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興行の形式には三つあって
「手打ち興行」……いわゆる自主興行。会場費、ギャラ、宣伝費などの経費をすべて負担。したがってリスクが大きいが当たればでかい。
「売り興行」……歌手を呼びはするが、ギャランティなどは地元の興行師に請け負わせる。
「花興行」……自主興行の一種ではあるが、「○○親分何回忌追善興行」「○○芸能創立○周年記念興行」といった慶弔名目で、金主筋(スポンサー)である社長たちに入場券をまとめ買いしてもらったうえ、組関係者からご祝儀が入るために絶対に損のない形になっている。
やくざの興行形態の主流はもちろん花興行だった。しかしそこへ「手打ちで勝負や」と打って出たのが田岡三代目だったのである。
時代は前後するけれど、山口組が芸能界にからんだある事件があった。昭和28年の鶴田浩二襲撃。新聞記事にはこうある。
《鶴田浩二襲わる》
『(昭和28年1月)6日夜8時半ごろ大阪南区千日前の大阪劇場に出演中の新生プロ主催者映画俳優鶴田浩二こと小野栄一氏(28)が実演を終えて天王寺大道寺町旅館備前屋に帰ったところ押し寄せたファンの中にいた四人連れの男が同氏めがけコップを投げつけ後頭部その他に約一週間の傷を負わせて逃走した』
小さい事件のようだけれど、この四人のなかにのちの三代目山口組若頭、山本健一がいたことでもわかるように、山口組にとって芸能関係のしのぎは重要なものだったのだ。
その後、鶴田と山口組は関係を深め、田岡は子飼いといえる美空ひばりを育て上げて(小林旭との離婚会見に同席までしている)山口組芸能部門といえる神戸芸能社は勢力を強めていく。
山口組全国制覇についてはいろいろと語られているけれど、興行をひとつの手段として地方進出を果たしたのは事実のようだ。その意味で、芸能人がやくざと関係があること自体に罪はない、とする理屈はやはりちょっと無理がある。
ただ、「仁義なき戦い」でも語られた警察の“頂上作戦”以降、やくざが表立つことにはかなりの規制がかけられており、芸能界とずぶずぶ、という状態でもない。そのあたりは、またお勉強しましょう。