alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

他人の目

2012年03月21日 | 日本の「空気」


 先日友人が住んでいるシェアハウスに 
京都でカフェをしている共通の友人を呼び その子と
話をしようと思っていたら あれよあれよという間に
沢山の人が集まって、「私も話したい!」「私もききたい!」
まぜてまぜて 私も人生の転機やねん、、、というわけで
コンビニに日本酒を買いにでかけて1時すぎまでみんなで
いろいろ語ってた。


 どうしてこのタイミング で? 

 どうしてこのタイミング で なんだかうまくコトが運んで
私たちはここで話す機会を得たのだろう?


 彼女がそのカフェを辞めるのか それともまわりの
ちょっとした期待に沿ってそのまま続けてくれるのか は 
私にはわからないけれど その時出会った女子たちの
話をきいててわかったことは 他人の目 って
おそらく私たちが意識してるほどには 意味がない ということだ。


 
 外国に行って自由で開放的な気分になっても
そのあと日本人女性の胸をいちいち締め付けるのは
私たちががんじがらめになってる日本的な価値観で どうやらそれは
宇多田ヒカルが歌ったように 外国や遠くに行っても
追ってくる。「だって私は私なんだから」というもので
自分がそれを自身で乗り越えない限り どこまでも私たちにつきまとう。

 内在された他人の目。それものすごくリアルだけれども実体はない。
そういえばフーコーはパノプティコンって言っていたっけ
本当は監視されていなくても 監視する人がどこかに外出してても
「監視されてる」そう思うだけで 人は萎縮してしまう、、、


 そしてそんな内在された監視の目である「他人の目」が
おそらく世界中のどこの国よりも強く働くのが日本だろう。
私はフランスで政治について勉強したとき ピンとこなかった。
「人間は自然状態ではオオカミである?だから法で規制を
しないとならない?」どうして?日本では法なんてたいして働かなくても
たいていの場所に秩序があった。そう 全ての外国人が地震の後で絶賛したのは個々の
日本人に内在されてる秩序の力。でもそれは他人の目 という恐ろしいものでもあるわけだ。



 フランス人のすることは 日本人には理解できないことも多い。
「フランス人は子供を産んだ後 母乳をとめる薬を飲んだりするらしい」
という話をしたらそれを聞いた人は鼻で笑った。彼らのやることなすことは 
日本人には突拍子もなく聞こえ、バカじゃない?と嘲笑われることになる。


 だけどようやく私はわかった。私たち は 本当は
それをやってみたっていいかもしれない。それも悪くないかもしれない。
だけど自分の中にすごくブレーキがかかっているから
とてもじゃないけど想像できない。まさに彼らは「想定外」。
だけど彼らの頭がおかしいわけでも人間としていかれてるわけでもなくて
もし自分にも それだけの環境やそういう状況があったなら
そうなることもあるかもしれない。その方が気持ちいいかもしれない
その選択だってありかもしれない。もっと自分の気持に素直になってみたのなら、、



 だけど幼少の頃から執拗に内在された他人の目 は 私たちを律し続ける。
私が京都で話をした人は大学3年くらいのときにワークショップで
「人にこう見られたい自分」と「本当の自分」のようなものを書いていくとき
「こう見られたい自分」しかなくて愕然したのだと語ってくれた。
その時彼には「自分」がなかった。それは「他人の目からどう見られるか」の
自分でしかなかったわけで 彼の家で出会った女の子は「もう自分の本心なんか
わからへん!」と叫んでた。本心がわからない!その気持ちはわかるけど
でもそれってまわりを気にして合わせよう合わせようとしすぎた結果のことだろう。


 この国の社会のなかで 自分を見失っているのは 何も母親だけじゃなかったようだ。
若い働き盛りの女性も 大学生も もしかして高校生も?そして年間3万人という
自から命を絶つ人たちも 自分を失い、何が一体大切なのか さっぱりわからなくなっている。
そして一番大事と思わされて来た 内在されてる他人の目 は自分のことを
責めつづける。だけど本当のまわりの人は?


 「あんたに苦しんでほしくてフランスに行かせたわけじゃない」と
うちの母は留学中に国際電話で話してくれた。「そんなに苦しいなら
カフェにでも行ってればいいじゃない」って
そこからカフェの研究がはじまった。行ってもいいの?私は彼女のために
母を喜ばせるがために苦しみながらも勉強を続けて来たと思ってた。
でもそんな母が大どんでん返しみたいなことを電話で言った。
私には何がなんだかわからなかった。

 でも今にして思えばそりゃそうだ。実在しているまわりの人や友達は
誰もその人に苦しみつづけてほしくない。苦虫をかみつぶしたような顔して
生きられるより いつか見せてくれたような素敵な笑顔でいてほしい。
内在されているのではない 実在している他人の目 は 
自分が想定しているよりも 意外と理解があるものなんだ。


 だからもう 本当は活き活きしてればまわりの人も
嬉しいんだって 人のためとかいって偽って苦しい顔をしてないで
あの時みたいな活き活きした顔で楽しいことやって
まわりを笑顔にさせたらいいんだ
まわりの人は 本当はそんなくらいに思っているなら
内在されてる他人の目なんてゴミ箱に捨てたほうがいいんじゃない?

