alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

パリ カフェツアー vol.9 エティエンヌ・マルセルとサンマルタン運河

2011年12月19日 | パリカフェツアー


 だいぶ間が空きました、が ツアー最終日の報告です。

 前日の帰りが1時を過ぎていたからだったか
夜な夜な街に繰り出していた私たちの
疲労もピークに達していたからか
最終日 の 集合時間はいつになく遅く
確か9時とか9時半だった。この日は
当初にたてた予定は大幅にかけ離れ
予定表より記憶をもとにたどるしかない。
さて、どんな日だったかな?


 朝いつもより遅く集合してみると
あれ?なんだか パンがない。そういえば
コーヒーもない。どうやら朝食の時間を
過ぎてしまったらしい。疲れやら帰国前の
混乱やらで、時間がたっても皆が集まる気配がない。
じゃあこんなところにいてもちょっと何だから
というか 本当は私が朝のコーヒーを
飲みたいだけかもしれないけれど
「ちょっと支度が出来てる人は角の
カフェで朝カフェしましょう。で、
カフェで打合せしてみましょう」ということにして
すぐちかくのカフェに入って6人でカウンターで
エスプレッソを注文する。

 すぐにみんな来るだろう と思って
カウンターにしたのだけれど いつまで経っても
みんなはこない。どうやらEチケットをなくした人たちがいるらしく
その対応に追われているらしい。Eチケットとかインターネットは
家にいたら便利だけれど 旅先に来るとプリント1つできなくて
けっこう困る時代なんだな、、、意外とネットも使えなかったり
外国は行く前に周到な準備がやっぱり必要だ。


 今日は自由時間があるからどこに行こうかなーなんて
一人一人ガイドを眺めて空想にふける朝時間。
エッフェル塔?凱旋門?そう 申し訳ないのだけれど
どちらにも行ってなければ見てもいない。最後まで
かすらなかった人だっていたことだろう。 それが
今回のツアーの変なとこ。でも次回組むなら
1日は自由行動にしよう。やっぱり見たいもの あるもんね。


 さて、みなさんが集合してから一行はエティエンヌ・マルセルへ。
ここには出発前にキャトルセゾンの社長さんに教えてもらった
ビストロ、レストラン関係の卸の店があるらしい。ツアーの
前に下見をしたら、このあたりの再開発地区はとても素敵
だったので これはぜひとも組み込みたい!と予定を
変更させてもらうことに。朝11時ごろのこのあたりのカフェは
まだ賑わっていなかったけど、チョコレート屋さんをみたり
有名なお菓子屋さんを覗いてみたり、4つのチーズがかなり
大きな固まりでパックに入ってたった6ユーロのチーズやさんを
物色したり(ここは本当にお得だと思います!)


 この日はとにかく寒かったけど、みんなで買い食いをしたりしながら
次にいつ味わえるかわからないフランスの味を楽しんで
寒い!カフェ行きたい、、、と思えどもあまり時間もないので
カフェにも行けず、道に迷った人たちを案内しながら卸のお店へと向かう。




 エティエンヌ・マルセルの卸の店は、日本にあるような
卸問屋な感じとはだいぶ違って高級だったけど それでも
見応えはあるしグラスとか カフェで使われている黒板だとか
ちょっとした飾りなんかもかわいくて たまたま見つけてもらった
お菓子の卸の店には山ほど専門用品があり クリスマスグッズもあって
お菓子好きの乙女たちはしばし時を忘れてしまう、、、いかんいかん、
今日はあんまり時間がないのだ。お昼を食べたら自由時間に
そういっていたではないか。


 さて、この辺には山ほどカフェがあるのですが
味の保証がされてる店に行くか それともどこでもいいから試してみますか?
と尋ねた所 やっぱり美味しいのが保証されている方がいいそうで
私が気に入っているカフェまでぐるっと戻ってもらって行った。
そこはかつてこのあたりを歩きながら「どこが美味しいだろう?」
と真剣なまなざしでカフェ探しをしていたときに見つけた店で
他の店ではみんなビールとか飲み物を飲んでいるのに
この店ではなんとまあ美味しそうなものをみなさん
こぞって食べている!しかも前菜とメインまたはメインとデザートで
13ユーロ!これはない、、、!というわけで入ってみたら大当たり。


 ただ この店、ちょっと待ち時間が長いんです、、、

 というのは確証がないので言わなかったけど
やっぱり今回も長かった。時間がないのにすみません。
だけど食べるとやっぱり美味しい!サラダでも美味しくて
みんな舌鼓を打っていた。そしてこの店に来る人も
店員さんも何故かみんなカッコいい、、、


 私たちのテーブルの係の店員さんがかっこいいよねという
話をしていたら女子たちはだんだんと気恥ずかしくなり
私も意識をしはじめたらオーダーの時に目を合わせられなく
なってしまったりしておもしろかった。それにしても
フランスは男女ともにかっこいい、きれいな人が多いんだなあ
自分の魅力を存分にわかってそれを自分で引き出しているというか
ギャルソンたちにも自然体で素敵でカッコいい!という人が多く
意識しはじめるとドキドキです(笑)


 私がこの店で食べた鶏のタジン、クスクス煮込みはとても
柔らかくて今でも記憶に残るほどの優しい味だった。デザートの
クランブルも絶品で、いただいた梨のホットチョコレートがけも
めちゃくちゃ美味しい。




 さて、ワインで身体を温めコースを食べるともう3時前?
フランスではゆっくりご飯を食べるとあっという間に時が過ぎる。
じゃあ各自自由行動!でもパッサージュに行きたい人は一緒に
来てください、ということで、急遽予定に入ったパッサージュへ向けて歩く。


 パッサージュというのは19世紀ごろにつくられた
日本で言う商店街のアーケードで、ガラス屋根で覆われた
通りの両側に、時代の面影を感じさせるお店がいくつも並ぶ場所。
この時がとまったような空間がたまらない人にはたまらない!


 さて、エティエンヌ・マルセルから一番近そうなパッサージュは
パッサージュ・ヴィヴィエンヌということで、そこに向かって
歩いていると、私が広尾の図書館で学んだフランス式広場で
一番名前の知られていない、ヴィクトワール広場に出会う。
どこにあるのかわからなかっただけに感動もひとしお。
ここは円形の広場に合わせて建物のファザードも円を描くように
つくられていて、駐車場っぽくなってはいたけど、なかなか
素敵なとこだった。


 パッサージュ・ヴィヴィエンヌの前にはキラキラ感のただよう
素敵なビストロがあり、入りたい、、、!と思うものの
今日は時間がない、また今度にしよう と思って通り過ぎ
ツアー後にまた発見したけど その時(夜)は
値段が高すぎた。カフェは朝行くのが一番かしら?




 こんなキラキラ感のあるパッサージュ、なんて素晴らしいんだろう
ときめいてしまう、、、としばしボーッとしてしまう私。
一行は先に進んで行く。と、パリで一番有名な(?)サロンドテの
アプリオリ・テがあり、一番有名でいいとこですよ、と言ってみるけど
サロンドテなんて時間がないよー。あー ちょっともったいない。。。



 その先には古びた神保町のような古本屋、それからかなり
時間をつぶしてしまいそうなかわいい子供のおもちゃ屋さんがある。
時代物のポストカードを扱っているお店も通り越し、証券取引所の駅へ。
ここでもマルシェがやっていたけど「マルシェも見なくて大丈夫ですか?」
「大丈夫、先を急ぎましょう」了解です。やっぱり5日はけっこう短い
(そりゃエッフェル塔も行けないくらいですから、、、)


 さて、今日の目的はサンマルタン。ここがなんだか駅からが
ややこしいんだよね。駅を降りて勘をたよりに「おそらくこっち!」と
歩きはじめ、かわいいブティックの横を通って先の方に車の通りを
感知して、はて?おかしい?運河の上を車が通るわけがない と
思ったけれども合っていた。よかった、、、ちなみにこのあたりで
東京っぽいインテリアのカフェみたいなお店があり え?パリにも
こんな東京カフェみたいなのできたの?これ なんの店?と
思っていたらインテリアショップでした。パリはやっぱり
パリ風のカフェを保ちつづけていくのかな。


 運河がみえたとなれば隣にあるのはシェ・プリュンヌ。
トイレに行きたい人もいたので早速入り、大人数の席をあけてもらって
お茶をする。これが最後のカフェだったのかな おそらくそうです。
シェ・プリュンヌはサンマルタン界隈をひっぱっているような
すごく愛されているカフェで、美味しいし雰囲気もいいし
気楽だけどとってもお洒落でまさにパリ。このテラスもかなりいいそうです。
各自思い思いの飲み物を注文して店内を眺め回して最後のカフェを堪能です。




 それからサンマルタン運河沿いの本屋さんに何軒か行ってるうちに
あたりは暗くなってきて そう もう 夜が やってきて
ということは もうすぐ宿に帰って出発なのだ。
サンマルタンは なんだかちょっと切ない香りがするような
それは私だけなのだろうか いろんな想いがつまっているから?
この日も 一年半前も 蓮太郎と3ヶ月いた最後の日も
何故か最終日にはサンマルタンに寄っていた。なんだか不思議
そして何かがあるようで 実はあんまりなんにもないような
でもなんだか行きたくなってしまう魅力がある ぽっかりした
サンマルタンは もっと奥が深いのだろうか
私にはまだわからない。


 宿に戻ってみんながいることを確認し 荷物をもう一度つめ
ではさらば!と宿を後にし メトロの駅へ。混乱しないように
先にお金を集めて券を買っておいたので けっこうスムーズだったけど
意外と北駅に行くまで時間がかかってしまった。今日の飛行機は23時発と
いうことで 申し訳ないけれど 私は北駅までの見送りということにさせてもらってた。

 ドキドキしながら電車の到着を待ち、みなさんとの
パリ最後の言葉を交し、電車が乗る直前に次々とハグをして
笑顔のみんなを送り出す。ピーッとドアがしまったあと
残されたのは私とお財布をすられた男の子。
なんだか急に淋しくなるけどまあ仕方ない。
いきなり一人になってしまったわけじゃないし と
今度は彼のバルセロナ行きの列車のチケットを買いに
北駅をぐるぐるしながらチケットを買い 宿に戻って私たちのツアーはおしまい。


 いろんなことがあったけど まるで夢だったみたいに
あっという間に過ぎ去って だけど私が見ていた視点で
みんなもあれらのカフェや街にいったはず で
それがどういうことなのか この先何をもたらすのかは
私にはまだわからない。忙しい日本の日常で 忘れさられてしまうのか
それとも刻印のようにのこってじわじわと何かを訴えかけて行くのか
私にはわからない。でもできれば後者であってほしくて
一人一人の中に何かが残ってほしいから 私もけっこうがんばった。
あれ が どういうことだったのか そういうことは
一年だとか 二年してからわかるもの なのかもしれない。


 来年 そしてこの先に クルミドコーヒーにパリの影響は
出るのでしょうか?そして西国分寺がパリになる日は?
きっと来るのだと思います その頃私はどこにいるのか?
わからないけど もっとツアーができるといいです。
パリカフェツアー 体験してみたい 興味あるという方は
ぜひalternativeway@mac.com 飯田までご一報ください。
ご要望に応じて組めると思います。 そして来年には私も
パリに住めるでしょうか?パリでわくわくできたらいいけど。


 長い長い報告をここまで読んでくださったみなさん
ありがとうございました!!

パリ カフェツアー vol.8 シャルティエからオベルカンフのカフェへ

2011年12月14日 | パリカフェツアー




 パソコンの調子が悪くて尻切れとんぼに
なってしまいましたが、5日目の続きをお伝えします。



 「お菓子を沢山つくったあとはフランス流のティータイム。」
そういうわけでみんなでつくったタルトタタンにマドレーヌ、
ヘーゼルナッツのケーキに牛乳のジャムを塗ったタルティーヌ、
そしてフランス風の濃いショコラを人数分用意してもらい
席について試食開始。


「タルトタタンはね、見た目はどうしてもお店みたいには
きれいにできないけど、でも食べると本当に美味しいんだから!」
たしかに見た目はなんだかちょっと残念な感じだったけど
ファリーダが大事にしている「家庭の味」というのは
日本に帰ってから私が作った餃子のようなものなのだろう。
確かにひっくりかえしてお皿に盛ろうとしても
お店のようにはうまくいかない。だけど食べるとめちゃくちゃおいしい!
そう タルトタタンも アイスに合わせ、生クリームに合わせ
うーん ほっぺがおちそうな味。


 あまりにさらっと食べてしまえて どうしてあのとき
リンゴをもっと投入しなかったんだー  とちょっと後悔。
リンゴは10個以上あったというのに 多すぎるという判断になり
私たちはみんなして生のリンゴをかじって食べた。でもここに
その分のリンゴが入っていたなら2倍の時間美味しかったのに。。。
それくらい「もっと食べたい!!」という美味しさのタルトタタン。



 さて、フランス流ティータイム というからには会話がつきもの。
だってフランスは会話があってなんぼの国だから。
そして好奇心旺盛なファリーダは質問開始。
その質問を訳しつつ でも私も質問に答えたくなりつつ
そうしてそのうち議論がはじまり 日本におけるカフェでの
子連れのありようとか どうしたらいいものかとか
フランスと日本は子育て観がどう違うかとか
カフェで子供が騒いでいたらしかってもいいものかとか
(結局日本ではしかれないし泣き終わるもしくは
彼らが帰るまでだまって耐え忍ぶ というのが一般的ですよねえ?)
そういう話を 通訳しつつ 私も意見を言いたくなったり
ファリーダに言ったあと今度は日本語で説明をして
誰かが何かをいったら通訳 そこですかさず影山さんが英語で議論
私も英語で応じたいけど やっぱり無理なのでフランス語 という
頭がぐわんぐわんになりながら それでもなんとか?
フランス語で議論するような雰囲気をつくりだすことはできるのだ
ということがわかって実りある時間でした。つい自分の意見もいいたく
なってしまうのがたまにキズだったかも、、、でも
そうやって何かをつっつくことが議論の醍醐味な気もするのだけど、、、



 そうして「フランス流ティータイム」という なんとなく
お茶を飲んでほっとして終わりではなく 会話、議論の時間を過し
時計をみるともう7時近い。4時間をとうに超えている!!
彼女の息子も帰って来たのでじゃあそろそろおいとまします、と
お別れの挨拶をして、次の場所へ行くことに。さて 次はどこへ行こう?



