事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ミッドナイト・ラン」 Midnight Run (‘88 米)

2007-11-17 | 洋画

Midnightrun マーティン(ビバリーヒルズ・コップ)ブレスト監督 ロバート・デ・ニーロ主演

初めてこれを観たとき、わたしがどう評価していたかというと……

1990年1月1日(月)「ミッドナイト・ラン」
~実はこっちが泣かせる映画だったのだ。「ギャングの経理係をしながら、その金を福祉関係に勝手にばらまいた男」と、「賄賂を受けとらなかったために、警察をオン出されて賞金稼ぎをやっている男」の二人旅という、冷静になればとんでもない大嘘の設定を、不意打ちのアクションと上質のユーモアでうまくだましてくれている。チャールズ・グローディンがひたすらおかしい。                       ☆☆☆★★★

Planes_trains_automobiles  再見して納得。全くそのとおり。娯楽映画としてまことに上等。当時のデ・ニーロの「自分の作品のなかで一番好き」というコメントも、まったくのリップサービスでもなさそう。

 それにしてもハリウッドはロード・ムービーが好きだ。飛行機(Plane)、列車(Train)、自動車(Automobile)という、あらゆる手段を使って大陸を横断する(必ず、横断なのね。縦断もかなりの距離なのに)ケースに代表されるこのジャンルには、スティーブ・マーティンの「大災難PTA」(Planes,Trains,Automobiles)という大傑作があるので、ビデオ屋にあったらぜひ。酒田のTSUTAYAには残念ながらもうありませんでした。

 つくづく感じたのは、わずか十数年前の映画の「ミッドナイト・ラン」において、賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)役のロバート・デ・ニーロがひたすら煙草を吸い続けることへの、「お?いいのか?」との違和感。経理係役で健康フェチのグローディンにさんざん突っ込まれるのだが、喫煙者である私ですら感じるぐらい、アメリカの90年代においてはスクリーン上からどんどん紫煙(死語)が消えていったわけだ。ったくいーじゃねーかなー、アウトローぐらい盛大に吸ったって。このあたり、女優も含めて吸い放題のヨーロッパ映画の方に大人の深みは感じる。ま、職員室の分煙がどうのという理屈は今回は勘弁してほしいってことで。

Robertdeniro  もうひとつ。こっちが歳をとったせいで沁みるのだろうが、“別れた妻のところへ(おまけにその妻は賄賂を受けとって出世した男と再婚している)金を借りに行き、9年ぶりに会った中学生の娘に『ベビーシッターをして貯めたお金』を差し出され、「いや、それは受け取れない」と泣く泣く断るオヤジ”を、デ・ニーロは完璧に演じている。体重を自在にコントロールできる(笑)だけじゃなく、この人、やっぱり名優だよなー。

※デ・ニーロの魅力は、少なくとも日本人にとっては渋さだろう。だから昔バナナラマ(だっけ?)が「愛しのロバート・デ・ニーロ」とかいう曲歌ってたけど、その頃から違和感あった。外人にはセクシーなアイドルに見えるんだろうか。この人、常に名演技、ってところが好き嫌いの分かれる理由かな。

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新幹線タッグ・オブ・ウォー 延長戦~その頃のいなほにて

2007-11-17 | 社会・経済

485inaho その頃のいなほにて①

 上野~酒田間において、どの時点から庄内弁に切り替えるかは結構むずかしい。あまり意識し過ぎて無口になり、ほとんど地元に近づいてから隣の女性(結構落ち着いたOL風)に「どちらまでですか?」と声をかけたら「ホリヒロシだろ?」と返されて大恥をかいたことがある。高校の同級生だったのである。

その頃のいなほにて②

 初めての帰省の時、隣に座ったのは友だちの披露宴に出席するために帰る秋田のOLだった。どえらい美人。女性がマニキュアを塗る姿を見るのは生まれて初めてだったのでいたく感動した。空き始めた車内で、東京における男女交際で気をつけなければいけないこと、を純朴な(笑)学生に懇切丁寧に教えてくれたのもこの人。師匠、ですな。

その頃のいなほにて③

Sunanoutsuwa  昭和五十五年だか五十六年に、記録的な大雪に見舞われた。随分と遅れて酒田駅にたどり着いた私を、親父が迎えに来ていた。杖をついて。あー親父苦労かけるなあ、膝でも痛めたのか、と思ったら大間違い。「車、通らんね。」6㎞の道を歩いて来たのか!杖のもう一つの意味もわかった。道路が雪ですっかり隠れてしまったので、杖で雪を刺しながら、水路に落ちないようにしなければならなかったのである。すごい親子連れ。まるで砂の器(笑)。

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新幹線タッグ・オブ・ウォー 2戦目

2007-11-17 | 社会・経済

Max  学生の頃、まだ上越新幹線は建設中で、酒田市民である私は特急「いなほ」に乗り、新津~鶴岡経由で帰省するのが常だった。酒田~東京、じゃないや酒田~上野間の所要時間は約6時間。しまいにはお尻がじんじん痛んだものだが、年寄りに言わせれば、これでも「近ぐなたもんだー」ということだった。今は新潟乗り換えで4時間。近くなったもんだ。

 対して新庄経由。極端な例を持ち出して恐縮だけれど、1980年のあたり、金がなくて特急料金が払えなかった私は、23時過ぎに出発する急行「出羽」(上越回り)に乗り込み帰省する算段だった。しかし当時から時間にルーズだったため、タッチの差で乗り遅れてしまう。呆然。大家にあいさつまでしてきた以上、恥ずかしくてアパートには帰れん。仕方なく猛然と時刻表をめくり(まさかそんなことが常態となる仕事に就くとは想像もしていなかった)、酒田にたどり着く方法を必死で模索した。んーよくわかんないけどとにかく乗り込め!
その結果……

・夜行で東北本線を北へ
・福島で奥羽本線に乗り換え
・県境のスイッチバックを“楽しみ”
・山形駅のホームで顔を洗い
・新庄駅で延々と陸羽西線との接続を待ち……

Toki かくして酒田駅に着いたのは翌日の午後3時頃。ほぼ16時間をかけて帰省したのである。大旅行。逆に言えば、この道のりを3時間で結ぶ山形新幹線が実現したことが、いかに県民の熱意に裏打ちされた奇跡かを実感できる。ミニ新幹線方式を選択したことも圧倒的に正しかったし(赤字明白な長野や北陸にフル規格の整備新幹線を引っぱった政治屋の卑しさよ!)。

それでは果たして酒田は、この一種の奇跡を起こそうという熱意に溢れているだろうか。
残念ながら現状は……

・未だに政争の具に利用され
・昔ながらの(湯野浜の争奪戦のように)酒田と鶴岡の綱引き=Tug of warをやっていて
・おまけに大センセイ加藤紘一があの状態では(笑)……

※当時加藤紘一は秘書がらみのスキャンダルもあって謹慎中。関係ない話だけど上越新幹線はほんとうに雪に強い。ほとんどトンネルの中を走っているようなものだからね。

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