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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

バンド臨終図巻PART6 ABBA

2018-11-07 | 音楽

Frida - I Know There's Something Going On

PART5「キャンディーズ」篇はこちら

男性2人、女性2人という編成だが、その中身は2組の夫婦。ビョルンとアグネッタは70年に結婚。同居していたベニーとアンニも78年に入籍。グループの人気がワールドワイドなものになった79年にビョルンとアグネッタが離婚。81年にはベニーとアンニも離婚した。82年以降はアバとしての活動は急速に消滅していく。

……ビョルンとベニーはもとからコンビを組んでいて「木枯らしの少女」は日本でも大ヒットしたのをおぼえてる。アグネッタとアンニは、いわゆる北欧美女の典型のアグネッタと、黒髪のアンニという具合に違うタイプだったのもよかったかも。

わたし?圧倒的にアンニフリーダが好きでした。フィル・コリンズがプロデュースしたソロ(フリーダ名義)もよかったなあ。しかしまさかビョルンとベニーがプロデュースしたミュージカル「マンマ・ミーア!」でアバがまたしても騒がれる世になるとは……

アバについては、つたない英語が魅力のひとつだとか言ってる人もいたけど、わたしにはさっぱり。これでも英文卒(笑)。

ポリス篇につづく

 

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バンド臨終図巻PART5 キャンディーズ

2018-11-07 | 音楽

わな キャンディーズ 1977

PART4 エアロスミス篇はこちら

渡辺プロが経営するタレント養成学校「東京音楽学院」の生徒だった3人は、当初レコードデビューする予定はなかった。しかし渡辺プロの松崎澄夫プロデューサーが目を留めたことでデビュー決定。「年下の男の子」などの大ヒットでアイドルに。

しかし管理されたアイドルというあり方に疑問を感じた彼女たちは、マネージャーに相談。彼は渡辺プロ社長、渡辺晋に提言したが一蹴される。旧態依然の売り方に不満を持った彼は退社して渡米。渡辺プロとの話し合いが平行線のまま迎えたツアー初日、日比谷野外音楽堂で「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言。

……この、渡辺プロに反旗を翻したマネージャーこそがアミューズを創立した大里洋吉。松崎プロデューサーはアミューズの社長から副会長になっている。アパートの一室からスタートしたこの会社は(サザンオールスターズというお宝のおかげもあって)大企業となった。

ちなみにわたしは福山雅治のものまねで

「そぉいうことはアミューズを通してくれないとぉ」

というネタを用意しております。わたしはルックスはもちろん、声も福山雅治だと評判です。こういうことは言ったもの勝ちです。

人によっていろんな意見があるでしょうが、わたしがキャンディーズの曲でいちばん好きなのは「わな」。

ミキがセンターをとった(この言い方はAKBとかの悪影響)からではなくて、曲としてすばらしくない?歌謡曲の王道がここにあるよね。わたしは激しく渡辺プロを憎むものではあるけれども、どうもありがとうって感じ。

ABBA篇につづく

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バンド臨終図巻PART4 Aerosmith - Dream On

2018-11-06 | 音楽

Aerosmith - Dream On

PART3「ザ・タイガース」はこちら

「ドロー・ザ・ライン」制作中からメンバーに亀裂が生まれ、制作が長引いたために100万ドル以上も費用がかかった。79年にライブ後、楽屋だったトレーラーハウスでジョー・ペリーの妻がトム・ハミルトンの妻にミルクをかけたことが引き金となり、ジョーとスティーブン・タイラーはケンカ別れ。バンドを脱退したジョーはジョー・ペリー・プロジェクトを始める。

……なんかもう典型的なバンドの解散事情のようだが、話はこれで終わらず、フェイドアウト寸前だった彼らの「ウォーク・ディス・ウェイ」をランDMCがカバーして大ヒット。以降、(いろいろとあったとはいえ)バンドは継続している。だから臨終はまだ(笑)

このバンドについては、実はわたしデビューアルバムを買っていて(「ドリーム・オン」が目当て)、まさかこんな形で復活してくるとは思わなかった。映画「アルマゲドン」の主題曲「ミス・ア・シング」の大ヒットも、これはなにかの間違いなんじゃないかと思ってました(笑)。

