alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

夏休み

2008年07月29日 | 私の人生

 「産後の一ヶ月半から二ヶ月くらいは
とにかく無理をしないこと!いろんな人に助けて貰って
大いに甘えた方がいいよ!」そうげんきくんの妹さんに
教えられ 産後かなり日がたってから ようやくそれを
知った私は 緊張状態から解き放たれて よーし
甘えよう!と決意した。


 里帰り出産なんて 立ち会えないし 
そもそも横浜にそんなに魅力を感じてないから
私は絶対帰らない、と 思ってたけど
今になって 里帰りの合理性を思い知る。


 今更だけど 里帰りして 二週間の予定ものびて
8月一杯くらいになると こりゃ本当に夏休み。
横浜に来てびっくりしたのは京都の暑さとまるで違って
私にとっては避暑地のようだ。それほどまでに
エアコンをきかせていたって 京都の夏は異様に暑くて
水はお湯になり 台所にあるコップは暑くなっていて
トイレのドアを閉めてしまったら死んでしまいそうな
あのおうちには帰れない。


 育児をするとき 手が二つ以上あるのなら
お湯をわかしている時だって お風呂でハプニングがあるときだって
ご飯を食べていたい時にでも ちょっとだれかに見てて貰って
ものごとが随分スムーズになる。
昨日は母が れんちゃんが一階で寝てしまったまま
熟睡してたみたいだからと 彼の隣で寝てくれて
私も二階で熟睡できた。そんな心遣いがありがたい。


 「自宅軟禁」と言い渡されて 家事を手伝えと
言われるけれど 自分で全部の家事をして 
あの暑い夏に耐えているのと それなりに家事を手伝って
それだけでちょっと感謝され しかもお昼にお菓子が出てくる!
この差といったらありがたい。本当に 気が楽になる。
これで友人たちに会えたら そりゃー極楽かもしれない。


 一ヶ月目は ひたすらおっぱいをあげてすぎ
二ヶ月目の今になっても 何もできずにいるけれど
独身時代を考えたって 例えば2006年の5月に何をしてたかなんて
明確にこれをやった!といえないだろう。
それに何かを為すには準備期間も必要で。
何にもしてないようにみえても 後のためには
必要な時 そんな時間があるのだろう。


 「本当にやりたいことは何なのか」を
考えようとしても頭が鈍く 考えられぬということは
ピンときてないことでもあって そんな時に
子育てがある それはよかったかもしれない。


 昨日は母に「10年くらい子育てに専念したら?」と
言われてしまい かなりのショックを受けていたけど
「やりたいことがないというのはいいことだ」と母は言ってた。
それだからこそ向き合えるはずの子供との時間
やりたいことが沢山あれば 子育てはストレスになる
だから私の頭はなんだかぼんやりとしているのかな


 専業主婦も専業ママも なりたくないと思っていたけど
やってみれば どちらも一理あるもので
それらをちゃんとやってみてこそ 見えてく道もあるのだろう
母が言おうとしたのは「全てを捨てろ」というのではなく
そういうことかもしれないな


 今は何もやろうという気になれないけれど
ちゃんと身体もゆっくりやすめて 
とにかく抱っこをしていよう。





不安再び

2008年07月28日 | 私の人生

 マタニティブルー第一陣も乗り越えて
横浜にもなんとかかんとか帰って来れて
興奮状態の疲れがでたのか 私も蓮ちゃんも
どこかおかしく 今日はなかなかうまがあわない。


 横浜の実家に帰って わー広いとか感動したのも
つかの間で 朝になって みんながどこかに
でかけてしまうと ここでもやっぱり私は二人。
そしてれんちゃんは泣き叫ぶ。


 今日はお風呂にいれようとしても
泣いて泣いて泣きやまなくて 大いに暴れるれんちゃんを
どうしていいかわからずに途方に暮れつつ
とにかく落としてしまわないよう それだけを気をつけながら
大変なお風呂タイムが過ぎてった。

 普段はお風呂は大好きなのに 今日はもうひたすら泣いて
着替えさえもままならくて 抱っこしないと泣きやまないから
片手でなんとか彼を抱いたまま お風呂の準備を延々として
一階二階を行ったり来たり 本当に 泣いてる彼の目の前の
私が一緒に泣きたい気分。二人って 本当に辛いと思う。


 先日友人が家に来たとき、何でも二人というのは
危険な関係性だと教えてくれた。起業も決して二人でするなと
言われているし、介護や育児が行き詰まるのも 家庭内で
行き詰まるのも 誰かと二人 二人っきりの 閉ざされた関係性の時だろう


 新婚家庭であったところで 閉ざされた関係性は怖くって
私も旦那も 誰かが来たとき 誰かに文句をきいてもらって
その人になだめられ 客観的に見てもらうから なんとか
関係がなりたっていた。そういえばよく人を招いたのは
二人だけでは 会話が物足りなかったからだ。


 とはいえ普通の核家族では 容易に子供とお母さんは
二人になって ちょっと危険で ストレスのある
関係性がつくられていく。育児をはじめて経験してみて
その危険性がよくわかる。わからない上に初めてで
その上自分は眠れてなくて でもやらないといけないことが
山積みになり 何一つおわらないのに子供がわんわん泣き出して
そりゃストレスだってたまるだろう。


 第三者、は 一体どこに居るんだろう?
第三者、は ママ友なのか 帰りの遅い旦那であるのか
それとも実家の母なのか まだ見ぬ関係性なのだろうか
誰かに助けてほしいけど どうしたらいいのかわからない。
もっと風通しをよくしたい。がんばらなくても誰かに会えて
がんばらなくても息抜きできて もっと多くの人に
育ててもらえる そんな環境が私は欲しくて
でもどうすりゃいいのかわからない。

 団地に住んだらいいのだろうか?
桂に住んだらいいのだろうか?
街中のほうが人には来てもらいやすそうな気がする
それともいっそ共同生活にチャレンジしようか?
だけど私はそれにはきっと向いていなくて
第三者 風通しをよくしてくれる 第三者、は
誰なのだろう?


