お盆が終わったと思っていたら、早、秋のお彼岸が近づいています。
以前もご紹介させていただきましたが。
「彼岸」とは、覚りに ほど遠い 人間の世界である「此岸」(しがん:こちら側の岸・世界) に 対して、
「彼の岸」あちら側の岸・悟りの世界
つまり、私たちの世界・・・煩悩に まみれ、自己中心性を離れられないため、苦しみの多い「穢土」 に対して
「浄土」=清らかな世界、仏の国 のことを言います。
お彼岸は、年2回、春と秋
ちょうど太陽が真東から昇って 真西に沈む
阿弥陀如来の「浄土」を「極楽浄土」と言いますが、その極楽浄土は、「西方浄土」とも言われます。
先日、某氏とお話していて、「なんで『西方浄土』なんだろう」と質問がありましたが・・・
答えは、お経に「阿弥陀如来の浄土は、西の彼方にある」と説かれているから。
でも、その答えでは、そっけないですね。
おそらく、お彼岸に真西に沈んでゆく太陽・・・その美しい夕焼け に、「浄土」を思い描かれたのではないでしょうか
メラメラ燃えさかる太陽のような「煩悩」が、「煩悩」の姿のままに、静かに、美しく滅してゆく、涅槃寂静の世界・・・
う~ん、やっぱり、阿弥陀さまの「極楽浄土」は、東でも北でも南でもなく、すばり、西の岸でしょう
「浄土」については次回に、また
以前もご紹介させていただきましたが。
「彼岸」とは、覚りに ほど遠い 人間の世界である「此岸」(しがん:こちら側の岸・世界) に 対して、
「彼の岸」あちら側の岸・悟りの世界
つまり、私たちの世界・・・煩悩に まみれ、自己中心性を離れられないため、苦しみの多い「穢土」 に対して
「浄土」=清らかな世界、仏の国 のことを言います。
お彼岸は、年2回、春と秋
ちょうど太陽が真東から昇って 真西に沈む
阿弥陀如来の「浄土」を「極楽浄土」と言いますが、その極楽浄土は、「西方浄土」とも言われます。
先日、某氏とお話していて、「なんで『西方浄土』なんだろう」と質問がありましたが・・・
答えは、お経に「阿弥陀如来の浄土は、西の彼方にある」と説かれているから。
でも、その答えでは、そっけないですね。
おそらく、お彼岸に真西に沈んでゆく太陽・・・その美しい夕焼け に、「浄土」を思い描かれたのではないでしょうか
メラメラ燃えさかる太陽のような「煩悩」が、「煩悩」の姿のままに、静かに、美しく滅してゆく、涅槃寂静の世界・・・
う~ん、やっぱり、阿弥陀さまの「極楽浄土」は、東でも北でも南でもなく、すばり、西の岸でしょう
「浄土」については次回に、また
彼岸を思いつかず、日本は古来米作農耕民族だから、暦が重要なんだ、と適当なことを答えて、一人恥ずかしかったことがあります。
心の中で
手を合わせるくらいの感じですね (^_-)~☆
私もお寺に嫁に来るまでは、
「春分の日」「秋分の日」の祝日の意味など考えたこともありませんでしたし、
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉は知っていても
「彼岸」とは、どういう意味なのか 知ろうとも思いませんでした・・・単なる季節を表す言葉ぐらいの認識しかなくて・・・
維真尽さん
そうですね。静かな美しさですね。
美しい夕焼けを見たら、西方浄土を思い出してくださいませ。