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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

明細書を見ろ!2016年11月年末調整号 年末調整とマイナンバー

2016-11-09 | 明細書を見ろ!(事務だより)


2015年版はこちら

さあ年末調整。去年の今ごろは扶養控除申告書にマイナンバーをどう記載するかでおおもめでした。前任校でも収集にはそりゃあ苦労した。スマホにLINEで送られた画像を見せられもしたし(笑)。さて、それでは今年はどうなるかというと、基本的に

『マイナンバーの記載は必要ありません』

これはどういうことか。当初のイメージでは平成28年分の保険料控除申告書と住宅借入金等特別控除申告書については、今年からマイナンバーを記入する予定でした。実際に、平成26年に確定申告して住宅取得控除をうける人の申告書には、マイナンバーを記載する欄がちゃんともうけられています。それでも、記入しなくてかまいません。

扶養控除等申告書についてはきちんと記入する建前ですが、平成29年分からは、給与の支払者(わたしたちの場合は吉村美栄子さんです)が本人および扶養親族のナンバーをきちんと記録していれば書かなくてもいいことになったのです。吉村さんはどうやらちゃんと記録しています。

ぶっちゃけた話、マイナンバーについてはその管理がとてもたいへんなので批判が殺到したのでしょう。このままだと秘密を要する書類が年々増えていくところでしたから。

でも総務省の渋い顔が目に浮かびます。だって、霞が関が最も恐れているのは、この制度が住基ネットのように国民から忘れ去られてしまうことだからです。まるで鬼っ子のようなあつかいになっているマイナンバーの、明日はどっちだ。

ということであなたにやっていただくのは

◆去年記入した平成28年分扶養控除申告書の内容をチェックする。

◆平成28年分保険料控除申告書を記入する(証明書を忘れずに)。

◆住宅ローンがある人は、住宅借入金控除申告書を記入する。

◆平成29年分扶養控除申告書を記入する(マイナンバーは書かなくてもいい)。

事務室に11月25日(金)まで提出を。わかんなくなったら事務室で書け!

画像は「インフェルノ」(2016 SONY)主演:トム・ハンクス
ヨーロッパの名所旧跡をこれでもかと走り回るラングトン教授シリーズ第三弾。にしてもあんた抜け道とか隠れ扉とかを知りすぎてない?
「わたしは何も忘れない。」
たいへんですねえ。

2017年版につづく

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「アックスマンのジャズ」 レイ・セレスティン著 ハヤカワ・ミステリ

2016-11-08 | ミステリ


前世紀初頭のニューオーリンズにおける斧を使った連続殺人。事件自体は実際にあったことのようだ。この謎に、ある秘密をかかえる刑事、その刑事に汚職を摘発された元上司、探偵として独り立ちしたい若き女性の三者が、それぞれの手法で犯人に迫っていく。

舞台設定が絶妙で、フランスの香りが色濃く残り、そして人種差別が当然のこととして存在したニューオーリンズは、同時にジャズの都でもあり、だから若き女探偵にルイ(ス)・アームストロングが協力するという泣ける展開も。

犯人の動機も哀しいが、追う側の哀しさも絶妙に描かれていて満足。白人、黒人、クレオール(酒田にこの名を冠したジャズ喫茶がむかしありました)、警察、マフィアが入り乱れる。やっぱりアメリカのミステリは周到だなあと思わされる。次回作はブルースがモチーフに使われるらしい。絶対に読まなきゃ。

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トランボPART4

2016-11-07 | 洋画

PART3はこちら

ダルトン・トランボは幸運な男でもある。

彼は赤狩りに対して、自分の仕事をまっとうして対抗しようとし、結果として勝利する。しかしなかには、裁判に持ち込んで正義を貫徹しようとする人物もいて、彼は不遇のうちに亡くなってしまう。もちろんどちらの戦略が正しいかは誰にもわからない。ただひとつ言えるのは、トランボには物語をつむぎたいという欲求と、身体の奥底から出てくる気の利いた言い回しという武器がある。あふれるほどの才能が彼に味方した。もっとも、議会の調査にもひねくれた対応を見せて刑務所に収監されてしまうのだが。

