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ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

ふるさとを失うこと

2008-12-14 00:08:27 | Weblog
田舎に住んでいると、その風景は緩やかに変わっていきます。
たとえ何十年ぶりでも何かしら昔の風景は残っており、懐かしいものです。
あの田中角栄さんの日本列島改造を経験しても、
建物がすっかり変わっていたとしても、そこある山や川や海は
変わらずにそこにあります。
知った人もいてくれます。

しかし、都市においては、その変化は正に激変で、跡形も無くなることも珍しくはないでしょう。
それが、「都市」と言うほどの都市でなくてもおきているのを見ました。

小中高校時代を過ごした、埼玉県桶川市を訪ねました。
私の第二のふるさととも言える町です。
ですが、もう実家も無く誰も知った人のいない町になった所です。

昔のあの広々とした風景を求めて行ったのです。
関東にいる間に、一度は行ってみたいと思っていたのです。

ずっと向こうに見える屋敷林のある農家まで畑の続く景色や
どこまでもどこまでも続く雑木林があるあの景色をもう一度見たくて。
冬の空っ風が吹き渡る、学校に通った道を見たくて。

けれども、その風景は無くなっていたのです。
かつて田んぼや畑が広がっていた所は住宅地になっていて今風の洒落た家が
立ち並んでいました。

何十年も前の風景を求めるのは無理なことは分かります。
しかし、こんなにも変わるなんて・・・・。
駅からかなり遠い所なのです。
バスも通っていなかったのです。

そして、かつて住んでいた家を探してみましたが
チマチマと家が建つ住宅地になっていて周りが家で埋め尽くされていました。
どこなのかサッパリ分からなくなっていました。
自分がどこにいるのか見当もつかないのです。
道に迷ってしまったのです。
やっとたどり着いたそこにはブルドーザーがありました。
更地にしているようです。

この家の前に住んでいた家も駐車場になっていました。
そこは駅からさらに遠い所にありました。
そんな駅から遠い所の団地の建売に私達家族は住んでいたのでした。
その団地自体は残っていました。
しかし、そこに住む人は変わったようです。
同級生の家がまだありました。
が、こんにちはと言って訪ねるわけもなく、ただ外から見ただけでした。
当たり前の事ですが、当時新築だった家が、ひどく古ぼけていました。

何と言う事でしょう。
私達家族が住んでいた家は二軒とも跡形も無くなっていたのでした。
私達がそこに住んでいた痕跡すらも消し去るようにです。
私はこの町にとっては、すでによそ者でしかありませんでした。
私にとっても、もう見ず知らずの町になってしまったようです。
父と母が暮らす家がふるさとだとしたら、父も母も亡くなっている私には
もうふるさとはないのですね。


昔の面影が残る風景。
このような風景がず~~~っと続いていました。
この写真の両側は住宅が立ち並んでいます。
唯一、住宅が途切れたところの風景を切り取りました。



ご近所のお寺。
昔、大晦日の夜には、みかんが108個用意されていて、
みかんの数の人だけが除夜の鐘をつかせてもらえました。
甘酒のお接待も用意されていて、私達家族も鐘をつきに行った事があります。
自分が鐘をついたのかどうかは覚えていません。
見ていただけだったかもしれません。



