alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

カフェイン中毒

2017年10月07日 | 私の人生


カフェイン断ちを始めて1週間が経過した。その間
地獄のような苦しみにさいなまされつつ
なんとかして継続してこれたのは、ひとえに
肌のトラブルが日ごとに改善されてきたからだ。

私が本気でやばい、と思ったのは3週間ほど前の週末で、
その日は朝お腹が痛くて起きられず、トイレに
行こうと思ってもその距離が遠すぎて動くことさえ
できなくて、ようやくまともに立てたのが午3時という
経験をした時だった。そして顔には吹き出物。
顔を洗っても洗ってもなんだかベタベタした
不快感が続いてた。・・・これはまずい、身体が何かを訴えている。
だから改善しなければ。

そこでまずやってみたのはすでに経験したことのある
砂糖を(できるだけ)断つことだった。これでもだいぶ
改善されたとはいえ、顔にある吹き出物には
どれほど効果があったかわからない(髪の毛は
2日でツヤがでた)その他いろいろ試したものの、
他に思い当たる節もない。わりと健康的な
食生活をしているはずなのに・・・
それでもまだ、顔のブツブツは治らない。
ひとつだけ思い当たることがあるとするなら、私から
切っても切り離せないお茶やコーヒーなのだろう。


そこでなんとかカフェイン断ちをして1週間。
たった1杯のエスプレッソによるその後の
禁断症状はまさに拷問のような苦しみで、
エスプレッソを飲んだ1日後だけかと思いきや
2日目にも同じような、脳みそ全体を真綿で
締め付けられる続けるような頭痛、目を後ろから
ひっぱられるような痛み、背中から首にかけての
激しい緊張感などが続き、もし頭痛薬を
持っていなければ倒れていたのではというほどに
その症状はひどかった。カフェイン、本当に恐ろしい・・・!!

カフェの研究をしている私の本棚には
『カフェイン大全』という本があり、基本的には
コーヒーの効用をほめているものの、最後に
カフェイン中毒についての項目もある。それによると

「カフェ人を突然やめたときに頭痛が起こることは
何百万人もの人が日々の生活で経験しており、カフェイン
禁断のもっとも典型的な特徴の1つである。またこれはカフェインが
身体的依存性を持つ直接的な証拠でもある。カフェイン禁断の
一般的症状としては、毎朝のコーヒーを楽しめなかったときに
経験した読者が多かろうが、次のものが含まれる。

・眠気ーー嗜眠、あくび
・仕事上の支障ーー集中力の欠如、倦怠感、労働意欲の喪失
・いらいらーー満足感、幸福感、自信それぞれの減退
・社交性の低下ーー親密感やおしゃべりの減少
・流感に似た症状ーー筋肉の痛みと凝り、一時的な熱っぽさあるいは寒気、吐き気、目のかすみ

ほかの症状としては抑鬱の増大、不安感、精神運動能力の低下といった
例が報告されている。」
(ベネット・アラン・ワインバーグ、ボニー・ビーラー『カフェイン大全』p.482)

まさにその通り!っていうか全部しっかり当てはまる。

この1週間、私には感情がなかったかのように
のっぺらぼうで過ごしていた。
普段だったら怒るような出来事も、ふーん、と
通過してしまうのだ。なぜだろう?頭痛と
戦っていて、そんなことに構っている余裕が
なかったからなのか。不思議なことに
感情の揺れ動きがなくなっていく。でもその分
子供には随分と優しくなって、今までだったら
つい怒っていたようなことにも怒らなくなり、
随分と優しくなったと思う。
(子育て始まって以来の優しさかも?)

カフェインのせいか、砂糖のせいか、
特に夕飯後にお茶とお菓子をとった後
急に血糖値が上がったためか、イライラすることが
多かったけど、カフェインとともに砂糖も極力
とらないようにしていたために、背後からこみ上げてくるような
どうしようもない怒りというものがスーッと消えた。

もちろんカフェインの良さには頼れていないので
カフェインが与えてくれる「自己肯定感」は
減ってしまった。私って意外とできるんじゃない?
おーこんなに仕事が早く終わった!という気持ちには
なれなかったけど、カフェイン断ちを実行した人たちの
言うように、そうまでして頑張らなくてもいいのでは、
と思えたのは発見だった。

そもそもカフェインというのは
産業革命以降の労働者たちを働かせる格好の
道具だったのかもしれない。(もともとは
どちらかというと聖職者や限られた人の儀式用の飲み物だった)
産業革命では労働者たちは朝の5時から夜20時まで働いていたという。
そんな彼らを本当に元気づけるものは、栄養のある食物だろう。
たんぱく質にビタミンや色の濃い野菜とか?
でもそれがとれないならば?おそらくカフェインは一番
安上がりで元気がでる飲み物だったのだ。

「カフェインは「仕事をつまらないと思う気持ちを
おさえるような注意深さをもたらす中心的な働き」として
非特異的に作用する。この考えは、30分以上の継続的な
行動を対象とする多くの研究によって裏付けられている。
この行動とは実験心理学者の言う「ヴィジランス・タスク」で、
長時間にわたる注意力と反応性が要求されるが肉体的な
活動はほとんどないものを指す。(・・・)
カフェインは疲労した人を「元気にさせる」から
長時間の作業に対するカフェインの向上効果は、
繰り返しが多く単調で継続的注意を要する仕事なら
何にせよ見られるだろう。」

(『カフェイン大全』p.463)

イギリスの労働者たちは紅茶を飲み、現代の
労働者たちは仕事の合間にコーヒーを飲む。
そして覚醒された気分になって、よし頑張ろう、と
また仕事に戻る。それは自分の選択なんだと思っていた。
コーヒーを飲むのは自由な女の証、そんな風に
今でも雑誌のモデルはコーヒー片手にポーズをとっている。
でももしかしたら違うのかも、とカフェインから
離れた私は気が付いた。

カフェインには依存性がある。特に栄養がある
というわけではない。頭の働きをよくしてくれて、
自分はできる、という気持ちにさせてくれるのは
とてもいいことだ。でも一方で身体はどんどん
疲弊しており、頭と身体の乖離は進む。
そしてカフェイン中毒の私のように、日中は
エネルギーがフル回転で、気が付いたらバタンと倒れる、
そんな風になってしまう。
私はちょっと思ってしまう。「このハゲー!」
発言のあの女性議員も、実はカフェイン中毒だったのでは
ないだろうかと。カフェインは人を頑張らせ、
また頑張らせ、中毒だからまた摂取して、またまた頑張らせてしまう。
でも本当は身体はとても疲れている。栄養で
元気になったのではなく、その元気はちょっとした
まやかしなのだ。コーヒーにも紅茶にも
非常にポジティブなイメージがあるから、
それらを飲むことは自由な自分の選択なように
思ってしまう。でも本当は禁断症状に
耐えられずにコーヒーを探しにいっているだけかもしれない。

自分の意思でコーヒーを飲む、
それはとてもいいことだ。私だって早くそうしたい。
ミルクティや中国茶だって楽しみたい。
せめて1日2杯くらいは。でも
依存症になると身体がおかしくなっていく。
私の身体は7日間で見違えるように変わっていった。
身体全体にハリがある。爪だって磨いていないのに
まるで磨いたかのようだ。とにかく今までと
肌の様子がまるで違って、日増しにピンと張っていく。
それは顔から爪、足の感触に至るまで、
すべてが本当に違うのだ。
お茶やコーヒーのない人生なんて本当に
つまらない、それは人一倍自覚しているけれど
カフェインはけっこう恐ろしい。
それをよく自覚した上で1日何杯くらいにとどめておくのか
そうしないと、どんな健康志向も高級化粧品も
水の泡になるかもしれない。
そんなことを、特に女性に伝えたい。

カフェイン断ち

2017年10月04日 | 私の人生
カフェがなければ生きられない
お茶がなければ生きられない

そんな風に生きてきた私にとって
カフェインを断つなんて もっての他のことだった。

砂糖断ちはやってみた。
小麦断ちもやってみた。
どちらも2日で目に見えるような効果があって
それほど「禁断症状」は強くなかった。
いや、小麦断ちをしたときは、目の前にはパスタやピザ、
美味しそうなパンに焼きそば、そういうものと永遠に
別れなければいけないのかと死ぬほど辛くなったけど。

それでもカフェインを断つのは無理だ。
ずっとそう思っていた。
なぜなら禁断症状が他よりずっと苦しいからだ。
タバコがやめられない人を多くの人はバカにする。
そんなのやめたらいいじゃない?と軽くあしらい
本人の意思が足りないだけだと白い目で見る。
でも私は禁煙した人をかなり尊敬してしまう。
だって禁断症状というのは 本当に恐ろしいものだから。

小麦依存にも禁断症状があり、その一つは確か
食べて数時間後にすぐお腹がへってもっと食べたい!と
思うことだった。そんな程度ならいいのだけれど
カフェインの慢性依存の禁断症状はもっと怖い。

まず頭痛が訪れる。それも1日で終わるといわれればまだましだ。
ところがそれが2日から7日ほど続くと多くの記事に書かれている。
実際に私は思い切って5日ほど前にカフェイン断ちを決断し、
昨日までは一切のカフェインを断ってきた。
ところが砂糖や小麦と違って翌日から目に見えてわかる
ありがたい効果というのはほとんどなく、
かわりにかなりの苦しさがやってくる。
その頭痛というのはまず脳みそ全体に1センチくらいのもやが
かかった感じ。(初日は特にひどい)放っておくと後頭部や首、背中にかけて
筋肉がやけにこわばった嫌な感覚が襲い、3時間以上は続く。
あの頭痛がいやだからそうなる前にコーヒーを飲む、
そうしてるうちに慢性依存になるわけだ。

カフェイン断ちについて書いた記事の中には
「頭痛がしたら割り切って頭痛薬を飲みましょう。
背に腹は変えられない。」という一節も。
確かにそうだ、背に腹は変えられない。
ではいつになったらこの頭痛がおさまり、普通の状態に
なるのだろうかと思っても、5日間ずっと朝になると
ぼんやりとした頭痛におそわれる。これでは仕事にはならないではないか。
どんなにハーブティで代用したって、コーヒーや
エスプレッソのシャキッとした頭にはかなわない。


そうして昨日、もうだいぶ我慢もしたし、
もう頭がまわらないのは耐えられない!と
ついにエスプレッソに手を出した。
大金をはたいてネスプレッソを買い、フランスに行けば
いつだってエスプレッソを飲んでいる私は
大のエスプレッソ好きなのだ。エイ、もう、仕方ない・・・


それが地獄のはじまりだった。


そういえば最近ハーブティなしでもよく眠れるようになっていたのに
昨日は変な夢をみた。エスプレッソを飲んだのは昨日の朝だ。
それから24時間も経っているのに、なんだか頭がやっぱりおかしい。
仕方がないからまた頭痛薬に手を出し、気持ち悪い頭痛は
収まったものの、今度は背中に何かが乗ってる感じで
目も後ろからずっとひっぱられるように痛んでくる。
目薬がないともうダメだ・・・でもそんなのこの場所には存在しない・・・
だめだ、頭もまわらない・・・
たった一杯のエスプレッソで、こんなにも1日がダメになるとは思わなかった。
これがカフェインの力だったのか、これをおさえるために
コーヒーを飲めばいいけど、そしたら元の木阿弥なのだ。

カフェインをやめてみたら
数週間前から気になっていた肌のブツブツが日をおうごとに
すーっと肌から引いていった。そして歯が本来の白さを
とりもどしつつあるように思う。肌や髪には弾力がでて、
つまりハリ、ツヤ、それに透明感もでてきたようだ。
(いつもよりまつげに弾力があり、抜けにくい気がする)

カフェインは体のカルシウムや鉄分をすーっと外に流してしまい、
シミを増やす可能性もあるという。カフェインで頭が働くのは
素晴らしいけど、それは壊れかけた車に無理矢理ハッパをかけて
高速道路を飛ばそうとしているようなもので、身体は
悲鳴をあげてるかもしれない。でも慢性的に依存していると
そこに気づける暇がない。

