alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

急進主義に走る若者達

2015年11月30日 | フランスあれこれ


「イスラムは愛と平和の宗教である。」
それは耳にタコが出来る程、1月のテロの後に
イスラムの地位ある方々が語り続けていたことだ。
そして彼らはなんとかして1月のデモに
イスラム教徒の人たちにも参加するように呼びかけて、
彼らなりに発言しようとした。
それは今回も同様で、ラジオに出演していた自身も
イスラム教徒という男性は、バタクランの前で
マルセイエーズを歌ったイマムの姿に非常に
心を打たれたと言っていた。

「イスラムは愛と平和の宗教である・・・」
けれども1月の私にはピンとこなかった。
何故こんなにもイスラムを代表する人たちは
「愛と平和」を強調し「それは自明のことである」
(もはや説明するまでもない)という態度を示しているのに、
一方では同じ「イスラム」という名のもとに
世界で散々な行為が行われているのか・・・
その後私はかなり勉強したと思う。イスラムに関する本も
何冊も買い、モスクにも行って説明も受け、1月のテロに関する
イスラムの人たちの講演会にも参加した。
でも正直謎は深まるばっかりだった。

そしてやっと今回の事件の後の分析に触れ、
自分の中でその謎が解けてきたように思う。
イスラムはおそらく実践の宗教なのだ。
もちろんコーランは大事とはいえ、日々の実践、
生き方でこそ、イスラムの在り方がわかるのだろう。
だから彼らは態度で示し、「わかってよ」というのだろう。

それに対して私は理解するために本から入ろうとしてしまい、
本を読むともちろんコーランが引用されており、
その中には恐ろしい表現や「目には目を・・・」的な
言葉も説明されている。そこがイスラムとの出会いになり、
言葉通りに受け取ると、おそらく誤解が生じるのだろう。
なぜなら「原理主義」というのは言葉通り、教典に書いてある通りに
実践せよという方法だから。原理主義はイスラムだけでなく、
ユダヤ教やキリスト教にもある考え方で、シャルリーエブドは
この「原理主義」を批判していた。理想と現実が対極にあるのなら、
教典そのものと現代社会にも矛盾はつきものだ。
それをどうすりあわせてやっていくか・・・
すべての宗教はそれなりに近代社会の変化に合わせ、
少しずつ変っていった。だが原理主義はそれを認めない。
そして教典から入り、それだけから宗教を理解しようとするのは
キリスト教を理解するために教会に通い、牧師さんの説教をきいたりせずに
ひたすら聖書を読んで理解した気になるのと似ているように思う。
だからそこにズレが生じ、イスラム教とイスラム原理主義との
混同が生まれてしまうのだろう。


なぜイスラムをきちんと信仰し、実践しつづける人たちが
1月のパリのテロリストや「イスラム国」に対し
「あんな人たちは関係ない!一緒にしないで!」と叫ぶのか。
それは彼らの言うように、本当に関係ないからだろう。
ところがどうも日本ではイスラム教とイスラム国、
テロリストが微妙に混同視されているように思う。
「イスラム教の人たちがヨーロッパで差別にあって、
それでこんな事件を起こしちゃったんでしょ。
イスラムの人たちも可哀想・・・」これは同情しているようで
実際には彼らが一番恐れ、嫌がっている「混同視」ではないのだろうか。
今回のテロ犯やジハードに参加するフランスの若者たちに関する
記事をできるだけ多くチェックして、それなりにわかったことがある。
まずテロに参加する若者の多くは確かに移民二世ではあるが、
ほとんどの場合もともと経験なイスラム教徒ではなかったということだ。

これは私たちの状況を想像してもいえる気がするが、
敬虔なイスラム教徒は普段の生活においてイスラム的在り方とは
なんであるかをよく知り、それをできるだけ実践しているとする。
そんな人たちに対しては、人殺しやあえて平和を乱すことは許せないし
あり得ない。(もちろん人殺しは大罪)小さい時からモスクに
通い、実践している人には理解不能なことだろう。
(だから彼らはものすごく嫌な顔をして「一緒にしないで!」と
言うし、「イスラム国」への報道に対し、混同視されないように
「イスラム」という名を使わないように世界の報道機関に
訴えたのもイスラムの人たちだ。だから「イスラム国」は
ISとか、フランスではEIとかDaeshと報道される。
ちなみにオランド大統領はその点ものすごく気を使っている)


けれどもイスラムとは何かをよくわかっておらず、
ちょっとした不満をかかえ、軽犯罪歴のあるような
若者達が誰かにそそのかれ、イスラムとはこういうものだ、
世界はこんな酷い状態にある、君も武器をもって
ともに戦おうではないか・・・と洗脳された時、
残念ながら教典の一部をおどろおどろしい解釈で
読み取る事も可能なのだろう。とはいえ彼らの多くは
イスラム世界のために!というよりも、自分たちの
承認欲求をみたしてほしい、くすぶる気持を
正当化し、暴力さえも正当化してくれる心地よい
「何か」に出会った、ただそれだけのことだと思う。
フランスのジャーナリストや知識人はがっくりさせるような
事実を教えてくれる。ジハードに参加したフランス人が
その直前に「馬鹿でもわかるイスラム教」という本を
ネットで購入していたこと。ジハードに加わる
者の30~40%は新たに(急進)イスラム教に
改宗した者であること(つまりそれまではイスラムなんて
しらないで生きてきたし、「イスラム教であるが故の
差別」を経験したこともない者だった)フランスで急進主義として
目をつけられている者の3分の2が15歳から25歳までの
若者であること・・・

私が経歴を読んで来たテロに関与してきた者達は
どちらかというと「イスラム教徒だから差別にあって」というよりも
家庭が貧しく、両親が離別や死別といった苦しい生活環境の方が
目立つように思う。それなりの生活をしているイスラム教徒の人なら
きっと子供達をかまってモスクにも連れて行けるのだろうが、
子だくさんで片親になってしまったような場合だと、
貧しさ故に子供に構う暇も余裕もない。
どちらかというとそんな環境で生まれてしまった
心の空白、誰も自分に構う余裕がないという淋しさを
うめたい、すこしでも注目されたいといった思いで
まずちょっとした盗みがはじまって・・・という
貧しさ故の辛さの方が目につくように思う。

心の空白、満たされない気持、だれも自分をまともに
構ってくれない・・・そんな時、やさしく寄り添ってくれる
「師」に出会い、彼のもとで自分が生まれ変わっていく。
急進派になって「テロリスト」として死亡した若者の
友人達はたいてい口を揃えて「昔はそんな人じゃなかった。
やさしい子だったのに・・・」と言うそうだ。

移民二世でテロリストになった者達は両親の宗教や文化も
しっかり引き継いではおらず、フランス語も両親より上手く、
西洋文化の中で普通にお酒を飲み、女の子をナンパするような若者だった。
ところが彼らは急に「別人」になる。そして名前を変えることすらあるらしい。
今までコーランをしっかり読んだ事もなければお酒を飲み、
ヴェールもまともにかぶらなかったような人が突然
ヴェールをかぶり、気付けば全身を覆うヴェールになっている。
(でも彼らが全員「イスラム国」に賛同しているわけでもなく、
シャルリーエブドを襲撃したクアシ兄弟の妻達は
全身をヴェールで覆っていたが「そんなのありえないよね」と
話していたという(夫も賛同していたそうだが・・・))
そして彼らは世界全体に対して戦を挑み始める。
西洋文明だけでなく、世間と折り合いをつけている
今日のイスラム教の在り方も目の敵にして、
全ての「間違っている」ものに対して戦いを挑みはじめる・・・

これはイスラムの問題というよりは急進思想に染まる若者の
問題といえるのではないだろうか。私にはこの問題は
学生運動の時代の連合赤軍やオウム真理教にはまっていった
若者たちの問題により近いように思えてしまう。