 私たちを縛って苦しめるのは 結局自分の中にある 他人の目でしかないわけで

自分が勝手に「まわりの目」を気にし始めた瞬間に 歯車はギシギシと変な音をたて
おかしい方向に回転していく。そうしてそれは止まらなくなり
どれが本当で どれが嘘かも わからなくなり 深く貼付いた仮面は
自分一人ではもうはがせないほどになっている。


 他人の目 は まだまだ私たちを縛ってる。でも足をひっぱりあうんじゃなくて
もっとみんなが活き活きできたら?私もあなたも 応援するよ!
そんな風にやっていけたら 人間もっと沢山の力を発揮できるんじゃなかろうか。

自分らしさ?

2012年03月12日 | 日本の「空気」



 「出るくいはうたれる。」

 フランスに来て自由な空気を吸って開放的な気持ちになった
日本人たちが ちょっとフランス人の友達でもつくってみようと
勇気を出して ミッシェルが主催している「お茶会」という
交流会に参加をすると まず目に飛び込むのがこの言葉。



 沢山の日本人が出入りしている彼の家には
広いすてきなキッチンがあり そこに掛けられた
ホワイトボードにこの言葉が書かれてる。ホワイトボードの
他の言葉は この家に来る人たちに書かれては消され 違うものになるというのに
もうおそらく2年以上も この言葉だけは残されたまま。


 パリに来て一番印象を受けた日本の言葉。
なんでまた パリに来て こんな言葉に出会わないといけないんだ、、、

 私にとってこのホワイトボードの上部にへたくそな字で書かれた
「出るくいはうたれる」というものは 忘れられないものだった。


 
 「出る杭は打たれる。」

 どうしてこの言葉だけが消されることがないのだろう
これをみて どれだけの日本人がウッとなったことだろう
だいたいパリなんかに住もうとする日本人は 大抵の人は
出る杭として打たれたことがある人なわけで
パリ在住の日本人はやたら変わったというか 変な人が多いのは
多くの人が認めるところだろう。


 私はこの日本の人生の中で さんざん打たれてしまったから
もう自分というのが何なのか 半ばわからなくなっていた。
最後の抵抗みたいな感じで 水の中でバタバタもがくことはあったけど
私にはよく自分というのがわかってなかった それに自信なんてこてんぱんに
砕けちってた。それは恐ろしいことだと思う。


 オギャー!と生まれた瞬間に 子供たちは何かを強く主張する。
おっぱいが欲しい、こんなんじゃやだ、もっとこうしたい!
そう強く主張できるのは それが通ると知っているから
まさかそれが拒否されるなんて思いもよらない。
生まれたときから自信がない赤ん坊なんていないと思う。
彼らは自信に満ちてこの世に生まれ落ちてくる。
愛情?注いでもらえて当然でしょうママ?ご飯?もちろんおなかがへったらもらえるものさ!
そんな感じで彼ら異星人はこの世に生まれ落ちてくる。


 だけどどうしてなのだろうか そんな自分という揺るぎない
存在に対する主張や気持ちに満ちた彼らは いつしか
自信を失っていく。それはもちろん人により
そうならないで 自信をもって生きられる人もいたりする。
だけど私が今まで会って来た人たちの中で言ったら
いかにも自信に満ちてそうに生きている人なんて
ほんの一握りしかいなかった。多くの人は「私なんて、、、」
と自信がない中なんとかがんばって生きている
私の目にはそう映っているのだけれど。


 なんでそうなってしまうのか 私にはよくわからない
自信に満ちた赤ん坊や小さな子供が こてんぱんに
自信を喪失するまでに 一体どれほどの事件があれば足りるのだろう?
少なくとも私の場合は人とちょっと違っていたから けっこう
いろんないじめがあった。昔外国に住んでいたから?
髪の毛が茶色かったから?まずは外人!と言われていたし
顔の横にあるホクロのおかげで小学校は男の子たちに
さんざん嫌な呼ばれ方をした。いわゆるいじめみたいな雰囲気に
クラスがなってたこともある。下駄箱で画鋲が入っていたこともある。
だけど私はあるときわかった。なんだあんたたち
つるまなかったら何もできないんじゃん!自分の意見も言えないくせに!
それで私は もう仲間らしいものにいれてもらえなくても
自分として強くなろうと 5年生くらいの時だったかに決意した。
それでも道はきつかった。


 さんざん?そう さんざんだった。 自分の意見を発したことで
さんざん批判をされてきた。それは言い方も問題でもあったのかもしれない
だけど私は出る杭だった。出たくて 叩かれたくて出たわけじゃない
そうじゃないの?それって大切なことじゃないの?と感じてコトを起こして
それらのコトが そう いつも 自分が思っていたよりも
重大な結果を招いてしまっただけだ。そうして散々なことを言われて来たし
散々私は脅されてきた。「受験をするなら退学届けを出してください」
「職員会議にかけますよ」「校長の首が飛ぶかも」
「そんなこと言うんだったらもう朝ご飯は作らないからね!」
大学院にしたってほとんど追い出されて卒業できたようなものだと思う。
そんな私に 自信を持て という方が むしろ無理ではないのだろうか?

