事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

モンテディオ山形 ロスタイム

2007-11-11 | スポーツ

Gannbare ものすごく久しぶりの前葉繰越。すっかりフーリガン化した事務職員モンテディオファンからせっつかれるせっつかれる。お待たせしました。最終回です。

‘84年、NECの同好会から発したサッカークラブ。これが意外なほど強かった。べにばな国体のどさくさまぎれの(あの頃はなんでもありだった)強化と相まって、東北社会人リーグ4年連続優勝である。その背景に、コンピュータ業界の発展があったことは間違いない。

 ちょうどその頃、高校を卒業してすぐにNEC鶴岡に就職した経歴をもつウチの技能士にいろいろときいてみた。
「その頃って、あそこで何作ってたんだよ。」
「半導体。とにかぐ作れば売れる時代でやー。三交代でフル操業だったんや。」
日電の業界におけるシェアが揺るぎない頃。ビル・ゲイツがまだまだ低姿勢だったあたりだろう。
「給料もけっこういいけしやー。」それでも公務員になったのには、色々と事情が。

企業内スポーツが、その業界の消長に左右されるのは、横浜ベイスターズの例(大洋漁業からTBSへ)を引くまでもない。Jリーグが、(わたしは一種の奇跡だと思うが)何はともあれ発足できたのは、地獄の構造不況が本格化する前の、バブルの名残りがあったからだろう。

 で、モンテディオ。NECが丸抱えできる時代はとうに過ぎ(山形工場はもう閉鎖)、本来であればJ2にいることすらおぼつかないはずの経営状況を、社団法人化、というアクロバットで乗り切ったこのチーム(背に腹はかえられないから機構側も承認せざるをえなかった)は、“あぶないところで”J1に昇格しそうなぐらい強くなってしまったのである。コンパクトなサッカーをめざす、監督柱谷(当時)のクレバーな采配や強化もあったのだろうが、山形県民もここはちょっと考えなければいけないかも。少なくとも財政的支援を市民から募らなければやっていけないことは自明なクラブなのだから、ファンクラブに加入するなり、地元の試合くらいは観に行くぐらいはやっておかないと、これはやはりシャレにならない。確かJ1に昇格するには、チームが強いことはもちろんだが、その経営や観客動員も問われるんじゃなかったっけ?

Furuse  ん?とすると’01年のシーズン最終戦。対川崎に勝っていたら……おい、ホントに昇格できたのか?お約束のジュニアユースチーム(中学校サッカー部との二重登録は不可→中体連の対応に注目)も本格化するようだし、今季は(笑)本気なんだろうが。
その試合の1万7千人の観客のなかには、サッカーファンの前任者をはじめとして、けっこうな数の事務職員もかけつけたらしい。わたしもここまでブチあげた以上、チアホーン持って生の試合観に行こうかな。でも四十すぎて顔にペイントすんのまでは……。

※画像がなぜスイカップなのかは……わかる人はわかるはず。自粛。

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モンテディオ山形 ハーフタイム

2007-11-11 | スポーツ

Th200704162nsbig 前葉繰越。そのJリーグの理念だが、要約すると、目的として、ドイツのように天然芝のグラウンドが全国各地にあり、地域のスポーツクラブが(サッカーにかぎらず)子どもたちをあつめてそこで指導していく……これなのだ、理想とするところは。どこかで聞いたことのある話ではないか。そう、いま県教委や文部科学省がやみくもに推進しようとしている地域総合型スポーツクラブである。多忙多忙とうめいている教職員が、あっさりサッカーくじを否定していいもんではないことがおわかりでしょうが。

この構想のどこがすばらしいかというと、
1.明治以来、スポーツがあまりに『学校体育』に偏重してきた悪弊を是正することができる。
2.科学的トレーニングを取り入れることで、すべて『』にしてしまう日本的精神主義から脱却する可能性がある。
3.甲子園に代表されるトーナメント方式の「1回負けたらハイおしまい」が生む勝利至上主義から逃れうる。
4.同時に、未完成な体のうちに、強引に技術を叩きこんで完成させようとする指導(そんなものが教育であるものか)を全否定できる。