おそらくそれほどまでに
穏健なイスラム教徒と、超急進的なイスラム(の名を借りた
人たちの集まり?)の間には隔たりがあればこそ、
穏健的なイスラムの高い地位にある人たちは
「あんなものはイスラムではない!」と言うのだろう。
何故彼らが急進思想に走ったのか?それは貧しさであり
教育の問題でもあるかもしれない。手っ取り早く自分の
心の乾きを満たし、「答え」を教えてくれるもの、
それが「解決策」であれば、何だってよかったかもしれない。
フランスではある時急に自分の息子がシリアに行ってしまう人が
いるという。その親の哀しみといったら半端ではなく、
「ドイツに行くっていっていたのに・・・」と泣きそうに
なりながらインタビューに答えている。
何が?どうして?彼らをそうさせてしまったのか?
麻薬のような魅力をもった解決先の向こう側には
死が待ち受けている。私には彼らの心の乾きは
激しい承認欲求のように見えてしまう。


参考文献 Le Mondeより
Olivier Roy, "Le djihadisme est une révolte générationnelle et nihiliste"
"Pour les désespérés, l'islamisme radical est un produit excitant"
"Hasna AÏt Boulahcen, entre vodka et nijab"

 

オランド大統領

2015年11月28日 | フランスあれこれ
 テロが起きてから2週間後の金曜日、
パリのアンバリッドで犠牲者への追悼集会が開かれた。
そこで演説する人はたった一人、フランソワ・オランド大統領だ。
彼は月曜日にはキャメロン首相と会談し、火曜日には
ワシントンに飛びオバマ大統領と会談。水曜にはパリで
ドイツのメルケル首相と会談し、木曜にはモスクワに飛び、
あのプーチン大統領とさえも合意を得る程に
世界を必死に駆け回っていた。そして今日、
アンバリッドで犠牲者の家族の前に追悼集会が開かれて
犠牲者の全ての名前が読み上げられた。
犠牲者の多くは35歳以下の若者だった。
彼らは生粋のパリジャンばかりではなくて、
129人の犠牲者は17カ国の国籍が入り交じっていた。
パリの超お金持ちの地区ではなく、若者達が
楽しく語り合う金曜の夜、まさにサードプレイスで起きた惨劇。
何故こんな場所で・・・という疑問に対し、
パリ市長やオランド氏らは多様な人が入り交じって
楽しそうに過ごす場所がテロリストには許せなかったのではと捉えている。


 今回もオランド大統領が演説をするというので私は
France 2の中継を観ようと思いパソコンを開いていた。
彼の表情はまさに曇っているとしか言いようがなく、
昨日まで世界を駆け巡っていた力強い人とは別人のよう。
私は約15分間の演説を聴き、全て理解した訳ではないにしても
1つの事に気がついた。彼は本当に苦しんでいる・・・

 1つの国のトップとして、あの日からどれほど動いてきたことだろう。
彼は眠っているのだろうか?楽しくサッカーを観戦していたときから
目の前の世界は一瞬にして変ってしまった。
テロがわかってから即座に指揮をとり、突入作戦終了後にはバタクランに駆けつけた。
鳴り響く救急車や警察車両、救護される人たちを目にして彼は
何を思っただろう。ラジオとインターネットの新聞からだけでも
ものすごい惨状が伝わってくるというのに、彼は国のトップとして、すべての
現場を見ていった。そして今日彼は犠牲者たちについて語った。
彼らの年齢、どんな職業についていたのか、ミュージシャンも多かったこと・・・
学生、ジャーナリスト、公務員、アーティスト、様々な職業の人が
入り交じり、国籍も肌の色も宗教も混じっていたこと・・・

 空爆を指揮する傍らで、彼はこと細かに状況を把握し、
演説原稿をいちいち仕上げ、自らの言葉で語り続ける。
彼の言葉は出来合いの言葉ではなく、彼自身の気持がこもっている。
それは「イスラム国を何が何でもぶち倒せ!今に見てろ!」というのとは違う。
私は彼ほど言葉を選ぶ人を知らない。
彼が一切「イスラム国」とイスラム教徒を混同しないように
どれほど言葉に気をつけているかは演説を聴くだけですぐわかる。
1月のシャルリーエブドの事件の際の彼の対応や呼びかけに
私は心底感動していた。「今から大統領の演説です!つなぎます!」という
フレーズが入るたびに フランス国民でもない私は
熱心にラジオに聞き耳をたてていた。
私をまず感動させたのは、彼があの事件の直後に
わざわざ予定を入れ替えてまで、アラブ世界研究所で開催される会議に
演説をしにいったことだ。彼はあの状況の中でイスラム教の
地位ある人たちに呼びかけた。「アラブ世界と西欧の交流の歴史が
文化を育んできた。いまこそ新たな文明交流をしていこうではないか」
そして彼はこう言った。「イスラム急進主義のテロの一番の犠牲者は
イスラム教徒の人たちである。」
彼はことこまかにイスラム世界の歴史や文化的役割について
語っていた。きっと沢山の国を訪れて、本当に敬意を表していたのだろう。
このことは日本ではほとんど報道されなかったけれど、私は
彼があえてとったこの行動に一人心を打たれてしまった。

 「寛容の精神」それを1月に見せたのは彼ではなかったか?
けれどもあまりにも寛容にしすぎた結果、また甘くみられてしまった。
ヨーロッパの境界はゆるすぎだった。国境をコントロールした後でさえ
ベルギーに逃げていけるテロの犯人。取り締まりを強化したはずなのに
再びパリで起こった大惨事。殺戮現場がどれほどの惨状だったかは
生存者の証言をラジオで聞いただけでも鳥肌が立つ程伝わってくる。
血のしたたる現場を1年で2回も自ら目にした国のトップが憤り、
断固たる態度をとろうとするのも当然のことだろう。

 それでも今日アンバリッドにいた彼は、14日に演説をした彼とは
別人のようだった。どちらかといえばその人は、1月のテロの後
それでも連帯を呼びかけていたあの人に近い口調で語っていた。
彼は本当に苦しみ続けていたのだろう。自分がとった寛容政策が
いけなかったのかもしれない。テロを起こしたわけではないが
危険人物とにらんでいた人たちのリストはあった。
そこをそのままにしていたからか・・・その反省から非常事態宣言が
延長されることになったのかもしれない。彼は議員達を急遽ベルサイユに
集めて演説し、最終的に非常事態宣言の3ヶ月の延長はほぼ
満場一致で可決された。

 社会党で左派の大統領は空爆もシリアへの介入もためらっていた。
イラクの事態で反省していた国際社会のトップ達は
また泥沼になるのを懸念して介入を躊躇していた。その結果起きた事は?
シリアでは化学兵器で市民が無惨に殺され、イスラム国は
勢力を伸ばし、ヨーロッパやアフリカでのテロを次々引き起こしている。
(チュニジアでも先日テロがあり、10人以上が亡くなった)
キャメロン首相はオランド氏との会談の後、議会に向けて語りかける。
「今行動を起こす事によるリスクと、行動を起こさないままでいるリスクと、
どちらの方が高いのか?」おそらくそれは、出会うたびに
彼らをなんとか説得していくオランド氏に言われたことなのだろう。
誰だってリスクはよく知っている。反対意見も知っている。
アメリカもイギリスも議会は慎重な姿勢を見せていた。
だから介入はしなかった。そこをイスラム国が嘲笑い、勢力を
伸ばしていった。空爆による被害、イスラム国へ動員されること、
そこで奴隷になることや、批判して殺されること。
シリアを逃れ、故郷への想いを抱きながら難民として生きること。
他に選択肢があるのなら、きっとそれが一番いいだろう。
シリアの問題は入り組みすぎて何が最善なのかを理解するには
それだけでも相当の努力が必要だし、簡単にはわからない。
世界の知識人だって、明確に一致した答えがない状況なのに
状況を正確に把握しきっていない一市民が急いで出した答えの方が
的を得ているとも言えないだろう。


 私がオランド大統領の話を聞きながら思うのは、少なくとも、
彼はブッシュ大統領とは違うということだ。
私は彼の話を聞く度に思ってしまう。この人は人の心の痛みがわかる人間ではないかと。
彼の言葉は上っ面な印象がなく、政治家にしては珍しい、実直で、
弱い立場に置かれた人の気持がわかる人ではないかと思う。
話し方だってマリールペンやサルコジや他の大臣とはまるで違う。
本当にすごい人ほど謙虚だというのなら、
彼のすごさはそこにあるように思えてしまう。

 空爆だけが答えではない。
そんなこと、おそらく百も承知で選ぶことにしたのだろう。
(それにフランスの軍の参謀も空爆だけでイスラム国を
倒す事はできないと言っている)
そこにもちろんリスクはある。それでも世界で一気に協力しあって今この時点で
対処することこそが、よりよい未来につながっていく、そんな信念があればこそ
彼は世界の大国のトップと話し続けたのではないかと思う。

