お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

失ったものを嘆くより・・・

2009年09月15日 | 雑感
 山門の掲示板に月替わりで言葉を掲示しています。

 今月の言葉は

 失ったものを嘆くより
 今、
 恵まれているものを
 喜ぼう 

 
 何一つ持たず、はだかで生まれてきて、
 成長とともに、体力や知識、友達、家族、財産、名誉・・・いろいろなものを身につけて生きていきます。
 でも、思いがけない事態で、身につけたものを失うことが多々あります。
 
 また、高齢になると、長生きすればするほど、
 身につけてきたもの、大切に思ってきたもの
 体力、知力、友人、家族・・・などを
 自然と失っていくことになります。

 はだかで生まれてきたのですから、はだかで死んでいきます。

 ついつい、身につけてきたものに執着して
「あれがない これがない」と
わが身の不幸を嘆くのが私たちの常ですが、

 今、自分に恵まれているものに気がついて、そのひとつひとつを喜べば、それが幸せだ
 
と わが身に言い聞かせております。
 
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彼岸前に

2009年09月14日 | 雑感
 朝晩、ひんやり、気温が下がり
明け方、タオルケット一枚では肌寒くなってまいりました。
 それでも日中は、日差しが強く、汗だくに・・・
 きょうは、薄曇りで、日差しも強くなく
その中を、いつものように総代さんのM氏ご夫妻が境内清掃にご奉仕くださいました。ありがたいことです。
 こうして、行事前に、気にかけて、来てくださるからこそ、境内はいつも手入れが行き届いています。
 普段の掃除係がもう一名(娘が)増えたとは言っても、いつもおおざっぱ、テキトー掃除の母娘ですので・・・
 Mさんの気配りがなければ、お墓の枯れ花もそのまま・・・ゴミ捨て場もゴミで氾濫・・・普段見えない裏庭などは、特に草ボーボー・・・でありましょう。

 私を娘、私の娘を孫のように思ってくださっているM氏に甘えっぱなしでございます。

 さて、M氏ご夫妻を見送って「20世紀少年・第2章」のビデオをみているところに、組内J寺若院さんから電話。
 きょうの午後のビハーラ(仏教版ホスピス活動:私たちの場合は月1回老人ホームを訪問している)で
 「住職の誰もが都合つかず欠席するので、坊守さん、おつとめとご法話お願いします」 

 それを聞いてビデオ見ている場合じゃなくなった・・・と同時に、昼ごはんの食欲も失せた・・・さて、何をお話させていただこうかしら・・・

 で、K苑へ訪問。

 きょうは、幸い、ビハーラの会員仲間は私以外は2名のみ。
 それでも、人生の大先輩であられるK苑の入所者の方々とデイサービス方々+若いスタッフさんを前にして、冷や汗を流しつつ、拙ブログでご紹介したような「お彼岸」についてのお話を一生懸命させていただきました。

 
 
 
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現代仏教のゆくえ

2009年09月12日 | 本紹介
 ただ今、熟読している本のご紹介です。

 曹洞宗の奈良康明師と浄土真宗の山崎龍明師の対談でつづられた

 「なぜいま『仏教』なのか」春秋社

 副題が「現代仏教のゆくえ」

 大変、興味深く拝読、勉強させていただいています
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浄土とは

2009年09月10日 | 仏教
 昨日もご紹介しましたが、

 欲も多く腹立ち、嫉み、妬む心 が頻繁に湧き起こる、人間の世界である「穢土」(えど)= 汚れた心の世界

 に相対した 悟りの世界、清浄な心の世界 を「浄土」 と言います。

 「浄土」は、仏の世界、仏国土 

 もちろん、心の世界のことですから、目には見えません。
 
 阿弥陀如来の極楽浄土が「西方浄土」と聞いて、
 「ふん ずっと、西に行けば、地球を一周して元に戻るだろうが」と、リクツで考える方には、いささか遠い「心の境地」のことを言います。

