読みながら、これは絶対に同世代の作家による作品だと確信。それはもちろん、登場人物たちの中学時代の回想に
「いや、だって、須藤ってちょっと浜田朱里に似てない?」
と、NHKのレッツゴーヤングのレギュラーになったアイドルの名が出てくるからでも、
“須藤は「君とイチャイチャと小声で歌い出した。安西は中三の文化祭で男子二名といまでいうところのエアバンドを組み、カセットテープに合わせてジューシィ・フルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」を演ったのだった”
などという描写があるからではない(ま、それもあるけどね)。世間で考えるところの五十代のイメージと、みずからが五十代であることの乖離が絶妙に描かれているからだ。
主人公は五十才の男、青砥(あおと)。浮気性の妻と別れ(そのことを成人した息子たちにうらやましがられているのが可笑しい)、転職して実家に帰り、低い給料でつましく暮らしている。そんな彼が検診で異常が見つかり、再検診のために病院を訪れると、売店でむかしのクラスメイト、須藤が働いているのに出くわす。
読み終えて、これこそが運命の出会いだったのに、青砥と須藤の2人の関係が読者の予想よりも交わらないあたりがすばらしいのだ。
構造として、このお話は難病ものに分類されるだろう。しかし薄幸な美少女が白血病に倒れるのとは違い、年収をふたり足しても400万程度の日本の中年カップルをとりまくのは「人工肛門」「家賃」「医療保険」「生活保護」といった即物的なものばかりだ。
そのなかで、ヒロインにはいわゆる「節度」などと賞揚されるものではなく、「照れ」あるいは「自裁の念」のようなものがあり、それこそが同世代だと感じさせる最大の部分。須藤を嫌いになれる中高年は、そうはいないだろう。
時制が行ったり来たりする宮藤官九郎的テクニックを用いながら、ラストの1行で、この山も谷もない平場の恋愛に、深い縁取りが与えられている。作者は1960年生まれ、やはり同い年でした。わたしも浜田朱里やイリアのことが大好きです。
今年のベストワン決定。すばらしい。