 
 けれども私はなんとか生きた。そうして今までこの世に存在するわけで
散々叩かれて来ても どこかで誰かの意見が変わったりする
「環境問題は大切ですね」「環境対策をやりましょう」「はあ?カフェ??」と
さんざんバカにされたようか顔して聞かれたカフェの研究も
今ではなんとか共感してくれる人たちを沢山みつけることができた。
だからやってこれたのかもしれない。今にみてろ!と思って来たから


 だけどできれば 本当は打たれてなんかいたくない。
本当は「まあ素敵!面白いね!一緒にやろう!」と言ってほしい だけど
そんなことはまれだった。「はあ?」というのばっかりだった
だから私はこわかった。いつだって 自分の意見はなるべく言わないようにしていた
批判も断罪も怖かったから どうして私が書くかって?
それは私が向いあっているのはパソコンや紙であり
私を面と向かって断罪する誰かではないからできることなのだろう。



 そんな私に ようやくクルミドというカフェでの仕事に慣れつつあった私に
喫茶店の社員の人が「飯田さん もっと飯田さんらしく
働いてくれたらいいんですよ」と言ってくれて驚いた。


 自分らしく??


 「この店はそんな店を目指してますから。みんなが自分らしさを
発揮して その人目当てにお客さんが来てくれるような、、、」


 そんな話は聞いてはいたけどいざ自分ごととなると
私は一瞬途方に暮れてしまった。私らしいって何だろう?
私が最近わかったことは 私はさんざん自分を偽って来たということだ。
それはおそらく 自分らしさを出すことと 社会的軋轢との
関わりの中で 自分が苦しまなくてもいいようにと
無意識にとってきた守りの姿勢だったかもしれない。
私だって怖かったから。私だって痛かったから。例え泣いても
助けてくれる人なんていなかった。だからくそ!!と思う意外に
立つ方法なんて存在していなかった。私が『cafeから時代を創られる』を
書いたのは 「女は子供産むことが一番の幸せ!!」という考えの
見本のような愛知県の吉村医院を見学に行き、そんなのは耐えられないと
家のトイレで嗚咽した後のことだった。


 私はたいてい 誰かの期待に応えるように そう
「求められるいい子」になろうとして頑張って来た。
だけどそんなの無理だった。学校の成績だけは良かったけれど
悲しいかな30年経った今 日本で受けて来た学校教育の
大半は意味がなかったとしか思えない(国語と歴史と家庭科は役にたったけど)
そうして私が「それでも!」と自分の道を行こうとすると
そこには軋轢しか待ってなかった。それはいつもそうだった。


 そんな私がちょっと自由で自分らしくなれたのは
フランスという国の空気やゆるさや自由さやどうでもよさのおかげだろうと
思うけど 相変わらずこの日本という場において 「飯田さんらしく」と
言われてみても 私の頭は?で一杯になってしまう。
私らしいってどういうこと?私は予期せず クルミドの人たちの前で
私が思う私らしさをフランスで出してしまった
それは細胞が喜ぶような美味しいものを食べたときとか
思わずみんなが帰国する前に一人一人とハグしてしまったりとか
ちょっとワインを飲んだときとか フランス人たちといるときだとか?
生真面目な私を捨てて 自分らしくなってしまった
だけどそんな私は 他の人たちが目にして来た私とは全然違うと思う。
蓮太郎とアホなことをしているのは楽しいけれど
とてもじゃないけどそんなシーンは他の人には見せられないと思うくらい
この国のコードの中には存在しない いやはみ出てる それが
本来の私なのかもしれない。だから私は外国にいくとちょっと嬉しくなるのだろう
だってアホなのも、社会について思うことがあったりするのも
もっと自由に生きていたいのも 私だけじゃないと思えるから。


 日本でもっと20年以上貼付けて来た仮面を脱いで
自分らしくいられることはできるのだろうか?
そんなこと 問うたことすらなかったけれど
できることなら 私だって自然な顔で笑っていたい。

自己責任

2012年02月28日 | 日本の「空気」


 「ねえ 私たち 間違っているわけじゃないよね?
別に頭がおかしくなんかないんだよね?」市民法廷の帰り道
高校時代の友人と 立ち寄ったカフェでつい熱く語ってしまった。
彼は私同様もがいてる人生を送ってる人で
彼と話をしていたら なんだか気が少し楽になったのか
それまでの体調不良も治りつつあるような気がしてホッとした。


 私も彼も 自由を求めて同じ高校にやってきた。
彼は元いた高校を辞め、私はエスカレーター式の
私立の女子校に退学届けを出して無理矢理受験してその学校にやって来た。

「だけどさ 結局あの学校での想い出ってなんか孤独じゃない?」
「そうそう 私も孤独だったの!なんかあの コンクリートに
囲まれた建物の中で 寂しかったのだけを覚えてる。
仲間がいるかと思って来たのに なんかやっぱり自分だけ
変な感じがしてね、、、」そう 私は孤独だったのだ。
あんなにも「自由」を売りにしていた神奈川総合高校という
神奈川県ではじめての単位制の学校に かなりの熱意を持って
入学してはみたけど 私は浮いてる存在だった。
でも私は別に 人と違っていたいとか 変でありたいなんて
思ったことは一度もなかった。「みきちゃん 人と違っているのは
快感だね」なんてさわやかな顔して言ってたクラスメートも居たけれど
私は違ってなんていたくなかった。だけど私は異なっていた。
私は自分でありたかった。ただそれだけのことなのに。