カフェインをやめてみたら
なんだか息子に優しくなった。背中から沸き起こるような
恐ろしい怒りも最近は感じない。このやろー!というような
子供に対する怒りというのは、もしかするとカフェインと砂糖や小麦の
産物なのかもしれない。

私はカフェが大好きだ。もちろんお茶も大好きだ。
でも今日身をもって経験した。カフェインはとても恐ろしい。
たった一杯のエスプレッソが丸一日を破壊するほどの威力を持っている。

私のように知らないうちに、慢性的なカフェイン中毒になり
どこに行くにもまずコーヒー、と思ってしまう人はいるだろう。
(そういう人はコーヒーがないとイライラしてくる)
カフェインは一度断てたら後は身体が楽になるらしい。
私もそんなことを語れる日がくるのだろうか。
慢性的な疲労はようやく回復し、驚くほど元気になんて
なれるのだろうか。

コーヒーにドーナツだとか、美味しいケーキセットを
カフェでというのは、カフェ好き女子にはたまらない。
でもそれは実は健康的にはトリプルパンチで恐ろしい。
知っていてあえて注文するのと
知らずにとり続けるのとではのちに相当な差が出るだろう。
朝ごはんにまず一杯、職場でもまず一杯。ランチの後に。
来訪時にコーヒーが出て、そんな感じで人々はコーヒーを
さくさく飲んでいく。でもカフェインはもともとは祈祷者たちの
薬であった。彼らだって、毎日使っていたわけではなく、
大事な時に眠ないでいられるように使っていたわけだ。

この厳しいカフェイン断ちを、どこまで続けらるかはわからない。
けれども自分の身体でなるほどな、カフェインってこういうものかと
納得するまで、もうちょっとがんばるしかなさそうだ。
(それに再びカフェインをとるのが怖すぎる)

コーヒーは確かに近代以降、頭脳明晰な哲学者や芸術家に欠かせない
存在だった。彼らはそれとともにカフェで議論をしていたわけだ。
一方で産業革命以降に過酷な環境で働く労働者が飲んでいたのも
コーヒーや紅茶だったのだ。何のため?無理矢理自分を
働かせるために。カフェインと近代型の思想というのは
切っても切り離せないのかもしれない。

2017年09月06日 | 私の人生
 久しぶりに号泣した。
きっと泣きたかったのだ。
いつかそんな時が来て欲しいと
心のどこかで 思っていたのかもしれない。

 女は泣いて強くなる、男は涙をこらえて強くなる・・・
昔読んだ小林よしのりの漫画にそう書かれてた。
私は自分の子供の前で何度も泣いた。
泣くたびに、その後何かを手に入れてきた。
お母さんだって美術館に行きたいと、
本気で涙を流したことがある。それが今では笑い話に思えるほどに
もうお腹いっぱいというくらい、この数年で行ってきた。
 
 でもその時点では到達したくても到底できない、
そう思っているから涙が溢れてしまうのだ。

 私は一冊本を書いた。そのきっかけとなったのは
トイレで号泣したことだった。子供を妊娠し、
よき母を目指す人たちが集う産婦人科に
遠くまで見学しにいった日の夜、私は打ちひしがれていた。
私は母になるために生まれてきたわけじゃない・・・

 私にもやるべきことはあったはずだ。
どうして母になるからといって妊娠時代のすべてを
薪割りや散歩に費やさなければならないのだろう?
子供がいないからこそできる何かを必死でやってもいいではないか?
どうせ子供が生まれてきたら 自由なんてなくなると
皆口を揃えて言うのだから。

 私はそれが怖かった。自分の人生がどうなるのだろうと思っていた。
その不安は的中し、先輩たちの助言通り
私に自由なんて存在しなかった。当時の私にできた
唯一の抵抗といえばお茶を飲むこととブログを
書くことだけだった。そして洗濯物をたたむ気力もないままに
子供をあやし、気づけば1日が終わっていた。

 セルジュ・ゲーンスブールと結婚し一世を風靡した
ジェーン・バーキンは最近のマリークレールのインタビューに
こう答えてた。「自分は年をとったなんて全然思っていないんです。
中身は若い時のまんま、でもあるとき鏡をみて愕然とする瞬間が
くるんです。そういえば母も言っていたけど、そんなことは
自分には起こらないと思っていた・・・」

 特に子供を産んだ女性はあっと言う間に時が経ち
自分でもそれ以降何を成し遂げたのかもよくわからないまま
ジェットコースターのように月日がたって、ふと正気になって
振り返れば 自分は年老いてしまっている。
目の前の仕事、目の前の子供、目の前の家事、
必死になってこなしているだけで3年も4年も経ってしまう。
そして何が残ったのだろうと自問自答してみると

 美しい思い出なんて本当に残っているのだろうか?

 上手にバランスをとれている優れた人はそうかもしれないけれど
ジェットコースターのような日々を過ごしてきた人たちには
慌ただしく、子供に小言を言いながら、わたわたと
過ごしてきた日々しか残っていないのかもしれない。

 そんな人生でいいのだろうか

 子供は自分の子供とはいえ、いうことを聞いてくれるわけでもない。
大金をかけて海外の美術館に連れて行っても つかれた
やだ もう行きたくない で、予想していたものの
10分の1もわかってくれないかもしれない。
よく自分の作品を我が子のようだという人がいるけれど
この言葉を聞くたびに、私はこの人は子供がいないんじゃないかと思ってしまう。
本当の我が子と作品は全くもって別物だ。
我が子は自分のお腹から出たとはいっても別人格で
自分と感情も感覚も物の考え方も違う。
理解しようと思ったって 本当に違うのだ。
でも作品は違う。作品は自分の考え、自分の想い、
それを自分が思うように手を加えて具現化したもので、まさに自分の分身だ。
だから私は自分の作品を作りたい。
そう、もう書くべき時なのだ。

 妊娠中にトイレで号泣した後私は強く決意した。
子供が生まれる前に本を書こう。
そして私は実際書いた。原稿をすべて提出した後
息子は予定より1ヶ月早くこの世に生まれおちてきた。
あれから9年、信じられないほどの月日があっという間に
経ってしまった。その間私は書けなかった。
何度も何度も書こうともがいた。
だけど形にならなかった。それはおそらく
子供がいるとか 時間がないとか そういう理由ではなくて
結局のところ書けなかった その一言に尽きるだろう。

 だから私はきっと心のどこかで待っていたのだ。
あの時のように号泣する日がやってくるのを
自分に何の言い訳もできないくらいに
やるしかないと思わされる日が訪れるのを

 私には夢があった
子供がいるからといってそれを諦めたいとは思わない。

 夢を諦めたくない 

 溢れる涙の中で噛み締めていた想いはそれだった。


 高校の図書館に並んだ文学選書
哲学選書に偉人伝。 世界には素晴らしい作家たちがいた。
世界に名前を残し、影響を与えた作家たち。
ボーヴォワールもサルトルも、ヘミングウェイも
今私が読んでいるジャーナリストの本もそうだろう。
日本という遠い異国で、今でも誰かが読んでいる
そんな本を書いた人たちがいた。
私が彼らの研究をしていたのは、結局本心では
彼らのようになりたいという想いがあったからなのだ。
気づけば年老いてしまった今でも その気持ちは諦められない。
だってジェーン・バーキンのように 気持ちは高校生のままなのだから。
いつか私も本を書きたい
そしてヘミングウェイの本のように
パリのシェイクスピアアンドカンパニー書店に
普通に置かれる そんな本が書けたらいい

 本当にそう思っていた。

 その夢は諦めるべきじゃない。

 死んだような顔をして生きるくらいなら 
死ぬ前にやりたいことをやったほうが
よっぽどましだ。いつ死ぬのかわからないなら
本当に死んでしまう前に きちんと書き残したほうがいい。

 私はボーヴォワールに憧れていた。
あんな風に私もカフェで議論がしたかった。
フランス語や英語を必死になって身につけたのは
いつかそんな場所が現れた時 私もそこで議論に加わりたかったからだ。
その場所はやはりパリなのだろうか
それとも実はイタリアなのか
それはまだわからないけど

 書くべき時がやってきた。
それは確かなような気がする。
9年間の集大成。辛かったこともすべて含めて
書くための経験だったのならば

 もう諦めなくてもいいように
私は前に進んでいこう
書くための時がやってきたのだ。
子育てをして郊外に住み辛い経験をした女だからこそ
書ける言葉があるはずだ。

 夢見た世界がまだ頭の中にあるのなら
今度こそ
そこを目指して進んでいこう

イタリアの広場を見に 子連れ海外

2017年08月28日 | 私の人生


 海外旅行は面倒くさい。特に子連れとなるとなおさらだ。
母親たちはこぞっていう。家族旅行?あんまりもうしたくないかな、
だって一番疲れるのは私なんだもの・・・

 実際に用意をしてみると、子連れ海外は本当にしんどい。
1人だったら?私は18歳のとき2週間ほど憧れのフランスに旅立ったけど
その時は1泊目の宿しか予約せず、そんなわけなのでもちろん
プランもその場で適当だった。今考えたらよく
そんなものを親が許したなと思うけど(実際には勘当されかけた)
同じ私が子連れで行こうとするとその違いに驚かされる。

 もちろん宿の予約を全部とるのは当たり前。
何かあったらいけないからと長時間の移動には気をつけて
お金もないのに一等車をとってしまった。
海外で子連れでパニックになることほど人生最悪な
事態はないから、すべての宿の具体的な地図は
プリントしておき、アイフォンやパソコンのマップにも
しっかり同期させておく。海外ではなぜかWi-Fiがつながらない、
そんな事態がよくあるからだ。
美術館へ行きたくても炎天下子連れで並ぶのは恐ろしい。
はい、だから事前予約。たとえ予約料金がかさんでも。

 そんなわけで香港での飲茶を予約し、バチカンの美術館を予約し、
ベネチアの宿の場所を確かめるために電話をかけ、と
めちゃくちゃ忙しい日々を過ごしていた。そして思った。
もう、やっぱり行きたくない・・・・

 お金持ちの奥さんで趣味が旅行というならともかく、
子供を1人で育てている私はとにかく働かなきゃいけない。
だから出発直前の夕方まで仕事をし、急いで帰宅し今度は
子供をひっぱって羽田へ直行。もはやクタクタで
結局のところ準備も完璧には至らない。
ああもう海外なんて行きたくない、そう羽田のロビーで思っていた。
どおりでみんなしないわけだ、こんなに面倒臭いこと・・・


 ところが出発してみると、これでもかという事前準備のおかげで
物事は随分スムーズだった。今回は子供が生まれてはじめて
フランス以外の旅だったので未知の世界ばっかりだった。
目的は公共空間、特に広場とカフェの関係性を探るために
広場といえばすぐ言及されるイタリアへ。特にシエナのカンポ広場と
昨年非常に感銘を受けたベネチアのサンマルコ広場に行くのが主な目的だった。

 そしてどういうわけだか、せっかくだからとトランジットで香港に2日も行くことになり
理由はもはや覚えていないが、ロンドンから帰るチケットにした。
というわけでおまけ的に香港とロンドンがくっついているが、
香港は初めて、ロンドンは1日行ったことがあるだけという、ほぼどちらも
未知の世界で、通貨も違う!しかもおまけ的だっただけに
事前調査が微妙だったのでちょっと大変だったけど。

 それでもほとんど何も問題なく我々の旅は実行できた。
それはまるで誰かが企画した旅を、はいそうですか、
今日はたしかこれでしたね、とこなしていくような感覚だった。
想像、企画、実行と、全部1からこなしていくのは想像以上に
大変だった。けれども流れがスムーズにできていると
あとはそれに乗ればよい。旅をすると疲れというのは想像以上で
子連れ旅行でその場で考えるなんてほとんど無理な話だろう。
荷物の整理、子供と荷物とともに歩き、炎天下でクタクタになる。
そんな中、やっぱりあの美術館に行こうとか、あの町にいこうとか、
何かを調べようという気力すら起こらない。私の場合は
事前に組んだものを遂行するだけで精一杯。
疲れていて一度朝6時半出発のツアーをキャンセルしようかと
思ったけど、すでにキャンセル料が発生する期限を過ぎていて
それを悩み、電話をかける手間を考えるくらいなら
もう行った方がマシだ!と無理やり参加した(そして素晴らしかった)