 オランドは私の先輩だった。未来はもっと明るいし、私たちの手で変えていける、
そんな民主党的夢想を抱いた20歳の私は留学先の学校の冷徹な姿勢に驚いた。
若者の夢想は砕けさり、叩き込まれたのは生々しい国際政治のあり方だった。
世界には大国と小国があり、世界は戦争で満ちている・・・
そして「理想」は「現実」と相対する言葉である。
まだ希望で一杯の若者に、こんなに夢のないことを教えて
どうするんだろうと、日本から来た私は憤りで一杯だった。
けれどもあれから15年経ち、原発事故やイスラム国の人質事件等
色んな出来事を経験するうち、あの学校で教わったことが正しかったのではないか
と思うようになってきた。世界は戦争で満ちている。私は知らないで育っただけだ。
日本の新聞は世界で起こっている事をこと細かには教えてくれず、
1日でもチェックし忘れると世界の重大なニュースは去っていく。
けれどもルモンドやBBCに普通に触れていればそんな問題は常識だ。
ヨーロッパやアフリカ、中東で起きるテロ。イスラエルで続く紛争。
イタリアや英仏海峡間に溢れる難民達と命がけの渡航の様子。
イスラム国やシリアの状況を命がけで伝えようとする市民・・・

 国際社会は冷徹な取引で満ちている。そこには希望や期待、
いざとなったら誰か(アメリカ?)が助けてくれて・・・なんてことは存在しない。
自分の利害で一杯いっぱいになっている中、いかに交渉をしていくか。
バブルのようにはじける理想は、はじめから持たない方がいい。
何故なら理想は現実の反対だから。高校時代はCOP3の京都会議のデモに参加し、
学生時代は環境活動にうつつをぬかし、世界は変えられる?と思っていた私には
パリ政治学院は冷徹すぎた。けれどシラクもオランドも先輩だったと知った今、
私はかすかな期待を抱いていたい。オランドはブッシュとは違う。
フランスはアメリカとは違う。フランスにはフランスの外交術がある。
それは力でうむを言わせるやり方よりも、最大限に知性を活かしたやり方であるはずだ・・・
フランスのワインも食文化もベルサイユ宮殿も、ただの文化なだけでなく
フランス流の外交戦略の1つなのだから。

 今回の事件後の反応に対し、ユルゲン・ハーバーマスはこう言っていた。
「私はフランスという国に対して、シャルリーエブドの事件のときに
したように、世界が見習うような例になって欲しいという
ちょっとした期待を抱いています。」だから彼も見守っている。
私も今のところはハーバーマスに同意したい。そしてオランドは
おそらく世界の、そして国民のその期待を知っている。
今週末からはCOP21も開かれる。議長国として
どれほどの役割を担う事ができるのか、ぜひ少しでも
世界のそんな期待に応えて欲しいと思う。



「大統領殿 あなたは罠に掛かっている」(訳)

2015年11月22日 | パリのカフェ的空間で

ルモンドに非常に興味深い文章が掲載されていました。
16日月曜日に掲載されたこの文章はさながら
今後の予言の様で、すでに掲載されてから世界は変化し、
彼の語る世界に近くなっているように思います。
当事者ではないからこそ言える言葉もあるのでは。
歴史家で小説家の彼の言葉には深みがあり、
なんとか時間をつくって訳しましたが非常に難解な文章なため
時間がかかってしまいました。
動くなら、本当に今だと思います。

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「大統領殿 あなたは罠に掛かっている」
David Van Reybrouk 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

  大統領殿


 11月14日土曜日の午後に行われたあなたの演説において、あまりに軽率に使用された言葉の選択、あなたが繰り返していた、「テロリスト軍」(※訳注1)によって遂行された「戦争犯罪」という言葉が私を強く捉えました。正確にはあなたはこうおっしゃった。


 「昨日パリとサン・ドニの競技場の近くで起こったことは、戦争行為であり、国家が戦争に直面した場合、それにふさわしい決断を下さなければならない。この戦争はテロリスト軍「イスラム国」が犯した戦争行為である。武装したテロリスト集団「イスラム国」はフランスに対し、我々が世界の至るところで守っている価値に対し、世界全体に向けて語る自由な国の我々に対し、戦争行為を行った。これは今後の調査で明らかになるであろう国内の共謀者とともに、国外で準備され、周到に計画を練った戦争行為である。これは絶対的に残忍な行為である。」


 最後の一行には完全に同意するにしても、あなたの演説の残りの部分は憂慮すべきことの繰り返しであり、9.11の直後にジョージ・W・ブッシュがアメリカ国会の前で行った演説をほぼなぞったものだといえる。つまり「自由に対する敵が我々の国に対して戦争行為を犯した」というものだ。


 この歴史的演説の結果はよく知られているではないか。「戦争行為」とみなす出来事を受けた国のトップはそれに応じなければならず、やられたらやり返すべきである。こうしてブッシュ大統領はアフガニスタンに侵攻したが、これは当時の体制がアルカイダをかくまっていたので、まだ納得のいくものだった。国連でさえもそれを是認した程だ。その次は、イラクが大量破壊兵器を保有しているはずだとアメリカが嫌疑をかけたというただ1つの理由によって国連の委任もなしにイラクへの全く気違いじみた侵攻をした。実際には大量破壊兵器を保有していなかったと後に証明されたが、この侵攻は今日まで続くことになる、この地域全体の不安定さをもたらした。


 2011年のアメリカ軍の撤退はこの国に権力の空白をもたらした。そして「アラブの春」が起こった後、隣国で内戦が勃発し、どれほどアメリカ軍の侵攻が有害なものであったか証明された。イラクの北部は根こそぎにされ、シリア東部は政府軍と自由シリア軍によって引き裂かれ、第三者「イスラム国」の出現を促す土壌と空間を残していった。


 つまり、ブッシュ大統領による愚かなイラク侵攻がなければ、「イスラム国」の問題が起こることはなかったのだ。2003年にこの戦争に対し、100万人規模のデモが起き、私自身も参加した。反対の声は世界的なものだった。結局我々が正しかったのだ。それは我々が将来を予見できたからではない。この点まで予見していたわけではなかった。だが今日はっきりと1つのことは自覚している。金曜の夜にパリで起きた事件というのは、2001年9月にあなたと同じ政治的地位にあったブッシュ氏が戦争というレトリックを使用した間接的な結果なのだということを。


 それなのにあなたは何をしているのだろう?あなたがテロから24時間以内にとった反応はどうだったのか?当時のアメリカ大統領が使ったのと同じ言葉を用いて、しかも口調さえもそっくりだ!何ていうことだろう!


 大統領、あなたは罠にかかっている。(中略)ニコラ・サルコジやマリー・ルペンのようにあなたの喉を焼け付かせるほどの強硬派たちの熱い憎しみを肌で感じているからだ。それにあなたは随分長い事気弱な人という評判だった。あなたは罠にかかっている。フランスでは選挙が近づき、12月6日から13日にかけて開催される。これはただの地方選ではなく、テロ以降、国家の安全性が大きなテーマとなることは間違いないだろう。あなたは両足揃えて罠にかかっている。何故ならあなたはテロリストがまさに臨んだ言葉、「宣戦布告」という言葉をそのまま返してしまったからだ。あなたは聖戦への挑戦状を情熱的に受け取ったのだ。しかしあなたが断固とした姿勢を保つこの返答は、暴力のスパイラルをより一層加速させる途方もないリスクを拡散させていく。私にはそれが懸命な判断だとは思えない。


 あなたは「テロリスト軍」とおっしゃった。しかしそれ自体が終わりなき矛盾を抱えた言葉である。「テロリスト軍」という言い方は、例えば多食症のダイエットを実践するような矛盾がある。軍や集団は武器を持つことがあるだろう。そしてきちんとした訓練を受けられなければ、彼らはテロリズムを選ぶかもしれない。つまり、地政学的野心を抱き、しっかりした構造と展開の軍事力ではなく、心理的効果を最大限に狙った一点集中型の攻撃だ。


 あなたがおっしゃった「軍」について、これも明確にするべきだ。今までのところ、このテロの首謀者がシリアから戻って来たもしくは送り込まれた兵士かどうかは判明していない。テロが「カリファ」の懐で計画されたのか、郊外やある「地区」で計画されたのかも私たちにはまだわからない。それに対し、シリア由来のグローバルな計画だと思わせる指標もいくつか存在している(ほぼ同時期に起きたレバノンの自爆テロやロシア旅客機の墜落事故)。だが「イスラム国」の声明は後に発表され、既にネット上で出回っていたような内容しか含まれていなかったと示唆しておきたい。これらは連帯や情報収集後に問題にすることではなかろうか?