 この時には私は人生初の同時通訳4時間にへろへろになっていて
疲れがピークに達してきていた。どこかでちょっと休みたい、、、と
思う間もなく、一行はシャルティエに行くことに。ほ 本当?
本当に行くの?と内心思いながらもみんなはかなり楽しみに。


 シャルティエはシャンパーニュの失敗のために行けなくなってしまっていた
有名なブラッセリーで、ギャルソンたちの動きが面白くって
とても躍動感とざわめきのあるブラッセリー。パリのエスプリが
凝縮しているシャルティエの話はParis-Bistro.comの事務所でも
ファリーダの家でも出て来ていたから 「やっぱり行ってみたい!」ということになり
こんなにもお菓子を食べたあとに本当にフランス料理なんて
食べれるんですか??と真顔できいたらみんな「別腹!」とのことだった。
なんという食いしん坊(こういうのをフランス語ではグルマンという)!



 普段はかなり並ばされるというこの店だけけど 運良く9人?
もしくは間違えて8人?のテーブルがあり、通されてみると
店員さんたちがなにやら言い合っている「ここは9人じゃないだろう
他の場所だよ」うんたらかんたら、、 どうみても9人がけでは
ないけれど これでもか!!というぐらい隙間をつめられ
無理矢理入れられた席で すさまじい喧噪の中メニューをもらい
メニューを説明。大きい駅の構内のような店内は 文字通り
ギャルソンは走り 人々は大声で語り合い 声と声とが
ぶつかりあってて小声では何も聞こえない。仕方がないので
私も大声を出してメニューを説明。疲れてたって仕方ない!





 さて、この店のギャルソンは愛想がいいんだか悪いんだか
もってきたワイングラスは何故か小さいグラス。「ちょっと
もう普通のサイズがないんだよ。どうせいいだろう みんなで
わけたらちょっとしか飲めないんだから」とかなんとか言って
私たちを納得させる。注文をしはじめると ぎょっとするのが
この店は白い紙のテーブルクロスのはじっこに注文をなぐり書きしていくのだ!

 それをみて影山さんは「それって効率的なの?」という
それからのギャルソンの姿をみてるとどう考えても
効率的なわけはなく それなら日本のファミレスみたいに
ピッピッと押して注文が即厨房に届く仕組みの方がいい。
でも影山さんの指摘曰く、この店には「話しかけさせようとする
仕組みがいたるところにある」んだそうな 別に
話しかけないでもいいのだけれど(なんせ彼らは恐ろしく
忙しそうだ!)誰しもがこの紙になぐりがきするという行為に
驚き つい言葉を発しないわけにはいかない。しかも
最後はそれをびりっと、つまりテーブルクロスの端っこを
べりべりやぶってそれをレシート代わりに手渡す。
そんな仕組みがこの21世紀にあるなんて!!




 そうしてつい言葉をかわして ギャルソンとも
隣の人とも目配せをしてなんとなく仲良くなっていく。
そんなコミュニケーションを楽しんでしまう
それがフランスのエスプリなんだ。

 私は以前来た時驚いたけど 4人がけのテーブルに
4人座っていて 最後に1人だけ残されていた。
あれ?どういうことだろう?と不思議に思っていたけれど
なんと彼らは3人と1人の相席だったのだ!!
そしてなんとなく一緒にしゃべってしまう
うーんそれは美味しそうとか すごいボリューム!
こんなの食べられるかしら?とか
このギャルソンの対応はちょっとねえとか
そういってクスクス笑う それがフランスの楽しいところ。



 さて、意外にも早いスピードで運ばれて来たご飯はどれも
みんな美味しい!!そしてバカ安。前菜とか3ユーロもしなかったり
メインも10ユーロ前後だったり。私ははじめてきた時
この店は値段の単位が何か違うのかと思って目を疑ったのを覚えてる。


 さて、こんなざわざわした雰囲気でギャルソンと
楽しみながら会話をかわし、美味しい料理とワインを
飲んだりしてると 嫌がおうにも疲れもふっとび
元気になってしまう。環境の力って
こんなにも人間を作用してしまうのか!と本当に
おそれいりまいた。シャルティエにはみんな身体で驚いたらしく
「本当にこれてよかった!!」という人続出の素晴らしい店でした。




 それからは夜のオベルカンフへ。といってももう確か
22時ごろ?パリの夜は長い。。。


 さて、ガイドの話がはじまったカフェ、シャルボンの前を通って
でも振り返りをしたいということなので、比較的穏やかなカフェ、
ロートルカフェに行くことに。こちらは夜でもゆったりしていて
ハーブティとかを飲んでいても平気な感じ。広々として素敵です。




 ここでしばらく影山さんの提案のもと、みんなでツアーの振り返り。



 私はお話をききながら、わーみんな1日目と表情が全然違うし
日本でパリの話をしていた時とは積極性が全然違う、、、それに
お店で働いているこの人たちが自分の肌で感じて自分で
「カフェにおけるギャルソンの役割 意味合い」を感じてくれて本当に嬉しくなった。

 それは日本でいままで目にしてきたものとは全く違うタイプのものだけど
だけどこのパリのギャルソンたちの振る舞いこそが
パリのカフェという空間を彩っていて 彼らがお客さんの
気分をもっと心地よくというかちょっとアップビートにさせて
活気があって あたたかな 居心地のよい空間をつくってしまうことに
ちゃーんと貢献しているんだなあ っていうことを
みんなが自分で体得できた それがすごいことだと思った。


 私も今回こうしてツアーをするまでは ギャルソンの意味合いが
正直よくわかってなかった。日本的観点からすると「ぶっきらぼうで
ちょっとやな感じでサービスが悪い」ようにみえてしまう
パリのギャルソン達は また別の観点からみると
とても魅力的に見えて来て 私も今回は彼らと相当コミュニケーションを
したおかげで コミュニケーションをとろうとしてこそ
楽しいんだなあというのがよくわかった。

 そう フランスは受け身でいては楽しくないし辛くなるだけ。
積極的に 自分からコミュニケーションをとりはじめたら
知らなかった世界の扉を開いてくれる そんな国がフランスなんだ
だから会話と会話力 コミュニケーション力が大事で
それが日本ではかなり欠けるものだから パリ症候群にもなるのだろう。



 オベルカンフをぐるぐるしながら最後ロートルカフェの前 で自分で納得しながら 
私は言った。「だからつまり カフェから時代は創られる っていうのは
人と人とのコミュニケーションだったってことですね!」

 そう コミュニケーションから何かが生まれる 積極的な出会いから
一歩進む出会いから 何かが生み出されて行くわけだ。

 

 カフェは予期せぬ出会いに満ちてる。パリのカフェでも
西国分寺のクルミドコーヒーの店内だって 予期せぬ出会いで
満ちている。そんなこと が起こりうる場所 そうして人生が
前より上向きになっていく場所 そんな場所がカフェなんだ。
ひとつだけ 一歩だけ前にすすむこと ほんの少しの勇気をもつこと
そこから扉が開かれていく 目の前にあったけれども
気がついてなかった扉が。


 フランスは私に勇気をくれた。フランスで得た経験や自信を
ちゃんと日本で活かしたならば きっともっと 前に進んで行けるんだ
私たち には あんまりなくて だけどきっとあったらいいもの
きっとあったら もっと人生が素敵にキラキラしそうなものが
フランスには一杯あるように思う それはファリーダのような
素敵な暮らしだったり 個性的で居心地の良いカフェであったり
コミュニケーションに満ちたビストロだったり
そんな出会いのある暮らし それってやっぱり素敵だなあ。

ーー追記ーー

 クルミドスタップの北村さんがシャルティエの感想を
クルミドのブログに書いてくれています。「空気」よかったら読んでみてくださいね!

 

パリ カフェツアー vol.7 Paris-Bistro質問会とパリジェンヌ宅の料理教室

2011年12月10日 | パリカフェツアー


 ツアーが終わってほっと一息、ようやく
Paris-Bistro.comの事務所を訪れた日に
事務所の前で美人に声をかけられた。
「ああ、ミキじゃない!」「? ああ、ファリーダ!
誰かと思った!なんだかいつもと違うねえ」
「今日は撮影があってね それで化粧をしっかりしてるの」


 ファリーダは何の偶然か運命か 私が
事務所の帰りに息子を遊ばせていた公園で
出会ったまばゆいほど素敵なフランス人で
こんな人と出会えるんだったらママでよかった!!と
心底ママであることを感謝してしまった素敵な人だった。
彼女はよく旦那さんとも公園に来ていてものすごく素敵な
カップルで 私は彼らを見る度に憧れていたのだけれど
そんな彼らは日本が大好きとのことで 私たちにも
興味を示し 最後には食事に誘ってくれたほどだった
(時間がなくて実現されなかったけど、、、)




 さて、そんなファリーダは料理研究家でテレビにも
出ていたという情熱の人らしく、彼女といろいろやりとりをして
今回のツアーで料理教室を開催してもらうことにした。
それで事務所の前で感想をちょっときいたら
「まあ本当に素晴らしかったわ!日本人って本当に素敵ね
彼らはみんなモチベーションが高くて吸収しようという気があって!
フランス人むけにもアトリエをやったことがあるけど
彼らったらね お金払ってやってくるのに「うちでは
こんな風にしないな」とか「まあこれはこういうものだよね」とか
なんか知ったかぶりしてちょっと嫌な感じなのよね!
そんなんだったら家にいたらっていってやりたいわ!」と
面白い会話がはじまって あーこういうフランス人っぽいところ
楽しいなあ 好きだなあと思いながら聞いていた。



ファリーダとは何故かやたら話があって 同じ母であり
自分の道を追求しようとして本を書いたりもがいている
彼女は私にものすごく勇気をくれた。
これからも 彼女から学ぶことはものすごく多そうだ。


 「あのね偶然っていうのはないのよ 私達が出会ったのも
きっと何かの運命なのよ、、、」そう言ってくれたファリーダ。
不思議なことに 彼女の話す言葉は一言一句としてわからないことは
ないくらい そして話す度に「ミキは会う度にフランス語は上達している!」と
言われるくらい 彼女とはウマが合うのか話がしやすく いつまでも話していたくなる。
そんな人に出会えてよかった 彼女が勇気を与えてくれて
それで私も強くなったと最後にお礼を言ったら彼女は涙ぐんでくれいていた。
そんなファリーダの料理教室 そして5日目のお話です。


 

 「パリに行ったら朝のセーヌ川を散歩してこいって言われてるんです」
という影山さんの一言で なんとかセーヌ川を予定に組み込み
5日目は小雨のセーヌ川でスタート。サンミッシェルから少し歩いて
かなり寒いしもう上がりましょうかといって、Maison Kayserのある通りへ向かう。
kayserで盛り上がりながら みんなパンやらフィナンシェやらお菓子を買って
うう寒い!ということで 早速一軒カフェに入った。とにかく
この日は寒かった。ここのカフェは私がまあまあ好きなカフェで
テラスは普段は喫煙なのに、禁煙にしてあげてもいいよと言ってもらって
12人で入れてもらった。おいしいリシャール社のカフェクレームには
ビスケットも一枚ついていて これがカリカリしていて美味しい。
同じものを日本で食べるとなんだかあんまりおいしくなくって
湿気ているのは気候の違いのせいなのだろうか?
私はこのコーヒーにビスケットがただでついてくる店というのが
お得感があって大好きなので そんなのどうですか?と
影山さんにすすめてみたり。あのカフェには一枚のクッキーが
とても似合いそうな気がするのだけど。




 さて、それから常設マルシェで賑わいがあるかな と
思われていたムフタール通りに行ってみたけど
月曜日なのにけっこうお店がしまってた。日曜があいているのかな?
私が以前みたときの活気とはだいぶ違って人通りも少なくて
あれ、これはあんまり面白くない、、、と時間もないので
どこかで食べて先を急ごうと思っていたら 途中で
信じられない値段のキッシュ屋さんを発見!
なんとイートインで飲み物ついて5ユーロだって。
しかもキッシュとタルトは全て手作り。ありえない。
みんなで賛成!ということで さっそくこの店でお昼ご飯。