 もっとカフェや路地のように 誰かが通って
誰かに会えて ちょっとした会話をかわして
それで気がちょっと休まる そんな場所はないのかな?
そんなクッションがあるだけで 本当に気持ちが違うだろうけど
それはどこにあるのだろう? 京都にだったらあるんだろうか?
老若男女が言葉をかわして ちょっとしたことで助け合う
三丁目の夕日みたいな そんな世界こそ 子育てには向いていて
今この社会でスポンと子供を産んでしまった
私は不安に駆られてる。





気分転換

2008年07月26日 | 私の人生

 ここ最近は様々な人達の協力のお陰もあって
だいぶ身体も回復し 気分も少しよくなって
ようやく一山越えた感じだ。まだまだ山はあるけれど
とりあえず一ヶ月もすみ 昨日は一ヶ月検診に行き
れんちゃんの体重は想像以上に増えていて賞められた。
母とげんきくんとともにひたすら根気でがんばった
大変だった一ヶ月を ほめてあげたい気分になって
昨日の午後はついに髪の毛をバッサリ切りに行ってきた。


 母や誰かが来てくれる時 一人ではできないことが
できるチャンスで ストレスを抱え込まずに話したり
どこかへ行ったり ほんのささいなことだけで
気持ちが本当に楽になる。昨日はずっと行きたかった
美容院で 豊かな時間を過ごして帰り
今日は1時間ほど許可をもらって ずっと報告したかった
喫茶ゴゴへと向かっていった。


 どうしても そうどうしたって 行きたいほどに
ゴゴはとっても大切で きっと心配されているから
ここで行かなきゃ あと何ヶ月いけないのかもわからないから
出産後初のカフェに行くなら やっぱりゴゴしかないでしょう。


 そうして電車でそこに向かって 暑いさなかに扉をあけると
お客さんは一人しかなく お店のお姉さんはすぐに私に
気がついてくれ カウンターへと向かっていった。

 お店にいた他の人 は かつて通っていた人らしく
マスターの消息を尋ねてて そうなんだ ここはそういう店であり
いつかふらっと 訪ねていって 例え何度も開いてなくても
また今度こそ 開いている日があるだろう きっとそこには
誰かいる と そう思える店なのだ。


 久々に座るカウンターで 私のお腹はもう重くなく
母乳のためにはもうコーヒーは飲めないけれど
一度も注文したことのない 絞りたてのオレンジジュースを
頼んでみる。そうして会話がはじまった。


 マスターのゴゴもよかったけれど お姉さんのゴゴになったら
今度は女の会話ができて 二人の子供の母である お姉さんは
私にとっては人生の先輩だから たくさんのことを教えてくれる。
きっとここには れんちゃんを連れてくるのが期待されてるだろうと
思ったけれど お姉さんはこう言った。

 「一人で来たらいいのよ~ ストレスをためないようにね!」
それをわかってくれる人 が どれほどカフェにいるだろう?
子供と一緒にくるのではなく 旦那と一緒に来るのでもなく
本当は 一人で通ったあの時のように ここは一人で通いたい。

 でも私は 妊婦になって その属性は 仕事と違って
あからさまに目に見えて 隠すことなどできはしないから
みんなが私にこう言った。 「産まれたら見せに来てね!」
だけど本当は子連れできても お母さんは気が気じゃなくて
子供が泣いて うわっと思って 気が休まるカフェじゃない。
子供を見たいのは山々だけど 一人でくることを勧めてくれた
そんなお姉さんのあまりにすてきな気遣いに もう本当に
うれしくなってしまう。


 一人で外に出てみたら 私のお腹はへっこんでいて
もう転んでも 走って何かにぶつかったって
生命を犠牲にしそうな危険はなくて 私がちょっと痛いだけ。
ああもう一人になったんだ。 振り返ってみれば短い10ヶ月
そうして違う関係が 生まれたとはいったところで
私は私になったんだ。


 お母さん ではあるけれど 
お母さん な だけではなくて
私は私であるわけで 私のところに宿ってくれた
れんちゃんが 私を選んでくれたのならば
私らしく 育てればいい。 この先は
どうなることやらわからないけど 
もう弱音を吐いて 沢山の人に支えて貰おう
一人でがんばるのも完璧主義ももうおしまい。

 そういうわけで 一ヶ月間がんばってたし?
明日から横浜にれんちゃん連れて帰ります
さて初旅はどうなることやら、、、




母乳育児

2008年07月24日 | 私の人生

 一ヶ月間子育てしてみて本当に思い知ったのは
子育ては「言うは易し 行うは難し」で
その最たるものが 母乳育児なんじゃないかということだ。


 「母乳っていいよね~」とか「母乳が最高の贈り物!」と
誰かに言うのは簡単だけど 実際に母乳でがんばろうとしてみると
これほど大変なことはなく たぶん私は 赤ちゃんが小さかったのと
自分のおっぱいの形もあって 人並み以上に大変だった。


 陣痛の痛みが終わってようやく子供を出産できて
ああこれで救われるんだ!もう痛みとはさようなら!
きっと腰の痛みからも すべての痛みから解放される!
そう思っていたのは ただの間違い。何も解放されなくて