あくまで理想だけどさ。これらを実現するほとんど唯一の機会がこのJリーグ、ひいてはワールドカップ日本開催ではないかと当時考えたのだ。現実に招致してみたら、一番喜んだのがゼネコン(そして利益誘導できた政治家)だったのはさーすが土建屋国家だが。

 で、サッカー。考えてみれば私はもっとこのスポーツに関して語ってもバチはあたらない人なのだった。実は私、元サッカー部顧問だったのである(笑)。新採の鶴岡の学校(「きれいな手で」の号参照)は、ほとんど地区ぐるみスポーツ少年団から何からサッカー熱の高いところで、若くて元気そう、という理由だけ(だと思う。運動神経皆無だし)で副スポンサーに任命された。主スポンサーは、別にサッカーを熟知しているわけではなく、ただひたすら熱心に部活動に付き合っているタイプ。夜の9時半まで、車のヘッドライトを照らして指導していた。その旦那がいないときに私の出番があったわけだが、いくら若いとはいえ、ミニゲームに参加したときなど、ものの15分で吐き気がおそってきたっけなあ。

20070681  技術的側面は、地元の銀行員や教材屋が、仕事が暇なときに指導に来ていた。地域型ですな。そのコーチに、どうしてもわからないことがあったので、素直にきいてみた。
「あのぅ、俺わからないんですけど」
「うん?」
「あのオフサイドってやつ、何であんなしちめんどくさいものがあるんですか?」
「(笑)あのねー堀さん、もしオフサイドが存在しなかったら、サッカーもバスケットみたいに、ゴール前に背の高いフォワードを貼り付けとけばどんどんヘディングで点がとれるようになるわけですよ。ちっちゃいプレーヤーがサッカーを楽しむためには、絶対に必要なルールなんです。」
そーかあ。サッカーって、結構いいスポーツなんだなあ、と初めて気づいた。
そしてその頃、その学校から5㎞ほど離れた場所にあったNECに、サッカーの同好会が結成された。後の、モンテディオ山形である。あーやっと出てきた。またまた次葉繰越。

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モンテディオ山形 キックオフ

2007-11-11 | スポーツ

Montedio もう十年以上前になるだろうか。山形県教職員組合の路線闘争(私は“コップの中の嵐”と呼んでいた)がまだ燃えさかっていた頃、私はその定期大会に酒田地区支部の代議員として出席していた。

議案検討もひとしきり終わったところで(反主流派=共産党系の修正案はことごとく否決されていった)、反主流の急先鋒、山形地区支部の若手から特別動議が提出された。

サッカーくじの導入に断固反対する」提案。射幸心をあおり、青少年に多大な悪影響を与える、というわけ。まことにもってそのとおり。あらゆるギャンブルは射幸心をあおることで成立するのであり、その麻薬性は確実に青少年を堕落へいざなう。
「この提案には賛成するからな。」酒田地区の書記長から指令がとんでくる。主流派酒田は考えなしの代議員も多く(それはそれで健康?)、指令がなければどう処していいかわからない状態でもあったので(笑)。

気持ち的には、反主流派の提案を一蹴したある種の負い目から、一つぐらいは満場一致で可決して、組合として団結していることを実感したかったこともあったのだろう。そんな穏やかな帰結が予想されるなかで……

「おれ、手挙げないからね。」
と言い張る馬鹿がいる。
……私である。

「え?……まあ、いいけどさあ(笑)」一人ぐらい反対に回ろうが可決は確実だったので書記長は笑って許してくれる。もちろん、結果は絶対多数で可決されたのだが、私はほとんど「あんたら本気でサッカーくじに反対するつもりか?」とキレそうになっていた。

Toto もちろん、サッカーくじがどれだけ愚劣な代物かはよーく理解しているつもり。

・他の省庁にはギャンブルを糧にした利権があるのに(旧運輸省の競艇、旧通産省の競輪、農水省の競馬、とかね)、自分のところには何にもないことに切歯扼腕している旧文部省が、やみくもに導入しようとしている強欲の産物であること。