 こぢんまりとした学生街らしいこの店は 手作りの
ジンジャードリンクもあるらしく たいていの人は
それを頼んで 大振りのキッシュをほおばり満足げ。
パリでは意外とキッシュをイートインで食べれるところはないし
ここは本当に種類も多くて美味しかったのでおすすめです。
お腹に余裕さえあったのならば 甘いタルトも食べたかった!
でも今日は料理教室で甘いものがたっぷり待っているのです。


 さて、お腹がほっとした後は急いでメトロにのって
Paris-Bistro.comの事務所へ向かう。ここで代表に
いろいろとパリのカフェに関する素朴な疑問を
ぶつけてみようというわけですいうわけです。
着いてみると代表はびっくり。「こんなにいるの!!
2人なのかと思ってた。」彼は私の発音が悪かったために
12人を2人と聞き間違えていたらしい。「まあでも
入って入って」と驚きの12人を迎え入れ
「うーん12人分のコップはないな でも
お茶をいれよう」とか言いながら 質問会がはじまった。


 ここで私は急遽通訳をすることになったので
あんまり質問の内容を具体的に覚えていませんが
でたものは確か「パリのカフェの家賃はどれくらい?」とか
「パリのカフェのギャルソンの給料はどれくらい?」とか
あと、、、なんだったかなあ こればっかりは
他の人のメモがみたいです(泣)

 質問をして答えをきいて みんなかなり興味深いげで
一旦は代表の答えに「そんなに安いの!」とか「そんなに
高いの!」とか驚いたりもしたりしながら でも
フランスのしくみを彼が説明していくと あーまあ
日本とあんまりかわりはないのかな とか フランスでも
個人経営のカフェはどんどん減ってるんだなあとか
そいうことがわかったそうです。(ちなみにパリ市内で
今個人経営の小さなビストロ、カフェは6000軒なんだそうな
意外と少ないですよね!チェーン化に入ったもの(クーポールとかも)
は含みません。)


 あとみんなが印象に残ったらしいのは フランス人にとっての
ビストロ、カフェの使い方かな?彼らにとってはビストロは
伝統があってくつろげる場で、老若男女誰でも行ける。
リラックスできるからこそ、契約を結びたい時に使われたりも
するそうな。相手もこちらもリラックスしていい関係を結びたい時
ビストロはレストランよりいいそうです。いつでも行けて
だいたい知ってる安心したメニューがあって 気軽で気楽な
街のカフェ そしてビストロ それらは誰かとのいい出会いの場。
そんな場所 まさにサードプレイス!なそんな場所 のある暮らしって
本当にいいですよねえ、、、日本に帰って何週間かして
ものすごく恋しくなるのはこういうビストロ的フランスの
コミュニケーションなのかもしれません
(代表はビストロにいくとものすごいコミュニケーションしまくってる
もちろんジャーナリストで仕事を兼ねてというのもあるだろうけど)



 さて、急いでまた事務所を後にして 今度は今日のハイライト
ファリーダの家の料理教室。事務所の前の公園で出会っただけあり
事務所から5分もかかりません(ちなみに17区 なかなかいい地区です)


 さて、ファリーダに迎え入れてもらい 今度は私は同時通訳!
人生初の試みでしたが、彼女とならやれるかもしれない、と
思ったらなんとかできました!


 今日のメニューはプルーストのマドレーヌ、ハシバミの実と
オリーブオイルを使ったケーキ、タルトタタンに自家製ココア、
牛乳のジャム。それでフランス風Tea Timeを楽しもうということでした。




 料理を作るごとにその料理の説明をして、それから調理に
入っていきます。プルーストやらタルトタタン、知っててよかった、、、
本当に今回はParis-Bistroの仕事に多いに助けられました。
なんでこんなの訳すんだろう?どういう意味?と思っていた様な
ことの多くが フランス人にとってはかなり大切なものだったんだと
今回の旅で思い知ることができました。あそこであれだけ
訳して勉強してなかったらこりゃ説明はできなかった
そうタルトタタンはタタン姉妹が失敗してつくったお菓子なんだよね、、、


 とはいえ本当のタルトタタンを見ると日本でタルトを
見慣れている私たちからすると?という感じ。これがタルト?
だって生地が上にきているんだもん なんだかとても変な感じ。
「タルトタタンはね 家でつくるとどうしたって見た目は悪いの
お菓子屋さんと同じようにはできないわ。でもすっごく美味しいんだから!!」
無農薬のリンゴをたっぷりつかってキャラメル化させてつくった
タルトタタンはとっても美味しかったです。


 それからハシバミの実とオリーブオイルをつかったケーキは
ほどよい甘さで口当たりもとても軽やか。フランスで重いものに
慣れてしまった私の胃はとても喜んでおりました。これは
また息子と作りたい!のでハシバミの実(noisette)が
手に入ったらやってみようと思います。


 プルーストのマドレーヌは、マルセル・プルーストの『失われた時を
求めて』の中で、主人公があるマドレーヌを口にしたとき、少年時代の
多くの出来事が眼前にぐわっとよみがえってきたという話で有名で、
今ではフランス語のひとつの表現として、「子供時代を想起させるもの」
としてつかわれているそう。このマドレーヌもふんわりとした口当たりで
とても美味しかったです。




 to be continued...


パリ カフェツアー vol.6 哲学カフェとマレ地区

2011年12月09日 | パリカフェツアー



 さて、いよいよツアーも終わりの方に近づきました。
それでもやっぱり毎日がハイライト。11月27日、この
日曜日のメインはなんといっても哲学カフェ。
ここに影山さんと来たかったのです!!


 その前の週に哲学カフェに参加して、この人数と
熱気の中では4人くらいが限度かなあと思わされ
(いつも60人くらい来ていて席取り合戦になっている)
哲学カフェはどうしても行きたい人だけ!あとはみなさんヴァンブで
蚤の市を楽しんでください、と言ってみたけど
フタをあけてみると参加者は六人くらい。つまり半分が哲学カフェ。


 ちょっと大丈夫かな?と思ったけれど早く行けば
席は見つかるものなようでなんとか入れてほっと一息。


 この日はカフェに詳しい友人のすすめもあって、
朝バスチーユのマルシェの横にあるカフェで朝カフェを
してみるのがおすすめだよ、と言われ 急遽それも
組み込んでみた。私の大好きなバスチーユのマルシェの横には
本当に素敵な一角があり、そのカフェにはじまり、
イタリアのお惣菜屋さん、こだわりセレクトのワイン屋さん、
とてもかわいいパン屋さんに、奥にはカフェダンダストリーが
立ち並ぶという なんだかそこにいるだけで幸せな道があるわけです。




 朝ご飯はこの日ばかりは宿でとらずに
(でもかなり素敵な朝ご飯がでるんですよ!)
ここまで待って、みんなで朝食セットやらタルティーヌ
(バゲットにバターやジャムを塗ったもの)やら
クロワッサンやエスプレッソなんかをたのんでほっと一息。
憧れてた割に 入ってみると特にどってことないカフェだったけど
ここでマルシェ帰りの人や売り子の人たちがちょっと
一杯やりにきている そんな姿が本当に素敵なんだなあ。
影山さんは朝カフェに感銘を受けてたらしく
クルミドでもぜひ朝時間を!と盛り上がってきたそうです。


 さて、10時半に間に合うように急いで歩いて
バスティーユの哲学カフェ、カフェデファールにご到着。
うわっ やっぱり席がない!と思ったものの、トイレに行こうと
席を立って奥に行ったら奥の方は空いている。一度も
行ったことはないけど、みんなで寄って固まっていられるのなら
そっちに行こう!とダッシュで席替え。それから
哲学カフェはだいたいこんな流れで、と説明をして
数分もすると始まってった。さて、通訳は可能なのでしょうか、、、




 はじまってみると今回のテーマは相当難解!!
いつもだったら1時間もすればだいたい話の流れが
みえてくるけど 今回はそうとう「理解しなければ」という
付加がかかっていたにも関わらず難かしかった。
テーマは「秩序と正義」についてで、哲学的には
クラシックな問いらしいけど、正義のもとでの戦争だとか
秩序をもたせるためにはそれなりの大義名分が必要だけど
どこまでだったら統制しても構わないのかとか
でも統制力のない社会では不正義ばかりがまかり通ることになるとか
かなり抽象的な議論があっちにいったりこっちにいったり
言葉をとらえなおしたり 言葉をさかさまにおいてみたり
もうこうなるとフランス語の詩の授業のようで
そうとう何を言っているのかわからない。

 私はフランス語が理解できなかったのだろうか?と
かなりへこんでしまいましたが、その後出会ったマダムとは
普通に会話ができたので、やっぱり哲学的な問いや
話をするときに使う言葉の用法というのは独特なんだなあと
思いました。フランス的洗練さの最たるものというか、、、


 だからこそ 哲学カフェは フランスを理解する上で
すごく面白いとは思うのだけど。ちなみに前回「哲学が
現代に果たしうる役割はあるのかどうか」みたいな問いで
哲学する、思索する とはどういう意味かを知ったのですが
それは「通常そうだと思われている価値観に、そうじゃないと
言う、疑う」ことなのだそうです。それってまさに
フランス的価値観で、だからオルタナティブがありうるというか
少なくともそれを模索することを良しとしている
だからそれが発見される可能性も大いにある、そんな国が
フランスなのかなと思いました。




 そう だから 私がやったこのツアーも
言って見れば「哲学する 「フィロゾフェ」する旅」だとも
言えるのだなあと思って感慨深くなりしました。
だって日本で当たり前だと思っている価値観だけが
当たり前なわけじゃないって それを見てもらいたいわけだから
そこに揺らぎが生じて何かがぐらりときて崩れて行く時に
それは危険なことなのだけども 何かが生まれることもある、、、
(複数の生がひょっこりと顔をのぞかせるところから
創造がはじまる、、、それは通常の日常に混乱をきたすかもしれないけれど)
そんなことを 10年前の留学で 価値観をどっさりと崩された
私は身体で学んだ気がします。(あまりに痛かったのは事実ですが)


 さて、そんな哲学カフェが終わって、私なりに
一生懸命わかったこととか、フランス的価値観と
日本との違いとかを説明し、なんとなくみんなも
わかってくれたようなのでちょっと一息。それから
参加者の男の子が愛用のポラロイドで店員さんの姿を
撮ってみたり。私だけでなくこの店にくるけっこう
多くの人はこの店の店員さんの対応のやな感じさに
腹を立てているようですが、意外と人間だったんだ!と
温かい一面をみたりしました(でも次の週一人で来たら
やっぱり冷たかった。団体でくると何か対応がいい)




 その後は蚤の市組と待ち合わせ、バスチーユの
マルシェでぶらぶら歩き。お昼ご飯を買ってみたり
誰かと一緒にだべってみたり 私はなんだかやたら
熱く語ってしまってお昼を買うのも忘れてました。




 それからおすすめのカフェ、カフェダンダストリーに
全員で入る。このカフェは向かいあって3店舗くらいあって
中に入るとやたらいろんな空間が広がっていて 今回も
奥に案内されて へーこんな空間あったの!と驚きました。
それでも店内はほぼ満員。それもそのはず、ここは
インテリアのセンスもすごくよく、照明は間接照明が
そこかしこにあってかっこいいし、植物もたくさんあって
ちょっとオリエンタルな感じだし、これでもか!と飾られている
古びた肖像画も、黄色みがかった壁も全てが心地いいのです。
お洒落なんだけど気取らない、自然体な自分でいられる、
まさにパリの良さを体現しているような現代のカフェ。



 しかも値段が安くておいしい!私は鴨のコンフィを
注文しましたが たしか13ユーロくらい。他の
メインも11ユーロくらいでいくつか選べて驚きでした。
それに団体でわんさか注文したにもかかわらず
でてきたのもすごく早かった。みんなどれもこれも
美味しい!これも食べてみて!!といって
たくさんまわし食べしてました。


 心地よくってつい時を忘れてしまえるカフェダンダストリーの
後はお待ちかねのマレ地区へ。マレでは自由行動を
沢山しようと思っていたものの、結局みんなの
行きたいところがだいたいかぶっていたりしたので
自由行動はちょとだけになってしまいました。


 バスチーユを抜け、石造りの美しいヴォージュ広場に行って
「そういえばここで素晴らしい経験をしたんです。この
空間でオペラを歌っている人がいて、、それが石造りの
壁に響いてものすごく感動的だったんです!」と話していたら
そのまさに2分後くらいにその人がそこにいた!!なんとまあ!




 あまりの感動に彼に話しかけてみると喜んで歌ってくれる。
私はといえば、ガイドをしないといけないというのに
この時ばかりは我を忘れて感動にふけり どうしても立ち去れませんでした。
本当に素敵な時を過させていただきました。ありがとうございました!!