 だからやっぱり、子連れ旅行は事前準備こそが大切だ。
そしてできるだけお互いの身体に負担をかけないように、
2泊以上は同じ宿に泊まりたい。私たちは今回キッチンのある宿に
かなり滞在し、夕飯は手作りで安く済ますことができた。
そうするとワインを買って、余ったらペットボトルで持ち運び、
また次の宿で美味しくいただくということもでき、
ワイン、パスタ、ドライトマトや塩とともに旅をして
各地でちょこちょこ生ハムやらジェノヴェーゼソースやらを
買い足して料理をするのが面白かった。
街中に泊まった場合は早めに夕飯を食べ、また夜の散歩に繰り出すことも。
そうすると素晴らしい景色は堪能していられるのにお金は
ほとんどかかることなく、なかなかいい経験だった。
イタリアでは夜の8時を過ぎたころから多くの人々が
街に繰り出し、パッセジャータといわれる、目抜き通りや
広場でのゆったりした散歩を楽しんでいる。そこで
夕飯を食べると目玉が飛び出る金額だけど、夕飯後の
デザートにジェラート1つくらいなら2人で600円くらいで済んでしまう。



 蓮太郎はベネチアのサンマルコ広場の生演奏が聴けるカフェが気に入り
ベネチアにいる時はいつも「ママ、今日もサンマルコ広場に行こう!」と
嬉しそうに言っていた。サンマルコ広場のカフェは世界一高く、
演奏料金もとられるのでどこでも2人で3000円程度はしてしまう。
それでもあれだけの美しい景色を前にして生演奏を聴きながら
のんびりとした時を過ごし、自分の好き勝手なことをするのが
ゆるされる、あれほどの自由で素敵な時が過ごせる場所は
なかなか他にはないと思う。またあそこで時間を過ごせるのなら、
これからはどうでもいいようなものにお金を払うのを極力減らして
またあの場所に戻りたいと心底思う。

 イタリアの広場は素晴らしかった。息子は広場に佇みながら、
「ママ、広場っていうのはゼロ歳から99歳の人まで楽しめる場所だね」と
言っていた。広場は誰にでも開かれている。お金やその気がある人は
カフェやレストランでお金を払い、優雅な時間を過ごせばいい。
でもそれができなくっても、広場は誰にでも開かれている。
生演奏だって目の前で立ち聞きをすればいい。そんな人たちは
いつも大歓迎で、彼らがいるからカフェは賑わいを増し、他の
お客さんを引き付ける。広場にカフェがなかったら?ただの
通り道に成り下がってしまうのではないだろうか。
イタリアのすぐれた広場が人々に愛される広場たりうるのは
カフェやレストランの生き生きした雰囲気があってこそだと思う。
その辺をもっと探りに、これからは研究を進めていこう。

夕飯断食

2016年05月20日 | 私の人生
 5月に入ってからなんとかして自分の体調不良を
克服しようと試みて 新聞の広告をみてすぐに
「これだ!」とピンときた『血流がすべて解決する』を買い
まさにこれだよこれ、この症状、そうか血が足りなかったのか・・・
ということで、書かれていることは全て実践しようと決意した。

 この本には血がつくれない、だから血がうまくまわらない
という流れが書いてあり、兎にも角にも、はじめは
血をつくれる身体になること!その順番だけは間違うな、と
書いてある。さて、いろんな方法論が述べられている中、
だれでも熟読すればよくわかるのは、この本の著者が
一番すすめているのは「1週間夕食断食」だということだ。
そのことによって胃腸がしっかり休まり、本来の力を
発揮できるようになり、血もつくられ、身体全体が若返る。
実際にこれを実践してから46歳、47歳で妊娠した人までいるという。
この本の理論はこうだ。血をつくらないと流れない。
血がちょろちょろとしか流れていない状態で、どんな改善法を
試みてもうまくはいかない。そして血をつくるには・・・
鶏肉がよいとか、朝ごはんがいるとか、ちょこまか書いてはあるものの、
「だからつまり、1週間夕飯断食に挑戦してください」
と読者に訴えていると思う。

 ところが必死な思いで島根県のこの漢方薬局まで訪れた人ならともかく、
千円ちょっとの本を購入しただけの読者にとっては
「1週間夕食断食」のハードルはあまりに高い(と私は思う)
主治医に勧めらたわけでもないのに断食か。しかも1週間。
病気でご飯が喉に通らないというわけでもないのに・・・
(でも朝ごはんと昼ごはんは普通に食べていいんですよ~と書いてある)

 うーんと思いながら立ち寄った本屋で平積みにされている
健康関連の本を読んでいくと、とどのつまりは、現代の
多くの病のもとは「食べ過ぎ、とりすぎ」だというのがわかる。
過食による病、それを直すための抗生物質、そしてよけいに
腸がダメージを受け、原因不明の不調がつづく(そしてまた医者に行き
抗生物質を渡される・・・)
そんな状態でヨーグルトやらサプリやらをとってみたって
もとの腸内環境が最悪な状態に陥ってるならば、効果もなにもないでしょう、と
こうした本を書いた先生方は強く訴えたいようだ。

 とはいえただそれらの本を手に取った、つまり
必死の思いでその先生とコンタクトをとり、何がなんでも
実践します!という人ほどの勢いがない読者にとっては
「えー、そんなこと言われても・・・」になってしまう。
それでもそれがないとすすめないなら、健康のために
とにかく頑張る、と決意したではないか・・・と
昨日は2日前からの夜ご飯ヨーグルトのみに続き、
ついに本格的な夕飯断食に挑戦することにした。

 何かを断つ、というのは本当に簡単じゃない。
私は砂糖断ちもお茶を極力減らすのも、小麦断ちもしたことがある。
お茶は中毒性はないかもだけど、砂糖と小麦はしっかりと
中毒性があるらしい。
(気づかないけど結構すごく、禁煙できない人や清原さんを笑えない)
砂糖断ちをはじめてしたとき、2日間はかなり辛かった。
甘いものが欲しい!!欲しい!と思った時に
とにかく水を飲んで我慢。ああこんな時に飴が食べたい、
そこも口寂しいだけだ、と水を飲んでただ我慢。
砂糖より中毒性が強いのは小麦なのかもしれない。
小麦は本当に禁断症状があり、パンを食べてわりとすぐ
お腹が減り、また食べたい!と思ってしまうのは、
パンの腹持ちが悪いからではなくって禁断症状によるらしい。
そしてその禁断症状の時はいわゆる「お腹がすいてイライラ!」がある。
でもこれも小麦をやめてみると、お腹が減ったからといって
必ずしもそうならないことがわかって驚いてしまう。

 私が小麦をやめたとき、本当にそれは辛かった。
クロワッサンにパンオショコラ、パスタにラーメン、
焼きそば、クッキー、成城石井に行った時、どれほど
愕然としただろう。この店にあるもののほとんどは
食べられないのかと思っってしまった。(実際はそんなことはない)
食べれない!と思うほど、食べたい!食べたい!
こんなに全てを我慢して一体何が幸せなのか?と思ってしまい
結局2日目くらいに家族にピザの食べ放題の店に誘われて
つい自分を許し、あれよこれよと食べてしまったら
頭をガツンとなぐられたようにそのあとなにもできなくなった。
そして小麦やグルテンの恐ろしさを身をもって知り、
もう絶対にピザ屋だけは行くもんかと決意した。
(ピザやパスタを食べた後の午後にフランス語の翻訳なんて
絶対できないほど頭がまわらない。ちなみに私は
小麦を極力さけることにしたのは健康のためではなく
脳みそが働かないと実感したからで、仕事の効率のためだった)

 そんな禁断症状は、あまり笑えるものではなくて、
はじめてやめた人にはつきものなのだろう。
そして昨晩。私の頭の中はこれから食べられないご飯のことで
いっぱいだった。漢方の先生は書いていた「別に
一生食べられないわけじゃありません。一生のうちの
1週間だけのことです。それに朝と昼は普通に食べていい・・・」
でも私の頭の中はまたしてもパスタやらケーキやら
子供のころに絵本で憧れた美味しそうなものたちで
いっぱいだった。どうして私、一人だけ食べられないんだろう・・・
みんなは普通に食べているのに?
そしてついにその「激しい空腹」は訪れて、しばらく
まともに激しい空腹を感じたこともなかった私は途方にくれた。
肉が食べたい!ステーキが欲しい。
こんなにも私にとって食べるのは大事だったのか・・・
なんだか何かに別れを告げるような深刻さだった。
たった一食、我慢するだけなのに・・・

 それでもなんとかやり通し、仕方がないので
いつもより早く寝ることにして朝を迎えた。
朝は夕飯をぐっと減らしてからずいぶんと楽になり、
朝日のおかげもあって最近5時半すぎに自然に
目がさめるようになってきた。身体が軽いのは
夕飯がヨールグトだけのときからかわらないけど、
こんなことして、何かいいことあったのかしら・・・・?

 朝はわからなかったけど、今日1日いつものように朝から
晩まで働いて、あれ、なんだか金曜の晩なのに身体が軽い、
と不思議に思った。いつもならもうグデグデで、帰るころには
相当疲れ果てているのに。なんだか今日も
チカチカする信号を見ながら走れそうな気分になった。
人生がこんな軽かったなら・・・絶対人生は違うはず・・・
今週私の仕事量はいつもより少なかったのだろうか?
それはよくわからない。でもなんだか軽やかに終わってしまい、
帰ってから着替える間もなく、明日のご飯の準備もできた。
これが断食効果だろうか?
「断食とはメスを使わない手術である」
「断食で治せない病気は何をしても治せない」
そんな言葉もあるらしい。

 断食はとてもこわかった。でも2日目の今日は
なんだかそこまでこわくない。何かを断つのに
一番つらいのは初めの2日。あとはだんだん慣れてくる。
もっと軽やかに、もっとミニマムに、生きていけたらどんなに
人生が違うだろう。何のおかげかわからないけど、
今まで気になっていた他人の目やどう思われるかも
だんだんどうでもよくなってきた。
いくら人に「もっと自信持ちなよ!」と力説されても
そういう類の本をいくら読んでもできなかったのに、身体に入れるものを
断っていくことでこんなに気持ちが変わっていく。
どう頑張っても子供にイライラしてしまう、
優しい気持ちになれないというお母さんに
是非一度小麦断ちやら砂糖断ちやら夕飯断食やらを
試してみて欲しい。薬局の薬よりはよっぽど早く
驚くような効果が現れると思う。(しかも全部タダ!)