 私を待ってた痛みの数々。 おしりが痛いのもあるけれど
痛みの中の最たるものが おっぱいが張る痛みであった。


 痛い!痛い!と叫んでも カチンコチンに張ったおっぱいを
助産婦さんに刺激され なんとか母乳をしぼりだされて
痛くて眠れなさそうだった入院生活。それが終わって
やーっとおっぱいになれたところで こんどは針に刺されるような
そんな痛みで蓮ちゃんが吸う。かつて行った母親教室で
おっぱいを吸うときには「ラブホルモン」というホルモンが
分泌されると聞いたけど こんな痛くて 本当に
いいホルモンが出るんだろうか?むしろ憎しみを感じそうなほど
耐えがたい痛みが続く。だって毎回吸われるごとに
敏感なところに針を刺される痛みだなんて?ちょっとさすがに
耐えられない。そりゃやめたくもなるよなー。


 本には「母乳!」と書いてあるけど 実際に母乳で育てている人達は
全体の何割くらいになるのだろう?たぶん想像以上に
その数は少ないだろうと最近思う。じゃなけりゃおっぱいに関する
母親教室に行ったとき「母乳でがんばってよかったことって何ですか?」
なんて質問を 助産婦さんがしないだろう。そこにあったニュアンスは
「大変!だけど それでも私はがんばった!!」という そんな
当然じゃないニュアンスだった。私の勝手な推測では
母乳育児でがんばる人は 出汁を毎日昆布を使って取る人並みの
少なさなんじゃないかと思う 
さて実際はどうなのだろう、、、?


 だって何が大変って 痛みはあるし(乳首が切れることもあるらしい!)
食べる量が半端じゃない。母乳というのは白い血で お母さんは
子供に輸血をしてるらしい。その量も成分献血以上なくらいで
それを毎日続けているなら もうへろへろになってしまう。


 だから母親はへとへとになり めちゃくちゃな量のご飯を食べて
せっせと造血しないといけない。今の私は毎食二人分食べていて
先日げんきくんが冷やし中華を1人前半つくってくれても足りなくて
おとといに友人が来てつくってくれた冷や麦も ぺろりとすぐに平らげて
ちょっと足りない、、、そう思いつつも言い出せないで黙っていたら
友人が気付いてくれた「あれ!足りない?!」私はうん、とうなずいて
どれだけ食べる?と聞いてくれるから「今食べたのと同じだけ、、、」と
返答をすることになる。二人分、必要なのだ。


 けれども二人分必要で しかも母乳にいいのはシリアルでも
パンでもなくて またもや手間のかかる和食が要求されて 
一汁三菜くらいならまだよくっても そんなだけじゃ
ぜんぜん足りない。しかもそれを食らいつくしてしまうから
沢山あっても残らない。そんなご飯を 誰が作るというのだろう?
絶対に へろへろになってる母親自身じゃそんなのは無理!!


 昨日もご飯を作ってくれた友人は 洗濯物の山に囲まれ
ご飯ができてもわんわん泣き出す蓮ちゃんをあやし
睡眠不足でへろへろになった私を見ながら なんとか
全部食べさせてくれ 最後に一言こう言った。
「こんなに山盛り食べなきゃいけない人が これを作れないなんて、、!」
もしも彼女がいなかったなら?私が食べていたのは
コーンフレークかもしれない。


 母乳育児も布おむつも もろもろのいいとされてることたちは
核家族には向いてない。かつての大家族時代だったら
誰かの手 が 助けてくれた。けれども核家族になった今
誰かは通常存在しなくて もし子供のためを思って
かつての方法をとるのなら きっとその人はすべての時間を
そこに割かれて 専業主婦になるのだろう。


 専業主婦という人達は 資本主義の発達とともにうまれたと
かつて習ったことがある。旦那が都会で夜まで働き
金銭ですべてをまかなう時代。自分のことを自分で世話できなくなった
男は 世話してくれる女性をもとめた。 そうして専業主婦ができたらしい

 ちょうどそれは 大家族とか 家庭内手工業の時代から
核家族とか 都市型の大量生産社会に移行した時代であって
関係性が変わった時代。それが近代社会であって
それでその先はどうなのだろう?

 縦の血縁社会から抜け出した今 核家族の孤立化も
かなり問題視されている今 21世紀はどうなるのだろう?
血縁じゃなくてネットワーク?横のつながりが大切なのだと
かつての議論で私は語った。今こそそれを試す時かな
友人の助けを借りてそう思う。近世でも近代でもないのなら
ネットワーク型社会になるなら 何か違う方法を
私は見出すべきなのだろう 

 自分がおかれた状況は そんな答え探しの気もちょっとして
大変だけど 子供を産んで 言葉だけじゃなくどこかに向かえる
そんな気もかすかにしている一ヶ月。






台風二号

2008年07月23日 | 私の人生


 昨日子供が生まれたと友達にメールをしてたら
同い年の友達からは懐かしいニュアンスで楽しい返事が
帰ってきて その中の一つに「もう活動家として英才教育
してるんでしょ?」という言葉があった。

 英才教育?教育、、、? とんでもない!!