 パリってね こういうのが街角にありうるからいいんですよ、、、と
感動しならがら話していると、今度は街角のジャズ隊発見。ここでも
みんなで立ち止まる。ジャズのグループのおばあちゃんはみんなの前で
踊ってて「これが夜だと一緒に踊りだす人もいるんですよー」と話す。
そういうパリの雰囲気がたまらなく私は好きなのです。夜のシテ島、
サンジェルマンデプレなんかで 音楽に合わせてつい男女が
踊りだす。そう ここは音楽で満ちている街。先日なんか
サンミッシェルの噴水の前に本物のでっかいピアノを持ち出して
生演奏をしている人がいた。彼らのレベルのよさといったら!!
さんざん私も日本の街路で足をとめてきたけれど やっぱり
全然違うんだなあ、、、


 ウィンドーショッピングをしながらようやくカフェの立ち並ぶ
(といってもどこもかしこもカフェだけど!)ヴィエイユ・ド・タンプル通りに
行って、自由行動にしたらこのあたりのカフェに入ってみてくださいねと言う。
それからクルミドの人たちが見たがっていた、カフェマメヒコの
モデルになったというパンコーティディアンの前まで行って
じゃあ解散!と自由行動。私は女性陣3人についていって
ポンピドゥセンターをちらっと見たり、またその前でやっていた
マイケルジャクソンの踊りをやっている人に釘付けになって
あーここに蓮太郎がいたら!!と思ってしまったり
レペットというバレエ用品屋さんに行ったりしてたらもう時間がない。


 それでフランス人が大好きなカフェ、フェールアシュバルという
カウンターが有名が古き良き感じのカフェに行ってみんなで
カウンター初体験!これがまた、良かったですねえ、、、!
時間がなくても 3分しか残されてなくても ちょっと一杯
カフェに入れる そんな一瞬の気分転換を 雰囲気のいい店でやれる
それがパリのカフェの素敵なところ。
眠気覚ましにたったの150円くらいで入れる それで
5分で出て行ける そんなカフェが日本にもあったらいいのに
と思って今日探してみたら 日本ではそれが缶コーヒーだという
事実に気づいてちょっと衝撃的。




 さて、急いでパンコーティディアンに戻り、のんびりと
お茶をしながら、影山さんと、もう一人パリツアー企画で
盛り上がってた人と一緒にこれからどうしてったらいいかなあという
話をしていて、旅行代理店?とか何をすべきかの話をしていたまさに
その時、本日の壁がやってきました。「T君がお財布をすられました!!」


 ・・・。。。 


 ついに来たか、、、、


 ここは冷静にならなきゃいけない。影山さんのガイドをかりて
とりあえず大使館に電話してみる。ハイ日曜だからお休みです。
警察は?日曜の夜のパリ、最悪だ、、、やっているのか、、、
知人たちにかたっぱしから電話をかけて近そうな警察の場所を教わり
すられたT君を連れてそこまで行ってみることに。
それから我等は3時間くらい警察コースになりました。


 誰もが言う通りパリはスリの多い街。口をすっぱくして
気をつけてくださいねと言ってたものの、彼はかなりの現金をお財布にいれていて
それがそのまますられてしまった。もうそうなったら戻ってこない。
諦めるほかにないとフランス人はみんな言うけど 
一応警察で届け出だけは出しておこう。
警察で待ちに待たされ、ちょっと文句をいったら何故か
上にあげてもらって(どうしていつも交渉をすると余地があるのだろう?)
調書を書いてもらって一見落着?でもないけれど、、、


 夜のサンミッシェルを2人で通り すられたらしき
現場へ戻り 何と言ったらいいものか カフェでお茶でも
するのがいいのか それとも早く宿へ戻るべき?でも
どうしてこんなこととになったのだろう、、、と言葉少なになる2人。


 宿の直前まで来てみて「でももしかして 今は全て失ったかのように
見えるけど 本当は何かと出会う 人生が変わり始めるサインなのかも
しれないよ。そういえば私も全てを失ったと思った時に何かが
はじまっていっていたことがある、、、」と急にそんな言葉がでてきて
彼もなんだかそうかも!と思ったらしく 2人は急に前向きになり
じゃあ門出かもしれないから祝おう、とワインをごちそうすることにして
近所の店でワインを買って宿に帰ったらなんとごちそうが待っていた!!


 そこにはワインに美味しそうなごはんの数々 そして
あたたかいみんなの笑顔が待っていて 私もハッピーバースデーを
歌ってもらい(ツアーの直前に誕生日を迎えたのです)「今夜は
お腹が減っても何も食べるものがない、、、」と暗くなってた
2人の気持をみんなが吹き飛ばしてくれました。本当にありがとう
ございました。もともと生きる力の強そうなT君はその後一人で
パリに残り、バルセロナに渡り、無事日本についたそう。
そして後日私たちは偶然にもクルミドで再会し、パリに残った者同士の
お土産話に花をさかせることができました。。
旅にはいろんなことがあるけど 人生にはいろんな壁があるけど
それは神様が私たちをちょっと試しているだけなのかもしれなくて


 壁は乗り越えられない人の前には現れない、、、


 このツアーを通してそういうことが実感としてわかったような気がします。
私は警察で淡々と手続きをこなすことができ、お財布をなくした彼はそれでも
目的のバルセロナまで行って日本に帰って来れた、、、


 「壁っていうのは 
 その人を強くしてくれるためにあるのかもしれませんね」


 その日の夜に 私は宿のキッチンでちょっと感無量になりながら
そんなことを語ってた。不安なんてくそくらえ!きっとできるから
与えられてる なんだか見守られてる そんな気がする
そんな温かい気分になれた なんだか不思議な夜でした。


追記、、、

 クルミドコーヒーで遂に1月から哲学カフェ的なとりくみ
「クルミドの朝」が開催されることになったそうです。
テーマはその場に参加したひとたちの中からきめられるそう。
普段より営業時間を早めての、日曜の朝のひとときです。
よかったらいってみてくださいね!
「クルミドの朝、はじめます!」



パリ カフェツアー vol.5 シャンパーニュメゾン見学

2011年12月08日 | パリカフェツアー



 エペルネーからランスに着くと、駅を降りて右手に観光案内所。
そこで地図を入手して、3時に予約したポメリーに行くには
どうしたらいいか考えます。1時間あるし、案内所の人は
ポメリーまでは徒歩30分だと言ってるし、余裕で行けるかな と
思ったらそれもまた大間違い。




 フランス的なスケールの大きな素敵な公園でのんびりしたり
ランスの素敵なクリスマスマーケットを見ているうちに
あっという間に時間が経過。こうなったらバス?ポメリーには
4番のバスで行けるというのを聞いていましたが間に合わず。
仕方がないので全員また駅に戻ってタクシー3台でポメリーへ。
(タクシーで10ユーロ程度です)「歩いて30分」と言われたものの
タクシーで車窓をみてると これは徒歩は無理だろう!!と
思わされました。


 さて、ようやくポメリーに着いて急いで予約を確認すると
早口の受付嬢は「3時の予約?違うんじゃないですか?14時何分のは
もう過ぎましたけどそれじゃないですか?16時半まで待ったら英語の回で
8人なら行けますが、、、」はあ?何を言ってるんだこの人は!
16時まで待てるかよ?だいたい予約はちゃんとしたんだと
負けるものかとねばっていると、どういう風の吹き回しなのか
「わかりましたよ 3時で12人ですね。じゃあとにかく急いでください!」
とのことになる。一体どうなっているんだか、、、

 ポメリーは見学と試飲つきで、Brutだと12ユーロ、ミレジメだと
14ユーロのコースになっていて(それ以上もあります)
前回のミレジメがかなり美味しかったので、今回はミレジメにする人続出。
いそいでお金を払って急いで中に入ってこんどはなんだか待ちぼうけ。
メゾンによって いや 行く先々で フランスは対応が本当に違う、、、


 さて、シャンパーニュの試飲はおそらく入場時に2杯頼むとそう
高くはないのですが、どうやら見学でうまくもうける仕組みらしくて
見学後に「やっぱりせっかくだしもう一杯試飲したい」と
思ってみると、ここはパリ?と思うほど高い。シャンパーニュにきて
テイスティングで一杯6ユーロとかするんです!何杯か楽しみたい人は
入場料を払う前に決めておくことをおすすめします。
(ちなみにシャンパーニュのテイスティングをしまくりたい人には
私はワインのサロンに行くことをおすすめします。入場料さえ払えば
テイスティングし放題です。)




 さて、なんとか見学窓口に行かせてもらうとなんだかごみごみした感じ。
案内の人もあまり親切なかんじじゃありません。ポメリーは旦那さんの
死後、ポメリー夫人が切り盛りして大いに成長をとげた大手の
シャンパーニュメゾン。地下深くに入り、芸術を深く愛した
彼女の想いを受け継いだこのメゾンの貯蔵庫には、現代アートも
いくつかあって、地下の暗闇から聞こえてきた犬の泣き声に
本気で驚いた人もおりました。そう なんかポメリーのエスプリは
フランスの貴族的というか、案内係の人も「あなたたちがちゃんと
いい子にしてたらシャンパーニュを飲ませてあげるからね」なんて
言ってましたが、そういう上から目線のからかいが入ったエスプリを
感じさせる気がします。


 その最たるものは「ポメリゼ」なのでしょうか?参加者の一人が
「貯蔵庫にあった京都とかマドリッドとか書かれていた青い看板は
何なんですか?」と質問したところ、小悪魔的な雰囲気の案内嬢は
ちょっと笑って「あれはいわゆるポメリゼの証なの」と言いました。
ポメリゼ?ピクニックすることをピクニケといってしまうかわいい
動詞のあるこの国、ポメリゼとは何なのでしょう?「ポメリゼっていうのは
いってみればポメリー化するってことで 夫人がそこを征服した
証なの。その地でポメリーのシャンパーニュが飲まれるように
なったってことね。そうやってあそこはOK あそこもOKと
印をつけていったのよ」こりゃポメリー夫人の野望じゃないか。。。
この夫人、サロンの女主人たちとなんだか似た様な
野望と征服欲を感じさせる夫人だなあ。それにしても19世紀に
京都でもシャンパーニュが飲まれていたとは!誰が?どんな風に?
ちょっと気になりますよねえ。。。





 ポメリーでフランス的気高さの在る、つまり迎合を許さないような
フォアグラのようなフランス料理にこそバシッと合いそうなシャンパーニュを
試飲したあと、一行はまたしても酔っ払い、田舎的のどかさも
重なって、開放感でいっぱいになり、クルミドソングを歌ったりしながら
歩いてのんびりやっていました。途中見つけた素朴なパティスリーで
相当おいしい手作りタルトをほおばったりしながらランスの大聖堂に
着いたときにはもう時間が押し気味に。




 だけどこれを見ないでは帰れない!だってランスの大聖堂は
フランスが誇るゴシック建築の最たるものだから。
フランスの王様になる人はここで戴冠式をしないと王として
認められなかったそうなのです。


 非常に装飾性に富んだ、ちょっとやりすぎな気もする正面の
飾り気のすごさとは裏腹に、堂内に入ってみるとパリとは
違って観光客も少ないせいか、とても神聖な雰囲気でシーンとしています。
私もいくつも教会には行きましたが、ランスの大聖堂、これほどまでに
神聖で神々しい雰囲気のある教会ははじめてでした。
時間さえ気にしないでよければ本当にいつまででも座っていたい、、、
とにかく本当に入れてよかった いままで見た中で一番穏やかで
ありがたい気分になれる教会でした。



 さて、ここからが危険な時間に。私たちが
TGVを予約していたシャンパーニュアルデンヌ駅までは、
トラムや電車がありますよとは言われてたものの、ここはランス。
そう パリではないのです。しかも土曜日の今日は
予想以上にトラムの本数が少なく私はちょっとパニックに。。
間に合わなかったらどうしよう、、、

 TGVは18時19分発。このトラムの駅をトラムが出るのが
18時前。駅迄は約15分から20分かかるという。
果たして間に合うのだろうか?だけど他に方法は?
駅に戻っても電車はおそらくないだろう。
タクシーも駅前までいかないと拾えないしかなり遠そうだ。
これはもう まって賭けてみるしかない、、、



 なんとかトラムに乗ってみたものの、後は祈るしかありません。
意外と早い?あと何分?いや けっこう遅い?
とにかくみんな全力でダッシュしよう!ということを決め
ドアが開いた瞬間に一行はクモの子をちらすように猛スピードで
駆け上がりました。誰一人後ろを振り向くものはいません。
こんな風に走ったのは一体何年ぶりでしょう、、、、


 一番早かった男の人たちは一目散に電車のあるところへ
向かいましたがどうもあやしい どうもTGVではなさそうです。
時計をみると2分経ってる。もういってしまったのでしょうか
上にもどって掲示板をみると表示はありません。
目の前では必死の眼で「TGVは?!」と探している人たちが他にもいます。
ゼエゼエいいながら窓口にいってみるとやっぱり行ってしまったらしい。
こういうときは時間に正確なんだねえ、、、


 とにかくどうにかするしかない。パリに戻らないわけにはいかない
一体いくらかかるのだろう?とにかく必死で話をすると
まだ電車はあるし なんと一人追加で16ユーロで帰れるとの
ことだった!!よかった、、、 私にはいまだによくわからないけど
どうして16ユーロですんだのでしょう??券をみると30ユーロと
刻印されていたし、行きのチケットをみると「出発前までは
払い戻し可能」と書いてありましたが、、、保険に入ってみたから?
とにかく全員復路のチケットがあったおかげで、一人一人名前の入った
チケットを新しくいただくことができました。本当に
みなさんすみませんでした!!!