もうひとつの幸運は家族だ。数をこなさなければならないために娘の誕生日も無視するようになったトランボに、妻は意見する。

「もういい、議論は終わりだ」

「議論?ちがうわ、これはケンカよ」

この奥さん(ダイアン・レイン)がいいんですよ。決して泣き言はいわず、涙も見せなかった彼女が、最後の最後に号泣するシーンには泣かされた。

名脚本家であるトランボを描いた作品なので、この映画の脚本も周到だ。トランボが家族と「ローマの休日」を映画館で見る場面では、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの、例の“真実の口”(嘘をつくと手がもぎとられる)が使われているし、ボイコット運動が起きた「スパルタカス」のヒットに、アポなしで見に来たケネディの貢献があったニュースを挿入したことは、トランボの遺作がジョン・F・ケネディの暗殺の真相を告発した「ダラスの熱い日」であることとの連関を感じさせる。

そして、のべつまくなしにタバコを吸い、酒やアンフェタミンの力も借りて(それでもトランボは天寿を全うした)書きまくったトランボを演じたブライアン・クランストンがすばらしい。

深く、深くこの映画には満足。鶴岡での公開が終わってからの紹介でどうもすみません。

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真田丸 第四十四回「築城」

2016-11-06 | 大河ドラマ

第四十三回「軍議」はこちら

前回の視聴率は14.5%と、思ったほどには復活しなかった。これで広島黒田VS日ハム大谷の日本シリーズ幻の第7戦が存在したらどうなっていたことやら。

さあ「築城」。今回はオープニングにテーマ曲もスタッフロールもなんもなし。いきなり女講談師と化した有働由美子アナが放つSTAR WARSスタイルの「先週のお話は」からスタート。

それはすべて真田幸村が自らの城の名を「真田丸よ。」と告げた瞬間にあの「チャッチャッチャッチャラチャー」を流したかったからでしょう。大成功です。うちは一家で「そう来たかあ!」とのけぞりました(笑)。簡単な客。

例によって淀君(竹内結子)と大蔵卿(峯村リエ)は牢人たちを信じていない。彼女たちの思いを具現化する装置の織田有楽斎(井上順)は真田丸の築城を妨害。しかし秀頼は……というお話でした。

これまでのどんなお話よりも秀頼の主体性が前面に出ている。城を出たこともなく、初めて牛を見て「あれはなんじゃ?」と訝るようなおとぼけぶりとは無縁。とすると、最終回は意外な展開を見せるのかな。

武田家コンプレックスをむき出しにした赤備えが完成。戦略も万端。牢人たちも結束。いま、ドラマは弓をギリギリとひきしぼっている状態。徳川側が戦のダークサイドを知らないことを、幸村はほくそ笑み、家康は歯がみする。こりゃ、これから数週間は目をはなせませんな。芝居がちょっと薄いのは気になるけど。

出雲の阿国役でシルビア・グラブが再登場。でも八木亜希子の老けメイクはちょっとやりすぎじゃないすか。吉田羊がピクリと眉を動かすあたりは素敵。わたし、好みの女性が大挙して出演しているのでうれしかったです。妻と嫁の前ではなにも言えませんが。

「なんで今日はきりちゃんが出ないんだ!」絶対言えません。本日の視聴率はまた上昇して今度こそ16%台かと。

第四十五回「完封」につづく

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「インフェルノ」 Inferno (2016 SONY)

2016-11-05 | 洋画

「ダ・ヴィンチ・コード」は見た。確か読者にリクエストされて見たんだった。それはおぼえてる。

ではラングトン教授シリーズの二作目「天使と悪魔」は?……見た、と思う。トム・ハンクスが主演してロン・ハワードが監督するわたし好みの作品を見逃すはずはない……自信なし。自分のブログを検索。あ、ちゃんと劇場で見てました。コンクラーベのお話ね(笑)

加齢のせいもあるけれど、このシリーズは見終わったあとに何も残さない。娯楽作品としていっそ立派じゃないですか。ラングトン教授には常に時間に追いまくられる事情が発生し、名所旧跡を女性とともに走り回る……充分です。