 そんな我らは高校生のころと対して変わらぬ生活水準で
生きていて 相変わらず 夢を見たり 現実は厳しかったり
だけど私は彼の言ってたことがよくわかる。彼は確かに
ちょっと変わっているかもしれない。だけど別に
おかしいことを言ってるわけじゃない。ただ 彼は自分でありたいだけなんだ。
私もそうだ 沢山のことを疑問に思う。どうして?それで本当にいいの?
伝統って 伝統を守り続けていればそれでいいわけ?
時代を見ることだって大切じゃない?
たくさんの人に「もうやめたこんなしんどいの!」って言われても
それでも型を守っていればそれでいいのだろうか?
そう 日本では 型があまりに大切で
そんな教育がものすごく小さいときからされているから
型からはみでる 型にはまれない それはいつも例外でしかなく
例外たちは辛い思いをし続ける。


 「私さあ、 こう見えても 別に辛い人生を歩みたいだなんて
これっぽっちも思ってないんだよ。私だって幸せで穏やかな人生がいい。
本当にそう思ってるよ。でもなぜかそうならないの」

 自分自身であるということ それはこの国では そんなにも
難しいことなのだろうか。私は本当にうらやましい。
この国で楽しそうに笑える人が。 私だってそうしたい
でも私はなんだかひきつってしまう。それが何によるのかはわからない。
小さいとき外国に住んでいたから?私には外国語の私と日本語の
私がいるのだろうか?私だってそれなりに 日本のコードは
わかってる。わかっているからその中で 私は本当の私になれない
そんなこと 気にもしないで楽しそうに沢山の人たちと
話ができる そんな人たちがうらやましい。
私だってできることならそうなりたい。

 私はフランス語をしゃべったときや 英語を話している時は
どうやら本来の自分になれる。何がなくとも なんだか楽しい。
だけど日本語で話しているとき なんだかすごく躊躇して
友達であったはずの人とも 心から思いのたけをこめて
話すこと が なかなかできずに辛いと思う。
だから久しぶりに彼と忌憚なく話し続けることができて
なんだか救われたのだろう。


 「日本ではさ ちょっと人と違うことをすると自己責任になるんだよ」
そしてその責任はあまりに重い。私は先日大学のゼミの女の子たちと
食事をしたけど 誰一人子供を持たずに自由な雰囲気の仕事を楽しんでいそうな
人たちの中 子供を産むことについて尋ねられても ポジティブな答えは
ほとんど何もできなかった。「まあそうはいってもかわいいよ」冴えない顔して言うくらい。

 「それで、みきちゃんいつも何してんの?」と聞かれても
あんたそんな答えきいて楽しい?と思ってしまう。
「うん 公園に行ったり 絵本読んだりブロックしたり iPadしたりね
それから蓮太郎を躾けたり」そんなことで日々は終わってく。
子供をカフェでいい子にさせるのに どんなに時間がかかるかわかる?
子供が上手にスプーンでものを食べるために どんなに時間がかかるか知ってる?
そんなことやってるだけで 時間なんてあっという間に終わってしまう。
だから私は 彼女たちが当たり前にすることなんて そのスピードでできやしない。
でもそれ以外に答えようなんかない。保育園があればまだ話は別だろうけど
そうじゃなければそんな日常 そんな日常、あなたたちは自分ごととして
受け入れられる?でも子供を産むのも「自己責任」「あんたがそうしたんだから。」
そう 全てがそれで終わって 自己責任という名の都合のいい名の社会的放任の下
沢山の人が重荷を背負う。「転校?そんなに放射能が怖いなら勝手にしたらどうですか?
私たちは止めませんよ。自己責任ですからね!」だけどすべての責任を
他の人たちがとってた道と ちょっと違う道を選んでしまったことに対する
全ての責任というものを もしたった一人で背負うなら だれも
そんなことはしないだろう。だから彼女たちは子供が産めない
このままなら産まない方がいい。だって犠牲の方がどう考えても多いから。


 私だって 別に若い女の子を脅したいとは思わない。
いいことだって話したい。だけど現状はあまりに厳しい。
「うーん そんな人生を送りたいなら 今の現状だと子供は
できる限り遅く産むのがいいんじゃない?」というくらいしか私は言えない


 じゃあフランスだったらどうなのか って 私にもわからないけれど
先日ラジオで耳にしたのは 70年代くらいは「子供を産みたきゃ産めばいい。
それは母になる人の自由。だけど産んだからには文句を言うな!」という
環境だったらしい。それがどうも(私の理解が正しければ)いつからか
「子供は母親が面倒をみるもの!」という考えから「国が面倒をみるもの」に
変わっていったらしい(これちょっと耳を疑ったので本当かどうか
また聞いてみます)だからなのだか フランスは子育てに対して今では
ものすごい手当がでるらしい。保育園はなくっても 乳母を頼んだら高いけど
その半額ぐらいは補助で返ってくるとか 2人目を産むとかなりの
手当がもらえるだとか 3人も産めば国鉄が半額で乗れるとか
産めば産む程優遇される そんな措置が沢山ある。
それらはもちろん 女たちが歴史の中で勝ち取ったもの。
彼女たちが口をひらいて「そんなのひどすぎる!」と訴えて、、、


