事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

2007-11-07 | 邦画

Always2_movie2007 脚本・監督・VFX…山崎貴
主演 吉岡秀隆 小雪 堤真一 薬師丸ひろ子
 
ものすごいヒット。入場できない観客続出。いかに前作の満足度が高かったか、封切り前日のテレビ放映が効果的だったかがわかる。

 終戦から十数年。まだ焼け跡の残る東京が、高度成長によって変貌をとげる寸前。日本橋の上にはまだ醜悪な高速は存在せず、通行人たちがお互いにお辞儀をしていた時代。平日に観たので観客の年齢層が高く、お茶碗をゆすってつくる塩おむすびに歓声がおこる。つまりまだ“貧乏”や“死”が日本人の日常だった頃の記憶が、この映画への支持の背景にあるのだろう。

 ま、こむずかしいことを言わなくても、わたしはごひいきの小雪の出番を多かったのでうれしいし、特撮オタクである山崎が「今度のゴジラはおれに撮らせろ!」とばかりにはりきった(に違いない)オープニングだけでも金を払う価値はある。満足。

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「本よみの虫干し」-日本の近代文学再読-

2007-11-07 | 本と雑誌

Sekikawa  メルマガ100号までを見返して再確認。看板に大偽りありで読書案内にほとんどなっていないこと。加えて古典と呼ばれる名著にスペースを全く割いていないことに。

 だからといっていきなり岩波新書(※)に走るのはいかがなものかとも思うが、この新書は昔と違ってサブカル系やエンタテインメント系の著者にも門戸を開いているので、ついにお前も悪しき教養主義にすり寄ったか、と決めつけないでね。

 著者の関川は、「海峡を越えたホームラン」「ソウルの練習問題」等でのコリアウォッチャーとしてまず知られたが、谷口ジローと組んだ「事件屋稼業」(名作)というマンガの原作者、そしてハードボイルド作家であり、現在は早稲田大学の客員教授におさまっている。群ようことのスキャンダル?が雑誌に載ったこともあったっけ。最も知られた仕事は、明治大正の文豪たちの姿を活写した「坊っちゃんの時代」(双葉社。絵はまた谷口ジロー)だろう。神経症でいつも胃を痛めている漱石、貧困のどん底にいる一葉、高級官吏でありながらドイツ人女性との恋に悩む鴎外、ほとんど禁治産者の啄木……このシリーズは古典への偏見を取り除いてくれるだけでなく、欠点の多い生身の人間である彼らの、だからこそ偉大な仕事へのリスペクトに溢れている。必読。

Bocchan 「本よみの虫干し」は、朝日新聞の読書欄に連載された同名のコラムが中心になっている。

『1960年代、文学はいまだ青年の教養の必須課目と考えられていた。70年代に山田風太郎作品に出会い、80年代に司馬遼太郎、藤沢周平などを読んで考えを改めた。文学は「私」なしでも成立するのである。物語もまた文学なのである。そうして、文学を「鑑賞」しなくてもいいという発見は新鮮であった。まさに救いであった。そんな視線で読み直すと、うっとうしいと思われた文学も意外におもしろいのである。』こんなスタンスで書かれている。

 でもなあ、ここにとりあげられた59の作品(超有名作品だらけ)のうち、私が読んでいるのは阿佐田哲也や片岡義男を入れてもわずかに7作品。そういえば高校時代から古典を読んでいない自慢ばっかりやってたからなあ私らの世代は……

「田山花袋の3作品といえば!?」「『蒲団』!『田舎教師』!『妻』!」
「じゃあ、梶井基次郎は!?」「『檸檬』!『檸檬』!『檸檬』!」(笑)
こんな問答やってるヤツもいたし、漢字まで読めない自慢をかましているヤツもいた。

「芥川龍之介」→ちゃがわたつのすけ
「田山花袋」→たやまはなぶくろ

まあこっちの方がおちゃめだが(笑)。そんな我々に、関川は救いとなる言葉を投げかけてくれている。

『先に「読み直す」と書いたが、それは言葉のあやである。根が文学嫌いであったものだから、本書中にとりあげた作品の大部分ははじめて読んだのである』優しい嘘、の様な気もするけれど。

Seityo  文中には、目からウロコの指摘が多い。いかな名著とはいえ、そのほとんどが経済の問題から(個人のものにしろ、国家のものにしろ)離れ得ないことや、多くの作家たちの日常がおよそ道徳的とは言い難いものだったこと(姦通の多いこと!不倫などという生易しいものではない)、病気や貧乏それ自体が文学の一支柱となっていたことなど。私にとっては「ビルマの竪琴」の竹山道雄が、映画公開時になぜあれほど右翼扱いされていたかの謎が解けたことが嬉しかったし、多くの人がこの本の白眉とする松本清張「点と線」の項で「彼(清張)は高度成長時代の果実の分配の不平等にのみ執着して、その時代精神を「嫉妬」と「恨み」に因数分解した作家である。」というフレーズなど、なるほどなあ、と唸らせる。何よりも、この本を通じて関川が訴えかけているものが、「戦後」なるものへの彼の憎悪であることには、首肯する人も多いのではないでしょうか。戦後民主主義の子、としてはつらいけどさ。

※高校に入学するときの課題は、岩波新書を2冊読んでくること、だった。そんなことをするからみんな『教養』が嫌いになるのである。ちなみに私が選んだのは大江健三郎の「ヒロシマ・ノート」とストレイチイの「なぜ社会主義をえらぶか」。わかりゃしねぇよ。

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