 この後しばらく私は呆然としていましたが、ここでシャンパーニュ
アルデンヌ駅から眺めたランスの夜景がすごく美しくて心に響いた人も
いたそうです。私にはまったく余裕がなかったために、となりで「わあきれい!」
と言えるその人がすごいなと関心してしまいましたが。。。





 さて、みなさんの協力のおかげで再びトラムにのって
「これはクリスマスマーケットを見るためだったのかな」とか
なんとか言って、夜のまばゆいばかりの楽しげなクリスマスマーケットを
各自堪能し、絶対に時間厳守で駅集合になりました。



 ランスのクリスマスマーケットはパリのとは違い とても温かみが
あって規模も大きく、家族連れでにぎわっていて それだけでも
地方まで来た甲斐があったのかな?と思わされました。
ランスはなんだかディズニーランドが現実になったような街でした。






 最後の電車は走ることもなく余裕をもってしっかり集まり
温かいTGVに乗った途端疲れが出たのかついコックリ、、、
気がつけばもうパリでした。シャンパーニュに行かれるみなさん
ぜひとも時間には余裕をもって行動してくださいね!!



パリ カフェツアー vol.4 シャンパーニュへの行き方

2011年12月08日 | パリカフェツアー


「飯田さん、できたらフランスの田舎にも行ってみたいんです。
パリだけじゃなくて・・・」「そうですよね せっかく 
ヨーロッパに行くんだから 他も行けたらいいですよねえ。
イタリアとか・・・でも現実的に考えるとあんまり時間もないし、
あ、そうだ、シャンパーニュとかどうですか?
パリから1時間くらいで行けるみたいですよ」


 クルミドでのちょっとぽっかりした時間。
カウンターの奥でのそんな会話から 
シャンパーニュ行きは始まった。




 何故シャンパーニュ?それはただ私が以前Paris-Bistro.com
代表に連れて行ってもらったから?パリからけっこう近いから?
なんとなく響きがいいから?半分冗談めかしていった
この計画も 影山さんの「いいですね。行きましょう!」の一言で
現実化することになる。さて、行くのはいいけど、
どうやって行ったらいいのでしょう、、、。


Paris-Bistro.comの代表と一緒に行かせてもらった
(アンリアベレ社のシャンパーニュ。これほどの味には
あれ以来まだ出会えていません。パリでも売ってるのを見たことがない、、、
あの時勇気を出して「一本下さい!」と言っていれば、、といまだに後悔。)


 シャンパーニュ、響きはいいけどこれが曲者。
噂によると日本のガイドブックにもなかなか行き方が載っていないとか。
私も色々とサイトを見たけどよくわからないので
お世話になったシャンパーニュ委員会の方に問い合わせてみると
「そういったことには返答できないのでご自分で
ネットを駆使して調べてみてください」とのことだった。
ところがフランス語とネットを駆使しても ランスに行ったら何かがあるのは
わかるけど 私があの時目にしたシャンパーニュ大通りは?モエは?
一体どこにあるのだろう?とりあえずランスへのTGVを日本から予約はしたものの
謎は深まるばっかりで パリに到着してから書店でガイドを調べてみても
私にはよくわからなかった。そもそも私が予約した
ランスから8キロという「シャンパーニュアルデンヌ駅」というのは
一体どこにあるのだろう??こればっかりはどのガイドにも
書いてなかったし グーグルマップで代表と一緒に調べてみても
出てこなかった。これが私を不安にさせて そして不安が的中してしまう。



 シャンパーニュ、響きはいいし パリからも近そうだけど
車がないと行きづらい!!それに車で行ったら本当は飲めない?
そんな難所への行き方をお伝えしようと思います。




 今回シャンパーニュが実現したのはなんといってもParis-Bistro.comの
代表のお陰。シャンパーニュはメゾン各社のサイトを見るだけでも
毎回生年月日を入力しないといけない上、予約となると複雑なことが多すぎる。
メゾンは意外に広範囲に散らばっていて 車ならまだしも
徒歩を考えている人にはけっこうきつい。どこにあるの??そこと駅との
地理関係は?と何度も色んな地図を見たものの、わけがわからない。
おそらくたいていの人はやっぱり車で来るのでしょう。
(ちなみにフランスのガイド ミシュランもかなり車用に作られていて
17ユーロくらいします。やはり日本で調べて来るのがおすすめ!
代表も電車では行ったことないなあとのこと、、、)


ランスで入手した地図 これがなくてはこの旅は不可能でした



 さて、シャンパーニュのメゾンがあるのは主にランスという
地方都市と、ランスから普通電車で30分のエペルネーという小さな街。
ランスはパリからTGVで45分。難しいフランス語はReimsと書いて
ランスと読むのです。ランスは周辺にいくつか駅があるようで
それもまたまぎらわしいけどシャンパーニュアルデンヌ駅には
要注意!!ここはランスから30分くらいかかるのです(涙)
TGVの予約は日本からでもSNCFのサイト可能。カード決済ができ
自分でプリントするチケットが使えます。この場合は
窓口に出向く必要さえなく、このチケットをもって電車に乗り込むだけだそう。
ランスにはポメリーやヴーブクリコ、リュイナールなどがあるようです。


(ランスからエペルネーへの切符。自販機でも買えるかもしれませんが
フランスはシャルルドゴール空港ですら、自販機がまともに動かない国!
窓口は確実ですが待つので時間に余裕を持ってくださいね。)



 有名なモエ・エ・シャンドン、シャンパーニュ大通りというのが
あるのはランスではなくエペルネー。私達はランスまでは
TGVで、事前にネットで代表が時刻表を調べてくれていたので
なんとか時間があるだろうと思って窓口でエペルネーまでの切符を
買い込み、ぎりぎり乗車でなんとかセーフ。




 朝9時前にパリ東駅を出発し、帰りは18時発だったので、今日は
存分に時間があると思っていたら大間違い。ランスとエペルネーの
2カ所に行くのはなかなか大変。だってそう、こちらは
地方で車社会なのだから。。。


 「メルシエはね、小さな電車に乗って貯蔵庫の見学が
できるんだって」という素敵な言葉をささやかれ、じゃあ
メルシエにします!とParis-Bistroの代表にメルシエの見学を
予約してもらい、何とかエペルネーまでたどり着くものの、
観光案内所は近くにないわ(しかも見つけたら土曜で閉まってた!)
駅のそばには使えそうな案内地図すらない。。。


 こうなったら頭で地図を描くしかない。かつて事務所で
みた地理関係を思い出し、車窓から見たメルシエはこっちの方向!と
勘を頼りに歩き出す。残された時間は20分。果たして
たどり着けるのだろうか、、、予想以上に延々と続くシャンパーニュ大通り。
ここには人っ子一人歩いていない。「シャンーパーニュに行くんだったら
平日にしなきゃだめだよ。土曜は閉まっているからね」という
代表の言葉が胸にささる。地図ではたった5分で着きそうにみえた
距離は早足で20分ほど。なんでも予想以上に遠かった!!というのが
今回のシャンパーニュ行きの感想でした。車社会なので
電車、徒歩の方はくれぐれも注意が必要です。パリと同じ感覚は通用しません。
待ってても電車もバスもあなたの前には来てくれないのが車社会。
かといってどうやって日本から全部時刻表調べればいいんだよー
というのが私の泣き言です。





 何とか約束の11時前にメルシエにたどりつくと快く
迎えてもらい、見学に行くことに。オーディオガイドは何カ国語か
選べるものの、日本語はなし。この早口の英語のオーディオガイドに
ついていけた人はおそらく2人ほど?そう、オーディオガイドは
英語が話せる外国人のために作られたものではなくて、英語や
その言語を母国語とする人たちのもの。これが瞬時に理解できるというのは
つまりその言語のラジオがすぐに理解できる程度ってこと!
そんなの、、、なかなかできるものではありませんよねえ?




 さて、メルシエは1858年に、ウジェーヌ・メルシエという
当時20才の青年によって設立されたシャンパーニュのメゾン。
メルシエは、伝統的で閉鎖的なシャンパーニュ業界の中で、いかにもっと
シャンパンを多くの人に知ってもらうかを考え、万博で気球に乗って
シャンパンを味わう機会を提供するなど、奇抜なアイデアでシャンパンを
世に広めていったそう。そんな彼がライバル視していたのは同時代に
エッフェル塔をつくったギュスターブ・エッフェルだというのだから
すごい。それゆえか、メルシエの見学も、まず短い映画仕立てのストーリーから
始まって、貯蔵庫に降りる時は、ゆっくりと下って行くエレベーターから
ディズニーランドにやってきたような幻想的なスペクタクルが楽しめました。
貯蔵庫の階に到着すると、これまたディズニーランドのアトラクションに
ありそうなトロッコのような小さな電車が待っています。


 ここでの見学は貯蔵庫の中で、オーディオガイドを使って
シャンパンづくりの話をきくというもの。オーディオガイドが
ラジオ並みに早いので、これを片耳で理解しようとしながら
見学をするのは外国人にはなかなか大変。



 ひんやりとした貯蔵庫を30分くらい廻った後は、
Brutという、シャンパーニュをみんなでいただきました。メルシエの
シャンパーニュはあっさりとしていて飲みやすく、クセもあまりないので
様々な料理に合わせやすそうな味でした。やはり多くの人に
飲んでもらいたいという意識の強いメゾンは
いろんなものに合わせやすい味をつくろうとするのでしょう。


 ここで追加でテイスティングをしていた人に、ミレジメといって
よい収穫年にとれたブドウだけを使用して作られたシャンパーニュを
ちょっと飲ませてもらいましたが、こちらの方が味にしっかりと
インパクトがあり、シャンパーニュ!という感じがしました。
お土産に買ったロゼ・シャンパーニュはここでは23ユーロ。
とてもお買い得で幸せな気分に浸れる味でした。



 さて、シャンパーニュでいい気分になった後はまた駅へ、、、
時間もあるし、のんびり行こうかと思っていたら、酔っ払い気分の人続出。
私たち以外はほとんど人影もない道だったので、男性陣が坂道を
全力で駆け上ったり、陽気で幸せなモードに溢れた
集団になっていました。そうこうするうち、あっという間に
時間もなくなり、お昼はもうケバブか何かにして電車で
食べましょう!と言っていたらどうも間に合う気配がない。。
もう本当に間に合わないよ!と先に駅に着いた人にお店まで呼びに
いってもらってなんとかセーフ。
でもケバブを買えなかった人もいたそうな、、、





ちなみにシャンパーニュの作り方については
以前のルポタージュがありますのでそちらをご覧下さい。


☆パリカフェツアーの様子はまずこちらから☆

パリ カフェツアー vol.3モンパルナスの歴史的カフェと日仏交流ソワレ

2011年12月08日 | パリカフェツアー



 さて、目指すはヴァヴァン交差点。




 1920年代、狂乱の時代のモンパルナスを形作った4つのカフェは
ヴァヴァン交差点の近くにあってドームの目の前にはロトンドが、
クーポールの目の前にはパリのアメリカ人が好んだカフェ、セレクト。
どちらもテラスに座ると目の前のカフェが目にも写真にもはっきりと映ってしまう。
それは世界にただ1つ、モンパルナスという場所でしか味わえない景色。


 さすがにモンパルナスには隣あったカフェが4つもあるので今回は
ドーム組とクーポール組に分かれることに。
ボーヴォワールやザッキンも好んだドームのテラスは今でも
とても味わい深く、私はクーポールも入りたい、、と後ろ髪を
ひかれながらも、つい正直な気持にしたがって大好きなドームに
足を向けてしまいました。そのドームに入った人たちの
幸せそうな顔といったら!!



