事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「太陽がいっぱい」 Plein soleil

2011-01-03 | 洋画

Pleinsoleilimg01  あまりにも有名な映画だからみんなストーリーは知っていると思います。犯罪のメイントリックは『なりすまし』。金持ちの友人を殺害し、彼になりすまして大金とガールフレンドを手に入れ「太陽がいっぱいだ……」とつぶやいた瞬間に犯人に訪れた運命とは。

 犯人トム・リプリーを演じたアラン・ドロンの野卑な美貌ぶりは、当時の女性観客のため息を誘い、ニーノ・ロータの主題曲はあくまで美しく、名匠ルネ・クレマンの演出は意外に前衛している。なるほどエバーグリーン。

 でも、ちょっとこの名作に難癖をつけてみよう。

・ドロン、モーリス・ロネ(友人)、マリー・ラフォレ(友人の彼女)の三角関係が前半の核になっている。ところが、これがはずまない。ドロンの下品さが魅力になっているとは思えないし、マリー・ラフォレはただの駄々っ子(オープニングに一瞬だけ登場するロミー・シュナイダー!の美しさにくらべたら……)。かろうじてモーリス・ロネの病んだ感じがヨーロッパの爛熟を思わせるぐらいか。ロネとドロンの同性愛的性向がこの犯罪の背後にある、と主張する向きも多いようだが、どうだろう。

・“なりすまし”ている以上、二人目の殺人はロネが行っているようにドロンは偽装する。それがうまくいっていると考えるなら、指紋について無頓着であることも理解できる……かなあ。現場の指紋とドロンの指紋が一致することがばれたら一発なはずだが。まあ、原作はパトリシア・ハイスミスだからその点はぬかりないのか。でも、ラストが改変されている以上、その辺もあぶないのでした。

・下層階級であるドロンが上流階級のロネを刺し殺し、なりすましに成功するかどうかは『革命』のメタファともうけとれる。原作と映画のラストの違いは、革命に対する作家の姿勢の差ともとれないか。「上品なふりをすることこそ下品だ」という魅力的なロネのセリフもあるわけだけど。

……まあこんな揚げ足とりなど軽く吹き飛ばす勢いが後半にはある。

リプリーは二人しか(笑)殺していないが、もっと残虐な殺人者に思えるのは、市場における魚のインサートショットの多用や、死体をそばにしながらドロンがチキンにくらいつくなど“死”“食”のイメージを盛大にふりまいているからだ。

予想よりもはるかにイタリア観光映画としても機能しているので、日本における大ヒットは、そんな意味合いもあったのかもしれない。にしても、若いころのアラン・ドロンって、そんなにいいかなあ。

コメント (3)
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