女主人は受け入れた。
その店にはカウンターがあり、そこから主人は人を招いた。
"Please, please come in!" と彼女は通りに向かって笑顔で叫ぶ。
ちょっと入って、お願いだから、ほら、チョコを差し上げますよ。
よかったらホットココアはいかが?お代はいいから。
彼女が受け入れ、話しかけて来た人たちは ほとんどみんな
その村で ちょっとおかしいと思われていたり
ちょっと自分の感情に 気づいてしまった人たちだった。
だけどそこには激しいカトリックの規律と「こうあるべき!」という姿があって
彼女の店は標的になる。それでも彼女は笑顔を忘れず
少しでも店に顔を向けた人たちを受け入れ、話をきいた。


 やがてはその店はかたくなだった村を変えるきっかけとなっていく。
まずはおかしいと思われていた女性から、そして意固地で我を通しているおばあさん。
その店に集まった人たちは 言って見れば逸脱者たち。他に行く場所の
なかった人で、他では自分の気持ちを表現できず、受け入れてももらえなかった。
世間からは顔をしかめられるような人たちを 顔をしかめることなく笑顔で
受け入れる。扉を固く閉ざすのではなく 自ら開けて"Please come in!" とすら言う。
その店にあるチョコレートは人の心の扉を開けるという。
そうして少し 一瞬だけでもお客さんの顔に笑顔が見える。
いつの日かその人の笑顔が増えて、誰かの手をひっぱってくる、
そのうちにそんな仲間が増えていき その店はかけがえのない存在になる・・・

 それってまさに 私が求めていたカフェであり
歴史の舞台となったカフェに おそらく共通するのだろう。
私の本を読んでくれた方が一言で本を要約し「つまり主人が大切だってことですね」と
語ったそうだ。沢山のことを書いた私はそうだったかしら、と思っていたけど
まさにその人の言う通り、で 主人が本当に大切なんだ。
彼らは「他の場所では受け入れらなかったような人たちを受け入れた。
しかも一人の人間として受け入れた。」これに尽きる、と私は思う。
顔をしかめ、扉を閉ざすのはよくあることだ。でもその真逆をいった人たちもいた。
他の場所では受け入れられないような人 というのはそれなりにそんなオーラを
出している。「人は見た目が9割」というのであれば、一瞬で
「見てみぬふり」をされてしまうかもしれない。けれども
それを受け入れた人がいる。その理由は様々だろうけど
その1つに自分と彼らを重ね合わせたこともあるのだろう。

 ショコラの女主人は自分もノマドでおそらく何度も
迫害の目に合っていた。非難の的になることだって慣れっこだったから
多少悪く言われるくらいでは笑っていられたのだろう。
それでも自分の生き方に自信をもっている彼女は
自分らしく生きたいけれどもその一歩が踏み出せない人に
チョコレートを通して手を貸した。けれどもそのもどかしさや
悔しさや難しさがわからない人にはそんなことはできないだろう。
ダダイストが初期に集まっていたカフェ、セルタでは
世間で恐れられているダダイストの彼らを「彼らは
髪の毛が栗毛色の方 というような調子でダダイストの方」
とお店で呼ばれるのだとルイ・アラゴンが書いていた。
世間の見方ではなくて、一人の様々な想いをかかえた人間として
その想いや方向性が たとえ今の世の中に合致していないとしても
同じ人間として受け入れる。そしてそっと飲み物を出す。
それが素晴らしいカフェであり そこから何かが変わるのだろう。

 カフェから時代はつくられる、カフェから街は変わってく。
カフェがきちんと人を受け止めることができたなら。
カフェはただ、飲み物を飲んだりお菓子を食べる場所じゃない・・・
人がちょっと心を開き、次第にまわりの世界が変わっていく場
あなたはあなたのままでいい たとえ世間と違っても
そこの価値観にそぐわなくても。「ショコラ」の最後
神父さんがこう言っていた。「今日は神の神聖さについて
ではなく、人間性について語りましょう。神が偉大だったのは
何かを禁止することではなく、許したことにあったのではないでしょうか。」
禁止して、無理矢理規制の価値に当てはめようとするのではなく
そうでもいい、と許すこと。そうでもいいのかもしれない、と
思える場が1つでもあるということ。世界にはまだまだこの村のような
問題が満ちあふれているけれど、カフェやサードプレイスという
場所は 解決の糸口になるかもしれない。
「ショコラ」はそう気づかせてくれた、本当に素晴らしい物語。

フランスに行くなら

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