この「インフェルノ」も、いっしょに見ていた妻が劇場から出て

「あのね、とても面白かったんだけど、×××が○○○する必要はなくて、いっそ最初から△△△すればよかったんじゃない?」

奥様、それ言ったらこのシリーズ成立しないです!(笑)

かように、“悪人”はなぜかラングトンにヒントを与え続け、彼は必死にそのパズルを(観客とともに)解く。っていうか、こちらはキリスト者じゃないのでいまひとつ例によってその謎にコクってものが感じられない。ダンテ、ボッティチェリ、神曲、地獄編……すみません、それ以前にわたし教養がありませんでした(T_T)。

トム・ハンクスは今年も大活躍。おそらく2016マイベスト男優はぶっちぎりで彼だ。「ブリッジ・オブ・スパイ」「ハドソン川の奇跡」そしてこの作品と、どれだけ勤勉な役者なんだか(イーストウッドの早撮りがそれを可能にしたらしい)。

おやおや、勤勉なのは彼だけじゃなくて、主演女優(フェリシティ・ジョーンズ)は来月公開される「スターウォーズ/ローグ・ワン」でも主役やってんのか!がんばるなあ。

っていうか、予告編でそれ見てるのに同一人物だとは夫婦ともに気づきませんでした。しかもあの微妙な人は「最強のふたり」のドリスだったのね!「わたしは何も忘れない」と豪語するラングトン教授はやっぱりえらいっす。

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トランボPART3

2016-11-05 | 洋画

PART2はこちら

しかしそんな時代背景を描きながら、「トランボ」は決して告発や批判だけの映画にしていない。娯楽映画としてめちゃめちゃに面白いのだ。

だってこの映画の監督は、あの「オースティン・パワーズ」や「ミート・ザ・ペアレンツ」を監督し、あろうことか「ボラット」を製作したジェイ・ローチなのだ。批判覚悟で開き直っている。

まず、当時絶大な権力を持っていたコラムニスト(というかゴシップライター)ヘッダ・ホッパーヘレン・ミレンが憎々しげに演じていて、彼女がこの映画最大の悪役を引き受けている。実際に、ヘッダは赤狩りの推進役だったようだ。

彼女はトランボの追放に加担し、それどころか彼の復帰を執拗に妨害する。ここでもうひとつのグループが登場する。この映画が弾むのは彼らの登場による。面白い映画をつくるためなら、政治的なスタンスなど知ったことかという連中。

B級C級映画ばかりつくっていたキング・ブラザーズという会社を経営するフランク・キング(四文字言葉を連発するジョン・グッドマンがいつものようにいい感じ)は、「トランボたちを使うと俳優たちをボイコットさせるぞ」という脅しに、バットをふりまわして激昂し(て見せ)「役者なんぞ素人でいい!どうせうちの映画はゴミだ」と開き直るシーンには笑った。

そして、「栄光への脱出」の原作をもってオットー・プレミンジャーが現れる。この、ハリウッドのタブーを次々に破ってきた監督は、ゴリゴリのオーストリア訛りでトランボを挑発する。ほぼ同時にカーク・ダグラスも、自らが製作する「スパルタカス」の脚本を依頼。

ヘッダ・ホッパーはダグラスを詰問する。

「どうしてトランボを使うの?!」

「大きなお世話だ」

と一蹴。こちらも実際にこういう人だったようです(笑)。なにしろ勝負作の監督にスタンリー・キューブリックを抜擢した人なので狂いっぷりも板についている。以下次号

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トランボPART2

2016-11-04 | 洋画

PART1はこちら

赤狩りに対して、夢の世界の住人だったハリウッドはいくつかのグループに分かれる。

・積極的に反共に加担したグループ……ジョン・ウェインロバート・テイラーゲイリー・クーパーセシル・B・デミルウォルト・ディズニー

・批判的な立場を明確にしたグループ……ハンフリー・ボガートチャーリー・チャップリンジョン・フォード

……監督組合の会合で、セシル・B・デミルに向けてジョン・フォードが語った言葉は歴史に残っている。

「わたしの名はジョン・フォードだ。西部劇をつくっている。わたしはセシル・B・デミル氏以上に、アメリカの大衆が見たいものを知っている人間はいないと思う。 その点においてわたしは彼のことを尊敬する。だがデミルよ。俺はあんたが嫌いだ。あんたの意見も、今夜ここで言ったことも嫌いだ。」

