ロアルド・ダールに「音響捕獲機」という短篇がある。世の中の、人間には聞こえない音をとらえるサウンドマシーン。しかしその機械がとらえたのは、隣家の薔薇が切られるときの“悲鳴”だった……
薔薇を役所広司、マシーンを草刈民代に例えるのはあまりにあざといだろうか。内科医として喘息患者の役所を治療する草刈は、あることで治療される側にまわる。そして、患者の静かな悲鳴に気づいてしまう。
医師として、治癒不可能な患者におこなう“治療”は、はたして患者のためになっているのかと迷い、役所が子ども時代に経験した、死にゆく妹への母親の子守唄こそが正解なのではないかと考えてしまう……
非常によくできたお話で、だからこそヘタをすると嫌みな作品になってしまう。そこを救っているのが俳優陣。
家族と距離をおいてしかつきあえない、おそらくは仕事人間だった役所。殺人犯として草刈を糾弾しながら、どこか不安がぬぐいきれない検察官の大沢たかお。憔悴ぶりはほんとに演技なんですか中村久美など、みごとなアンサンブル。
喘息患者を演じる役所と、彼の優しさで浅野忠信との不倫(およそこのファックシーンしか画面は動かないのでかなり激しい)から立ち直っていく草刈民代は、メジャー作品ではめずらしいほどリアルに吐瀉する。
そのために観客は完全に彼らに感情移入するし、草刈の行動に正当性を与えもする。これがなかったら、妻である中村久美に役所を渡したくないための行動だと誤解されかねないところだ(そう匂わす場面もちゃんと用意してあります)。ミステリとしてもかなり見せる。
しかしやはりそれ以上に、画面のすみずみまで監督の意図が行き渡った演出がすばらしい。冒頭の、検察庁に草刈が入るシーンの長回しは、「それでもボクはやってない」の護送車からの加瀬亮の視線に匹敵する。
「海を飛ぶ夢」「ミリオンダラー・ベイビー」など、安楽死を扱う作品に、観客はかなりみがまえる。それは自分の、そして自分の家族の死と向き合うことだから。だからよほどの覚悟と膂力がないと作品は成立しない。
周防正行監督は、容色は少し衰えたけれども(ひょっとしたら計算)、だからこそラストで光り輝いた(確実に計算)奥さんを使って、みごとなラブストーリーをつくりあげた。疲れますよでも(笑)