お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

死んでからでは遅すぎる その2

2009年09月26日 | 仏教
 浄土真宗って

 「念仏すれば、死んでから、いいところ(極楽)に行ける。
生きている間は、我慢して、生きよう、 という教えで、
生きている人間の 苦悩に対して、何の解決にもならない

と、誤解されている方が、案外多いようです。

 浄土真宗では、凡夫(フツーの人間)は、死ぬまで煩悩から離れられない
 だから、この身のまま、悟りをひらくなんて、とんでもない 
できるわけない
 「悟り」は、仏さまだけが到達された境地 である・・・

と考えます。
 
 じゃあ、どうやったら、悟りにいたるの やはり、絶望して生きるだけなの

 いえいえ、だから、そういう「凡夫」のために
 「全てのものを救いたい」と、誓い、願われたのが

 阿弥陀如来

 私が、悟りに至るには、阿弥陀如来にお任せするしか、救われようがない

 「念仏」は、阿弥陀如来に心を合わせる 感謝の言葉。

 完全な悟りを得て「仏」と完成されるのは、この身が無くなって(死んでから)ではあるけれど、

 阿弥陀さまに相談しながらの人生だから・・・

 阿弥陀如来の慈悲に心を合わせて生きるってことは、実に安心で、あたたかい・・・
 
 決して、死んでからの「救い」ではなく、生きている間の「救い」なのですよ~

 死んで初めて、阿弥陀さまの前に来ても、遅すぎる。
 どうぞ、生きているうちに、「本願」に出逢って、安心を得てください 

 
コメント (2)
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