ジョン・ウェインとフォードがまったく違う姿勢なのが趣き深い。

悲惨だったのは第三のグループ。ハリウッド・テンに共鳴しながらも、仲間の名を売ってしまった人たち。「エデンの東」「波止場」で知られるエリア・カザンがそうだったし、映画「トランボ」でも、ゴッホの絵を売ってまで支援したエドワード・G・ロビンソンが苦渋の表情をうかべている。ちなみに、彼は絵画についておそるべき目利きだったそうで、彼のコレクションは評価が高い。

99年のアカデミー賞の授賞式において、エリア・カザンが功労賞を送られたときのエピソードも有名だ。ふつう、この賞を授与された人間を会場みんながスタンディング・オベーションで迎える。しかしカザンの場合は、まったく無視するか、おざなりの拍手しか送らない業界人がけっこういたのだった。この裏切り者が、というわけ。まだまだ、ハリウッドにおいて赤狩りの傷は癒えていないのである。

長々と背景を紹介したのは、この「トランボ」をつくるのはとても微妙な作業だったろうことがわかってほしかったのです。以下次号

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 Trumbo (2015 東北新社)

2016-11-03 | 洋画

ダルトン・トランボといえば、わたしの世代にとっては「ジョニーは戦場へ行った」の監督(原作と脚本も)。

戦場で負傷し、目も見えず、口もきけず、聴覚も失ったジョニーは、壊死をふせぐために両手両足をも切断される。人間として見てもらえなくなった彼が、自分の意思をどのように伝えようとしたか、そして何を伝えたかったか……壮絶な反戦映画。だからトランボとはこういう、シリアス一辺倒な人なのかと思っていた。

違った。

彼は「ローマの休日」「スパルタカス」「栄光への脱出などの脚本を“匿名”で書くなどした職人でもあったのだ。しかも、ものすごく有能な。

なぜトランボはクレジットされなかったのか。ここに、アメリカの恥部であり、ハリウッドの暗黒を象徴する“赤狩り”が影響している。

後の反共の嵐を意味する赤狩りについては、わたしも若くはないのである程度承知はしている。有名なのがハリウッド・テン。映画業界の著名な10人が、共産主義者であるということで追放される。トランボもそのひとり。

この嵐は他の業界にも広がり、途中からジョセフ・マッカーシーというきわめて奇矯な上院議員が登場し(2016年の観客は、誰しも現在の共和党大統領候補との相似に気づくはず)全米が彼に熱狂する。かの有名なマッカーシズムだ。

そのなかで、とりわけハリウッドが狙い撃ちされたのは、国民への影響力が大きいと判断されたのだろう。なにしろ有名人たちだから国民は注目する。要するにハリウッド・テンは見せしめの意味合いが強かったわけだ。

この動きに、ハリウッドは割れた。以下次号

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戦後の音楽文化PART8 学習指導要領

2016-11-02 | 音楽

Black Wonderful Life HD Widescreen 16:9

PART7「演歌」はこちら

音楽特集の最後は、少しは学校職員っぽいことを。

「学習指導要領」

学習指導要領は、1958年より法的拘束力をもつようになり、以後十年ごとに改訂される運びとなる。そしてこれによって共通教材(各学年歌唱、鑑賞教材それぞれ三曲ずつ)が導入されるようになったことは重要である。教育課程の基準となる目標や内容を示すだけでなく教材の指定を行うようになったことは、何を我々の共通のレパートリーとしていくかを国が示したということである。

これには国による教育への過剰統制ではないかという批判があった。特に小学校の歌唱教材については、文部省唱歌や日本古謡から選曲されており、それが果して「愛唱歌」となりうるのか、それらを歌うことで音楽の生活化が図られるのかを疑問視する意見が聞かれた。しかし、時代を経た現在から顧みると、学校教育における教材として音楽の導入部からそれらの歌が選択されてきたことで、世代を超えて歌い継がれる「みんなが知っている歌」になった事実も見逃せない。