 しっかりとしたガラスで遮られたドームのテラスは、
バスや車で賑わっているモンパルナス大通りの騒音を
全てはねのけて、いつも静寂さが漂っている。
こんな空間に2-3ユーロ払うだけでいられるなんて
なんて素敵なんだろう とは 10年前の留学時代から
相変わらず変わらぬ感想。目の前を行き交う車、
まばゆい赤やオレンジ、夕暮れ時の青とも黒ともいえない
空の色、照明の反射がつくりだす幻想的な色の重なり合い。
キラキラ光るドームの中から街ゆく人を眺めていられる。
この気分に浸ってたければいつまでだっていたらいい。




 私はドームにはじめてパソコンを持ち込み、文章を
書いてみた時心の底から幸せだった。

 きっとそれは、憧れていたボーヴォワールも
この店で書いていたから?かつてドームの常連だった
ボーヴォワールはこう書き残してる。


「彼らの囁き声は私の邪魔にならなかった。白い紙を前にした
孤独はきびしいものだ。わたしは目を上げ、人びとの存在を確かめる。
それは私に、いつか、誰かの心に触れるかもしれない言葉を
書き綴る勇気を与えた。」

(ボーヴォワール『女ざかり(上)』p.263)

 今にして思えば、きっと彼女もドームで書いていたのは
処女作だったのだろう。誰の目にも触れないかもしれない、
でももしかしたら誰かの心を動かすことがあるかもしれない。
私もそんなことがあるかもしれないと思いながらカフェにいる
人びとを眺め、想いをはせてながら、白い画面に向かっていった。


 ドームの独特の雰囲気にうっとりしたのは私だけではないらしく、
飲み物がでてきたあたりから「もっとゆっくりしてたいなあ」という
声があちこちから聞こえてくる。みんなの表情は
どんどんゆるくなってうっとりしてる。
しかし実際には時間がない、、、どうしよう、、、

 あ、そうだ、みんなで急がなくってもいいんだ。じゃあ
あと何人かだけ来てもらって、他の人は残ってください。
どうぞゆっくりドームの雰囲気を味わってみてください。
あとは電話で何とかしましょう!ということにして
2人だけ一緒に来てもらい 私たちはソワレの準備。
他の人たちはその後ロトンドのテラスにも行ったそう。



 さて、メトロに乗った数分間で、今夜のお鍋
(何故かワインにお鍋という組み合わせをすることになっていた)は
豚汁と鳥の水炊きで行きましょう!ということに決め、
急いで友人宅へ。彼の大きな家に到着すると、
家にあるのは先日一緒に買ったワイン5本と、彼が用意してくれた
カイザーのパンとチーズくらい。そりゃあ心配になるよなあ。


 私たちは大急ぎで鍋の材料を買いに行き、お米を炊いて鍋の
準備をしてもらい、モンパルナスから来た人たちを迎え、
一段落ついたところで私はミッシェルとワインの買い出しへ。

彼は自宅で日仏交流の「お茶会」や3か国語を話す人たちが沢山集まる
インターナショナルなサロンを開いている人物で、場づくりについては
確かなノウハウと自信がある。私も場をつくったりカフェに興味があるだけに
話はとても合うのだけれど 今回はワインの本数について何度も言い合い。
「ミキはワインが一体何本必要だと思ってるんだ!最低一人ワイン半分、
24人なら12本ってのがルールなんだよ」と言い張るミッシェル。
私も負けじと「だから今回の日本人はあんまり飲めない人が多いんだって
予算もこれじゃ足りないしそんなにいらないよ!!」の繰り返し。
私たちがなんだか言い合っているので周りの人は喧嘩してるのかと
思ったらしい。そんなことはないのだけれど・・・


 そんなミッシェルにさんざん言われて私は結局このために
ワインの買い出しに3回行った。でもフタをあけてみたら ほらね
ご飯は予想以上にあったし ワインもちょっと残ったよ
だって会話を初めていったら 誰かとの出会いが始まってったら
テイスティングどころじゃなくなっていく それがミッシェルの家だもん。
それがソワレの面白さ で 誰かと会話し 自分の世界を広げてく
そうしてるうちに ワインもご飯も 脇役になっていってしまうんだ。
それがフランス的なコミュニケーションの面白さだと私は思う。




 今回はいつもの在仏日本人むけの「お茶会」と違い、生粋の(?)
フランスに到着したばかりの日本人がメインだったから 本当に
価値観の違いも濃厚だっただろうし 日本語を勉強している
フランス人には日本語をしゃべるいい機会だったかと思ったのだけど
どういうわけかここに来たのは半分くらいは日本語を全く知らない
フランス人。それでもお互いちょっとは話ができたかな?
即興でダンスをしたり、フランス人たちが持参してくれたお菓子を
みんなで食べたり、とってもおいしいお鍋にみんなで舌鼓を打ってみたり
英語で一生懸命会話をしたり フランス側も日本側も みんな
素敵な人たちだったわと言ってくれ 大成功だったと言えるのでしょう。
本当にミッシェル そして協力してくれたみなさんありがとう!!

 フランス人たちは一人2個お菓子を持参ということで、マカロン、エクレア
それに手作りのタルトやカヌレなど、色とりどりのお菓子を持って来て
くれました。こんなに沢山のお菓子を一気に試食できる機会は
後にも先にもなかなかないのでは?

 このソワレは日本側にはかなり衝撃的だったらしく
やっぱりちゃんと自分の言葉でコミュニュケーションしたい!
それも英語じゃなくてフランス語で!というところから
フランス語会話教室を開催することになりました。


 フランスでとても大切なことは人と人とのコミュニケーション。
留学時代に辛い想いをした私が口をすっぱくして「フランスでは
会話が大事だからフランスで楽しみたければまず会話を
練習したほうがいい!」と言うのは、パリはコミュニケーションが
本当に大切な街だから。大都会なのに誰かと出会う。大都会なのに
人間くさいあたたかみが街に存在している。
そんなフランス流の人生の楽しみ方を、私ももっと
経験したいしお伝えしていきたいです。

ーーー

追記 クルミドスタッフの川上さんがミッシェッルでの家での
体験や哲学カフェで感じたことなどについてクルミドのブログ
書いてくれました。よかったらご覧下さい。


ーーーーーー

 パリカフェツアー つづきはこちら
vol.4 シャンパーニュへの行き方


パリ カフェツアー vol.2 パリの歴史的カフェ

2011年12月08日 | パリカフェツアー


「飯田さんがカフェのガイドをすることになったら、
僕がお客さん第1号になりますよ」
あれは去年の秋だっただろうか クルミドコーヒーの
地下でそんなお話をして それから私は夢を見て
いつだったか 影山さんに手紙を書いた。

 フロールのテラスを絵に描いて いつか一緒に
ここに座れたらいいですね、と・・・。



 その時は夢想だったのに。


 その手紙を投函してから1年くらいが経ったのだろうか

 おそらく思っていたよりずっと早く そしてもっと大規模に
その現実はやって来た。そう11人もの人と一緒に
影山さんと私はフロールのテラスに座ることができたのだ。




 影山さんがフロールにいる!!それは嬉しくて仕方ないことだったけど
その喜びをかみしめて浸る暇もなく1本の電話が鳴った。
「今晩のこと大丈夫なの?ミッシェルがおこってるみたいだよ」
これはまずい・・・

 ミッシェルに電話をすると、「ミキねえ どういうつもりなんだい?
何も用意できてないじゃないか。20人分のご飯をどうする気なんだ、
今ここには何もないよ?」「え?本当に、そんなに来るの?」
「だから呼ぶって言っただろ!」


 2日目の夜には友人宅で、ワインなんかを味わいながら
ちょっとした日仏交流会みたいなものをしようと企画していた。
しょちゅう自宅でサロンみたいなのを開いているミッシェルは
「フランス人たちはこちらで10人くらい呼ぶよ」と約束
してくれてたものの、2日前になっても「まだ呼んでないよ」という。
そんな様子に不安を抱き、フランス人はまあ3人くらいくればいいかと
思っていたら、彼は約束通り、いやそれ以上に知人達の
約束をとりつけてくれたらしい。流石ミッシェル!
「わかった、じゃあ18時に行くから!
用意はこちらでするから大丈夫。何も買い出ししなくていいからね!」と
なんとか納得してもらい 電話を切って席に戻ると
「そろそろ行きましょうか、、、」という雰囲気になっていた。
うー残念!もう少し余韻を楽しみたかったけれど
この日はとっても忙しいのだ。そう 2日目だというのにすでにハイライト。
今日はパリの歴史的カフェをほとんど全部巡るのだ。




 2日目は朝からサン=ジェルマン・デ・プレの歴史的カフェに行き、
お昼はフランス革命が生まれたと言われるカフェ・プロコープに行くプラン。
デプレの歴史的カフェ、ドゥマゴとフロールはあまりに
目と鼻の先なので、二手にわかれて入ればいいか、
お腹もきっともたないし、と直前まで思っていたけど 目の前で
ドゥマゴの立派な風格を目にしてしまうと こちらもやっぱり捨てがたい。



 
「隣り合ってるしお腹がタプタプになるだろうから」という
そんな理由で、一生に一度かもしれないというパリのカフェツアーから
どちらか一方のカフェをはずしていいものだろうか?
いや いけない・・・!!


 じゃあやっぱり両方行っちゃいましょう ということで
ドゥマゴもフロールにも行くことにした。
この選択は決して間違ってなかったと思う。





 「ドゥマゴはショコラが美味しいんです。7ユーロもするけど
他の店の4ユーロのショコラを2杯飲むより、ドゥマゴのショコラを
一杯飲む方が絶対いい!」とおすすめすると、半分以上の人は
朝からショコラ。お昼フランス料理だけどお腹大丈夫かな?と思うのは、
私だけらしく、みんなショコラを美味しそうに味わっていた。
私もせっかくだからとショコラを注文。この味はやっぱりここでしか
味わえない!というのはその後他店でショコラを頼んだ人からも出た感想。
ドゥマゴのショコラは、カカオを丸ごと口に含めたような、とろりとした
濃厚な舌触りと、優雅でしつこすぎない甘みがあって、しっかりしてるけど重すぎない。
ああ私はパリに来たんだ、と感慨に浸っていられる、ここにしかない味わいです。






 それから隣の本屋、la huneでデザイン系の本を物色し、少し
お腹を落ち着かせ、すぐ隣のフロールへ。お昼前のフロールは
もはやテラスに席はなく、あわや11人で店内の赤い革張りの椅子席かと
思ったけれど、何人かに別れたり、タバコが吸えるというので、
ガラスに覆われていない外のテラスに行く人たちも。
こうしてなんとか全員でテラスを楽しむことができました。





 「まさにこのフロールからいろんなものが生まれたんですよ」
と今でも神々しい輝きを放つフロールでちょっと説明。ここで
アポリネールがフィリップ・スーポーをアンドレ・ブルトンに
紹介していなかったなら、シュールレアリスムは生まれて
なかったのかもしれない。




 さて、デプレを少しだけ散策してからお待ちかねのプロコープに
到着すると、早速難題が待ち構えてた。


 12名で13時に予約したはずが、予約リストに名前がない。
嗚呼フランス、、、ついに来たなという感じ。でも「確かに
予約しました」と言い張ってみる。だって私の後ろにはもうご飯だ~!と
思っている11人が楽しそうに待ってるのだから。ありがたいことに
何が起こったかを知っているのは私一人だけのはず。
プロコープ!と思っていたみんなに「実は予約がとれてませんでした」
と言う訳には決していかない。

「すみません、ちょっと待ってくださいね」と何事もなかったように交渉開始。
「13時に他の人の名前で12人の予約が入ってますが、あなたは
この人じゃないですよね?」「違います、イイダの名前で予約しました」
と10分くらい強気で振る舞っていると「とにかく席はなんとかしますから
ご安心してください」という。通されてみると結局電話で聞いていた
丸テーブルの席だった。なーんだ、やっぱりあったんじゃん、、、
これがフランスでの交渉事始め。
それからこんなことの連続だった。




 2階の席に案内されるとワーっという歓声。歴史的で落ち着いた
雰囲気に鳥肌が立った人までいたらしい。ここでは30ユーロは
使うことを覚悟してたけど、何と21ユーロのコースがあって、
この雰囲気でこの値段は格段にお得だろう。なんせ日本のフレンチレストラン
でいうならランチから1万円くらいしそうな雰囲気なのだ。特に美味しかったのは
ポトフとアイスクリームで、プロコープの歴史の裏できっと活躍していた、
開店当初からコーヒーとともに名物だったアイスクリームは日本のラクトアイスと
同じな前で呼んでほしくないと思うほど別物だった。アイスというのか
イチゴというのか その中間でもないような・・・あのドゥマゴの
ショコラのように、初体験でとろけてしまって、うっとりするような味でした。
どうも フランスには快楽の味というのがあるような・・・



 プロコープで優雅に昼食を味わっていたら、お店が終わるともう
4時近く。仕方がないので予定変更。セーヌ川はまた今度にして、
オデオン通りを通ってリュクサンブール公園を抜け、
モンパルナスのカフェ地区へと向かう。




 寒くてピクニックどころではないリュクサンブールを
早足で駆け抜けて、天文台まで来ると、ヘミングウェイが愛したカフェ、
クローズリーデリラがある。彼がしょっちゅう見上げてた、剣を
振りかざすネイ将軍の像を我等も一緒に見上げたりして
あの時代に想いをはせる。そうここからモンパルナスの歴史が
はじまっていったのだ。ポール・フォールという詩人が開いた
詩の集いには、世界中から詩人や芸術家、音楽家たちが集まって
心地よいライラックの木に囲まれたテラスでお酒を
飲みながら詩に酔っていた。そしてピカソもやってきた・・・


「ここは1つの卵のようだった。この時代、フランスの首都において、
むしろ世界中で、精神的に最も活力があり、最も生産的な者たちで
一杯になっていた。すでに偉大で名声のある、もしくはこれから
そうなるであろう画家たち、彫刻家たち、小説家たち、思想家たちが、
キラキラと輝く長い部屋のまわりにならんだテーブルの前に腰掛けたり、
1つのテーブルからまた別のテーブルへと移動したりしていた。
ある人たちは、外のテラスで、夜空の方に剣をふりかざしている
ネイ将軍のまわりに植えられたマロニエの木の下で涼んでいた。
最も無謀であったり、最も古いものや最も新しい雑誌の
全ての編集部がこの時間に集合しているかのようだった。」 

(アルデンゴ・ソッフィッチの言葉 George Lemaire著 «café d’autrefois »より)

そんなクローズリー・デ・リラの詩の集いはめちゃくちゃうるさかったらしい。
でもきっと朝なんかはとても静かだったのだろう。




 緑の樹々に囲まれたこの店のテラスはパリといっても別世界。
ここだったら誰にも邪魔されずに心地よく
自分の世界に入っていられる、、、そんな素敵なカフェなのです。


 →つづく
 パリカフェツアーvol.3 モンパルナスの歴史的カフェと日仏交流ソワレ





パリ カフェツアー vol.1 ウェプレールとサンミッシェル

2011年12月07日 | パリカフェツアー



 あの日カフェシャルボンでの会話から 私の人生は変わっていった。


 初めて私と一緒にオベルカンフのカフェに行ってくれる人たちを
見つけたその日、初めてまともに自分の意見をカフェで表明できた日に
何かがすごい勢いで変わりはじめて 私の人生は揺さぶられ、
そして今に至ってる。


「日本人向けにこんなことができるといいね」
「個人旅行をしてもなかなか見れないその国の日常に触れられたなら、、、」
「もっとその国の文化を知れるようにナビゲートしてくれる人がいたら、、、」
「そしたらスーパーに一緒に行って チーズの買い方を教えてあげて、、、」
「それから美術館のガイドもやって 空港に看板をもって迎えに行こう!」



 そうしてその日がやってきた。


 夢 というのは何なのだろう と この1年半思ってた。


 私は夢を再び抱くのがこわかった。
だけど夢を抱いてしまった もし それが実現できたら?