 この一ヶ月私がやってきたことは
ひたすらおっぱいをあげること で それ以外に何もなく
我が子は私以上に頑固者で 意志が強くて
彼の意志に振り回されては へとへとになり
ごめんねという毎日だ。 教育というより、、、むしろ下僕??
蓮太郎くんは殿様だ。


 子供ができると赤ちゃん最優先というけれど
我が家で何より偉い人は 今はれんちゃんになっていて
私はひたすら いつ泣くのかとびくびくし
おっぱいをあげては「なんか出ない!」と怒られて
突然目をさました瞬間にひきつけをおこしたように泣かれている日々。
そんな私の唯一の抵抗といえば これを書くのと
おっぱいをあげる前に麦茶を一杯飲むくらい。


 れんちゃんはいいよなー そう思うけど
今日そんな話しをご飯をつくりにきてくれた友人に話したら
「美樹ちゃんはさんざん人を振り回してきたんだから
今は振り回されて当然だ」と言われてしまう
ああそうか もう一人別の友達が「美樹ちゃんに
子供誕生のニュースをきいて 思い浮かんだのは
台風2号というフレーズでした」と書いていたけど
彼は台風なんだなあ!! 私も台風だったけど、、、


 一ヶ月を過ぎたれんちゃんは 本当にもう個性があって
一番の彼の個性は驚くほどの頑固さだろう。
おっぱいもミルクであっても 一度嫌だと思ったら
かたくなに口をへの字に閉じて(私に似てる)
絶対に受け付けない 無駄な抵抗はやめなさい!と
言ってみたって こっちの努力がほんとに無駄で
我が子であるのに 一ヶ月の乳飲み子なのに
こっちが根気負けしてしまう。 最近はもう
その無駄な根気に疲れてしまって まあいいや
れんちゃんがいいなら無理強いしなくて
そのうちできる日がくるだろう と諦めるようになってしまった
これが教育なんだろか??


 個性はとっても尊重したいし 彼の意志も尊重したいけど
しつけって一体何なのかなあ?6ヶ月くらいからと聞いてもいるから
まだそんなこと考えないで ひたすら下僕のように
彼の想いにしたがって 振り回される経験を
重ねていればいいのかな? ほんとに親って難しい。


 お腹の中に居たときは それでも異星人だと思ってたけど
一体感もそれなりにあり だけど出てきて一ヶ月もしたら
本当に別の個人で 母ってなんだかちょっと切ない。
専業ママもいいかもなんて はじめはちょっと思ったけれど
れんちゃんは私の中で育ったとはいえ 完全に別の人格で
私は私、なんだなーー。私のお腹で育ったのになあ
なんだかいつも不思議に思う。生命の神秘だなあ


 レボカフェの日をねらって生まれ 誕生日に
7人もの人を呼び寄せていたれんちゃんは
頑固者だけど なんだか魅力を持っていて
本当に 台風2号なのかもしれない。
親として 息子に負けたくないけれど
あと一ヶ月は確実に ひたすら振り回される日々。






帰りたい

2008年07月22日 | 私の人生

 土曜日から一人になって ちょっと気合いを入れた私は
案の定 身体の調子がおかしくなって 日曜になって
げんきくんが朝ご飯をつくって掃除してくれたのをいいことに
夕方4時まで授乳以外はほぼ寝るという もとの状態に
戻ってしまった。 それほどまでに 今の身体はしんどくて
とてもじゃないけど一人は無理!と痛感していた二日間。


 するとまた マタニティブルーが私を襲い
昨日の夜も泣き出す始末で もう何度泣いたかわからない。
昨日は彼の期待に応えて布おむつに挑戦してみたけれど
コロッケづくりと同じように どんなに手間を省いたところで
しんどいことには変わりがなくて 夜になり
洗濯物の山をみるたびに深いため息をつきたくなって
夜には全部放棄する。


 げんきくんは最近になって どんどん育児参加もしてくれて
いいお父さんになってきたけど 理解しようともしてくれるけど
夕飯だってつくれるけれども なんだか違う なんだか辛い
もう横浜に帰りたい。



 妊娠中の10ヶ月は 何かに似てると思ったら
留学期間とほぼ同じで その10ヶ月を終えてみると
もとの自分には戻れない そういうところも同じだ。


 フランスにいって鬱になった私はここでも鬱っぽくなり
カウンセリングの先生に言われてた鬱対策を思い出す。


 三食ご飯を食べること 
 よーく寝ること、今は無理!
 薬を飲むこと 処方してもらったほうがいいかしら、、、
あとの二つはなんだっけ?
そこで教えて貰った言葉。「まあいっか!」
「小さいことはどうでもいい」 そういうことができたなら
鬱にもならずにすむけれど


 コップに八割はいった水を 8割もあると思うのか
あと2割足りないと思ってしまうか 私は足りないと思うから
だから鬱になるんだそうだ 完璧主義では育児はできない
まあいっか と思おうとしても
なかなかそんなに割り切れない


 妊娠中に張り詰めていた糸が切れ 
甘えてもいいということを知り
大いに甘えてみたくなったら 甘えすぎと言われるけれど
私もずっと我慢をしていた 一度も東京に帰らなかった。
会いたかった友人達にも 時折京都で会うだけで
デラシネの道を選んできたけど デラシネはとても淋しくて
今になって 大家族のもってる良さとか
里帰り出産の合理性とか そういうものがよくわかる。
横浜で育ち 同じ県の人と結婚をして そこで家族を
築いたならば どんなに暮らしやすいだろう
その合理性がよくわかる。


 今日も結局朝からつらくて つらくても蓮ちゃんは
元気に泣いてある時突然ぐずるから もういいや!
自分のやり方でやってみようと 留学中に慰められてた
ミスチルを聴いて 思いっきり歌って彼をあやすことにする。
そういうこともありだって 別に童謡だけじゃなくって
私が好きな曲を歌うこと それだっていいじゃないか
そう思いつつ 目に涙をためながら 留学中を思い出して
午前の時間が過ぎてった。


 留学中は辛かったけど あれがあるから 今の私は
それなりにだけど フランス語もできていて
あれがあるから カフェ研究があるわけで
妊娠初期も辛かったけど あれがあるから料理ができて
そうしてみんな 乗り越えた。

 辛いのは 壁があるのはきっと次の段階に
向かって行ってる証であって
「壁は乗り越えられる人の前にしか現れない」
そう信じてみるしかない。
あれがあるから いまがあるから そう言える日が来るのかな