……なるほどー。全然知りませんでした(笑)。他の教科は教材の指定は行ってない。そういえばそうか。国語の教科書に“必ず載る作品”は存在しないものな。まあ夏目漱石に一度もふれないで卒業するのはむずかしいだろうけれど。

しかしわざわざ共通のレパートリーを文科省が用意しなければならないくらいに現在の音楽の嗜好は細分化され、みんなが知っている歌は生まれにくくなっている。紅白歌合戦の視聴率が低下し続けているのはその証左でもあるだろう。

わたしはそのことは一種の成熟だと考える。もちろんみんな知っている曲を力強く歌う経験はたとえようもなく成就感があり、成長段階において必要なことだとは思う。でもわたしは最後にこれだけは言っておきたかったのだ。“みんなが知っている曲がある”ことは確かにうれしい。しかしその曲を歌いたくない人間に歌を強制するような世の中は、きっとろくなものではないんだろうと。

この特集の最後の曲はブラック「ワンダフルライフ」。わたしの世代にとってはサントリーが売り出したバーボン、オールドフォレスターのCM曲としておなじみ。すばらしい曲。そしてこの曲を書いて歌ったコリン・ヴァーンコムは今年、交通事故で亡くなっている。享年53。彼にとって、人生が素晴らしいものであったことを祈ります。え、こんな曲知らない?それはよくないなあ。ぜひ歌ってみてください。詞は皮肉にみちていますがシンプル。

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戦後の音楽文化PART7 演歌

2016-11-01 | 音楽

ザ・エン歌.MPG

PART6「ウエスタン」はこちら

「演歌」

1970年前後に成立するレコード歌謡の一ジャンル。ヨナ抜きと呼ばれる五音音階の旋律、七五調の歌詞、こぶしや唸りを強調する歌唱、オーケストラまたはビッグバンド編成の伴奏などを特徴とする。

「ヨナ抜き」明治以前から存在する伝統的音階。ドレミでいえばファとシが存在しない。 

……演歌の定義はとてもむずかしい。にしても驚かれないだろうか。1970年前後に成立した?ちょっと待ってよ。そんなに新しいのか。演歌とは日本の心であり、古賀(政男)メロディーで、韓国のメロディーが日本に移入されて、えーとあとなんだっけ。それらすべての言説は嘘だったの?

気になったので「創られた日本の心神話 『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」(輪島裕介著 光文社新書)を読んでみた。この、気鋭の音楽学者によれば

・演歌のルーツは明治期の自由民権運動における演説の歌だが、しかし現在の演歌というジャンルとはほとんど関係がない。

・60年代において、演歌的な(その頃は演歌と名のってもいなかったが)ムード歌謡は、低俗なものと蔑視されていた。

・しかし低俗だからこそ聖であるという反語を用いて、演歌をサブカル的に称揚したのが作家の五木寛之であり、ルポライターの竹中労(キネマ旬報の連載をわたし愛読していました)だった。

……74年生まれの著者は冷静にこの事実を積み上げていく。もちろん反論もあるだろう。しかし団塊以上の世代は、この流れを肌で感じていたのではなかったか。ある日突然、演歌(それは怨歌、艶歌とも表現された)というジャンルが発生したことを。

その象徴が、宇多田ヒカルの母親だった藤圭子ではなかったのか。彼女の壮絶な過去は、その暗いジャンルにうまくはまった……年長の人たちから怒られそうだな。

わたしは北原ミレイの「石狩挽歌」や八代亜紀(この人は自分のことを演歌歌手だとは思っていない)の「雨の慕情」は大好き。憂歌団の「ザ・エン歌」はもっと好き。この曲を知ったのは、松金よね子がラジオ番組に出演したときにリクエストしてくれたからでした。以下次号

ということで本日の一曲はその「ザ・エン歌」。憂歌団が三十年ほど前に酒田の文化センターでコンサートをやったとき、「じゃあ次は演歌を……」と言ってこの曲をやろうとしたというのに、偏狭な客が「ブルースをやってくれ!ブルースブルースブルース!」と絶叫したために木村はブルースに変更。おかげでこの曲が内田のギターとともに酒田で演奏されることはなかったのでした。うー。

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