人生を変える

2016年05月18日 | 私の人生
 人生を変える、と言ったって、実際にはとても難しい。
『人生がときめく 片付けの魔法』を読んで毎年やる気になってみたって
私の部屋はリバウンドの繰り返し。本に登場するような
「一生リバウンド知らず」の部屋とは程遠く、
年末に大掃除をしようとするたびげんなりしてしまう。

 頭でわかって、それを行動に移して変えること、
それも意志力でなんとかなるのかもしれない。
もしくは大金をはたいてワークショップに参加するのも
一つの大きな変化になるのだろう。
でも意外と身体の中を先に変えてしまう、そんな手だってあるのかも。

 小麦断ち&砂糖断ちをダブルで開始し、ついでに
夕食の量も多いに減らすことを実行してからもうすぐ
1週間が経とうとしている。その間おそろしいくらいに
ウエストは細くなり、髪の毛は日々しっとりを重ね、
パサパサしてボリュームがあった髪はどこへやら。
ちょっとドライヤーをしただけで「えっ?こんなにまとまる?」
という具合になってしまった。こころなしか爪までツヤツヤしてきたように思う。
なるほど、人間きちんとした生活をしていればこんな状態だったのか・・・
昨日からは夕飯断食に挑戦し(といってもヨーグルトを食べてしまうけど)
朝起きたらずいぶんすっきりしており、目覚ましより先に起きてしまった。
最近はできるだけ駅までも歩くように心がけているけれど、
今日は帰りに歩いてみたらやたらと身体が軽くて驚いた。

 何かを断ち、数日で劇的な変化が訪れるたびに私は思う。

 今まで自分だと思っていたもの、あれは何だったんだろう・・・・

 今まで自分だと思っていたもの、あれはむくみだったのか・・・

 今までお腹だと思っていたもの、あれは水分だったのか・・・

 あれが辛い、これが辛い、その痛みから逃れるために
また何かを探し、不安から逃れるためにやたらとハーブティやら
お菓子を持ち歩き、荷物も支出も膨らむ一方。
私、何してたんだろう・・・

 人生がもしこんなに軽やかだったのならば、
つい走りたくなってしまうような身軽さならば、
人生はもっと違っただろう。

 身体が急に軽くなる、マッサージのあとそんな経験を
した人もいるかもしれない。私の場合は母乳マッサージを
してもらった後がそんな感じで、母乳育児中に美味しい何かを食べたせいで
乳腺がつまり、桶谷の先生に怒られながらも、つまった
母乳をピューっと出してもらう。その帰りの軽かったこと!
まるで羽根が生えて天にも昇れそうな心地だった。

 桶谷の先生はいつも言っていた。「おっぱいを噛むのは
子供が悪いんじゃありません。おっぱいの味がまずくなっているからです。」
そして自分の母乳を何度も舐めた私は経験でよくわかっていたはずだ。
ちょっと焼きすぎたサンマを食べた後の母乳は焦げた匂いがすることを。
母乳というのは白い血とも言われ、今でこそ子供は飲んでいないけど、
その血が私の全身をかけ巡っている。今目の前に噛んで訴える子はいない。
でも私の血は同じ状況を繰り返す。バターたっぷりの美味しいケーキを
食べた後には母乳がつまり、美味しくて涙すらでるような桃を食べた
後にも私の母乳は変化していた・・・その変化は本当にわかりやすかった。

 妊娠中も、母乳育児をしていた時も、私はけっこう辛かった。
アメリカ映画を見てその暮らしぶりに憧れたあと、帰りに立ち寄った
明治屋で私が変えるものといえば胡麻油。ひじき、それに高野豆腐?
嫌になる程子供のころからそんなものばかり食べていた。
だからこそ西洋風の食事に憧れたのに、また禁止か・・・
子供の頃の我が家は食事内容には非常に厳しく、箱入りのお菓子
(ポッキーやプリッツなど)も遠足の時しかダメ。
お祭りがあっても飲食禁止。もちろん炭酸飲料はダメ。
お正月のかまぼこは、いとこがピンクのかまぼこを食べていても
我が家の子供は厳しく禁止。普段のおやつはせんべいか干し芋という有様だった。
図工の時間に「お菓子の箱を持ってきてください」と言われても
そんなものが存在しない。あるのはティッシュの箱くらい。
そんな家庭で育ってきたから、もう嫌という程煮物は食べた。
お弁当の色は茶色く、友達の冷凍食品とよく交換してもらっていた。
それなのにやっと自立して自分の家庭を持っても、また食べるのは
これなのか・・・・こんなにヨーロッパが好きなのに・・・

 そう思いながら妊娠中も玄米食を心がけ、そうとう食事に
気を使い、母乳育児中も誘惑に負けては母乳がつまり、
桶谷の先生に怒られていた(何を食べても全然平気な人もいる)
それで、それでやっとその時期が終わったのに。・・・またか・・・

 母は正しかったのかもしれない。確かに私は小学校も1日しか
休んだことがない。中学は多分皆勤賞だ。高校時代や大学時代、どれほど
エネルギッシュだったかは友人たちがよく知っている。
それで、なんでこんなに今は元気がないのだろう?
フランスに留学して、一人でカフェに行き始めたから?
それは疑いたくないけれど・・・

 正しい食事、というのは確かに存在するのだろう。
それはかなり質素な食事で、はじめは味気ないだろう。
ご飯の時間とお茶の時間しか楽しみがないと思っていた私にとって
こんなにも少しの間しかものを口にしないというのはかなり寂しい。
でもその代わりに時間ができた。なんだかずいぶん暇だなあ、
最近立て続けにそう思う。なんであんなに忙しいって言ってたのかな?
なんだかそれも不思議に思う。子供に対して行為に怒ることはあっても
そのままイライラし続けることはほぼなくなった。
この3日ほど、ようやく食後の気分や体調のジェットコースターの
ような変化がなくなり、食事をとるのが怖くなくなってきた。
食後も疲れることがなく、午前中のコンディションのように午後も
働けたならどんなに時間があるだろう?それに夕飯が
重要でないのなら(夜はとにかく胃腸を休めたほうがいいらしい)
思ったよりも自分の時間があるでは?


 ないない、足りない、やっぱりできない。


 そういう思考を生み出していたのは時間でも仕事でも現実でもなく
自分が食べてきたものだったのかもしれない。
人生を変えるために口にいれる何かを断ってみること。
そしてその変化を自分で体感し、それからもう一度自分で選択すること。
こんまりさんは言っていた。どこまでマイナスにしても大丈夫なのか、
そのラインを確かめること。そこまで捨て続けてみるといつかストンとわかるらしい。
食もそれに近いのかもしれない。

健康への道

2016年05月17日 | 私の人生
 私はいつも時間が足りないと思っていた。どんなに頑張って
やってみたって、やりたいこと、やるべきことが多すぎる。
私にはあまりにも時間がない・・・子供が生まれて7年間、
そう思って生きてきた。けれど先日電車の中でふと気がついた。

 もしかして、私には時間がなかったんじゃなくって、
元気がなかったのかもしれない・・・。

 もうこんな人生は嫌だ、健康のために頑張ろう
と決意してから10日ほどが経ち、えいやっと思って効果抜群そうな
小麦断ちと砂糖断ちをダブルで実践してから3日ほどたった頃。
電車に乗っても眠くない。
座っているし寝たらと思っても目が冴えている。
今日飲んだコーヒーといえば2杯以下のはずなのに・・・
あれ、こんな時間を何かに使えれば、私の人生、もっと
時間があったのではなかろうか・・・
いつも疲れ、もう辛い、と思っていたあれらの時間、それを
合計したら一体何時間になったのだろう?寝込んでいた時間まで
含めたらそれらは計り知れない時間になって、私の人生に
「時間がない」と思い込んでいたのは元気が足りなかったからかもしれない。

 世の中山ほど健康法や健康食品は溢れているけど、
私の体験上、一番効くのはハーブティや体をあたためる食物やらを
「プラスして摂取する」ことよりも、原因となっているかもしれない
小さな何かをとにかく「マイナスにする」ことだと思う。
これまでハーブティも砂糖断ちも水毒解消も小麦断ちも試した中で
抜群に効果てきめんだったのは小麦を断ってみることだった。
日本の今の暮らしから小麦を断つのは並大抵のことではない。
朝食のパン、焼きそば、ラーメン、うどんにケーキ、
クッキーから餃子に揚げ物、子供のころに「ちょっと特別」な
香りがしていたわーいという気になるものたちには大抵小麦が含まれていて
それをやめるだなんて至難の技だ。だから私がどんなに効果があるよと
勧めてみても、実際に試した人はこれまで一人しかいなかった。

 私も以前の30%くらいに小麦を減らし、ほぼ
1年くらいは小麦(特にグルテン)をできるだけとらないように
心がけていたから、今回はおそろしい中毒のリバウンドみたいなのは
なかったけれど、昨日訪れた学園祭の模擬店でつい
あれもこれも・・・と頼んでみたら、そういえば皆小麦入り。
美味しそうなピロシキもケバブも、めちゃくちゃ美味しい白いたい焼きも、
息子が食べたたこ焼きも、そしてつい食べたくなってしまった
チュロスもみーんなみんな、小麦がしっかり使われていて、
帰りの電車では久しぶりに頭を殴られたような眠気に襲われ
夜も再びそんな眠気に襲が襲ってきた。こうやって一度断ってみると
なるほど、これがこんな作用を身体に及ぼしていたのか・・・と
まさに身体で体感し、やっぱりこれだけはとらないようにしよう、と
心に決めることになる(でも実践続けるのは難しい)。

 私の場合は小麦断ちよりよっぽど難しいのは砂糖断ちで、
砂糖も小麦も中毒性があるらしいけど、砂糖はすぐに
あれもこれも、あるなら全部欲しい!となってしまう。たぶん
重症なのだろう。砂糖を普通にとっているときは
「そうはいっても他の人より気をつけている」という気になっているけど
実際一度やめて客観的になってみるとおそろしい日常に気づいてしまう。
エスプレッソを飲むときはやっぱり砂糖(黒砂糖だけど・・・)
コンビニでコーヒーを買うときも黒砂糖を一粒用意。
ピクニックのお供には毎回甘いもの。夕食後にも甘いもの。
それに以前は仕事をしながら10時に1回、3時ごろにも一度は
ちょっと甘いもの・・・と思っていた。
さすがにコンビニの100円菓子は食べるたびにその後
頭がぼーっとすることが経験でわかり、もうやめようと
決意したけど、じゃあ手作りだったらいいか、とわざわざ
もっていく始末。よくまわりを見渡すと、おそらく
ここまで砂糖入りのものをちょこちょことる人も
そう多くないのだろう。世の中の人は私は思っていたより
健康志向なようで、私が一人遅れをとっていたのかも。

 砂糖と小麦をダブルで断つとやはりいいことはあるようで、
おそらく小麦断ちの効果でウエストがすごい勢いで
くびれていく。これは以前も驚いたけど、「大丈夫、私??
医者に行った方がいいのかも?」と不安になるくらいに
ぽっこりお腹がへっこみ、ウエストもまさに絵に描いたような
くびれが訪れる。なるほど、女性の身体というのは
本当はくびれているものだったのか・・・と
鏡を見るたびに驚かされる状況だ。

 砂糖を断つことによる目に見える変化はなんだろう?
以前も書いた髪の毛がやたらしっとりするというのは
あるかもしれない。まるで高級なトリートメントを
毎日しているかのような「これが自分の髪?」と
疑いたくなるような櫛通りになっていく。なんだか
やたらしっとりまとまっていて、髪のボリューム感が
なくなったと感じるほどだ。(椿油をつけた後みたいで
パサパサ感が一切ない。)

 それから私にとっては不思議なことに、砂糖がなくても
生きていけることがわかると、なんだかやたらと
物欲が減る。そもそも小麦と砂糖がだめだと、コンビニや
輸入食品店に行っても買えるものがあまりに少なくなってしまう。
「とりあえず1週間は人体実験」だと思い、続けることを
優先すると、それらを欲しいとすら思わず、頑張らなくても
思考がミニマリスト的になってゆくのに驚いた。
あれも欲しい、これもほしい、あそこも行きたい!
そう思っていたけれど、どうせ砂糖を入れられないなら
カフェラテを買わなくってもいいんじゃない?
どうせ何も買えないんなら百貨店に寄らなくってもいいんじゃない?
ま、いっか、水だけあれば・・・死にはしないよ。ご飯食べたし。
それに空腹は大切らしい。そんな気持ちになってゆく。
あれも、これも!と思ってしまい、ミニマリストに憧れても
どうしても物だらけになってしまう生き方を繰り返していた私にとって
これは衝撃的だった。人間意外と少量のものでも生きていけるかも・・・
そして私が知らなかっただけで、健康思考の人達は
すでにそんな生き方をきちんと実践していたようだ。

 自分の欲や気分に思考も健康も左右されずに
ぶれずに生きていけるなら、そこで血糖値の
急上昇や急降下のように自分の気分や体調がぐわんぐわんと
揺れなくてすむのなら、もっといろんなことに時間を
使えたのではなかろうか・・・・
(あの食後によく感じていた激しい気分の揺れは
一体何だったのだろう??)