 なんであれ 今は横浜に帰りたい
弱い私を 弱いままで知ってくれてる そんな友達に会いたくて
たぶん今週末から2週間くらい蓮ちゃんをつれて帰るので
どうか会いに来てください。
 



自立訓練

2008年07月19日 | 私の人生


 昨日の夜に母が帰って 不安で仕方なかった私は
げんきくんが帰ってくるまでの一時間ほどの間にかなり
鬱な気分になっていた。閉ざされた部屋で 音もなく
れんちゃんと二人っきりで 泣くことでしか自己主張のできない
彼の発する意味を探るのがむずかしくって 
昨日は相当ブルーになった。


 閉ざされた部屋にいるのは れんちゃんと二人だろうが
一人だろうが 昔から私にはかなり耐え難いことであり
だから論文も本もここではかけずに 重い荷物を全部持って
スタバへと向かっていった。けれども今は動けない。


 こんな状態がずっと続くわけではないけど
鬱になるのも 寝込まずに済む 身体が元気なお陰であって
だけどいろいろ怖くって 昨日も思わず泣いてしまう。


 ためこんでいたいろんな事をげんきくんに吐き出してみたら
「馬鹿じゃない?」と言われてしまい そこまで馬鹿にされてしまうと
たしかに馬鹿かもと思えてしまい 気が楽になる。

 私は深読みしようとしすぎて だけど彼はこう言った。
「れんちゃんは何も考えてないよ!三歳くらいになったら
聞いてみたら?」確かにそうかも。そうなのかもな
私は子供に慣れていなくて 子供慣れしてるお母さんや
げんきくんがうらやましいと思ってたけど 彼はこう言ってのけた
「適当な事を言ってるだけだよ」そうなんだ。。。


 そういえば 助産婦さんも 母もなんどか
ほんとかよーと思うようなれんちゃんの言葉を私に代弁してくれて
彼が本当にそう思うのか 何も思っていないのかなんて
今は誰にもわからないから いつか尋ねてみるしかない。
だけどきっと 私にとっても とんちんかんな返事が返ってくるのだろう


 新米ママになった今 子育てはとても大変で
そんな私を母は見守り 私を自立させようとした。
そして今日の朝になり げんきくんは朝6時半には部活に行ってて
取り残された私は気付く ああもうれんちゃんと二人きり。
蝉の声がミンミン鳴いて れんちゃんの声に起こされる
そんなある日の夏の朝 は 私にとってはじめての 二人きりの
夏の朝。 はっと気付いた もう誰も いないんだ。


 きっと18歳くらいになって 東京に上京してきた
一人暮らしの学生さんは こんな気分なのだろう
見知らぬ土地で 一人になって これまでとまるで違った人生
でもその一日目の気持ち は なんとも複雑なのだろう。


 そうして私は母のつくったリズムとともに
朝ご飯をつくりはじめて 洗濯をして れんちゃんに
おっぱいを与え それからやっとご飯を食べて
洗濯物を干してみて そしてつかれてまた眠る。
全部のことはきっとできない。まだまだ身体はしんどくて
しかも母乳のせいで二人前を食べるようになってしまった
私の身体を保つため、の料理だなんて とても三食つくれない。

 
 はじめは不安になっていたけど まさに「24時間待ったなし!」で
あれやこれやをしているうちに 昼ご飯が片付いたのが夕方四時で
夕飯なんて とてもじゃないけどやりきれない。
本当に子育てするって大変だ!!


 子供と一緒に泣きたくなるけど
一番大変な時期というのは 一番かわいくできているという
言葉の通り 寝顔をみたり ようやく遊びを覚えはじめた
れんちゃんをみると そんな心も溶けてくる
一人で家で 閉ざされていて 嫌だけど
人を呼べる気力もなくて 仕方ないから我慢して
一週間もたったころには 一緒に外出できるかな?
やっぱり私はカフェにいきたい やっぱり私は外に出たい
そして沢山の人に育ててほしい それまでもうすこしの我慢、、、




産後

2008年07月18日 | 私の人生

 妊婦よりはあまりしられてないかもだけど
産後の身体は妊婦並、にしんどくて
21日間は床上げしない、21日間は人の世話になって
布団をひきっぱなしにするそうだ。


 そんなこと、は妊娠も後期になるまで
むしろ6月くらいになるまで知りもせず
知ったところで「一ヶ月も外出禁止!?信じられない」と
思ってたけど 産後の身体はしんどくて
「床上げしない」どころではなく「床上げできない」
「外出しない」なのではなくて「外出不可能」なのだと知った。


 妊娠初期も辛かったから 全然外には出れなくて
うちから河原町三条にまで 歩いていくのが精一杯で
だけど今では河原町三条なんてまだもっての他で
とてもじゃないけどあの橋なんて越えられない。


 それでももう産後25日くらいが経過して
今週は母も私に自律訓練をさせていて
不安になったりブルーになったり げんきくんにイライラしたり
子供と一緒に泣きたくなってた そんな私に「気分転換してきなさい!」と
その日は私に外出させた。


 さあどこに行こうかと 思い悩む暇もなく
その日は祇園祭の宵山の日で 今日しかない
蓮ちゃんのために祇園祭のてぬぐいがほしい
ずっとそう思ってたから 行ってしまおうと心に決めた。


 その日まで 外出したのは2回しかなく
一度は目の前の保育園のバザーの日で 1時間も行ってないのに
身体はとってもへとへとになる。もう一回目は三条の駅のATMで
それすらとってもへとへとで ああだめだ 外出なんて
不可能なんだと思っていたけど その日はほんとに鬱々してて
このままじゃやばいと思ってた。


