アバウトなつぶやき

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友人

2006年09月10日 | せいかつ
 私は高校生の頃、大型店舗の中の花屋さんでバイトをしていました。
 向かいにはフルーツショップがあり、そこにアルバイトに来ている人たちと仲良くしてもらっていました。
 その中でも特に仲の良い男性2人組が居て、1人がKちゃん、もう1人はTちゃんといいました(男性だけど「ちゃん」付け)。この2人とは一緒にお茶したりカラオケに行ったりなんかもしたために、高校を卒業してからも転職先を連絡してくれたりしていました。
 Kちゃんのほうは何かと偶然が重なって時々は会う機会もありましたが、時間が経つにつれその2人とは連絡を取り合うこともなくなっていったのです。

 先々月末のこと。
 そのKちゃんから、数年ぶりにうちに電話がありました。
 一度目は留守だったために義母へ伝言をもらったのですが、「Tちゃんがいつか分からないけど亡くなった」というものでした。え?Tちゃんが?どういうこと?

 その日の夜、改めてKちゃんと話をすると、「Tちゃんは心臓がちょっと悪くて、でも、命に関わるような状態じゃなかったんだけど…、元気だったんだけどね。1週間ぐらい前にボクと飲みに行ってね。その日も帰ってからメールを入れたら返事をちゃんとくれてたんだよ。でもね、次の日のメールには返事が来なくてさ。その後も電話しても出なかったんだよね。さすがに1週間近くなったんで大家さんに連絡とってアパートに行ってみて、でも鍵が無いから不動産屋さんに立ち会ってもらってさ。窓を破って入ったら、Tちゃん、死んでた…。」

 Tちゃんは、若い頃から1人暮らしをしていました。親戚とはどういうわけか付き合いがなく、お父さんとお兄さんをすでに亡くしていて、身内は嫁いだ妹さんとお母さんだけなのです。縁の薄い人っているんだな…。そう思わずにいられません。
 私自身はTちゃんと親しかった、といえるほどの間柄ではありません。Tちゃんの病気の事も知らなかったし、お兄さんを亡くしてることも、妹さんがいることも知らなかったのですから。
 思い出すのは15年も前のTちゃんが、いつも笑ってふざけていたことだけです。
 そしてTちゃんと会う時はほとんどの場合、Kちゃんが居ました。私がTちゃんを思い出す時はいつもKちゃんがセットなほど、2人は仲が良かったのです。
 Tちゃんが亡くなる前、最後に会ったのはKちゃんでした。
 そして亡くなったのを見つけたのもKちゃん。
 携帯電話のアドレスを見ながら友人に連絡したのも、男手が足りないからと言ってTちゃんの部屋の片づけをしたりしたのも、納骨の手配をしたのもKちゃんなのです。
 今日は、Kちゃんと一緒にTちゃんのお母さんと妹さん、それとそのお子さんにお会いしました。お会いした2人は明るく迎えてくれ、私が知らなかったここ数年のTちゃんの様子を楽しそうに話してくれました。
 Tちゃんは1人暮らしの部屋の中、たったひとりで亡くなった…、そんな風に言うとTちゃんは不幸だった気がしてしまいます。でも、亡くなった後まで尽くしてくれる親友がいるTちゃんは決して不幸ではなかったと思いたい。そんな気持ちでいっぱいです。

 
 このところ、ずっと頭の隅にあったことなので気持ちの整理に書いてしまいました。
 しんみりした話ですみません。