alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

本当の国際交流

2012年03月24日 |  カフェ的な場で考えたこと



 「住んでみたい と思ったのは 旅行で何回が行ってはみても
日本に帰ると何事もなかったかのように日常に戻ってしまうから。
住んだら自分の中に何かが刻印されて日常も変わるのかな と 思ってね」と
2001年の8月に 留学でパリにやってきた私は泊まっていたユースで出会った
日本人の女の子たちに語ってた。

 「確かにそうですよねえ 私もアジアとか行って感動して帰って来ても
2週間くらいするともう日本の日常に戻ってて、、」そう話してくれた
彼女たち は 何日かして日本へ帰った。もうパリなんて 忘れてしまった
かもしれない。「刻印」をうけるために住むことにした私はやたらと
深い刻印を押されてしまって日本に帰ってからの世界はかつて目にしてた
世界とはだいぶ変わって見えたけど それでもあの時の1年間は
あんまりものを 見てはいなかった。たとえパリに住んでても。


 「海外に行ったところで人は結局もとの物の見方の方が勝ってしまうから
例えガイドに何か変わったことが書いてあっても「そんなはずない」と
思ってしまい 結局そういう目で物事をみてしまう」とパリのツアーで
感銘を受けてくれ、また一緒にツアーを企画しようと言ってた人が
話してくれた。ああだから 私が例えパリに住んでも
チーズは知ってるものしか買わない、見たこともないオレンジ色のや
灰色の大きなチーズ それにマルシェにいっても「???」という
ものには手が出ないのか。あの頃はワインだって友達の家で出された
安くておいしくないものか飲んでなかった。だからフランスのワインは
美味しいということを知らないままで終わってしまった。


 そんな風に 例え海外にいったところで自分の元々の物の見方は強い。
見たいもの 見えるものしかみていない のが 人間というものらしい。
ところがそこに水先案内人が居たのなら?「フランスに来たんだ。
このワインと靴下の匂いのチーズを食べてから帰りなさい!」と
宿にワインとチーズを持って来てくれたフランス人。たくさんのものを
découvrir(デクヴリール 発見する フランス人が好きな言葉。
まさに目隠しされてた覆いを取るということですね)させてくれた
フランス人たち。彼らのお陰で私は知らなかった本当のフランスを
学んで行った。なんだ こんなにも美味しいものが存在してたのか!
こんなにも素敵な暮らしが本当にあったのか 「そんなの嘘!」と思ってた
フランスのイメージは実在していた。だけどそれは
たった一人で寂しく留学生をして外国人とつるんでいても
決して見られないものだった。そこにはその国をよく知っている
水先案内人が必要なんだ。それは京都観光でもそうだと思う。


 本当のその国やそこでのあり方を 誰かが案内してくれたなら
そこにはdécouvrirが起こるしショックを受ける。見ているようで見たいものしか
見ていなかった目は自分の固定観念という覆いをとって
「こんなのもありなのか!!」と違う何かを見させてくれる。
そういえば私が「そうだ!カフェだ!」とインスピレーションを受けたのは
アムステルダムで活動家たちが集うという、かっこいいベジタリアンなカフェに
連れて行ってもらった後のことだけど、それはオランダ在住の知人が
いろんなところに連れて行ってくれたから。そうして観光では
行くような場所ではなかった 彼らのライフスタイルに密着している
カフェを見させてもらって度肝を抜かれたというわけだ。

 そうして私たちは揺らぎ始める こんなの、、、ありなの?
こんなの、、、あったらいいなあ?あったっていいはずじゃない?
どうしてそれが可能なんだろう?どうやったらできるんだろう?
彼らにそれができるのだったら 私にもできないはずはない、、、


 そうして肌で何かに触れてしまうと 私たちは変わり始める。
いくら本や映画や講演会で何かを言われても「そーんなの
あんたが特殊だからでしょ!私には無理!」で終わっていたものが
実際に肌で触れ、しかも目の前の人もどうも自分とたいして変わらない
同じ人間なのだと(まさにカフェみたいなところで飲食をともにして)
感じてしまうと どうして自分にはできないのかと不思議に思ってしまうだろう


 同じ人間なのに、、、な


 そう 同じ人間なんだから。


 そこですごい揺らぎが生じて しかもそれがグループ単位だと
彼らが自分の場所に戻った時に 一人じゃないから共有したイメージをもとに
何かをすっと変えて行ける。そこでは一人きりで物をみてきてガツンと
衝撃を受けた人が抱いてしまう孤独感は存在しない。むしろ一緒に
前にすすめる。それがグループの強さだろう。


 本当の国際交流っていうのは そういうことじゃないのだろうか。
日本で茶道を経験してみて「あー正座ってなんて大変なの!かたっくるしいわ
一杯のお茶飲むためにこれ?」と思うフランス人。そしてもてなした側の
日本人は「なんだよちょっとくらい我慢しろよ!」と思って終わる。
それが真の国際交流?歌舞伎とか民謡みてればそれでいいの?
それよりも何かにドーンとショックを受けて じゃあ自分の立場では何ができるか
それがいいならどう取り込むか そうやって受け入れること
お互いにいい面を学び合うこと 表面を触って知ったかぶりになるんじゃなくって
そんな心と心が打たれ合う経験の機会 もっと作り出してみたいなあ

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