「おめさんに、ひとめ会いたかったがや」
「あんたひとりが侍だ。足軽だろうが鮭役人だろうが、あんたひとりが侍だ」
うわあ、相変わらずうまいなあ浅田次郎。上の会話は、ある過去(よく考えるとひどい話)をもった夫婦の再会の場面でのもの。舞台は丹生山松平藩。すぐ北が庄内藩という設定なので、味わい深い方言であることが承知できる。
幕末近く。25万両という莫大な借財を抱えた藩。利息だけでも年3万両。しかし歳入は1万両しかない。この絶望的な状況を打開するために、先代の藩主はあるはかりごとをめぐらす。
歳出を徹底的に削り、金銀を貯め込み、そして藩をつぶす。要するに計画倒産である。藩士には貯め込んだ金を配り、自らは完全な隠居。ただひとり、ほとんど交流のなかった新藩主が腹を切ればすむ話だった。しかしその藩主は……
上下巻で700ページ近い長篇。登場人物も圧倒的に多い。でもそこは浅田次郎。みんなキャラが立ってます。絶望的なプロジェクトを若者の純粋さで乗り切るという、いわば「一路」の変奏曲だけど、泣かせる以上に笑わせてもくれるのがすばらしい。あまりにも状況が悲惨なので、七福神+某神様も加担するというファンタジーにしています。
浅田はこう規定している。軍人である武士が、二百年以上も民の上に君臨し、世襲を続けるという体制自体に無理があると。その無理を通すために、藩主から足軽、町人百姓、そして金を貸すほうの商人それぞれが肝を据え、器量がためされる。
父親の立てた計画倒産こそが正解ではないのかと新藩主が迷う展開もうまいし、たとえ藩財政の立て直しに成功したとしても、まもなく戊辰戦争が始まることを読者は知っているのに考えるすきも与えない。
これ、続編も期待できます。なにしろ、たくさんの恋愛模様が描かれるのに、主人公ただひとりは(ある神に懸想されるとはいえ)なんの色恋とも無縁なの。みんなが愛するキャラなのでもったいない。なんなら、庄内藩からお嫁さんを送り出してもいいですよ。っておれが決める話じゃないけど。