 それに私がフランスに居たとき聞いた話では フランスでは
子供に文字を教えるのは幼稚園の先生なのだという。私は
日本ではあいうえおを教えるのは母親の務めだと思ってた。
それもあってものすごく教育に対して「どうしよう あれもやって
これもやらなきゃ!でもできないよ!!」と思っていたけど
ふっとフランスの科学教育のことを考えてみたら あれ?
そういえばあれ 幼稚園の授業じゃん。ボンヌママンのムッシュー
ビスキュイみたいなのもいれば 私が頑張って教えなくても
公的なサービスによって身につけていけるってこと?と理解して
それだけで身が軽くなった。そう 私が思うにフランスは
(そして多分北欧なんかも)高福祉国家にすることで
税金は高いけど 人々の負担を減らしてる。
肩の荷を軽くしてくれる政策をとっているのだと思う。
「ああそうか 自分で背負わなくてもいいのか!」と思えば
どんなに気が楽だろう。(フランスでは無職のシングルマザーで
4人の子育てをしている人もいるらしい)日本だったら
子供にスイミングを習わせるのも 公文に行くのも
もちろんバレエも全部自分で払わなきゃ。
そうすると「うちはお金がないから子供を産めない」になる。
幼稚園だってものすごく高い。私にはどうやったら
うちの息子を幼稚園に行かせるお金があるのかとんとわからない。
そうすると「お金ないなら子供はやっぱり産まない方がいいのでは?」と
アドバイスもしたくなる。旦那がそれなりに稼いでいたら
保育園代もめっぽう高い。その保育料を支払うために
働くようなはめになるけど、別にそれは社会保障で補填されることはない。
そう 私たちの肩にはどんどん いろんなものがのしかかる。


 小学生になったなら?そうしたら少しは楽なのだろうか
どうして日本の義務教育は3歳からじゃないのだろう?
普通は幼稚園か保育園にいくのであれば どちらもほとんどタダくらいに
してはもらえないものなのだろうか?(フランスは幼稚園から義務教育でタダ)
子供は宝とか言ってるくせに そんなんじゃ宝を増やせるわけもないではないか?
「そんなのね あんたが選んだんだから文句言う資格なんてない!」と
言われるのが日本だけれど 1つだけの道に属せない人だっていると思う。
それは「わがまま!」の一言でいつも終わりになるわけだけど
本当にそれでいいのだろうか?本当は苦しいだとか
本当はそんなのは嫌だとか 言うことが許されない社会の中で
ニートも引きこもりも不登校も自殺も減らない一方なのは
彼らがただの「例外」じゃなく あてはまるべきものに
当てはまれなかった人たちで でも声を出すことも許されないし
聞く耳も持ってもらえなかったから 社会的例外のような存在として
実は沢山存在するのに 相変わらず肩身の狭い 自分なんて という気持ち で
暮らしているんじゃないのだろうか でももしかして
彼らだって ちょっとまわりの人よりも 自分の気持ちに素直であっただけかもしれない
もっと人と違うことを認めてくれて 多少なりとも社会的に許してくれたら
「自己責任!!」の名の下に すべてを一人で抱えて声も出せなくなってしまうほど
力をなくしてしまう前 に 少しでも許されたなら 結果は違ったかもしれない。


 福島とか 子育てとか カフェだとか ジャンルは全然
違うけど この国の根底には 共通の何かがあると思うようになってきた。
それはおそらく 社会的圧力というのだろう。圧力は人を殺すこともある
圧力で人が死ぬこともある。この国の社会問題は
1つだけの道しかないこと それしか許されていないこと
そこと大きく関係していると思う。

情報力

2011年03月19日 | 日本の「空気」

 恐ろしい地震が発生してから1週間がたったらしい。


 この1週間は きっと日本の人たちにとって
そして世界中の人にとっても 普通の1週間とは
全く違った どう形容していいのかわからないような
7日間だったのだろう。


 私にとっては はじめの2日くらいは
何が起こったのかわからなかった
なんせうちにはテレビがないから
他の人たちが口にしている地震のすさまじさを
映像では見ることもなく 何がなんだかわからなかった
それで何があったか理解したくて
友人の家に朝晩とテレビを見せてもらいに行った
そうしてひたすらショックを受けていた。

 
 それから3日目くらいだろうか
フランス人たちからさんざん原発のことを言われはじめて
彼らの言うことになんとかついていこうとしてたら
沢山の情報を出来る限りチェックするようになり

 それから次第に私のフランス語力もアップしたらしく
状況がだんだんと把握でき 何が起こって
これから何が起こりうるのか 少しずつ
頭が整理され始めてた。


 今日私 は これからの自分の状況と
この先の日本の状況とを考えながら
いろんな人と話をしてたら
彼らもやっぱりこの一週間ですごく変わったらしく
ある人は「コペルニクス的転換」だと言っていた。


 たまたま私は 普通のママの姿をしながら
フランスとつながってたし この1週間ほど
強いパイプを感じたことはないくらいに
フランスから情報がバンバン入って来ていて
それでなんとか情報が理解できたけど
今日話をしてた人たちは この1週間で
ツイッターをしている人としていない人との間に
すごい情報格差があるのだと言っていた