 「お茶の時間がないなら生きる楽しみなんてない。」


 砂糖断ちをする前の私はいつもそう思っている。
(今も実践しながらちょっとそう思っている)
「これだけが人生の喜びなのに。だから砂糖断ちはしたくない。」
そして幸せだと思った目の前のお菓子は口にした瞬間に消え、
その30分後くらいしてから原因不明の気分の悪さに
悩まされる。それをかき消すためにまたお茶を飲み、
漢方を買い、救ってくれる薬はないものかとつい眺めてしまう・・・
なんだか馬鹿馬鹿しい生き方だ。「健康になるため」に
使ってきたお金を合計したらいったいいくらになるのだろう?
お金がない、時間がない!といいながら、無理して働き
その穴埋めにちょこっとドーナツなんかを食べて、
それが原因でまた漢方や何かに救いの手を求めてしまう・・・

こんな生き方をしているのは私だけではないかもしれない。
客観的に見てみると、こんなあほらしい生き方はない、と
知っている人は思っているのだろう。食を見直す、栄養を見直す、
ハーブを学び、漢方を・・・それも大事だろうけど、
自分の不調の原因を根本から取り除く、それができたら
人生はもっと素晴らしくなるように思う。

桜狂

2015年04月11日 | 私の人生


 どうして桜を観るのだろう?
それは、美しいから?
それともはかなく散ってしまうのを知っているから?

 古文では花 というと桜をさしていたという。
中学時代、古文の先生が何度も「無常」について説明してくれた。
それでもまだ13歳程度の娘達には そんな意味がよく理解できないままだった。
けれど先生は何度も力説していった。
「無常こそ 古文に流れる大切なテーマなんですよ・・・」

 桜を花と呼ぶのなら 無常というのは桜の在り方そのものだ。
散ればこそ いとど桜はめでたけれ・・・
いかにその美しい命が短いか、年を重ね、経験を重ねたものはよく知っている。
だから 今観るしかない。何をさしおいても観るしかない。
365日ある中で、桜の花が存在するのはたった10日くらいなものだ。
そのうち天気のいい日が半分、自分の都合が合う日がまた
半分しかないとするなら、素晴らしい桜に出会えるのは
1年に2~3日しかない計算になってしまう。



 それならば?他をさしおいてもいいではないか?
いやむしろ?何よりも優先させてもいいではないか?
日本は桜の国なのだから。 そしてあれほどまでに妖艶で
美しい樹というのは 他に存在しないのだから・・・

 私が桜に惹かれるのはあの長い冬を知っているからだろう。
桜の樹は芽がでる直前まではまるで枯れ木のようにじっと
静かに動かない。もしかして、この樹、今年はもうだめなのかも・・・
そんな心配さえしてしまう程、梅が咲いても桃が咲いても
黄色い花々が目を覚ましても 桜はうんともすんとも言おうとしない。
そして他の花々に目を奪われ、春の陽気がやってきた、と思った
ある時、桜は一気に目を覚ます。そのスピードたるや
恐ろしい。今日なんて目の前の桜が散っていくと同時に
半日くらいでぐんぐんと若葉が伸びていくのを目の当たりにして
そのスピード感に恐れ入った。
けれど桜はどっしりと構える そう私たちの目に映る。
桜の中ではものすごい変化が進行中でも 焦ることなく
ドーンと構えている かのように見えてしまう。
それが桜の偉大さなのだろう。



 あんな樹 は他に一体あるのだろうか と満開の花を観るたび
疑問に思う。たわわに実ったような花達。枝の先には花ばかり。
他の多くの植物は葉っぱがあって、花があって、セットのような
気がするけれど、桜が完全に満開な時、そこに緑色は存在しない。
それもまたとても不思議で奇妙に思えてしまう。



 私は桜の優しさが好きだ。包み込むようなあたたかさ
さっきまで完全に眠っていて まったく自己主張しなかったのに
いきなりドーンと開花し、それでもつつましやかな感じが残る。
穏やかで優しく、自己主張しないのに気づけばドーンと目立ってしまう。
奇をてらったわけではない。桜は桜のままなのだけれど
他の植物とは違う。ただあるがままに咲き、咲ききった時
それまで見向きもしなかった人たちが一斉に上を向く。
その顔といったらまあなんとも嬉しそう・・・
桜を観るには顔を上にやるしかない。たとえ携帯をにぎっていても
今度ばかりは下向きでなく、上を少しは向くしかない。
「わあ きれい・・・」そう言ったとき、その人の中で
何かが少し ましになる。桜はそんな多くの人々を
非常に優しく包み込む。



 桜はちゃんと 知っている。
人の世は常ならず。おごれる者も久しからず。
彼らはしばしどんちゃん騒ぎをした後で、また自分の存在を忘れてく。
でも今あなたが私を愛でてくれるなら 恩返しを致しましょう。
美しい姿と光をあなたにみせてあげましょう。
そうして桜は本当に語りかけるかのように
とっておきの光を呼び込み 優しく包み込む美しい姿を
パアッーと目の前に示してくれる。それはまるで
孔雀が羽を広げたかのように世にも眩しい キラキラとした
そんな姿を 「愛してくれたご褒美にね」そんな言葉で
見せてくれるように思う。





 美しい桜に圧倒されながら 私は目を細めてしまう。
ここに同じ姿があるではないか 浮世絵と同じ姿が目の前に・・・
目の前にはぼんぼりがあり、カメラではとてもとらえきれない
どこまでも続く川とそれに沿った桜が存在している。
あまりに美しい景色の中で 人々は嬉しそうに上を見上げる。
広重の時代から変っていない 日本の文化が目の前にある。
ここは2015年のはずなのに 東京はこんなに変ってしまったのに
今目の前に ほぼ変らない光景がある。これを文化というんだな・・・
そして私は一人そんな光景に感動を抑えきれずに
ついカメラを手に握ってしまう。日本の文化は存在する・・・
文化というのは人々が気にもかけない、そんなの当たり前で
そこまで嬉しくも思わない そんな中にあるのだろう。



 あまりに美しくはなかいものが 今目の前に存在する
それはルーブル美術館展でもベネチアまで行くのでもなく
自分の普段の行動範囲をあともうちょっとだけ広げることで
無料で目にすることができてしまう。
葉桜になったらもうおしまいだ。毛虫がでてきてその後
ほんのわずかに心地よい時間があって、それから蚊たちがやってくる。
日本の夏は外にも出れない。ピクニックしたら熱中症で
倒れてしまう。だからこそ今、ほんのわずかな春の期間に
外の美しいものを目でないと。そう思って私は来る日も来る日も
外に出る。もう体がもたなくっても取り憑かれたように出てしまう。
そしてまた美しい桜に出会い、つい呆然としてしまう。
どんなに足や腰が痛くても、まあいいや、と思ってしまう。
美しいものには力がある。人の造るものも美しい。でも
自然のままで、本当にかなわないほど美しいものは日本に沢山
存在している。桜と紅葉、それだけはどうしたって観ないといけない。
年を重ねる度にそう思う。


続・砂糖断ち

2015年02月15日 | 私の人生


 砂糖断ち に再び興味を持ったのは
皮肉にも そんな辛いことはほぼ無理だからと
以前ブログに書いた文章に注釈をつけようとした時だった。
私は砂糖断ちと水毒の症状緩和という二つの実験をしたことがあり
砂糖断ちはものすごく大変で継続しにくいものの、水毒の方は
いつも摂っていた水分を大幅に減らすだけでよく
かなりの効果もあったので その方が楽ですよ、と
書こうかなと思っていた。
(水毒というのは漢方用語で、水分を摂りすぎていることで起こる
不快な症状で 関節に水がたまる、胃のチャプチャプ感、
喉の異物感、おりもの、むくみ、下半身の冷え、頭の重さなど
これらは全部自分に当てはまっていて 今ではかなりなくなった)


 ところが自分が書いた砂糖断ちの文章を読み
思わずへえ~と思ってしまった。
そこにはすっかり忘れていた効果が書かれており
ふうん、やってみようかな、という気になった。
砂糖断ち とは言っても 甘いもの大好きな私が
完全に断つことはやっぱりできない。とはいえ極力
減らすだけでも、1日目から髪の毛に変化が訪れた。
今までは美容院で切ってもらった次の日でも髪の毛がはねる、
やっぱりパンテーンを買わなきゃな・・・と思っていたのが、
あれ、なんだかすっと手櫛が通る。髪の毛がしっとりしている、
そんな状態に驚いた。日々ハネやパサつきに悩まされていた
私にとって、もうこれだけでも相当な喜びで、この
「何もしていないのにしっとり感」は今も続いてありがたい。


 砂糖断ち をするとわかるのは 砂糖をとると
「だらり」としてしまうということだ。
だらり というのは口がぽかんと空き、よだれが垂れそうな
様子とも言える。また、すぐに姿勢がダラリとするのも
実感できる。なんというか、大切な芯となるものを
垂れ流してしまったような感覚だ。髪の毛にもコシがなくなり、
自分をまっすぐにさせる力がなくなり、だらんとしてしまう。
自分の実感としてわかったのはそんな感じで、心なしか
歯も白くなったように思うし、顔だちもハッキリしてきたように思う。



 さて、水分を減らすことと砂糖を極力とらないこと、
それに加えて先日読んで衝撃を受けたウィリアムス・デイビス氏の
『小麦は食べるな!』という本に影響され、
数日間パンやらパスタなど、小麦製品を避けてみることにした。
砂糖に中毒性があるというのは以前の砂糖断ちで実感でき、
禁断症状みたいなものすらあった自分に驚いたけど、
この本によれば小麦はヘロイン並みの中毒性があるらしい。
タバコ、ヘロイン、それから炭酸飲料くらいだと
「身体に悪そう!」と思うけど、人類を育んできた小麦が
まさか身体を蝕むなんて思いつく人は滅多にいない。
(この本では品種改良や遺伝子組み換えにより、もはや
古代から人間が食べてきた小麦と現代の小麦は別物だと述べられている)
私も本の存在は知っていたけど「そんなこと言ったって・・・」と
なるべく通り過ぎていた。とはいえ砂糖を断ってもお茶を減らしても
なんだか頭がぼんやりする・・・なんだか調子がでないまま、という
状態は結構あって、頭にもやがかかったような状態が本当に嫌だったので
もしや、これ、小麦のせい?ということで、ちょっとやってみることにした。
(本にはそれは小麦の禁断症状だと書かれており、小麦は食べれば食べる程
もっともっと食べたくなってしまうらしい。つまり朝パンを食べた2時間後に
どうしてもクッキーが欲しくなり、昼を食べた後数時間眠くなり、
またお菓子が欲しくなり。。。まさに私?)