 それは力を与えてくれる。 そして それは 素晴らしい。


 「世の中には夢をぼんやりと見ている人と
夢を生きる人の 2種類の人がいるのよ 私たちはきっと後者ね!」
公園で偶然出会った 勇気と勢いに満ちた料理研究家の
ファリーダと 打合せを兼ねて語り合った時 彼女は
私にそう言った。そうして彼女は勇気をくれた。
「とにかくやってみることよ!うまくいかなかったら仕方ないけど
とにかく試してみることなのよ」そう それで うまくいくまで
やったらいい エジソンが言ってたように。成功するまで
やりつづけること それさえすれば、いつの日かきっとできるのだろう。


 様々な偶然や大きな力が働いて 私は強くなっていった。
『シンクロニシティ』に書いてあったけど 自分の道と
怖れずに一体になっているときには扉がどんどん開くらしい。
1年半前の私のパリ滞在はそうだった。そうして今度は 私が
自分で扉を押した。重くても 開かなくても 
私の後ろには11人が待っていたから。そうして私は強くなれた。そう思う。






 誰もいない宿に荷物を預け、一人で空港に向かって行って
ドキドキしながら到着ゲートを見ていると 何人か
出迎えの人たちが看板を持って待っている。私もやってみようかな。
みんなの顔は知っているけど あのワクワクを あの時話したことを
あえて現実化してみるもの悪くない。
カバンの中から紙を探して、「クルミドコーヒーのみなさま」と書き
私も彼らの隣に立ってみた。形から入るというのは
何かを実現する上で大切な要素らしいから。


 時が経ち、空港で知った顔の人たちを見つけ、いざ出発。
ドキドキの6日間がはじまった。本当はバスで行こうかと
思ってたけど 2番線に乗るにはRERで行くのが一番いいらしい。


 初めてのパリを美しい!と思ってほしいものの 
さびれた郊外の雰囲気が第一印象か というのはちょっと申し訳ないけれど
それでも 修学旅行気分のみんなは、自分のノートやカメラを
見せてくれ うきうき気分が伝わってくる。

 RERの北駅からLa Chapelleという2番線の連絡口まで歩き、
重たい荷物をえいやっと持ち上げ、地上を走る2番線へと向かう。
私たちの宿はAnversというところにあるWood Stock Hostelで、ここは
信じられないけどしっかりした朝食とキッチンとシャワーがついて
一人一泊25ユーロという激安のユースホステル。しかもモンマルトルの麓にある!
wifiも私以外はみんなつながってたみたいだし
部屋はかなり暖房がきいてて快適だったし 宿はスーパーのすぐ隣だし
宿のある界隈が素晴らしく素敵なとこだった。



 さて、意外にもみなさんお腹が減っているらしいので、
じゃあ友達にも勧められてて、プラン外だったウェプレールに
行ってみましょうということに。ここなら宿から歩けるし、軽食だってOKなハズ。


 宿のまわりの素敵な雑貨屋さんやカフェが並ぶ界隈を散策し、
モンマルトルの麓を少し歩いて「ここが映画「アメリ」の舞台のカフェ、
ドゥームーランなんですよ。でもご飯はたいしたことないので
お茶するくらいがいいかと思います」と今回は素通りし、クリシー大通りの
歓楽街に度肝を抜かれてしばらくすると ウェプレールに到着だ。




 ウェプレールは庶民的だけど威厳を感じる大きなブラッスリー。
こんな時間に、軽食なんて可能だろうか?どきどきしながら
ギャルソンに「あの、オニオンスープとかだけでも大丈夫ですか??」
と尋ねてみると 大丈夫大丈夫、と布ナプキンのひかれている
テーブルに案内してくれる。パリでは普通布ナプキンがひかれているのは
レストラン席という意味で、 カフェのようには使えない。
まずかったかなと内心思い、もう一度確かめてみると
「だから本当にいいんです」とのことだった。



 案内されてメニューをもらうと 20ユーロちょっとのコースがあるらしい。
ほ 本当?夜で ウェプレールでこの値段?昼じゃなくって?
でも昼限定とは書いてない。これはどう考えてもお得!!と
こちらをおすすめすると けっきょくみんなコースを注文。
せっかくだから、、、と言ってワインも注文することになり
このいい雰囲気に導かれ、結局レストラン席を満喫することに。





 このウェプレールのギャルソンの感じのよかったことと言ったら!!
私はこんなにも素敵なギャルソンに今まで出会ったことがない し
結局彼ほど紳士で素敵な人はツアー中にも出会わなかった。
小娘な私を一人のマダムとして扱ってくれたというか
「けっ団体客め」みたいな感じは一切なく、言うことを1つ1つ
丁寧に聞いてくれ、言葉遣いも身のこなし方も美しかった。
オニオンスープでもいいと通してくれて わけのわからない
注文にもすべて笑顔で 「かしこまりました」と
低姿勢で対応してくれ かつ誰がどこの料理というのを
11人分覚えていた!かっこいい人だったなあ、、、

 自分たちを「ただの団体客」であるとか
「沢山お金を落とす人」というだけでなく、団体だけども
丁寧に一個人として扱ってもらえる。それってとってもありがたい。
ちなみにカフェの時代を創って行った「プロコープ」も
礼儀正しい接客態度を大切にしていたらしい。


 ウェプレールは予想以上に料理も美味しく
前菜の生牡蠣のエシャロットソース添えや
ポトフ、お肉の焼き加減といったら!どれもびっくりするほど
バシッと決まった味だった。私がParis-Bistroの代表から聞いていた
ウフアラネージュというデザートも 頼んでみると
みんなでびっくり。すごく柔らかく軽い口当たりで、口のなかで
メレンゲがほわっととろけていくのがわかる。あまりに美味しくて
どんどん食べていってしまえる、天使のような食感のデザートだった。




 この店、すごい!!とみんなで感動した後は
夜のセーヌ川を見に、サン・ミッシェルへ。寒くても夢みたいに
キラキラしている夜のセーヌはやっぱり見ておくべきだろう。
遅れてサン・ミッシェルで合流した人は、パリで何が一番良かったかというと
駅を降りたときのこの景色だったと言っていた。私もパリに着いたら
まずサン・ミッシェルの夜景が見たいから 1日目に組み込んだんだ。
それくらいここは 特別な場所だと思う。




 さて、ノートルダム寺院をちょっと外から眺めた後は、お目当ての
シェイクスピア&カンパニー書店。ここはアメリカ人のシルビア・ビーチと
フランス人のアドリエンヌ・モニエという2人の女性が一緒に開いた
オデオン通りにあって作家たちの出会いの場になってた
伝説の書店を戦後に復活したものらしい。今でもパリの
アメリカ人のたまり場のような雰囲気で、店内ではいつも英語で
会話がなされてる。ここはすごく独特の匂いがあって 
神保町のような雰囲気にひかれる人にはたまらない。






 みんなの力を借りて勇気をもらい 初めて行った2階には
古書に囲まれたサロンで本について楽しそうに議論を
している人たち。まさに10年前に私が強く憧れ、 
この映画のような世界は本当に実在しているのか?と
不思議でならなくなっていた そんな世界が眼前に広がっていた。
年代物の古書に囲まれたアンティークの椅子に座って
リラックスした雰囲気で 何かを考え 自分の意見を
楽しそうに話す人たち これが2011年の現実だとは
私にはどうもよくわからなかった。


 それからまた別の部屋では気ままにピアノをひいている人がいて
その横で寝そべっている人もいる。 聞こえてくる曲といえばアメリだし
本当にタイムトリップしたみたい。パリはこういうのが
よくあって 目の前にある光景が、果たして夢なんだか 
現実なんだかよくわからなくなってしまう。




 パリの夜 はキラキラしてる。
「パリはね 夜が素晴らしいんだよ」と
広尾のカフェのテラスで出会ったフランス人は私に言った。
40歳を過ぎて子供がいても、「パリは夜が楽しい」なんて
普通に言えてしまう街の生き方。そう、それがパリなんだ。


 だけどガイドを信頼しきってる日本人の私たち は
夜が怖くて出歩けない。だけど団体だったなら?
夜はそんなに怖くない。夜だからこそ
得られる何かが 確実にパリには存在してる
それは一人だけでは味わうことが難しい
パリの日常にある風景。

 かつてピカソもパリの北のモンマルトルから南の
モンパルナスまで歩いたという。それはただ
お金がなかっただけじゃなくって パリの夜の
散歩というのがあまりに魅力的だったからじゃないのかな。



 パリはベネチアでもディズニーランドでもないというのに
ヨーロッパの中心と言える程 経済活動が行われている都市なのに
私達を夢見心地にさせる美しさを21世紀でも保ち続ける。
それが私には不思議でならない。パリは人を 世界中の
人たちを ひきつけて 圧倒させてしまう何かを持っている。
それはエッフェル塔や凱旋門を見るだけなのとは何かが違う
人生を変えてしまうほどの力さえももっている。
そうきっと、パリには「そんなのアリ?」が存在してる。
世界のどこにもありえなくても、パリではそれが許されている。
そんな懐の深い街 に 人はつい引き寄せられてしまうのだろう。


 「青春時代をパリで過した者は
一生パリがついてまわる・・・
何故ならパリは移動祝祭日だからだ」
とヘミングウェイは言っていた。

 せっかっく行くならただの名所を見るのに15万円費やすんじゃなく
人生に深い刻印を残す様な旅をしてほしい。
あれは夢か幻か いや確かに現実だったような
そうして頭の中で何かがぐるぐると変化していく。
そんな旅 の お手伝い。

 パリのカフェツアー。これから報告していきます。
そして次は、よかったらご一緒にどうですか?

 2日目の歴史的カフェツアーの様子はこちらです

パリカフェツアー終了!!

2011年11月30日 | パリカフェツアー


 「飯田さんがカフェのガイドをすることになったら
僕がお客さん第一号になりますよ」と いつだったかに
クルミドの地下で嬉しい言葉をかけてくれた影山さん。
何事か が ぐわんと動いて 影山さん一人ではなく
社員の方とあわせて計12人のクルミドコーヒー パリカフェツアーが
昨日無事に終了しました。みなさん もう日本かな??


