アバウトなつぶやき

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藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-

2016年05月10日 | かんしょう
マーガレット展を観たあと、名古屋市美術館にも足を運んで「藤田嗣治展 -東と西を結ぶ絵画-」を観てきました。

藤田嗣治の生誕130年記念のため、彼の画業を振り替える展覧会になっています。



最近藤田自身の作品や藤田と同時代の画家の作品を目にする機会が多くて、私の中で藤田に対する評価がどんどんと変化しています。
もともとは個性的な自画像や白っぽい女の人を描く画家という程度の認識だったのですが、独特の乳白色を観ているうちにだんだんとその表現がくせになってきて目が離せなくなってきました。

その視点で、今回私が気になったのは「バラ」という作品です。白い壁に白い花瓶、白に柄の入ったクロスという白を基調とした画面に乱雑に生けられたバラ。生けられたというより放置されてスカスカになっているためバラ自体の美しさを愛でるための絵でないのは明らかです。
肌以外のもので乳白色を巧みに使っているわけで、藤田の乳白色はこんな風にいろんな表現もできるんだぞ、と誇示していていっそすがすがしい。




黒と白のコントラストがはっきりしていてとても美しい上に藤田の愛した猫も描かれた「横たわる裸婦と猫」もイイし、


日本画の雰囲気を生かしつつ、上品な女性を描いた「座る女」も良かった。


もともと私が抱いていた藤田のイメージは、-早くから世に受け入れられ「狂乱の時代」と呼ばれる贅沢な時間を過ごし、日本に戻ってからも戦争画という時代の流れに乗った絵を描いた要領のいい人物-というもので、決して良かったとは言えません。
成功者へのひがみがちょっと混じってるかも。



ただ、こうして人生を通じた展覧会を見ることでずいぶんイメージが変わってきました。
それは藤田の寂しさを感じるようになったことです。
日本の画壇で受け入れられなかった藤田。
日本人でありながら日本に受け入れられないつらさというものが「成功者」という名に隠れていて、私にはわかっていませんでした。
しかし考えてみれば「世の中金だ」なんていうのは持っていないから渇望するのであって、元来不自由していない者ならそれ以外のものに心のよりどころを求めるというのは至極当然のように思えます。
そう考えれば、戦争画を描くことで日本の世に受け入れられたという実感が藤田を高揚させたのも、戦争に荷担した責任を問われて日本を捨てたのも、当然の成り行きのように思えます。
なんというか、普通に傷つきやすい心を持った人間らしい人だったんだと実感してやっと親しみを持てるようになりました。

それでも、やはり戦争画を観ると暗い気持ちになってしまうので私はあまり好きではありません。
けれど当時の熱のようなものや悲しみが伝わってくるので、芸術であり博物的価値の高い作品であることは確か。
藤田の戦争画でもっとも有名な「アッツ島玉砕」も展示されていて、一見の価値はあります。
とにかく、名だたる藤田の代表作がそろい踏みの素晴らしい回顧展だったと思いました。


ところで。。。
藤田の描く子どもの顔、「愛らしい」という表現を時々見かけます。仕草はかわいいけど顔はこえーよ、と思っているのは私だけでしょうか。
あれも見慣れるとかわいく感じるようになるのかなぁ。

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