かつて「オヤジロック三昧」でお送りしたように、このバンドの事情にはわたしけっこう通じています(笑)。

PART5「キャンディーズ」につづく

 

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バンド臨終図巻PART3 ザ・タイガース 

2018-11-06 | 音楽

ザ・タイガース 花の首飾り【高画質】

PART2「ジャニーズ」はこちら

69年3月5日、アルバムのリハーサル中に加橋かつみが失踪。渡辺プロは記者会見を開き、契約不履行を理由に加橋の除名を発表。しかしこれは渡辺プロの狂言で、すでに脱退についての合意が取り交わされていた。加橋はソロアルバムのレコーディングのためにパリへ飛んだが、その手配は渡辺プロが助力した。

……なんか、大騒ぎだったよな、程度の記憶しかない。加橋の代わりに入ったのが岸部おさみ(一徳)の弟の岸部シロー。加入当時、彼は楽器をマスターしていなかったとか。この騒ぎに幻滅したのがドラムスの瞳みのる(ピー)で、彼は解散後に慶応高校の漢文の教師になる。彼の自伝は陰鬱だったなあ。(このVでも徹底的に無視されているのは露骨~

沢田研二という存在はもっとだいじにしてくれないと。なんか近ごろ、彼がバッシングされているようなので怒っています。

イギリスにはミック・ジャガーがいる。でも日本には沢田研二がいるのである(「気分はもう戦争」で矢作俊彦と大友克洋が絶叫)。

彼のことをみんななめてないか?

わたしは彼のファンでも何でもないけれども(なにしろ渡辺プロを中心とした旧態依然な芸能界ってものが嫌いだったから)沢田研二の素晴らしさだけは否定できない。よく考えればあの特異な声の美しさとルックスの狂気が(萩原健一よりよほど危ない感じ。美しすぎて)「太陽を盗んだ男」という名作を生んだのではなかったか。

PART4「エアロスミス」篇につづく

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バンド臨終図巻PART2 あなただけを あおい輝彦 (1976)

2018-11-03 | 音楽

AAo761 あなただけを あおい輝彦 (1976)140904 vL HD

PART1「恋はあせらず」はこちら

アメリカ大使館に勤務しながら、代々木公園で野球のコーチをしていたジャニー喜多川が、少年野球チームからよりすぐりの4人(真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、青井輝彦)を選んだのがジャニーズ。伊東ゆかりのバックダンサーとしてデビュー(以降、まずはバックダンサーをやらせるのがジャニーズ事務所の伝統となる)。

66年夏に全米デビューをもくろんで渡米したが話は立ち消えに。不在の間にグループサウンズがブームとなり、ジャニーズは時代遅れとなり、喜多川の興味も弟分のフォーリーブスに移っていた。

……フォーリーブス。なつかしいなあ。確か日曜の夜にプラチナ万年筆提供のレギュラー番組を持ってたような。ジャニーズのあおい輝彦はもちろん水戸黄門などで活躍しているが、ソロになってからの彼の曲はいいのが多かったんだよね。Hi-Hi-Hiとか、この曲とか。

PART3「ザ・タイガース」につづく。動画あんのかな。

 

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バンド臨終図巻PART1 「恋はあせらず」The Supremes: You Can't Hurry Love

2018-11-03 | 音楽

The Supremes: You Can't Hurry Love - Original (Take 1)

このタイトルで“古今東西200バンドの解散の真実を徹底分析!”とくれば、よくある暴露本に近いものなのかな、とチラッと考えた。まあ、それはそれで面白く読めればいいか。おっとでも版元は河出書房新社で(今は文春文庫で増補改訂版が出ているとか)、タイトルは山田風太郎の「人間臨終図巻」へのオマージュなのだという。資料的にもしっかりしていて、かなりの読み応え。

「結成は偶然かもしれない。だが解散には必然があった」

というコピーに偽りなし。ビーチボーイズやビートルズのように、その事情が知れ渡っているバンドもあるが、全然知らなかったエピソードも満載。わたしの好きなバンドを中心に、いくつか解散事情を紹介しましょう。

◆ザ・スプリームス The Supremes

モータウンからデビューしたデトロイトの女性三人組。社長のベリー・ゴーディがリードボーカルのダイアナ・ロスばかりひいきにしたためにメンバーの関係が悪化。その事情を映画化したのが「ドリームガールズ」。ダイアナ・ロスの役を演じたのがビヨンセ。解雇されたフローレンスを演じたのがあのジェニファー・ハドソンだった。