 あの時 オベルカンフのカフェシャルボンから
全てのことは始まった。「もっと個人的にその国を
感じられるツアーがあったら面白いよね!」「そうなったら
じゃあ私たちが空港にいって名前を書いたプレートをもって、、」
そうやってわくわくした後、そのワクワクに屈してしまうのは
いつも私だけなのか、かつてちょっと顔を出していた
大学の哲学研究会の人たちが 京都が面白いから
京都に移住しようかといって「哲研京都移住計画」というのを
話していた後 結局それを本当に実行に移してしまったのは
私一人だけだった。今回のことは?これからどうなるかは
わからないけど 少なくとも 空港に日本人を迎えにいったのは
私一人だけだったけど それでも「夢を現実に」する
イメージをもってみようかと 必要ないのに
「クルミドコーヒーのみなさま」とか紙に書いてみて
お隣の旅行代理店の人の真似をして到着カウンターに立ってみた。



 そうしてすべてがはじまって 沢山の経験をして
あっというまに 不思議なことに 全ては終わり
本当かな?夢だったのかな?と思うけど たしかに経験したようで
私にはとても不思議な経験だった。



 信頼 というのが何に由来するのかはわからないけど
今回のツアーの内容はほとんど私が決めていて 影山さんは
相談するたび「いいですね、それで行きましょう!」という感じだったから
ほとんど私が見ていた視点そのままで それを11人の参加者たちに
そのまま提供する感じだった。私はたしかに息子とはパリを歩いたり
友人におすすめのカフェを紹介したりはしたけれど
今こうして誰かといったそのカフェやその場所を
沢山の人に 同じ目線でみてもらってる それが不思議で仕方なかった。

 パリビストロの事務所も行った。ミッシェルの家でソワレもやった。
シャンパーニュ地方にも行ったし サンマルタンも歩いたし。
私にしかなかった世界で 誰とも分かち合うことができなくて
せいぜい息子くらいしかわかってくれなかったパリという場を
今こうして11人の人たちが眺めてて 私が感じていたように
「パリっていいなあ」と感じてる 


 そりゃあそうだと思いませんか?ワインがあって チーズがあって
おいしいご飯にたのしい会話 ギャルソンとのエスプリのきいた
コミュニケーション 街ゆく人たちの自然なのになんだか
やたら美人だったりかっこよかったりする感じ。眺めていて
いつまでも飽きない。そんな世界に入って行けたら
そんな世界に 「ただの観光客」ではなくて
自分のやってきたことの誇りをもって「何者か」として
そのままダイレクトに入って行けたら そりゃあそんなにいいことはない。。。



 このツアーには 私は140%くらいの自分をかけた。
まるでレボキャンをした時のように 今までの自分に
できるかぎりのほとんど全てを投入していて
毎日私は成長していった そしてほぼ毎日のように
神様は私に課題を出した。電車に乗り遅れてしまったら?
お前は対応がちゃんとできるか? 誰かがスリにあったなら?
それが日曜日の夜だとしても?お前はちゃんと対応できるか?
そしてお前は同時通訳ができるのか、、、(なんとできた!!!)
そうしてなんとか毎日壁を乗り越えて ツアーは無事に終了できた。
きっとみんなの中には かつて私が感じたように 消化不良の
そうまるで 最後のふりかえりをしたオートルカフェでわれわれを
眺めていたゴッホの自画像のうずまきのように
ぐるぐるとした なんだかよくわからない 言葉にできない
変な何かが 何ヶ月か残るだろう。レボキャンのときもそうだった。
それが何かを変えていき 自分さえも もとの自分とは違ってしまう
それがきっと パリなのだろう。





 ただの一人の旅行では そんなことはできないだろう
住むように経験してみることで 価値観が変わることがある
私が10年かかかって理解したこと 10年かかってやっと
みれるようになった世界を たった5日で この人たちは
経験したわけで そんな旅があったなら 本当にうやらましいなと思う
そんな場が 10年前の私にもあってくれたなら もうちょっと
辛くなかったのかなとも思うけど 10年前には見れてなかった
フランスのいい面を やっと私も見れるようになってきて
それを沢山の人に紹介できて「フランスなんてスリばっかりで
料理もたいしたことないし、もう行きたくない!」ではなくて フランスのいい面や
フランス人たちのいい面をみてもらえてとても嬉しかった。





 一人ではできないことがある。
一人ではだせない勇気なんて沢山あるんだ。
誰かがいるから 本当はなりたかったのになれなかった自分に
近づけることがある。私は今回団体で行動させてもらったお陰で
しかもその責任を私が背負ったお陰でかなり勇気が持てたと思う。
あとにはひけない。出来ませんという言葉はありえない。
「予約がとれてません」といわれてもそんなはずはないと交渉しきる。
そして交渉すればフランスにはどこかに余地があるということも
この5日間で学んでしまった。ここは会話と交渉の国なんだ。
そしてそれができるとパリは楽しい。


 本当は できることなら そうなりたいと思った自分
そんなのすごく遠かったけど このツアーのお陰で
私は本当にそんな自分に近づきました。沢山の勇気も
前に進む力もみなさんのお陰でいただきました。
これからはちょっとずつ報告を書いていこうと思います。
本当におつかれさまでした。そしてありがとうございました!!
私はパリにいれて幸せです。


 ☆パリカフェツアー全6日間の様子はこちらから☆

パリのカフェガイド

2011年09月16日 | パリカフェツアー


 最近は私が頭の中と言葉でもパリパリパリパリ、、、
言ってるからか なんだか 今日もまたパリみたいだなあ
という不思議な光景を目にすることが何日間か続いてて
河原でバトミントンをしていたり 代々木公園の
素晴らしい木陰でピクニックして寝転んでみたり
多摩川での日仏ピクニックのあまりにセーヌ川みたいな
光景に驚いたり、、、 日本でもこんなこと できるんだなあ
ありうるんだなあ というのがかなり驚きで
これは私がパリパリパリパリ言ってるから引き寄せたのかしら?


 
 いろんなことがある中で 私にとって楽しかったり
わくわくするのはどんなときかなあと考えると
やっぱりフランスについてやパリの魅力を語ってる時というのは
楽しく ガイドの話を誰かとするときは 一番自分らしく
なれるというか わくわくできてるような気がする。


 さて せっかくやるならいいガイドをしたいと思うので
今度のツアーに行く予定の人や フランスに興味の
ありそうな人に「もし何でもできてお金も十分にあるとしたら
フランスで何がしたいですか?」と聞いてみることにした。
すると答えは「パン屋さんに行きたい」だったり「お菓子の
勉強をしたい」とか「チーズをつくっているところに
行きたい」だとか「いつかシャトーに行きたいなあ、、、」


 多分私はこういう質問の仕方をしたので 特に
今度のツアーに行く訳じゃない人にとっては
「フランス、、、遠いなあ、、、いつかいけるかな」という
感じなのだろうと思うけど なんだか不思議なことに
彼女達が語ってくれた遠そうな夢というのは
けっこう近い夢のような気がしてしまって
それってさ Paris-Bistroの代表と組んだらけっこう
できるんじゃない?と思ってしまった。だって彼は
「ミキ、今度の土曜シャンパーニュ行くかい?」ってな
調子でシャンパーニュ行きを誘ってくれたし
実際シャトーの見学も可能だったし
今度はチーズをつくっているところを見に行こうと行ってくれた。



 もしもそういう需要が日本側にあるんだったら
うまいこと手配ができれば それってそんなに
遠い夢ではないんじゃない?語学とネットワークという
問題を 誰かがクリアにしてくれたなら 日本で
何かの活動をがんばってる人と フランスでおいしいものを
つくってる人たちを ダイレクトにつなげていける
それって可能だと思うなあ 今の私には まだたいそうな
ネットワークはないかもしれないけれど それでも
フランスで あのポワラーヌの社長に紹介してもらえたし
フランスで一番のコーヒー豆を出荷しているリシャールの
女社長も私のことをちょっとは覚えてくれていた。
それはみーんな代表がよく頑張ってるからなんだけど
もっと私もがんばって おもしろいネットワークをつくっていったら
日本側でも いろんなことを学びたいとか もっと奥の深い
フランスを 語学の苦しみをぬきにして体験したいとか
そんな需要はあるだろう。


 私はフランス語をしゃべっていたい。
フランスでいろんな人と話しているのはとても楽しい
だけと日本ともつながっていたい 何かの役には立っていたい
パリのカフェを中心とした、インフォーマルパブリックライフや
オルタナティブな暮らしや動きやちょっとアートなんかも含めた
カスタマイズ可能なガイドなら けっこう需要はあるんじゃないか。
フランスには楽しい暮らしがあると思う
それをもっと日本の人に知ってほしいし 日本の暮らしが
もうちょっと気楽で素敵になったらいいなあと思う
フランスには 日本人と交流したい 日本のよさを
もっと知りたいフランス人も 日本に食品を輸出したい人も
沢山いるし 何かつなげられることができたなら
きっと楽しいだろうなあ

パリのカフェガイド

2011年09月02日 | パリカフェツアー


 最近は前向きな言葉を自分にかけまくってるからか
ちょっとへこむことがあっても その後に
うわー嬉しい!ということがあり その
嬉しい!嬉しい! パワーでなんだか
乗り切れてしまいそうな 本当にありがたいなあ
神様はやっぱり見守ってくれているのかな と
思わされるようなことがあり 本当にありがたい限りです。


 今日は西国分寺のクルミドコーヒーさんに行って来て
ちょうど1ヶ月前にアイデアが出て「やりましょう!」という
ことになったパリのカフェツアーの話をしてて
インフォーマルパブリックライフの話をしたり
カフェの話をしたり、お金がなくても楽しめる都市の
話をしたり、五感を使ってもっと感覚を開いてくことの
話をしたり こういう話をしていると
私が3ヶ月パリにいたのも そして苦しいこともあったけど
ひたすら公園に行き 最後の最後にそうか
インフォーマルパブリックライフだわ!と気がついたのも
全然無駄じゃなかったんだなーと思えて嬉しくなった。


 パリのどの公園には何があるとか あそこの
遊具の下には木のチップがしきつめられているだとか
ラビレットの遊具の場所は砂浜みたいになっているとか
そんなどうでもいいようなことが 役に立ったりもするんだな!


 私は今日 いろんなことが嬉しくて
そう まさにそう 1年前に パリのカフェで話をしていた
もっと楽しめる個人むけの旅ができたら そう日本語の
話せるフランス人とも交流したり マルシェで買い物したり
買い物の仕方を教えてあげたり そんなこと ができたならなんて
あの時語っていたけれど それから急遽 私は
日本のガイドの資格をとろうと決めて試験を受けて
だけど私が本当にしたかったのは 面白そう!!!と
思うのは やっぱりパリのカフェガイド。



 ねえ 私がシアンスポに行っていた時
苦しくて仕方のなかった10年前に 私と語学交換をしていた
セバスチャンはこう言った。「ミキはカフェのエキスパートだね」
私はフランス人の彼にそんなことを言ってもらえて
「今日はどのカフェに行く?」ってカフェを選んで
いっしょにがんばって勉強していた そんな彼に
”Tu es un expert de café!"って言ってもらえて嬉しかったよ。
エクスペールが何を意味するか そのときはよくわからなかったけど
思えばパリでは 何も私はわかってなかった
アートのことも 知的なことも 日本についても知らなかった
でも何かが話したくって 一生懸命 会話だけは頑張っていた。


 あの頃 に 比べたら 私はかなり変わっただろう
話をすることもできるようになったわけだし
話す内容自体が豊かになった。それにカフェについては
本当にエキスパートかどうかはわからないけど
フランス人にもだいぶ話ができるようになってるし
きちんとした知識だってけっこうあるから
私のほうが知っているということもある し どこそこに
どんなカフェがあるかは だいたいはよく知っている。
そう あれから10年経って 私はだいぶ成長をして
そうしてついに 遠い 遠い世界だったものたちが
私の近くまでやってきそうになってるのかな
それは とてもありがたい。


 パリもカフェ も 夢だった。 遠い 遠い 存在だった。
高校生のとき あんなにも憧れていた パリという場も
カフェという場も 自由が丘が精一杯だった私が一人で
パリにいったのは 18歳の時だった。それから色んなことがあり
苦しいフランス語を乗り越えようとちょっとずつ努力して
苦しい思いはいろんなところで沢山したけど
七転び八起きであるのが 転んでもただでは起きないのが
私の特色であるのなら それを活かすべきなのだろう。


 そうだ ただでは起きてたまるか!そうやって苦しさをバネにしたなら
いつの日か あああの苦しさも あれがあってこそだったのかなって
わかる日が来るかもしれない。シアンスポに行ってなかったら
カフェにはこんなに行ってなかった。京大が苦しくなければ
カフェで書くことはなかっただろう。あそこで苦しい思いをしたから
妊娠中に本がなんとかカタチになって きっとそう
ニュータウンで辛かったのも サードプレイスや
クリエイティブシティやら に 向かって行く過程なのだろう。


 道 っていうのが あるのなら そうやって
いろんなことを俯瞰的に見て行くと 私の場合は
パリやらカフェやらにどうもつながっていってるようで
あーあの時あの人がここに来てなかったら(人生も
激変しなかったけど)こうはなってなかっただろうな
でもあの人のお陰で私はどこかにつながったのかな
そう思うことが沢山あって それらの道は
私の場合はローマじゃなくって パリに通じているようだ。


 憧れた ら すぐに住んで それでうまくいく人だっているのに
どうして私は10年もこうしていたのだろうと思うけど
それものちのち意味が見えて来るのかな 日本にいたからこそ
わかる視点もあるのだろう。そう それはあるはずなんだ。


 パリのカフェ は世界中の カフェ的な場を愛する人たちにとって
なんだか聖地の様な場所。フロールだって 世界中の人が
集まって来る。私ももうすぐ もっと近くに入っていける
そんな世界をもっと有意義に この10年間にあったものごとを
活かしていって 紹介できる人になっていけるかもしれない。
パリには「何か」があるはずなんだ パリに当たり前に
存在してて 世界の他の国々には なかなか存在していないもの
それを求めて世界中の人たちがいまでも何故かやってくる。
その秘密を解明できるのは フランス人だけじゃなくって
「ない」からこそ見ることができる 外国人であるかもしれない。
そう 私はそう思ったから 日本の変革期に来日していた
お雇い外国人のまなざしのように その国にはないからこそ
見えるものがある それを私は大切にして
もっとあの中に踏み込みたい。 そのために?は
フランス語!そして知識だ。これからもっと 頑張ろう。

フランスに行くなら

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