 タイムリミットはつぎの授乳までの2時間で
その間に 烏丸御池でほ乳瓶を買い、祇園祭に立ち寄ってくる
それが私の計画だった。化粧などする暇も余裕もまったくなくて
着ていた服に上着を羽織って 地下鉄に乗って繰り出した。


 久々に見た外の世界は 私にはまるで異世界で
1時間くらいの間は 本当に異邦人になっていた。
何の関係もない世界 かつて属していた世界 
だけどもう遠い世界で 京都のこの街 学生の集うこの街は
母になった私には遠い とっても遠い存在だった。


 けれども三条で新しくできた伊右衛門のティーサロンを
発見し 美しさ、に心引かれて どうしても見てみたくって
店の扉を開けてみて それから風呂敷やさんに行って
蓮ちゃんのガーゼタオルを選んだり 時間がおすのを覚悟の上で
また鯉山を見に並んでみたり そんなことをしているうちに
産後のホルモンのバランスで 随分と見失ってた
またしても消えかけていた 自分というのを思い出す。


 結局のところ 一人のときには 暇つぶし、にしていたことも
いっぱいあった。美術館さえ 暇つぶしだったのかもしれないけれど
だけど私は美しいものに心ひかれて 日本的なものに心震える
そんな感性を持っていた。そんな事を思い出せた宵山で
意外にももう体力は 思っているより回復してて
午前中にはイライラのピークに達した私でも
帰ってきたら余裕のある自分に戻ってありがたかった。
これぞ 私の母の愛、、、


 産後は特殊な状況だけど つらい産後を耐えてるうちに
気付けばもうすぐ4週間で そろそろ蓮ちゃんも外デビュー。
やっぱり気分転換は必要だから 抱っこヒモと授乳服で
早くおそとデビューがしたい。 明日からはついに一人
さて どんな運命が待ち受けるやら、、、





三週間

2008年07月15日 | 私の人生

 蓮太郎君がこの世に生まれてもう三週間が経ってしまった。
そんな今日7月15日はちょっとした記念日で 何かというと
彼の本来の予定日なのだ。三週間も早くこの世に誕生したから
蓮ちゃんはちょっと小さくて おっぱいを吸う力だって
他の子に比べて随分弱いものだったけど「予定日までは忍耐しなさい」
そう助産婦さんに励まされ 小さいなりにがんばってきた。


 授乳室で授乳をしてても 他の子は生まれたばかりで
静かにお乳を吸っているのに 蓮ちゃんは三人がかりで
声をかけられ 半ば無理矢理飲まされていた。それでも
彼は自分の意志を大切にして 生後5日めで頑固と言われた。
「誰に似たの?」もちろん母親に似たんでしょう。

 
 どうして私はこんなにも我が子を励まし励まし飲ませてるのに
隣の人は無言で授乳をしてるのだろう?それが不思議だったけど
ようやっと「予定日」になり 満期になって
彼の哺乳力がついてくる、と あー無言でもできたんだ!と
納得がいく。


 そんな状況だったおかげで 吾等の母乳育児は
ありえないほど大変で 奮闘 むしろ 格闘の連続で
今でだって まだぎゃーぎゃーに泣くけれど
美しい母子のイメージと裏腹に 吾等はおたがいに
向き合っては疲れ果て 終わったら寝てしまうの繰り返しなわけだけど
そんなことにもようやく慣れてきたのかな。


 三週間がたってみて れんちゃんはようやく
今生まれた子と同じスタートラインにたってみて
私は私で21日間の「床上げ」もそろそろ終わり
少しずつ家事にも慣れてかないといけなくて

 どんな風になるのかなあ このペースに
うまく家事をくみこんで なんとかやっていけるのだろうか
子供が生まれて想像以上に家事のハードルは上がってしまい
母乳だとさらにそれに輪をかけられて
しかも自分はくたくたで なんとかやっていけるのだろうか


 とりあえずまた母が来てくれてるうちに
少しずつ 少しずーつ かつてのように
家事に身体を慣らしていこう 





プライオリティ

2008年07月12日 | 私の人生

 妊娠中は 独り身の最後の時間、そう思って
好きなことをさんざんやってはきたけれど
子供を産んで ちょっとしたすきに
さーて私のやりたいことって何だったけと思ってみると
なんだかずいぶんぼやけてる。
頭にもやがかかった感じで
これはホルモンのせいなのか なんだか恋愛中みたい。


 これでもか、と思うくらいに 妊娠中には
自分の心に素直になって 自分がこれだと思うことを
それなりにやってはきたけれど いざ産んでみて
違う生活がはじまると あのときに確信してた
多くのことは また自分にとって違う色でうつりはじめて
あんなにも重要だと思っていた多くのことも
過ぎ去りしことに見えてしまう。


 今となっては蓮太郎君がプライオリティの
最高順位を占めていて それどころ、か
第三位くらいまで占めているけど はてさて
四位は?何だろう?今の特殊な状況だからか
あんなにもやろうとしていたことが 今はなんだか浮かばない


 それに加えて 以前は絶対嫌だといってた
げんきくんの勤務先付近への引っ越しも
彼の育児休暇を経験した後 それもいいかと思えてしまう
友達もネットワークも大切だけど
それ以前に大切なのは やっぱり家族や毎日触れるものたちで
こんなにも家にこもる生活になってしまうなら
桂に住もうが 三条に住もうがなんだかあんまり変わらない?
だったらも少し 家自体の環境がいい そんな家で
心地よく 旦那の帰りも早くてもっとふれあえる 
そういう生活がいいのかも。


 子供を産んで あまりに多くの価値観たちが
また音をたてて崩れ初めて そぎおとしたと思ったものが
まだまだ まだまだ そぎおとせると そんな事実に気付いてしまう
無駄なものは 沢山あって そういうものから脱皮して
第二の人生にいくのかな