 私たちの知る限り、武装したテロリスト集団というのはコントロールのきかない個人のことで、おそらくシリアから帰国した大半のフランス人があてはまるだろう。彼らはシリアで武器や爆弾の使い方をトレーニングされ、全体主義的イデオロギーに浸って暮らし、軍事作戦にも慣れるようになっていた。彼らの誰もが恐ろしい人物に変っていった。だが彼らは軍人とはいえない。


 「イスラム国」の公式発表はテロのために「入念に選ばれた場所」だと賛美した。フランスの警察も、犯人達のプロ意識を強調していた。この点においてあなたは同じ言語で語っている。だが実際はどうだろう?あなたが観戦していたフランス対ドイツのサッカー親善試合が行われた競技場付近を訪れた3人の男達はどちらかといえばアマチュアのようではないか。彼らはおそらくあなたに対するテロ行為を行うために競技場内に入ろうとしていたようで、その可能性は高いだろう。だがマクドナルド付近で自爆し、犠牲者を一人「しか」出さなかった男はテロリストとしては貧弱だといえないか。爆発後少ししてから8万人もの人たちが競技場の外に出たにも関わらず、実際には3人の自爆テロに対して4人の犠牲者「しか」出さなかったテロリストが有能とは言えない。コンサートホールの観客を大量に殺そうと考える4人の犯人が非常口を塞いでおかないなんて、戦略に長けているとはいえないだろう。車に乗り、罪もなく武装もしていない、カフェのテラスに座っていた市民に向かって銃を乱射していく者も、戦術に長けた軍人ではなく、どうしようもない卑劣漢であり、同じタイプの個人と結びついた、完全に道を誤った個人といえる。孤独な狼達が群がることもあるものだ。




 あなたの「テロリスト軍」という分析は納得できるものではない。あなたが使った用語、「戦争行為」も並外れて意図的なもののように思う。例えこの戦意をかきたてるレトリックが、何の恥じらいもなくオランダの首相やベルギーの国務大臣によっても使われたとしても。あなたがフランスを落ち着かせようとするこの試みは、世界の安全を脅かす。あなたの激しい言葉遣いからは弱さしか伝わらない。


 戦争の言葉以外にも、断固とした態度を表す方法はあるものだ。(中略)あなたは演説で自由に言及したが、フランス共和国のあと2つの価値、平等と友愛についても話すべきだったのではないか。私たちが今こそより必要としているのは、戦争の疑わしいレトリックよりも、平等と友愛なのではなかろうか。


David Van Reybrouk 
"Monsieur le Président, vous êtes tombé dans le piège!" Le Monde.fr 2015年11月16日掲載
David Van Reybroukはオランダ人の歴史家、小説家で「コンゴ、ある歴史」等数々の作品を出版。
著者の同意を得て日本語に訳しています。(フランス語→日本語訳 飯田美樹)



※ 訳注1 もとの文章はオランダ語で書かれており、この著者もオランダ語の翻訳でまず読んだのではないかと思われる。翻訳にはいつも誤解やニュアンスの微妙なズレがつきもので、著者の解釈が必ずしもオランドが意図したものと同じであるかはわからない。私は日本語では"une armée terroriste"は「武装したテロリスト集団」とも訳せるとも思う。この文章の翻訳自体がオランダ語をフランス語にしたものを日本語訳しており、多少のズレがある可能性は否定できないが、できる限り著者の意図を汲んで訳したつもりである。


この文章16日に翻訳を経てルモンドに掲載されているため、著者の得ている情報は14日~15日時点での情報と思われる。
多少は文章のレトリックや解釈の違いの問題のようにも思えるが、時間の経過につれて彼の言っている事が現実になりつつあるように思い(国連での決議等)、非常に難しい文章だったが訳すことにした。また誤訳しかねない文章は割愛させていただいた(計3-4行程度)

パリのテロと世界の変化

2015年11月19日 | フランスあれこれ
フランスのテロは引き続きニュースを賑わせているようで
報道されすぎで気にくわないという人もいる。
テロが起こって以来ひたすらフランス語のニュースを
チェックするのに必死な私は、日本のニュースを見る暇はないし、
全ての情報は把握していると思っていたら、先日こんなことを言われて驚いた。
「ラデファンスでもテロが起きそうだったって」
「え・・・?」私は耳を疑った。
その日はいつもより早く起きてルモンドをチェックし、通勤時間には
ひたすらフランスのラジオを聴いていた。もちろん
サンドニの警官隊の突撃の話は前日からやっていたし状況もよく知っている。
だがラデファンスの話なんてきいた事もない。
一体何が起こったのか?と調べてみると日本では
18日の夜からそんなニュースが流れていたそうだ。
あまりに普通に知られてそうな印象なので、大手のテレビ局も
そう報道したのかもしれない。ところが調べてみても
フランス側の情報にはどこにもそんなことが書かれていない。
(ルモンドもリベラシオンもFrance Infoにも載っていない
検索をしてもほとんどきちんとしたメディアの情報には
掲載されていないので、作戦実行中の未確認情報をフランスのどこかのメディアが
掲載したかと思われる。ちなみにこの「ラデファンス等でテロ計画」は
19日の日経朝刊にも載っていた。
追記:ようやくルモンドやFrance Infoで「ラデファンス」と
言われたのは25日になってからで、24日夜に検察が発表したとのこと)

今回の警察の突撃の一番の目的は、数日前から首謀者だと
言われてきたベルギー人、28歳のアブデラミド・アバウッドが
サンドニにいる可能性が高いということで、彼を狙っての作戦だった。
警官は5人負傷し、5000発以上も銃を撃つという激しい作戦だったが
2人の死者の中に彼が含まれているかは微妙で、どちらかというと
可能性は低そうなニュアンスで報道されていた。
ところがつい先程、日本時間の19日21時半頃、
フランスの検察と司法警察が彼の死亡を確認。
France Infoは「これはきちんと確認された情報です」
と言ってそのニュースでもちきりだ。
彼は国際新幹線タリスのテロ未遂事件にも関わり、
ブリュッセルのユダヤ教博物館での殺人犯とも関わりがあったとされる。
彼は今回のテロ事件当初はシリアに居ると思われており、
次に出身地のベルギー、モレンベックに居ると思われたが
バタクランの近くのゴミ箱に捨ててあった携帯電話から
彼がサンドニにいるらしいということがわかってきた。
後にわかった情報からは、彼がテロの実行犯として関わっており、
その直後にメトロを普通に使った様子が地下鉄の監視カメラに写っていた。


このようにフランスの信頼できるメディアは
情報がでてきても「これは未確認」
「これはアメリカの~というメディアが言っているが不明」
などと強調し、未確認の情報を大急ぎで載せようとはしていない。
日本のメディアはかなり大手のメディアであっても、
死者数が150人以上になっていたり、
「仏メディアがカミカゼをカミカズと誤って報道」
と報道したり(フランス語では最後のeを発音しないので
そうなるし、kamikazeという言葉はフランス語の辞書にも載っており、
報道ではなくフランス語の問題。
意味は死を覚悟して命がけで敵に向かっていくことで
ニュアンスとしてはわりと的確に使われていると思うし、
kamikaze=テロリストという認識ではない。
ただし自爆という意味では使われる)

テロが起きて以来私がそのことばかり考えているのは
パリでなんてひどいことを!という思いや哀しみというよりも
シャルリーエブドの事件以来、フランスに関するニュースを
少しでも正しく伝えたいし、わかってほしいと思うからかもしれない。
二重翻訳には誤解がつきもので、少しでもフランス語が
できるのならば、フランスのニュースに自分で触れて、日本語で伝えた方がいいと思う。
フランス語で流れていく圧倒的な情報を英語で伝えようとする。その時点で情報は
半分以下に精査されていく(それが要約された情報であり、執筆というものだ)
その半分以下の情報を今度は日本語に訳してみる。
ところが英語はフランス語にくらべわりとアバウトに記述ができる。
だからもとの出来事や背景を知らない人が急いで
訳してしまうとニュアンスが変っていく可能性があるし、
英語→日本語の際にまた情報量ががくんと下がるだろう。
伝言ゲームを思い出してみてほしい。
5人が同じ言葉を伝えたつもりでも、言葉が長ければ長い程、
最後の人には正しい言葉が伝わらない。