……ベリー・ゴーディの役がジェイミー・フォックス。この映画は破滅的なアーティストを演じたエディ・マーフィの復活作として有名。

ということで本日の1曲はシュープリームス(わたしはこう理解していた。米米クラブじゃないですよ)の名曲「恋はあせらず」
わたしはフィル・コリンズのカバーで初めて知りました。

でもママ、あせらないでいることなんてできない。できないよなあ。以下次号

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「Jポップは死んだ」烏賀陽弘道著 扶桑社新書

2018-04-08 | 音楽

タイトルで誤解されそうだけど(誤解して図書館から借りたんですけど)、これは音楽的な意味でのJポップの死ではなく、経済学的な意味合いでJポップという有り様がなくなったという意味だった。

CDの売り上げが激減しているなかで、それではアーティストや音楽産業関係者は困窮のさなかにいるのか……どうやらそうでもないことが説明される。コンサートに代表される“ライブ”の売り上げは上昇しているし、パチンコ、結婚式などでJASRACが徴収する著作権料も減っていないのだとか。

Jポップ全盛期、売り上げトップ50のうち、タイアップが47曲もあったとか、業界全体の宣伝費が100億程度だったのに、資生堂一社でそれだけの額を消費していたので、タイアップがどれだけ強力だったか……お勉強になりますね。

この書では、かくて広告代理店主導でヒット曲が作り上げられていた時代よりも、ネット中心にさまざまな嗜好に応えられる現在の方がまだしも健康ではないかと語られている。

でもね、日本の音楽が、はたして上質なものになっているかははなはだ疑問だ。ユニゾンだけの大音響に、ピーター・バラカンが絶望的になっていることにわたしも一票。ラジオから流れる曲にびっくりし、おわー何て曲だろ、とアプリを起動させることも近ごろめっきり……世代のせいですか。そうですか。

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オヤジロック三昧 Neil Young - Heart of Gold

2017-09-19 | 音楽

Neil Young - Heart of Gold

きのうは米沢往復。さすがに疲れます。片道160キロ。一日で7時間クルマを運転していたことになる。でも、全然眠くならなかった。

NHK-FMが敬老の日特集として(これがちょっと我ながらつらいんだけど)「オヤジロック三昧」と称して69才以上のロックアーティスト(元気にもほどがある)特集をかましてくれたからだ。おれのためにあるような企画!69才にははるかに遠いけど!

89年のストーンズのスティール・ホイールズ・ツアーのオープニング曲は……

「スタート・ミー・アップ!」

みんな病気になったエアロスミスのなかでいちばん健康なのは……

「ジョー・ペリー!」

(訳詞コーナーの)

「♪おれはハリウッドにも行った」

「レッドウッドにも行った!」(「孤独の旅路」ニール・ヤング)

DJより先に宣言するわたしに助手席の妻と後部座席の娘はあきれている。仕方ないんだよそういう世代なんだから。

でもこの番組に狂喜したのはその理由だけじゃない。

「このDJ、何才ぐらいだと思う?」

わたしにとっておなじみの人だったので。

「え?三十代くらい?」

「おれより年上なんだよ」

そのDJは山本さゆりだったのである。

あ、誰も知らないか。

かつてラジオ関東(死語)でオンエアされていた「全米トップ40」で湯川れい子のアシスタントのような立ち位置だった人だ。チャッピーじゃん。懐かしくて涙が出る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%82%86%E3%82%8A

今泉恵子の全英トップ20もよろしくね。

初めて知ることも多かった。

○キャロル・キングは、ソングライターになる前はティーンエイジアイドルとして売り出そうとしていた。

○(「ビー・マイ・ベイビーの)ロネッツのヴェロニカはフィル・スペクターと結婚していた(マジで知りませんでした)。

えーとあと何だっけ。こうやって忘れていくのが敬老っぽい。

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追悼ウォルター・ベッカー Steely Dan - Gaucho - HQ Audio

