またまた続きです。
「法事」は、亡くなった方を慰めるために、私がしてあげるのではなく、
仏さまと成られた故人をご縁に (仏さま〔真如〕に心を合わせるために)私がさせていただくものです。
つまり、「私のためにする」
「私のためにする」という意味は、
もちろん、故人をないがしろにして、私にいいことがあるように仏さまに願う・・・という意味ではありません。
「仏さま」という存在は、「私を覚りに導こうとはたらいてくださっている」
法事でもなけりゃ、普段、なかなかご本尊に手を合わせることも、念仏を称えることもない・・・
仏さま(真如)よりも お金や名誉を拝する・・・自分の思い通りにならないことは社会のせい、人のせいにし、愚痴ばかり言う・・・
そういう愚かな私の手が、法事の時には「仏さま」に合わさり
普段称えない念仏を口から出させていただく・・・
ほら、故人(仏さま)は、私のために、はたらいてくださっているではありませんか
「法事の席にようこそ、ようこそ」 と。
「法事」は、亡くなった方を慰めるために、私がしてあげるのではなく、
仏さまと成られた故人をご縁に (仏さま〔真如〕に心を合わせるために)私がさせていただくものです。
つまり、「私のためにする」
「私のためにする」という意味は、
もちろん、故人をないがしろにして、私にいいことがあるように仏さまに願う・・・という意味ではありません。
「仏さま」という存在は、「私を覚りに導こうとはたらいてくださっている」
法事でもなけりゃ、普段、なかなかご本尊に手を合わせることも、念仏を称えることもない・・・
仏さま(真如)よりも お金や名誉を拝する・・・自分の思い通りにならないことは社会のせい、人のせいにし、愚痴ばかり言う・・・
そういう愚かな私の手が、法事の時には「仏さま」に合わさり
普段称えない念仏を口から出させていただく・・・
ほら、故人(仏さま)は、私のために、はたらいてくださっているではありませんか
「法事の席にようこそ、ようこそ」 と。