 テレビのニュースだけみていたら
入っては来ない情報が 他から一杯入って来ていて
それらを全部重ねた上で 今の状況を把握して
かつ自分の状況と重ね合わせて 自分は何を選択するか
とくに変わらない人もいるだろうけど
日本にとっては新年度。新しい会社に入る人だって
東京の大学に行く人だって 一人暮らしで引っ越し予定の
人だって たくさんたくさんいるわけで
こんな時「東京にはこないほうがいい!」と言われてみたって
念願の東京の大学に受かった人だって沢山いるわけだ。


 そんな時 日本の大変な状況と 今の自分の仕事や
立場とを照らし合わせて どんな行動を どんな一歩を
踏み出してみるのか それらがすごく問われてて
もうこれからは「会社がこうだと言っていたから」
「上司がこうしろと言っていたから」そうしましたという
そんな時代ではなくなって 情報をどれだけ集めて
どれだけアクセスポイントをもち そこで
どう自分が動くか そんな時代に まさに
変化しつつあるような気がしてしまう。


 こんな時 に 他の言葉が使えていたこと
語学を勉強していたことが 役に立つとは思わなかった
だけどいざという時 誰と話して どこにアクセスできるかで
何かはすごく変わる気がする。頼れる友人を
持っていること いいアドバイスが聞けそうな人が
まわりにいること いい情報源をもっていること
それってとっても大切なんだろう


 「だってあのときあなたは大丈夫って言ったじゃないか」
そんな事件は何度も起こった。だからこそ 本当に
大丈夫なのか 全く信頼しないというのも
それはどうかと思うけど 賛成派だけじゃなく
反対派の意見も聞いて その上で判断すること
「何も知らなかったけど そうするものだと思っていたから」と
そんな想いで後で後悔することのないように
情報を集め ちょっと疑い それから自分で判断すること
それってとっても大切なんだ
「あのひとたちがこう言ってるからこうなはず!」と
ひたすらに信じ込むだけでなく 批判センスをもってみること
それで自分は何を選ぶか まさに今の私には
そんな選択がかされてる。

不安だけれど

2011年03月19日 | 日本の「空気」
 
 今朝まで私は原発のことが心配で不安で
たまらなくなってたのだけれど 今日になって
フランスから届いたメールや彼らと話をしてみると
「なんだか思ってたよりいい状況になった
みたいじゃない よかったねえ!」とのことだった。

 なんのこと、、、?と思ってしまうけど
それは放水作業のことらしく 今朝の新聞の時点では
核燃料のプールには水が届いてないみたいだっだけど
午後には届いたってことなのかしら

 日本のニュースはなるべくチェックしているのだけど
なんだかどうも言葉だけではわかりにくくて
それで それってだから効果あったの?どうなのかしら?
と疑問をもってもよくわからない。また明日
新聞をみるとよく解説してくれているのだろうと思うけど


 彼らはどうしてこんなにも情報がはやくて
私たちよりいろんなことをよく知ってるのか
私には不思議でならないけれど 「なんでそんなに
心配するの?」ときいてみたら一人の友人がこういっていた
「だって遠いから状況がわからないからだよ
うちの近所でテロがあったとき世界中から電話が
かかってきたよ。だけどメトロは普通に動いてるし
ぼくにとってはそこまで変わらない日常だったんだ」
遠いからっていうのもあるのかあ

 彼らはいっつもチェルノブイリの話をするけど
当然のように参照されるわけだけど  私はそんな頭をもってないから
聞いても何だかよくわからない。今日ルモンドのページを開いてみたら
原発によってできる雲の話がのっていて
ああなるほど これが先日きいた話かとちょっとわかった。
だけど今では フランス側も まあ日本政府も
そんなに問題ないっていってるし 意外と大丈夫なんじゃない?と
驚いたりしているようだ。じゃあなんで避難勧告だすんだよ、、


 原発は これで少し収束に向かってくれるのだろうか
そうであることを願うしかないけれど
もうこれ以上恐ろしい事件が起きずに安心できるといいけれど
これからどうなっていくのだろうか 
朝起きて新聞を手に取るときや ニュースを見るのはなんだか怖い

温度差

2011年03月17日 | 日本の「空気」

 今回の地震があってから私が個人的に
どうしても驚かされてしまうのは
フランスと日本とのものの見方や報道の仕方であって
最近ではもうなんだかかつてパリに留学していた
時のように 日本とフランスとのその違いを
身体で学んで でもそれを日本の人に言ってももなかなか
理解されない そんなことが多くなってきた。


 そもそも私の場合は地震自体を知ったのも
フランス関係の仕事をしている方とお話を
してきたその後で フランスから携帯に電話がかかり
「大丈夫?みんな美樹のこと心配してるよ!」と
言われてはあ?なんのこと?と思ってた。


 昨日地震があった時間に一緒にいたフランス人と
話していたけど 彼の場合も同じで揺れを感じてなくて
私と話してそのあと5時頃、フェイスブックを
みてみたらやたらと友人が心配していて
はあなんのこと?と思ったらしい。