 さて、小麦を極力避けてから驚いたのは、意外とご飯だと
お腹がもつということだった。かなりパン好きの私は3食お米なんて
久しぶりだったけど、昨日のお昼は小ぶりのおにぎり2つと
おかずが少々だけで、これでは夕方にお腹が減ってしまう!!と
恐れていたのに、ほぼ間食せずに7時くらいまでもってしまった。
これがサンドイッチだったなら、食パンを2枚の中に
オムレツを挟んだとしても、3時までもたないと思うんだけど・・・
(この空腹感は一般に言われる「お米はパンより腹持ちがいい」
というだけでなく、小麦特有の禁断症状であるらしい つまり
もっと小麦を!もっともっと、という状態を小麦がつくってしまう)
しかも一日中頭も冴えて、頭に空気がスウッと通る感じがしていた。
そういう状態は心地よいけど どちらかというと珍しく
図書館に行っても勉強したいのに何だか眠い・・仕方ないから
またコーヒー、の繰り返しだったのになと思う。



 砂糖断ち+水毒緩和+小麦断ち(すべてできる範囲で)の
相乗効果としては、髪の毛しっとり、それからこの1週間で
かなり痩せたように思う。特に1年程前に始めた水毒の実験前は
ぽっこりお腹だったのが、「あれ?ウエストがある」と思うようになり、
今回の砂糖断ち以来、ウエストが目に見えてくびれてきたようだ。
なるほど、人間を絵に描くとウエストがくびれているけど
本来そう在れるものだったのか・・・と妙に納得。
お腹から下がずいぶんすっきりしつつあり、水毒の実験以前は
もうきつくて着られないと思っていたようなズボンも大丈夫になり、
下着がゆるくなってしまった(それだけむくんでいたのだろう)
1週間程度でのあまりの変化にいつも驚きを隠せないし、
大丈夫か??と思うけど、身体の調子はいたって良いし
別に無理なダイエットをしているわけではない。
(例えば1食まるごと抜くということは一度もしていないし
食べる量もほとんど変っていないのに、お茶の量を減らし、
お菓子をできるだけ減らし、小麦製品も減らすことで
明らかにスタイルが良くなった)
お茶を減らす前は右膝がかなり痛かったけど、今では
痛みも相当へった。また、この3つの相乗効果が明らかに
表れるのは階段を上ったときだ。あの重い、つかれる、
もちあがらない・・・という感覚がない。身体の軽さを
感じてしまう。階段をあがった時に、全てがわかるような気がする。
あ、やっぱり摂りすぎた。身体が重い、そしてだるい。
そしてそれが反省になる。やっぱりもう少し減らさなきゃ・・・


 髪の毛がパサつくからトリートメントを買わなくちゃ。
肌色が良くないから高い化粧品を買わなくちゃ。
歯をもっと白くするために美白歯磨きを買わなくちゃ。
そう思うとお金はたちまち消えていく。
けれどこれらをやってみて実感したのは、上から何かを
塗ったり摂取していくことよりも、身体の中から
何かを取り除いて行く方が、効果が表れるのが断然早いし
お金は一銭もかからない。一銭もかからずにより綺麗に
健康になれる方法があるのなら、薬局に行く前に
1日だけでも試してみては?
(私はあまりに元気がなくてハーブに頼り、ハーブの資格まで
取得とったけど、ハーブ療法よりよっぽど効果が実感できる
それにハーブも高い!)

 いつも疲れを感じている人、食事やお茶だけが楽しみなのにと
思っている人、膝の痛みを感じている人、肌の調子が悪い人・・・
砂糖断ち、水毒、小麦断ちのどれか1つでも丸1日挑戦するだけで、
あれっ?という変化に気づくかも。
どこまで続けられるかわからないけど、小麦断ちはまずは
5日間やるのが大切らしい。これじゃあ成城石井に行っても
何の楽しみもないけれど、もう少し変化がわかるまでやってみよう。

(追記:この後誘われて家族でピザバイキングに行ってしまったら
やっぱり小麦は美味しい!パスタもうまい!と思ったものの、その後激しく後悔・・・
頭にもやがかかってフランス語読むどころではありませんでした。
そのもやを取り除くのにコーヒーも飲みましたが効果なし。
読みたかった難しい本は諦めました。
やっぱりしばらくできる限り断ってみようと思います)

興味のある方へ
はじめての砂糖断ちの記事はこちら
水毒についてはこちら
その続きはこちら
けっこう効果あると思いますよ・・・


脱・水毒?

2014年04月30日 | 私の人生

私の人生からお茶をとったら一体何が残るんだろう?
そう思うと怖かった。私の人生からお菓子をとるのも?
それは恐ろしいことだった。けれどそれらがなくなってしまった時
実際に見えてくるのは今までとは異なる世界。
あ なんだ もっと元気になったら面白いことがあったんだ。
あ なんだ 私、意外とこんなこともできるんだ・・・

水毒 というものを本格的に意識してから一週間弱が経ち
砂糖断ちはすぐに断念してしまった私も これはなんとか続いている。
それというのもこの効果があまりにすごいから。
葛根湯もすごいけど、水分摂取を減らすこと は
ハーブや化粧品なんかとは比べ物にならないくらいの劇的な効果があるようだ。

水分を極力減らすことにしてから2日目、鏡に映った自分をみて
あれ?と目を疑った。私・・・ウエストがある?
それまでは痩せ形体質とはいうものの、ぽっこりお腹だった私は
体型の割にはウエストらしいものがなく、ボトムスなんかを
選ぶときでもちょっと大きめのサイズを選んでた。
ところがその私のウエストがきゅっとくびれてる・・・
そうか・・・これがウエストだったんだ!
私は愕然としたのだけれど これが自分だと思っていたのは
実は自分ではなく むくみだったのかもしれない。
脚もすぐに細くなり ちょっとその劇的な変化に
本当にこれ大丈夫??と思ったけれど 特に身体に
悪そうな症状はなく、手首やら脚やらウエストやら
顔周りがもとあるべきだった状態にもどったというか
だいぶシュッとしたようだ。

おかげさまでこれまで感じていた階段を上るときの
あのズシリと重い感じも消えて なんだか顔色も良くなった。
しかも驚いたのが3日目くらいに髪の毛を触った時だ。
あれ?なんだか私の髪がしっとりしている・・・。
それまで私の髪といえばパサパサで、オイルを塗らないものなら
パサついてしまって困ってた。だけどオイルは塗ってない。
そういえば水毒の症状に髪のパサつきとあったなあ・・・
髪の毛はしっとり、身体はなんだか弾力があり、
はーなるほど、よくCMの文句になっている潤いとか
ハリとはこのことだったのか~と思わされる。
ところが水毒改善には一銭もかからない!これが本当にすごいと思う。

ハーブも試した、漢方にも手を出した。
化粧品も高いのに変えてみたりとかしたけれど
なーんだ どんなすばらしい効果を謳うものよりも
水分を減らすというたったそれだけでこんなにも劇的な効果があったんだ。
砂糖断ち も 確かに変化があったけど
それはどちらかというと精神的な変化だったように思う。
鬱っぽい気持ちの沈みや原因不明の疲弊感や焦り、いらだち
そんなものがなくなっていくのが砂糖断ち。こちらはというと
身体がみるみる変わってく。それがとても 面白い。

お茶ってなあ・・・身体にいいと思ってたけど
そう思ってる人も世の中沢山いると思うけど
飲めばいいってもんじゃない。
でも水毒改善のいいところは 砂糖断ちより楽で効果がよくわかること。
砂糖断ち は はっきりいってかなり苦しい。
甘いものが好きだった人にとって 目の前で甘いものを
食べている人が居る中「私だけはいりません」というのは
自分にとっても おそらく相手にとってもちょっと辛い。
なーんだ、せっかく買って来たのに、なーんだせっかく作ったのに。
そういう思いがあるだろう。そして気を悪くさせないために
やっぱり食べて 嗚呼・・・と元の木阿弥になってしまう。

それがお茶や水分だと 全て断つのは明らかに身体に悪そうだ。
でも極力減らせばいいから、一度に2杯飲んでたお茶を
カップの半分だけにする、カップをデミタスカップに変えて
それで一杯飲んだ気にする、1日あたりに飲む回数を極力減らすとか
方法はいくらでもあり、お菓子ほど相手の目が気にならない。
出されたケーキを半分残すのはかなり失礼な感じがするけど
お茶や水を半分残しても まあ ありかなというようにみえる。

そうしてお茶一辺倒だった生活を変えてみると
身体にいろんな変化が起こる。まず顔が小顔になったような気がする。
それからウエストがちょっとくびれた。髪の毛がしっとりしているようだ。
右ひざの痛みもあれからほとんど気にならない。
目の下の黒クマも消えつつあるし、テカリ気味で化粧が浮いてしまいがちだった
私の顔もなんだか落ち着いて来ているようだ。それになんといっても
「トイレと結婚すれば?」と言われてたほどトイレにばかり行っていたのに
「なんか今は行かなくてもいいやー」という気になった。
なるほど、他の人たちはこんな気持ちだったのね・・・
砂糖断ち も 水毒改善も やってみると
それまでとは違う自分に気づく。
もうダメだ、疲れた、お茶でも飲むしかない・・・
それくらいしか楽しみがない
そう思ってた人生が なんだかちょっと違って見える。
なんだ 我慢できるじゃん。 なんだ 別に大丈夫じゃん。
自分に少し自信が持てる。


何かに依存していると それがないのが不安で仕方なくなってしまう。
お菓子がなくなってしまったら?お腹減りすぎてしまったら?
何も飲み物がなかったら?私はどうなってしまうのだろう?
パニックになったりしないだろうか?そんな不安があったから
私はいつも持っていた。少しでも安くするため 大量に買ってみたり
それを小分けパックにしてみたり。そうすれば安心なんだと思ってた。

だけどお腹が空いても大丈夫。空腹はそのうちおさまって
なんだか気分がよくなってくる。砂糖がなくても大丈夫。
人は砂糖がなくても生きられる。お茶の時間が減ったって
ほんの少しのお茶の時間を いつもよりも愛おしめば
その時間の輝きがきっと増すだろう。何も立ってお茶しなくても。
何も歩きながら食べなくても 本当は そんな必要なんてない。


タバコをやめられない人が うまく禁煙に成功するとき
「そんなものがなくっても幸せな自分」を強くイメージすることも
成功の要因であるらしい。
あれがなかったらどうしよう そんな不安は山ほどあった。
あの人がいなかったらどうしよう いなかったら 自分でなんとかすればいい。
車がなかったらどうしよう。電車とバスでもけっこういける。
不安を数え上げればきりがないけど 不安というのは一度きっちり向き合ったなら
意外となんとかなるのかも。仕方ない、もうやるしかない。
そう思うのを 人は覚悟というのだろう。

少しずつ 何かをやめて 少しずつ 以前と違った自分の姿に気づくこと。
お金がなかったらどうしよう? 私はまだそんな不安で一杯だけど
それだって えい、仕方ない!と思ったら
本当は なんとかなっていくのかも。

水毒

2014年04月24日 | 私の人生

 私からカフェをとってしまったら 私からお茶をとったら
きっと何も残らない。そう思ってた。

 砂糖を断ってみることは 大変だったけどなんとかできた。
その後すぐにフランスに取材に行って 招かれた食事の中で
フランス人にとって重要なデザートというものを
「砂糖断ちしてるから食べれません」なんて言えるはずもなく
私の砂糖断ち は 1週間ももたなかったけど

 それでもできた。そしてその成果というのは割と素晴らしいものだった。

 だけど、私からお茶をとったら・・・もう潤いが残らない。
砂糖を断ってみたときも 確か同じことを考えていた。
お菓子を食べる時間を奪う?そうしたら人生に楽しみはあるのだろうか?
けれども砂糖を断てた時 自分はいつもより元気になって
不思議だけども それ以外に いくらだって楽しいことはあるものだ、と気がついた。

 一度断ってはみたものの 結局元の木阿弥になってしまったけれど
やはり甘いものを誘惑にしたがって食べていってもいいことはない、
そのことには気がついて。もうケーキセットはやめよう。
(これは昔からなんどもそう自分に言い聞かせてるのだけど・・・)
仕事中に甘いものを食べるのはやめにしよう。
甘いものが食べたかったら何かをしながらじゃなく
その時間にゆっくり浸れる時だけにしよう、そう自分に言い聞かせ


 どうしてだったか お茶も削ってみることにした。


 水毒 という言葉は 漢方の世界での身体の症状をさすらしい。
水分というのは身体にいいように思われている。だけど実際には
水分の摂り過ぎが原因で、身体のむくみ、頭痛、疲労感、目の下のくまなどが
できることがあるという。一度それについて調べてみた時かなりの症状があてはまり
まさか・・・水毒?と気がついた。砂糖は摂り過ぎではないと思っていたものの
お茶に関していったらまあ私の人生お茶だらけ。
「あなたってば家事する前にもお茶を飲むのね」と呆れられたこともある。
何をするにも、何があってもとりあえずお茶。イギリス人より
お茶を飲んでいるんじゃないかというくらい、日本茶、紅茶、
ハーブティ、それにコーヒー、飲み物なら何だって持っている。
昨年は身体の疲労をなんとかハーブティで治そうとして茶葉を買い込み
メディカルハーブの資格までとってしまった、のだけど。


 水分が身体にいいと思って沢山とるのが間違い、というのが水毒の考えらしい。

 世の中の多くの本には「~すると~が治る、よくなる」と書いてある。
だからこのハーブティを飲んでみよう、効かなかったらこの食事療法もしてみよう。
ハーブだったらこの組み合わせ、それから梅生番茶にねぎ茶に生姜紅茶。
身体にいい、~に効く、というのを読んでは何杯も飲んでいた。
そうやってプラスプラスに試してみたけど 結局のところ
大切なのは プラスじゃなくって過多なものを マイナスにすることかもしれない。