だからこそ強く伝えたい。英語でもフランス語でもアラビア語でも、
日本語以外の言語を1つでいいから自分でなんとか使って、できるだけ
その言語でニュースをとらえられるようにした方がいい。
思い出してみてほしい。東日本大震災の後、福島の原発の状況に対して
どう世界が反応を示したか。それと日本がいかにかけ離れていたのかを。
日本のメディアはそれから180℃変ったわけではない。
だからこそ、「もしかしたらこれだけが真実ではないかもしれない」という
視点をもって、自分の力で一次情報に触れて欲しい。
そして可能であれば(できるだけ的確な情報を)誰かに伝えていってほしい。
語学ができる人は海外で自分が楽しむだけでなく、
その言葉がないと伝わらないことを誰かに教える、
そんな役割も担っているようにように思う。

世界は局面を迎えつつある。本当に重大な局面で、
場合によっては第三次世界大戦になるかもしれない。
それはまだ誰にもわからない。でも何が何でも戦争反対、空爆反対という方は
今すぐ行動した方がいい。安保法案改正の時より大きなデモをするぐらいの
気持がないと、この世界のトップの行動の早さと本気さにすぐ負けてしまうだろう。
オランド大統領は寝る間も惜しんで恐ろしい程の早さで演説原稿を仕上げ、
数々の拍手や共感を勝ち取り、もはや1月の「寛容」の彼ではなく
「強い父」になりつつある。彼の言葉には感情がこもり、
人の心を揺り動かすだけの力を持っている。そしてその後は即行動。
今日はテロの捜査がよりしやすくなる非常事態宣言をあと3ヶ月引き延ばす案が
国民議会を通過。私の知る限りではフランス国内からは空爆に対する非常に大きな
反対運動や反対の声は聞こえてこない。(もちろん出来る限り
慎重に標的を選ぶべきだという声はあるし、それは当然)


すでにロシアとアメリカと強力な関係を築けたオランド大統領は
来週はこんな最中、自らワシントンとモスクワに足を運び、
オバマ大統領とプーチン大統領と会談しにいくことに決めている。
こんな緊迫した状態に、わざわざその国を離れてトップが
トップに会いに行くこと、その覚悟が何を表しているのか。
そして3大強国のアメリカ、ロシア、フランスが本気で
力を合わせたら何が起こるのか。プーチン大統領は空爆だけでなく
ロシア海軍にフランスと協力して動くことを要請した。
フランスの訴えを受けてついには国連安全保障理事会までもが
満場一致でイスラム国に対し、あらゆる手段をもって
対処することを認めてしまった。

世界の3大国が本気になったらイスラム国をうまく倒すことも
できるのかもしれない。けれども9.11の二の舞になるかもしれない。
結果はまだ誰にもわからないが、1つ言えるのは今は指一本動かさず、
1-2ヶ月後に反対運動を初めても時は遅すぎるということだ。



イスラム国に対して、フランスのとらえ方としては
彼らは「狂信的なテロ集団」という位置づけだと思う。
だからこそ標的を的確に狙った空爆を開始したわけだし
(アメリカは今まで渡さなかった標的リストをフランスに提示)
空爆には約40カ国程が参加しているという。
個人的な見解だが、イスラム国とイスラム教の位置づけというのは
仮にオウム真理教が仏教の教典の1部を教義にしているとして、
それと通常の仏教との違いくらいに差があるものだろう。

つまり、あるカルト的宗教団体が、同じ教義に多少なりとも基づいて、
こちらの方が正しいという。そこにちょっと心を病んだ若者がいる。
1月のテロから私が調べてきたテロに関与した者達は、実際には
昔から経験なイスラム教徒というタイプはほとんどいない。
ある事件や出来事をきっかけにして、突然目覚め、
師と呼べるような人に出会い、そこから人生が変っていく。
おそらくその師は彼が抱えていたちょっとした社会に対する
不満やくすぶりを正当化し、「まさに君のいっていることが正しい。
我々はそれを変えようとしているんだ」と言うだろう。
そしてそのために君が変るべきこと、とるべき方法、
多少の犠牲もやむをえないこと・・・沢山のことを
実に親身になって話してくれるだろう。
はじめて、そうまるでオウムの事件の時のように
はじめて「わかってもらえた・・・自分にも生きる意味がある!」
そしてこの社会は間違っている、と思った正義感の強い若者達は
師とともに?もしくは言われるがままに?彼らの道を模索する。

哀しいことに「テロリスト」としてテレビに登場した若者達の
妻や兄弟の中には「彼がそんな風になるなんて夢にも思わなかった」
と答える人がいる。「本当に?信じられない!あの人がそんなになるなら
誰にだって起こりうるわよ・・・」1月のテロのクアシ兄弟も、
妻達に「買い物に行く」といって出ていったまま帰らぬ人となっていた。
(私は妹のインタビューや生い立ちを知って泣きそうになった。
貧しいけれども助け合って生きてきたし、学校では差別などはなく、
フランスの公教育は人種の混ざり合いの中頑張ってきた)
今回のテロに関与し、一人は国際指名手配中のベルギー人の兄弟は
インタビューにこう答えていた。
「彼がそんなことをできるんだったら、俺の友達誰だってできてしまうよ・・・」
(La Libre.be より)
サンドニの警察の突撃時に殺された、アブデラミド・アバウッドの
いとこの女性(ヨーロッパで初めて自爆テロをした女性とも
言われているようだが実際には自爆していない)は6ヶ月前まで
ヴェールをかぶったこともなかったといい、彼女の兄弟は「彼女が
コーランを開いているのはみたことがない」と語っている。


日本では、どことなく「イスラムの人たちもヨーロッパで
差別を受けていたから(かわいそう・・・)」という風潮があると思う。
でも彼らにとっての差別というのは、私たちがパリや外国に行ったとき、
ちょっと治安の悪そうな地区のホテルに泊まり「怖かったのよ」といって
ホテルを変える、まさにその行為や感覚にあると思う。
特に盗まれたわけでもない。彼らは道端に立っていたかもしれない。
座り込んで大声で話していたかもしれない。でも実際には
そこで暮らしていただけだ。貧しい地区には沢山の国の移民が暮らし、
本当に多国籍で雑多な環境になっている。フランスを訪れる日本人は
移民が沢山載ったメトロに乗るだけで「こわい・・・」と思い、
平気でそれを口にする。「だからあの地区はやめておこう」
その考えこそが地区による差別をうみ、就職の差別を生んでいる。
駐在でパリに住む人たちはたいてい生粋のフランス人が多い15区、16区に住んでいる。
けれど移民が多くクアシ兄弟たちも住んでいた19区は日本のガイドにすら載っていない。
私がどんなに素敵な場所ですよと勧めても、たいていの人は言う。
「でも一人で行くのはちょっと・・・」


パリでは生粋のフランス人らしい風貌の人ばかりいる地区の方が
珍しい。10区も11区も沢山の人たちが入り交じり、
私の知人のフランス人女性は日本のガイドブックに「近づかないほうがいい」と
指摘されている北駅周辺に20年以上も住んでいる。
「危なくないんですか・・・?」と随分前に聞いてしまった私に
彼女は言った。「何一つ危険なことなんて起きた事ないわよ」
インド系も、アラブ系も、アフリカ系も、中欧系も、沢山の
移民や移民2世のフランス人で交じり合う。彼女はカンボジア人の養子を育て
今年は私にこう言った。「パリでは人種による差別なんてないのよ。
ねえ、あんたもカンボジア人だからって何か言われた事ある?」
「べつにない・・・」「パリではね、共和国の精神さえちゃんと
大事にすればどこから来たかはどうでもいいの。大事なのはそこなのよ」
彼女がそれを語った場所はまさにあのテロ現場から100メートルくらいのバーだった。
移民の多い地区ほど実際にはあたたかい。けれど私たちの多くは
そんな混沌とした状況を体験したことすらないだろう。
それに今回だって、パリのイスラム教徒の中でも
「今回ほど自分をフランス人だと感じたことはない」と
語る人や、バタクランの前でマルセイエーズを歌ったイマムの姿に
強く感動したというイスラム教徒の人もいる。



