第十四回 聖徳寺の会見はこちら。
さて、今回からは斎藤道三(本木雅弘)から斎藤義龍(伊藤英明)に話は移っていく。何が善で何が悪なのかという微妙な話。蝮と呼ばれた父親を否定する息子が、それでは父親よりも善なる存在だったのか……
大河ドラマはいつもそういうことに意識的。なにしろ第一作が「花の生涯」で、井伊直弼を主人公に持ってきたし、「樅ノ木は残った」では原田甲斐が救国の人物ではなかったかと主張してきた。わたしが大好きな「太平記」では、みんな大嫌いな足利尊氏をヒーローにして見せたのである。
斎藤道三とは本当に腹黒いだけの人物だったのか?息子の義龍はそれでは清廉な反逆者だったのか?そのあたりは脚本の池端俊策さんも意識的だよね。
義龍の次の代に至ると結論が出るんだけれども、道三と義龍のどちらが正でどちらが邪であったか、はっきりと描かないのが「太平記」の作者らしい。
そしてその池端さんらしく、明智光秀がいろんなところに偶然いるという作劇にはしていない。しかも、義龍からの問いかけにとぼけ、そして義龍もそのあたりをすでに承知しているあたり、うまい。しかも伊藤英明が岐阜出身だったのも渋いなあ。
さあコロナの世の中。在宅率が高くなっているので視聴率はあがっている。でも撮影自体がしんどいことになっているわけなので、NHKとしてもいろいろ考えているだろう。
わたしがお偉方だとすれば、オリンピックがなくなったあたりに前半の総集篇をかますんではないだろうか。“社会的距離”をとっていては成立しないのがドラマ撮影。つくづくと思う。ショービジネスはいま、きつい。
第十六回「大きな国」につづく。
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