 ものを潔く捨て、部屋をとことん片付けると人生に魔法がかかる、
という考えがあるように 何かを足していくんじゃなくって
ありすぎるものをやめること。マイナスにしていく療法、それも大事なのだろう。
思い立ってから水分を極力とらないことにしてから2日目。なんだか
身体が軽く感じる。いつも感じていた疲労感、階段を上がるときの身体の重さ。
お迎えに行くときの疲れた感じ。気になっていた目の下のクマのような線。
どうも甘いものとお茶を飲んだ時に比例しているような膝の痛み。
身体を持ち上げるのがやっとと思うことが多かった。疲れたから座っていたい・・・
姿勢よく、と思ってもちょっと疲れているから無理だわ・・


 けれども今日は随分違った。手術をして目が良くなった人は
急に世界が違って見えるというけれど 私も少しそんな感じで
なんだか世界が軽やかだった。まず自分が軽いし、いつもの疲弊感がない。
特に違いを感じるのは階段を上る時で、変な重みを感じない。
心なしか顔のラインも細くなったようにみえる?それに目の下の嫌な線も
すこし消えかけているような・・・膝の痛みも特になかったし
昨日から頭に空気が流れているような 頭の冴えを感じてる。
そう、砂糖を断ったときも感じた感覚の冴え。うわ、いままで
こんなに鈍かったんだ・・・と気がついたのを思い出す。
ただお茶を飲むことを極力減らしてみただけで こんなにも違いがあるものだとは。
この変化はおそらく砂糖断ち以上の変化で、お茶が人生と思っていたけど
意外にも砂糖断ちより苦しくもなさそうだ・・・
たっぷりのお茶にハーブティ、ポットサービスこそがいい、と思っていたけど
これからはエスプレッソカップ一杯だけにしようかな。
何かで治療をしていくのは ハーブだろうが漢方だろうが病院だろうが高いけど
何かをちょっと減らすだけ でこんなに身体が違うなら
それほど効率的なことはない。

 もうケーキセットも本当にやめにして
カフェに行く回数もちょっと減らして?
注文するものも一番安くて少しのものだけにしてみたら
支出もだいぶ減るだろう。私の人生からお茶やカフェを減らしたら
この先どうなっていくのだろう。だけどもっと元気になって
エネルギーが湧いて来たなら 違う喜びがあるのかも。
お金をかけずに健康になる、お金がなくても幸せになる、
その道はちゃんとあるはずで あとは自分を信じる勇気さえあったなら
道が ちゃんと開けていくのかもしれない。

砂糖断ち

2013年09月25日 | 私の人生

 いつの日か、ハーブを使って 誰かのことを良くしたい。
体調の悪い人でもこれるカフェ、そこにいったらなんだか元気になれるカフェ・・・

 そんなことを思いつつ メディカルハーブの勉強をしていたけれど
ふと気づいたことがある。

 まてよ 私より元気じゃない人なんているのだろうか・・・

 私が知ってる多くの人は 満員電車で通勤しても
早朝から夜中まで働いていても「元気だ」といっている。
「元気だけがとりえなんです」そう言ってしまえる人もいる。
一度でいいからそんなこと言ってみたい・・・

 そんな私は いつも疲れ 気力がなくて 元気もない。
それが私になっていた。私ほど元気のなさそうな人なんて
あまり会ったことがない。人を救うよりも前に
自分がかなりやばいんじゃない・・・?


 どうしてこんなことになったのだろうと考える と
フランス以前とフランス以降に違いがあって、
留学をする前の私は「熱くて元気」と言われてた
よくパワーがあるとか行動力があるとか言われていたけれど

 それって誰?と思うほど その後10年くらいの私は元気がなかった。
ではフランスのビフォーアフターで 一体何が変わったというのだろう?
フランスで出会ったもの?それはカフェ、、、?
1日3回カフェに行き 私はコーヒーを飲んでいた・・・
それまでの生活にはカフェは日常には根ざしてなかった。
それから私の生活に カフェはなくてはならぬものになってしまったわけだけど。


 ・・・私からカフェをとる というわけにはいかないだろう。
じゃあコーヒー?やっぱりそうなのかもしれない。
もう一つ うすうす感づいていたけど避けてたものに砂糖があった。
妊娠中に愛読していた「身体の自然治癒力を引き出す食事と手当て」という
素晴らしく効く薬を自分で作れる本の中には 肉や砂糖の害をひたすら
述べた項があり それを読む度 3日くらいはどちらもこわくて近づけなかった。
そう だから 逆に私は読むこと をやめていた。
その大事な本は今行方不明だから読むことができないけれど
砂糖なのかと思い当たって色々と調べてみたら
おそらく砂糖 なのだろう。「白砂糖はコカインよりも有害」と
マクロビオティックの桜沢さんは言っていたらしい。
砂糖は人を疲れさせ 身体をどんどんむしばんでいく。
砂糖のとりすぎと妊娠の異常の関係性をみてとった産婦人科医もいるらしい。
砂糖は身体をゆるめすぎ たくさんのものがダラリと流れて行ってしまう
なんだか私のことみたいだ、、、 やっぱり 一度辞めてみよう。


 砂糖は中毒性があるらしく 従って禁断症状もあるらしい。
「いつもお菓子を持ってるね」と言われたことのある私はと言えば
ちょっと口ざみしいとつい何かをかじり お菓子が食べれる機会があれば
好きなだけ食べてしまいたいと思っていた。そうすることで幸せになって
イライラも減るのかと思っていたけど おそらくそれは中毒だったんだ。


 思い立って砂糖から離れる実験をしてみると やっぱりはじめは辛いけど
「口ざみしいなら水を飲むべし」という忠告を思い出し
やたらめったら水を飲み なんとか2日が経とうとしてる。
するとたったの半日くらいでも 舌が変わったのが実感できる。
味が違う。ごはんの味が飛び込んでくる。うわ、味わい深い!と
全てのおかずに感動できる。味付けを濃くしなくても
自分を変える それだけで こんなにも味わえるものなのか・・・!
丸一日くらいなんとか耐えてみる と ちょっとドキドキしていた
学校のデザートの時間のお菓子の後で 反応がすごいことに気がついた。
身体はやっぱりドキドキしている。妊娠中にチョコレートケーキを食べて
これはやばい、と思った鼓動の恐ろしく早い感じとよく似てる。
さっきまで、なんだ意外と姿勢よくできるじゃん、と思っていたのに
またすぐに身体がダランとなる。そしてやってくるあの疲労感、、、
これだこれ きっと 砂糖だったんだ。


 私はその疲労感や頭のだるさを追い払おうと コーヒーを飲み
お菓子で気分をまぎらわしてた。だけどそれがよけいに追い討ちを
かけていたということだったんだ。そしてやってくるあの頭痛に不快感、
それをとめるために飲むお茶や薬・・・
それって悪循環だった。


 今までは 何かを「プラス」して身体を楽にしようとしていた。
けれど私にとって必要なことはどうやら「マイナス」だったらしい。
砂糖をもう(ほぼ)やめにしたなら?軽食代だって減る訳で
2日続けていつもより激しい疲れを感じていない私は
そこまでハーブティに出費しないでもよいのかも。
砂糖やお菓子をずっと我慢するのは簡単じゃない。でもあの身体のだるさに比べたら?
自分をおそってくる疲弊感に頭痛 そしてイライラ
天秤にかけるなら やっぱり元気になってみたい。


 もうすぐフランスに行くというのに お菓子に近づかないことなんて
相当難しいだろうけど せめて1日1回だけに減らしてこの実験を続けたい。
もし私と同じような症状で悩んでいる方がいたら きっと
ハーブティやら漢方やらよりも 砂糖断ちの方が効果がわかる気がします。
実はかなり恐ろしい砂糖 離れてみたら 意外と平気になれるかも??


追記:結局私の砂糖断ちはフランス行きのために挫折しましたが、
砂糖断ちはきっとこれを読んでいる方にとっても簡単ではないと思います。
そんな私がもっと(?)効果を実感したのが水毒です。
水毒は身体に水がありすぎることで身体がうまく機能しなくなることらしいのですが
飲んでいるお茶をカップ2杯からエスプレッソカップ1杯にするなど、
極力減らすだけで相当な効果があります。水毒の記事に書いた時に
感じていたような症状はほとんどなく、続けるのもそんなに大変ではありません。
なんか、だるい・・・むくんでいる・・・痩せ形なのにお腹ぽっこりとか、
いつも疲れていると思う方、でも砂糖を簡単にやめられない方、ぜひ
水分を極力へらすことをお勧めします!

一杯のお茶

2013年08月30日 | 私の人生

 たった一杯のお茶から 人生が変わることがある。
たった一軒のカフェから 人生が変わることがある。
そして街さえも が 変わって行くことがある。


 そういえば昔影山さんと話していたカフェに関するサイトの名前は
Un café という名なのだった。Un cafe? どうしてわざわざ Un がつく?
どんな意味だったのかなあ と ぼんやりと考えていた。


 私が昔とても好んで 最近また頭の中をまわってる
槙原敬之の「MILK」という歌の中には
行き詰まってしまったときに友人の家に行き
その友人に抱きしめてもらうような ちょっと背中を押してもらうような
そんなシーンが描かれている。「あたたかいミルクみたいだね」という
その歌詞から 私はずっと 彼がお茶をいれてくれたのかなと思ってたけれど
もしかすると そんなことは具体的には描かれていないのかもしれない。

 私が勝手に想像しながら歌っていると どうしたって
小さなアパートの一室で ミルクのようなお茶を出してくれる
心優しい友達 という絵が描かれるわけだけど
どうしてそう思うかといえば 私がそんな風にして
一杯のお茶で救われたことがあるからだろう。


 もう10年以上も前にパリに留学していた時
私はかなり辛かった。沢山の理由があるけど ひとつは行った学校だろう。
私のフランス語力もひどかった。今だってあの学校にまともに
ついていけるとは思えないのに フランス語が留学生の中で一番下手だった
私にも同じ課題は課され続けた。憧れのはずのパリ。図書館漬けの日々。
のしかかるプレッシャー。当時の私は本当に危うい線を漂っていた。


 もう駄目だ・・・そう思った時に
確か私は電話をかけた。同じ寮に住んでいる 唯一の日本人、こういちさんに。
こういちさんは私にはとても眩しい人だった。流暢なフランス語。
寮内での外国人やフランス人との楽しそうなやりとり。私は何もわからなかった。
その上彼はフランス語を大学で学んだ人なら一度は憧れるであろう
フランス政府の給費留学生という 日本でたった数人しかとれないという
留学枠を勝ち取った人なのだった。こういちさん・・・それでも彼は
威張ったようなところは何もない、本当に優しいひとだった。

 「すみません・・・ちょっと行ってもいいですか・・・」
彼は快く部屋のドアを開けてくれ 私のことを通してくれた。
私はもう死にそうな状況だということを彼に話した。
彼はお茶を入れてくれ、話を聴いて、こう言った。
「今のみきちゃんにはわからないかもしれないけれど・・・
僕もね、今のみきちゃんとおんなじことを考えたことがあるんだよ。」
え?このこういちさんが、、、私は目を疑った。
彼にもそんな辛い時期があったなんて信じられないことだった。
そうして当時27歳くらいだった彼は私にこう言った。
「だけどなんだかうらやましいなあ 今はそんなこと思わないから
まあ 若いってことだよね・・・大丈夫。時は過ぎるよ
どんなに辛い時だって その時間が来たら過ぎていくんだ」


 こういちさんがその時に 私を受け入れてくれたこと
私の話を聴くために 時間をとってくれたこと
そしてお茶をいれてくれた そのことを 今になっても覚えてる。
私はその時死にたい気持ちで一杯だった。でも彼は「ぼくもそうだった」と
お茶を飲みながら語ってくれた。ただそれだけのことがあり
私は死なずにすんでしまった。一杯のお茶を誰かが自分にいれてくれる
そして「話を聴くよ」という姿勢を見せてくれる
それだけで 救われる命があるわけだ。