差別による憎しみが行動に移ることもある。でも同じ兄弟でも
何も不満を感じていなかった人もいる。だからひとくくりに
「ヨーロッパでイスラムの人たちが差別を受けていたから・・・
ヨーロッパの人は冷たいし」とは言えないのではないかと思うし、
多くのイスラムの指導者が「イスラム国はイスラムではない」と断言し
相変わらずオランド大統領が発言の度にイスラム教徒と
イスラム急進派をわけて話しているように、イスラム国はただ
ちょっとした若者の心の乾きに宗教をたてにしてつけいった
新興宗教団体だとも言えるだろう。
優秀な人たちがオウムに入信しサリンをまき散らしたように、
その思想に惹かれ、それこそが真の世界観だと思う若者は
いつの時代にもいるものだ。信じる対象が違えこそすれ、
世界は変えられる!と信じて運動に身を投じる若者は
日本にだっていたし、おそらく今でもいるわけで、
その時たまたま出会った「師」が誰かで
方向性が変ってしまうだけかもしれない。

世界は問題で満ちており、不平等はますます大きくなっていく。
持てる者はますますその富を活かして豊かになって、
その子供たちは成功の道が保証されていく。
一方で貧しい立場に置かれた者には時間もなければお金もない。
子供にしっかり優しい目をむける余裕もなければ
社会問題の構造を真剣に考える余裕もない。そんな時間があるなら
少しでも、そして何としてでもお金を稼がなければいけないからだ。
激しく変化する世界の中で、私たちが肝に銘じたほうがいいのは、
日本に住んで普通の暮らしをしているような人たちは、
自覚していないにしても、世界の格差ピラミッドの中の上部にいるということだ。

だからこそ、恵まれた立ち場にある人たちが
一度足元を見直して、状況を少しでもよくするために
できることは何なのか 考えていく必要があると思う。
環境問題も南北格差も、国内での激しい格差も憎しみも、
実際に問題を産み出しているのはたいてい先進国の
恵まれた者達の生活や行動の仕方なのだから・・・


世界情勢が激しい勢いで動く中、自分たちにできることは何だろう。
それは無理して国会議事堂前で数万人規模のデモをすることでは
ないかもしれない。自分の特技を活かしながら、少しでも
状況を改善するためにできること。政治家には政治家なりの
解決策があるのなら、市民には市民なりの道があるかもしれない。
現時点ではまだ当事者ではない国に住む私たちだからこそ
今この歴史的局面に、できることもあるのでは。

参考文献 資料
Le Monde, La Libre.be ラジオFrance Info 等
Le Monde " Attentas du 13 novembre: qui est Abdelhamid Abaaoud,
le commanditaire présumé?"

La Libre.be "Le témoignage d'un ami de Salah Abdeslam:
"Si lui est capable de cela, tous mes potes sont capables de cela…"

戦場の恐怖で言葉を失う 

2015年11月17日 | フランスあれこれ

 パリのテロを知ってから、現場付近に行きそうな人から
メールを送っていきました。オペルカンフ、サンマルタン・・・
そういえばサンマルタンのワインバーを教えてくれた彼女は
どうだろう・・・?フランス時間の深夜、すぐに
メールが返ってきました。「まさにあの店にいたのよ・・・」
現場から100メートル程のその店は素晴らしいヴァン・ナチュールを集めた
ワインバー。隣にはまさにサードプレイスというあたたかみのある
カフェがオープンしたばかり。
何故この地区?観光地ではなく、フランス人たちが
パリらしさを愛し、誰かに出会い、のんびり過ごす・・・
そんな場所での経験を早速彼女が書いてくれたので
翻訳を掲載しようと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーー



「戦場の恐怖で言葉を失う」


 その日は11月のわりに好天に恵まれていた。
パリ10区、サン・マルタン運河からすぐの友人のワインバー、
「オー・ケ」に行くのは私の週末の楽しみで、
いつものように歩いていた。
通りの角にあるレストラン、「ル・プティ・カンボッジ」や
カフェ「ル・カリヨン」の暖房のきいたテラスは若く、
流行に敏感で、楽しそうにしている客たちで溢れている。
「オー・ケ」に入り、友人の編集者と素晴らしいボジョレーを
味わっている時、突然激しい音が響いて、私たちは固まった。
21時25分だった。

 客達は「爆竹だろう」と言っていたが、
私は銃声ではないかとすぐに思った。
1回目の連射、そして2回目、3回目・・・
その音は止むように思えなかった。
主人のアランは様子を見に店をでて、
すぐに叫びながら戻ってきた。
「カトリーヌ、警察を呼べ!人が死んでいる!」
外に出ると「カリヨン」の前にはひっくり返った椅子や
グラスの破片とともに、数人の身体が歩道に横たわっていた。
数分前に通りがかった時には楽しそうにビールを飲み、
タバコをふかし、話に夢中になっていた人たちがいたあの店を、
不気味な沈黙が包んでいる。

 私たちは生存者だった・・・恐怖に言葉すら失い、
突然現れた戦場の光景に激しいショック状態だった。
再び音が聞こえてくる。男性の叫び声や嗚咽。
2台の消防車の到着。車に乗った犯人が他の店で乱射する音。
それから携帯のメッセージでサン・ドニの競技場でも
爆発があったと知った。

 戦争だ・・・と気付いた私の頭は1つのことで一杯だった。
息子を避難させなければ。劇の練習の後、どうか
メトロに乗らないように・・・すぐ父親に連絡し、
彼をタクシーで迎えに行くように連絡した。
警察が来て現場周辺を埋め尽くし、大声で
命令しながら地区を包囲していった。
負傷者達が運ばれるのを見てから私たちは
再び店に避難した。もはや時間の感覚も失っていた。
携帯にかじりついて友人達の身の安全を確認し、
パリ中で起こった事件がわかるにつれて一層ショックを受けた。

 翌日の土曜と日曜、店主のアランは犠牲者のために
店を閉めることにした。けれど私たちは強く誓った。
絶対次の金曜日にはこの店に戻り、ワインを共に飲むことを。
恐怖に屈してたまるものか。フランス人でありパリジャンである
私たちが何よりも大切にしているのは自由とフランス共和国の価値観なのだから。

 彼らはどうして25年前から私の住んでいる10区の中心を
襲う事にしたのだろう?パリ市長のアンヌ・イダルゴはこう言った。
「標的となった地区や場所はパリジャンの愛するまさにパリらしい
庶民的な雰囲気があり、誰にでも開かれた地区だった。
皆で一緒に生きているという光景が、人類愛そのものを
黙らせようとした狂信的な者の目には堪え難く映ったのだろう。」

 だが私たちは黙っているわけにはいかない。
なんとかして獲得してきた女性の自由を守り続けてきた
マリー・クレールは、これからも私たちの思想の自由、
愛する自由、生き方の自由を守り続けていくからだ。


マリークレール副編集長 カトリーヌ・デュラン
訳:飯田美樹
著者の許可を得て翻訳、掲載しています。

原文
"Muet d'effroi, face à une véritable scène de guerre"
par Catherine Durand, Rédactrice en Chef Adjointe de Marie Claire

パリの同時多発テロ 3

2015年11月16日 | フランスあれこれ

 フランスのテロに相変わらずショックを受け、
これからどうしていったらいいものか・・・と思っていると
そんなことを迷う間もなくフランスがイスラム国に空爆を行った。
10機が爆撃に向かい、20回の空爆が行われ、イスラム国の
司令拠点とジハード戦士の養成拠点、それに武器庫が破壊されたという。
もちろんこれまでで一番大きな攻撃だ。
フランスは今までシリアでのイスラム国への空爆に対しあまり乗り気でない
態度を示し、空爆に参加したのは9月になってのことだった。
これまでの参加回数は4回で、空爆全体の3-4%程度しか
占めていなかった。イラクの空爆に関してはより少ししか
参加していない。