・利権と同時に天下りのポスト増を狙っていることがミエミエ(事実、日本体育学校健康センターに請け負わせることでこの目的は達成された)。

・25%もの上前をはねることでJRAは悪評ふんぷんだというのに、テラ銭のほぼ50%も掠め取ろうとはたいした胴元である。

・19才未満には(このハンパな区切り方がいやらしい)販売しないといいながら、コンビニでの販売に執着したあたり、それでも教育をつかさどる官庁か。

 まことに、度し難い存在である。くじも、文部省(当時)も。
 だが、その命名totoが、動機は薄汚いにしろ、結果としてJリーグの理念を現実化する手段として不可欠なものであるなら、『ガッコのセンセー』らしく教育者臭をまき散らしてあっさり反対するという類のものではなかろうと思ったのだ。

そのJリーグの理念とは……

おっとサッカーに関しては結構私も語れるみたい。次葉繰越!

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HAIRSPRAY('07)

2007-11-11 | 洋画

Hairspray  東京に住み始めたころ、まず実行したのは情報誌(「シティロード」「ぴあ」)を買って映画館の所在を確認することだった。小田急沿線の狛江に住んでいたので、近いところから「登戸銀映」「下北沢オデオン座」「三軒茶屋東映」「三軒茶屋映劇」と次第にエリアを広げ、慣れてきたところで「新宿昭和館」「テアトル新宿」「池袋文芸座」「飯田橋ギンレイホール」「飯田橋佳作座」「大塚名画座」などのメジャーな名画座(矛盾して聞こえるだろうけれど当時は歴然とそんな感じだった)に遠征するのが習慣になった。

 でも、どうしても行くことが出来ない場所があった。新宿厚生年金会館裏の「アートシアター新宿」。常設の映画館ではなくて、なんかガレージのようなところ。なぜそんな場所に行きたかったかというと、ぴあでいえば【自主上映】のページに毎月定例で「ピンク・フラミンゴ」(’72)と「フリークス」(’32)という二本立て上映のイベントがあると告知されていたから。映画青年なら、無視できるはずもない。

「フリークス」は、自らも交通事故で障害者となった人気映画監督トッド・ブラウニングが描いた不具者の饗宴とでもいうべきカルト映画。「ピンク・フラミンゴ」の方は、女装の巨漢ディバインが犬のウンチを食べるなどの悪趣味の限りを尽くした……まっとうな方は絶対に観ない方がいい映画なのだ。厚生年金近くでそんな上映会だと、集まる観客はいったいどんな人たちなのっ!結局山形に帰るまで一度もそこへ行くことはなかったのである。惜しいことした……か?

Pink20flamingos1  その「ピンク・フラミンゴ」を若くしてつくりあげた変態監督ジョン・ウォーターズが、なんとこの「ヘアスプレー」のオリジナルの作者なのだ(’88年作品)。コロコロした健康デブお姉ちゃんが踊りまくるミュージカルを、あのジョン・ウォーターズが?

 しかし内容はさすがにひねってあった。1962年、黒人文化がまだ一種のタブーとされていた時代に“白と黒を混ぜ合わせる”ためにデブ姉ちゃんがはりきるお話。彼女の体型は『他人と違ってなぜいけないの』という主張を文字通り体現している。オリジナル版でディバインが演じたママをジョン・トラボルタ。デボラ・ハリー(マジで元娼婦だった)が演じた悪役ママをミシェル・ファイファーが気持ちよさそうに演じている。クィーン・ラティファが歌い上げるフィナーレの群舞はすごい。まあ、ブロードウェイのミュージカルを経過しているだけに、ちょいと漂白はされている感じだけど。

Hairspray02 ゲイだったジョン・ウォーターズが何を言いたくてこのミュージカルを創りあげたかを考えれば、彼の主張は今も健在。他人と違ったって、かまわないよな確かに。

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