変わりなくあるのはお寺くらいなのですね。
このお寺は由緒のあるお寺で、徳川家康が鷹狩りの際に立ち寄ったお寺です。



半世紀も生きていると、自分の来た道をたどりたくなるのでしょうか。
生まれた家も既にないし、育った家も、もうない。
父も母もいない。
これから私のふるさとはあなた自身です、
と、主人に言う人生の黄昏(もう?)の季節に入ったのかもしれません。
その前に、子供達にしっかりふるさとを残してやらなければ、
私達が子供達のふるさとになってやらなければいけないんだなと感じました。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (自然盆人)
2008-12-14 07:36:15
ふるやのもりさん、おはようございます。
生まれ育ったところへ行ってみたのですね。
家や人もいなくなってしまい、すっかり変わってしまったのは残念ですね。
でも、長い間には家や人が変わってしまうのは仕方がないかもしれませんね。山や川はあまり変わらないと思いますが、都市は変わってしまいますね。
私が物心付いてから育ったところは府中ですが、まだ母がいるので家はあります。でも、周りは全く変わってしまい昔の面影はありませんし、ふるさとというイメージではありません。単に実家があるということでしょうか。
確かに東京近辺(都市)は激変してしまい、ふるさとにはなりにくいのでしょうね。
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一極集中 (ふるやのもり)
2008-12-14 16:35:04
自然盆人さん、こんにちは~。
首都圏は2000万人の人口を擁する一つの大きな都市になっています。
本当に申し訳ないことですが、私達のような元は地方に住んでいた者達が
どんどん首都圏に集まってきてしまい
自然盆人さんのふるさとの姿を変えてしまい
昔の面影を奪うことになったのだと思います。
それなのに、生まれた町に帰ればそこには変わりないふるさとがある
と言うのはずるなぁ~首都圏がふるさとの人に申し訳ないと思います。
(私は徳島で生まれ小学生の時に埼玉に行き、結婚してまた徳島に戻りました)
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Unknown (ひたかけ)
2008-12-14 21:18:00
じ~んとくる文章ですね。私は生まれが麻生総理のお膝元の筑豊・炭鉱育ちなので時々行きます。ボタ山とか、沼とかあった所が段々無くなっていくのは、思い出がなくなっていくことなので寂しいです。だけど、そこで暮らしている方にとっては便利になったことであったりするわけで、よそ者の感慨かぁということも言えますね。そんな中、家族の集まるべき処をしっかり残そうとする努力、ほんとうに大事ですね。
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ふるさと (ふるやのもり)
2008-12-14 23:23:20
ひたかけさん
多分、子供たちはこの先首都圏で就職して
徳島には帰らないと思います。
私達夫婦は定年後は徳島に帰りますので
いつ子供達が帰ってきても変わりなく迎えてやれるふるさとを守っていこうと思っています。

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しんみり・・・・ (bikki)
2008-12-14 23:27:07
一字一句、噛みしめるように読みました。
都市は膨張してゆきます。
新線が開通し新しい街にどんどん変わって行きます。
都市近郊では子供のころ親しんだ風景を失ってしまうことって多いでしょうね。
どんなに町が変わっても、子供たちの帰ってきたくなる家であるように・・・・。
帰国中の息子を横目で見ながらふと考えていました。
「これから私のふるさとは"あなた自身"です」
言ったら、どんな顔するだろう。
ウチのダンナ。
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いや、いや、まだ言ってませんし・・ (ふるやのもり)
2008-12-14 23:44:37
bikkiさん
ダンナにはまだ言ってませんよ
そんな恥ずかしい事はもうちょっと年をとってからです。
それより私はいつも思うんだけど、bikkiさんの
お母さんみたいなお母さんになれたらいいのになって
憧れてるんですよ。
ふるさとそのもののような暖かいお母さん
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Unknown (ちえこ)
2008-12-17 23:00:18
>私達が子供達のふるさとになってやらなければいけないんだなと感じました。

このひとことが心に沁みました。
娘たちの顔が浮かんできましたよ。
あの子たちの故郷は、私たちなのです。
そして、この住み慣れた町なのです。
嫁いでから、帰宅すると懐かしがって駅までの道を歩いています。
この場所を引っ越してしまったら、故郷がなくなってしまう。
娘たちはちょっと淋しい思いをするでしょうね。(今のところは引越しはしませんが(^ ^;)ゞ)

ふるやのもりさんの故郷を思う気持ちが伝わってきました。
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ふるさと (ふるやのもり)
2008-12-19 09:38:37
ちえこさん、
家の子供たちは今はド田舎の徳島県より
東京が良いみたいですが、
やがてふるさとを懐かしく思うときが来るんでしょうか。
その時の為にも私達親は元気でいないとですね!!
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