 ヨーロッパでは8月にフランスとオランダ間を結ぶ国際列車、
タリスで爆破未遂事件が起き、その頃からオランド大統領は
もし自国の国民を狙う事件が起きたらその時は・・・と
覚悟して作戦を考えていた。だからこその異例のスピードで、
彼が「容赦なく、冷徹な態度で」臨むと宣告したように
アメリカと息を合わせてイスラム国の拠点を即座に空爆したわけだ。
フランスは早いうちに航空母艦シャルル・ド・ゴールを
ペルシャ湾に派遣し、機動能力を3倍にするという。
1月のテロ(※シャルリーエブドを襲ったのはアルカイダ)
ではまだ寛容な姿を見せようとしたオランド大統領だが、
今回は相当に様子が違う。
非常事態宣言もあと3ヶ月引き延ばすつもりだという。

 国喪に服して2日目の日曜日には、ノートルダム大聖堂で
ミサが開かれ、外出を控えるように言われているものの、
多くの市民が参加した。オルガン奏者が即興で国歌マルセイエーズを
演奏したときには沢山の人が涙ぐんだという。
テロの標的となった店やコンサートホールの前を訪れる人も
後をたたない。20代~30代のパリジャン達に愛されていつも満席だったという
10区のビストロ、ル・カリヨンの前には花束が溢れている。

 亡くなった129名のうち、105名の身元が確認された。
ルモンド紙はインターネットの紙面にも名前入りのリストを公開。
学生や大学教授の死亡も確認され、ソルボンヌ大学やHEC、
日本語教育でも名高いINALCOの学生も一人亡くなっている。

 テロリストは計8名とされており、そのうち7名の死亡が確認されている。
残りの一人、Salah Abdeslamはベルギー生まれのフランス人で、
現在国際指名手配されており、写真が公開されている。
彼はバタクランの前に駐車した黒い車を運転していたことが判明。
しかし犯人の身元がわかるより早く、車でベルギー国境を通過。
この時国境でのコントロールを受けたものの、その時点では
警察に捕まらず、のちにベルギー警察が同車両を見つけた時には
すでに姿を消していた。彼の兄はボルテール大通りで自爆して死亡。
もう一人の兄弟がベルギーで尋問を受けている。
また、競技場付近で見つかったシリア人のパスポートは偽造されたものだと判明。
彼は10月3日にトルコ経由でギリシャに渡り、セルビア、クロアチア、
ハンガリーを通してフランスに来たと見られるが実際の身元は不明。

 今回の事件でまたしても浮上したのがベルギーとイスラム急進派との
関係性だ。フランスは大陸に位置し、飛行機で入るのに比べると
車で国境を越えるのは相当容易に出来てしまう。
(実際、国境線のコントロールを強化した後ですら、容疑者は
ベルギーに入国できた)ブリュッセル郊外にあるモレンベックという
貧しい地区はイスラム急進派の温床として知られ、90年代から
ジハード戦士を産み出す場として認識されているという。
ベルギーの首相は今回の事件を受け、「(イスラム急進派が関わる)
重大な問題が起こった場合、ほとんどいつもモレンベックと関係がある」と述べたほど。
2014年4月にブルッセルのユダヤ系美術館で起きた殺人事件の犯人も
モレンベックに滞在。同年8月に国際列車タリスでテロを試みた容疑者も
同地に滞在。2015年1月のパリのテロを起こしたクアシ兄弟や
アメリー・クリバリ容疑者も武器の一部をブリュッセルで購入。
今回の事件で使われた車の1台はモレンベックで借りられたものだといい、
7人が事情聴取を受けている。

 何故フランスでテロが起こるのか?という問題に対し、
1つ言えることがあるとすれば、イギリス、アメリカに比べ
フランスはヨーロッパ大陸で地続きであり、行動を起こしやすいのかもしれない。
アメリカやイギリスで事を起こそうと思えば飛行機等で国境線を超えるときの
チェックをいかにくぐり抜けるかが大きな課題となるが、
ヨーロッパ、特にベルギーからフランスを車で移動するだけであれば
ほとんど難なくできてしまう。それに加え、パリでの事件はニューヨークでの
事件に匹敵する程大きなインパクトを世界中に与えられる。
フランスが特に空爆参加国の中で突出して憎まれているというよりは
テロを起こしたときの効果の大きさや陸続きでのやりやすさというのも
あったのかもしれない。(これは私の仮説)

 もう1つ、franceinfoで伝えられた仮説としては、おそらく
競技場付近の自爆テロを行った人物たちは、本来は競技場に
入ろうとしたのだろうということだ。当時はオランド大統領もおり、
インパクトはかなり大きなものになる。一人は入場券を持っていたという
情報もあるが、自爆ベルトを着けていたため、
入場のコントロールでひっかかったのではないかと言われている。


 多くの若者が金曜の夜、ちょっと一杯友達と話に楽しみに行く、
そんな地区であった悲劇。その場所を知っている程、それは他人事だとは
思えない。「これが一週間前や明日だったら、私の身に起こっっていたかもしれない」
と現場に献花しにきた若者は言う。私自身、この界隈は9月に何度も訪れ、
事件の起こったプティ・カンボッジと同じ通りにあるワインバーに行っていた。
まさか、と思いその店を教えてくれた知人に連絡をしたら事件のあった深夜すぐに
メールが返って来た。「まさにその店にいたの・・・なんとか私は命拾いしたけれど
亡くなった人たちも目にしたわ・・・」東京でいえば中目黒か代官山のような
若い人たちの愛する地区で、突然起こった大量殺戮。

 亡くなった人たちも、テロを行った若者も、ともに20~30代中心という
私と同世代の若者達だ。彼らがテロリストになった理由はまだわからない。
世界における南北格差、国内でも全ての恩恵を受けられる者と
貧しい者のますます大きくなる格差。持てるものと持たざる者、
そこから生まれる行く先のない恨み・・・そしてその怒りや恨みを
まさにそうだ、君が正しい、と後押ししてくれる師との出会い。
(急進派の師となる者は把握されていても事件を起こさない限り逮捕はできない)
イスラム国は確かに悪い。それはイスラムではない、とイスラムの人たちは言う。
イスラムではなくただのテロリスト集団だ、ととらえてこその空爆でもあるのだろう。
とはいえイスラム国はイスラム教をたてにとり、傷ついた若者の自尊心をいたるところで
くすぐっていく。まだヨーロッパではイスラム急進派に傾倒する若者もいれば
ある日突然何告げずにシリアに渡航する若者もいる。


 ブリュッセルのモレンベックには多数のジャーナリストが押しかけ、
住民達は「つににモレンベックも有名になったね!」と冷笑的な言葉を浴びせる。
「また過激派と混同する気?」「またかよ・・・」
そんな中ルモンドのインタビューに答えた男性はこう言った。
「お願いだからわかってほしい。確かにここからシリアに行った者が多いとしても、
それは誰も彼らの面倒をしっかりみたことがなかったからだ。
それで狂信的な奴らに出会った時にやっと自分が生きているって
感じられるようになったんだ。俺は勉強もしてフランス語も
アラビア語もオランダ語も話せる。それでも仕事を探すときには
モレンベックに住んでいない友達の住所を伝えてる。」

 ユーロスターのファーストクラスで豪華な旅行を楽しむ人もいる。
一方で命がけでその上に飛び乗り、荷物の1つも持たずにイギリスに
渡ろうとする者もいる。彼らはBBCのインタヴューにこう答える。
「だって母国で生きていても死んでるようなものだから。」
世界は問題で満ちていて、解決策はまだわからない。
移民したって、その国に生まれ育った2世や3世は不平等に苦しむだろう。
オランドがとった行動も強靭な解決策の1つではある。
でもその他にも世界がもう少しましな状態になるための方法は
残されていないのだろうか?
これはフランスだけの問題ではなく、今フランスを中心に
アメリカやロシアがともに足並みを揃えようと協力している。
選択肢や解決策は1つだけではないだろう。
だからこそ、世界が大混乱に陥る前に一人一人が少しでも
できることをやっていく、それが大切なのではないかと思う。


参考文献:Le Monde, france inter 
情報は11月16日(月)日本時間17時時点のものです。

パリの同時多発テロについて 2

2015年11月15日 | パリのカフェ的空間で


フランスのテロに関してわかっている情報を
お伝えします。
(11月15日(日)日本時間11時半時点での情報)