 ご飯はつくっていたけれど 「家族」だなんて考えなかった
だけども三人は「家族」になって 違う歴史がはじまるのなら
まずは家族を中心として そこからはじまる そんな
生活もいいのかも。今の我が家も思い出に満ちているけれど
父親不在の生活は嫌だ。私もちょっと価値観をかえて
少しばかり 桂に住んでみようかな、、、







案ずるより産むが易し

2008年07月11日 | 私の人生


 日本には語り継がれるすてきな格言があり
「案ずるより産むが易し」というけれど
今では出産はけっこう恐怖のまなざしでみられるもので
案ずるよりも産むが易し?と思ってしまう

 けれどもうちの母もこの言葉をよく使い
論文の時も大変な目にあってるときは「生みの苦しみ」
不安なときには「案ずるより産むが易し」と言われたものだ。


 私には今ごろ出産予定の友達がいて
本当は私と予定日が同じくらいで 7月に入って毎日
不安な気持ちで時を過ごしてる そんな心境が伝わってくる
一体いつ生まれてくるのか 果たして無事に産めるのだろうか
どれくらいの痛みなのか 自分は安産できるのか

 そういうことを 心配したって 将来の不安と同じように
どうにかなるというものでもなくて 案ずるよりはやってみること
それが重要なんだけど 期間が長けりゃながいほど
不安な気持ちになるのだろう

 
 私も家事と育児の両立に 不安を覚えてみたけれど
それだって案ずるより産むが易しで やってみたら たぶん出来る
だってみんながやってることだし そもそも鬱になっていくのも
暇だからこそな気がしたわけで それならちょっと家事をやったら
そこから脱けていけるかも そう思ったら気が楽になる


 案ずるよりも産むが易し。


 ところで私のお産はといえば 直前まで好きなことをやってたわけで
案ずる暇を案じていたら そんな暇などやってくる前に
我が子は生まれてきてしまう。 

 生まれたときは 感動でもエクスタシーでも二度としたくない経験という
わけでもなくて 痛かったけど そりゃこんな大きな赤ちゃんが
自分の中から出てくるためには 痛くて当然だよなと思った
だけどあと2年以上はこりごりだ 産んだときにはそう思う

 けれども我が子はかわいくて こんなにもかわいいのなら
しかも二人目以降のお産が楽だというのなら 一度経験してみたら
もう「経産婦さん」になるわけで アドバンテージを持っている
それなら産んでもいいかなー そんなことを思ってた
意外にも妊婦生活もそんな大変でもなくて 
細い割には安産形と言われたりして 悪くないものかなーと思う。


 陣痛は確かにとっても痛かったけど
私にとってはつらい飛行機の中にいるような感じに似てて
自分にとっては10何時間の苦行でも 他人にとっては
一晩すれば「もうフランスから日本についたの?」という、そんな感じだ。
私にとってはどんなにつらい痛みでも その時京都に遊びに来ていた
私の友人にとってみれば 彼女の友人と観光をして飲み明かしてる
そんな一晩が過ぎてしまえば 朝にはきっとうまれてる
彼女にしたら「そんな時間に生まれてきたの?」その程度のものだろう
そう思ったら 10何時間も怖くない。


 実際に陣痛の時の時間も つらい飛行機の中に似て
暗い部屋を一人でうろうろさまよってたり マッサージを
してみたり 足腰を動かしてみていたり そうして時が経過する
飛行機とただ違うのは「あと何時間で到着」という 
あの秒読みの画像がないことで それだけは 神のみぞ知る
そう助産婦さんに言われてた。


 思ったよりも 入院してから時間がたっても
早い波での陣痛は来ず ああこれはこの子は日を越す気なんだ
私がレボカフェをやろうと思ったその日を選んで
まさに生まれてくるつもりだと 私は直感でわかってしまう
そうして夜中に分娩室へ そこから全部で三時間?
痛かったけど ちょっと強面の助産婦さんに
「弱音を吐くんじゃない!!」と怒られながら
なんとかなんとか痛みに耐えた。だって仕方がないじゃないか
痛くないと子宮口が開かないのだと言われたら
それに耐えるより仕方がない 痛くなかったら生まれてこない
生まれるためには仕方ない。


 あんな痛みのまっただなかで「リラックス!リラックス!」と
言われても どー間違ったらリラックスなんてできるんだろう?
そんな私がとった方法は試験と同じく自己暗示。
大丈夫、絶対出来る、リゾートのようなイメージを
無理矢理頭に浮かべてみては なんとか自分をごまかして
結局のところ 私のお産は本能でもなんでもなくて
随分理性にたよってしまった そういう意味では
いつもの自分らしいような そんなお産になっていた


 お産の前でもお産の後も いろんな痛みが待っていて
つらいこともたくさんあるけど いつも私を助ける言葉は
「大丈夫!全部うまくいっている!」の自己暗示
そうして全部乗り越えてきた そして今回もそうだった。
妊婦生活もお産の仕方も十人十色で自分が選ぶ
私のお産はそんなになった とにかくちゃんと安産で
蓮太郎君も元気げんきで 早かったけど その分
彼と交流できて 私にとってはやっぱり全部がいいタイミング
産むのは大変だったけど 生まれてみればあっという間で
きっとそういうものなんだ







マタニティブルー

2008年07月09日 | 私の人生

 子供を産んで一ヶ月くらいの間には
身体の不調なだけじゃなくってホルモンのバランスが崩れるせいで
マタニティブルーになるらしい。

 私が産んだ産院では かつて鬱のときにお医者さんから
飲まされていた抗鬱剤がお薬の中に処方され
懐かしい想いで飲んでいたから なんだか元気だったけど
家に帰って薬もなくて 手伝いに来てくれていた母もいなくなり
だんだんと涙もろくなってきて 昨日で泣いたのは三日目だ。