2017-09-04 | 音楽

Steely Dan - Gaucho - HQ Audio

週末にうちの猫は近所のライバルとケンカをしたらしく、脚をひきずっている。
「医者に連れてかなきゃ」
ところが、運動会で学区の小学校から借りた綱引きの綱を軽トラで返しているうちに外に出たみたい。で、帰ってこない。ネガティブな想像がどんどん膨らむ。夜勤明けの息子も

「死ぬときはいなくなるって言うよね」

よせよ。

いろんなところを見回ってもいない。夕刻になっても帰らない。酒を飲む気にもなれない。

「あいつが帰ってくるまで禁酒しよう」

なんてことまで考える。午後6時。暗くなり始めたので、もう最後だと軒下をのぞいたら

「にゃ」

と出てくる。ふううう。とりあえずご飯を食べさせて、妻と医者に向かう。助手席で彼女は

「どうしようかと思ってたの。あたしもご飯を食べる気にもならないし」

レントゲンを撮ったら骨折はしていないようだ。抗生物質を注射してもらう。あーよかった。こんなにも自分がダメージを受けていたのかとびっくり。妻も猫用キャリーを抱えて

「よかったねぇ、よかったねぇ」

とつぶやいている。いつか、覚悟を決めなければならない時も来るのだろうが、今は勘弁してくれ。ってことでさっそく飲んでます。

その代わりというわけではもちろんないが、スティーリー・ダンのウォルター・ベッカーが亡くなった。神経症的なまでに完成度にこだわった

「彩(エイジャ)」

「ガウチョ」

という二大傑作アルバムだけでも聴いてほしい。わたし、ガウチョは人生でいちばん数多く聴いたアルバムだと断言できます。タイトル曲の女性ボーカルの美しさは筆舌に尽くしがたい。にしても、このバンドの歌詞は意味わかんなくて(T_T)

 

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戦後の音楽文化PART8 学習指導要領

2016-11-02 | 音楽

Black Wonderful Life HD Widescreen 16:9

PART7「演歌」はこちら

音楽特集の最後は、少しは学校職員っぽいことを。

「学習指導要領」

学習指導要領は、1958年より法的拘束力をもつようになり、以後十年ごとに改訂される運びとなる。そしてこれによって共通教材(各学年歌唱、鑑賞教材それぞれ三曲ずつ)が導入されるようになったことは重要である。教育課程の基準となる目標や内容を示すだけでなく教材の指定を行うようになったことは、何を我々の共通のレパートリーとしていくかを国が示したということである。

これには国による教育への過剰統制ではないかという批判があった。特に小学校の歌唱教材については、文部省唱歌や日本古謡から選曲されており、それが果して「愛唱歌」となりうるのか、それらを歌うことで音楽の生活化が図られるのかを疑問視する意見が聞かれた。しかし、時代を経た現在から顧みると、学校教育における教材として音楽の導入部からそれらの歌が選択されてきたことで、世代を超えて歌い継がれる「みんなが知っている歌」になった事実も見逃せない。

……なるほどー。全然知りませんでした(笑)。他の教科は教材の指定は行ってない。そういえばそうか。国語の教科書に“必ず載る作品”は存在しないものな。まあ夏目漱石に一度もふれないで卒業するのはむずかしいだろうけれど。

しかしわざわざ共通のレパートリーを文科省が用意しなければならないくらいに現在の音楽の嗜好は細分化され、みんなが知っている歌は生まれにくくなっている。紅白歌合戦の視聴率が低下し続けているのはその証左でもあるだろう。

わたしはそのことは一種の成熟だと考える。もちろんみんな知っている曲を力強く歌う経験はたとえようもなく成就感があり、成長段階において必要なことだとは思う。でもわたしは最後にこれだけは言っておきたかったのだ。“みんなが知っている曲がある”ことは確かにうれしい。しかしその曲を歌いたくない人間に歌を強制するような世の中は、きっとろくなものではないんだろうと。

この特集の最後の曲はブラック「ワンダフルライフ」。わたしの世代にとってはサントリーが売り出したバーボン、オールドフォレスターのCM曲としておなじみ。すばらしい曲。そしてこの曲を書いて歌ったコリン・ヴァーンコムは今年、交通事故で亡くなっている。享年53。彼にとって、人生が素晴らしいものであったことを祈ります。え、こんな曲知らない?それはよくないなあ。ぜひ歌ってみてください。詞は皮肉にみちていますがシンプル。

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