 11月13日(金)夜21時20分を境にパリ6箇所で
起こった同時多発テロ。イスラム国が犯行声明を出し、
フランスはこの状態を「戦争状態」だととらえている。
実際に現場に居た人や訪れた人たちはあまりの状況のひどさに
まさに突然戦場がパリに現れたような感覚だと述べている。
現在確認されている死亡者は129名、負傷者は352名で
そのうち80名がかなりの重傷。きちんとした体制で
手当を受け、多くの市民がなにか自分にできることはないかと
輸血をしに病院に向かっているが、現時点ではまだ血液は不足していない。

 緊急事態宣言は出されたままで、パリでの外出は基本的に
控えるよう呼びかけられており、追悼デモも木曜日までは
禁止されている。それでも少しでも何かをしたい、という
気持のある市民が、レピュブリック広場やコンサート会場
バタクランの前に来て献花をしたり、バタクランの前では
演奏をする人もいる。


 バタクランにはコンサート最中に少なくとも3人のテロリストが侵入し、
およそ2時間に渡って発砲し続けた。生存者たちはその状況を
「まさに虐殺」だと語る。自分のすぐ横で人が亡くなり、
頭を伏せて横になった人たちが次々と殺されていく・・・
動こうとした者も撃たれていった。そんな中生きのびた人たちが
聞いた言葉は「これはお前達の大統領のせいだ」
「シリアでフランスがやってきたことの仕返しだ」という言葉。
なんとか逃げた人たちは大急ぎで走り、あたりは一時騒然とする。
しだいに事態が理解されてくると、消防車や救急車が
十数台駆けつけ、緊急事態が認識される。緊急医療チームも派遣され、
近隣のカフェなどで手当も受けられるようになる。
ところがテロリストたちは聴衆を人質にとっていたため、
機動部隊は即座には介入できず、深夜に突入したころには
すでに80人近くの人がコンサートホールで亡くなっていた。
テロリストのうち2人は自身が身につけていた自爆装置で自爆。
一人は特殊警察が射殺した。

 コンサート会場でのテロリストのうち一人は身元が判明し、
29歳のフランス人、イズマエル・オマー・モステファイだとわかった。
彼は2013年から14年にかけての冬に数ヶ月シリアに滞在。
フランスでは無免許運転等の慣習法違反で8回捕まったことがあるが、
投獄されたことはなく、イスラム過激派に傾倒する人物リストには
入っていたが、これまで特に事件に関わったことはない。
ベルギーでも犯人の可能性のある者が捕まり、事情聴取を受けている。


 今回のテロには3つのグループ、少なくとも7人のテロリストが関与したが
7人は全て各自が身につけていた自爆ベルトのようなもので死亡。
競技場付近の爆発現場付近でシリア人のパスポートが見つかり、
ギリシャ経由でフランスに渡った難民ではないかと言われている。
(後に偽装パスポートだと判明)

 イスラム国はこれはフランスによる、イラク、シリアのイスラム国
支配地域に対する空爆とモハメットに対する侮辱に対する報復であると
彼らのインターネットサイトにアラビア語と流暢なフランス語で掲載。

 パリでは外出を規制されている市民が窓にロウソクをともし、
犠牲者への追悼の意と平和への願いを表している。
アメリカやオーストラリア、ドイツなどでは著名な建物に
自由・平等・博愛の三色旗の色をともし、
犠牲者への追悼とフランスへの共感を示している。
逆に3日間喪に服すフランスでは、エッフェル塔の電気を
しばらく消すことにした。


 月曜日は学校は平常通り開校され、全土で正午に1分間の黙祷が行われる。
また、COP21は平常通り11月末から開催される予定。

パリの同時多発テロ

2015年11月14日 | フランスあれこれ

今朝何気なくニュースを聴こうとしてiPhoneを見ると
「フランス 緊急事態宣言」とフランスのニュースに書いてある。
何が起こったのか?知ってからほぼ1日中ニュースから耳が離せません。
本当に壮絶な状況ですが、ほんの少しでも何かできればと
フランスサイドの情報を翻訳、要約してみました。
テロが起きた地区は私も2週間で5回くらい行ったような
本当に若者に愛されている地区です。
凄まじい事件で朝からかなりショックを受けており、
どんな言葉を発していいかわかりません。
日本にいる私たちにも少しでもできることがあればと思います。
(11月14日、日本時間22時時点での情報です。
その後の情報はその2、3をご覧下さい)

ーーーーーーーーー

11月13日金曜日午後21時20分頃から翌日1時頃にかけて、
パリの6カ所で同時多発テロが起こった。
先程ISが犯行声明を出し、これはシリアでのフランスの
空爆に対する仕返しだと表明。

現時点での死亡者は少なくとも128名で負傷者は250名以上。
一番酷い被害を受けたのがコンサート会場のバクタラン。
カルフォルニアから来たロックバンド、
イーグルズのコンサートの真っ最中、22時頃、3-4人の
テロリストが侵入し、観客達に向かって長時間にわたり
発泡し続けた。逃げようとする者たちも容赦なく殺され
約80名が犠牲になった。コンサートには1000人以上が
参加しており、その最中でなんとか逃げられた人たちも。
生存者によると発泡はおそらく3時間程度、非常に長い
時間に渡ってほとんど途切れることなく銃声が聞こえていた。
コンサート会場から飛び出して走る人たち、何があったのか
把握できないままに驚く隣人、2階や3階から逃げようとして
窓にぶら下がった状態の人、必死で会場内で息を殺して逃げ延びた人・・・


テロリストたちは爆弾を身体に巻いており、3人は自爆によって死亡。
フランス特殊部隊は深夜に突入したが、おそらくすでに
状況は地獄絵図と化していた。
バクタランのあるヴォルテール大通りには
救急車が十数台並び、街の人たちは
深夜のバルコニーから様子を見守っていた。
近隣のカフェでも事態を把握した店主が客達をカウンターの内側に避難させ、
その後は店主の家に招き入れるなど、非常事態の待遇をした。
警察が突入してから保護された人たちは数台のバスに乗せられ
即座に病院で手当を受けたり、精神科のカウンセリングを受けるなど
きちんとした対応を受けている。

標的となったのは主に11区や10区のカフェ、レストラン等で、
カフェ・ベル・エキップのテラスでは車でのりつけた
テロリストが銃を乱射し、18人が死亡。
バー・カリヨンとプチ・カンボッジの間でも12-14名が亡くなった。


サンドニのスタジアムの周辺でも3回に渡り爆発音がした。
これはスタジアム内で起こったわけではないが、観客席は揺れ、
サッカーを観戦していたオランド大統領はハーフタイムにすぐ避難。
爆発はファーストフード店などスタジアム周辺の3カ所で
起き、2人が死亡。9人が重軽傷をおった。


ただちに行動を起こしたオランド大統領は
フランス全土に非常事態宣言を発動。
国境のコントロールを強化し、土曜日の大学や図書館、学校、
マルシェ、プールなどはすべて休館させることに。
テロリストたちが合計何名で誰が逃亡中かわからないので、
現在パリでは本当に緊急の時以外は動かないようにとアナウンスされている。
メトロなどは通常とおり運行しているが、外出は極力さけるべき。
映画館も自主的に全て休館となり、ルーブルやディズニーランドも休館(土曜)

パリのテロに衝撃を受けたオバマ大統領はただちに演説し、
フランスのための支援をおしまないことを約束。
「自由、平等、博愛」とフランス語で発言し、それは
人類全体にとって大切な価値であると語った。
オランド大統領、首相、内務大臣は特殊部隊の作戦終了後バクタランを訪れた。
フランス中の警察や軍隊が動員されて非常事態にむけて対処を行う。

家に帰れなくなってしまった人たちのために
ツイッターではPorte Ouvert というハッシュタグが設けられ、
泊めてあげられる人、泊まりたい人たち同士で情報交換ができるようになっている。
Facebook社もただちに行動をおこし、安全を確認できるボタンを設置した。

また、負傷者のために献血をしようとする人たちも後をたたない。

フランスは3日間喪に服すことになり、月曜には1分間の黙祷をする。
フランスは全土で緊急事態宣言が出されているが、多くの都市で
土曜日に追悼集会が開催される予定。


11月14日、日本時間22時時点での情報です。
情報源 Le Monde.fr, ラジオFranceinfo、France 2

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