 その後彼がどこで何をしているのかはわからない。
何度か手紙を書いた後 それが宛先不明で戻って来てから
私には行方がわからない。彼は私とお茶してくれた。ただそれだけのことだった。
一緒に近くのカフェのテラスでビールを飲んだ夜もある。あの幸せだったことといったら!
シュールレアリストがカフェでしていたという遊びを教えてくれたのも彼だった。
もしかすると こういちさんは 私にパリのカフェの使い方を手ほどきしてくれた人なのかもしれない。


 たった一杯のお茶やカフェ が 人生にあるということ
それがどれほど 人生に彩りを与えるか
そんな時間が どれほど記憶に残る時間か
そのころはまだわからなかった。誰かが注いでくれるお茶
誰かとともに過ごすカフェの時間 一杯の暖かい飲み物が
それまでの頑なな心をスゥッと溶かすことがある。 

 誰かにスッとお茶を出す そして何かが溶けていく
技巧に凝ったカフェもあるけど 一杯飲むとスゥッと涙が流れてしまう
そんなお茶と お茶の時間を提供できる そんな人になれたらいい。

お茶文化

2013年08月13日 | 私の人生

 あれ、なんだか頭が痛い
なんだかちょっと 気持ち悪い。


 どうして?特に何をしたという訳でもないのに?
いや 今朝の あの恐ろしくもわっとした空気のせいなのだろうか
保育園から駅までのほんの10分にも満たない間
私は恐ろしいくらいの汗を流した
それは気持ちの悪い朝だった。


 「すみません・・・なんだか頭ばがぼんやりしていて・・
もしかすると熱中症かもしれません・・・」


 普段は冷房の大嫌いな私のはずが
その日は設定温度を27度にしていても寒いとすら思わなかった。
熱中症の症状を検索すると あ ほとんど当てはまる。
これはまずい、、、 ほんのちょっとの外出で
いつも通りの外出で こうなることがあるものなんだ・・・。



 その日は職場で塩をもらったりやたらと水分をとってみたり
手持ちの頭痛薬に手を出して 夜にはなんとかおさまった。
熱中症・・・恐ろしい!!これはしっかり対策せねば。
そう思ったその3日後だろうか
私はまた馬鹿なことをやってしまう。


 昨日は恐ろしく暑かった。
30歳をとうにこえている 私はというと
今だに18切符なんぞを使って 静岡を越え
大学院時代に行ったことのある「お茶の郷」という
お茶の博物館を目指してた。静岡にもいろんな施設や
場所があるけど あそこは行く価値がある。
ちょっと遠くてもいってしまおう。
久々に時刻表を買い、切符を買って足をのばすことにした。


 以前に比べると少しは用意周到になった私は
何度もそこのサイトをチェックした。
昔はあったはずのバスの案内は書かれておらず
「駅からタクシーで約5分 徒歩30分」と書いてある。
はて、私は2回くらいそこに行ったことがあるように思うけど
30分もかかるのだろうか 本当にそんなことがあるのだろうか

 とりあえず駅に着いたら考えよう。
到着したのは2時半だった。猛暑まっただ中の日本。
目の前にはタクシーが扉を開けて待っている。そこにある表示はこうだ。
「お茶の郷まで830円」

 うーん830円、、、、これまで色々と節約したというのに
ここでタクシー5分でこの値段。帰りも乗ったら1660円になってしまう。
これは痛い。。。ほぼすぐにそこを通り抜け、私は歩くことにした。
まあ15分で着くだろう。仕方ない、この道をまっすぐいこう。


 それが全ての間違いだった。


 確かあの辺にあったような・・・このカーブを超えれば・・・
私はそう思ってた。田舎の道は甘くなかった。
一切影のない県道沿い。当たり前だけどこんな時間に
人っ子一人歩いていない。けれども歩き始めてしまった
もう立ち止まったらおしまいだ。どこにあるかはわからないけど
ひたすら歩を速めていくしかない。手元には塩と水。
ときおり水を飲みながら ひたすら坂道をあがってく。
このカーブを上がったら・・・え!まだ何一つない・・・


 しだいに汗が滝のように流れ始める。上着もズボンも
びしょぬれになってくる が ここで止まったらもっと
すごいことになってしまう。田崎真也さんだって19歳のころに
ブルゴーニュを一人で歩き回ったと書いてあったではないか。
でも彼はきっと30代ではこんなことはしなかっただろう。
目の前に見える茶畑にさっと目をやり 違う こんな光景じゃない
もっともっと上がらなければ・・・ 苦しい思い出がよみがえる。
18歳の時南仏に一人旅した時のようだ。あの時も道が
わからなかった。一人でファイトコールをしていたな。
18歳で18切符ならわかるけど 私何してるんだろう・・・


 後悔しようがしまいが坂の途中では止まれない。
止まってもなんの意味もない。よけい苦しくなるだけだ。
それでも最後少し影があったので止まって汗をふいてると
上の方から大粒の水滴がぼたっとこぼれた。え? 雨?
いや 私の汗だった。こんな汗、一体何年ぶりだろう・・・

 目の前を涼しそうに通り抜けて行く数々の車を見ながら
もう白旗をあげてヒッチハイクをお願いしようかとすら思ったけど
車の向こう側には「石畳」という文字があった。

 ・・・石畳。東海道石畳?どこにいく道なのだろう。
「石畳」の向こう側は明らかに山の斜面。よく見ると
「牧ノ原公園入り口」と書いてある。牧ノ原公園というのは
ずいぶん昔に連れて来てもらった夜景の素晴らしい公園なのでは・・・

 
 もういいや!と一か八かの賭けにでて 道を渡って
木の生い茂る怪しげな「石畳」に入ってく。うっすらとした
森の雰囲気。もう終わりかもしれない。でももういいや
これが旅かも そんなことを思いながら前へと進む。
石畳は意外と長く、きちんとした道になっており
それを抜けると あ!この四角い建物は! 目の前には「庭園」とある
どうやらたどり着いたらしい。なんとかして建物の中に入ると
時計は3時。やはり記述は正確で 徒歩30分。こりゃ無理だ。
あまりに全身びちょぬれで、本当にどうしたらいいのかわからない。
それでもお茶室に入りたいからちょっとはこぎれいにしないと・・・と
なんとか奮闘し ようやく念願のお茶の郷へとたどり着く。


 入館料を払ってお茶室に通されると そこには別世界が待っていた。
小堀遠州の石清水にあった住まいと茶室を再現したというそこは
数寄ものの世界。至る所に遠州流のこだわりがあり 本当に見応えがある。
以前は時間切れで入れなかったお茶室では 普段はお手前から見せてもらえるという。
今日はたてこんでるのですみません・・・といわれながらも 
さっぱりして美味しいお菓子とお抹茶をいただいていると
スゥーっと疲れがとれていく。先ほどまでの世界とこことは嘘のように違ってる。

 隣に私のように汗びっしょりの人がいたので尋ねてみると
彼は自転車でこの坂をあがってきたという!「地図では坂は見えませんからね」とのこと。
本当にその通り。私のグーグルマップには「3D表示」というのがあったけど
ちょっと斜めに地図を動かしたような感じで ここまで坂が険しいとは
全然あれではわからなかった。ほぼ山登りに近かった
(だからここまで来ると下の街全体が一望できるというわけだ)
「お抹茶を飲むと汗がスゥーとひいていきますね」という彼の言葉が
とても印象的だった。このご褒美のためならあの辛さ も
(もうしたいとは思わないけど)そう悪くないのかもしれない。


 小堀遠州のお茶室やら庭園はやたらと凝ったつくりになっていて
まるで桂離宮に来たようだ。そこでお茶も楽しめ、ど暑い中で涼を感じることもできる。
「お茶の郷」よりこちらのためにわざわざ来てもいいのではという場所だった。


 さて 本来の目的地「お茶の郷」ではいつか見た中国茶の茶館の再現や
いろんな国のお茶のある光景の再現、それから日本茶の歴史や牧ノ原の茶についての
説明などがあり お茶全体を楽しめた。まあ個人的には もっとそういう茶館なんかで
中国茶体験ができたり、実際に味わえたらいいのになあという思いがあったけど
いつかそんな 世界のお茶文化やカフェ文化をいちどきに味わえる場所が
つくれたら面白いのかも というアイデアが生まれて面白かった。


 帰り際 久しぶりに読む本に触発されながら 好きなことってなんだろう と考えた。
その本によれば 得意なことと好きなことは違うらしく、得意なことを仕事にするのではなく
好きなことを仕事にしないとあとで苦しむことになるらしい。
好きなこと というのは ワクワク、ドキドキ よりもっと静かなことで
人から評価されなくてもついやってしまうことらしい。


 うーん それって 写真?書くこと? でも好きだったらもっと日常にあるだろう。。。

 私の場合 それはお茶?

 私は人から「みきさんはいつもお茶してる」と言われることがある。
ほとんど皮肉なように「あなたってばお茶を飲んでから仕事をするのね」と
言われたことも何度もある(でも気にしない)
子供が生まれたばかりで何もできなかったとき 私にできた唯一の抵抗は
お茶を飲むことなのだった・・・。

 それくらい わたしにとって お茶の時間というのかかけがえのないものだ。
コーヒー?お茶?ハーブティ?別にそれはどれでもいい。
カフェ文化?そうかもしれない。でもお茶文化も 同じくらい気になるものだ。
じゃあ カフェ文化研究家から、世界のお茶文化研究に移るとか・・・

 そんなことを考えていた。お茶のある光景 お茶の時間が私は好きだ。
お茶するために生きているのかもしれない。一杯のお茶。
一杯のコーヒーがある時間。それとともにある幸せや豊かな時間。
コーヒーやカフェから もっと間口を広げて行こう。
そしてもっと 誰かにお茶をいれてあげるようになったらいい。
「お茶にしない?」「よかったらお茶でもどうですか?」
そんな時間が私は好きだ。もっと世界のお茶文化に親しめる
そんな場所がいつかつくれたらいいな。



  

引き寄せの法則

2012年06月05日 | 私の人生

 人生の意味だとか どうして物事がそうなるのかは
私にはいつもわからなくって 神様どういうことですか?と
いつも天に聞いているけど わからないことばっかりだ。


 だけど去年の夏から1つだけ学んだことは
引き寄せの法則というのはあるらしいということで
何らかのものごとに対して言っていたことも
自分がそれを口にしていた ただそれだけで
それが自分の人生に跳ね返ってくるらしい。
それはアフォメーションともいうのかもしれないけれど、、、


 とても辛かった時
「ちょっと(人生の)風邪をひいているだけだ」と
私は何度か自分に言い聞かせてた。そしたらその後
実際に風邪をひいてしまった。
福島に行った後 「これは大変なことになる!!」と感じ
大変だ 大変だ!!と言っていたら 一番大変なことになったのは
自分の身体でほぼ一ヶ月くらい寝込んでしまった。


 それに対して今度はいい言葉をかけていくと
けっこうその通りになっていく。その時は信じられなかったような
ことでも、3ヶ月くらいすると 例えば肌もきれいになってたりして
そんなことが!と思うけど 実際に変わっていくようだ。


 だからこそ 辛い、何それ、、と思った時に
気分をきちんと変えること 自分の気持を悪いもので
満たさないことが大切らしい。不思議なことに同じ場所に
同じように生活しててもある時は絶望してて ある時は
その状況にかなり感謝ができたりするけど それらは全部
自分の気持によるんだなあ、、、、


 去年の夏から 感情のコントロールはうまくできるように
なったのだろうか。ネガティブの底だったあの時に比べたら
それは変わっていっただろう。自分の言葉や強いイメージが
未来をつくっているのなら やっぱり信じられなくっても
それらを言葉にしてみることが きっと大切なのだろう。


 いろんなことにまどされない いちいち揺れない不動の心。
揺れ動くものごとの中でしっかりと人生の舵をとる力。
私もそれを身につけたい。

フランスに行くなら

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