山門の掲示板に月替わりで言葉を掲示しています。
今月の言葉は
失ったものを嘆くより
今、
恵まれているものを
喜ぼう
何一つ持たず、はだかで生まれてきて、
成長とともに、体力や知識、友達、家族、財産、名誉・・・いろいろなものを身につけて生きていきます。
でも、思いがけない事態で、身につけたものを失うことが多々あります。
また、高齢になると、長生きすればするほど、
身につけてきたもの、大切に思ってきたもの
体力、知力、友人、家族・・・などを
自然と失っていくことになります。
はだかで生まれてきたのですから、はだかで死んでいきます。
ついつい、身につけてきたものに執着して
「あれがない これがない」と
わが身の不幸を嘆くのが私たちの常ですが、
今、自分に恵まれているものに気がついて、そのひとつひとつを喜べば、それが幸せだ
と わが身に言い聞かせております。
今月の言葉は
失ったものを嘆くより
今、
恵まれているものを
喜ぼう
何一つ持たず、はだかで生まれてきて、
成長とともに、体力や知識、友達、家族、財産、名誉・・・いろいろなものを身につけて生きていきます。
でも、思いがけない事態で、身につけたものを失うことが多々あります。
また、高齢になると、長生きすればするほど、
身につけてきたもの、大切に思ってきたもの
体力、知力、友人、家族・・・などを
自然と失っていくことになります。
はだかで生まれてきたのですから、はだかで死んでいきます。
ついつい、身につけてきたものに執着して
「あれがない これがない」と
わが身の不幸を嘆くのが私たちの常ですが、
今、自分に恵まれているものに気がついて、そのひとつひとつを喜べば、それが幸せだ
と わが身に言い聞かせております。
しかーし・・なぜか?・・・みんな人事なのですねー・・・そこが!悲しいですよねー・・・
裸で生まれてきて裸で死んでいくのに・・・何が不足で・何が不満でしょうねー
生かされているのに・・生きていくのは大変です・・・大変です。
小欲知足・・遠離・・・
身内を殺して島送りになる罪人が、幸福を感じる内容です。
病気の家族や貧乏から解放されて、遠島という処罰でも彼には幸福な環境に見えるということです。
昨夜、知人と呑んで感じたことですが、日本人は幸福感、すなわち人生観を個々に確立しておらず、世間の言うことを基準にして、それに達しているかどうかにあくせくしているように感じました。
幸福の基準は自分の中にあるべきで、基準を持てるかどうかは、人間的な成長にかかっているようです。
人間的成長に、宗教がどう関わるか、teraさんの腕の見せ所ですな。
弟を殺して(殺意がなく安楽死・・)島送りになる罪人の顔がいかにも楽しそうだから・・・仰るとおり・・・頷かされます・・教えられます
早速「高瀬舟」を読んでみたいと思っております・・・・
仰るとおり、「生かされている」ことをすぐ忘れて、ムクムクと不平不満の感情が沸き起こります。
いつもいつも、わが身に言い聞かせていないと・・・
ふくろうさん
「高瀬舟」のご紹介ありがとうございます。
いろいろ考えさせられるお話です。
仰るとおり、各人の幸せは、人と比較するところには、決して感じられないものです。
>「人間的成長」・・・
私の場合は、何ら「人間的成長」はしてないのですが、仏教に教えられて、自分の思い込み思考回路から少々ワープできた。
相変わらず欲も多く愚痴も多く、覚りには遠いのですが・・・
「我執の思い込みは、不幸の元だよ」という仏の価値観を心の片隅にいただいた。
いかに恵まれて「生かされているか」に気がつかされた。
それで、以前よりは、楽になれた。
仏さまのお話を聞いている間は、そうだった・・・とうなづかされて、幸福感が倍、倍増した。ということであります。
「そんなの宗教と関係なく、人間的成長によって、体得するものだ」と仰る方もおいでになるのだと思いますが・・・私の場合は、「幸福感」は、仏教との出逢いが大きいです。
私一人のためにと・・・坊守様の仰る事が・・・私にもわかるような・・・恐れながら・・・有り難く有り難く頂いております
本当に、仰るとおり、「おかげさま」ですよね。
ありがとうございます。