 その日の夕方私は何が起こったかを知るために
京都のラジオをつけたのだけれど やたらのんびりモードで
驚いて 1日目はほとんど何があったのかわからなかった。

 それからやたらとフランスにいる人達から
連絡がきて うちにはテレビがないからなのか
私がちょっと出ている隙にも彼らは情報を入手していて
「また爆発があったろう!」と言ってくる。
そもそも原発が大変らしいというニュースだって
私の場合はフランスから入って来たんだ。
ええ本当?なんのこと?と思って一体何が
どうなっているのか 自分なりに把握をしようと
もがいていたら いつのまにか
テレビがないのに まわりにいる日本人よりも
いろんなことを知っているようになり
こんどは私のまわりの人が 私にむかって
「ええ そんなことあったのー」と言っている
みんな テレビあるんだけどな。


 最近ではその温度差はどんどんと広まっていて
明確な被害が起こっていない京都はとてものんびり
みんなテレビをつけつづけていると不安になるから
最近はあまりみない人も増えているらしい


 そんなさなかに フランスではもう原発が
大変だという議論が沸騰しているらしく
フランス政府は関東にいるフランス人に
帰国もしくは関東より南にいけと行っているらしい
日本への渡航も自粛を呼びかけていて
昨日からかな 航空機の便も増発させて
どんどん帰国させてるらしい


 彼らはいつも 私にこう言ってくる
「チェルノブイリを知らないのかい?
あの時どうなったと思ってるんだ!」
私はちょっと言いたくなるけど 日本の
一般の人がいったいどれだけ チェルノブイリを
自分ごととして語れるだろう 今日母がもらしていたけど
「原発のことなんて難かしくてわかんないわよ!」と
言っていた。確かに知ろうとすればするほど
あまりに専門知識が必要で かなり面倒くさくなってくる


 どうしてこんなに違うんだろう
同じ日本のニュースであって
同じことを 時には同じ映像も使って話しているのに
どうしてこうも 日本にいる当事者であるはずの
私たちと パリという あまりに遠い外国の人達は
反応がこんなに違うのだろう 
誰かと話せば話すほど 私はなんだかひきさかれてく
コトは重大なんだろうと私は思う
彼らはそれを知っている
だけど私たちは 何かを信じているのだろうか


 私はこんなところにいるけど
正直いってとても怖くて いつも不安で仕方ない。



苦しさの正体

2011年01月31日 | 日本の「空気」

 京都のニュータウンでの生活に帰り
その「日常」に戻るたび 得体の知れない
苦しみを いつも感じて何なのだろうと?疑問に思っていたけれど
今日とある会合に行って なんだか謎が解けた気がした。


 この苦しみは 自由がないとかいうのではなく
みんなに合わせないといけないという
ある一定の形にはまった その形に自分を適合させないと
いけないという そこからくる苦しさなんだ


 そう 私 は いつだったか パリのメトロの出口を
エスカレーターで上がって地上に出るときに
どこにいたって適応の努力をしないといけないのなら
日本にいたって私にとってはとても苦しい努力がいるなら
同じ努力をするんだったら フランス語をがんばって
パリで努力したほうがいいじゃないかとひらめいた。


 そしてその 努力の向かう先というのが
2つは全然別のもの で 日本では 合わせる努力を
みんなと同じように、なにかを乱さない努力を
しないといけなくて 私にはそれがとても苦しい
そしてその先にあるものは?「我慢の先にあるものって
一体何なんでしょうね?」とパリに住んでる日本人の人に
尋ねてみたとき「何にもないわよ!何にもないのよ
美樹ちゃん!」と真顔で力説されて驚いた。
日本では?そう お前は我慢が足りてないんだ
口は災いのもとなんだ 結婚とは忍耐です、、、
パリの場合は 言葉を磨いて 知識をつけて
もっともっと自己を表現する努力 で
私にとっては知的刺激にあふれてて
私にとっては 考えていたい そして書きたい
私にとってはやっぱりそちらがいいようで


 同じ自分がもしいるのなら
笑顔なんて蓮太郎といる時にしかでない仏頂面の自分というのと
何故かいつも活き活きと楽しそうにしていられる自分がいるなら
私は笑っていきていたい。


 「どうして女だからっていう理由で
自分らしく生きることが許されないの?」と
我が友人はパリのカフェで語ってくれた
自分らしくいきること のびのびと生きてみること
自然な笑顔で生きること が できるのならば
私は死んだ顔して生きているより そちらの道を選びたい


 私はものを考えていたい 自分の意見を表明したい
たとえそれが あなたの共感をよばなくっても
あなたに嫌悪感を与えていても どこかのだれかがいつの日か
一人でも共感するかもしれない。だから私は言葉を発して生きていたい


 どうしてブルトンが「くそくらえ!」と言ったのか
今ならなんだかわかる気がする それは彼が 適当に
生きてられたり もともと自由な人ではなくて
ボーヴォワールも同じだけど 既成の価値観にがんじがらめに
しばられて それに自分をあわせようとして 
きっともがいていたからなんだ
そしてある時 ハッと気づいた
もうそこでは生きていられない
それとは決別するしかないと?だから彼らは
くそくらえ!と声を大にして言ってみて
カフェという場に行ったのだろうか


 「あなたの話す日本っていうのは
 なんだか昔のフランスみたいね」と
パリ最終日に話した知人が言っていた。
そう 私はかつて ブルトンやボーヴォワールが
もがいてたころの まだ既成概念でガチガチだった
そんなころのフランスが 今の日本みたいだと思うから
だから共感するのだろうし だからよくわかるのだろう