 ホルモンバランスの変化であるとか 育児に対する不安だとかと
本には書いてあるけれど なんだか私は淋しくて
家族が三人になったというのに その三人という小さな単位に
なんだか不安を覚えてしまう。三人って 小さいな、、、


 大家族のように見えたとしても 靍森家だってはじめの頃は
たった三人の核家族。うちの実家も核家族。それが四人になる日があって
時に六人になってゆく。はじめは誰でも三人で 親になったばかりの
両親と 子供で一緒に育ってく。


 京都という離れた土地で 選んでしまった核家族。
出産を終えたとたんに初めて気付く。私も親になったんだ。
親を批判するのは簡単だけど 親になるのは難しく
子供のためにやってるつもりが ほんとは子供のためじゃなかったり
そういう気持ちがよくわかる。こうして試行錯誤をくりかえし
なんとか親になっていく。


 けれども一人は淋しくて 先日までは母がいて
今はげんき君が育児休暇をとってるけれど そのうち私は
一人になって ずーっと子供と向き合っていく。
わかるのだろうか?できるのだろうか?家事も全部?
そんなことが可能なのかな 想像するたび不安になっては
核家族ではない家がうらやまくなってしまう。


 自由にはいつも不安と淋しさがつきもので
あたたかそうに見える何世帯かの同居には
私には耐え難いような束縛がそこに待っているわけだけど
静かじゃなくって賑やかな 家族の歴史があるような
そんな楽しい家族がいい。一人を産んでみてやっとはじめて
もっと子供がほしいと思う。一人っ子は楽そうだけど
それではなんだか辛そうで 私にも新しい家族の歴史がほしい
母や祖父母や靍森家の両親達が 自分でもがいてきたように
はじまったばかりの私の「家族」 そこにも歴史があるだろう
はじめはみんな不安があった だけど「案ずるより産むが易し」で
なんとかやっていけたらいい

 子供達の笑い声 それが風と共に通りぬけるような
そんな家庭になったらいい 

母になる

2008年07月06日 | 女の生き方

 我が子を産んで気がついたらもう二週間が経っていて
その間今日まで一度も外出もせず 一回もコーヒーも飲まず
もちろんカフェにも行くことがなく ずっと部屋にいるけれど
それでも全然文句がでない そんな自分に驚いた。


 母になるとか 良妻賢母という言葉なんて
まるで好きではなかったけれど 子供を産んだら
母という運命が待ち受けていて 意外にもそれは
すんなりと受け入れられる運命だった。

 
 子供を産んだその当日に 病院に来た友達は
「美樹の顔が母になってる!」と驚いていた。
昨日までは 友人とパスタを食べて 一昨日までは
お茶のお点前をしていた私が ある日を境に母になる。
第二の人生が始まったのだ。


 母性本能という言葉だって 私は嫌いだったけど
その本能というものは 子供を産むとようやくでてくる
ものかもしれず 本能的に 子供がほんとに可愛くて
私と私の手伝いに来ている母が毎日毎日交わす言葉は
「暑い!」と「れんちゃん可愛い!!」ばっかりで
この子のためなら、と思えてしまう そんな自分に驚くばかり。


 母の愛って ほんと深くて ほんと無償で
涙が出そうになるけれど 童謡を聴くたびに
そらで歌える自分に気付いて母に感謝をするけれど
我が子に向かって童謡を歌う そんな自分には
なんの「わざわざ感」もないわけで
我が子だからこそ 自然にできる 自然に歌が出てきてしまう
そういう愛が 母性本能なのかもしれないなあと思う


 たくさんの奇跡的な確率の中 妊娠をして
子供が生まれ その子が大きく育ってくなんて
ましてや結婚をするだなんて 親にとっては
信じがたいほどありがたいことなのに
だんだんとそれが当たり前になってきて
ついつい欲が出るらしい


 けれどもはじめはみんなが思う
ただただ元気で大きくなあれ!
どうか元気に育ってほしい
そしてすてきな家庭になったらいい

誕生

2008年07月03日 | 私の人生

 ご存知の方も多いかと思いますが
なんと10日前に我が子が誕生しました!
思いもかけず早い誕生になってちょっと小さめの
赤ちゃんですが元気でかわいい男の子です。

 妊娠してからの10ヶ月間は人生で一番
ドラマティカルで、どうして妊娠10ヶ月を
テーマにした映画がないのか不思議で仕方がないくらい
女にとって考えさせられることの多い10ヶ月だと思いました。


 結婚も妊娠も出産も自分の人生とほど遠いと思っていたのに
友人達より早くにそんな経験をすることになり
不思議だなーと思っていますが やってみると
どれも大変大変だけど 悪くもないのかなと思います

 結婚はどーなんだろー??と思うことが多々あった
一年間ではあったものの、子供がうまれて「家族」ができると
子供が隣で寝ているだけで幸せになり
ああそういえば 幸せってこういうお金とか関係のないところに
あったんだよなーと久々に思い出しました。

 二人とは思っていても独り身のような妊娠時代から
誰の目からみても二人に移る「親子」の時代に突入をして
母は強くなろうとしています。喜怒哀楽全部があっての
この家での生活や思い出があり 家族という絆があって
なんだか素晴らしい縁の中間地点に自分が立っている気がします。


 とにかく我が子はかわいく本当に愛しいです
当分は家から出られない状況が続きますので
気が向いたらかわいい蓮太郎(れんたろう)君に会いに
遊びに来てください。

フランスに行くなら

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