昨日ご紹介した講演会で、K先生が、お話された、若い頃、先達に導かれた言葉。
「凡夫」の意味がわかる大人になってくれよ
凡夫(ぼんぶ)とは、覚りに ほど遠い人間のことですが、本当に自覚できるのは、仏に相対した時。
「仏」というピッカピカの鏡に映された時、初めて気づかされる「私の姿」なんだと思います。
ちなみに、タイトルにある
「本願」とは、
阿弥陀如来が 凡夫の私たちを 覚りに導きたい と誓い、願われている 仏さまの方からの願い を言います。
仏の教えは、頭で理解できる(自分の理性でとらえて、わかる)ものではない
親鸞聖人の言葉
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり
阿弥陀如来が 長い長~い間、思いを巡らせて、願ってくださった「本願」をよくよく たずねてみれば、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった
阿弥陀如来の救いの目当て(凡夫)は、私のことでした
と、気づかされるのが、
阿弥陀如来の「本願」に遇う凡夫の姿
と、K先生のご法話を聞かせていただきながら、あらためて味わったことでした。



「仏」というピッカピカの鏡に映された時、初めて気づかされる「私の姿」なんだと思います。
ちなみに、タイトルにある




親鸞聖人の言葉


阿弥陀如来の救いの目当て(凡夫)は、私のことでした

と、気づかされるのが、
阿弥陀如来の「本願」に遇う凡夫の姿
と、K先生のご法話を聞かせていただきながら、あらためて味わったことでした。

悟りに~近いとか聞いたことがあります
悟りと善悪は違うかもしれませんが
善悪が よく わかっているとか
悟りに~近いとか聞いたことがあります
しかし!!・・ここに書く人!!書き込む人!!・・それぞれにわが身に響きます・・・つらいですね・・・つらいです・・・わかります・・・(飲んでいます・・スミマセン・・)・・・
いたいところ・・つかれれば・・・開き直りに・・・未熟者ですから・・お育てがあさいとか・・・わからずに書きました・・・なかなか??自分を素直に認めきれません・・・それが・・・凡夫なのですね・・・
すべてが人事でなく・・・我が事なのですよねー・・・・じれったいほどわかるような・・・わからないような・・・
坊守様・・・がんばってください・・・凡夫より・・合掌
仏さまの心にかなうことなく、自分の頭で考える(自分を基準とした)「善悪」は、危ういですね。
「悪人が悟りに近い」は、ご承知のように、
法律上や道徳上の「悪人」の意味ではなく、
自分のことを「『悪人』『凡夫』と自覚できる人」こそ、阿弥陀如来の救いの目当てだ
ってことですね。
阿弥陀如来の本願は、そういう「悪人」に、よりそそがれる
「凡夫」と自覚できるところに阿弥陀さまが寄り添ってくださるのですが・・・
泣いて笑って・・・さん
本当に仰るとおりです。
口では「自分は凡夫です」と、言いつつ、
それは大抵「どうせ、私は凡夫だから・・・」と、開き直りであったりします。
相変わらず「我執」が強くて、自分の智慧のなさを素直に認められない・・・
まこと、「私が凡夫」と自覚できない・・・それこそが「凡夫」なんですね~
いつも人ごとでなく、自分のことなんですけどね~
難しいですね。
素直になれない自分が恥ずかしいです・・・だから!!一生懸命になって坊守様のブログを読ませてもらっています だまって・・読んでいればいいものを・・・スミマセン・・・
無明煩悩われらが身にみちみちて・・・恥ずかしい限りです・・・・
とんでもない!
私こそ失礼なことを書いています。
厚顔無恥、鈍感力で生きている私です。お許しください!