 私は私自身でありたいと思う
笑って生きていられた方が だれかを笑顔に幸せに
することができるのだったら 私はまず笑っていたい
つくり笑いや へんにゆがんだ笑顔ではなく
心から楽しいんだと笑っていたい
まだ人生があるのなら 私は次のステップに移りたい。

素直

2010年08月24日 | 日本の「空気」


 子供が生まれて子供と関わり
子供から 学んだこと は
どうやったら そんなにも
笑顔で楽しく生きられるのか
どこにそんな秘訣があるのか
それがとっても気になって
何ヶ月か 私はそれを探ろうとした。

「どうしてそんなに楽しそうなの?」
と彼に尋ねる私の方は 苦虫をかみつぶしたような
顔をしたりして しつけとか どうしたら
いいのかな とずっと悩んでいたけれど
最近は少し何かがわかってきたようで
私も一緒に楽しんじゃおう
私も一緒に笑っちゃおう と思えるように
なってきた。


 最近いわゆる「2歳の反抗期」の
息子から学んだことは 「イヤ」というのは
反抗したくて言ってるというわけではなくて
「いい」か「いや」かと聞かれたら
「イヤ」だから「イヤ」というわけで
その時私は考えてしまう。
強制すべきかまあいいか、、、


 私の場合 たいていが「まあいっか、、、」
で終わってしまう。まだ時間あるし
別に死ぬ訳じゃないし どうしても
大事というわけでもないし
いやならいやでいいんじゃない?
じゃあママもしないわ
そんな感じになってしまう。
だからわがままになるんだよ!と
言われそうなとこなんだけど
こうやって聞いてあげると
本当にだめなとこでは言ったら
けっこうわかってくれたりするんだけどな。

 そう思う私が甘いのかしら?


 そんな彼とつきあっていて
私も「イヤ!」って言ってみたい!という
誘惑にかられ 言ってみだしたらこれが
けっこうやみつきになり、気持ちいい。
NOと言える快楽というのだろうか
イヤならイヤって言っていいんだ!本当に?
普通日本じゃいけないけれど
私もイヤだと言ってみたい。

 そうしてだんだん自分の気持ちに
素直になるようになってたら
もちろん笑えることが増えるのだけれど
そうしてられない場所の中では
そうしていたら明らかに浮く場所の中では
自分を隠し 嘘をつくしかなくなって
そうしているとどんどん苦しくなってくる。

 
 もう自分に素直になりたいな、、、


 嘘をつき 合わせ うすら笑いを浮かべてみても
そう 答えは顔に書いてある。

 楽しいか 楽しくないか
幸せそうか 哀しげか 満足なのかどうなのか
答えは顔に書いてある。
顔を読んだら 本当は すぐにわかってしまうのに
それは大人でも同じなのに
ついつい自分を演じてしまう


 もう私は演じてなんかいたくないのに
 まだまだ嘘をついてしまう。

 本当はとても辛くても
本当は面白くなんかなくっても
仕方がないから それしかないから
ついつい私は演じてしまい そこから出るのは
ため息と きっと仮面をかぶった表情。
そんなの誰も うれしくなんか ないのにね


 けれど私が本音で話をしたら?
だれかはわかってくれるのだろうか?
ママサークルの人たちや 地域の噂をしてる人たち
この狭い 地域の中で だれかわかってくれるのだろうか
私にはまだ勇気がないから
蓮太郎と一緒になって 二人で笑うのが精一杯。


 私はもっと 無邪気に笑えた
あの小さいころに帰りたい。
アメリカに住んで蓮太郎のような表情で
あははと笑った そんな私に戻りたい。
日本に帰って幼稚園に入ったあとは
孤独で淋しそうな顔をしている
そんな顔の私はきっと ママサークルで
蓮太郎を眺めながらも なんだかひとり
ぽつんとしている そんな私と一緒だろう。


 合わせる 嘘つく 楽しそうに振る舞ってみる
だけど本当は 答えは顔に書いてある。

 じゃあ答えを自分が知っていたなら
「大人」の世界にどっぷりつかった
私はどうしたらいいのだろう?
蓮太郎は 生きるにあたって
沢山のヒントを与えてくれた
だけど私はまだまだ私が縛られてきた価値観に
がっしり しっかり縛られていて
その縄を ほどいてみたいと思うけど
あまりにも身体に食いついてしまっているから 
ほどき方がわからない。


 日本にいると しなくてもいいのに
つい勉強をしてしまい 自由になってもいいのに
つい主婦の価値観にとらわれて
ああ だめだ と思ってしまう
もっと自由になれたらいいのに
私はパリでは自由になれて
本当に心地よかった ここではやっぱり
とらわれの自分の繰り返し。




 私は自分に素直でありたい
それは多分 沢山の敵をつくることだから
私は恐れてしまうのだろう
だけどもっと 楽になりたい
違う生き方をしてみたい
どうしたらこの自縄自縛から
解放されてゆくのだろう
我が子はヒントを与えてくれる
それらの縛りがとれたとき
私はもっと上方へ 飛び立つことができるのだろうか

フランスに行くなら

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