 浄土教、浄土真宗で言う「浄土」は、阿弥陀如来の仏国土である「極楽浄土」(西方浄土)のことで、圧倒的に有名なのですが・・・

 「浄土」は、極楽浄土だけではないのですよ。

 私は他宗に全く無知なのですが、

 薬師如来の浄土は「浄瑠璃浄土」と称し、日光菩薩、月光菩薩がおられる浄土で、東方浄土なのだそうです。

 また、大日如来の浄土は「密厳浄土」と言うそうです。

 「えっ 違う浄土、特に、西と東に別れちゃったら、永遠に会えないんじゃないの

と、また、余計な心配をするのが私たち凡夫でありますが、

 私たちが、覚りの境地に達するため、その手だて(方便)として、私たちにご用意くださった仏国土・・・

 悟りの境地に達した者にとっては、もはや浄土の区別もなく、何の問題もないことだと思います。

 
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彼岸とは

2009年09月09日 | 仏教
 お盆が終わったと思っていたら、早、秋のお彼岸が近づいています。

 以前もご紹介させていただきましたが。

 「彼岸」とは、覚りに ほど遠い 人間の世界である「此岸」(しがん:こちら側の岸・世界) に 対して、

 「彼の岸」あちら側の岸・悟りの世界

 つまり、私たちの世界・・・煩悩に まみれ、自己中心性を離れられないため、苦しみの多い「穢土」 に対して

 「浄土」=清らかな世界、仏の国 のことを言います。

 お彼岸は、年2回、春と秋 
 ちょうど太陽が真東から昇って 真西に沈む

 阿弥陀如来の「浄土」を「極楽浄土」と言いますが、その極楽浄土は、「西方浄土」とも言われます。

 先日、某氏とお話していて、「なんで『西方浄土』なんだろう」と質問がありましたが・・・ 
 答えは、お経に「阿弥陀如来の浄土は、西の彼方にある」と説かれているから。

 でも、その答えでは、そっけないですね。

 おそらく、お彼岸に真西に沈んでゆく太陽・・・その美しい夕焼け に、「浄土」を思い描かれたのではないでしょうか

 メラメラ燃えさかる太陽のような「煩悩」が、「煩悩」の姿のままに、静かに、美しく滅してゆく、涅槃寂静の世界・・・

 う~ん、やっぱり、阿弥陀さまの「極楽浄土」は、東でも北でも南でもなく、すばり、西の岸でしょう

 「浄土」については次回に、また

 
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変わる変わる

2009年09月08日 | 雑感
 ウチの集落は、救急車も入らないくらい狭かった道が昨年拡幅され、便利になりました。それでも周辺の景色は、今まで同様、のどかな田園風景でしたが・・・

 今年になって、法専寺南に位置する国道沿いが宅地化され、次々と新しいお宅が建設されています。

 今までは、ウチの場所の問い合わせには、おおよその位置を説明し、
「国道の北に(田圃のはるか北に)本堂が見えますので、すぐお分かりになりますよ
と言っていたのですが・・・

 もはや、国道から(宅地で)見えなくなり・・・その説明はできなくなりました。
 お盆に久しぶりに来られた遠方のご門徒さんが
「景色が変わっていて、国道からの入り道がわからず、アレアレ・・と通り過ぎてしまいました」
と。

 それでもまだ、田圃に囲まれ、自然豊かであることには変わりない法専寺ですが・・・そう言えば、佐賀に多く生息しているはずのカササギ(カチガラス)を最近ほとんど目にしなくなりました。

 写真は法専寺山門前のクリーク~道路~向こうに広がる田圃を通して国道沿いに建設中のお宅です。
 
 

 
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凡夫とは誰のことか?誰のための本願か?

2009年09月05日 | 仏教
 昨日ご紹介した講演会で、K先生が、お話された、若い頃、先達に導かれた言葉。

 「凡夫」の意味がわかる大人になってくれよ

  凡夫(ぼんぶ)とは、覚りに ほど遠い人間のことですが、本当に自覚できるのは、仏に相対した時。
 「仏」というピッカピカの鏡に映された時、初めて気づかされる「私の姿」なんだと思います。

 ちなみに、タイトルにある「本願」とは、
  阿弥陀如来が 凡夫の私たちを 覚りに導きたい と誓い、願われている 仏さまの方からの願い を言います。

 仏の教えは、頭で理解できる(自分の理性でとらえて、わかる)ものではない

 親鸞聖人の言葉

 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり

 阿弥陀如来が 長い長~い間、思いを巡らせて、願ってくださった「本願」をよくよく たずねてみれば、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった

 阿弥陀如来の救いの目当て(凡夫)は、私のことでした

と、気づかされるのが、

 阿弥陀如来の「本願」に遇う凡夫の姿

と、K先生のご法話を聞かせていただきながら、あらためて味わったことでした。
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記念講演会

2009年09月04日 | 仏教
 昨日は、中央仏教学院前学院長 K先生の記念講演会にご縁をいただき、拝聴してまいりました。
 
 「中央仏教学院」は、京都市右京区山ノ内御堂殿町にある浄土真宗の専修学校です。
 真宗業界?では「中央仏教学院」のことを略して「中仏」(ちゅうぶつ)と呼びます。
 お寺で「中仏」と耳にされた時は、「中仏は、中国、フランスのことではなく、真宗の学校のことだな」と思い出してください。

 中仏は、
もともとは、大正9年 本願寺僧侶養成機関として創立
 昭和3年から 現在地(角坊別院の隣接地)へ移転されたそうで、

 現在は予科、本科、研究科、通信教育部を併設。
僧侶養成のみならず、門信徒の方々が 気軽に「仏教・真宗」を学べる通信教育のコースもある学校です。

 学生・受講者の年齢は、10代から90代まで幅広く
 もちろん、各自の職業も、人生も いろいろです。

 
 
 さて、昨日の講演会
 組内のH寺ご住職がお世話役をされておられたご縁で、組内の坊守達もお手伝いを兼ねて出席させていただきました。

 法専寺からは、通信教育部の卒業生である住職、総代さんのY氏、同じく卒業生のM氏も出席。

 穏やかなK先生のお人柄と共に、よいお話を聞かせていただいたのですが、
内容は次回へ。
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佐賀教区帰敬式

2009年09月03日 | 行事・案内
 「帰敬式」(ききょうしき)とは

 仏弟子となる儀式で
「法名」(ほうみょう:仏弟子としての名前)をいただきます。

 本山では、毎日、受式することができますが

 数年前から、地方でも、年に1回、本山からご門主代理の僧侶が出向され、受式できるようになりました。

 今年の佐賀教区帰敬式の実施要項が届いています

期日:11月28日(土)午前10時~

会場:本願寺佐賀会館

対象者:佐賀教区内門信徒 60名

参加費:1万3千円 (冥加金1万円、受式経費3千円)

内願法名希望者(自分で希望する法名をつけたい方)は、内願懇志(1万円以上)を御進納ください。

締め切り:内願法名希望者・・・9月28日(月)教務所必着
選定法名希望者(本山からつけていただく法名でいい方)・・・10月28日(水)教務所必着


さて、前・佐賀教区仏婦連盟委員長さんからの情報によりますと、

「本願寺佐賀会館」は、名称が「本願寺佐賀教堂」に変わるのだそうです。

 申し込みは各寺、もしくは佐賀教務所(本願寺佐賀教堂)へ
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何のために法事をするのか? その4

2009年09月02日 | 仏教
 若い方にとって、
 身内の法事を勤めるのは・・・

 《理由その1》 本当は、法事なんて、面倒なことをしたくないけど、親戚のオジサン、オバサン達がうるさいから(催促するから)仕方なく法事を勤める

 《理由その2》 故人、先祖(亡くなった人々)を大切に供養しないと、自分たちに災いが起こるかもしれないから、鎮魂のために(タタリがないように)法事を勤める

そういう方が案外多いかもしれません。

 そういう方は、
 「亡くなった方は霊となって彷徨っているのではない。尊い仏さまと成っておられるのだ」と聞くと

「な~んだ、タタリがないのなら、法事をする必要もないじゃないか
と思う。あくまでジコチュウの方あり、

あるいは
「故人が『仏さまに成って、いつも見守っている』というのなら、別に自分たちがわざわざ法事をしなくてもいいじゃないか

というヘリクツの方もあり

 法事をしなきゃいかん という 義務感ではなく

 祥月命日、○回忌など・・・故人を縁として、
その時くらい、家族一同、あるいは普段、疎遠な親族も集まり、皆で仏さまに心を合わせる・・・

 有難い(普段、仏にそっぽ向いている私にとって有り得ない)尊いご縁ではありませんか

 

 

 



 
 
 

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